2008年11月18日火曜日

子どもだからって手を抜かない

こんにちは
 
昨日、SPring8の近所にある播磨高原東小学校で出張授業をしてきました。
相手は3,4年生。3時間目、4時間目と2コマ続きの授業でした。
授業の内容は以前お伝えしたとおり、光が出る仕組みを実験を交えながら話し、簡単な分光器を工作するというもの。
とても盛り上がりました。
ぼくの授業の腕も、それほど落ちてないかも!
なーんちゃって。
 
『致知』'08.10に文の京こども論語塾講師溝本定子さんの講演録「優しい心を育む」が載っていました。
 
###
(祖父安岡正篤氏から言われて)印象に残っているのは、
 
 「年齢がいかないからといって、幼い子の中身を幼稚だと思うのは、大人の驕りだ」
 
という言葉です。

 「小さな子は持っている言葉や経験の数が少ないだけで、中身は豊かである。
  だから大人が子どもに対して”どうせ分からないだろう”と思って手を抜くのは
  もってのほかだ」
 
と。
小さな子ほど丁寧に接し、上質なものを与えないといけない、大人同士で通じる難しい言葉ではなしに、その質をいかに落とさずに子どもに伝えられるかが大切で、それができるのがよい教師であると話していました。
###
 
ぼくの授業の内容も小学3,4年生レベルをはるかに超えたものです。
でも手を抜きませんでした。
必ず分かる、と思って、授業を組み立てたつもりです。
脳は「メモリーベイスドアーキテクチャ(記憶に基づいた思考機関)」ですから、相手の持っていない知識や論理の型を与えれば、必ず理解できるものだからです。
もちろん一人ひとりの理解度は異なるでしょうが、どの子もわかった、おもしろい、という気分になってもらえたんじゃないかって自負しています。
 
このことはぼくの普段の仕事、工事の監督員でも意識していることです。
分野の違う科学者、技術者とのコネクトを上手くスムーズにすることに心を配っています。
それは、それぞれが意思疎通をするために必要な知識、論理の型を定義する。
同じ定義に乗っかって議論する。
簡単に言えば、専門用語が通じるようにするわけです。
ローカルにしか通じない専門用語を、互いに理解し、使えるようにする。
そうすれば、議論は上手く咬み合うようになります。
話しが通じないと相手をバカだと思ったりする人がいますが、そういう人の方がバカ。
通じるように工夫しないからね。
 
さてさて、授業の腕はそれほど衰えてはいないとはいえ、たった2時間授業しただけでグッタリしました。
体力は確実に衰えていることが分かりました。。。

0 件のコメント: