2008年8月31日日曜日

歳を取ったら手抜きしろ

こんにちは

若い同僚(30歳ちょい越え)からこんなメールが来ました。

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そこでふと思ったのが、最近は以前のように「がむしゃらに」
動かなくなってきてしまったな、ということです。
慣れというのもあるのかも知れませんが、結構手を抜きながら
やっているところがあります。
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30歳になって、ちょっと迷いが出てきているようです。
ぼくもそうでしたが、30歳頃ってちょっと迷いがでるんですよね。
20代の頃は、ただただひたすら突っ走るように仕事をしてくる。
30歳を越える頃、ようやく仕事にも慣れ、悩むだけの余裕が出てくるんですよね。

20代の頃はがむしゃらにやって試行錯誤しながら経験を積むのは大事だけど、そのやり方を30歳になっても続けるのは感心しません。
やはり30代には30代の仕事の仕方があると思います。
それは、いい意味の「手抜き」ができるようになることだと、ぼくは思うんです。
仕事にプライオリティを自分で付けられるということだね。

手を抜くというのは、必ずしも悪いことじゃない。
手を抜けるというのは、仕事の大事なスキルだと思います。
手を抜くという言葉が悪いなら、優先順位の低い、時間とコストをかける意義が低い仕事は、省力化するってことです。

日々、自分の仕事を反省する。
反省ってゴメンナサイと謝ることじゃありません。
「省」の字は、<省く>という意味でもある。
反省して、どこかに無駄はないか、省くことができることができないか、考え実践する。
つまり反省とは、手を抜くことなんです。

ただし、どこを手を抜くかは重要です。
いかに全体の品質を落とさずに、省力化ができるか。
手の抜き所が分かってないといけません。

手の抜き所が分かるためには、試行錯誤が必要です。
若いときがむしゃらにやる時期が必要です。
でも30代になったら、ただがむしゃらにやるだけじゃいけない。
がむしゃらにやって、失敗したり成功したりして、それを日々反省して勘所を磨く。
自分の仕事を磨き上げる、つまり削り落とすことなんですよね。

がむしゃらにやる時期は別に若くなくてもいいんですが、ある程度年齢が行ってしまうと、ちょっとかっこ悪い。
おっさんになってまでがむしゃらだったら、ちと恥ずかしいです。
40歳過ぎても残業が多い人は、やっぱり反省が足りず、仕事の能力が劣っているんです。
もちろん残業が必要な時期もあって、40歳過ぎた人でもがむしゃらにやる時もありますよ。
でもそれは短期簡に限ります。
常に毎月のように残業が多いおっさんは、能がないと思います。

それに40歳をすぎたら体力もなくなって、そうそうがむしゃらにはできなくなってくるのです。
がむしゃらだけで40歳まで来てしまった人は、この頃に病気になってしまったりするんです。
男の厄年が42歳である一つの理由は、こんなところにもありそうです。

だから、20代はがむしゃら、30代はがむしゃらだけど反省も欠かさない、そして40代になったら手を抜けるようになるのが理想です。

梅森浩一『残業しない技術』扶桑社\1000-にこんなことが書いてありました。

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私の大好きな言葉に、「怠け者は二度働く」というネイティブアメリカンの格言があります。
肝心なところで手抜きをしてしまったがために、結局「元も子もなくしてしまった」「最初からやり直しをしなければならなくなった」というたとえです。
自分の怠け心を戒める言葉として座右の銘にしています。
上司の目線や評価軸にもとづいた、いわば確信犯的な手抜きではなく、自分に甘いだけといった場当たり的な手抜きでは、結局そのツケが最後には自分自身へとまわって きてしまいます。(18p)
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怠け者ほど返って仕事時間が長くなってしまう。
怠け者は手の抜き所が分からないから、とんでもないところを手を抜いてしまいます。
それでは仕事の質を担保することができず、やり直しせざるを得なくなります。
考えが足りないのです。

あるいは、怠け者はちっとも考えない、段取りをしないで仕事を始めてしまいます。
するとどこも手を抜かずに仕事をしなければならないから、やたら時間がかかるわけです。
やり直しするにしても、どこも手を抜かずにやるにしても、時間がかかります。
残業が多くなるのは当然です。

だから、手を抜くのも「確信犯」でなくちゃいけないんです。
そして、手を抜いてできた余裕で、新たなことにチャレンジすることができます。
仕事でもいいし、プライベートでもいい。
はっぴーなおじさんになれるというわけです。

がんばるタイムのススメ

こんにちは
 
ぼくはめったなことでは残業しません。
勤務時間内ですべて処理しよう、と決意しているからです。
あらかじめ予定に入っている仕事は、時間内にこなします。
もちろん、急かつ重要な案件が入った場合は、喜んで残業します。
たとえば明日の朝までにやる必要のある仕事が、今日の夕方に入ったとかね
でもそんなことはめったにありませんよ。
なので、まー9割の日は定時には退勤です。
 
時間内で処理するためにやっていることは二つ。
 
 1.始業時からフルスロットル
 2.一心不乱に作業
 
よく始業時刻になってから、お茶なんか飲んでるおじさんっていますよね。
中には新聞読んでるおじさんもたまにいる。
始業時刻になってから、自分の頭と心のエンジンキーを回すんでしょう。
それだとなかなかフルスロットルにはなりませんよ。
仕事にノッテくるのは10時か11時になっちゃいます。
ノッテきたなと思ったら、もう昼休みです。
これでは午前中の生産効率はたいして上がりません。
 
ぼくは始業時からフルスロットルに入れるように、朝の時間を大切にしています。
まず早起き。
早起きしてコーヒーを入れ、ゆっくり飲む。
前日のメールチェックして、返信する。
頭が働いてきたところで「ゴミメール」を書く。
これで脳の準備運動完了です。
 
そして出勤。
通勤も自転車だったり歩きだったり、なるべく体を動かす方法を採用しています。
出張中でも朝一定以上歩くようにしている。
それによって体も目覚めます。
 
また、歩いている間に今日やる仕事の段取りを考えます。
思いついたことがあったら、立ち止まって手帳にメモします。
歩いて体が目覚めてくると、頭の働きも活溌になって、アイデアも浮かんできます。
 
こうして始業時間を迎えれば、フルスロットル状態に即入れるってわけです。
 
さらに、一心不乱に作業します。
仕事は大きく、

 ・打ち合わせ
 ・作業

に分けられます。
事務職の人はどうも「作業」を軽視しているようにぼくは思っています。
打ち合わせばかり重要視している。
なので、手帳にも打ち合わせの予定は記入しても、作業予定は書いていない。
しっかりとした作業をしていないから、打ち合わせも実り多いものにならないんです。
打ち合わせたことをしっかり作業する、作業結果を基にまた打ち合わせをする、そしてさらに作業する、という循環ができていない。
だから無駄な仕事が多くなって、時間ばかり浪費するんです。
 
ぼくは作業時間をしっかりと確保するように、作業のスケジュールも手帳に記入します。
作業の時間は他の用件を絶対に入れません。
その時間は作業に集中するためです。
いったん作業に集中したら、突然の来客者が来ても一段落するまで待ってもらいます。
たとえ相手が部長だろうと社長だろうと待ってもらいます。
当然、同僚から話しかけられても答えません。無視です。まあ「後でお願いね」と言いますけど。
上司から呼ばれても「今ノッテるので、後ほど」と言います。嫌な奴だね。。。

吉越浩一郎『2分以内で仕事は決断しなさい』かんき出版\1400-を読んだら、こう書いてありました。

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トリンプでは、午後12時半から2時半までの2時間を「がんばるタイム」と名づけて、社員が集中して仕事ができる時間を作っています。
この間は、私語は一切禁止です。電話するのもダメ、オフィス内を歩き回るのも厳禁。
「がんばるタイム」中は、自分の机に張り付いて仕事しなさい、というわけです。(77p)
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いいですねー。
全社あげて、作業時間を決めちゃっているんです。
社外にも公言しておけば、この時間帯の急な来客も防げますね。
社員は安心して集中した作業をすることができるって仕組みです。
 
この仕組みもあって、女性の下着メーカーであるトリンプは、ほぼ残業ゼロを達成したそうです。
残業なしで経営がなりたつのかどうか、というと、むしろ業績が上がっている。
きちんと定時に帰れ、家族との団らんの時間を確保し、睡眠時間も十分取れる。
だから、精神的にも肉体的にも健康を維持しやすい。
欠勤者がほとんどゼロ。
 
何より女性が活躍するようになったそうです。
下着メーカーですから、女性の活用は必須。
でも残業が多いと、子育てや家事との両立が難しくなり、辞めていく女性が多くなるわけです。
残業がなければ、十分子育てや家事と両立ができますから、せっかく育てた女性社員が辞めてしまうことがなくなった。
社員の教育費ってバカになりませんからね。
そして辞めた後の補充にかかるコストも結構なものなんです。
こうしてトリンプは、労働時間を増やすことなく実績を上げ続けているんだそうです。
 
がんばるタイム、ぼくの周りにも広めていきたいって思っています。

2008年8月30日土曜日

定刻主義のススメ

こんにちは

座右の銘を持っていますか?
座右の銘とは、何か自分の目標や行動指針をひと言で表す言葉です。
先人の言葉でもいいし、自分で作った言葉でもいい。
座右の銘を持って、恒にそれを唱えたり、意識していると、自分の行動にしっかりとした背骨ができてきます。
つまり、一貫した生き方ができるようになります。

で、ぼくの座右の銘は何かというと「定刻主義」です。
こう言うとたいていの人は笑います。
「帝国主義」と間違えているようです。
ぼくは時にかなり強権的、専制君主的だったりするので、つい笑っちゃうのかもしれませんね。

でも帝国主義ではなく、定刻主義です。
時間は守るってことですね。
会議なども定刻になったら始める。
参加者が全員揃っていなくても、定刻には始めてしまうのです。
もちろん自分自身も定刻には席に着いているのが前提です。
終わる時刻も最初に決めて、なるべくその時刻前には終えるようコントロールするのです。
そうすると、会議後にも予定を入れられます。
いつ終わるか分からない会議だと、会議後に予定を入れられなくなっちゃうからね。

とにかく、始める時刻と終わる時刻を明確にして、それを守るようにする。
少なくとも自分の努力でできることはやるのです。
それが定刻主義なのです。
これは、約束の期日を守る、締め切り日を守るということでもある。
定刻主義を実践すると、とてもラクチンなのです。

人生とは自分というリソース(資源)の使い方なんだと思っています。
自分というリソースをよく把握し、うまく使いこなして命を輝かせることだと思います。
自分というリソースだって、無限ではありません。
使い方を間違えたり、分配を間違えると、命はすり減ったり錆び付いたりしちゃうものなんだと思います。

そのためには、自分を自分のコントロール下に置き、決して他人にコントロールさせないことです。
他人に振り回された生き方をすると、自分というリソースをいたずらに浪費してしまいます。
具体的には、どんなことに注意すべきなのか。

一番は、他人にスケジュールを握られないこと。
それは、「まだかまだか」と催促されないことです。
催促されると自分のペースを崩され、他人のペースに自分を合わせなくてはならなくなります。
すると自分のリソースのある部分だけを過度に使ったり、逆に遊ばせておかなくてはならない部分ができたりします。
非常に非効率になります。

だから大切なのは、催促されないようにすることです。
催促されないように、たとえ他人から与えられた締め切りでも、締め切り通りに仕上げたり、それよりちょっとでも早く仕上げられるように自分で段取る。
締め切り日は他人が決めたものかもしれませんが、それに至るまでは自分で決められます。
自分で決められるから、自分というリソースを自分でコントロールし、適切に配分することも可能になります。

また締め切りが明確でないときも、きちんと期日、締め切り日を決めておかないのもいけません。
「なるべく早くね」と言われていた仕事を、翌日に「できた?」なんて催促されたことはありませんか。
「早く」は人によって違うものです。
自分は来週までくらいだろうと思っていても、他人は明日までと思っているかもしれないのです。
だから、曖昧な約束はしないことです。
期日が双方明確であれば、期日までは催促されないことが確約されます。
たとえ期日前に「できた?」と言われても、「約束の日までにはなんとか!」と気楽に答えられます。
そうやって、締め切り日までの期間は自分でコントロールできることになります。

催促されないこと。
時には催促でもされないとやる気が起きないようなこともありますが、原則は催促されなくて済むようにすることが大切だと思います。
すなわち「定刻主義」です。
これが自分らしく生きるための「技術」のひとつだと思っています。

歯車を咬み合わせろ

こんにちは

「人間は歯車じゃない!」なーんて言う人がいますが、ぼくはある意味人はみんな歯車だと思うし、歯車であるべきだと思っています。
歯車は回転を他の歯車に伝える役目をしているメカニズムです。
ただ単に伝えるだけじゃなく、速度を変えたり、力を増減したり、方向を変えたりしている。
ちゃんと役割を持って回転しているわけです。

人だって同じだと思います。
自分のしたことをちゃんと誰かに伝えること、自分の役割を果たすことが、生きる意味だと思うのです。
誰かの回す歯車からの回転を受け取って、自分の回転がうまくいき、その回転が他の誰かがちゃんと受け取ってくれる。
歯車がカチッとかみ合ったとき、とても気持ちがいいんです。

逆に言えば、ちゃんと誰かに伝わらなかったとき、自分の役割を果たすことができなかったとき、生きた実感がなくなる。
そういう気持ちになった人が「人間は歯車じゃない!!」って叫ぶんです。

なので歯車がうまくかみ合うように、ぼくらが今どんな仕事をしているのかをスタッフのみんなに伝えるのも、ぼくという歯車の役割だと思っています。
スパコン建屋のスタッフにこんなメールを送りました。

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スパコン建屋スタッフのみなさん!

スパコン世界ランキング、新しいtop500が発表されました。
http://www.top500.org/list/2008/06/100

先日お伝えしたように、1位はIBM製ロードランナーで1ペタを超えました。
ピーク性能1.37ペタでリンパック1ペタですから、実効効率70%以上となかなかのマシンです。
サブCPUにプレステ3でおなじみ、Cellが使われています。
つまり、部品は日本製!!ちょっとくやしいね。

日本にあるスパコンでは、新たに東大に設置された日立製T2Kが16位で、日本一。
日本一と言ってもリンパック83テラ、ピーク113テラですから、ロードランナーの1/10以下の性能でしかありません。。

その他、日本の新しいスパコンもランクインしていました。
筑波大に設置された同じくT2Kが20位。
京都大T2Kが34位です。
T2Kは三つの大学で共通仕様で発注することにより、開発費を抑えることに成功したんだそうです。

前回日本一だった東工大TSUBAMEは24位に。
地球シミュレータは49位まで後退してしまいました。

さてさて、ぼくらの次世代スパコンが4年後に世界一をGetできるよう、楽しくがんばりましょう!
小さな円を描くより、大きな円の円弧を描け!!
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先週末、理研横浜研究所の一般公開がありました。
ぼくも仕事としてではなく、一見学者として見学しました。
横浜研究所はまだ野原だったところから建設に関わった研究所です。
一生懸命に作りました。
思いのこもった施設がちゃんとうまく機能しているのか、それを見ることはとても楽しみです。

一生懸命にやるためには、自分という歯車を上手くチューニングする必要がある。
つまり、どんな目的のためにこれを作るのか、なぜこれはこんな風に作る必要があるのかを理解する必要があります。
横浜研のメイン施設は「NMR;核磁気共鳴装置」です。
NMRの原理、何をするものなのかを概略でも理解するよう務めました。

ところでNMRの原理はちゃんとファインマン物理のテキストの載っていました。
学生時代、ちゃんと教科書を買っておくこと、それを手元に残しておくことは大切ですね。

話を戻して、一般公開の時、NMRの管理をしている方と少々おしゃべりをしていたとき、一般の見学者の方から「なぜこの建物はこんなおもしろい形をしているのですか」と質問がありました。
ぼくは説明員でもないのに、解説しちゃったりして!

