2008年10月29日水曜日

大人も明るく正直に

こんにちは
 
昨日、この夏に受検した第1種放射線主任者国家試験の発表がありました。
見事合格!!やったー!!
官報に氏名まで記載されていました。
それほど価値のある資格だって事ですね。
何歳になっても合格は嬉しい。
努力が実るのは気分いいですよ。
 
自己採点ではギリギリの点数でした。
特に放射線物理学がボーダー。あと1問で合格か不合格か分かれるところ。
幸いなことに物理学の試験問題に1問不備があって、その問題は受験者全員を正解扱いにしてくれた。
そのおかげで合格ラインを乗り越えたって感じです。
運がいい!運も実力のうち!
 
昼休みに30分間、職場の友だちと勉強会を続けてきました。
一緒に勉強してくれた仲間に感謝です。
また職場の放射線主任者の仕事をしていて、RI協会の講師も務めている方から、アドバイスをもらったり、資料をもらったりもしました。
職場の放射線管理の仕事をしている方たちからも、おめでとうと言っていただきました。
感謝、感謝です。
 
これでぼくの実力も1段上がりましたかー。
ぼくの仕事でも放射線を取り扱う施設を造ることがあります。
その仕事にも役立てていけそうです。
この分野の専門家の人とも対等にハッタリかませるようになりたいですねー。
 
安保徹『疲れをためない生き方』幸福の科学出版¥1300-にこう書いてありました。
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子供にアレルギーが発生した場合の対処法は、2つあります。

1 まず、子供にかかる家庭のストレスを軽くしてあげてください。
2 次に、精神や体を鍛えたり、乾布摩擦をしたり、
  太陽の光を浴びたりするなどして、徐々に、子供の副交感神経が
  過剰優位になった体質を改めてあげることです。

こどものストレスを解消するには、親自身が仕事量を減らすか能力を上げて休息を取るなど、疲れをためないことも大切です。(65p)
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子どものストレス源の最たるものは、親の言動なんですよね。
親がイライラカリカリしていて余裕がなくなると、子どもに優しくできなくなります。
それが子どものストレスになり、アレルギーをより強くしたりするんですね。
だから親は常に余裕を持つようにしなくちゃいい子育てはできないんだと思います。
昨日のゴミメールで「子どもは明るく正直に」と書きました。
大人だって明るく正直に生きる方がいいです。
明るく正直に生きられれば、心と体に余裕が生まれ、子どもや家族、他の人たちに優しくなれます。
安保さんの言うように「能力を上げる」のも、そのための手段だと思います。
 
実力がないとやっぱり効率が悪いので、その分を時間でカバーするしかなくなります。
残業が多くなり、体は疲れていきます。
疲れれば心に余裕がなくなり、子どもにも優しく接することができなくなる。
それが子どものストレス源になってしまうのです。
 
実力がなく、時間にも追われるようになると、嘘やごまかしをする誘惑にもかられます。
嘘やごまかしをしてしまうと、それが脳のワーキングメモリを占拠するようにもなってしまいます。
まともに考えられなくなり、仕事はたまり、悩みは増え、安眠できなくなってしまいます。
それがまた子どもへと伝わるんです。
 
能力を上げ、仕事効率をよくし、成果も生み出しつつ早めに帰宅する。
家族との団らんも楽しめ、夜も心おきなくぐっすり眠る。
朝も目覚まし時計に強制的に起こされるのではなく、自然に目が覚める。
そして体調万全でまた出勤する。
そうありたいと思っています。
 
そのためにもっともっと実力を上げていかなくちゃって。
さて、次は何の勉強に挑戦しようかなー。

2008年10月28日火曜日

子どもは明るく正直に

こんにちは
 
昔、すぐごまかしたり嘘をついたりする部下がいました。
でもすぐばれる。
だって、嘘をついたことを忘れちゃってるんですから。
まるで子どもみたい。
その意味で、かわいげのある人でもありましたね。
 
その部下にぼくは「嘘は一つだけにしておきなさい」なんて言ったこともあります。
嘘もちゃんと覚えておかないと、ちょっとしたところでほころびが出ちゃいます。
一つくらいならちゃんと覚えておけるからね。
大人にもなれば「嘘も方便」ってこともありますけど。
 
最新の脳科学で、人間の脳はメモリーベイスドアーキテクチャ(記憶を基にした構造)であることが分かってきました。
記憶したことを複数組み合わせたり、操作したりして思考している。
組み合わせたり操作したりする場所は、脳の前頭前野にあるワーキングメモリ。
ワーキングメモリに記憶したことを呼び出して、考えているんです。
 
ところがこのワーキングメモリはとても容量が少ない。
大人でも7つくらいしかないことが、研究の結果分かっています。
この7つのメモリを使い切ってしまうと、何も考えられなくなってしまうのです。
ワーキングメモリに空きがあるほど、クリアな思考ができるのです。
 
で、嘘やごまかしをばれないようにするためには、常にそのことを意識しておかなくてはなりません。
常に意識に乗せておく場所が、このワーキングメモリなのです。
嘘やごまかしをすると、ワーキングメモリを消費してしまいます。
しかも最大7つまでしか記憶できない。
しかもしかも、ワーキングメモリが満杯になると、思考が停滞しますから、より嘘ごまかしはばれやすくなる。
なので、大人でも嘘はせいぜい一つまでというのが、理にかなっているわけなんです。
 
悩みや悲しみもこのワーキングメモリに常駐しがちです。
だから悩みが多いとまともに考えられなくなるのです。
悩みがたくさんあるときは、以前紹介したようにそれらを紙に書き出すなどして「脳出し」することによって、ワーキングメモリに空きをつくるといい。
一つずつでも悩みを解決していくことによって、脳はクリアになっていき、悩みから解放されるわけです。
 
さて、これも最新の脳科学で子どもの脳についても研究が進んでいます。
子どもの脳にも当然ながらワーキングメモリがありますが、その数は大人より少ないことが分かりました。
幼児など、2つ、3つしかないのです。
ワーキングメモリの数が少ないから、子どもは複雑な思考ができないのです。
 
複雑な思考ができないだけではありません。
子どもの嘘はすぐばれますが、これもワーキングメモリがすくないためです。
嘘をメモリに常に保持していることができないのです。
常に保持させると、残りのメモリがなくなって何も考えられなくなってしまうからです。
だから、子どもは嘘をついてはいけないのです。
子どもに嘘をつかせるような状況を大人が作ると、子どもの思考は停止してしまうのです。
だから、子どもの嘘は脳へのダメージが大きいのです。
 
悩みも同じです。
子どもが悩むと、それがすぐワーキングメモリを満杯にしてしまいます。
メモリに空きがなければ考えることができません。
考えない、すなわち脳を使わなくなるので、脳の発達を阻害します。
脳は使わなければ萎縮してしまいます。
だから子どもの悩みは、回復不能なほど脳にダメージを与えてしまうのです。
子どもの頃の激しいいじめがよくないのは、このことでも分かります。
 
昔から、子どもは明るく正直に育てよ、と言われてきました。
これにはちゃんと意味があるんです。
明るく正直に育てば、脳はスクスクと発達するのです。
子どもが明るく正直に育つよう、大人は環境を整えていかなくちゃいけないんですね。

2008年10月23日木曜日

やりたいことができる年齢

こんにちは
 
XFEL建屋建設工事もあと半年あまりで完成します。
若い代理人さんもプロとしての実力をつけてきて、段取りがよく、ヌケが少なくなってきました。
検討したり打ち合わせることもなくなり、あとは現場での取り合いの問題くらい。
工事費の精算もほぼ完了。
これからは工事現場をよく歩き回って、施工が確実になされているか確認するだけがぼくの仕事。
あーラクになったなー。
これもこれまでぼくがガミガミ言い続けてきた成果でしょうか。
なんちゃって。
 
スパコンの外観デザインも芸大の先生などにアドバイスをもらいながら、満足のいくものになってきました。
今週火曜日に文化担当理事へプレゼンしました。
理事にも誉められて、ホッとしました。
このデザインもそろそろきちんと決めないと、施工工程に追いつかなくなる時期でした。
多少まだ検討すべき宿題も理事から指示されましたが、大枠では了解をもらえたので、工程にも支障なく進めることができます。
あーラクになったなー。
これも設計者やスタッフの皆さんのおかげです。
よかったよかった。
 
