2008年11月29日土曜日

いい顔になろう!

こんにちは

誰にだって挫折経験はありますよね。
失敗してしまった、思うとおりにはいかなかった。
自分の非力さを思い知らされて、がっくり来ることが。
そこから立ち直るとき、人は二種類に分かれるようです。

どうやって敗者復活戦を闘っていくか。
一つは、自分の至らないところ、不足する力を補おうと、努力を始める人。
あるいは、自分の長所をさらに伸ばし、アドバンテージを確保していこうという人。
要するに、自分を変えていくことで人生の再挑戦していこうとする人ですね。

もう一つは、自分のことはさておき、それより他人のアラを探し出す人。
確かに、他人の弱点を掴めばその分自分にアドバンテージが生まれます。
他人を引きずり下ろすことで、自分を勝者にしようという考えです。

前者が「絶対基準」による戦略、後者が「相対基準」による戦略と言えそうです。
果たしてどっちが楽に闘っていけ、最終的にハッピーになれるのか。
ぼくは前者を選びたいですね。
だって他人のアラを探すのって、疲れるもん。

いつも他人を気にして、自分より上にいるヤツ、上に行こうとするヤツの行動を見張っていなくちゃいけない。
何人も何人も見張り続けて、誰かがミスをしないか、落ち度はないか探し続ける。
これは並大抵な努力ではできませんよ。

それで何回かは誰かを引きずり下ろすことに成功するかも知れません。
でも、それだけ自分の努力と労力を傾けたとしても、自分の実力はちっとも上がっていないのです。
追いついてくるヤツ、突き上げてくるヤツは後から後からやってくるんです。
その数はどんどん増えていくわけですよ。
だって、自分はずっと同じ場所にいて、それを迎え撃っているだけなんだから。

そうなると、いつも不安の中で生きなくちゃならない。
自分に実力がないから、いつまでたっても自信を持てない。
それって非常に疲れることだと思うんですよ。

それならもっと自分を安全確実な場所へ移動させちゃう方が楽でしょ。
他のヤツらはおいそれとはやってこれない場所、追いつけない場所まで行ってしまえばいい。
安全地帯にまで行ってしまえれば、心安らかになれるはずです。
もちろん、安全地帯に行くまでにはそれなりの努力は必要ですよ。
でも少なくともしばらくはのんびりハッピーに生きることができます。

そして自分の実力が上がったという自信が生まれ、心に余裕が生まれます。
余裕が生まれれば、さらに上を目指すパワーが生まれてくるんです。
またがんばろう、努力しようという気力が生まれる。

だからぼくは自分を鍛える方を選ぶ。
同じ努力をするなら、こっちがいいとぼくは思っています。
それにねー、他人のアラばっかり探していると、人相悪くなりますからね。
健康にも悪そうです。

林道義『母性の復権』中公新書\660-から引用します。

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表情というものは、長い人生のあいだに、その人が体験してきた感情生活の現れである。
感情生活が豊かで、しかもいつも洗練されたよい感情を抱いている人は、顔の表情が豊かで穏やかで、笑顔が基本になった表情になる。(36p)
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自分の弱さを自覚して自らを鍛えていけた人は、自信が生まれいい顔になれるんだと思います。
リンカーンが「40歳を過ぎたら顔に責任を持たねばならない」と言ったのは、40歳過ぎたら自分の生き方、生きる姿勢を確立していなくてはいけない、という意味だったんでしょうね。
他人を蹴落とすような生き方ではなく、自分を鍛えてきた人間は美醜はともかくとして、いい顔になっているはずなんです。

40歳を過ぎた頃から、顔を見ればどんな生き方をしてきたか、それが一目瞭然になってしまうわけです。
それが「顔に責任を持て」ということなんだと思います。
脳科学的にも、脳が正しく働き、喜びに満ちた生き方をしていると、顔にもそれが顕れることがわかっています。
顔は脳の反映なんですね。

もう5年くらい前でしょうか、藤原和博さんに泰明小学校で開催されたイベントの時にご挨拶したことがありました。
それ以前から藤原さんの講演を聴いたり、ホームページの掲示板に書き込んだり、何度かメールのやりとりはしていたんですが、直接お会いするのは初めてでした。
その晩藤原さんからメールをもらいました。「よっちゃんも晶ちゃんも、思った通りいい顔してました!」とっても嬉しかったです。
嬉しさと共に、背筋もシャンとしました。
これからもいい顔であり続けたいな、って。

2008年11月26日水曜日

何割かの人に嫌われる戦略

こんにちは

出張授業を担当してくれた播磨研広報担当の方からこんなお手紙をもらいました。

 先日は楽しい授業をありがとうございました!
 私もとても勉強になりました。
 関口さんに教えてもらったら、私ももっと
 理科が好きになっていたかも?と思います。

うれしいですねー。
ぼくは、本質的な授業は子どもはもちろん、大人も楽しいと思っています。
それが伝わってうれしいです。

ところでぼくは、職場の労働者代表のひとりに選ばれました。
我が理研も労働組合の組織率が落ちて、代表権がなくなってしまった。
そこで選挙によって労働者代表を選ぶことになったのです。
ぼくは出張などが多く、満足に労働者代表としての務めを果たせないかもしれませんが、やれることを誠実にやっていこうと思っています。

ぼくが今職場の労働環境で気になっていることは、30代前半の係長レベルの若い女性職員に辞めてしまうことが多いこと。
今の若い女性は優秀ですからね、もったいないですよ。
本当に自分の意志で辞めているのならそれもいいんですが、働き方が合わない、残業が多くて家事育児と両立しないから、仕方なく辞めるということなら、改善していかなくちゃって思うのです。
ぼくの最重要課題として取り組んでいきたいと思っています。

さて労働者代表選挙はぼくに対する信任投票によって行われました。
結果は、全員が信任してくれたとか。
え?って思っちゃいました。
ぼくは確実に2割くらいの人には嫌われているはずなんです。
はっきりものを言うからね。
その2割の人も信任したってわけ?