つべこべ言わずに本を読め

こんにちは

勉強のできない子の原因として、

1.勉強時間が絶対的に足らない
2.勉強方法が間違っている
3.師匠の言うとおりにやらない

があります。
何が一番大切かと言えば、3の師匠の言うとおりにやることです。
もちろんこの人の言うことなら間違いないといういい師匠を見つけることが一番です。
見つからなくても、先生、上司、先輩の言うことをハナからバカにしないで、言うとおりにやってみることが大切です。

第3種電気主任技術者試験(電験3種)を受験したい、という若い技術者君がいました。
どのテキストがいいか相談されたので、いい本を何冊か紹介したんです。
ぼくも電験3種を受験したとき何冊か購入して、その中でいいと思ったテキストです。
そして、すぐテキストを買って勉強を始めるようアドバイスしました。

しばらくして、テキストを購入してきたかどうか彼にたずねました。
すると、
「近所の本屋になかったんですよ。理研の本屋に頼めば1割引だからそうしようと思って」
とのこと。
ダメだなこりゃ、と思いました。まるで真剣味が足りません。

電験のテキストとはいえ、専門書です。
そこいらの本屋では売っているわけがありません。
専門書がたくさん置いてある八重洲ブックセンターか神田三省堂、池袋ジュンク堂くらいには行かなくちゃね。
テキストをすぐ手に入れるためにはそのくらいの手間がかかるのは当然と思ってくれなくちゃ。

確かに職場には紀伊国屋書店が出店していて、1割引で売ってくれます。
でも注文してから届くまで数週間はかかってしまいます。
テキストは全部買っても2万円です。その1割引きは2千円。
2千円の節約のために、数週間勉強が遅れてしまうのです。

このことをお金に換算してみましょう。
たとえば1週間勉強開始が遅れるのは、お金に換算するといくらくらいになるのでしょうか。
彼の時給を1500円として、一週間毎日2時間勉強するとすれば、\1500-×2時間×7日間=2万1千円です。
たった2千円の節約のために、2万円以上も損してしまった計算になります。
2週間遅れれば4万円、3週間遅れれば6万円・・・。
もったいないことです。

なぜ師匠の言うとおりにやるべきなのでしょうか。
師匠も、上手くいったり失敗したり、たくさんの経験をしてきているわけです。
自分自身の経験だけでなく、師匠もまた誰かに教えられたり、誰かの真似をしてみたりして、技を磨いてきたのです。
つまり、師匠の教えの中にはたくさんの先人の知恵が詰まっているのです。
それをないがしろにしてしまうと、いつまでも我流の域から出ることができません。

ぼくの座右の銘は「人生はより良く生きるものではない。より多く生きるものだ」です。
より多く生きるとは、先人に学ぶことだと思います。
松村劭『勝つための状況判断学』PHP新書\700-から引用します。

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(略)人間は「より多くの経験--失敗も成功も--」を積み重ねることが必要であると同時に、違った環境の経験もできるだけ広く積まなければならない。
「そんな暇も金も場所もないよ!」
という人には、1870~71年の普仏戦争に勝利したプロセインの鉄血宰相ビスマルクの言葉を提供しよう。

  愚者は自分の経験に基づいて判断する
   賢者は人の経験を最大限に利用する

と。
すなわち、教育、勉強が必要であることを強調している。
しかも彼が強調しているのは、他人の経験を自分の経験のように「追体験」する勉強の仕方である。
よい教育者というのは、このような追体験の感覚を被教育者に与えることができる人である。
単なる知識の切り売りをする人は教師の資格がない。
昔の日本では--世界でも同じだが--炉辺で老兵が若者を集めて炉辺兵談を聞かせた。
若者たちは、老兵の巧みな戦場描写の話に、いかにも戦っているような気持ちで戦いのコツを学んだものである。
漆塗りの職人芸、焼き物の職人芸など多くのプロ職人の技術を学ぶのは、単なる技術論だけではなく、師匠の経験を追体験して学ぶのである。(65p)
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先人の経験を自分の中に生かすこと、すなわち勉強することなんだと思いました。
そして本は先人の知恵が詰まった缶詰なんです。
本は最も信頼すべき師匠なんです。
だから本を読まないとダメ。
どんな本を読んだらいいかは、先生、上司、先輩などから教えてもらう。
そうすれば無駄のない勉強ができます。

逆に言えば、どんな本を読んだらいいかアドバイスできない先生、上司、先輩は、師匠として失格です。
なぜアドバイスできないかというと、その人自身が本を読んでいないからです。
本を読んでいない人は、先人の知恵や経験を身につけていないと判断していいです。
もちろん、本も読まない人は、その人の先生、上司、先輩からも学んでこなかった人だと思います。
その仕事の仕方は自らの経験に基づく自己流でしかなく、学ぶべきことはほとんどないのです。

本を読み、それを自分の経験と照らし合わせて考える。
すると本に書いてあることが自分の経験として蓄積するし、自分の経験ももっと広がりを持つようになるのです。
そうしてきた人は、自らの経験を後輩達に普遍性を持った形でリアルに語れます。

ここでも、実力=知識×経験^2なんですよね。
本を読み、勉強して身に着けた知識は、それだけでは役に立ちません。
自分だけで経験したことも普遍性を持ちません。
両者がそろってこそ、自分の実力になっていくんだと思っています。

ラクして損するな

こんにちは

ぼくは駅などでもなるべくエスカレータは使わないようにしています。
階段を駆け上る。
職場でも2フロアなら階段です。
徐々にフロア数を伸ばしていこうと思っています。

これも100歳現役医師である日野原先生の真似。
日野原先生は、楽にすることが自分のためじゃない、みたいなことを言っていました。
エスカレータに乗ればラクチンですが、体力は落ちていきます。
乗ったときは楽で得した気持ちになりますが、長い目で見るとそれは自分のためになっていない。
健康を損ねてしまうからです。
エスカレータを利用することは、楽して損してるわけですね。

そもそもエスカレータは、階段を上ることができない人のために設置されているのです。
階段を上る能力がある人は乗ってはいけないのです。
能力があるのに楽をするから、その能力でさえ損なわれる。
そういうことって、人生至るところにありそうです。

牛尾治朗『男たちの詩』致知出版\1500-に、建築家安藤忠雄さんとの対談が乗っていました。
安藤忠雄「常に全力疾走あるのみ!」から引用します。

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今の日本がなぜ低迷しているかというと、問題が起こらないように起こらないようにやっているから、逆に問題が起こっているんだと思うんですよ。
新しいことをしないで安全策ばかりとってきたことで、緊張感がなくなったことが大きな原因だと思うんです。(19p)
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つまり、目先のラクチンを求めすぎた結果が、今の日本なんですね。
階段を駆け上って汗をかくより、エスカレータで安全に楽に上る方を選んだ。
そのために基礎体力がなくなって、気も緩んでしまった。
それが逆に健康を損ねている。
それと同じなんだと思います。

新しいことをするには、失敗しないように恒に緊張感を持ち続ける必要があります。
その緊張感があるから、困難なことでも失敗しないでできる。
逆に安楽で安全なことばかりだと、緊張感がないから、ちょっとしたことでもトラブルに至る。
基礎力も育ってないから、ちょっとの変化にも対応できないんです。

目先のラクチンに頼ってはいけません。
それは自分を無能にしていくだけなんだと思います。

心を広くせよ、空を見よ

こんにちは

ある研究室の設計をやっているときのことです。
研究室の面積は50m2程度、そこに実験用の電源盤を設置する。
ぼくと一緒に設計を担当している奴が、実験盤の原案を持ってきました。
研究者に十分ヒアリングして設計したとのこと。
ぼくはチョビットえらくなっちゃったので、十分な打ち合わせをする時間が取れない。
なので、できあがった設計を評価する役目になってます。

で、その実験盤の設計を見ると大本の200Vブレーカーが400Aになってました。
プッて吹き出しちゃいましたよ。
失礼、失礼。

だって、200V400Aって80kWもの電力を供給できる容量です。
たった50m2の部屋に80kwを供給したら、いったい部屋の温度は何度になっちゃうんでしょうかねー。
彼に聞いたら、研究者の要望する実験機器の電源容量を足していったらこうなった、って。
そりゃそうでしょ。
でも、それらの実験機器はどう使われるか、聞いていないのです。
どれとどれを同時に使うのか、どのくらいの頻度で、どのくらいの時間使うのか。

細々とした使い方は、研究者だって分からない場合もあります。
普段、無意識に実験していたりするからね。
でも、別のデータから類推する方法もあるんです。

電力として投入したエネルギーは、必ず発熱します。
その発熱を冷却してあげなくちゃ、部屋の温度はどんどんと上がってしまいます。
だから、投入したエネルギー=除去する熱量のはずなんです。

この研究室の発熱量は、空調の設計担当の奴がヒアリングしてありました。
それによると、部屋全体の空調容量はたったの10kWだったのです。
電気の80kWと空調の10kW、こんなに違うわけがありません。
まあ、空調の熱量はある程度の時間を平均したエネルギーであり、電気の場合はピークエネルギーで設計するので、完全にイコールにするわけにはいきません。
でも、せいぜい電気は空調の1.5倍~2倍の容量があれば十分なんです。
だからぼくは、彼の設計した電源盤の大本のブレーカー容量を400Aから60Aに修正しました。

電気の設計をするときは、その電気エネルギーが使われて、最後にどれだけの熱エネルギーとして捨てられるのか、全体を見る必要がある。
全体を見ると、過不足のない適切な設計ができます。

仕事に限らず人生、目の前のことだけ見ていると間違えます。
もっと視野を広げておくことが大事だと思っています。
視野を広げるためにはどうしたらいいか。
伊藤真『続ける力』幻冬舎新書\720-にこう書いてありました。

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スランプに陥ったときには、狭くなった視野を広げるのが大事ということです。
気持ちの上で広げるだけでなく、海を眺めたり夜空を見上げたりして、物理的に広い視野を持つのも、気分転換に役立ちます。(62p)
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ぼくは空を眺めるのが好きです。
何かに集中して視野が狭くなったと思ったら、空を見上げる。
広くてきれいな空を見ると、心も広くなっていくような気がします。
人間の脳って、インプットされるものに大きく影響されるんです。
広くて大きなものを見ると、脳も広く大きくなっていくんだと思っています。

自立と孤立を区別せよ

こんにちは

職場でもぼくの「資格マニア」ぶりが有名になってきたのか、資格取得の相談を受けることがあります。
先日もある研究員の方から、来年でプロジェクトが終わってしまい次のアカデミックポストが見つからないかもしれないから、電気技師の資格を取りたい、という相談。
学者も大変です。最近は定年までというポストはちっとも増えず、プロジェクトごとの3年とか5年とか期間の限られたポストばかり。
博士号を持っていてもそれだけで安定して食べていくのは大変なのです。

確かに電気技術者は食いっぱぐれが少ない仕事です。
電気技術者はいつでも不足気味なので、職にあぶれることがない。
まして資格を持っていれば、世間的に良い評価をもらえるいい仕事です。
莫大に稼ぐことはできませんが、ほどほどには食っていけます。

で、試験日はいつで、教科書はどれが良くて、どのくらい勉強すればいいかなどの相談にのり、ついでに職場の電気設備を見学に案内しました。
今まで研究室、実験室しか知らなかった研究員の人は、「あーこんな風になっていたんですね。面白いですね」と言ってくれました。
興味を持つことができれば、資格取得へのファーストステップはOKです。
元々頭が良く、勉強が苦にならない人ですから、合格は間違いないでしょう。
でもでも電気資格を取得したとしても、できればアカデミックポストが見つかればいいなーって、ぼくは思いました。

内田樹『子どもは判ってくれない』洋泉社\1500-から引用します。

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「自立している人」というのは、周囲から「自立した人だ」と思われている人、それゆえに、人々に信頼され、何かにつけて相談を持ちかけられ、忠告を求められ、助力を仰がれ、責任を求められる人のことである。
「自立している人」というのは、その判断が熟慮されたものであるために、ほぼつねに適切であり、またいったん決断したことは容易には阻止介入することのできぬほどの実力的な基礎づけを持っている人のことである。
自立というのは、単体で存在するものではない。
それは人間たちの入り組んだ関係の中で、複数の人々を巻き込んだ利害のややこしい事件を経由したあとに、「ああ、あの人は「自立した人」だったんだな」という仕方で回顧的にしか検知されないものである。
自立というのは宣言や覚悟によって獲得できるものではなく、長期にわたる地道な努力を通じて獲得され蓄積された「社会的な信認」のことなのである。(104p)
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自立というと、誰にも頼らず頼られず自分一人で生きていく力だ、と誤解している人が多いと思います。
周りの人々、社会とは無関係であっても生きていけることが自立だと誤解されているように思います。
自分一人で生きていくなんて、それは自立ではなくて孤立なんです。
とても寂しい人生です。
そうではなくて、誰かに信頼され頼られる人が本当に自立した人ということです。

つまり、自立は周りの人々が頼りにし、あいつに相談すれば何とかなりそうだ、と思ってもらえる人が、本当に自立した人なんですね。
その意味で社会とは切っても切れない関係を取り結べる人、社会にとってその人がいないと困る、立ちゆかなくなるという人が「自立した人」なんだと思うのです。
つまり、「貢献」ですね。人々に貢献できてはじめて自立も手に入れられる。

また、自立した人は他に貢献するだけではありません。
自分が困ったとき誰かが助けてくれる人も、自立した人なんだと思います。
世の中give and takeです。
年がら年中助けてもらっている人は甘えているだけの人で、やがては誰も助けてくれなくなります。
誰かを助けている人には、困ったときに必ず助けてくれる人が現れる。
そして助けられたら次はまた誰かを助ける。
こういうgive and takeの関係を維持し続けられる人が、本当の自立した人なんじゃないかなって思います。
頼り頼られることが、豊かで楽しい幸せな人生なんだと思っています。

研究員の方に資格取得のサポートをしてみて、そんなことを思いました。
そしてぼくもようやく「自立した人」の仲間入りができてきたのかなー、なんてちょっと嬉しくなったりもしました。

で、その研究員の人は無事アカデミックポストを見つけ、研究を継続できることになりました。
よかったですねー。

35才成人説

こんにちは

教え子(女の子)の結婚式に呼ばれました。
教え「子」と言っても、数えてみたら30歳ちょいまえ。
彼女ももはやおばはんギリギリ手前でセーフ!という年齢です。
(ま、ぼくもバリバリおっさんって年齢なんですがね。。。)。

少子化が問題になっていますが、主たる原因は晩婚化なんだと思います。
ぼくの教え子の女の子の中にも、まだ売れ残って?いる子がいますから、彼女らは30過ぎの花嫁になることは確定的です。
確かに晩婚化は進んでいるようです

バースコーディネーターの大葉ナナコさん主催の「スローバースandパートナーシップ~ていねいに産み育ちあう」という講演会を聴講しました。
エッセイイストの横森理香さんと漫画家の桜沢エリカさんと大葉さんの鼎談。

その中で横森さんが「35歳成人説」と言うのを教えてくれました。
今は社会が高度化したし、大人の遊びもたくさんある。
働く女性も多くなって、仕事のチャンスも大きくなっている。
仕事も面白いし、遊びも面白い。
30歳くらいまでは面白くて面白くて、とても結婚して家庭に入るとか、子どもを産もうなんて思わない。
それが一段落すると、35歳になっちゃうんだよね。
だから現代は、35歳で成人になるって考えた方がいい。
出産も子育てもそれからでも決して遅くない。

なるほどー。
そうであれば、20歳の成人式が七五三みたいだってのも当然ですね。

大葉さんもこう言っていました。
今の人たちは兄弟も少なくて、子どもの頃赤ちゃんや年下の子どもの面倒をみた経験が少ない。
大人になって仕事を持ち、部下を育てる年代になるって、やっぱり30歳過ぎです。
部下を育てることがそのまま自分の子育てにも役に立つ。
だから、30歳過ぎまで社会経験のある方が、よい子育てができる。

なるほど、ナットクです。
子育てには経験が必要なんです。
その経験をする期間が必要だから、晩婚化は当然のことなんですね。
そう考えると、まだ30歳くらいの女性に対して「売れ残り」なんて言っちゃうのは、時代遅れのようですね。
失礼、失礼。

