2009年12月31日木曜日

ありがとう&来年もよろしく!


こんにちは

今日は大晦日。
今年も飽きもせず「ごみメール」を書き続けてきました。
おつきあいくださり、ありがとうございました。

発明王エジソンはこう言ったそうです。

  本のない家は窓のない部屋に等しい

ぼくも今年もたくさんの本を買い、読み、気になったところを抜き書きしてきました。
それを元に、日々経験したことや考えたことを付け加えて、この「ごみメール」にしてきました。
エジソンはこうも言ったそうです。

  発明には豊かな想像力と、ゴミの山が必要だ

エジソンはものすごい読書家であり、だからこそたくさんの発明ができた。
でもそのためにはゴミの山のような、役に立たないこともたくさん考えたり経験してきたんだと思います。
だからといってゴミの山に意味がなかったわけではなく、ゴミの山があったからその中から貴重な宝も見つかったのでしょう。

ぼくはまだまだゴミの山を築くだけのようです。
来年もさらにこの山を高くしていきたいと思います。
いつかぼくもこのゴミの山から宝物を見つけ出すことができるように。

では、来年もよろしくお願いします。


写真は今年11月にあった、30年ぶりの高校同期会。いやー、おじさんになったもんだねー。

2009年12月30日水曜日

行動を起こせ、改善せよ!


こんにちは

先週、神戸スパコン施設の特別高圧電力の受電に立ち会ってきました。
ぼくらの次世代スパコンはCPUなどとても省エネルギーに造ってはいますが、超並列計算機ですので積み上げると数万キロワットもの電力を消費します。
よって77000Vという高い電圧で受電するのです。
電圧が高いと受電前の試験も念入りにやる必要があります。
受電作業もまるまる一日かかってしまうのです。

その日は幸いなことに天気には恵まれましたが、強力な寒波が日本列島を覆っており、めちゃ寒い日でした。
受電立ち会い試験の場所は、まだ生乾きのコンクリート建屋の中。
受電していませんから、当然ながら空調なんてありません。
屋外よりも寒い場所でした。
みんなぶるぶる震えながらの立ち会いです。

ぼくは発注者監督員ですので、寒かったら適当に歩き回ったり、事務所に戻って暖を取ったりもできます。
が、電気設備を総括する電気主任技術者の方はずーーーっとその場に居続けなくてはいけません。
お願いしている電気主任技術者の方は超ベテラン、すなわちじいさんです。
この寒い中での一日中の立ち会いは酷ですよ。
不快な状況で試験するとイライラもしますから、試験に集中できず好ましくないのです。
環境は大事なんですよ。

受電はしていませんが、見るとその部屋には試験のための仮設電源が引かれていました。
かなり太い電線で引かれていましたし、コンセントにも空きがあった。
これを利用すればいい、と思いつきました。
ぼくはメインの施工スタッフに言いました。

 おいおい、このまま寒い中で立ち会いさせるつもりなのかい?
 ほら、仮設電源にも余裕がありそうじゃないか。
 電気ストーブくらい用意しろよ。

スタッフはようやく動き出しました。
そのスタッフ自身、寒さでぶるぶる震えていたんです。
ぼくが指示して10分後には現場事務所にあった小型電気ストーブが用意されました。
そして1時間後にはしっかりとした電気ストーブも用意されたんです。
車で15分ほどの場所にある、施工会社の支社から取ってきた。
これで寒さは和らぎ、安心して受電立ち会いを継続できたんです。
結果、無事受電完了することができました。

要は「気が利かない」ってことです。
気が利くとは、

 ・現状の不満足な部分に気がつく
 ・それを改善するために行動する

ことです。
現状の不満足な部分に気がつかないのは、アホとしか言いようがありません。
でもそんなアホはめったにいませんよ。
たいていの不満足は、気がついているのにそれを我慢してしまうことに原因があります。
つまり、改善のための行動を起こさないのです。
行動を起こしさえすれば、改善は容易に成し遂げられるものです。
電気ストーブを用意するなんて、あっという間にできること。
なぜ行動を起こさないのかなーって、ぼくは思ってしまいます。