選挙管理委員の人に質問してみました。
そうしたら、投票した人は全員信任だけど、投票しなかった人もいた、とのこと。
なるほど。
ぼくを嫌いな人は、積極的に不信任にはせず、消極的不信任として投票しなかったってわけですね。
逆に考えれば、積極的には不信任できなかったってことです。

おかげでますます自信がつきました。
オレのやっていることは間違っていないと。
わはははは。

『徒然草』第188段も、いいこと書いてありますよ。

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一つの事をかならずし遂げようと思うなら、他の事がだめになるのを残念がってはならない。
人の嘲(あざけ)りを気にしてもならない。
万事を犠牲にしないかぎり、一つの大事が成るはずはない。
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ぼくは、全員と仲良くやることはあきらめちゃったんです。
世の中には、会社をよくしよう、社会をよくしよう、みんなをハッピーにしよう、とちっとも考えず、自分の思い通りにしよう、誰かを引きずり下ろそうとばかり考える人が確実にいます。悪魔です。
こういう人とまで仲良くしようとすると、自分の時間と労力と心を吸い取られてしまいます。
そうすると本来仲良くすべき人たちへの時間と労力と心をなくしてしまうのです。
だから悪魔とはなるべく関わらず、嫌われてもいいことにしちゃったんです。

そうすると、悪魔たちは陰で悪口を言ったりしてきたりしますよ。
でも兼行先生の言うように、人のあざけりなんか気にしないんです。
くだらないことに関わらず、自分のやるべきことを着実に誠実にこなしていく。
その方が自分も周りの人たちもハッピーになれ、ちょっとずつでも会社や社会をよくしていくことができると、思っているのです。

2008年11月25日火曜日

プロは慎重

こんにちは

今建設中の次世代スーパーコンピュータに電源を供給する、関西電力の新変電所が完成したというので、さっそく見学させてもらいました。
ついでに、そのまた大元の変電所や給電司令所も見学。
楽しかった~。

給電司令所とは、神戸管内の配電用変電所の状態監視、操作が遠隔でできるところです。
こちらも完成したばかりとのこと。
監視、操作を遠隔でできるようにしたため、各配電用変電所は完全に無人化されたそうです。

給電司令所には、監視設備とまったく同じシミュレーターが置いてありました。
そこで、関西電力の技術者さんが、保守点検のための制御プログラムを作成していました。

ぼくは疑問に思いました。
せっかく全部自動化したのに、制御プログラムをいちいち作成するのはなぜ?
その答えはというと。

 ・電気事故の場合は、安全に遮断するための手順が確立されているので
  制御プログラムは完全に自動化している。
  また、制御装置が完成するときに念入りに試験をしているので、
  事故対応は完璧になっている。
 ・保守点検のための制御は、その保守内容によって異なるので定型がない。
  定型がないので、すべての場合を想定したプログラムをあらかじめ作成
  するのは困難である。
  その都度プログラムを作成する方が合理的。  
 ・さらに、制御プログラムを作成する技術者の育成も継続させる必要がある。

作成した制御プログラムをシミュレーターで確認し、実際の作業に支障がないことを十分確かめるわけです。定型のない制御なので、いきなり実機で制御することは危険です。
ある制御をしたために、思いもしなかった事故対応の自動制御が働く可能性があるからです。
監視制御装置はあくまで事故対応を優先して作られているからです。
そういう思いこみ操作を防ぐために、シミュレーターで確認するわけですね。

今『徒然草』なんて読んでいます。
ぼくは古典の素養がないので、もちろん現代語訳。
第187段にこんなことが書いてありました。

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どのような道であれ、専門家というものは、たとえ下手でも、上手な素人と比べれば、かならずまさるものだ。
それは、専門家がたゆみなく用心して、軽率に事を行なわないのに対し、素人はただ気ままにふるまうという点で差がつくのである。
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プロとはどんな人かというと、ぼくは次のように考えています。

 戦略は大胆に 戦術は細心に

戦略とは目標、目的です。
目標、目的は夢をでっかく持って、オレには実現できるはずだと確信する。
戦略はあくまでポジティブなんです。
でもそれだけじゃだめ。
戦略を実現するための戦術も持っている。
戦術こそ、夢を実現させるための技術、方策なんです。

そして戦術を選び、実行するときは、慎重に行う。
戦術はネガティブに考える。
決して軽率に気ままに行動しない。
失敗しないように慎重に慎重に進めるわけです。
それが戦略を実現する王道なんですね。

関西電力さんの給電司令所を見学させてもらって、プロの仕事の仕方を再認識しましたよ。
楽しかったなー。

2008年11月24日月曜日

餅がのどに詰まる

こんにちは

家族中で風邪を引いていましたが、ようやく脱してきました。
風邪の治りかけ、痰がよく出ます。
ねっとりした痰なので、咳をしてもなかなか出てきません。
昨日など、痰を出そうと咳をし始めたら、途中で痰がのどの奥でからまって、咳が止まらなくなってしまいました。
これは苦しい。
息ができないんですから。

お正月になるとお餅をのどに詰まらせて亡くなってしまうお年寄りのニュースが毎年のように流れます。お年寄りが餅をのどに詰まらせる原因は「嚥下(えんか)反射」が老人になると上手くできなくなるから、と説明されます。

人間ののどは奥の方で、空気の通り道である気管と、食べ物の通り道である食道とに分かれています。その分かれ道には、食べ物が気管の方に行かないように蓋をする「喉頭蓋(こうとうがい)軟骨」が付いています。嚥下反射とは、食べ物を飲み込むとき気管の方に食べ物が行かないように、反射的に喉頭蓋軟骨を動かして気管に蓋をする反射のことです。

この嚥下反射は、口からのどにかけての筋肉群が微妙に調整しながら行われるので、お年寄りになるとタイミングが上手く合わなくなってきてしまうのです。それでのどに餅が詰まってしまうというわけです。

でも考えてみると不思議です。お年寄りになれば正月だけじゃなく年中嚥下反射が上手くいかなくなっているはず。餅以外の普段の食事でものどに詰まらせることが多いはず。でも、日常的にお年寄りがのどに食べ物を詰まらせて亡くなったというニュースはありません。なせ正月なのか?なぜ餅なのか?