正高信男「二人目の母親になっている日本の男たち」主婦の友社\1300-にも同じようなことが書いてありました。

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人は、自分で働いて生活する社会人になって始めて、いろいろな人間とのつきあいを通じて、人に頼りにされ、それに応えることを学びながら、ようやく自立した、つまりひとり立ちできる人間になっていくものです。
一人前の、人に依存されても平気な社会人にならないうちに、または社会人なって間もないうちに、急に結婚してすぐ子どもを産んだとしても、子育てがうまくできないのは当たり前のことです。
社会的な経験もある程度まで積んで、成熟してから子どもを産み、育てたほうがうまくいくことが多いのです。
だから現代では高齢出産はやむを得ないというのではなく、むしろ高齢出産が望ましいと私は考えます。
30代になってから出産するのは遅すぎるとか、結婚したらすぐに子どもを産まないのはおかしいとか、昔ながらの考え方にとらわれる必要はまったくありません。(16p)
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若いだけの人が子どもを産むより、ちょっと年食っちゃってるかもしれないけど、社会経験を積んで人格もしっかりした親に育てられる方が子どもはシアワセなんだと。
けっこう年食っちゃってから初めて父親になったぼくに自信を与えてくれましたー。

あはははは。
いい子育てをしていきたいと思います。
もちろんそれにはいい社会人でもありたいと思っています。

研修はデキル人が行け

こんにちは

人事からお達しが来ました。
今年度から、全員一律の研修や会社側から研修を受ける人を指定しての研修は止める。
受けたい人が自ら手を挙げて研修を受けさせる、とのこと。
やったー。
勉強好きなぼくにとって、ますます理想の会社になってきましたねー。
嬉しい、嬉しい。

普通、企業は優秀じゃない人、どちらかというとダメな人を研修に行かせたりします。
ダメだから研修にでも行って、多少でも知識や技能を身に着けて有能になってくれればなあ、という会社側の淡い期待があるのかもしれません。
でもこれは無駄です。
嫌々行く研修ですから身も入らず、よって得るものもない。
居眠りでもしちゃえ、なーんて。
終わったらとっとと早く帰りたい。
そうなってしまいがちでしょう。

ダメな人が何日か会社からいなくなったって、業務にそれほどの支障は出ないということもあるでしょう。
会社でも優秀な人には仕事が集中するので、おいそれと研修などに行かせることができない。
その人がいなくなってしまうと、仕事に穴が空いてしまうからです。
でも、その人が行きたいという研究会なら無理してでも行かせた方がいいんです。

優秀な人が忙しい時間を割いて研修に行く場合、最大の効率を得ようとするでしょう。
一生懸命勉強するのは当然ですし、休憩時間でも積極的にいろいろな人と話をして、役に立つことはないか探してきます。
技術士会会報'06.7梅田昌郎氏インタビューに、こうありました。

 優秀な人間は(研究会に行かせると)、
  技術と一緒に人脈も掴んでくる。

優秀な人は技術を勉強してくるだけじゃなく、人脈をも掴んでくるんです。
何の無理もなく自然と人脈も広がっていく。
下手な異業種交流会なんか行く必要はないんです。

もう一つオマケがあります。
忙しい人が時間を割いて研修会に行く場合、自分の仕事に穴を空けるわけにはいきませんから、どうしてもその分をカバーしなくてはいけません。
研修に行く時間を確保するために、残りの時間でのテキパキと効率的な仕事をしなくちゃならなくなります。
そういうことをやれば、自ずと能力も上がっていきます。
研修で得る技術だけじゃなく、今やっている仕事のスキルも上がってしまうのです。

さらに梅田昌郎氏は言います。

 また優秀な人間を行かせれば
  部内でNo.2の人が頑張ってくれる

優秀な人は得てして何でも自分でやってしまうものです。
そのために反って他の同僚が育たなかったりします。
No.1の人が研修に行くために、自分の仕事を他の同僚に割り振る必要もでてくるでしょう。
研修に行く人の穴を埋めるために、その次の人が頑張る、頑張らざるを得ない状況も生まれてくるはずです。
そうやって組織がレベルアップすることも期待できるわけです。

自分自身に手をかけろ

こんにちは

前便で、会社が行う研修、人材育成というと、とかくできない社員に手をかけすぎるきらいがある、と書きました。
手をかけすぎるというのは、ちょっと違うかなとぼくには思えます。
実は、手をかけていないんじゃないかって。
この研修に行かせたらあいつも変わってくれるだろう、これだけ金かけたらあいつも変わるんじゃないか、ってそう思っている。
つまり、自分の手はかけてないんですよ。
自分で育てることより、誰かに育ててもらおうと思っている。

研修は行きたい人が行けばいい、とも書きました。
でも自ら研修に行く人の中にも、分かってない人もいます。
自分で高いお金を払って、英会話教室とか自己啓発セミナーに行く。
中には海外留学なんてのに行く人にも。
これに行けば自分は変わるのではないか、という期待。
これも自分の手をかけていない。
他人に自分を育ててもらおうと思っているんですよね。

すなわち「他力本願」なんです。
もちろん時々は研修や留学で、非常にインパクトのある経験をして、その経験が自分を変えてくれることもあります。
でも、そんなのはめったにない偶然です。

激しい自己啓発セミナーだと参加中、参加したすぐ後だと、変わることもあります。
が、それも他人に変えられたものだから心の奥底ではそれを喜んでいないんですね。
だからしばらくすると元に戻ってしまう。

やっぱり自分を変えていくのは自分自身なんだと思うんです。
自分が変わって行くにはエネルギーが必要です。
やっぱり自分自身に手をかけなくちゃいけない。
この意識が希薄だと、研修会に参加してもちーっとも変わらない。
留学に行っても無駄になってしまうと思います。

だからぼくは研修会に行くときは、まず最初に自分に何が足らないのか、その欠乏感をなるべく具体的に意識します。
そこを埋めてくるんだ、という決意を持って参加する。
さらに、ぼくはケチですから、ちゃんと<元>は取るんだという意識も強く持つ。

かけた金額と時間の分は、得するようにしないと我慢ならないわけです。
この研修を受けたら自分の能力がちゃんと上がって、仕事上も役立つし、ちゃんとペイさせるぞ。
そう思うことが大事だと思います。

読書というのも、手っ取り早い研修です。
読書ならほんのわずかな時間でも、どこにいてもできます。
読書は自分だけの時間です。
自分と対峙することができる孤独な作業です。
どんなに忙しくても毎日、たとえ通勤電車の中での30分でもいいから、読書する時間、すなわち自分自身と向き合う孤独な時間は持つべきだと思っています。

安田佳生『採用の超プロが教える仕事の選び方人生の選び方』サンマーク出版\1300-に、こんなことが書いてありました。

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本は読めばいいというものではない。
本を読んだ経験が、自分を変えてくれるものでなければ意味がない。
いくらたくさんの本を読んでも、そこから自分を変える何かを見つけることができないのであれば、時間の浪費と言っても過言ではない。(165p)
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読書は自己研修です。
もちろん読書は楽しみでもあるのですが、学ぶところもあるはずです。
たまに本好きの子どもがいて、本をたくさん読んでいる割にちーともかしこくならない子どもがいます。
こういう子は、本で読んだことを自分に引き寄せて考えていないんです。
読んだことをやってみようとか、自分の考え方を変えてみようとかしない。
だから読んでも読んでもかしこくならない。

大人も同じですね。
本を読んだらそれを自分に引き寄せて考えてみる習慣は大切だと思います。
仕事に直接関係しない本、たとえば小説だってそのような読み方もできるはずなんです。
無駄な読書はしないで、元は取る!
それが、自分自身に手をかけ、自分を手入れしていくことなんだと思っています。

素早い返信は吉

こんにちは

藤原和博さん講演会に行って、とても感激したのでそのお話をコラムにして友だちにもメールで送りました。感動のお裾分けですね。
それを読んだ友人の一人が「自分たちの勉強会の会報に載せたいのだがよいか」と聞いてきました。
ぼくはOKなんですけど、講演者の藤原さんはどうかなーって思って、確認のメールを送りました。
そしたら翌日にはもう返事が届きました。もちろんOKで。
早い!

藤原さんに限らず「できる」人はとにかく返事が早いんです。
逆に「できない」人からは、なかなか返事が来ませんねー。
あまりに遅いから催促すると「今検討中でした」とか「各所協議中です」なんて返事が来る。
期日を過ぎているのに何も言ってこないから催促すると、「もう少しなんです」「ある程度形になってから連絡しようと思っていました」なんて言い訳する。
おいおい、約束の期日は過ぎているんだぞ!少なくとも進捗状況くらいはそっちから連絡すべきだろう!とにかく今日中に何とかしろ!って怒鳴りつけるはめに。。。

ぼくは仕事メールの返信は、できる限り早くするようにしています。部下にもそう教えています。
その場で即答できないものについても、「○○日までにお答えします」とか「出張から戻り次第お返事します」とか、とりあえずはメールが届いていること、それを読んだことを相手に伝えることを怠らないようにしています。
そして忘れないように、手帳に「○日までに△さんに□について返事すること」とメモします。

なぜすぐ返信することが大事なのか。

「返信」を英語で言うとレスポンス(response)です。
これに「能力」という意味の単語アビリティ(ability)を加える。
response+ability=responsibility、レスポンスビリティすなわち「責任」という意味になります。
だからぼくは、返信する能力=責任感だと思います。
責任を果たそうと思ったら、それに対し迅速に反応していくことが大事なんだと思うのです。
なので反応の鈍い奴、すぐ返事をくれない奴は、無責任で無能な奴に思えちゃうってわけです。

それに、すぐ反応することは実利も大きいですよ。
遅くなった返信メールには、なぜ遅くなったのか言い訳を書かなくてはなりません。
言い訳を書くのは無駄ですよね。
すぐ返信をすればそんな言い訳を書く必要がないんだから。

また、遅くなった返信には、ちょっと格好つけたくなります。
遅くなったに値するデーターを添えたりね。
必要以上の品質にしないと格好つかないんですよ。
それも無駄。
すぐ返信すれば、そんなこと必要ないんです。
たとえそれがアバウトな答えでも、相手がそれで満足するならOKなんです。
満足できないなら、さらに照会してくるはずです。
照会があったら、詳しいことを調べてまたリプライすればいいんです。
でもそんなことはめったになくて、たいていはアバウトな回答で十分なんですね。

最初から詳細にわたったくどくどとした返信をすることはないんです。
すぐ返信しないから、くどくどこまごまと書かなくちゃならなくなるんです。
あー、無駄、無駄。

すぐに返信しないで放っておくと、被害が拡大することもあります。
ちょっとしたクレームがあったとします。
放っておいたために相手の怒りを買う。
すぐ返信しておけばメールか電話で済んだことでも、わざわざ相手のところに出向いて説明しなければならなくなったりします。
メールなら10分もかからないで済んだことが、半日、一日つぶれてしまうことになってしまう。
もしかしたら菓子折のひとつでも持っていかねばなりません。

怒った相手が、とんでもない要求をしてくることだってあります。
相手を怒らせてしまったら、理不尽な要求であっても聞かないと収まらなってしまうのです。
ちょっとした不具合のクレームにすぎないのに、話しが大きくなっちゃったりする。
すぐ対応したなら悪いところだけ直せば済んだのに、放って置いたがためにあれもこれもと要求されたりするんです。
無駄ですよねー。

だからレスポンスをよくすることは、相手を大切にするためだけじゃなく、自分自身を大切にすることになるんです。
その意味で、素早いレスポンスはエコロジーでロハスな生き方なんだと思っています。
くれぐれも「レスポンス=責任」であることを忘れずに。

一気に駆け上がれ

こんにちは

子どもに勉強を教えたり、若い技術者に資格試験の勉強を教えてて思うのですが、なかなか学力が上がらない人は「休みが多い」んです。
ちょっと勉強したら休みを入れちゃうんですよね。
休むのは悪い事じゃないんですが、その休みが勉強時間よりも長い。
あるいは、まとめてダーッと勉強したのはいいのですが、次に勉強するまでの期間がとっても長い。
まとめて5時間勉強した後、1週間も休んでしまったりね。

休みが長いために、せっかく勉強して覚えたことをその休みの間に忘れてしまうんです。
あまり間を空けずに復習をしないと、学力は身に着きません。
また、先に進むにはそれまでに勉強したことが定着していることが必須なので、休みが長いと先に進むことも出来なくなってしまいます。
先に進むこと自体が復習にもなるので、間を空けずに勉強を継続することが、結局は学力を身に着ける近道になるのです。

よく子どもを週2,3回塾に行かせたりしますが、塾で勉強した割に効果がない場合も多いようです。
それは、塾に行ったときだけしか勉強しないで、塾に行ったので安心しちゃうんでしょうか、その他の時間は勉強しないでいるからです。
つまり、やっぱり休みが長すぎるんです。
学力って、塾に行かない日でも毎日コツコツと積み上げないと、決して身に付かないものなのです。

大人の勉強の場合、継続して勉強するためにはいかに勉強時間を確保するかが重要です。
ある若い技術者くんが、社命である資格を取らなくてはならなくなった。
でも忙しくて勉強する時間がない、と言う。
確かに忙しそうです。
彼の仕事ぶりをよーく観察してみると、試験日が近づくにつれ残業が多くなったりしているんですね。
と言っても、決してやらねばならない仕事量が多くなっているわけではないようなのです。
いつもより仕事の精度を上げたりして、必要以上のことをしている。
やってもやらなくてもいい仕事を見つけて来ちゃったりしてね。
そうやってわざと自分を忙しくしているのです。
ぼくは「オマエ~、仕事に逃避してるなー」って笑いました。
仕事って、勉強に限らず<人生の言い訳>にできるツールですからねー。
あはははは。

黒川康正『どんな悩みも自分で解決できる』PHP\1200-から引用します。

###
一定水準が要求される各種知識が不足している場合は、速学術をマスターする。
速学とは、文字通り速く学ぶことである。さらにいえば、最小の時間(期間)と努力で、最大の効果をあげる学習法ともいえよう。
速学の効果は、単にスピードが速いという量的な問題にとどまらない。
その効果は、物事を成し遂げられるかどうか、人生を豊かに充実して過ごせるかどうかという質的な問題にまで発展する。
すなわち、あることを学びはじめれば、その現状維持にも一定の時間や労力が必要となる点で、学ぶことは下りのエスカレーターをかけ昇るのに似たところがある。
いったん下りのエスカレーターをかけ昇りはじめたら、一挙に一番上まで昇りきる必要がある。
途中で止まったり、エスカレーターの下るスピードより遅く昇ったのでは、最終的には一番下まで押しもどされ、元の木阿弥になってしまう。
したがって、エスカレーターの下る速度以上かどうかというスピードの差は、最終的に上に昇れるか下にとどまるかという質的な差になる。(169-170p)
###

勉強を下りのエスカレーターになぞらえるというのに、ハッとしました。
確かに一定水準に上がるためには、一気に勉強してしまった方がいいです。
同じ休むのでも、一気に駆け上がって一通り身に着けてから休む。
その方が効率がいいんです。
途中途中に休みを入れてしまうと、下りエスカレーターのようにすぐ振り出しに戻ってしまうわけです。

勉強だけじゃありませんね。
何事もある程度やり遂げるまで、一気に駆け上った方がいいんです。

手段と目的を混同するな

こんにちは

昔の資料をながめていたら『学校運営研究』'93.10月号に書いた原稿が見つかりました。
もう15年も前ですねー。
その頃ぼくは某信販会社の電算機センターで働いていて、教育業界から技術者に方向転換したばかりの頃です。
技術者として何とか自立したいと思って、めちゃくちゃ勉強もしていた頃です。

見つかった原稿を読んでみて、15年前からぼくの言ってることって全然変わっていないことが分かりました。進歩がない?