こうしてぼくの「余裕」が増えました。
余裕があると安定運転ができます。
無理しないので、心も体も健康でいられる。
するといい仕事もできる。
好循環です。
そしてこの余裕を使って、新たな仕事にもチャレンジできます。
と思っていたら今週、他分所の課長さんからこんなメールが入りました。
 
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奥泉部長様

当研究所の特高受変電所の建設は、補正予算の成立待ちの
状態です。
和光の施設部と直接関わりを持って工事を行っていく必要は
なさそうですが、やはり当研究所の電気工事としては、大規模なもの
になりますので、関口さんの助言等は是非頂きたいという希望は
あります。
(関口さんは、播磨研などの特高受変電所の建設に携わって
こられたと聞いておりますので)
下記の「支援」とはそういうことですので、よろしくお願いいたします。

 > 当研究所も補正予算で、懸案の特高受変電所の建設が
 >スタートする予定です。こちらのご支援のほどもよろしくお願い
 >いたします。
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嬉しいですねー。
名指しでのご指名です。
がんばらなくちゃね。

山田咲道『バカ社長論』日経プレミア¥850-にこうありました。

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私のことを言えば、独立して10年以上経過しないと、責任のある大きな仕事は依頼されません。
実績や社会的ポジションなどがあって、はじめて大きな仕事を依頼されます。
50才から60才ぐらいにならないと、本当にやりたいこと(規模と夢の実現)はできないでしょう。
現在(若いうち)は、「やれること(目の前にある仕事)」と「やるべきこと(理念や体制づくり、社会貢献)」をきちんと行い、地盤固めをしていく時期だと考えています。(56p)
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ぼくも四捨五入で50歳という年齢になってしまいましたが、40代も後半になってから面白い仕事がガンガンやれるようになってきました。
もしかするとこれから50代になると、ますます大きな仕事ができるようになるのかもしれません。
ぼくがやりたいこと、主張することが通用するようにもなるのかも。
楽しみですねー。
大きな仕事がやってきたとき、それをドンと受け止められるように、先ずは今やっている目の前の仕事を一生懸命やり、自分の中の余裕率を大きくしていきたいと思っています。

2008年10月22日水曜日

子どもは偏食

こんにちは

我が子はっちゃんはとっても偏食。
野菜はもちろん、肉は食べないし、魚もダメ。
ご飯とウインナーと果物くらいしか食べないんです。
幼稚園の給食もご飯しか食べていないみたい。
ま、元気なんだからそれでもいいかって思っています。

友だちのお子さんが偏食で困っています。
いやなに、偏食自体に困っているわけじゃなくて、給食で食べられないものが出たとき、先生に食べるまで解放してもらえないので困っているのだそうです。
時には放課後まで残されることもあるとか。。。
確かに食わず嫌いということもあるでしょうが、嫌々食べて偏食って直るのでしょうか?
嫌々食べたら益々それが嫌いになるのが、ものの道理ってもんだと思います。

ちょっと免疫の話をします。
ぼくたち人間の体は免役によって病原菌やウイルスなどから守られています。
この免疫力はすべての動物にあるかというと、そうではありません。
魚(硬骨魚類)より高等に進化した動物にしか免疫力はないのです。
サメ(軟骨魚類)や軟体動物、昆虫などには免役はないのです。
なぜ魚以上に進化した動物には免疫力が備わったのでしょうか。

生物は魚に進化してから急速にその生活圏が広がり、またそれぞれの環境に適した形に進化していきました。
これを進化論では「適応放散」と言います。
適応放散するためには、いろいろなエサを食べる必要があります。
いろいろなものをたくさん食べてたくさん子孫を増やせるようになったから、適応放散ができるようになったのです。

魚以前の進化段階にいる生物は、非常に狭い範囲にしか住めず、いつもいつも同じエサを食べています。
たとえばナマコは浅い海の砂地にしか住んでおらず、一生砂に着いたバクテリアばかりを食べて生きています。

それに比べて魚はいろいろなの種類のエサを食べるように進化しました。
そのことによって、すぐ目の前にある食えそうな物はなんでも食べるようになった。
そこにあるエサを食べればいいので、どこにでも住むことができるようになりました。
ところが、何でも食べられると言うことにはリスクも伴います。
エサというのは基本的に他の生物です。
毒を持っているかもしれませんし、食べることを通じて寄生されてしまうかもしまいません。
そういったリスクに対抗するために、免疫も進化したのです。
どんなエサを食べても自分の栄養にできるように、免疫も進化してきたのです。

ところで赤ちゃんは母乳しか飲みません。
母乳ばかり飲んでいる赤ちゃんは、別に偏食でもないし、栄養不良になるわけでもありません。
母乳の代わりにミルクは飲めますが、母乳より吸収効率が悪いそうです。
母乳しか飲まない赤ちゃんは、究極の偏食ですね。

赤ちゃんが少し成長し、1歳を過ぎる頃から離乳食を食べはじめます。
大人は野菜もたくさん食べないと体の調子が悪くなります。
だからといって赤ちゃんにも野菜を食べさせようとしたりします。
すりつぶしたりして、スプーンで口の中につっこむ。
でもあまり早い時期に植物性のもの、たとえばほうれん草やニンジンを与えても、赤ちゃんの体の側に植物性のものを消化吸収できる準備ができていないのです。
たとえすりつぶしてあったものでも、下痢してしまってそのまま出てきてしまいます。
赤ちゃんの離乳食としては、あまり消化が必要ない炭水化物や動物性のものの方が適しているのです。

生物学者エルンストヘッケルは「個体発生は系統発生をくり返す」と言いました。
赤ちゃんが胎児から育ってくる時には進化の道筋をもう一度なぞってくる、という意味です。
確かに妊娠初期の赤ちゃんは、最初魚のようであり、動物のようになってだんだん人間らしくなってきます。
姿形と同様に、免疫など体のシステムも進化をなぞるように徐々に完成していきます。
だから赤ちゃんが食べられるものは、母乳->炭水化物や動物性の離乳食->植物性の離乳食というぐあいに、だんだんとバリエーションが広くなってきます。

そう考えると、子どもの偏食も理解できるのではないでしょうか。
子どもがあるものが食べられないのは、まだそのものを消化できるだけの準備が体に出来上がっていないから。
それを食べないと栄養不良になるというなら無理にでも食べさせる意義はあるでしょうが、そうではないなら別に食べなくても困ることはありません。
もしそれを食べないと栄養不良になってしまうとしたら、それは偏食の問題ではなく、医療の問題になると思います。
赤ちゃんに母乳ばっかり飲んでちゃダメ、とは言わないのと同じに、子どもの多少の偏食はもっと大らかに考えていいんじゃないでしょうか。

ぼく自身の経験でも、小学3年生くらいまではトマトとかキュウリとかは苦手でした。
給食で出ても絶対に残していました。
ところが4年生になる頃、急に食べられるようになったんです。
給食の他の食べ物を食べてもまだお腹が空いていた。
じゃあトマトも食べようかなと思って食べたら、美味かったんです。
あんなに嫌いだったのに美味いと感じるのはどうしてなのか不思議でした。
きっとそれは、ぼくの体がトマトやキュウリも十分消化できるだけ成長したからなんだと思います。

そんな経験をしていたので、ぼくが教員だった時には偏食の子に給食を無理強いはしませんでした。
まだ進化の途中なんだと思っていました。
そのうち食べるようになるだろう、と思っていました。
元気なら問題なし、なんです。

でもちょっとは食べてみて欲しいという気持ちもありました。
食わず嫌いならちょっと挑戦して欲しい。
なので、ほんのちょっと、小さじ1ハイくらいよそってあげました。
嫌いなものがたくさんあったら「うげ~」ですが、ちょびっとだったら一口食べてみようという気になるかもしれません。
ちょびっとでも食べられれば自信にもなります。
あんがい美味しいことが分かるかもしれません。
それに、たくさん残して残飯にするのも心理的負担になりますよね。
ちょびっと残すだけなら、罪悪感も少ない。
その子が食べない分は、もっと食べたい子が食べればいい。

というわけで、我が子はっちゃんも順調に元気にスクスク育っているので、偏食はあまり気にしていません。
食べられないおかずは「食べてみる?」と聞いてみることは必ずしますけどね。
でもたいてい「いらなーい」なんですけど。。。
 
免疫の進化については、谷口克『免疫、その驚異のメカニズム』ウエッジ選書\1200-にありました。

2008年10月21日火曜日

長男はひ弱?