さっそく調べてみました。

お年寄りだけじゃなく子どもでも大人でも、誤って気管に食べ物が入りそうになった場合、それを取り除くために猛烈に咳き込んでしまいます。そういうときによく「気管に食べ物が入った」と言いますが、実際には気管にまで食べ物は入ってはいません。食べ物がのどの奥の気管の先端に触れるやいなや、強烈な吐気反射が起こって激しく咳き込み、肺からの空気の圧力で食べ物を追い出してしまうのです。そういうときよく食べ物が鼻の方へと入ってしまいますが、鼻は息の通り道ですから肺からの強い吐気は鼻に抜けるのは当然です。この吐気反射があるために、嚥下反射が上手くいかずに気管側に食べ物が入りそうになっても、それを取り除いてくれるのです。

このありがたい吐気反射ですが、もし気管の先端に触れた食べ物がベタベタと粘り着く餅のようなものだったらどうでしょうか。咳き込んでもちょっとやそっとじゃ吹き飛ばされずに、気管に付着したままになってしまうことが想像されます。

痰が絡んで咳が止まらなくなるのも同じ原理です。
粘っこい痰が、気管の入り口あたりに張り付いてしまうと、意志とは関係なく反射が起こり、それが除去されるまで咳をし続けることになるのです。

話を戻して。
若い人の場合、餅を食ってもよく咀嚼してから飲み込みます。咀嚼中には唾液とよく混ぜ合わされますから、餅の粘性も弱くなります。唾液の量は、30歳代では一日に約1500cc、歳をとると分泌量が減り、50歳代では約800ccにも減ってしまいます。また、お年寄りは歯が抜けてしまっていたり、入れ歯だったりするので、咀嚼力も若い人のように強くはありません。顎の筋肉も弱ってきています。お年寄りになると、唾液の量が減り咀嚼力が弱くなるので、餅の粘性もねばっこいまま飲み込んでしまう恐れが高くなります。

さらに、お年寄りになると肺活量が低下するので、気管に入ろうとする食べ物を吹き飛ばす威力が劣ってきてしまいます。こうした複合要因で、餅をよく食べるお正月に、お年寄りが餅をのどに詰まらせて亡くなってしまうというわけです。

餅がのどに詰まって死ぬと言っても、餅が気管を全部ふさいでしまって窒息死してしまうという場合は少ないそうです。実際は、気管が完全に閉塞することはめったにありません。餅のかけらが気管の先端にくっついてしまい、吐気反射が起こりますが、いくら咳き込んでも粘っこい餅は取れずに、果てしなく連続的に咳込みが続いてしまうことになります。咳き込んでいる間は、十分な息ができなくなってしまいますから、結局は窒息状態に陥ってしまい亡くなってしまうというわけです。ぼくは子どもの頃ぜんそくでしたので、ずっと咳込みが続くのを想像しただけで、息が詰まりそうです。

餅がのどに詰まる事故を防ぐには、唾液が少なく咀嚼力の弱いお年寄りでも食べやすく調理することが大事です。つまり、餅は最初から小片にする、最初から柔らかくなるまで煮ておくといい。でも、そんな風に調理した餅を食べて、餅を食った気がしないというお年寄りもいるでしょうね。

赤ちゃん、幼児も全く同じです。
咀嚼力が弱く、肺活量も少ない赤ちゃん、幼児に餅などねばねばしたものを与えるのは危険。
こんにゃく製品での事故も、餅と同じ原理で起こったのです。
気をつけましょう。

餅がのどに詰まる原理は、正高信男『0歳児がことばを獲得するとき』中公新書\680-の63pあたりに書いてありました。

2008年11月22日土曜日

深呼吸のススメ

こんにちは

出張授業の様子がさっそくXFELのホームページでも紹介されました。
http://www.riken.jp/XFEL/jpn/news/20081117/index.html
職場の男女共同参画事業でも、次世代育成の事例としても採り上げてくれるそうです。
ぼくの仕事の幅もさらに広がりそうで嬉しいです!

さて、ぼくも江戸っ子の端くれ、気が短い。気が弱いくせにね。
でも最近はすぐにカッとならないようにコントロールできるようになってきました。
それは、

 カッと来たら深呼吸

です。
やり方は、

 鼻から勢いよく3秒間くらいで息を吸う
 2秒くらい止める
 口をすぼめて10秒くらいかけてゆっくり吐く
 可能な限り息を出し切る

むかむかしたときや緊張したときは深呼吸3~5回するだけで、気分がスーッと軽やかになります。

数年前、朝日カルチャーセンターで野口整体の実習を受講しました。
野口整体でも深呼吸は重要視されていて、これを

 邪気を出す

と言っていました。
人間は、怒ったとき、怨みや妬みを持つとき、悩んだときなどネガティブな感情に囚われたとき、体の中に「邪気」がたまるんですね。
深呼吸をすると、その邪気を排泄することができるんです。