学校の先生の仕事の第一は、面白くて役に立つ授業をして生徒に学力や技術・技能を身につけさせることであり、親や世間はそれを最も期待している。
それを抜きに、生活指導ばかりやるのは何か違うし、ピントが外れている。
生活指導も大事だが、それは生徒の学力を保障するための「手段」であってほしい。
それ自身を目的化した生活指導は、おせっかいである。
そう思って、この原稿を書いたんです。
その考えは今もちっとも変わりません。

原稿を以下に転記します。

###
教師は今、どんな意識改革が必要か
 立場が変わって見えてきた「学校の常識・世間の感覚」

  異業種に変わって見えてきた「学校の常識・世間の感覚」

                             電気設備技術者 関口芳弘

--先生もねえ、忙しい忙しいって言うけれど、やることさえやってくれるの
なら、ゆっくりしていてもいいのにねえ--
俗にいう”下駄箱会議”で、ぼくたちは、よくこんな話をしている。先生方は
ご存知ないかもしれないが。

ぼくの同僚に、T君がいる。小学二年生の子どもの父親である。
ぼくとT君は同じ歳ということもあり、また、ぼくが以前教師だったというこ
ともあって、よく子どもの話をする。
T君の子どもは、男の子であるが、いわゆる”やんちゃ”な子どもなのであ
る。
T君の子の小学校の担任は、女性の先生らしいのだが、彼のやんちゃぶりには
手を焼いているらしい。
そのため、よく先生から電話がかかってきたり、学校へ呼び出されたこともあ
るそうだ。
それで何を言われるかというと、授業中のT君の息子の落ち着きのなさ、わが
まま、だらしなさ、などなどを、こと細かにならべたてるのだそうな。
そして彼女が、T君の息子の指導にどれほど大変なおもいをしているか、彼の
将来についていかに心配をしているか、実に丁寧に話してくれるそうである。
最後には「家庭でのしつけを、もっときちんとして下さい」というようなこと
を言われるらしい。つまり、説教されるわけだ。
ぼくはこの現代に、親を学校に呼び出して説教する教師が現存することにも興
味を引かれたが、それよりも、T君は親としてそのことをどう思うのか、興味
を持った。
息子と担任の先生についての話をぼくとしている時、T君はちっとも深刻そう
ではないのである。楽しげに、愉快に、むしろ息子のことを自慢しているよう
でもあるのである。
男の子なのだから、多少やんちゃでもいい。やんちゃな方が、子どもらしくて
いいじゃないか。--そのように考えているのだ。
そのような考え方は、けっして親バカだからというわけでもなく、無軌道な甘
やかしというわけでもないだろう。
それはT君自身の、これまでの生き方、人生観に裏打ちされたものなのだ。
T君自身、子ども時代、青年時代、そうとうなやんちゃだったらしい。彼の”
武勇伝”を聞くと、メチャメチャ面白い。
やんちゃであったT君も、技術者という、どちらかと言えば地味な仕事に就
き、結婚をし、子どもを生み育てているのである。
T君は、「姿勢の悪さと、歯の悪さは親の責任だ」とよく言う。
なんてかっこいい!

そんなT君であるが、学校では夏休みに入った日、ポツリと言った。
「夏休みは子どもに勉強を教えてやんなくちゃなあ・・・」
昨日の終業式の日、息子が持ち帰った通知票を見て、そう思ったのだそうだ。
あまり成績が良くなかったのである。
ぼくは、「T君の子どもはさ、頭が悪いんじゃなくて、単に授業態度が悪いだ
けだろ」と励ました。
T君はニガ笑いを返したが、やはり人の親、子どもの成績は気になってしまう
のだろう。わかるなあ。
T君に限らず親なら、通知票の「生活の記録」の欄は多少悪くても気にはしな
いが、「学習の記録」の欄はとても気になるのだ。学校の先生は、生活の記録
の方こそ重視してほしい、と思っているのかもしれないが、親としては、自分
の子どもが落ちこぼれていないのか、勉強についていけなくてイジケてしまわ
ないか、その方がやはり気になるのである。
T君はこうも言う。
--いろいろ好き勝手やってきたけれど、あんまり勉強しなかったツケが今ご
ろ回ってきたよなあ--
T君ばかりでなく、ぼくもまた同じ思いでいる。
ぼくたち設備管理技術者は、持っている資格によってできる仕事の幅がそうと
うに違ってくる。
国家試験の勉強をしていると、学校で習うことはものすごく役に立つのだな、
と実感する。もっとちゃんと勉強しておけばよかったと。しかし、すでに後の
祭りであるが。
資格のためばかりではない。日常の仕事をこなしていく時でも、昔学校で習っ
たこととの関連を見つけて、ハッとすることがよくある。
T君も感じているにちがいない。だから息子には勉強してもらいたいのだ。

さて、冒頭に戻る。
先生は忙しい忙しいと言う。かつてぼくも教師だったから分かるが、事実忙し
い。けれども、しなくてもよい仕事をかかえて、自ら忙しくしていないだろう
か。考えてほしい。

割合か絶対値か

こんにちは

先日、工事の施工図チェックをしている時のこと。
ケーブルラックの材質について議論になりました。
X線自由電子レーザー施設のクライストロンギャラリーに設置するケーブルラック。
標準品はクリーム色の塗装ですが、それはギャラリーのイメージと合わない。
メカニカルなマシンと調和するように、メタリックな印象のものを使いたかったんです。
カタログをめくりながら、イメージに合うものを探しました。

で、ガルバリウム鋼板製のものが適当だと考えました。
すると施工者の若い代理人君が、

 関口さん、それを選ぶと補助材料の金額が1.5倍になっちゃいます~

と泣き顔で言うのです。
もちろん材料を選ぶときは値段も大事で、大幅なコスト増は避けなければなりません。
1.5倍にもなるとしたら、ちょっと気後れしちゃいますね。

でも大丈夫。
ぼくは質問しました。

 1.5倍って、総額いくらだったものが1.5倍になるの?

ざっくり計算してみたところ、補助材料ですから総額200万円程度のものでした。
それが1.5倍で300万円くらいになるだけ。
100万円増です。

総額数億円の工事をやっているわけですから、100万円程度ならどこかでやりくり可能です。
よし、行けそうだと判断して、ガルバリウム鋼板製のものを選ぶことにしました。

議論するとき、割合で議論すべきか、絶対額で議論すべきか、どちらが正しい判断をするために適当かは峻別しなくてはなりません。
この区別をしないと、つまらない議論を続けたり、無用な迷いをしてしまったりするんです。

ぼくはこんな話しをしました。

 ぼくが学生の頃、学生食堂でキャンペーンをやっていた。
 カレーの肉20%増にするって。
 でも元もとほとんど入っていない肉なんだから、20%増にしたって
 あんまり意味がないよね。
 
ケーブルラックの材質については、それと同じような議論なんです。
絶対額を比べれば、たいしたことがないのが分かる。
割合だけ見ているから、困難にも見えてしまっただけなんです。

扇風機のススメ

こんにちは

夏本番になりましたね。暑いです。
でも我が家はなるべくエアコンはつけずに、扇風機で過ごすようにしています。
なぜなら、わが子はっちゃん、とっちゃんはまだ幼児。
汗を十分かかせて、汗腺の発達を促したいからです。
汗腺の数って幼児期にきまっちゃうんですよ。
エアコンの中ばかりで育てちゃうと、体の放熱器官が十分出来上がらない。
これから成長して、運動したり暑い場所で活動したときに支障が出ちゃうんです。

で、親の方は扇風機でしのぐことにしています。
涼風扇という、水の気化熱で冷たい風を作る扇風機を買いました。
これはなかなかよいものですよ。

ところで、エアコンってどのくらいのエネルギーを使うんでしょうか。
ちょっと計算してみましょう。

『理科年表』でしらべたら、空気の密度は1.24kg/m3, (定圧)比熱は1.006kJ/kg・Kでした。
よって、空気1m3を1℃冷やすのに必要なエネルギーは、

 1.24kg/m3x1.006kJ/kg・K =1.25kJ/m3・K.

この結果を使って8畳間(13.2m2)を1℃冷やすのに必要なエネルギーを計算してみましょう。
この8畳間の天井高さを2.5mとすれば、容積は33m3ですから、

 1.25kJx33m3=41.25kJ

となります。カロリーに直すと約10kcalにもなります。
真夏の暑いとき、8畳間の温度を35℃を25℃へと10℃下げるには100kcalも必要です。

ところで東京ドームの容積は1,240,000m3もあります。
同様に、東京ドームを35℃から25℃に冷やすためのエネルギーは、

 1.25kJ/m3・Kx1,240,000m3x10k=15,500,000kJ=3,690,000kcal

にもなってしまいます。
石油1リットルのエネルギーが約10,000kcalですから、369リットル、約ドラム缶2本分使うって計算です。
莫大なエネルギーですね。

でも東京ドームは、そんなにエネルギーを使わずに冷房しているんです。
以前、電気技術者協会の見学会で東京ドームを見学したことがあります。
その時グラウンドにも案内してもらいましたが、グラウンドは結構暑い。
なぜなら、東京ドームは観客席しか冷房していないからなんです。

エアコンで冷やした空気を、観客席最上段から吹き出します。
冷えた空気は重いので、観客席を滑り降りるようにしてグランドの方へと下っていきます。
そして観客席の最下段で吸い込みます。
その空気は、観客の熱気で温度が上がっています。
でも外気よりは低い温度です。
それを再びエアコンで冷やして、また最上段から吹き出す。
このように冷房空気を循環させているのです。
もちろん、観客の呼吸で酸素が減り、二酸化炭素が増えているので、必要な量だけ外気を導入していますが。

つまり、東京ドームはドーム全体を冷房しているわけではないのです。
必要なところだけ冷房しているので、上で計算したほどのエネルギーは使っていないのです。
観客は客席に座って動かないので、このような局所的な冷房が可能なのです。
局所冷房は、効果の割にエネルギー使用の少ない、省エネ冷房なのです。

ところが家庭やビルなどのエアコンは、部屋全体を冷やします。
なぜならどこに人がいるかわからないから、必要な部分だけ冷房するわけにはいかないからです。
だから、無駄の多い冷房であると言えます。

もっと悪いことに、冷房された部屋でじっとしている人がいる。
冷房された部屋で寝っ転がってTVを見るとか、オフィスで事務仕事をするとか。

体の周りには空気がありますが、体の表面には数mmの厚さの空気層ができています。
この空気層はじっとしている限り、体の表面にぺったり張り付いています。
この空気層が断熱材の役割をしてしまうのです。
体にぺったりくっついた空気層が、冷房で体が冷えるのを防いでしまうのです。

だから、冷房温度を低くしないと涼しい感じがしないのです。
この空気層をはがしてやれば、もっと体は涼しくなるのです。
そのためには、風を体に当てるといいんです。
扇風機やうちわで扇ぐ。
窓を開け放して、自然な風にあたるのも気持ちいい。
あるいは自分自身が動きまわる。もっとも激しく動きまわると、余計に暑くなるかもしれませんが。

東京ドームの観客席も、観客席の上段から下段に向かってわずかながら風の流れができています。
その風が観客の熱気に満ちた体の表面から空気層をはがしていく。
それでさらに冷房効果が上がっているのです。
要するに、省エネ冷房のためには局所冷房+風の動きが重要なのです。

夏の暑いとき、外から家に帰ってきて部屋の中の冷房が効いていないと思って、エアコンの温度設定を下げたりすることがあるでしょう。
でもしばらくすると、今度は寒くなり過ぎちゃうです。
それは、外から帰ってきたばかりの時は、体の回りに外の熱い空気がまとわりついているからです。
だから、部屋の冷房が効いていない気がしちゃうんです。

そんな時はエアコンの温度を下げるより扇風機にあたったり、うちわで扇ぐ。
そうして体の表面に張り付いた、熱い空気層をはがしてやる。
そのうち体が冷えてきて、そのままの設定温度でも十分涼しく感じられますよ。

エアコンの設定温度を1℃変えると、エアコンの消費エネルギーが10~20%減らせると言います。
それは、家の壁を通しての熱伝導するエネルギーは

  熱伝導率×壁面積×外気と室内の温度差

だからです。
熱伝導率と壁面積は一定ですから、外気と室内の温度差を変えてやる。
たとえば外気が33℃の時、エアコンの設定温度を27℃->28℃に変えれば、温度差は6℃->5℃と少なくなるので、熱伝導エネルギーは約20%減るって勘定です。
猛暑で外気が37℃なんてなると、エアコンの設定温度を27℃->28℃に変えても、温度差は10℃->9℃と少なくはなりますが、熱伝導エネルギーは約10%しか減らないってわけです。

それよりも、扇風機で常に体の周りの空気層をはがし続けるのがいい。
エアコンで部屋全体を冷やすために使うエネルギーと比べて、扇風機で自分の体だけに風を当てるだけのエネルギー、すなわち扇風機の消費電力は、エアコンの消費電力の5~10%でいいんです。
部屋全体を冷やすなんてまったく必要ありません。
要は自分が快適であればいいわけです。
扇風機で風を当てて、体にまとわりつく暑い空気層を剥がしてやる。
そして体の自然な冷却機構である汗を十分蒸発してやるんです。
扇風機で快適になれるんだったら、それで十分じゃないですか。
省エネだし、その上、冷房病ともおさらばです!

カタログを見よう!

こんにちは

X線自由電子レーザー施設の建屋建設工事も佳境です。
というか、あと8ヶ月あまりで完成させなくてはなりません。
ぼくの担当する電気設備工事は今、電気機器の最終仕様を決定しています。

最新の実験施設を造っているため、マシンの開発状況によって設計時と今とでは要求される機器性能が変わってきています。
また長期にわたる大規模工事のため、設計してから機器最終決定まで1年以上の時間が経過しています。
その間に、設計時よりもっとよい製品が発売されていることだってあります。
最終決定では、これらの変更にも適切に対応して行かなくてはいけないのです。
決して設計図通りに造れないのが、研究所の建物なのです。

先週末の打ち合わせでは、直流電源装置の検討をしました。
今現在の負荷容量を再計算し、非常用発電機との連動も含めて蓄電池容量を検討してみました。
すると、余裕を十分に見込んでも設計時の容量よりかなり小さくできることが分かりました。
つまり、工事費に余裕ができたってことです。

必要な蓄電池容量を満たす既製品の電池を探すために、カタログをめくりました。
カタログと言っても、建設業界で使われている『建設物価』という雑誌です。
建設工事の資材はこの月刊誌に、実際に取引されている金額が載っているのです。
建設資材も定価なんかあってないようなものですから、実際の取引金額がわかれば適切な金額で発注することができます。

で、蓄電池のページをめくってみると「長寿命型MSE」という仕様の電池が記載されていました。
新製品です。
え?こんなのあったんだ!使ってみたい!って思いました。
長寿命ってどのくらい長寿命になるのか、さっそく現場担当の方に調べてもらいました。
すると今までのものが7年の寿命に対して、長寿命型は13年。
値段も、これまでのものの1.3倍程度。
蓄電池容量を小さくすることによって生まれた予算の余裕で買えそうです。
1.3倍の値段で1.8倍以上の寿命のものが買える。
オトク!!
嬉しいですねー。
じゃあ、長寿命型で発注しましょう!ということになりました。

ぼくはカタログをながめるのが好きです。
そこには新しい出会いがあるからです。
次につながる夢があるからです。
カタログをながめると、人任せにしない仕事が生まれるんだと思っています。
人に言われるままに決まっていくのではなく、主体的に決めていける。
カタログの中にはそういう未来が詰まっているんだと思います。

我が息子、はっちゃん3歳もカタログ好き。
プラレールのカタログをずーっと眺めています。
お誕生日に、おじいちゃんにはこれを買ってもらって、お父さんはこれ、なーんて考えているのかな。
とっても幸せそうな顔をしています。

ダメで元もと

こんにちは

ぼくは職場の経費削減委員もやってます。
エネルギー管理士の仕事で、神戸研究所の省エネ中長期計画に参画してきました。
その時、神戸研では下水道料を給水量=下水量として支払っていることを現地の施設担当者から聞きました。

一般家庭の水道料は、給水メーターで計量し、給水量=下水量としています。
なぜなら、家庭の水は多少庭の水まきなどに使うかもしれませんが、使われた水ほぼ同量が下水に流されるからです。