こんにちは

ぼくは「長男(長子)」なのですが、いまひとつ丈夫ではありません。
ぼくが教員をやっていた頃の観察でも、長男、長子はひ弱な子が多かったように思います。
どうしてなんでしょうか。

生物というものは、ある面<物質の濃縮機関>です。
たとえば、ふぐの毒。
この毒はふぐ自身が作っているわけではなく、ふぐが食べ物にしているものの中にほんのわずかに含まれている物質(テトロドトキシン)を体内に貯めていくのです。
つまりそれは、ふぐがテトロドドキシンの濃縮を行っているということです。
植物は、空気中の二酸化炭素を光合成によって炭素だけ取り出して、糖分として蓄えます。
つまりそれは、植物は炭素の濃縮機関だということです。

いいことばかりではありません。
水俣病は、工場から排水されたメチル水銀が魚介類で濃縮され、それを食べた人間の神経を侵す病気です。
魚介類が海水に混ざり込んだメチル水銀を、毒性を示すまで濃縮したのです。

イルカは、お母さんイルカが最初に産む子どもはたいてい早く死んでしまうそうです。
それは、お母さんイルカが育ってきた期間に体内に蓄積された<毒>を、胎児を通じて排出するという意味もあるからだそうです。
そのため、最初に産まれたイルカの赤ちゃんはあまり丈夫ではなく、早死にしてしまう。
でも、毒の抜けたお母さんイルカはより健康になることができ、2番目からは丈夫な赤ちゃんを産むことができるというわけです。
イルカに限らず、自然界に住むほ乳類は、最初の赤ちゃんは流産、死産だったり、生まれてもすぐ死んでしまうことが多いそうです。

イルカの場合と同じようなメカニズムが、人間にも働いているのではないでしょうか。
たしかに、赤ちゃんを産んだお母さんはものすごく健康になるように思います。
その分、長男、長子はひ弱になってしまう、というわけです。

実は我が家も長男はっちゃんが生まれる前、流産しています。
結婚して長く子どもに恵まれなくてようやく授かった子だったので、流産したときは悲しかったです。
でも今考えると、ちゃんとその役割をしてくれたのかなーって思っています。
その後生まれた長男には、元気溌剌に育ってほしいと願って「溌貴」と名づけました。
おかげさまではっちゃんは元気元気に育っていますよ!


イルカの第1子が早く死んでしまうということは、いつ誰に聞いたか忘れちゃったのですが、渋谷電力館での科学ゼミナールで聞いた話です。

2008年10月20日月曜日

当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる

こんにちは
 
今年も職場で開催された「電気取扱安全講習」の講師を務めさせてもらいました。
この講習は労働安全衛生法で定められた講習で、研究者自らが実験盤に電線を接続する場合など、安全確実に作業できるようにするためのもの。
労働災害の防止ですね。
 
毎年の講習でぼくが必ず話すことは、
 
 安全のABC理論
 
というものです。
ABCとは、
 
 A 当たり前のことを
 B バカにしないで
 C ちゃんとやる
 
ということです。
 
事故は、自己流、無手勝流から発生するものです。
こうした方が合理的、という自己流が事故を招きます。
人間というのは自分にうぬぼれていますから、決められた作業よりちょっといい考えを思いつくと、そっちをやってみたくなっちゃうんですよね。
決められた作業方法が面倒くさく、馬鹿馬鹿しいやり方に思えてしまう。
 
ところが、たいていの場合それが仇となって事故を生み出すのです。
決められた作業方法には、ちょっと不合理に思えても、そのやり方はこれまでの失敗、事故から得られた教訓が盛り込まれている。
急がば回れ、ではありませんが、その方が安全なんです。
ちょびっと作業方法を合理化して事故になるより、手間がかかっても安全に作業を進めた方が、長い目で見ると仕事は早く終わり、合理的なんです。
 
労働安全衛生法施行規則という法令には、こうした安全に関するマニュアルが詰まっています。
たとえば、脚立の天板には乗るな、なんてことまでこの法令には書いてあります。
脚立の一番上に乗ると確かに危険。
人間は仕事で必要なら、あるいは上司、先輩から命令されれば、危険な作業もしてしまうものなんです。
労働安全衛生法という法令は、労働者自らが危険作業をしないようにするためだけでなく、上司、先輩など使用者側が危険作業を労働者にさせないためのものでもあるのです。
それを防ぐ。
マニュアルを遵守すれば、まず事故は起きないのです。
 
電気取扱安全講習も、こうした安全のためのマニュアルを「知らせる」目的で行うものだと思っています。
マニュアルがあることを知っていれば、自己流、自己判断をしなくてすみます。
ある作業をするとき、何となく危ないなと思ったら、マニュアルを確認する。
そうしてもらえれば、確実に安全は担保されるんだと思うのです。
知らなきゃ、やっちゃいますからね。
 
ぼくのメインの仕事、工事監督にもマニュアルが存在します。
国土交通省でまとめた、「共通仕様書」や「施工監理指針」です。
分厚い本なので、全体を通読したことはありませんが、必要な都度その部分を読むようにしています。
たとえば、工場出荷前検査に立ち会うときは、出荷前にはどんな検査があるのか調べます。
これらの本にはちゃんとそれが書いてあるからです。
 
ぼくは意外とマニュアル主義者なんです。
マニュアルには過去の経験と知恵が詰まっています。
それは失敗の歴史です。
それを学んでおくことは、失敗を防ぎ、未来の確実性をより高めます。
あまりにマニュアルに拘泥するのもいけませんが、無視するのはもっとよくない。
無知と無視は紙一重で、不勉強による無知は無視と同じです。
マニュアルを知っていて、それを現実に合わせてアレンジできるのが、技術者の実力だと思うのです。

2008年10月15日水曜日

小役人攻略法

こんにちは

こんなタイトルで書くと、関口は役人をバカにしているのか、と思われるかもしれませんが違います。
ぼく自身、独立行政法人職員です。
独立行政法人とは、政府とは独立して行政を行う機関です。
行政とは、法律を執行すること。
法律を執行する担当者、イコール役人です。
ですから、ぼくも役人のひとり、ということになります。
だから、役人の気持ちも分かります。

スパコンの建設状況をホームページで知らせるため、ライブカメラを設置することになりました。
建設する建物の高さから考えて、20m以上のポールの上にカメラを乗せたい。
なるべくコストをかけないですむように、既製品の電柱を使うことにしました。

ところが、高さ14mを超えるコンクリート柱は建築基準法では「工作物」となってしまい、これを立てるためには一般の建物と同じく建築確認申請をし、許可をもらわないとなりません。
そんなことになったら、申請図を作成したり、構造計算をしたり、手続きをとったりして、いったいいつになったら柱を立てられるかわからなくなってしまいます。
こりゃ困った。

でも、既製品の電柱です。
既製品ですから、電柱として立てるには何ら問題のない製品です。
電線を支持する電柱は、建築基準法ではなく電気事業法に従って立てます。
もちろん今回の20m電柱も、電気事業法で定められた施工法で立てるわけですから、絶対に倒れる心配はない。
なので、この電柱は建築基準法のコンクリート柱ではなく、電気事業法の電柱だと認めてくれれば、建築確認申請は不要になります。

また、建築基準法にも緩和規定があります。
工事用の仮説物であれば、建築確認申請は不要という条文を見つけました。
なので、この電柱も工事用の仮説物だと認めてくれれば、建築確認なしに立てることができるわけです。

施工者さんに、万が一倒れても近隣住民や一般の通行人に被害は及ばない場所であることを示すために、どこに立てるのか配置図を作ってもらいました。
また、万が一でも倒れないことを示すために、電気事業法で定められた施工法も図面にしてもらいました。

ここまで予習をして、市役所建築安全課に相談に行きました。
安全課の技官の方に、なぜ20mもの電柱を立てたいのか、その目的を説明しました。
これをやる意義を伝えたんです。
その上で、図面を示し、電気事業法の電柱として、あるいは建築基準法の緩和規定として見なせるか、判断を仰ぎました。
その結果、電線が張っていないので電柱としては認められないが、工事用の仮説物としては認めていただくことができたんです。
やったー!