安岡正篤『人生の大則』プレジデント社¥1553-にこう書いてありました。

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精神と肉体との間には、非物質的な相互作用が行われており、その肉体に対する情緒の反応を物質化して証明することもできる。
汗と呼吸がそれをよく表し、アメリカの心理学者エルマー・ゲイツは発汗の科学的分析から情緒の表を作ることに成功した。
各精神状態はそれぞれ腺や内臓の活動に化学的変化を生じ、これによって造り出された異物を呼吸や発汗によって体外に排出する。
液体空気(圧力をゆるめて蒸発させると零下217度まで下がる)で冷却したガラス管の中に息を吹き込むと、平常の心理状態の時は、息の中の揮発性物質が液化して無色に近いが、その人が怒っていると数分後に管の中に栗色の滓が残る。
苦痛や悲哀のときは灰色、後悔のときは淡虹色となる。
この栗色の物質を鼠に注射するとたちまち興奮し、その人の憎悪や憤怒の激しいときは、その息の滓は数分で鼠を殺してしまう。
1時間の怒りの息の滓は80人を殺すに足る毒素を出し、この毒素は従来の科学の知る最強の毒素だそうである。
故に悪感情を抱くことは、結局その人の肉体に毒気が鬱積して、その人を自殺に導くものである。
人間の長い長い歴史的経験から生まれた言葉の中には、新しい科学的研究が感を深くするような真理の含まれているものが多い。
「毒気を吐く」とか「彼奴の毒気に当てられた」というようなことは、そのまま真実なのである。(14-15p)
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昔の刑務所は、換気の悪いところに受刑者を詰め込んでいました。
すると、受刑者同士の争いが増えたり、病気になる人が多かった。
それは受刑者の邪気が充満しちゃうからなんですね。
換気設備を付けるだけで、それが軽減したっていうことです。

犯罪者ほどじゃなくても、普通の人でも、自分が怒ると相手も怒る、相手が怒ると自分にも怒りの気持ちが沸き上がってくるってことがよくあります。
相乗作用で怒りがエスカレートしてケンカになることも、誰もが経験していると思います。
それも邪気のせいだったんです。

屋外などきれいな空気の場所で深呼吸することは、理にかなっている。
邪気を体から抜き、他の人に影響を与えない。
ネガティブな感情を感じたら、ちょっと休憩をとって、外に出て深呼吸。
これ、いいですよー。

2008年11月18日火曜日

子どもだからって手を抜かない

こんにちは
 
昨日、SPring8の近所にある播磨高原東小学校で出張授業をしてきました。
相手は3,4年生。3時間目、4時間目と2コマ続きの授業でした。
授業の内容は以前お伝えしたとおり、光が出る仕組みを実験を交えながら話し、簡単な分光器を工作するというもの。
とても盛り上がりました。
ぼくの授業の腕も、それほど落ちてないかも!
なーんちゃって。
 
『致知』'08.10に文の京こども論語塾講師溝本定子さんの講演録「優しい心を育む」が載っていました。
 
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(祖父安岡正篤氏から言われて)印象に残っているのは、
 
 「年齢がいかないからといって、幼い子の中身を幼稚だと思うのは、大人の驕りだ」
 
という言葉です。

 「小さな子は持っている言葉や経験の数が少ないだけで、中身は豊かである。
  だから大人が子どもに対して”どうせ分からないだろう”と思って手を抜くのは
  もってのほかだ」
 
と。
小さな子ほど丁寧に接し、上質なものを与えないといけない、大人同士で通じる難しい言葉ではなしに、その質をいかに落とさずに子どもに伝えられるかが大切で、それができるのがよい教師であると話していました。
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ぼくの授業の内容も小学3,4年生レベルをはるかに超えたものです。
でも手を抜きませんでした。
必ず分かる、と思って、授業を組み立てたつもりです。
脳は「メモリーベイスドアーキテクチャ(記憶に基づいた思考機関)」ですから、相手の持っていない知識や論理の型を与えれば、必ず理解できるものだからです。
もちろん一人ひとりの理解度は異なるでしょうが、どの子もわかった、おもしろい、という気分になってもらえたんじゃないかって自負しています。
 
このことはぼくの普段の仕事、工事の監督員でも意識していることです。
分野の違う科学者、技術者とのコネクトを上手くスムーズにすることに心を配っています。
それは、それぞれが意思疎通をするために必要な知識、論理の型を定義する。
同じ定義に乗っかって議論する。
簡単に言えば、専門用語が通じるようにするわけです。
ローカルにしか通じない専門用語を、互いに理解し、使えるようにする。
そうすれば、議論は上手く咬み合うようになります。
話しが通じないと相手をバカだと思ったりする人がいますが、そういう人の方がバカ。
通じるように工夫しないからね。
 
さてさて、授業の腕はそれほど衰えてはいないとはいえ、たった2時間授業しただけでグッタリしました。
体力は確実に衰えていることが分かりました。。。

2008年11月16日日曜日

判断は0.2秒

こんにちは

季節の変わり目、ちょっと風邪気味です。
頭がボーッとして身体の節々が怠い。
もー、仕事なんてしてられないよーって気分。
なので、先週末のXFEL工程会議も早く終わらせて、早く帰宅したかったわけです。

そういうとき、ぼくは普段よりガンガンしゃべりまくります。
そこがぼくが「変人」なところです。
怠いとき普通の人ならダラダラするんですが、ぼくは全速力。
早く終わらせてゆっくりしたいからね。
人生、メリハリですから!