ところが、大規模な事業所ではそうではありません。
大きな水冷式の冷凍機があったりするからです。
給水された水の内数万トンは下水放流されずに、冷凍機の冷却塔から大気蒸発させています。
ですから、給水量=下水量とすると、下水量は過大であることになります。
神戸研の場合、蒸発した水量を下水道代に換算すると500万円にもなることが分かりました。

下水道料金は、下水を浄化したり下水道施設を維持するための公共料金のはずです。
流してもいない蒸発しちゃった水は、浄化もされないし施設も利用していません。
そんなのにまで課金されているのは不合理です。

なぜこんな不合理な支払いを続けているのか。
神戸市の規則だから、ということ。
そんなの間違ってる!よし、交渉しよう!と思いました。

ぼくにはちょうどスパコンの仕事関連で神戸市さんとのパイプがありました。
連絡窓口となってくださっている方にお願いして、下水道の担当部署とコンタクトしてもらいました。
神戸研施設担当の方には、交渉のための資料を準備してもらいました。
そして市の下水道担当部署へ、放流していない分の下水量の減免ができないかどうか、相談に行ってきました。

その結果、あっけなくOK。
ちょうどこの春から減免措置の範囲が広がり、理研も対象にできることになったんです。
必要であればメーターを付けるなど、コストもかかるかと思ってましたが、今の設備のままでも減免してもらえることになりました。
ただし、正確な計量をして下水への実放流量で課金するのではなく、小規模施設にも配慮して蒸発量を給水量の75%と見なして計算することになっていました。
それでも金額にして年400万円弱の節約ができそうです。

また、神戸研の一部の建物は隣の神戸市さんの医療施設から熱源を供給してもらっています。
こちらもほぼ同量の冷却塔補給水量を使っていると思われるので、下水道量の減免をすれば年400万円程度の節約が見込まれました。
神戸研施設担当の方に、相手方への交渉をお願いしました。
その分を、理研が支払っている光熱水料から控除してもらおうと思っています。

ぼくは不合理だと思ったことは、ダメ元でもいいから交渉してみることにしています。
うまく行くときもありますが、ダメなこともある。
でも、黙っていたらうまく行くこともないわけです。
ダメだった場合でも、改善のための何らかのきっかけを作ることもできる。
もちろん不当な自分勝手なことは要求できませんが、正統なことなら交渉してみる価値はあるんです。

神戸研の下水道料を節約できたことで、ぼくの年収くらい一気に稼げましたぞ。あははは。
原価は1/3理論からすると、少なくとも年収の3倍は貢献しないとならないと、ぼくは考えています。
年度の初めにもう1/3稼いじゃったと思うと、大変気分がよろしいですなー。

仕事の半分は教育

こんにちは

ぼくの元部下で、違う部署に異動した奴がいます。
今もそこで活躍しているのを知るのは、元上司として嬉しいですね。
彼にも最近、部下ができたとのこと。
彼と同じ部署にいる人から聞いた話では、彼の部下があまりできる人ではないらしく、彼は困っているそう。
思わずニンマリ。
そうでしょ、そうでしょ、部下の面倒って大変でしょ、君もかつてはそうだったんだぜ。
あはははは。

ぼくも部下を持ってみて、いろんなことが見えてきました。
自分で何もかもやっているときは、我流でやってしまっていたり、何となく出来ちゃったりしていたことがたくさんあることがわかりました。
いわゆる<暗黙知>ですね。
そういうものは、十分言語化、知識化されておらず、技術といえるところまで行っていない。
部下が仕事の途中でつまずいたり引っかかるのは、たいていそういうところです。

部下がつまずいたところをよく考察してみると、ぼく自身の仕事の仕方にあった「あいまいさ」を反省する機会になるのです。
きちんと言語化、知識化、技術化されていないので、きちんと部下に伝わらない。

だから部下は途中で躓いてしまっていたのです。
そういう部分を見直すことによって、ぼく自身がポリッシアップされるのが実感されます。
その意味で、部下に教えることによって自分が教えられているんですね。
部下がいてよかったなあ、って思います。

そんな視点で周りを見てみると、部下の扱いの上手い人はその人自身の仕事の仕方も上手かったりします。
で、仕事が下手な人は部下を持たないで年だけとっちゃったおじさんに多いのは確実です。

これは、制度的に部下がいるいないじゃないですね。
制度的に部下がいても、部下に教えよう、部下を育てようという気のない人は自分も成長しない。
たとえ制度的に部下がいなくても、誰かを育てようとしている人はその人自身も成長しているんです。

成毛眞『新世代ビジネス、知っておきたい60ぐらいの心得』(文春文庫\543-)から引用します。

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普通、会社が成長すると人が雇えるし、雇えるとはじめて自分に部下ができる。
そして人は部下に対して何かを教えることで、自分自身も学んだりする。
かりに20代の人間20人で会社を立ち上げ、40年間、その20人だけで会社を運営したとする。
そうすると、その20人は誰にも教えないと同時に、誰からも教わらないことになる。
誰かを教えもしないし、誰からも教わらない人間はおそらく成長しないだろう。
成長しない人間が運営する会社もやはり成長しないということになってしまうのだ。(36p)
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組織的、制度的に部下がいるいないだけじゃなくて、自分から勝手に誰かの部下になった気になって教えてもらったり、勝手に誰かを部下にした気になって教えたりするのもいい。
同じ人を、時には部下だと思って教えたり、時には自分が部下になって教えてもらったり、そういうのも面白いと思います。
たとえ上司であっても、教育してやる。
そうすることによって自らを鍛えていく。

ぼくは、仕事の半分は教育だと思っています。
誰かに教える、誰かに教わることによって、より成果が上がる。
教え上手、教わり上手でありたいと思っているのです。
ぼくの元部下も、自分の部下を持って困ったり悩んだりすることを通じて、より自らを鍛えていって欲しいと願っています。

戦略と戦術を区別する技術

こんにちは

前便で「戦略と戦術を区別せよ」と書きました。
ある方から「それは分かるんだけど、どうも戦略と戦術の区別の仕方が分からない」という返事をもらいました。
よろしい、お教えしましょう。

ぼくはこんな風にやっています。
今やっている仕事を、自分の言葉で再定義してみるんです。
その時のフォーマットは、

 ○○のために、△△する

というもの。
この○○に入るのが戦略=目的、△△に入るのが戦術=手段になります。
たとえば、設計趣旨を伝えるために、施工図をチェックする、という具合です。

だいたいの仕事は、戦術なんです。
手段に相当することを日々やっているわけです。
その時、戦略も意識しておくことが大切だと思います。
戦略を意識することなく、戦術だけ実行していると、道を間違えます。
意味のない無駄な作業をしていたり、方向を間違えてしまいます。

戦略を意識すると、方向を間違えることがありません。
ゴールが分かるので、安心して戦略に集中することができます。
もし戦略が分からないまま戦術に拘泥していると、どこがゴールか分からないので集中することができません。
どこまでやればいいのか、いつまでやればいいのか、どの程度の品質が必要なのか、戦略が分かるからこそ見えるものだからです。

中山治『ひとり勝ち社会を生き抜く勉強法』洋泉社\1500-から引用します。

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方法論は大切ですが、それはあくまでも手段にすぎません。
この種の方法論に凝りすぎる人はじつは例外なくろくな業績がない人なのです。
はっきり言うと、ユニークなものを生み出せないからこそ方法論に夢中になるわけです。
私はこれを「方法論の罠」と呼んでいます。
肝心の研究に見通しが立たないからこそ、方法論に夢中になるのです。
いわば一種の現実逃避なのです。(93p)
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何か仕事を始めるとき、それを

 ○○のために、△△する

に言い直してみることです。
○○に入る言葉を明確に言えるかどうか。
もし言えないとしたら、それは無駄な仕事である可能性が高い。
戦略が分からないまま戦術にだけ取り組むと、不合理に時間と労力を浪費してしまうのです。

もちろん自分だけで思いつかない場合もあるでしょう。
そういう場合は、同僚なり上司なりに聞いてみるのもいい。
明確に答えてもらえたら、その仕事はやるに値するものだと分かります。
不明瞭な答えしかもらえないなら、たいした仕事じゃないのです。
テキトーに仕上げればよろしい。

方法論の罠に陥らないために、戦略を明らかにすることが大切だと思っています。

戦略と戦術を間違えるな

こんにちは

X線自由電子レーザー施設の建設が大詰めです。
今は設備工事の施工図のチェックを集中してやっています。
施工図とは、設計図を職人さんにそのまま渡しても細かいことがわからないので、職人さんが施工するために必要な情報を盛り込んで、詳細にした図面です。

で、発注者の監督員であるぼくは何をチェックするかというと、設計意図と合致しているかどうかを見るのです。
たとえば、こういうことです。
X線自由電子レーザーの場合、加速器は振動を嫌いますから、マシンを置く場所の基礎と、屋根を支える基礎はそれぞれ独立させています。
屋根の振動が、マシンへ伝わらないようにしなくちゃいけない。
たとえば電線を配線する場合、電線をマシンを置く場所にサポートさせるのか、屋根にサポートさせるのか、注意しなくてはいけないのです。
両方にまたがってサポートをとる場合、屋根の振動がマシンに伝わらないように、そこで力学的に縁を切るように施工する必要があります。
その部分で電線に遊び、余裕を作っておくんですね。
それは、マシンに振動を与えず良質なビームを保証する、という設計意図、目的があるからです。

設計意図、目的に合致しているなら、あとは施工する人にお任せするようにしています。
それ以上の細かいことは言わない。
だって相手は施工のプロなんですから、目的だけきちんと示してやれば、後は任せても大丈夫なんだからね。
設計意図、目的だけチェックするので、施工図チェックは短時間で終わります。
100枚くらいの図面でも1日でチェックできるわけです。

設計意図、目的は「戦略」です。
戦略とはゴール。
発注者の監督員の仕事は、施工者に明確なゴールを示すことだと心得ているのです。

施工の細かな部分は「戦術」です。
戦術とは手段。
ゴールに至るための「方法」「やり方」なんです。
戦術はその道のプロに任せればいい。
戦略がしっかり共有できていれば、戦術は自ずと決まっていきます。
発注者がごちゃごちゃ意見しなくてもいいものなのです。

古海忠之・城野宏『獄中の人間学』知致出版\1400-から引用します。

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古海 人間が協力して仕事をする上で、戦略と戦術を分けることが非常に大切なんだね。
やり方だけでケチをつけることが多いわけだが、やり方はそれぞれ違うんだからね。(148p)

城野 協力というのは意見の一致点を見いだすことだと思います。
つまり戦略上の合意点。
ところが一般的に議論というと、相違点ばかり見つけて、相手をやりこめるのが議論だと思っている。
戦術的な相違で、あいつは駄目だという結論を下してしまう。
戦術的な細則はどうでもいいことで、発展させるという戦略上の共通目標さえあれば、本来意見というのはだいたい一致するもので、なぜそうできないかといえば、その人間は戦略と戦術を分離して考えていないから、取り違えることになるように思えてならない。(149p)
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戦略と戦術、それを峻別することが大切だと思っています。
それを混同してしまうから、無駄な作業をしてしまうのです。
打ち合わせも長くなってしまうのです。

施工図のチェックも、施工者と一緒にやるといいです。
チェックしながら繰り返し戦略を伝えるんです。
こことここは基礎が違うから縁切りしてね、と何度も言う。
何度も繰り返して戦略を伝えることによって、確実に戦略が共有されてきます。

すると、施工者が次に同様な施工図を描くときに間違えなくなります。
よって、チェックもスムーズに進むようになり、合理的になっていくのです。

毎度毎度、ヘンテコな施工図が提出されてくるとしたら、それは戦略が見えないからなんです。
ちゃんと戦略を伝えてやれば、お互い無駄作業がなくなるのです。
戦略なしに戦術だけ議論してしまうから、打ち合わせも長くなり、その割に成果も出ないのです。
方向も分からずに、やり方だけ決めたって意味がないってことです。
もし、打ち合わせが長くなってしまっていて、それを何とかしたいと思っているなら、一度「戦略」と「戦術」を混同していないか、チェックしてみるといいですよ。

挨拶はオトク

こんにちは

我が子はっちゃん、とっちゃんには、挨拶のきちんとできる人間に育ってほしいと思っています。
だって、挨拶はオトクなんですから。

大久保幸夫『仕事のための12の基礎力』日系BP社\1500-にこう書いてありました。

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初めてあった人にも気持ちよく「こんにちは!」と声をかけ、エレベーターでたまたま一緒になった知り合いにも「元気ですか?」「最近頑張ってますね!」と笑顔で話しかけてくる。
それだけで人との距離を縮めてしまうのです。
このような愛嬌力のある人は、仕事の上でも随分得をしていると思いますし、そうでない人は損をしていると言っていいと思います。
愛嬌力があると、人間関係をうまく処理しやすくなると同時に、ちょっとくらいの失敗は許してもらいやすくなります。
「ご愛敬」という言葉がありますが、まさしく、軽い失敗は「それもご愛敬の一つ」ということで大目に見てもらえるタイプです。(46p)
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人間って不思議なもので、同じ事をやっても愛嬌のある人とそうじゃない人とでは、扱いが違うんですね。
ちょっとしたミスをしても、愛嬌のある人なら笑って許してくれるのに、愛嬌のない人はコテンパンにやられる。
いいことをしても、愛嬌のある人はほめてもらえるのに、ない人はちょっとくらいうまく行ったからって威張るなよ、なーんて言われたり。
愛嬌力の源は、やっぱり挨拶だと思います。
明るい顔でいつも挨拶すること。

挨拶がしっかりできると、レスポンス、反応もよくなっていきます。
誰かから話しかけられることが多くなりますし、こっちからも気軽に話しかけられるようになる。
同じく大久保幸夫『仕事のための12の基礎力』から引用します。

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企業経営者を見ていても、反応力のある人と、ない人に、明確に分かれます。
うなずきながら人の話を聴く人は、聴き上手な人です。
そういう人には、つい余分に情報を提供してしまいます。
おそらく社員から話を聴くときも、うなずいたり、質問したりしながら、正確に現場の情報を収集しているのでしょう。
反対に、まったくうなずきもせずに「そんなことはわかってる」という顔つきをいつもしている人がいます。
そんな経営者には大事な情報は集まりません。
知らぬは社長ばかりなり、という結果になってしまうかもしれません。(42p)
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そうそう、愛嬌のある人には、つい余分なことまで話しちゃったりするんです。
それで情報が集まってくる。
集めようとして集める情報は、公式的な表向きの情報ばかりです。
ところが向こうから勝手に集まってくる情報は、裏情報、ホンネの情報だったりするんですよね。
裏情報に強い人は、世渡りもうまくなるってわけです。

こう考えると、挨拶は自分のためにするものだ、って分かります。
そもそも礼儀や作法って、相手を不愉快にさせず、気分よくさせるものです。
相手を不愉快にしないってことは、相手のためじゃありません。
相手を不愉快にさせないことによって、自分がラクに楽しく生きられるからです。

高橋鍵彌『12歳からの人づくり』致知出版\1300-にはこうありました。

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挨拶は自分のためにするものです。
しかし、自分へのこだわりがある人は挨拶が上手にできません。
それは自分という小さな殻から抜け出すことができないために、恥ずかしさや相手へのこだわりが、自分の心の中で渦巻いてしまうためです。
自分から挨拶をしても、相手が答礼してくれないことを怖れることから生ずるものです。
しかし、相手がどうであれ、挨拶は自分のためにするとわかっている人は、周りに左右されることなく、挨拶のできる人となります。(134p)
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ぼくも実践してますよー。
廊下で嫌な奴に会っても、きちんと会釈しています。
もちろん相手もぼくを嫌いですから、無視してスーッと通り過ぎちゃう。
「なんだアイツ!もう挨拶なんかしないぞ!」なんて怒っちゃ負け。
それでもぼくはニコニコ笑って会釈し続けるんです。

だって、それを見た他の人はどう思うでしょうか。
どっちが人格優れていると思うでしょうか。
何か頼み事があったり、新しい仕事があったりしたとき、どっちに声をかけたいと思うでしょうか。
言わなくても分かりますよねー。
あはははは。