行政マンの役割は、法令を守ることです。
法令に違反することは絶対にできません。
でも、法令にも解釈や裁量の部分もあって、それは担当技官の判断に任されています。
行政との交渉は、この解釈や裁量を認めてもらうことなんです。
そのために、担当行政官がその解釈や裁量を認めやすい状況を作ることです。
 
どんな仕事でもそうですが、要は
 
 相手に安心してもらう
 
ことです。
行政官だってすべての法令に精通しているわけでもありません。
だから、こんな法令もありますよ、と知らせることも大切。
こんな事例もありますよと、前例も知らせることができれば、より万全ですね。
行政的な規制はすべて公共の安全のためにありますから、安全であることを示すことも大切です。
そうやって、行政官が安心して解釈や裁量を認められる状況を作るのが、行政との交渉を上手く進めるコツだとぼくは思っているわけです。

2008年10月14日火曜日

自分というリソースを活かせ!

こんにちは
 
ぼくの仕事は、大規模研究施設の建設の監督員です。
数億、数十億円の規模の建物を造っています。
値段は高いけど、大規模施設の監督員はある意味ラクチンなんです。
だって、値段の高い施設の施工は一流会社の一流社員がやってくれるんですから。
なので、あまり細々したことまでやらなくても、原則的なルール決めだけすれば、工事はきちんと進んでいきます。
 
大規模施設が完成した後、研究が始まるときに、小さな工事の必要が発生します。
研究者がここにコンセントが欲しい、とか、実験装置を置いたらここが暗くなっちゃったので照明を追加したい、とか。
そういう小工事も担当するんです。
小工事だから工事費も小額です。
 
ところが、こういう小工事の監督をするときにこそ、実力が露呈してしまうものなんです。
細々したところまできちんと指示してやる必要があるからです。
段取りをしっかりしてやらないと、いい工事をしてもらえないのです。
 
以下は数年前にぼくの部下に送ったメールです。
小工事を担当してもらったんですが、何度も何度も現場に足を運んだり、施工業者を呼びつけたりしていた。
それを注意したものです。
 
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○○さん!
 
安い工事に何度も手間をとる意義がぼくには分かりません。
誰も彼も無責任だから、何度も業者さんを呼ぶことになってしまうのだと思います。
こういう仕事の仕方は止めてください。

施工に伴う発注者側の事務手間は、通常工事費の10%程度です。
本件で言えば、15万円の工事だとして、15000円。
○○さんの時給を2500円とすれば、6時間。
だから6時間程度で、施工前の現地調査、施工の立ち会い、完了の検査、支払い処理までやらなくちゃいけません。
 
同様に、施工者さんの事務手間も諸経費率が20%くらいなんですから、やっぱり10%くらいにしてあげないと、利益が出ません。
打ち合わせなどで経費をたくさん使ってしまうと、施工費の方で節約することになってしまいがちです。
それは悪い結果を導きます。
打ち合わせも必要なことですが、やりすぎるのはよくないことなんです。
いい仕事をしてもらうためには、きちんと利益の出るような段取りにしてやる必要があると思います。

つまり、発注者も施工者もその仕事に見合った労力(質と時間)でやらないと、ペイしないわけです。
安い簡単な仕事に長時間かけてしまうと、時間当たりの賃金は安くせざるを得ません。
その人は質の悪い人ということになってしまい、どんどん安くなってしまうわけです。
自分を安売りしないように。
もっとコスト意識を持っていただきたい。
たぶん「いい仕事をしたい」という意識が強くて、このような段取りになってしまうのかと思います。
いい仕事をしたいという気持ちは大切です。その点は、感謝します。
しかし、いい仕事をするために無限に時間とコストを使えるわけではありません。
コストパフォーマンスが最適になるように仕事をするのが「技術」なんだと思います。
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仕事が増えたとき、慣れない仕事をするとき、たいていの人はそれを「時間」でカバーしようとします。残業してやっつける。
つまり手間暇時間をかけることによって、解決しようとするわけです。
確かにそういうことも必要です。
でも常に時間で解決しようとすると破綻します。
だって、人間が働ける時間は限られているからです。
集中して最適なパフォーマンスで仕事ができる時間は、せいぜい一日12時間くらいじゃないでしょうか。8時間労働の50%増しが限界です。
それ以上の時間は、効率よく働けず、健康にも悪い。
時間による解決法は、5割り増しくらいまでしか効果がないのです。
 
ではどうするか。
自分の「能力」を上げるのが一番いい。
限られた時間で、より多くの仕事をこなすためには、能力を上げるしかありません。
で、能力は限られた時間でこなすから上がるものなんです。
残業でやっつければいいや、と思っていると、能力は上がらないんです。
なるべく残業しないでやっつけるぞ、と思ってやると、能力は上がっていく。
結果として残業したとしても、頑張った分だけ能力は確実に上がる。
 
で、能力には限界がありません。
もちろん、一足飛びに能力は上がりませんが、時間のように5割り増しで限界になることはない。
10割り増し、20割り増しだって可能です。
特に若い人なら、意識して努力すればガンガン能力は上がっていきます(元々が能力低いからね^^;)。
残業代を稼ぐ、なんてちんけな考えで仕事をしていると、能力は上がっていきません。
 
そしてその差は40代ではっきりと顕れるものだと、ぼくは思っています。
40代にもなって、役職も着いているのに、残業が多く、つまり手間暇時間で仕事をしている人は、能力が低いまま歳だけとってしまった人だと言えます。

2008年10月13日月曜日

誰のためにそれをするのか

こんにちは

今年のノーベル賞は日本人が4人も受賞しました。
4人とも、対象となった研究は1970年代になされたもの。
ノーベル賞に値すると評価が固まるまで、30年くらいはかかるものなんですね。
それを考えると、ぼくが今やっている仕事の中からノーベル賞が生まれる可能性だってあるわけです。
30年後が楽しみですねー。

今のぼくのもくろみは、施設担当者として最大限研究に貢献し、論文の共著者にしてもらうこと。
その論文でノーベル賞をとったら、共著者としてスウェーデンでの授賞式に列席させてもらう。
いいでしょー!あはははは。
 
XFEL木村研究員が加速器学会で発表した論文が出来上がってきました。
ぼくも設備関連のところをちょこっと書きましたが、共著者にしてくれました。
しかも、ラストオーサー。
論文の最初に記載される著者は、ファーストオーサーと言って、その研究をメインに行った実働者。
最後に記載される著者は、ラストオーサーと言って、その研究を指導的立場で実行した人。
ぼくがラストオーサーにふさわしいとはまるで思いませんが、木村研究員に感謝です。

以前、戦略と戦術を区別する技術を書きました。
今やっている仕事が戦略なのか戦術なのか意識的に区別すると、いい仕事ができる。
その時のフォーマットは、

 ○○のために、△△する
 
です。
○○には戦略、つまり目的、目標となることが入ります。
このとき、○○に人や組織の名前を入れてみるのもいいです。
だって仕事の戦略、目的、目標は、究極的には誰か人のためにするものだからです。
 
○○に入る人や組織が、自分や自分に近い場合には、その仕事は間違っているか意義が低い可能性が高いと判断できます。
たとえば、自分のためにする仕事、自分の属する組織のためにする仕事です。
そういうときは、不正が入り込みやすい。
事故米転売なんて、自分や自分の会社のことしか考えなかったから起こった事件だと思います。
逆に○○に入る人や組織が、自分と離れれば離れるほど、その仕事は正しく意義あることだと言える。

『WEDGE』'08.7清水克衛「稼ぐのが勝ち組、そんなモノサシ壊してしまえ」にこうありました。

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人のためにおせっかいを焼いて、感謝して助け合ってきたのが日本人のアイデンティティーです。江戸時代は「稼ぎ3割、仕事7割」と言いました。
「稼ぎ」とは今のウチで言えば本を売ることで、「仕事」とは壊れた橋や埋まった溝を直したり、お年寄りの具合を見に行ったりと、誰かのために何かすることでした。
1日の7割は「仕事」をしていたんです。
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昔は自分の能力の7割は他人のため、公共のために使っていたんですね。
それを「仕事」と定義していた。
たしかに仕事は「仕える」「事」と書きます。
向かっているベクトルは、自分以外の人なんですね。
自分のためのものはそれとは別に「稼ぎ」として区別していたんです。
稼ぎは3割。
そのくらいの割合がベストな人間関係をを作っていけたんでしょうね。

