2008年8月30日土曜日

自立と孤立を区別せよ

こんにちは

職場でもぼくの「資格マニア」ぶりが有名になってきたのか、資格取得の相談を受けることがあります。
先日もある研究員の方から、来年でプロジェクトが終わってしまい次のアカデミックポストが見つからないかもしれないから、電気技師の資格を取りたい、という相談。
学者も大変です。最近は定年までというポストはちっとも増えず、プロジェクトごとの3年とか5年とか期間の限られたポストばかり。
博士号を持っていてもそれだけで安定して食べていくのは大変なのです。

確かに電気技術者は食いっぱぐれが少ない仕事です。
電気技術者はいつでも不足気味なので、職にあぶれることがない。
まして資格を持っていれば、世間的に良い評価をもらえるいい仕事です。
莫大に稼ぐことはできませんが、ほどほどには食っていけます。

で、試験日はいつで、教科書はどれが良くて、どのくらい勉強すればいいかなどの相談にのり、ついでに職場の電気設備を見学に案内しました。
今まで研究室、実験室しか知らなかった研究員の人は、「あーこんな風になっていたんですね。面白いですね」と言ってくれました。
興味を持つことができれば、資格取得へのファーストステップはOKです。
元々頭が良く、勉強が苦にならない人ですから、合格は間違いないでしょう。
でもでも電気資格を取得したとしても、できればアカデミックポストが見つかればいいなーって、ぼくは思いました。

内田樹『子どもは判ってくれない』洋泉社\1500-から引用します。

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「自立している人」というのは、周囲から「自立した人だ」と思われている人、それゆえに、人々に信頼され、何かにつけて相談を持ちかけられ、忠告を求められ、助力を仰がれ、責任を求められる人のことである。
「自立している人」というのは、その判断が熟慮されたものであるために、ほぼつねに適切であり、またいったん決断したことは容易には阻止介入することのできぬほどの実力的な基礎づけを持っている人のことである。
自立というのは、単体で存在するものではない。
それは人間たちの入り組んだ関係の中で、複数の人々を巻き込んだ利害のややこしい事件を経由したあとに、「ああ、あの人は「自立した人」だったんだな」という仕方で回顧的にしか検知されないものである。
自立というのは宣言や覚悟によって獲得できるものではなく、長期にわたる地道な努力を通じて獲得され蓄積された「社会的な信認」のことなのである。(104p)
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自立というと、誰にも頼らず頼られず自分一人で生きていく力だ、と誤解している人が多いと思います。
周りの人々、社会とは無関係であっても生きていけることが自立だと誤解されているように思います。
自分一人で生きていくなんて、それは自立ではなくて孤立なんです。
とても寂しい人生です。
そうではなくて、誰かに信頼され頼られる人が本当に自立した人ということです。

つまり、自立は周りの人々が頼りにし、あいつに相談すれば何とかなりそうだ、と思ってもらえる人が、本当に自立した人なんですね。
その意味で社会とは切っても切れない関係を取り結べる人、社会にとってその人がいないと困る、立ちゆかなくなるという人が「自立した人」なんだと思うのです。
つまり、「貢献」ですね。人々に貢献できてはじめて自立も手に入れられる。

また、自立した人は他に貢献するだけではありません。
自分が困ったとき誰かが助けてくれる人も、自立した人なんだと思います。
世の中give and takeです。
年がら年中助けてもらっている人は甘えているだけの人で、やがては誰も助けてくれなくなります。
誰かを助けている人には、困ったときに必ず助けてくれる人が現れる。
そして助けられたら次はまた誰かを助ける。
こういうgive and takeの関係を維持し続けられる人が、本当の自立した人なんじゃないかなって思います。
頼り頼られることが、豊かで楽しい幸せな人生なんだと思っています。

研究員の方に資格取得のサポートをしてみて、そんなことを思いました。
そしてぼくもようやく「自立した人」の仲間入りができてきたのかなー、なんてちょっと嬉しくなったりもしました。

で、その研究員の人は無事アカデミックポストを見つけ、研究を継続できることになりました。
よかったですねー。

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