脳は大食漢

こんにちは

今日は電気技術者協会の見学会に行ってきました。
東京エコタウン事業 http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/recycle/superecotown/supereco_index.htm 関連施設の見学。
電気技術者協会は、電気主任技術者の人たちの研修団体です。
ぼくも会員になって、つまり電気主任技術者試験に合格して15年になりますが、毎年たくさん勉強させてもらっています。

見学はとても面白くいずれレポートしたいと思いますが、いつもながら電気主任技術者の方達のバイタリティに感服しました。
今日はお弁当付きの見学会でしたが、みんなよく食べるんですよねー。
ほとんどの方はぼくより10才から30才も年上です。
世間的には「おじいちゃん」と言った年齢です。
それでも食べる。
ぼくもけっこう大食漢なんですが、まったく互角です。
気持ちいいくらい食べます。

石原結實『「体を温める」と病気は必ず治る』三笠書房1300-に、人体の発熱がどこで行われるかが書いてありました。

体のどこから熱は生まれるか(安静時)
骨格筋 約22%
肝臓 約20%
脳 約18%
心臓 約11%
腎臓 約7%
皮膚 約5%
その他 約17%

発熱=カロリーの消費ですから、発熱量が多い臓器を使う人はその分食事も沢山とる必要がある、ということです。
もちろん一番の発熱源は筋肉ですが、脳も負けていません。
脳は体重の2%くらいの重さしかない臓器ですが、18%ものカロリーを消費する、大食漢な臓器です。
しかも、脳は眠っているときもほぼ同じだけカロリーを消費しているのです。
それは、眠っている間に起きている間に記憶したデーターを整理しているからだ、と言われています。
だから日常的に脳を使う人は、昼も夜もかなりのカロリーを消費しているのです。

電気主任技術者の方達が大食漢なのも分かります。
好奇心の塊のような人達ですから、脳の負荷率も高いのでしょうね。
歳を取っても現役で仕事をしているから、パワーみなぎっています。

そういえば電気主任技術者の方に極端に太った人はいません。
同じ年齢層の平均集団と比べると、スリムだと思います。
活動的で筋肉もよく使うということもあるでしょうが、何より脳を使っているからカロリーの消費も激しいのでしょう。
脳を使うことは、ダイエット効果もある、ということでしょうか。

今日の見学会、ドタキャンした人がいたらしく、お弁当が一つ残りました。
「若い人、食べなさい」なーんて言われて、ぼくがもらっちゃいました。
若いったってもう47歳なんですがねー。
ぼくもよく食うなーー。
脳を使っているから?
あははははは。

省エネは気持ちいい

こんにちは

暑いですねー。
でも夏はこうじゃなくっちゃね。
暑いからって冷房のガンガン効いた部屋に長時間いたら、体がおかしくなっちゃいます。

ところで省エネのために冷房温度を27℃にしているオフィスも多いと思います。
でも27℃設定だと、ちょっと暑すぎるんですよね。
そう感じる人が多いようです。

なぜなら、普通のエアコンは設定温度±2℃でコントロールしているから。
27℃設定でも、実際は29℃くらいになっていることもあるんです。
29℃だと暑くて、仕事やる気が薄れますよ。
仕事の効率を下げてしまいます。

エネルギーを使って冷房したのに、仕事の効率を下げてしまうのは、もったいないとしか言えません。
国土交通省が「仕事がはかどるオフィスビル」というテーマで業界横断的なコンソーシアムを立ち上げるそうです。
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20371793,00.htm
日本のホワイトカラー、事務職の労働生産性が低いことは有名です。
生産性を高めるには、オフィス環境も重要だって事なんです。
空調も重要な一要素です。

この中に夏季に27℃から26℃に1度室温を下げると 能率が11.7%向上するって書いてありました。
ナルホドーって思います。
空調設定温度を高くすると、暑くてイライラしますからね。
暑くてうちわや下敷きで扇ぐ時間だって、積み上げればバカにならないでしょう。

それなら、多少空調を効かせ気味にして、効率を上げて仕事をする。
その代わり、早く退勤すればいいのです。
たとえば、毎日2時間残業して10時間働いている職場なら、11.7%効率upするなら1時間は確実に早く退勤できる計算です。

1時間早く退勤して、空調を停め、照明も消せるなら、エアコンの設定温度を1℃下げて削減できるエネルギーを上回る省エネ効果があります。
もちろん、残業代も減り、疲労も少なくなります。
いいことずくめだと思います。

省エネは、そもそも無駄に使われているエネルギーを「省く」ことです。
省エネのためだと言って、暑いオフィスで無理してダラダラと仕事をするのは、返って無駄なことだと思います。
もちろん、冷房しすぎのオフィスでふるえながら仕事をするのも無駄。
そこで働く多くの人が気持ちよく、効率的に仕事ができるような環境をつくる。
そして、意味のない残業を減らしていく。
それが全体として最も省エネになるんだと思います。

省エネは「我慢」じゃないんです。
効率、生産性を落とさずに、無駄を省いていくことなんです。

思想を感じろ

こんにちは

ぼくは職場の衛生管理者もやっています。
和光研の従業員数も2000人以上もいますから、衛生管理者も法定で5人も必要です。
ぼくは主に建物、施設関係で職場の衛生環境を改善していく役割をしています。
安全衛生法で衛生管理者は毎週職場を巡視して、労働衛生状態が適切であるかどうか見て回ることと決められています。

ある研究棟を巡視したとき、研究者からこんな話を聞きました。

 時々、特に夕方になると、急に排気設備が空気を吸い込まなくなる

巡視したときその排気設備は正常に排気していました。
なぜ時々、それも夕方になると排気しなくなるのか分かりませんでした。
有機溶媒を使ったり、揮発性の毒物を使うときは、排気設備の中で実験しなくてはいけません。
それらを極力直接吸い込まないようにして実験しないと、危険です。
だから、排気設備が停止してしまうのは危ないし、実験ができなくなってしまうということです。
その研究者に「また排気しなくなったとき連絡してください」とお願いしました。

その後しばらくして連絡が入りました。
排気が停まった、と。
研究室に行ってみると、確かにちっとも吸い込んでいません。
屋上に行って、対応するファンを確認すると停止している。
なぜだ??

事務所に戻って、その研究棟の古い図面を探して読んでみました。
ぼくが設計段階から関わった建物なら、どんな設備であるか頭に入っています。
でも入社前に建てたものは、図面を読まなくては分からないのです。

図面を読んで分かりました。
ビックリです。
排気設備は何部屋かの実験室をまとめて設置されており、そのon/offスイッチがその一部屋に付いているのです。
排気設備が急に停止して困っている、という研究室とは違う部屋にそのスイッチは付いているのでした。

その研究棟に戻ってそのスイッチを探してみると、やっぱりoffになっていました。
スイッチをonにして、排気設備のある研究室に行ってみると、正常に排気されていました。
スイッチのある部屋の研究員に聞いてみたら、「何のスイッチかよく分からなかったけど、省エネのため部屋が無人になるときや帰宅するときにoffにしている」とのこと。
原因はこれでした。

たぶん建物が完成したときには、それらの部屋は同じ研究室だったのでしょう。
同じ研究室なら同じような勤務をするので、スイッチが1ヶ所でも問題なかったのでしょう。
でもその後部屋の使われ方が変わり、異なる研究室が別々に使うようになった。
すると、不具合が発生してしまうようになったのでしょう。

ちょっとヘンテコな設計思想だと思いました。
なぜ多様な使い方を想定して設計しなかったのか。
でも文句を言っても始まりません。
ぼくに今できることをやるだけです。
それが実務者の生きる道。
研究者の方達に、実験室の排気システムの仕組みを説明し、スイッチの場所を教えました。
そしてそのスイッチにはテプラで「排気スイッチ・常時on」と表示しました。
もちろん、その研究棟の他の研究室にも行って、説明し、表示を貼り付けて回りました。

研究員の方からこんなメールをもらいました。
自分のやったことが喜ばれて、とても嬉しいです。

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古い建物だからということで悪い環境を我慢している場合が少なくありませんが、いろいろな相談に乗っていただけるのは大変ありがたいです。
空調や電気など、建設当時の設計については良く分からないという回答を担当課からもらったことがありますが、今日のように事情が分かるだけでも助かります。今後ともよろしくお願いします。
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ぼくは、建物で一番大事なのは「設計思想」だと思います。
どんな人が、どんな使い方をするのか、そのために建物はどうあるべきか、しっかりした思想を持って造る。
いい建物はしっかりした思想があり、かつその思想が明快なんです。
ぼくもこの仕事を10年以上それなりに意識して修業してきたので、建物に入っただけでもその思想が感じられるようになってきました。

牛尾治朗『男たちの詩』致知出版\1500-にあった安藤忠雄「常に全力疾走あるのみ!」に、こうありました。

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私には師がいませんけれども、師というのは何も人間ばかりではないんですね。
先人のつくった建物からもいくらでも学ぶことができる。
丹下先生のつくられた代々木の体育館もそうですが、やっぱり勇気を持って挑戦した人たちの仕事をしっかり見るということは非常に勉強になりますね。
あの時も、体育館を見ながら丹下先生という人を心の中で師と仰ぎ、ああいう志の見える建築をつくりたいと私は心に誓ったんです。(39p)
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ぼくは和光研研究本館をお手本にこれまで研究棟を造ってきました。
研究本館は昭和40年に建てられて、すでに40年以上使われています。
それでも研究棟として、不足なく現役で使われています。
それは、思想が明確でしっかりとしているからだと思っています。

プロはオーソドックス

こんにちは

前便でこう書きました。

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同じく同じ人種の中でも、ひとりひとりホンの少しずつですが遺伝子は違っています。
それが「身体の個性」なのです。
個性があるから、自分が何に向いているか、自分は何を鍛えていけばいいかは、ひとりひとり違っているし、違うべきなんです。
個性に向いていないことを無理して努力しても、よい結果は得られません。
自分の個性を見極めて、自分の可能性を考えていくのがいいんです。
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誤解しないでくださいよ。
個性を見極めなくちゃいけないって言うのはオリンピック選手レベルの話。
ビジネスマンでも、トッププロでの話なんです。

ごくごく普通の人は、あたりまえながらそこまで行けないわけです。
素質がなかったり、努力ができなかったり、経済的に無理だったり、学歴がなかったり、家庭の事情があったり、いろいろな要因があるでしょう。
でも、オリンピック選手にはなれないかもしれない、トッププロになれないかもしれないからと言って、それは自分の個性に合っていないからとあきらめちゃうのもバカですよ。
それは、自らを限るものでしかありません。
努力をしない、努力をしたくない言い訳にしちゃっているだけです。

黒人だって、遺伝的にオリンピックの水泳選手レベルにはなれないからと言って、水泳をまったくしないというのももったいない話です。
練習すれば泳げるようになりますし、泳げた方が人生楽しくなります。
トップにはなれなくても、ある一定レベルまでだったら、正しいやり方で一定の努力をすれば、誰でも泳げるようになるのです。

ビジネスマンでも同じです。
トッププロは無理としても、ほどほどの成果をあげることはできるようになります。
それは、遺伝とか才能とかと無関係なんです。
正しいやり方で一定の努力をすれば、誰でもプロになれるんだと思っています。

大久保幸夫『ビジネス・プロフェッショナル』ビジネス社\1400-にこうありました。

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一つだけ勘違いしてはいけないのは、歴史上確立されたその仕事の技術や知識については、好き嫌いをしてはいけません。
たとえば、経済学者なら、ノーベル経済学賞をとったような経済学者がどんなことを理論化して何を研究してきたのかといったことを、絶対に知っていなければいけないのです。
いま現在次々に誕生している新しい技術や知識は、いずれ消え去ってしまうものでありますし、あるいは、方向性がずれてきて別の領域に発展していくものもあります。
このため、現在進行形の技術や知識は、そのすべてを徹底的に追いかける必要はなく、情報として知っていれば、その中身にはまったく無関心でもかまわないのです。
しかし、そうして次々に誕生した知識が研ぎ澄まされて、やがてその仕事の固有のものとして確立されていれば、これはプロとして一人前になるまでに必ずマスターしなければならないものとなります。(141p)
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オリンピックの選手だろうと、ビジネスマンのトッププロであろうと、その能力の95%は基礎的、普遍的、共通的な部分なんだと思います。
それは、歴史上確立された技術です。
オリンピックに出場する体操選手であれば、今や「月面宙返り」なんて技は誰もができます。
そのような95%はできて当たり前なんです。
その上で、クリエイティブな部分である5%で勝負をしているのです。
オリンピック選手と言えどもオーソドックスな訓練が95%も積み重ねてきたわけで、華やかな5%の部分だけ見ていると間違えます。

華やかな5%で勝負することは、実はとても厳しいことです。
オリンピックに出場できる人数は限られたものだし、メダルを取れるのもさらに厳しい。
だからとてもリスキーなんです。
オリンピックに出られなければ、メダルを取れなければ、あまり評価されないんです。
でもオリンピック選手は5%の部分で勝負するしかないんですね。

ところがビジネスプロは違います。
たいてい95%の部分で勝負しているのです。
だってたいていの問題は、基礎的、普遍的、共通的な知識、技術、技能で解決可能なんですから。
弁護士資格、公認会計士資格、技術士資格、電験資格だって、この95%部分を試験しているのです。
基礎的、普遍的、共通的なことが必要十分であるから、国はその仕事を任せてもよいとお墨付きを与える。
決してクリエイティブな5%の部分を評価しているのではないのです。
95%の部分には教科書があります。
正しいやり方で一定の努力をすれば、誰もがなれるレベルと言っていい。

でもたとえ弁護士資格、公認会計士資格、技術士資格、電験資格を持っていても、プロとは呼べても、トッププロでは必ずしもない。
ビジネスでは、ごくごくたまーにクリエイティブな事案に取り組む必要が出てくるわけです。
というより、自分の能力を高めるため、おもしろいから5%にもチャレンジするわけですね。
そこには当然、教科書はありません。失敗もあるはずです。
でも95%の部分が盤石なら、ちょっとくらい失敗してもプロ生命は保てるってわけです。
つまり、「余裕」があるから困難なことにもチャレンジできるんですね。
95%がしっかりしているから、トッププロは5%を持てるようになるんだと思っています。

水泳選手に黒人が少ない理由

こんにちは

オリンピックですねー。
ぼくは普段テレビを見ないのですが、出張中ホテルの部屋でつい見ちゃいました。
水泳の北島選手、すごいですー。

で、水泳競技を見ていて気づきました。
陸上競技には黒人系の選手が多いのに、水泳にはほとんど黒人系の選手はいませんね。
アメリカのチームにいたようですが、その他には見あたりません。
アフリカの国々は出場している国の方が少ない。
南アフリカのチームも、アフリカと言いながら白人ばかりです。
イギリスやフランスにも黒人系の国民は多くいると思いますが、水泳選手には黒人はいないようです。
もしかして、黒人は水泳に向いていないのではないでしょうか。

実は、黒人(ニグロイド)は他の人種よりも骨の密度が高いのだそうです。
また、非常に筋肉質でもあるため、体積の割には体重が重い。
すなわち、比重が大きいのです。
そのために浮力が小さくなって、水に浮きにくい身体をしているのです。
もっと言えば、そのままでは水に沈んでしまう体なんです。
そのため、水面に浮かんでいるためによけいなエネルギーを使わないとならないのでしょうね。

逆にそのことが、黒人が陸上競技に向いていることにもなっています。
骨の密度が高いということは、骨が硬いということです。
骨が硬いこと、すなわち骨のバネ定数が大きく鋼のような弾性を示すということです。
筋肉も強く、鋼のような骨を力強く動かすことができます。
骨が硬いので、強い筋肉で動かしても骨はたわんだり折れたりしにくい。

これらの身体の性質は、遺伝子によって決まっています。
遺伝子は人種ごと少しずつ違っています。
遺伝子は人類の長い歴史の中で、人種ごとに適応、進化してきたものです。
黒人は泳ぐことより、走ることに適応した体なんです。
もちろん黒人だって泳げるのですが、水泳のオリンピック選手になるほどには、なかなかなれないのでしょうね。
同じオリンピック選手を目指すなら、陸上の方が可能性が高いってわけです。