NHKテキスト『知る楽・仕事学のすすめ』¥657-藤原和博「スピード突破力」から引用します。

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いいものは実施する。
多少の不備な点は、やりながら修正していけばいい。
実施もせずにうだうだ悩んだり考えているくらいなら、やってみてからドンドン修正する。
100回修正すれば、たいていの不備は改善されるでしょう。(118p)
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世の中には「改革派」も多いですね。
改革派は、一度に全部を良くしようと考えています。
そして改革派は、改革できないなら何もしない人なんです。
何もしなければ、現状は変わるわけがありません。
変わらないので不満のまま生きているんです。

ぼくは「改善派」なんです。
改善とは、少しでいいから、一部でもいいから、良くしようと考え、実行することです。
とにかく何かできることはないかと探してみる。
そして何か思いついたら実行に移してみる。
もちろん時に大それた「改革」も思いついたりしますが、実行不可能ですよねー。
すぐに実行できるような小技をたくさん思いつくように、常に訓練しているのです。
で、やりながら考える。更に改善できることはないか探す。
そうやって、結果として世の中を改革できたらなーって思っているのです。


受電立ち会いの合間に、15年前にSPring8を建設したときの建設業務室メンバーだった大先輩たちをスパコン工事現場に案内しました。
昔ぼくもこの方たちにずいぶんと技術のことや仕事のやり方などを教えてもらいましたので、ご恩返しです。
それにしてもまあ元気なじいさんたちだこと!

2009年12月29日火曜日

自分という資産


こんにちは

昨日は御用納め。
一昔は御用納めの日は昼過ぎから宴会でしたが、最近は定時まで通常勤務。
とは言え御用納めの日はさすがに重要な打ち合わせなどなく、年休を取ってしまう人も多い。
ぼくは資料が乱雑に積まれた机の上を片付けて過ごしました。
片付けも終わり、定時になったので退勤です。

帰りがけに電気監視員室に立ち寄りました。
彼らは交代で正月も出勤して、キャンパスの電気設備の運転監視をしてくれます。
ぼくは既に電気主任技術者を辞してはいますが、隣のセクションのことでもあるし、近所に住んでいますし正月に遠出もしないので、万が一事故があった時は連絡するよう伝えました。
まあ何もないとは思いますが、監視員の人だって万一の時に連絡が取れる所がある方が安心でしょう。
これもぼくの「余分な仕事」だと思っています。

以前、昼休みにこの監視員室に調べ物があって行ったとき、若い技術員が何やら熱心にパンフレットを眺めている。
除いてみると、投資や外貨取引のものでした。
「へー、投資の勉強してるんだ。面白い?」と聞きました。
彼は目を輝かせて、「100万円で月に20万円稼げるんですよー」と答えました。
20万円というと、彼の月収くらいです。
「毎月君が160時間労働して稼ぐ金額を投資で稼げるとしたら、まじめに働く気がなくなっちゃうねー」と、ぼくは言いました。
詐欺まがいの変な金融商品にだまされないように、やんわりと注意したつもりですが、伝わったでしょうか。

金融工学の研究で、長期的に最大利益を得る投資方法は、すべての株にまんべんなく同金額を投資することである、と数学的に証明されているんです。
そんなことは実際にはできませんが、事実日経株価指数に取り上げられている会社全部に分散投資するような投資信託商品もあります。
すべての株にまんべんなく投資して得られるリターンは、我が国の経済成長率と同等です。
我が国の経済成長率(年率)は、高度経済成長の時代で10%、バブルの頃で5%、近年は1%程度なんです(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4400.html)。
もちろんプロの投資家は成長株を見極めて投資するので、短期的にこれより高いリターンを得られるでしょう。
それでも近年は年利5%程度がいいところのようです。

4人程度の家族があまり不足なく暮らしていくためには、年収500万円くらいあるといいですね。
500万円を投資で稼ぐためには、原資としてどのくらいのお金が必要か計算してみましょう。
投資利率を5%とすれば、これで割り戻すと500万円÷0.05=1億円です。
有能な投資家が1億円を原資として投資をすると、年に500万円稼げるということです。
つまり、1億円もの現金資産を持つ人が、最高度の投資の知識と技術を持ち、日々投資に専心して稼げる金額がやっと500万円足らず、ということなのです。
投資に頼って家族が暮らしていくために必要なお金を稼ぐためには、最低1億円の資産を持っている必要があるのです。
まあ、普通の人は1億円の現金資産なんか持っていないですよねー。