ぼくは上のことをさらに、誰かのために一生懸命やっていると、そのうち3割くらいは自分に返ってくるものだ、とも解釈できるんじゃないかと思います。
自分の能力すべてを仕事に注ぎ込むと、その3割くらいが自分のところへ返ってきて、それが自分を生かしてくれる。
仕事とはそういうもんなんだと思うのです。
もし稼ぎばっかりに自分の能力を注いでしまうと、事故米転売会社のように生きながらえることができなくなってしまうのだと思います。
 
だから、時々自分のやっている仕事を「○○のために、△△する」というフォーマットにあてはめてみて、○○に何が入るのか確かめてみるといい。
○○に自分や、自分の所属する組織が入ってしまうようだったら、その仕事はもしかしたら間違っているのかもしれないと考える。
そうやって軌道修正できると、事故米転売みたいな変なことはしなくてすむようになる。

高橋鍵彌『12歳からの人づくり』致知出版\1300-にはこう書いてありました。

  自分で自分を不自由にすることが我欲なのです。(103p)
 
我欲、つまり自分や自分の組織ばかりしか考えないと、結局は自分で自分を不自由にし、不幸になってしまうものだと思います。
 
ぼくもノーベル賞授賞式列席は夢として、職場の日本の、いや世界の科学技術に貢献していきたいと思っています。
それがいつか自分に帰ってくる日が来ると信じています。

2008年10月11日土曜日

ついで主義のススメ

こんにちは

ぼくは飽きっぽい性格で、一つのことを連続して根を詰めるってことができません。
だから、二つか三つのことを平行してやったりします。
本も3冊くらいをいつも手元に置いて、ある本に飽きると別の本を読むって感じです。
資格試験などの勉強も、二つは平行してやっていて、片方に飽きるともう片方を勉強する。
こうすると飽きずに本を読み続けられたり、長時間勉強をすることができます。

飽きっぽい性格でも、他のことをついでにやったりすると、根気が続くようになります。

観光や出張でどこかに行くときも、ついでにあそこに行ってみよう、とか、ちょっと足を伸ばしてあの店で食べてこよう、とかしています。
ちょっと貧乏くさいやり方ですが、ついでに他のこともやることによって、旅行や出張も楽しさ倍増します。

竹村健一×和田秀樹『第二の人生を10倍充実させる習慣』PHP\1200-に、竹村さんの<ついで主義>について書かれていました。

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金持ちであっても貧乏人でも、有名人も無名の人も、1時間は60分だし一日が24時間であることに変わりはありません。けれども、使い方次第で2倍にも3倍にもなります。
たとえば三つのことを同時にやれば、それぞれについては3倍のスピードでこなしたのと同じです。
つまり時間が3倍になったのと同じです。
私はできるだけ「ついでに」やる、同時にいくつかのことをやることをいつも心がけてきました。
下っ端の駆け出しサラリーマンだったときも「ついでにやる」「できるだけ一緒にやる」を心がけました。
社会人として駆け出しの頃の私は、大阪の『英文毎日』編集部にいました。そこでこころがけていたことは、まず、出張はなるべく週末にかかるようにセットすることでした。
仕事で東京に行くときは、最も早く行ける東海道本線で行く。
当時は新幹線がなかったので、午前中からの予定なら夜行に乗りました。
けれども、帰りは日曜日とか土曜日が入るので北陸本線で帰ったり、その次の出張では中央本線に乗って帰る。
そうやって「ついでに見て歩く」ことで見聞を広めたのです。(竹村、23p)
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先日も、X線自由電子レーザー用の特別高圧変圧器を設置するため、工事計画書を近畿経済産業局へ提出に行きました。
経済産業局の場所を地図で調べたら、大阪城のすぐそば。
よし、ついでに大阪城を見てこよう、と思いました。
予定の時刻より1時間ほど早く着くように行って、ちょこっと大阪城公園を散策しました。
楽しいー。

個性を発揮する

こんにちは

出張中、こんなメールが舞い込みました。

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理化学研究所では、顕著な業績を挙げた職員や研究所のために献身的な業務を行った職員に対して、その功績を称えるために、理事長より感謝状の授与を行っております。
昨年末に感謝状授与候補者の推薦を募ったところ、貴殿の功績について推薦があり、理事長により感謝状授与の対象として決定されました。
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おやまあ、また表彰です。
ありがたいですねー。
表彰理由は、所内ホームページにある「理研の四季」欄に、ぼくが度々四季折々の写真を投稿していて、所員の方たちを楽しませているから、とのこと。
それが「本来の職務を超え自主的に研究所の環境改善、文化向上及び活性化に貢献した」と認められたんですね。

ぼくは仕事柄、理研のあちこちの事業所に行きます。
そこできれいな景色を発見すると写真にとって、それを所内ホームページに投稿します。
ぼくの写真の特徴は、やっぱり仕事柄、建物をメインに撮っているのです。
理研もこの10年あまりで拡大して、全国にキャンパスが広がりました。
新しく所員になった人は、他のキャンパスを見たことがないってことも増えました。
そういう人たちがぼくの写真を見て、他のキャンパスの様子を知ることができる。
それによって、理研に愛着が湧いたり、一体感を持つようになってくれるといいなと思っているのです。

それにしても、ぼくの写真を楽しんでくれ、推薦してくれた人がいるというのが嬉しいです。
糸川英夫『女性人生読本』角川文庫\260-から引用します。

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どういう場合に個性が発揮された、というのでしょう。
自分の好きな歌を歌い、自分の好きな服を着て、自分の好きなバッグを持つことでしょうか。
それもありましょう。
しかし、もっと大きな前提があるのではないでしょうか。
好きな歌を歌ったときに、聞いて共感してくれる人の存在、自分の好きな服を着たときに、その趣味の良さをたたえてくれる人の存在。
鍵はここにあると思います。
つまり、「個性の発揮」とは、それを認め、拍手をしてくれる存在があるか、ないか、によるのでしょう。
絶海の孤島にたった一人で住んでいる人に「個性」が存在するでしょうか。
「個性」がある、というのは、それとくらべるおおぜいの他人があって成り立つのでしょう。
そうすれば、その個性を認め、ほめ、たたえてくれる人の数が大きいほど、そういう人が多いほど、「個性が発揮」された、ということになるのでしょう。(79-80p)
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ぼくもここ数年、今の職場に勤めてから10年がすぎる頃から、いろんなプロジェクトに誘われたり、提案が認められたりするようになりました。
つまり、個性を発揮できるようになってきたと思っています。
それはぼくの仕事が多くの人に認めてもらえるようになってきたからなんですね。

個性とは自分だけでは存在しないものなんです。
それを認め、共感し、褒め称えてくれる人がいるから、発揮できる。
人に嫌がられる個性は個性じゃないんですね。
そこを間違えてはいけないと思います。

ぼくも今回感謝状をいただいたこと、推薦してくれた方がいたことに感謝し、そのご恩に報いて行かなくちゃと思いました。
多くの人に喜んでもらえる仕事をしていきたいと、背筋をピンと伸ばしました。

そしてますます個性的なぼくになれるように、楽しくがんばっていきたいです! 

ありがとうは二度言おう

こんにちは

若い技術者君たちを理研の一般公開日に案内した話をしました。
その後日、彼らと一緒の打ち合わせがあったとき、その技術者君のひとりがぼくのところへやって来て「先日はありがとうございました」って言ったんですね。
おー、こいつはなかなか人間ができておる、信頼するに足る人物じゃ、こいつとならいい仕事ができるぞ、と思いましたよ。
ぼくも休日返上で案内した甲斐がありました。

彼からは既に電子メールでもお礼が来ていたんです。
それに加えて、会ったときにもひと言お礼を言う。
ここがポイントですね。

電子メールには速報性があるから、すぐにお礼を伝えることができます。
でも所詮機械での伝達、ちょっと暖かみに欠けます。
それを補うために、次に会ったときにも礼を言う。
これが効果的なんですね。
ぼくも真似したいと思いました。

藤尾秀昭『小さな人生論2』致知出版\1000-に「不幸の三定義」というのが書いてありました。

 一、決して素直に「ありがとう」と言わない人
 一、「ありがとう」と言っても、恩返しをしない人
 一、「ありがとう」と唱えただけで恩返しはできたと思っている人

なるほどです。
不幸にならないためには、この逆を心がけていればいいってわけです。
ありがとうと言わないのは以ての外ですが、一度言ったらそれでOKだと思っちゃいけないんです。
だめ押しのようにもう一度言う。
そしてさらに行動でも示す、つまり一寸した心遣いをするのもハッピーへの道ですね。