同じく同じ人種の中でも、ひとりひとりホンの少しずつですが遺伝子は違っています。
それが「身体の個性」なのです。
個性があるから、自分が何に向いているか、自分は何を鍛えていけばいいかは、ひとりひとり違っているし、違うべきなんです。
個性に向いていないことを無理して努力しても、よい結果は得られません。
自分の個性を見極めて、自分の可能性を考えていくのがいいんです。
黒人に水泳選手が少ない理由から、個性の見極め方についても考えてしまいました。


黒人の水泳選手が少ない理由は、竹内久美子『遺伝子が解く!愛と性のなぜ』文芸春秋\1286-の224pに書いてありました。

エアコンで冷えるわけ

こんばんは

いやあ、暑いですね!
でも我が家はエアコンは使わず、扇風機で暑さをしのいでいます。
なぜなら我が子たちはまだ幼児ですから、汗腺を十分に発達させなくちゃならない。
汗腺を十分に発達させて、体温調節機能を発揮できれば、健康な人生を送れることになる。
健康こそ、親から子への最大のプレゼントですからね。
そのために、ちょっと暑いくらいの環境で育てているのです。
そのおかげで、親の方もたっぷり汗をかいて、体調がいいです。
電気代もかからなくて、家計も大助かり。

それにしても、エアコンって不思議です。
部屋の中の熱を奪って、むんむんするほど暑い屋外に熱を捨てることによって、冷房するんですから。
熱力学の第2法則は、<熱は必ず高温の物体から低温の物体へと移る>です。
それなのにどうして、エアコンは温度の低い部屋から温度の高い屋外に熱を運ぶことができるのでしょうか?
熱力学の法則に反しているように思えますね。

エアコンは、「圧縮機(コンプレッサー)」、「凝縮器」、「減圧弁」、「蒸発器」の四つの部分からできています。
それらは配管によってつながれ、その中に液体(冷媒)が詰められています。
エアコンは、室外機と室内機とで構成されていますが、圧縮機と凝縮器は室外機に、減圧弁と蒸発器は室内機に納められています。
冷媒は、蒸発器->圧縮機->凝縮器->減圧弁->そしてまた蒸発器へと循環するようになっています。
冷媒には、フロンなど室温以下の温度で蒸発する液体を使います。

エアコンの室内機の中に納められた蒸発器の中で、冷媒は室温で暖められて蒸発します。
だって、冷媒は室温以下の温度で蒸発する液体なんですから。
蒸発するときに蒸発潜熱を吸収して、部屋の温度を下げることができます。
そのままでは冷媒が全部蒸発してしまったら、もう熱を吸収することができません。

そこで気体になった冷媒は、配管を通って室外機の中にある圧縮機へと流れて行きます。
圧縮機はモーターを回転させることによって、気体を圧縮する役目をしています。
冷媒は圧縮機によって断熱圧縮されて高温・高圧の気体になります。
次に冷媒は、これも室外機の中にある凝縮器に送られます。
このときの冷媒は外気より高温になっていますから、<熱は温度の高い方から低い方へ移動する>という熱力学の法則通りに、外気へと放熱します。
かつ高圧では液化しやすいので、どんどん熱を外気に放出して液体に戻っていきます。
より効率的に放熱するために、凝縮器部分にはファンが付いていて、風を送っています。

液体に戻った冷媒は、配管を通って今度は室内機へと送られます。
室内機の中の減圧弁を通過すると、圧力が下がります。
圧力を急激に下げると、断熱膨張によって温度が下がります。
減圧弁は、冷媒が室温より低い温度になるように調整されているのです。

そして再び蒸発器に戻った冷媒は、室温より温度が低い液体になっています。
熱力学の法則通りに室内の空気から冷媒へと熱は移動し、かつ低圧だから蒸発しやすいので、じゃんじゃか室内の熱を奪って気体になります。
蒸発器でも効率的に吸熱するために、ファンが付いていて、風を送っています。

エアコンは以上のサイクルを繰り返して部屋を冷やしているのです。
ですからエアコンは、熱力学の法則に反しているのではなく、熱力学の法則を巧みに使った機械なんです。

エアコンで主にエネルギーを消費している部分は圧縮機、コンプレッサーです。
圧縮機は電気でモーターを動かして、気体を圧縮しています。
でもその他の蒸発器や減圧弁や凝縮器では、エネルギーを消費していません。
その他はわずかに蒸発器と凝縮器の部分には、効率的に熱交換するためのファンが少しだけ電気エネルギーを消費しているのみです。
おもしろいことにエアコンは、圧縮機で使われるエネルギーの4倍もの熱量を、室内から室外へ運び出しています。
エアコンは、熱をポンプのように室内から室外へと汲み出しているので、ヒートポンプとも呼ばれています。

勉強は吉

こんにちは

子どもの学習時間に関する調査データによれば、学校の授業以外にほとんど勉強しないという子どもが増えているそうです(第2回青少年の生活と意識に関する基本調査、平成12年 http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/seikatu2/1_1.html )。

中学生では19.9%の子どもが学校以外では勉強しない。
高校はほぼ全入になってしまいましたから、勉強しなくたって大丈夫って事でしょうか。
塾にも行かない子どもが2割もいるんですね。
中学校も最近はあまり宿題を出さなくなっているようですしね。
宿題出したところで、やってこない子どもが増えている。
しかもやってこなくても堂々とした態度の子ども。
先生も厳しく指導しなくなっちゃっているし。

高校生になるともっとすごいですよ。
39.7%、約4割の子どもが勉強しない。
大学も学校を選ばなければ誰でも入学できる時代ですからね。
おまけに、進学しない子どもは勉強する必要がない、と思っていたりするんです。
つまり、社会人は勉強不要、と考えているんですね。

さらに大学生になると47.5%も学外で勉強しない学生がいるそうです。
最高学府って一体何?
これもつまり、大学はほぼ全員が進学しないで社会に出るわけですから、社会人は勉強不要と思っている証拠でしょう。

そして子どもや学生が学校外で勉強しないという傾向は、年々大きくなっているようです。
そのためか国際的な比較でも、日本の子どもの学力低下は著しい。
まったく最近の子どもは勉強もしないで何やってんだ!って思いますよね。

この頃の子ども、学生に憤慨している大人はどうかというと。。。
何と81.2%の人が仕事場を離れては、ほとんど勉強していないのだそうです。
子どもや若者の不勉強を批判しているその大人が、まったく不勉強なんです。

こういう大人、社会人を見ていれば、子どもだって勉強の意義が分からないのも当然です。
勉強しなくたって何とかなる、と思ってしまうわけです。
お父さん、お母さん程度にはなれるや、って。

でもそれは甘い考えです。
大人だって、親だって、自分は勉強しないくせに、子どもに「勉強しろ、勉強しろ!」とうるさい。
うるさいにはわけがあります。
やっぱり、勉強しないと社会で通用しないことが心の奥底では分かっているからです。

親世代は子ども時代にそれなりに勉強させられてきました。
勉強は好きではなかったかもしれませんが、ほどほどの学力を持って社会に出た。
そのおかげで、それなりに社会人として歩んでこられたし、ほどほどの地位と収入を得られてきた。
子どもが中学生くらいの年代になる頃、親は40代でしょうか。
40代になるとかなり人生が見えてくるんですよ。ぼくもそうですけど。
すると、自分が子どもの頃学んだことが、実はとても役に立っていることが分かってくる。
そして自分の周りの同年代の人を見ると、勉強し続けている人の方が活躍しているのが見えてくるんです。
需要と供給の原則から言っても、たくさんいる不勉強な人より、少ししかいない勉強家の価値が上がるのは当然です。

親は、まったく勉強しない自分の子どもを見て不安に襲われます。
我が子は大丈夫なんだろうか。
このまま社会に出てやっていけるのだろうか。
なのでつい自分のことを棚に上げてでも「勉強しろ」と言ってしまうわけなんです。

子どもにとってやっぱりお手本となるロールモデルが身近にいた方がいい。
その役は、子どもが年少なほど親がやるべきだと思っています。
親が勉強をする姿を見せる。
しかも楽しんでいる。
さらに学んだことを活かしている。
そういう姿をぼくも子どもたちに見せていきたいと思っています。

子どもが年長になるにつれ、親以外の尊敬する人物と接する機会が必要になってきます。
親が勉強家になれば、勉強家人脈ができます。
勉強家同士のつながりができれば、子どもが憧れるような人物との接点もできてくるでしょう。
そうすればますます子どもは勉強するようになると思うのです。

幸せのために必要な金額

こんにちは

ある青年技術者の人と一緒に仕事をしたとき、こんな雑談をしました。
彼には今、結婚したい女性がいるんだそう。
でもまだ若いから給料は安い。手取り20万円ほどです。
今の給料で彼女を幸せにできるだろうか、という不安を持っている。
結婚しようかしまいか、それで迷っているんだそうです。
半分幸せそうに、半分不幸そうにそう話してくれました。

確かにお金は大事です。
全然お金がないなら不幸だけど、彼が今もらっている給料くらいあれば、見栄を張らずに身の丈で、彼女と工夫しながら生活すれば、十分幸せに暮らせるはず。
ぼくはそう言いました。

ところで、今の日本で具体的にいくらあれば幸せに暮らしていけるんでしょうか。

日本の憲法では「すべての国民が、文化的な最低限の生活ができること」を保障しています。
幸せに暮らすための最低条件を、憲法は保障しているわけです。
文化的な最低限の生活とは、ただ働いて食べて寝る、というのではなく、時々は外食したり、映画を見に行ったり、本を買ったり、年に一度くらいは家族旅行をする、そのくらいは今の時代の「最低限」に入るのではないでしょうか。
それにはいくら必要なのでしょうか。

加治将一・八木宏之『借りたカネは返すな!』アスキー\1238-にこんなことが書いてありました。
借金の返済ができなくなった(返済しなくなった)人に対して、裁判所はその人の給料の差し押さえを命じることができます。
そういう法律があることはぼくも前から知っていましたが、差し押さえることのできる金額に制限があることをこの本で知りました。
給料全部差し押さえることはできないのです。
そんなことをしちゃったら、生きていけません。
生きていけなければ、借金の返済だって不可能になってしまいます。
文化的な最低限の生活は確保しつつ、それを超える部分だけ差し押さえることができる。
法律はそうなっているんだそうです。

借金の返済のために差し押さえることができる給料は、原則として手取りの1/4までで、残りの3/4は本人とその家族の生活費のために残さないといけない。
ただし、本人へ残す上限額も決まっていて、21万円となっています。
つまり、21万円を超える部分は差し押さえていいけど、21万円は本人に残さないといけないのです。
たとえば、手取り収入30万円の人だったら30-21=9万円だけが差し押さえられる金額なのです。

<どんなに借金があっても、21万円は本人とその家族に残してあげなさいよ>と、法律では言っていることになります。
逆に考えれば、「21万円あれば憲法に保障された最低限の文化的生活ができる」と法律では判断しているとも言えます。

どうでしょうか、21万円です。多いと思いますか?足りませんか?
21万円あれば、4人家族くらいなら、衣食住整えて、たまに外食したり旅行に行ったりもできる金額じゃないかとぼくは思います。
海外旅行など贅沢できないのは当然ですが。

手取り21万円は、税込み年収300万円くらいです。
実際、我が家の経済的基礎代謝と同じくらいですねー。
あはははは。
我が家もほどほどに幸せに暮らしてますよ。

21万円、この金額はちょうど青年技術者の手取り給料と同じくらいです。
大丈夫、幸せに暮らしていけるはずです。
幸せな家庭を築いてもらいたいなーって思いました。

枝葉末節だって大切だ

こんにちは

ぼくは仕事ではかなり細かい方です。
ずぼらにしている部分も多いのですが、技術的な話になると細かくなっちゃう。
座右の銘は「戦略は大胆に、戦術は細心に」ですからね。

ぼくと一緒に仕事をする人は、辟易してるかもしれませんね。
でも、細かなことまで詰めるということも悪くないことだと思っています。
後々の不具合が減ります。

細々としたことを「枝葉末節」と言って否定的に扱うことがあります。
もっと根幹を重視しろ、ということです。根っこの部分が大事だろう、というわけです。
ちょっと待ってください。
仕事を木にたとえているんでしょうが、それは生物学的には話が違いますよ。

木は根と幹だけじゃ生きていかれないんです。
確かに、根から水とわずかな栄養素を吸って、幹を通してそれを枝葉に送っています。
でも実際に木の生命活動は、葉の部分で行われているんです。
葉で光合成をする。小枝を伸ばして葉を増やす。
葉で作られた栄養で根を伸ばし、幹を太くし、さらに大きな木になる。
葉で作られた栄養で小枝に花を咲かせ、種を実らせます。
つまり木の主役は枝葉の方で、根や幹は脇役なんですよ。

ただし、どっちが大事かと言えばどっちも大事で、お互い相補的な関係なんです。
だから、どっちも大事にして、最後には枝葉を充実させてきれいな花を咲かせよう、ということなんだと思います。
そして幹も太く高くして、来年はもっとたくさんの花を咲かせよう、ということなんです。

最近、論語など中国古典に関する(優しい)本を読んでいます。
我が子がもう少し成長したら、近所の子を我が家に集めて寺子屋をやりたいと思っているのです。
その時に、漢文素読をやりたい。
しかし、ぼくは漢文の素養がまったくありませんので、今から準備しておこうという魂胆です。

それらの本の中に面白い話が書いてありました。
二宮金次郎の銅像を見たことがあると思いますが、薪を背負いながら本を読んでいます。
どんな本を読んでいると思いますか?
銅像をよく見ると、書名がちゃんと分かるそうです。
それは『大学』なんです。

『大学』に「徳は本なり、財は末なり」とあるそうです。
本は根や幹、末は枝葉という意味でしょう。
これを日本の学者は「徳は重んずべきものであり、財は軽んずべきものである」と解釈した。
学者は貧乏なので、こんな解釈をしてしまったらしい。

二宮尊徳はこれを

 徳も財も大事である。
 根や幹である徳が充実していないと枝葉である財は築けず、
  枝葉である財が充実すれば、ますます根や幹である徳も充実するものなのだ。
 どちらか一方のものは、長続きしない。

と解釈したのです。

二宮尊徳は江戸末期の財政再建請負人です。
きっと、非常に細かい人だったんでしょうねー。
幹や根も大事にしたけど、枝葉にもこだわった。
だからあれだけの成果をあげられたんでしょうね。


二宮金次郎の話は、石井勲『漢字興国論』日本教文社\1600-にありました。

力を発揮してもらうために

こんにちは

ぼくの仕事のひとつは、新しい研究施設を造るときの「工事監督」です。
実際に工事をするのは、ゼネコンやサブコンの人たちです。
その人たちにいい仕事をしてもらうのが、工事監督の最大の役目だと思っています。

いい仕事をしてもらっていい施設を造ってもらう。
そのために、

 「最も力を発揮してもらえる条件を整える」

ことが大切だと考えています。

人には得手不得手があるのは当然です。
得意なことなら短時間によい成果をあげられますが、不得意なことは時間をかけた割にはいいものができない。
それどころか不得意なことを無理してやると、それをやるために時間と労力を取られ、得意なことをやる時間と労力と気力まで削がれてしまいます。
それではいい仕事はできなくなってしまいます。
だから、ゼネコンやサブコンの担当の方に決して無理な注文をしないように気をつけています。

もちろん時間に余裕があるときなら、不得意なことでも将来役に立つスキルなら、不得意なことを得意なことに変えるために、将来有望な若手の人ならあえてやるということもいい。
でも、今回限りの仕事で将来も役に立つものでなければ、習熟する必要はありません。
そういうことは、ぼくが肩代わりしてしまったりします。

たとえば発注者へ提出する書類の作成なんかそうやっちゃいます。
工事担当者は技術屋さんですから、あまり作文が得意ではありません。
たった1枚、A4書類を書くのに、一晩徹夜で悩んだりしちゃうんです。
無駄ですよねー。
こういうときは、ぼくがさっさと文案を作ってあげちゃいます。
ぼくなら30分もあればできちゃいます。
だって同じような書類を何度も作っているわけですから。