これを逆に考えてみます。
年収500万円稼ぐサラリーマンはごく普通にいます。
500万円稼ぐためには、何かを原資にしなくてはいけません。
サラリーマンの原資は何なのでしょうか。
それは「自分自身」に他なりません。
サラリーマンは自分自身を原資にして、労働という投資をして、収入を得ているわけです。
ですから、年収500万円のサラリーマンの自分自身の資産価値は、年利5%の時代であれば1億円であると計算できます。

自分の年収が500万円だと考えると、あまり嬉しくないかもしれません。
でも、自分の資産価値が1億円もあると考えるとちょっと嬉しくなりませんか?
自分は1億円の価値があると思えば、自分を大切にしたくもなるでしょう。

橘玲『知的幸福の技術』幻冬舎文庫にこうありました。

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経済合理的に考えるならば、元金100万円しかない人は資産運用などせずに働いた方がいい。
年10%の運用益をコンスタントに達成するのは(投資の)プロでも困難だが、年間10万円の追加収入を得るのはさほど難しくない。
その上投資は損をするリスクがあるが、働けば確実に利益が増える。
効率的に投資できるのはまとまった元金のある人だけなのだ。(115p)
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年10万円余分に稼ぐということは、自分自身の資産価値がそれだけ上がるということでもあります。
10万円余分に稼ぐためには、それだけ労働時間を増やすので経験値が上がりますし、スキルも上がります。
つまり、経験値やスキルこそが自分自身の資産価値を上げるものだと言うことができます。

さてさて、ぼくも自分自身の資産価値を上げるべく、今年もがんばってきました。
もちろんやみくもに苦しみながらではなく、楽しみながらね。
ぼくの職場は公務員系なので、実際の働きではなく人事院勧告など政治的なもので賃金が決まってしまうので、年収自体は昨年よりダウンしました。
ちょいと残念ではありますが、政治だから仕方がない。
それでも、スバラシイ人に出会ったり、その人たちと一緒にいい仕事を残したり、もちろん自分自身も楽しく努力して、確実に去年よりもいい1年だったなーって思っています。


写真は、XFEL加速器で造られた高品質電子ビームを既存蓄積リング棟へも打ち込めるようにするための電子ビーム輸送トンネルです。
もう間もなく完成。

2009年12月27日日曜日

お正月には餅食って~

こんにちは

もうすぐお正月ですねー。
お正月になると、お餅をのどに詰まらせて亡くなってしまうお年寄りのニュースが毎年のように流れます。
お年寄りが餅をのどに詰まらせる原因は「嚥下(えんか)反射」が老人になると上手くできなくなるから、と説明されます。

人間ののどは奥の方で、空気の通り道である気管と、食べ物の通り道である食道とに分かれています。
その分かれ道には、食べ物が気管の方に行かないように蓋をする「喉頭蓋(こうとうがい)軟骨」が付いています。
嚥下反射とは、食べ物を飲み込むとき気管の方に食べ物が行かないように、反射的に喉頭蓋軟骨を動かして気管に蓋をする反射のことです。

この嚥下反射は、口からのどにかけての筋肉群が微妙に調整しながら行われるので、お年寄りになるとタイミングが上手く合わなくなってきてしまうのです。
それでのどに餅が詰まってしまうというわけです。

でも考えてみると不思議です。
お年寄りが嚥下反射が上手くいかないのは、正月だけじゃなく年がら年中のはずです。
餅以外の普段の食事でものどに詰まらせることだって多々あるはずです。
でも、日常的にお年寄りがのどに食べ物を詰まらせて亡くなったというニュースはありません。
なぜお正月だけ、老人はのどに食べ物を詰まらせて死んじゃうんでしょうか?