先週末の会議でも9割はぼくがしゃべってましたねー。
その結果、いつもより30分早く終わらせることができ、早めに帰ることができました。
じゃー、いつもそれやれよ、ってか?
あはははは。

最新の脳科学で、人間の脳の判断時間の測定がされています。
その時間は、たったの0.2秒。
人間は、0.2秒あれば判断できるものなんです。
だから、時間をかけたからっていい判断ができるわけじゃない。
判断は瞬時にできるように、脳はできているんです。

そのための前提はありますよ。
0.2秒で正しい判断をするためには、2つの前提条件が必要です。

1.必要十分な正しい知識や情報
2.論理的思考法

なかなか判断できない、決断できない場合、上の二つのどちらか、あるいは両方が不十分なんです。
不十分であれば、それを補えばいい。
1は、不勉強のためであれば、判断に必要な分野の基礎的な本を読み込んでみる、
情報が不足しているなら、インターネットで調べてみる、現場をよく観察してみるなどなど。

2の論理的思考法は、いわゆるロジカルシンキングです。
これはしっかりと訓練しなければ身に付きません。
以前書いたように、学生の頃ロクに数学を勉強しなかった人をぼくは信用しません。
それは、そういう人はロジカルシンキングができず、論理より感情を優先しがちだからです。
感情優先の人は始末におえません。そして必ず大失敗を起こすんです。

学生の頃数学を勉強しなかった場合でも、再訓練することは可能です。
ロジカルシンキングは、資格試験の勉強をすることによっても可能です。
それもちょっと上級資格ですね。
下級資格は暗記だけでも合格できます。
上級資格は、その分野のロジックが理解できないと合格できないように、ちゃんと問題が作られています。
下級資格者はルーチンワークをすることが主な仕事ですから、記憶したことをそのままやっていればよい、下手に考えるな、ということなんだと思います。
上級資格者には、ルーチンワーク以外の問題解決能力も求められます。
そのためには、暗記よりもロジックなんです。
ぼくが資格試験に挑戦し続けている一つの理由も、ロジカルシンキングの訓練のため。
部下や同僚にも資格試験を受けるよう勧めているのも、ロジカルシンキングができるようになってほしいからなんです。
 
もちろん、数学や資格試験の勉強だけじゃないですよ。
普段の仕事の中でも、どうしてこうやるのか、どうしてこういう判断になるのか、そのロジックを意識していると、ロジカルシンキングのいい訓練になりますね。
仕事の裏側にある「考え方」を意識することです。
上司の言うとおり、マニュアル通りに何も考えずにただただ単純労働だけしていたら、いつまでたっても判断力は身に付きません。
たとえ雑用、下働きのような仕事にもロジックはあって、そのロジックが分かると、合理的にテキパキとこなせるようになるし、仕事も楽しくなる。
 
要するに、しっかり勉強しておくことですね。
必要な知識を常にインプットし、考え方の訓練をしておく。
そうすれば0.2秒で判断ができるようになるんです。
なかなか決められないって人は、不勉強なだけなんですよ。
 
必要十分な正しい知識や情報と論理的思考法があれば、0.2秒で判断できるのは、脳の構造に合致しています。
人間の脳は「メモリーベイスドアーキテクチャ(記憶に基づいた思考機関)」だからです。
脳に蓄えられた知識から、問題解決に必要な記憶を読み込んで、パッとあてはめるわけです。
論理、ロジックだって「型」にすぎません。
この型をどれだけ持っているかで、判断の精度が決まるのです。
今考えている問題に最適な型をパッとあてはめているだけなんです。
 
吉越浩一郎『2分以内で仕事は決断しなさい』かんき出版\1400-にこうありました。

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フランスでは、バカロレアという大学入学のための資格試験があり、たとえば、

「対話は真理への道か?」
というような問題が出題されます。
まるで禅問答のような入試問題です。
はたして、この質問に正解はあるのでしょうか?
疑問に思って、フランスの大学を出た息子に尋ねると、あっさり「正解はあるよ」と言う。
私にはさっぱりわかりませんでしたが、哲学の理論を組み合わせてロジックを構成していけば、きちんと答えが出るんだそうです。(59p)
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これはおもしろい!
哲学の問題だって、知識とロジックで正解は得られるんですね。
 
でも考えてみれば、そりゃそーだ。
正解とは、誰もが納得できる答えです。
誰もがトレースできるということです。
そうじゃないと、学問として成り立ちません。
ただのおっさんの戯言で終わってしまう。
 
吉越さんは、経営者です。
判断を誤ると会社はつぶれます。
間違いは許されない立場です。
でも一つの案件は2分で処理できると言っています。
なぜなら、自分の中にロジックが既にあり、あとは必要な情報さえあれば、正しい判断ができるからなんです。
判断に必要な情報は何か分かっているから、何を調べればいいか部下に指示しておけばいい。
部下がその情報を報告する時間が2分間なんです。2分間で報告するようにさせるんですね。
それを聞けば、あとは0.2秒で、間違いのない決断できるってわけです。
 
ぼくもその境地に行きたくて、今日もコツコツと勉強を続けているのです。
そして実践の場(仕事の会議)で応用して、技として身に着くよう訓練しているのです。

2008年11月9日日曜日

ガソリンの適正価格

こんにちは
 
一時は1リットル200円にもなろうかと思っていたガソリンも、今日近所のガソリンスタンドで見たら1リットル130円になっていました。
原油価格も1年半前と同程度1バレル60ドル程度まで下がったようで、やっぱりバブルだったんでしょうね。
 
ところで、モノの値段はだいたい以下のようになっています。
 
 販売価格の
  1/3が原価
  1/3が直接経費
  1/3が間接経費と利益
 
たとえば300円の商品があったら、その材料原価は100円、その商品を製造する人の人件費などに100円、商品を流通させたり管理したり利益に100円かかるってわけです。
この原理はかなり普遍的なもので、ここから外れたモノはあまりありません。
 
この原理を使えば、原価から販売価格を逆算することもできます。
材料原価が100円だったら、販売価格は300円くらいになるはずなんです。
 
この原理を使って、ガソリンは実際いくらくらいが適性価なのか、ちょっと計算してみましょう。
原油の採掘コストは、1バレルあたり3ドル程度だそうです。
1バレルは約160リットル、1ドル100円とすれば、原油1リットルの原価は2円くらい。
これに産油国の直接経費、間接経費、利益が上乗せされると、原油1リットルの輸出価格は6円くらいと見積もられます。
これが消費国に輸入され、ガソリン製造メーカーで原油をガソリンに精製するための直接経費や間接経費、利益が上乗せされて、6円×3=18円になります。
そしてまたガソリン販売会社の直接経費、間接経費、利益が乗って、18円×3=54円となります。
そしてここにガソリン税が加算されます。
ガソリン税は1リットルあたり53.8円もします。
これを加えると、1リットル110円くらいが適性価格だと見積もれます。
今現在リッター130円ですから、もうちょっと値下がりしてもいいでしょうね。
 
