2008年9月10日水曜日

今でも躾中

こんにちは

ぼくも<不惑>と言われる年齢になっちゃいましたが、あまり不惑って感じはしないですね。
やっぱりあれこれ悩んだり迷ったりすることも多いんです。
それでも、悩みがあるから成長もあるんだって、ある程度達観できるようになったのは、歳を取った効用かもしれません。

最近思うのは、どんな人でも、いくら外から見た感じが陽気で順風満帆な人だって、迷ったり悩んだりしてるんだよな、ってこと。
若い人だけじゃなく、地位や名誉もあって堂々としているように見える人たちだって、迷いや悩みをなんとかやりすごしたり、うまく付き合っているだけなんじゃないかって。

槇村さとる『イマジン・ノート』集英社文庫\514-から引用します。

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(略)言葉がイヤにつかえて、失語症のようになる時。食べ物の味がしない時。
かかってきた電話に出られない時。
ゴミがたまって部屋がちらかりすぎている時。
こういう時は、私の心がSOSの信号を出している時だとだんだん解ってきた。
「あーやだ、疲れた!あの人キライ!」という風にストレートに自分の心が解らなかった私は、こういう信号が出た時は心が危機なんだ---と覚えていくしかなかった。
だらしない自分を責めるよりまず、許す。
甘えさせ、休養する。
それからひとつずつ、ステップバイステップで片づける。
ゴミ出し。掃除。片付け。電話。非礼をわびる。
ひとつひとつのことにいちいち重りがついているみたいで、やるのが大変だけど、やる。
やれた。ホッ。
できた時のホッとした感じを大事に覚えて、次は、自分からサッサとやれるね?とはげます。
まるで子供の話みたいだけど、違います。いい大人になってからこんなことしてました、私。
自分で自分をしつけ直す。
例えばきれいに食事をする。とか、遅刻をしない。とか、猫背ガニ股で歩かない。とか。
直すのは時間がかかるけれど、人に命令されてやるわけではない。
自分の好みの自分に、しつけて、成っていくことだから、深い喜びがある。(p101-102)
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悩んだり迷ったりしても、ただそこでうろうろウジウジして無為に時間を浪費するのではなく、なんとかしようと少しでも行動する。
「不惑」って悩まない年齢ってわけじゃなくて、悩んでも何とかしていくだけの「技」が身につく年齢なんじゃないかって、この頃思います。

悩まない人は感受性もなくなっている人です。
人生、前向きに積極的に生きていれば、必ず迷ったり悩んだりすることにぶち当たるのは当然です。
そうじゃないとしたら、自分の固い殻の中にとどまり続けて、周りをシャットアウトしているってことだからね。

ひとつずつ、ステップバイステップで片付けていく。
やれてホッとする。
次はサッサとやる。
そういうことを積み重ねて、自分で自分を躾けていく。
何歳になってもそれができる人間で、ぼくもあり続けたいなって思っています。

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