さっそく調べてみました。

お年寄りだけじゃなく子どもでも大人でも、誤って気管に食べ物が入りそうになった場合、それを取り除くために猛烈に咳き込みます。
そういうときによく「気管に食べ物が入った」と言いますが、実際には気管にまで食べ物は入ってはいません。
食べ物がのどの奥の気管の先端に触れるやいなや、強烈な吐気反射が起こって激しく咳き込み、肺からの空気の圧力で食べ物を追い出してしまうのです。
そういうときよく食べ物が鼻の方へと入ってしまいますが、鼻は息の通り道ですから肺からの強い吐気は鼻に抜けるのは当然です。
この吐気反射があるために、嚥下反射が上手くいかずに気管側に食べ物が入りそうになっても、それを取り除いてくれるのです。
これは老人だけじゃなく、子どもでも大人でも同じなんです。

このありがたい吐気反射ですが、もし気管の先端に触れた食べ物がベタベタと粘り着く餅のようなものだったらどうでしょうか。
咳き込んでもちょっとやそっとじゃ吹き飛ばされずに、気管に付着したままになってしまうことが想像されます。
若い人の場合、餅を食ってもよく咀嚼してから飲み込みます。
咀嚼中には唾液とよく混ぜ合わされますから、餅の粘着性も弱くなります。
唾液の量は30歳代では一日に約1500cc、歳をとると分泌量が減り、50歳代では約800ccにも減ってしまうそうです。
また、お年寄りは歯が抜けてしまっていたり、入れ歯だったりするので、咀嚼力も若い人のように強くはありません。
顎の筋肉も弱ってきています。
お年寄りになると、唾液の量が減り咀嚼力が弱くなるので、餅をねばっこいまま飲み込んでしまう恐れが高くなります。

さらに、お年寄りになると肺活量が低下するので、気管に入ろうとする食べ物を吹き飛ばす威力がなくなってきます。
こうした複合要因で、餅をよく食べるお正月に、お年寄りが餅をのどに詰まらせて亡くなってしまうというわけです。

餅がのどに詰まって死ぬと言っても、餅が気管を全部ふさいでしまって窒息死してしまうという場合は少ないそうです。
実際は、気管が完全に閉塞することはめったにありません。
餅のかけらが気管の先端にくっついてしまい、吐気反射が起こりますが、いくら咳き込んでも粘っこい餅は取れずに、果てしなく連続的に咳込みが続いてしまうことになります。
咳き込んでいる間は、十分な呼吸ができなくなってしまいますから、結局は窒息状態に陥ってしまい亡くなってしまうというわけです。
ぼくは子どもの頃ぜんそくでしたので、ずっと咳込みが続くのを想像しただけで、息が詰まりそうです。

餅がのどに詰まる事故を防ぐには、唾液が少なく咀嚼力の弱いお年寄りでも食べやすく調理することが大事です。
つまり、餅は最初から小片にする、最初から柔らかくなるまで煮ておくといい。
でも、そんな風に調理した餅を食べて、餅を食った気がしないというお年寄りもいるでしょうね。。。
ま、お年寄りのいる家庭ではお雑煮の作り方も注意してくださいませ。


餅がのどに詰まる原理は、正高信男『0歳児がことばを獲得するとき』中公新書\680-の63pあたりに書いてありました。

手帳は2年分持て!


こんにちは

ぼくは手帳主義です。
打ち合わせの時は必ず手帳を出し、必要事項をどんどん書き込んでいきます。
何でもかんでも一冊の手帳に書き込んでしまうのです。
スケジュールはもちろん、誰かに嫌なコトされた、なんてのまで書き込んでます(嫌な性格!)。
仕事のスケジュールだけじゃなく、プライベートなことも同じ手帳に書き込みます。
だって身体はひとつなんですから、仕事とプライベートをきっちりと分けるなんてできませんよ。
両者を上手くスケジュールするから、仕事もプライベートも充実するんだと思っています。

先日、仕事で来年のスケジュールについて打ち合わせしました。
すると打ち合わせ相手は来年の手帳を持っていませんでした。
持っていないからスケジューリングできない。
困ったものです。
そいつは、メーカーさんが年末の挨拶としておみやげに持ってくる手帳を使っていました。
今年はまだそのメーカーさんが挨拶に来ないから、来年の手帳が手に入らないとのこと。
ケチ!
手帳くらい自腹で買いなさい!