それにしてもガソリン税って高いですねー。
ガソリン価格の半分近くが税金だったんですね。

子どもの脳を壊すな

こんにちは
 
最新の脳科学で子どもの脳についても研究が進んでいます。
人間の脳はメモリーベイスドアーキテクチャ(記憶を基にした構造)であることが分かってきました。
記憶したことを複数組み合わせたり、操作したりして思考している。
組み合わせたり操作したりする場所は、脳の前頭前野にあるワーキングメモリ。
ワーキングメモリに記憶したことを呼び出して、考えているんです。

ところがこのワーキングメモリはとても容量が少ない。
大人でも7つくらいしかないことが、研究の結果分かっています。
この7つのメモリを使い切ってしまうと、何も考えられなくなってしまうのです。

子どもの脳にも当然ながらワーキングメモリがありますが、その数は大人より少ないことが研究の結果分かりました。
幼児など、2つ、3つしかないのです。
ワーキングメモリの数が少ないから、子どもは複雑な思考ができないのです。

複雑な思考ができないだけではありません。
子どもの嘘はすぐばれますが、これもワーキングメモリが少ないためです。
嘘をメモリに常に保持していることができないのです。
常に保持させると、残りのメモリがなくなって何も考えられなくなってしまうからです。
だから、子どもは嘘をついてはいけないのです。
子どもに嘘をつかせるような状況を大人が作ると、子どもの思考は停止してしまうのです。
だから、子どもの嘘は脳へのダメージが大きいのです。

悩みも同じです。
子どもが悩むと、それがすぐワーキングメモリを満杯にしてしまいます。
メモリに空きがなければ考えることができません。
考えない、すなわち脳を使わなくなるので、脳の発達を阻害します。
脳は使わなければ萎縮してしまいます。
だから子どもの悩みは、回復不能なほど脳にダメージを与えてしまうのです。
子どもの頃の激しいいじめがよくないのは、このことでも分かります。

昔から、子どもは明るく正直に育てよ、と言われてきました。
これにはちゃんと意味があるんです。
明るく正直に育てば、脳はスクスクと発達するのです。
ワーキングメモリの空きが確保されれば、好奇心も発揮され、子どもらしい知性を磨くことができるのです。
子どもが明るく正直に育つよう、大人は環境を整えていかなくちゃいけないんです。

習い事やお稽古ごとをあれこれたくさんやらせるのも、子どもの脳の発達を阻害します。
同時期に多くのことをやらせることは、ワーキングメモリを使い切ってしまう恐れが大きいのです。
それも子どもが好きでもないことを、今日はピアノ、明日はスイミング、その次はくもん、なんてやらせると、すぐに脳のワーキングメモリは満杯になり、子どもの脳は破壊されてしまうのです。
こういう子どもは、暗い顔になり、嫌なことから逃れようと嘘をつくようにもなってしまいます。
親は子どもによかれと思ってあれこれやらせるのだとは思いますが、お金を使ってわざわざ子どもの脳をダメにしているなんて、損ですよね。
 
やらせるなら、子どもが本当に好きな一つのことだけにするべきです。
好きなこと、一つだけなら、ワーキングメモリに常駐しても害はありませんし、むしろ常駐させるべきでしょう。
好きなことをいつも考え続けるのは、幸せなことだからです。
 
もちろん子どもは何が本当に好きなのか自分では分からないこともあります。
お金を出したんだから指導は先生にお任せというのではなく、習っている時の子どもの様子を親も見て、子どもが喜んでいるのか、適性はありそうなのか見極める。
行けそうならそれに集中する。ダメそうならスッパリ止める。
 
そしてコレと決めたなら、容易にあきらめないことです。
この間ピアニストの中村紘子さんの講演を聴きましたが、幼少の頃から厳しい練習を積んできたそうです。
お母さんも紘子さんが嫌がったときでも、毎日一定時間ピアノの練習をさせた。
泣いても許してはくれなかった。
それが今の自分を作ってくれたんだ、とおっしゃっていました。
 
やるなら一つだけ。
コレが原則なんです。

偽プロをやっつけろ!

こんにちは

ぼくも技術者になってから、多くの「専門家」に会いました。
この世界も「偽プロ」がたくさん跋扈しているので驚くと共に、不安になりました。
こういう人に任せたら、ろくな研究棟は建たないぞって。

偽プロの人って、相手が誰であってもやたら専門用語を振り回しますよね。
特に頭に来ちゃうのが、素人の客相手に専門用語を連発するセールスエンジニア。
まるで客が素人であることにつけ込んで、煙に巻いているようにも思えちゃいます。
そういうヤツを見つけると、ぼくはわざと素人っぽい質問をしてみたりします。
その用語の定義を質問してみたり、例えばどういうことかの例示を求めてみます。
偽プロの人って中途半端な専門家だから、そういう根元的な質問に弱いんですよ。
つまり本質的に理解してないってことがばれる。
あー、いー気味だ!
うひひひひ。

それに偽プロの人って、素人に対して高圧的、威圧的なんですよね。
ここはどうなっているんでしょうか、と質問しても、専門家に任せておけ、専門家でもない奴がつべこべ言うな、といった雰囲気を醸し出して、自分の周りにバリアを張ってしまいます。
こういう人と一緒に仕事をしてみると、たいていはたいした技術力もないことが分かったりします。
つまり、専門性に凝り固まっている人は実はその専門性に自信がないのではないかと思うのです。
自信がないから逆に専門用語を振り回し、ことさらに自分は専門家であるがごとく振る舞い、自分の周りにバリアを張って閉じこもってしまうんでしょう。