オーケストラは工業製品

こんにちは

ピアノはクラッシック音楽に欠かせない楽器です。
この楽器、かなり昔から存在すると思っていたら、意外と新しい楽器なのです。

ピアノは、以前はピアノフォルテと呼ばれていましたが、小さい音(ピアノ)から大きい音(フォルテ)まで幅広く表現できるのが特徴です。
ピアノには、ピアノ線が張ってあります。
このピアノ線をハンマーで叩いて、ピアノは音を出します。
鍵盤を強く叩くと、とても大きな音がします。

大きな音を出すためには、ピアノ線をピンと強く張らなくてはなりません。
ピンと張る力のことを張力といいますが、ピアノ全体では20トンもの力で引っ張っているのです。
この大きな力を支えているのは、鉄でできたフレームです。
鉄製のがっしりとしたフレームが作れないと、ピアノは作れないのです。

そもそもピアノ線自体、鋼鉄製です。
いったん調律したら、そう簡単に音が狂っては困ります。
大きな張力にも耐えて、延びたり切れたりしてはいけません。

ピンと張ると、音は高くなってしまいますから、低い音を出すためには太いピアノ線を張る必要があります。
ピアノのふたを開けて低い音のピアノ線を見ると、一本のピアノ線の周りに太いピアノ線がぐるぐると密に巻き付けてあります。
こんな精密な加工もできないとなりません。

つまり、ピアノは「工業製品」なのです。
鉄工業が発展し、安定な鉄製品が製造できるようになったのは、産業革命以降です。
産業革命は西暦1800年頃に起こりました。
この頃になってようやく、安定した鋼鉄が製造できるようになったのです。
ピアノもこの頃できた楽器だったのです。
ですから、せいぜいまだ200年程度しか経っていない楽器なのです。

ではなぜピアノは大きな音を出す必要があったのでしょうか。

産業革命以前、音楽は貴族が室内楽として楽しむものでした。
少人数で聞くわけですから、それほど大きな音を出す必要がありません。
ピアノの原型となる楽器はチェンバロですが、弱い張力で張った弦を鳥の羽ではじくだけの楽器です。とても小さな音量しか出ませんが、室内楽なら十分でした。

産業革命によって、ブルジョア階級という市民が生み出されました。
ちょっとお金を持っていて、余暇も楽しめる人々ですね。
そういう人が音楽を楽しみたくなったわけです。
この頃初めて、貴族以外にも音楽を楽しみたいという需要が生まれたのです。

ブルジョアの人たちはちょっとお金を持っていても、貴族ほど豪勢なことはできません。
なので大きなホールに集まって、みんなで音楽を楽しむようになったわけです。
すると、室内楽程度の音量では小さすぎて聞こえません。
大きな音量を出す仕組みが必要になりました。

そこで発明されたのが「オーケストラ」。
バイオリン、チェロなどそれ自体で大きな音が出ない楽器は、演奏者数を増やすことによって大音量にしたんですね。
ピアノは鉄工業のおかげで、大きな音を出す楽器へと変身できたわけです。

オーケストラもずっと昔からあると思っていたら、これも産業革命以降に発明された200年程度しか経っていないものだったんです。
コンサートホールでオーケストラの音楽を聴くなんて、お金持ちの趣味みたいに思っていましたが、小金持ち程度の趣味だってことです。
その意味で、オーケストラも近代が生み出した工業製品のひとつと言ってもいいかもしれませんね。


ピアニストの中村紘子さんの講演会を聴いて、それをヒントに、ちょっと調べて書いてみました。

日本人の研究力はすごい!

こんにちは
 
今年のノーベル賞は日本人受賞者が4人も出ましたねー。
日本人の研究力が世界的に認められて嬉しいです。
これでまた日本の科学技術界も自信を持てましたね。
政府の科学技術予算、民間の研究開発費も増えるかもしれませんね。
またぼくの職場でも新たなプロジェクトが立ち上がるかも。
ぼくは今取り組んでいるスパコンとXFELプロジェクトが大成功したら、理研を辞めて教育業界に戻るつもりですが、面白い仕事があったら辞められなくなっちゃいますよー。
あはははは。
 
『たのしい理科授業』'03.9に書いた原稿をお読み下さい。
ノーベル賞が増えることをちゃんと予想してますよー。
なんちゃって!

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ノーベル賞・日本人受賞者はもっと増える!

昨年のノーベル賞は、小柴先生の物理学賞、田中先生の化学賞のダブル受賞で、日本は沸き立ちました。
特に化学賞は3年連続の受賞で、日本の研究レベルの高さを世界に知らしめました。

日本の研究環境は、既に世界のトップレベルとなっています。
平成14年版『科学技術白書』から数字を拾ってみましょう。

はじめに研究者数をアメリカ、EUと比べてみましょう。
科学者全体の数ではアメリカが111.4万人、EUが93.2万人、日本が72.8万人ですが、人口1万人あたりで比べるとアメリカ41.6人、EU24.7人、日本57.2人となっています。
人口あたりの研究者数では、日本は世界一となっているのです。

次に研究費を見てみましょう。
アメリカ28.6兆円、EU20.6兆円、日本16.3兆円となっています。
これを研究者数で割ると、研究者ひとりあたりの研究費では、ほぼ互角です。

それでは研究成果である特許数はどうでしょうか。
出願数では、アメリカ221万件、EU203万件、日本79万件ですが、特許として認められた登録数は、アメリカ19万件、EU23万件、日本21万件とこれも互角です。
特許数は応用研究の充実度を示しています。
 
では、基礎研究の分野ではどうでしょうか。
マスコミなどでも、日本は基礎研究が弱い、外国から基礎研究を輸入して応用することだけが上手い、などと言われています。
これは事実なのでしょうか。

実は、基礎中の基礎である理論科学の分野でもトップを走っているのです。
これは、日本のコンピューター環境の充実が大きく効いています。
近年の理論研究においては、コンピューターによるシミュレーションや数値計算は欠かせません。

日本の大型コンピューターは世界最高水準の性能を持っています。
これが日本の大学、研究所のそれぞれに配備され、研究者の共同利用が可能になっています。
基礎研究を学ぶ大学院生でさえも、かなり自由に使えるようになっています。

アメリカにも大型コンピューターはたくさんありますが、軍事、産業目的の使用が優先され、基礎科学の研究者はあまり自由に使えないのです。
その上、アメリカはコンピューターに関して大変厳しい貿易障壁を設けているため、日本製の安くて性能の良いコンピューターを輸入することができないのです。

だから、アメリカに留学している日本の研究者は、インターネットで日本のコンピューターにつないで計算をしていたりするのです。
アメリカの研究者も、日本のコンピューターを使いたいがために日本人研究者との共同研究をもちかけてきたりもしているそうです。
おかげで、素粒子論や宇宙物理学のような基礎科学の分野でも日本はトップを走っているのです。

それではなぜ今まで、日本人研究者のノーベル賞受賞は少なかったのでしょうか。
ひとつにはノーベル賞の受賞対象分野が限られているということがあります。
日本人研究者は、工学分野、農学分野を専攻する研究者が多いのですが、ノーベル賞に工学賞、農学賞はありません。

もうひとつは、ノーベル賞は基本的に個人の業績に対して贈られる賞であるということ。
ところが日本人の研究は、グループで行われる場合が非常に多いのです。
日本の伝統的な研究スタイルと言っていいかもしれません。
強いリーダーシップを取れる教授の元に優秀な若手研究者が集まり、切磋琢磨をしながら協同で研究を進めていく。
まさに、小柴先生のグループの研究スタイルです。
日本の集団による研究スタイルと、個人に与えられるものというノーベル賞のコンセプトが、今まではあまりなじまなかったのです。

しかし、ノーベル賞の選考基準も個人の業績に限らないようになってきました。
それが小柴先生の受賞につながったのでしょう。
今後、日本人受賞者は絶対増えます!
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2008年10月9日木曜日

理想を掲げよ

こんにちは
 
ぼくは出勤するとまず、手帳を確認して、今日やらねばならない仕事、やりたい仕事を反故紙の裏に書いてリストアップします。
そしてそれらをがむしゃらにやっつけていく。
やっつけるごとに、×をつけていくんです。
 