市販の手帳は10月になれば来年のものが発売されます。
ぼくは発売と同時に購入し、今年の手帳と一緒に持ち歩くことにしています。
10月になれば来年のスケジュールもぼちぼち入ってくるものです。
年度末は忙しいですから、スケジューリングも適切にやっていかなくちゃね。

年が変わったら、前の年の手帳も今年の手帳と共に持ち歩きます。
また次の年の手帳が発売されるまで、前の年の手帳も持ち歩くんです。
年が変わったと言っても、時間は連続しています。
去年のことを参照したいときもあるものです。
特に1~3月くらいの間は、しょっちゅう去年の手帳を見る必要があります。
去年から継続しているものも多いですからね。

また、去年と同時期に同様に行う仕事、例年通りということもたくさんありますから、去年の日程を確認できるのは便利です。
そして次の年の手帳を買ったら、必要な情報を前の年の手帳から新しい手帳へと転記する。
こうしておけば、スケジューリングはバッチリです。

斎藤孝『まずこのセリフを口に出せ!!ビジネスハンドブック』講談社\1300-を読んだら、斎藤さんも去年の手帳も持ち歩いている、と書いてありました(55p)。
斎藤さんは、去年の手帳の表表紙と今年の手帳の裏表紙をクリップで留めていました。
これなら2冊が一体になって、ポケットから取り出しやすい!
ぼくも真似しています。

2009年12月24日木曜日

proved technique


こんにちは

先週、日経新聞の取材を受けました。
次世代スパコンは、マシンは当然最先端技術を使っていると思うが、それを収納する建物にも最先端技術を使っていると思うので、それを聞きたい、とのこと。
それでスパコンプロジェクトに最初から関わり、建屋建設を牽引してきたぼくが取材を受けることになったわけです。

取材を受けるのも初めての経験だし、コーヒー断ちの禁断症状で頭の回転がボーッとしていて、記者の方の質問にスパッと答えられませんでした。
当然そらんじているはずの基本的な数値も、スッと出てこなくて困りました。
それに加えて競争の激しい分野での国家プロジェクトですから、秘密にしなければならないこともあり、言論統制(?)されていたことも頭の回転を鈍らせました。
そんなこんなで伝えたいことを十分伝えられず、取材の後はかなり落ち込みましたよ。
新聞に掲載された記事では、ほどよくまとめられていて安心しましたが。

ぼくの伝えたかったことは、こういうことです。

 残念ながら建屋建設には最先端技術は使っていません。
 なぜなら建物は最先端のマシンを支えるインフラだからです。
 安定したインフラが求められていると考えるからです。

スパコンプロジェクトが始まった頃に、高橋団吉『新幹線をつくった男』(小学館)を読みました。
東海道新幹線を実現させたエンジニア島秀雄さんの物語です。
この本を読んで新幹線が成功した秘訣が分かりました。
新幹線も大プロジェクトだったわけです。
大プロジェクトを成功させるには、

  proved techniqueの集積

が大切だ、ということがわかりました。
provedとは「実証された」「確立された」という意味です。
新幹線は新規な技術を使ったものではなく、実証された技術、確立された技術を集積したものだったんですね。
つまり、決して新奇な技術を使うのではなく、安定して信頼できる技術を上手く組み合わせることです。
まさにインフラとしての技術を支える根本的思想だと思いました。

新奇な技術開発にはリスクが伴います。
安定的に使える技術になるまでは失敗も避けられませんし、時間も読みにくい。
もちろん開発予算だって必要ですが、見込み通りにならないってことはよくある話。
言ってみれば「アテにならない」ものなのです。
プロジェクトの三要素とは、目標と期限と予算です。
だから、プロジェクトを成功させるためには新奇技術に頼ってはいけないのです。
期限と予算の読み切れない新奇技術は、プロジェクトの障害にすらなり得ます。

スパコンプロジェクトには、地球シミュレータという先行した施設がありました。
proved techniqueを知るために、ぼくは何度も地球シミュレータ施設を見学させてもらいました。
技術士会の見学、電気技術者協会での見学、もちろんスパコンプロジェクトメンバーと一緒に。
最初に行ったのは技術士会衛生工学部門での見学会だったと思います。
その時に、地球シミュレータセンターの建屋施設担当の方や電気主任技術者の方と知り合いになりました。
ぼくは見学会の時に、積極的に質問したりして顔を売る、名刺交換をする、見学後すぐに電子メールを送るようにもしています。
こうして10回以上も見に行き、センターの方の話を聞き、運用開始後の状況も教えてもらい、次世代スパコンでも踏襲すべきところ、改善した方がいいところを学んでいきました。
建屋建設工事に着手してからも、施工スタッフを引き連れて見学させてもらいました。
その時センターの方に「質問は関口さんにしてください。既に関口さんの方がお詳しいので」なんて言われちゃいましたー。