ぼくはこういう偽プロが大嫌いなんです。
偽プロにだまされると散々な目に遭ってしまいます。
ペラペラと専門用語を並べ立て、分かったような口を効いているので、任せてしまうとたいてい失敗します。
そしてこういう偽プロに限って、失敗しても人のせいにしたりするんですよ。

だからといって偽プロを排除するのは難しい。
どういうわけかプロジェクトメンバーに入っていて、一緒にやらざるを得ない。
何とか偽プロにヘンテコなことはさせないようにしなくちゃならないんです。
けれども、偽プロとは言ってもある程度の専門性は持っているので、使い方さえ間違えなければ結構活躍してくれるものなんです。
つまり、偽プロの言いなりにならずに、こっちでコントロールできればいいのです。

ぼくは自他共に認める資格マニアです。
でも自分では自分の仕事に役立てることを主軸において、どんな資格を取るか戦略的に考えながらやっているつもり。
ぼくの主たる仕事は、新しい研究棟や実験施設の設計や施工を監督する仕事です。
だから資格そのものが役に立つわけではないのです。
でも間接的に大いに役立でていると思っています。

資格は偽プロを見抜き、偽プロに変なことをさせないための「葵の御紋」にもなるからです。
資格を持っているだけで、偽プロたちは一目置いてくれる場合が多いんです。
いい加減なことを言ってもダメだ、半端なことは通用しないんだと分かってくれるんですね。
資格にはこういう効用もあるんです。

放射線主任者1種に合格して次は何に挑戦しようかと考えていましたが、決まりました。
1級建築士にターゲットを絞りました。
1級建築士の人もピンキリであることをぼくは見てきました。
偽プロもいっぱいいる。構造偽装の姉歯設計士みたいなね。
これまでぼくも偽プロ1級建築士に嫌な目に遭わされたことも何度かあります。
勉強するに値する資格だと思います。
 
建築士試験は建築学科卒以外の人に対して敷居が高い。
学歴のないぼくはこれまで挑戦さえさせてもらえませんでした。
法律が変わって今年から建築設備士も受験できるようになったんです。
嬉しいことに、今ぼくが一緒に仕事をしている設備技術者の人に受験仲間が見つかりました。
勉強は孤独な作業ですから、仲間がいると張り合いが出て、合格までのモチベーションが維持しやすくなる。
さっそくテキストと過去問集を購入しました。
2年後には合格しようと決意しましたぞ!

2008年11月8日土曜日

命とは時間

こんにちは
 
今度SPring8の近所の小学校でやる出張授業の内容が決まってきました。
こんな授業にしようと思っています。
 
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「光が生まれるしくみ」

 

目的;実験やお話を通じて、光が発生するときには電子が関係していることを知り、光に興味を持つようになり、自分も理系の仕事がしたいと思ってくれると嬉しい。

 

準備;パソコン、プロジェクター、電源装置、

   理科室(暗くなる部屋)を希望

 

1時限目「光はどうして生まれるの?」

演示実験;シャープペンシルの芯やえんぴつに電気を流すとどうなるか

お話し;光はなぜ出るのか、Spring8から出る光、XFELから出る光

グループ実験;電子を触ってみよう・・・圧電素子による百人脅し

 

2時限目「きれいな光を見てみよう」

工作;回折格子フィルムを使った分光器を作ってみよう

お話し;研究者、技術者になろう

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ね、楽しそうでしょー。
今週のSPring8出張の時に、播磨研の広報担当の人たちと予備実験をしてきました。
実験を見て、広報の人たちも大人のくせに目がキラキラ。とても楽しそうでした。
よって、きっと小学生の生徒さんたちも喜んでくれる授業になることでしょう!

広報担当の女の子と雑談しているとき、こう言われました。
 
 「関口さんって毎朝ゴミメールを書いてるし、
  寺子屋もやっていて、資格試験の勉強もしている。
  その上出張授業のアイデアも抜群。
  いったいどういう時間の使い方をしているんですか」
 
すごいでしょー、エヘン!
 
まー、ぼくは出世をあきらめていますからねー。
仕事上の「つき合い」をまったくしません。
先月は所属部署の部長さんが交替しましたが、その歓送迎会でさえ出ない。
はっきり言って、自分勝手。
 
でもね、そうでもしないと自分の時間は生み出せませんよ。
人生、あれもこれもできません。時間は限られています。
何を捨てて、何を得るか。
その選択が人生そのものなんだと思うのです。

『致知』’08.12に、日野原重明/塩谷靖子「命ある限り歩み続ける」という対談が載っていました。
さすが人生100年の日野原先生の言うことには重みがあります。
日野原さんは子どもたちに講演するとき、命についてこう説明するんだそうです。

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それから僕が言うのは、
 
 「命はなぜ目に見えないか。
  それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
  死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。
  どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うか
  しっかり考えながら生きていってほしい。
  さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい」
 
ということです。
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そう、命とは自分に与えられた「時間」なんですね。
自分で、自分の意志で、自由に使える時間がどれほどあるか。
それがあるほど、自分の命は輝くものなんです。
 
逆に言えば、自分の意志で自由に使える時間がない、少ないと言うことは、自分の命はないと言うことでもある。
人から命令されたり強制された時間は自分のものではなく、それでは命は輝くことはないのです。
 
だから、自分の意志で使える時間を意図的に確保する、増やしていくことは、よい人生を造っていくコツなんだと思います。
ぼくも日野原先生に少しでも近づけるように、明るく爽やかなワガママ男になっていきたいと思っています。

2008年11月4日火曜日

笑顔は実力の証

こんにちは

XFEL建設工事も終盤戦にかかってきました。
前半戦はどうしても建築工事、建物の躯体工事がメインになりますから、電気設備工事、機械設備工事は後半突貫工事みたいになってしまいます。
今回も残り4,5ヶ月で十数億円規模の電気、機械工事をこなさなくてはなりません。
かなりヘビーな状況なんです。