だいたい一日8~10項目くらいリストアップしますが、たいていの場合その6割から8割しか終わりません。
優先順位、重要度の高い仕事から片付けていくので、それでも問題はないわけです。
6割から8割しか終わらなかったからといって、計画性がないなーとか、悲観したりはしない。
おー今日も60点、合格だ!と思って、気分よく退勤します。
 
予定していたこと全部ができちゃうっていうことは、実は自分に甘いんじゃないかって思うんです。
100点とる人は、確実に100点取れるだけの課題しか自分に与えていない。
それじゃあ自分を伸ばすことができません。
自分に負荷をかけるためにちょっときつめの課題を自らに課す。
そうするからがんばるし、伸びることができるって思うのです。

藤巻幸夫『自分ブランドで勝負しろ!』インデックスコミュニケーションズ¥1300-にこう書いてありました。

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私は、やりたいことを10個ドカンと打ち上げて、3つは達成するも、あとの7つは成しえないようなスタイルでいいと思っている。
もちろん、そんなスタイルでは、「大きなことを言っておいて、結局できたのはこれだけじゃないか」と周りからの失笑を買うこともあるだろう。
だがそれが何だというのだ?
きっちりと結果を残せなくたって、別にどうってことないじゃないか。
自分の中にやりたいことが常にあふれていたら、それだけで一生涯楽しくないだろうか?(229p)
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まったく同感です。
ぼくは「理想主義は怠惰の隠れ蓑」だと思っていますから、完璧にやろうとはちーっとも思っていません。
やりたいことを山盛りにして、ガシガシとそれを片付けていく方を選びます。
そしてギリギリ合格点までもっていく。
その方が気持ちいい。
つまり、理想は大きく掲げるようにしているんです。
理想を高く持ち、少しでもそこに近づこうとする。
 
100点とるような人は、理想が低すぎるんです。
理想主義者は理想通りにできないと、それを失敗と捉えてしまいます。
その結果、理想を達成できないならそれをやる必要はない、ということにしてしまう。
「それは理想とほど遠いよ」なんて言うだけで、自らは何もしない。
理想主義者はこうして現状に甘んじてしまうのです。
 
ぼくは自分のことを「実務者」であると規定しています。
実務者とは、一歩でも二歩でも前に進む人のことです。
完璧にはできなくても、たとえ1%でも10%でも理想に向かって近づこうとする人です。
少しでもいいから現実を変えていく人のことです。
そのために「行動」し「努力」する人のことです。
そして、理想を決して手放すことがない人のことです。
そうすれば、自分の中にやりたいことがなくならない。
やりたいことが自分の中に常にある人生の方が楽しいと思っているのです。

情報とは情けに報いること

こんにちは

ぼくの部署の部長が替わって1週間が経ちました。
ここ3代、約10年、部長ポストは財務省からの天下りの方が来ていました。
新部長はようやくプロパーの方です。
まだちょっとしか話をしていませんが、やっぱり理研に対しての愛情が違うのがわかります。
 
何より部下とのコミュニケーションを積極的にとろうとしているのがわかります。
ちょっとしたスキマ時間に雑談するんですよ。
仕事の話だけじゃなく、家族の話なんかもする。
やっぱり仕事をする上でも家族の事って大事じゃないですか。
家族が安定しているから仕事の負荷もかけられるってもんです。
 
子育てが大変そうだとか、親を介護しているとか、誰がどんな状況なのかも考えずに、ただ命令してもいい結果は得られないものです。
部下は上司からの命令なら、嫌でも従わないとなりません。
でもできないものはできないから、仕方なくどこかで手を抜くしかなくなってしまう。
そうすると、失敗してしまう確率が上がってしまうものなんです。
 
上司ならそこまで知って、采配したり配慮したりしないと、部署としてのパフォーマンスは上がりません。
当然ながら、上司自身の家族のことなども部下にもさりげなく話す。
話しやすい雰囲気をつくるためには、自分のことも言わなくちゃね。
 
藤巻幸夫『藤巻の法則』日本実業出版社¥1300-にこうありました。
 
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元気な会社のオーナーほど、社員に自分のDNAを移植することにすごくマメだし積極的。
とかく会社が大きくなると有頂天になるバカな経営者と違って、ちょくちょく売り場などに顔を出して現場の人たちと接する。
そして、一人ひとりに自分の考えやスピリットが伝わっているかを確認している。
不十分だと感じれば、その場で一から伝えたりもする。
「小言を言えば大事に至らず」。
気がついたときにすぐに解決しておけば、大変なことにはならないものだ。(106p)
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コミュニケーションは大事です。
特に現場に出て、現場の雰囲気を全身で感じることです。
雑談の中からも、雑談するから現場の事情がわかってくるものです。
現場の人たちと普段から気軽に雑談できる関係を作っておくのも、上司の努めですね。
そうすると何か問題があるのかどうか、肌で感じることができる。
問題があっても初動が早ければ、被害を小さくすることもできるんです。
同書にこうも書いてありました。
 
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「情けに報いるのが情報」。
これは東洋思想の大家、安岡正篤氏が著書で語っている言葉だけど、まさにそのとおり。
人と人とが直接会い、互いの心が通い合って、そして互いに報い報われてこそ、はじめてその情報は知識や知恵になるんだ。(146p)
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コミュニケーションは、情けに報いることこそが本質なんですね。
ただ情報を受け渡すことなんじゃない。
相手のことも自分のことも知り合って、諸事情勘案した上でお互いにハッピーになれるよう、加減をしていく。
それが、情報の本質なんだと思いました。
 
そのために雑談。
ややや、デキル上司がやってきましたなー。
嬉しい、嬉しい。

2008年10月8日水曜日

自分の見つけ方

こんにちは

今ぼくは次世代スパコンとX線自由電子レーザーの建設の仕事に熱中しています。
ともに世界初、世界一の研究施設になるものです。
さすがに数百億円以上の国費を使ってのプロジェクトですから、あとからあとから解決すべき問題が湧き出してきます。
ひとつ解決すると、新たな難問が二つ三つと顕れる。
もーかんべんしてよーって思ったりもしますが、もはや逃げることはできませんから、ひとつひとつやっつけていくしかありません。

幸いにしてやり甲斐もあって面白い仕事なので、それほど疲れません。
もちろん精神が高揚しているからなんでしょうから、もう中年という年齢になっている肉体が追いついて行けない可能性もあります。
なので休日は極力仕事をしないようにして、身体と脳を休めるようにもしています。
健康を害してしまっては元も子もありませんからね。

谷口克編『病に挑戦する先端医学』ウェッジ\1400-にこう書いてありました。

 人間の場合は、情動系というところがいろいろ感じて、
 たいしてモチベーションが湧かないことを無理矢理やらされたりすると、
 ストレスになると一般に言われています。(151p、岡野栄之)

同じストレスでも、モチベーションの湧かないことを無理矢理、嫌々やらされると、悪いストレスになるんですね。
自らの意思で楽しんでやれば、ストレスも歓迎すべきことなんです。

内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川書店\1500-にもこうありました。

 使命感や自負を持たない人たちはストレスに弱い。(39p)

ぼくも、オレが世界一の研究施設のインフラを造る仕事を引っ張っているんだ、という気概があります。
これはオレにしかできないことなんだ、という(ちょっと傲慢な)自負もあります。
心地よい精神の張りを感じられて、とてもハッピーです。

天才北野武さんのプロデューサーである森昌行さんの著書『天才をプロデュース?』新潮社\1200-から引用します。

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何かをやり始めたら、問題はどんどん増えるものです。
問題を解決することで「自分は何が分かっているのか」が分かると同時に、「自分は何が分かっていないのか」も見えてきます。(169p-170p)
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ちょっと面倒だと思うけど、解決すべき問題が次から次へと湧き出してくるのは、当然のことなんですね。
それは自分が「動いている」からです。
動くことによって視界が広がるから、問題となることも見えてくるということです。
多くの問題が見えてくると言うことはすなわち、自分が進歩している証拠なんです。
大きな仕事をしていれば、向き合っているトラブルもまたふつうの人より多いのは当然なんだと思います。