その分、施工図を描くとか現場作業に立ち会うとか、彼らの得意な技術分野での仕事に集中してもらえます。
技術者だってプライドがありますから、自分の得意分野でそうそう下手なことはしません。
結局はいい仕事をしてくれることになるんです。
それはぼくやぼくの会社の利益になることです。
もちろんゼネコン担当者やその会社の利益になります。
win-winの関係になれるんです。

でね、不得意なことを強要すると、それが「言い訳」にもなってしまうんですよ。
不得意なことをやらされたから、現場をちゃんとやることができなかったんだ。
いい仕事ができなかったのは、無理な注文をする方が悪いのだ、と。
これは双方損です。

だからいい仕事をしてもらうためには、あれもこれもと要求しない。
その人が最も力を発揮してくれることに限定してお願いする。
肩代わりできることはしてあげる。
その代わり彼らのやる仕事に妥協しない。
ぼくはそう考えているのです。

優しいようでコワイでしょー。

錯覚も実力のうち

こんにちは。

いきなり野口悠紀雄『超発想法』講談社文庫\560-から引用します。

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創造的活動を行うのに、高い知的能力が必要とされるのだろうか?
これに関して、つぎのような話がある。
ある出版社の社長が、創造性がない社員がいることを心配して、心理学者に調査を依頼した。
一年間社員を綿密に調査した結果、創造性のある人々とない人々との間には、たった一つの差異しかないことが発見された。
それは、「創造的な人々は自分が創造的だと思っており、創造的でない人々は自分が創造的でないと思っている」ということだった。
このエピソードは、きわめて示唆的である。
「創造性がない」とは、単に、「自分は創造性がないと思いこんでいること」なのだ。
あるいは、「自分は創造的だと思えば、創造的な活動ができるのだ」とも言える。
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ぼくは前から、子どもが勉強できるとかできないとかいうことは「錯覚」であると考えています。
頭の善し悪しで勉強ができたりできなかったるするのではないと思います。
特に小学生や中学生はそうであると、経験上思います。
自分が勉強できると「錯覚」している子が勉強できるようになり、自分は勉強できないんだと「錯覚」している子は勉強ができるようにならない。
だから、子どもに学力を付けるコツは<自分は勉強ができるんだ、頭がいいんだ>と錯覚させてやることなんだ、と考えています。

たとえば百マス計算で速く計算できるようになった子は「自分は算数が得意なんだ」と錯覚するようになります。
単純な四則計算に習熟しただけなんですが。
でも劇的に変わります。
算数が得意だと錯覚しているから、難しい思考力を必要とする鶴亀算などの問題にもチャレンジするんですね。
錯覚していない子は、最初から自分には解けないものだと思いこんでチャレンジしないんです。
で、錯覚している子は本当に解いてしまったりします。
錯覚していると、あきらめないんです。
自分は算数が得意なんだから絶対に解けるはずだ、という思いこみがあるのです。

こういうプライドは大事ですよね。
東大の先生である上野千鶴子さんは著書の中でこんなことを言っています。

 東大生は自分がアタマがいいと錯覚しているから、できるようになる

笑っちゃうけど事実ですね。

だから子どもを「バカだ」と言って育てちゃダメなんですよ。
ホントにバカに育っちゃいます。
ほめるネタを探して、あるいはうまくできるようにさせて、ほめてやる。
そうやって育てると、自分はデキル人間だ、と錯覚するようになる。
錯覚しちゃうと、徐々にデキル人間になっていくんです。

大人だって同じだと思います。
仕事ができると自分で錯覚している人の方が、ホントに仕事ができるんですよ。

ただし、常に結果や現実をフィードバックできなくちゃいけません。
そうじゃないと、錯覚だけの困ったオヤジになってしまいます。
現実に根を下ろして、かつ錯覚して難しい仕事にもチャレンジする。
それが楽しい仕事だって思っています。

先週末は、SPring8内に造っているX線自由電子レーザー専用の特別高圧変圧器の接続作業をしてきました。
既設を停電させての作業ですから、時間的にタイトな仕事でした。
スタッフのみなさんの努力で、無事完了させることができましたよー。
まー、最初からうまく行くと思ってたけどね。
って、ぼくもかなり錯覚してるかもしれませんぞー!
あはははは。

報告書は先に書け

こんにちは

先週末はSPring8第3特高変電所に、XFEL専用変圧器を増設する作業を行いました。
既設の改造なので、時間との戦い。タイトなスケジュールでした。
接続作業がうまく行ったので、作業完了数分後には上司に報告メールを送りました。

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課長 金子さん!

本日8/24、spring8第3特高変電所No.8バンク増設工事が無事予定通り完了しました。
電気主任技術者上西さんお立会いのもと、商用耐圧、保護連動・インタロック、中央
監視対向試験を実施し、すべて異常ありませんでした。
昨日午前中は雨が降りましたが、きんでん帯刀田さん、日建久保さんの段取り替えの
指示が的確に行われましたので、遅れなく工事を進めることができました。

試験終了後、増設バンクは切り離し、中央監視は保守設定とし、2次変送電(年明け
1月予定)まではJASRIさんの管理範囲外としています。

特高接続が問題なく完了しましたので、近畿経済局安全管理審査を受検する手配を、
きんでん帯刀田さんにお願いしました。
9/29(月)受検で調整してもらいます。

以上、報告します。
###

実はこの報告メール、接続作業前に書いてしまってあったんです。
なので、作業終了後すぐに送ることができたってわけです。

ぼくは報告書の類は事前に書いてしまうことにしています。
これは役に立ちますよ。
それはこれから行う仕事を予習することができるからです。
何をどのような段取りでやってくればいいのか、あらかじめ頭にインプットできるのです。
で、実際に検査等しないと記載できない部分は空欄のままにしておきます。
ついでに「仕様書通りに製作されており、大変よい出来である」なんて、結論までちゃっかり書いちゃう。
まだ、やる前なのにね。
そして作業が終わったら空欄を埋めて、報告書の完成です。

米沢富美子『科学する楽しさ』新日本出版社\1600-にこんなことが書いてありました。

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創造的な研究につながるアイディアをつかむために私が実行している企業秘密は、問題に対して先に答えの予想を立ててしまうことである。
行方定めぬ手探りでは無駄が多く、答えに行き着けないことも多い。
答えはこうなるにちがいないと見極めて、そこから逆に歩いてくれば確実である。
いうならば、迷路の問題を出口から解くようなものだ。
入口からの道のりでは紛らわしい岐路がつぎつぎに出てくるかもしれないが、出口からだと、意外にすんなりと全容が見えたりする。
予想した答えが間違っていれば、やり直せばよい。
そのうちに答えの的中率も上がってくるだろうから。
このくらいのんびり構えていることも、クリエーティブな研究をなし遂げるために必要なことである。(88p)
###

要するに、何事にも仮説を持ってあたることが大事なんです。
仮説とは「こうなるであろう」という予想です。「仮の答え」と言ってもいいかもしれません。
しかも上手く行くであろう仮説を持っていると、実際ホントに上手く行ってしまうことが多いんです。
ぼくの作業報告のように「上手くできました」という結論まで先に書いちゃうと、せっかく書いた報告書を反故にしちゃうのがもったいないから、上手く行くように段取ることにもなります。
逆から考えることは、そして先に報告書を書いてしまうことは、<未来を先取りする技術>なんだと思います。

古本のプレゼント

こんにちは

ぼくは自分で言うのも何ですが、なかなかの読書家です。
毎月20冊~30冊、金額にして2万円~3万円本を買います。読みます、じゃなくて。
「一流のサラリーマンになるためには給料の5%は本代に使え」と言われています。
ま、何とかその基準はクリアしているようです。
一流のサラリーマンかどうかは別にして。はははは。

雑多なジャンルをあれこれ読んでいます。
どんな風に本を選んでいるかというと、きっかけを掴んでいるんですよ。
人から勧められたり、書評で興味を持ったり。
今日も新聞に文科省科学審議官坂田さんのインタビューが載っていて、本の紹介が書いてあったので、すぐ注文しました。
ちなみに坂田さんは、元理研スパコン担当理事だった方です。
一緒に仕事をして尊敬できる方でしたから、その方が勧める本なら先ずは読んでみようと思ったわけです。
そして読んでおもしろければ、その著者の本をぜーんぶ読む。
そんな読書法を続けているんです。

で、読み終わった本はどうするか。
気に入ったフレーズを抜き書きします。パソコンに入力する。
そして資料として保管しておきたいものは、我が家の本棚へ。
そうじゃないものは、以前はブックオフで売り払っていました。
でも最近は身近な人にあげちゃうことにしています。
迷惑かもしれないけどね。
でもそれがあげた人の読書のきっかけになればって思っているのです。
ブックオフで安い金に換えるより、そっちの方がいいかなって思ったのです。

ぼくは一緒に仕事をしている人と雑談をよくします。
やっぱり家族や子どもの話が多い。
今一緒にXFEL工事をやっている人とおしゃべりしていたら、彼のお子さんはとても勉強好きだって。将来お医者さんになりたいとのこと。
じゃーこの本をプレゼントしよう、って思って、読み終わった糸川先生の本を「お子さんにどうぞ」と言ってプレゼントしました。
彼からこういうお礼のメールをもらいました。

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糸川博士の本「人生に消しゴムはいらない」 有難うございました。
子供に読ます前に私が先に読んで、自分の未来を考えたい思います。
子供が読んで感想を聞いて見たいと思いますが、話してもらえるか疑問ですが
親子の会話の一環にさせていただきます。
どうも有難う誤差います。
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嬉しいですねー。
子どもが中学生くらいにもなると、なかなか親子の会話が成立しなくなってきます。
特にお父さんはね、共通の話題が少ないから。
本をきっかけにして、お子さんと対話ができるといいですね。
斎藤孝『読書力』岩波新書\700-から引用します。

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(高校の時の)小倉勇三先生という国語の先生が、学期の終わりだったか、文庫本をたくさん持ってきて、教卓の上にどさっと並べた。
そして、「どれでもいいから一人一冊好きなものを選んで持っていっていいよ」と言ったのだ。
みんな教卓に群がって本を選んだ。
本をプレゼントされたときにうまくいかないケースは、もらった本がもう一つ趣味に合わないと言う場合だ。
この「好きな本一冊持っていっていいよ」方式は、自分で本を選ぶことになるので、選ぶ側の意志が反映されているプレゼントのスタイルであった。
基本的に選ばれた文庫本だったので、質の高位ものばかりであった。
高校生たちが自主的にはあまり買いそうもない本もたくさんあった。
私がそのとき選んだのは、世界的数学者の岡潔の『春宵十話』(角川文庫)という本だった。
岡潔は関数において世界的な業績を成した数学者だが、文学、哲学の造詣も非常に深い。
天才的な直感力を生かした鋭い批評が特徴だ。
小林秀雄との対談『人間の建設』(新潮社)という本もある。
その本は内容のレベルが高く、私には非常に刺激的だった。
その機会なくしては出会うことのない本であった。
今でも私の目の前の本棚にはその本がある。
その本を見るたびに、高校時代のその本のプレゼントの授業のことを思い出す。
これも、私の読書を加速させてくれた一つの大切なきっかけだった。(p196-197)
###

ぼくも教え子たちに時々本をプレゼントしてきました。
手紙をもらったりしたとき、その返事に本を同封して送ったりしました。
彼らが高校生くらいの時は『ぼくは勉強ができない』とか『アルジャーノンに花束を』なんか贈った記憶があります。
自分で本を選ぶだけだと、なかなか読書の幅が広がらないものです。
幅を広げるには、他の人からきっかけをもらうといいんです。
読書の幅が広がれば、人間の幅も広がって、人生の幅も広がっていくんだと信じています。
ぼくはそう思って、教え子達に本をプレゼントしてきたんです。

勤勉は吉

こんにちは

ぼくは時間には几帳面な方です。
ほぼ確実に約束の時刻は守ります。
遅れるのは以ての外ですが、あまりに早くってのもしません。
定刻主義なんです。
まー、年に一二度は守れない、守らないこともありますが、人間だものbyみつお。

でも「ここぞ」というときは、定刻よりも早く行ったりするんです。
たとえば先週末、SPring8で特高変圧器増設工事の立ち会いをしましたが、この時は定刻より30分近く早く現場入りしました。
早く行って事前準備の状況を確認するんですね。
こういうところ、ぼくは勤勉なんです。

よく偉い人は遅れてきたりするでしょ。
エラソウに遅れてきて、他の人を待たせる。
でもそれは損なことなんですよ。
こういう人は、他人を待たせることで自分の権力を示そうとしているだけなんですね。
確実に他の人のやる気を削いでいるのが分からないんです。
こういう人はニセモノの偉い人なんだと思っています。

で、ぼくより後に施工者の代理人さんが現場入りする。
もうそれだけでアドバンテージ取れるんです。
定刻前にやってきた代理人さんも、先に発注者が現場入りしていると、やっぱり恐縮するですね。
いい加減にはできないって意識を持ってくれる。
作業員の人たちも、発注者の監督員が朝早くから現場に来ているのを見ると、だれてなんかいられないんです。

で、事前準備が足らないところがあったら、作業員さんたちの目の前で代理人さんを怒鳴りつける。
それを見て作業員さんも、ヒョエー、ちゃんとやらなくちゃオソロシイって思ってくれる。
まー、現場に緊張感を与えるんですね。
それも現場監督員の仕事だと思っているのです。
わはははは。

というわけで、特高変圧器増設工事も無事予定通り完了。
がんばってくれた代理人さんには、「奥さんに土日も亭主を働かせてすまなかったねって伝えてね」と言って、広島流つけ麺をプレゼントしました。
ちょこっとフォローしておくのも監督員の人徳!
なーんちゃって。

法令を調べる

こんにちは

ぼくは「平成の資格王」を目指して、年がら年中何か勉強しています。
勉強することによって、へーっと思うことも多いので、脳がさび付きません。
また、勉強時間を捻出するために時間の使い方もうまくなります。
一石二鳥ですね。

先週も放射線主任者国家試験を受験してきました。
6科目を二日間に渡って試験する、かなりヘビーな試験でした。
忙しい中毎日チョビットずつ勉強してきました。
ガツンとした確かな手応えはありませんでしたが、ほのかな手応えを感じました。もしかして合格する?
10月末の発表が楽しみです。

技術系の資格試験って、ポイントは「法令遵守」なんですよね。
技術系の資格は、新しいことにチャレンジするため、開発するためのものじゃないんです。
いかに安全を担保するか、社会を安全を守るか、なんです。
つまり「保守的」じゃなきゃならない。
で、法令遵守なんです。
技術系の法令は、過去の大事故の教訓を盛り込んで制定されているものが大部分なのです。
だから法令をよく知り、それを遵守すれば、安全は確保できるってことなんです。

そのための技術者として、免許を国が与えるわけ。
法令、基準をよく知り、それがなぜ定められているかを理解できるかどうか。
それを試験しているんですね。
直接的に法令を知っているかどうかのため、法令科目は必ず試験される。
加えて、その法令の意味が理解できるかどうか試験するために、専門科目も課す。

ぼくは多くの技術系資格を取得したおかげで、そういう「法の精神」みたいなものがぼくの中にスタンダードとしてできてきているように思います。
何がスタンダードで、何がイレギュラーなのか常に意識し、区別するクセがついた。
それによって、力の入れ具合、注意を向ける方向、集中する時間を明確にできるようになりました。

法令は、その立法事実(どうしてこういう決まりができたのか)を考えてみると面白いです。
ただ条文を読むだけじゃ無味乾燥でつまらないのですが、立法事実を想像してみると、法令の意味が浮かび上がってきます。

今は便利になって、インターネットでたいていの法令は検索できるようになりました。
分厚い法令集を持ち歩かなくてもすみます。
ブックマークに登録しておきましょう。

■電子政府の総合窓口
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi

■自治体Web例規集へのリンク集
http://www.hi-ho.ne.jp/tomita/reikidb/reikilink.htm

■全国条例データベース
(鹿児島大学法文学部法政策学科管理運営)
http://joreimaster.leh.kagoshima-u.ac.jp/