ところが、先週末の打ち合わせでも現場代理人のみなさんはニコニコしています。
打ち合わせ中にばか話して笑ったりしているんです。
って、ばか話しているのはぼくなんですが。。。
あはははは。

それはつまり、「余裕」がある。
なぜ余裕があるか。
検討すべきことは検討し終わり、決めるべきことは決め終わっているからです。

施工ができる状況になり次第、即工事に着手できる状態になっている。
待ちかまえているんですよ。
もう工事したくてしたくてたまらない、わくわく感がある。
そうなれば心に余裕が生まれ、笑顔にもなれます。

古川裕倫『バカ上司、その傾向と対策』集英社新書\680-にこう書いてありました。

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(上司が)暗いと部下の士気が下がります。
孫子の兵法に「善く戦うものは勢いにこれを求め、人に責めず」とあります。
戦上手な人は兵全体の勢いを最優先に考えるものであり、個々の兵士の能力や働きをいちいちあげつらったりしない、と言っているのですが、細かいことばかりに拘泥して思い悩むような暗い上司の下では、部下に元気(勢い)が出るわけがありません。
また、上司が暗いと部下は話しかけるのが億劫になります。
その結果、コミュニケーション不足に陥ります。(25p)
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人は、思い煩うことが多くなると、暗い顔になります。
悩みは脳のワーキングメモリを占拠してしまうからです。
笑えるのは、このワーキングメモリに空きがある証拠なんです。
空きがあるから、くだらないばか話も意識に乗せて笑える。
空きがないと、くだらないばか話が鬱陶しく思えてしまう。
余裕のなさです。

特にリーダーとなる人は余裕がないといけませんね。
余裕のなさは、部下にも伝わります。
ワーキングメモリが不足しているため、部下への指示命令もいいかげんになり、部下の仕事も雑になりがちです。
それが失敗を生み、ますます余裕がなくなり、笑うどころじゃなく、暗い顔になっていく。

そういうリーダーの言うことを部下が聞くわけがありません。
聞くと失敗しちゃうんですから。損しちゃいます。
そばに寄りつかなくなるのも当然です。
コミュニケーションどころではなくなってしまいます。

笑顔は余裕が生み出します。
余裕は実力が生み出すのです。
人は笑顔のあるところに集まってきます。
だってその方が楽しいし、得にもなるからね。
いつもへらへら笑っているはバカに見えるかもしれませんが、実は実力の証なんです!

2008年11月3日月曜日

ハッピーになる正しい道筋

こんにちは

久々に教え子から結婚式の招待状が来ました。
未だ売れ残りがいたのね、と思ったら男の子。
男の子と言ってもすでに33歳ですから、男盛りかな。
よかったよかった。
来月12/6、家族で北海道に行くことにしました。
楽しみ、楽しみ。

ぼくはある意味、教師としては「挫折」したんです。
挫折して教師を辞め、方向転換して技術者になった。
教師時代は嫌なことが多かったですよ。
教員という人たちはなぜにこんなに意地悪なんだろうと思い続けた数年間でした。
生まれて初めて「ぶっ殺してやりてえ」という思いをさせられた人もいましたよ。
怒り、憎みに満ちあふれた青春ですねー。
今思うとちょっと面白いけどね。
あはははは。

ところで最新の脳科学の研究で、人間の思考を司っている場所が特定されつつあります。
その場所は前頭前野にあるワーキングメモリ。
人間の脳は記憶を基礎として機能する計算機であることもわかってきました。
記憶したことをこのワーキングメモリに呼び出して、関連づけたり組み合わせたりしながら考えている。
ところがこのワーキングメモリの容量はとても限られていて、普通の大人で7つ程度しかない。
この少ないワーキングメモリをやりくりしながら、考えているんです。

人間が恨み辛み妬み怒りに囚われていると、それがワーキングメモリに常駐してしまいます。
常駐した分、ワーキングメモリの空きスペースが減り、まともな思考ができなくなります。
逆に言えば、まともな思考ができないがために、恨み辛み妬み怒りに囚われてしまうわけです。
怨み辛み妬み怒りに囚われ、それを自分に与えた人に復讐したい気持ちで頭はいっぱいになってしまう。
その他のことが考えられなくなるのです。
でも復讐の気持ちだけでいっぱいになってまともに思考できないわけですから、復讐を実行しようとしても上手く行くはずがないのです。
必ずや失敗する。
成功するとしても、自分自身も破滅するようなことしかできない。
なので、恨み辛み妬み怒りがあると、確実に脳にダメージを与えてしまい、不幸を呼び寄せます。

だから、ハッピーになるためには恨み辛み妬み怒りに囚われないように気をつけて、人生を造っていく必要があるのです。
要するに「脳出し」しちゃうんです。
恨み辛み妬み怒りがあっても、日記などに書き出したり、誰かに愚痴を聞いてもらったりして、いったん自分の脳から出してしまう。
そうすることによって脳のワーキングメモリの空きスペースを確保するんです。

誰が言ったか忘れましたが、「成功こそ最大の復讐である」のは、人生の法則だと思います。
恨み辛み妬み怒りを自分に与えた人より、自分が幸せになる。
それがいいんだとぼくも思うのです。
直接復讐することに努力するくらいなら、恨み辛み妬み怒りはいったん忘れて、自分がもっとハッピーになれることに努力を向ける。
そのほうが断然合理的だと思います。

ぼくは教師を辞めた後も、教え子に恥じない生き方をしていこうと思ってきました。
常に、おれは元気にやってるぜ、ハッピーだぜ、とメッセージを送り続けてきました。
そういうメッセージを送れるよう、努力を続けてきたと自負しています。
20年前ぼくに意地悪した人は今どうしているか分かりませんが、それが気にならない程度にはハッピーになれていると思います。
ま、ほぼ復讐成功!
あははははは。