自ら動いている人は、こうやって自分を高めていくんでしょうね。
何もせず動かない人は、視野が狭く何も見えていないから問題にも気づかない。
動くからこそ自分とは何かが分かってくる。自分の使命が明確になってくる。
動かず何もしないままの人生なら、自分とは何者かさえ分からないままになってしまうんですね。
ラクかもしれませんが、そんなのはつまらない人生だとぼくは思います。

ぼくにどこまで出来るか分かりませんが、まだまだこのちょっとハードな日々を楽しんでいきたいと思っています。
ザクザクと難問をやっつけ、それを乗り越える度に、「あ、オレってこういう人間なんだ」「オレはこれをやるために生きているんだ」、と分かってくるのも快感だしね。

2008年10月7日火曜日

出世とは何か

こんにちは
 
先週、播磨研究所XFEL専用特高施設の近畿経済局技官による安全管理審査が行われました。
スタッフの準備も万端で、無事合格。
「しっかりと自主検査がなされている。記録も大変良くまとまっている」とのコメントまでもらえました。
もちろんぼくも努力しまたが、これもみんな優秀なスタッフに恵まれたからです。
感謝、感激。
 
審査の翌日は、所轄消防署と協議。
加速器を置くトンネル内の誘導灯を、運転中消灯させてもらうためです。
誘導灯が光っていると、ビームのモニタがしにくくなってその光が邪魔なんです。
運転中は無人になるトンネルなんですから、避難誘導灯を点灯させておく意義はありません。
法令上、劇場や映画館などでは上演中消灯できるという緩和規定があります。
同じように、加速器トンネル内も緩和規定を適用してもらおうと思ったわけです。
消防署の担当官にその意義、安全担保策を説明し、納得してもらうことができました。
嬉しい、嬉しい。
これも事前準備をしっかりとしてくれた、施工スタッフのおかげです。
 
そんなこんなで出張しての仕事を一生懸命やった1週間でした。
そして久しぶりに自分の事務室(本所施設部)に出勤してみたら、あらびっくり。
部長が交代していました。
まるで知りませんでした。。。
 
かようにぼくは社内人事に疎い。
これでは出世できるわけがありません。
万年課長代理なのも当然でしょう。
あはははは。
 
でもね、藤巻幸夫『自分ブランドで勝負しろ!』インデックスコミュニケーションズ¥1300-にこう書いてありましたよ。

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出世とは「世に出る」と書く。
会社に評価してもらうためではなく、どこに行っても通用する自分になるためにがんばること。
これは、案外、出世をするうえでの王道と言えないだろうか?
高い志をもって努力し続けていれば、いい組織なら必ずだれかがあなたに目を留めてくれるはずだ。
そしてこれに伴って結果的にポジションもついてくる、というケースは、決して少なくないのである。(32p)
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まあぼくも社内人事より、自分の目の前の仕事を一生懸命やっている、ということです。
だってその方が楽しいからね。
目の前の仕事を一生懸命やって、課題をバッサバッサとやっつけていく快感。
ついそっちに夢中になっちゃうんですよ。
 
おかげで「どこに行っても通用する」スキルも身に着けてきている、と自負してもいるんです。
将来大物、今小物、だと思い続けて、もう40代も後半になってしまいました。
ぼくの仕事ぶりを見て、ぼくを買ってくれる人がきっとどこかにいるはずです。
そういう淡い期待と欲望も持っているんです。
なんちゃって。

本当に必要な少子化対策

こんにちは

日本では少子化が問題になっています。
少子化の原因は、女性の晩婚化だと言われています。
結婚しない女性も増えているとも言われています。
確かにぼくの職場でも、バリバリと働く若い女性がたくさんいます。
総じて若い男性職員より優秀だったりするので、結婚して辞められちゃったら困るなあ、なんて思ったりもします。
だからぼくの職場でも、託児所の充実など働く女性が安心して結婚して子どもを産めるような施策がとられたりしています。
 
世の中の少子化対策は、子どもを産んでも安心して働けるようにするためのものが多いように思います。
このことは良いことだと思います。
でもなぜ最近の女性は晩婚化しているのか、そこが不思議なんです。
子どもを産むには先ずは結婚です。
なぜ女性は結婚しなくなっちゃったんでしょうか。

総務省「人口の動向」という資料があります。
ここに、生涯未婚率や初婚年齢の統計がありました。

女性の生涯未婚率と初婚年齢を調べてみました。

 年  生涯未婚率(%) 初婚年齢(歳)
1965   2.52       24.82
1980   4.45       25.11
1985   4.32       25.84
1990   4.33       26.87
1995   5.10       27.69
2000   5.82       28.58

確かに未婚率もジワジワと増えていますし、初婚年齢も上がっています。
ぼくの産まれた頃に比べて、未婚率は倍以上になっていますし、初婚年齢も約4歳遅くなっています。
2000年の初婚年齢が28.58歳というのは、ぼくの教え子の女の子も26歳~30歳くらいに結婚した子がほとんどでしたので、その実感に合致しています。
統計によれば確かに、結婚しない女性が増えているのは事実のようです。

ついでに男性の生涯未婚率と初婚年齢を調べてみましょう。

 年  生涯未婚率(%) 初婚年齢(歳)
1965   1.50       27.42
1980   2.60       28.67
1985   3.89       29.57
1990   5.57       30.35
1995   8.89       30.68
2000   12.57       30.81

なんと!最近では男性の方の生涯未婚率の方が高いのです!
特に1990年以降に男性の未婚率はグーンと上昇しています。
2000年のデータによれば、10人に一人以上の男性は結婚しないことが分かります。
確かに男女とも未婚率が高くなってきていますが、男性の方がより顕著なのです。
女性の2倍以上の男性が、結婚しないのです。
結婚できない、という方が正しいのかもしれません。

ここからはぼくの邪推です。
なぜ最近は、男性の方が未婚者が多くなったのか。
なぜ、男女の人口はほぼ同数のはずなのに、男性の未婚者が多いのか。

1990年といえば、バブルが崩壊の時期と一致します。
失業率、特に若者の失業率が上昇したのもこの頃からです。
フリーターも増えましたね。
また、それまでの日本のシステムだった年功序列賃金、生涯雇用が崩れ始めた頃でもあります。

結婚には愛情も大事ですが、経済的基盤も重要です。
この頃から、結婚生活を維持するだけの経済力を持つ若い男性が少なくなってしまったのが、男性の未婚率を上昇させた理由なのではないでしょうか。
きちんとした仕事を持っている青年なら、たとえ今は貧乏でも明るい未来を信じて結婚してくれる女性もいるでしょう。
きちんとした仕事をしていなくても、目的を持ってフリーターをしている青年なら好いてくれる女性もいるでしょう。
でも、夢もなく目的もなく何の努力もしていないフリーターの男性だったらどうでしょうか。
そういう青年と結婚してもいいという女性はめったにいないのではないかと思います。
だって、今も未来もダメな男なんですから。
そういう男性と、未来を共有することはできません。
結婚とはある意味、共に未来を描くことなんですから。

1990年以前は、夢もなく目的もなく何の努力もしていない青年であっても、どこかしら受け入れてくれる会社があったのではないでしょうか。
どうしようもない若者でも引き受けてくれて、仕事の中で鍛えてくれた中小企業の親父みたいな社長もいたんじゃないでしょうか。
箸にも棒にもかからないような若者でも、鍛えてもらって一人前になることができた。
そうして経済力を保障することができたから、適齢期にもなれば結婚してくれる女性もいたのではないでしょうか。

今はそうした受け皿もなく、ただ何となくフリーターをやっている青年、フリーターにしかなれない青年が増えてしまったのが、男性の未婚率を引き上げた原因なのではないかとぼくには思えるのです。
結婚しないのではなく、結婚できない男性が増えてしまった。
女性が、この男性となら結婚してもいいかなと思える男性が減ってしまった。
最近、秋葉原無差別殺傷事件などおかしな事件が多くなっているのも、結婚できない男性の無力感から来るのではないかと思えます。
 
だから、今最もやらなくてはならない少子化対策は、しっかりとした青年を育てることだってぼくには思えるのです。
夢を持ち、目標をもち、努力していく青年。
女性が結婚したいと思える青年を育てることなんじゃないか。
子どもを産み、一緒に育てていけるだけの安心を女性に与えてくれる青年を。

今度ぼくの職場の広報活動のひとつとして、小学校での出張授業をすることになりました。
子どもたち、特に男の子に夢を与えられるような授業をしたいなと思っています。
それがぼくなりの少子化対策だって思うからです。