写真は計算機室です。
高さ1.5mのフリーアクセスフロアになります。
マシン同士をつなぐ大量のケーブルスペースになるとともに、冷却空気のサプライチャンバにもなっています。
この技術も地球シミュレータセンターに学んだもののひとつです。

2009年12月20日日曜日

一歩一歩少しずつ


こんにちは

おかげさまでぼくの教え子の家出君も、めでたくヘルパー講習を終了。
先週水曜日に郷里の北海道に帰りました。
その前日、修了式の日にぼくは休みを取って彼に会いに行きました。
もちろん家族一緒にね。
修了証を見せてもらって、最後の激励(釘刺し)です。

3年ひとつのことにまじめに打ち込めば、必ずそれを見てくれる人がいる。
つまりは「信用」されるんだ。
そうすれば、君を好いてくれる人も現れるだろうし、あるいは良縁を紹介してくれる人もいるだろう。
だから次に東京に来るのは3~4年後、嫁さんになる人を連れてきなさいね。
結婚式やるなら、ぼくらが仲人やってあげるよ。

修了証をみんなで見ながらそんなことを言いました。
家に帰ってから、こうメールに書いて送りました。

 「おめでとう&さようなら」
  今日はありがとう。
  明日、堂々と故郷に錦を飾ってくださいねー。
  地道にヘルパー講習に取り組んだように、
  これからも小さな努力を積み重ねていってくださいね。
  あきらめずに、しつこく、そして明るくにこやかに!!

すぐ返事が来ました。

  こちらこそお世話になりありがとうございます!
  介護学校で覚えた事や経験したことを生かし地道にコツコツと頑張ってまいります!
  後は最後まで諦めずにやり遂げる気持ちを忘れずに精進します!!
  本当に感謝してます!!
  ありがとうございます!!

ま、言うは易く行うは難し、なんですが、ヘルパー資格取得も彼にとっては初めて自分で努力した結果です。
やり遂げられたことを誇りに思っていい。
その思いを忘れずに、多少の嫌なことにもめげないで、少しずつ、一歩一歩自分の人生を築いていってほしいと思います。

森博嗣『自由をつくる自在に生きる』集英社新書¥714-から引用します。

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自由を得るためには、毎日少しずつでも良いから前進をする作戦が最も有効だと思う。
どんな山でも、一歩一歩登っていけば、いつかは頂上に辿り着ける。
目標は見えているのだから、休まずそこを目指す。
今日できることをする。
なにかできることはないか、といつも探す。
そして、無理をせず、時間をかけて少しずつ進む。
そうすることが、一番楽なのである。
僕は若いとき、一気に集中してものごとを片づける人間だった。
しかし、あるとき、それでは結局のところ肉体的限界を超えることができない、と感じた。(173p)
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ぼくも一歩一歩、少しずつでも前に進んでいきたいと思います。
教え子に恥じぬよう、我が子たちに恥じぬよう、そして嫁さんに捨てられぬよう!

目力!


こんにちは

はつき君もとんたんもとても目力があります。
瞳がいつも真っ直ぐでキラキラしている。
先日水田トラストの収穫祭に行ったときも、隣に座った初対面の方に「ホントいい目してますねー。将来大物になりますよ!」なんて言われました。

目は脳の出先機関ですから、目の輝きは脳の働きとイコールなんです。
脳が好奇心いっぱいで楽しんでいるとき、目は真っ直ぐきらきら輝き、表情もよくなる。

松永暢史『子どもを親より賢くする本』PHP¥1200-にこうありました。

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子どもが一生懸命考えているとき、それは表情にはっきりと表れるものです。
普段よりも賢い顔になります。
親は子どもの表情をよく観察し、この瞬間を見逃さないでください。
子どもが深く考え、賢そうな顔つきになったら、親は決してその邪魔をしてはいけません。(略)
子どもの顔つきが変わったら、時に「いい顔をしているね」といったほめ言葉をかけて気持ちを引き立てながら、できうだけ待ち続ける。
物事について深く考えることを重ね、やがて子どもは賢く成長していくのです。(32p)
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子どもが言い表情をして瞳をキラキラと輝かしているときは、何かに一生懸命になっているとき。
親はその時子どもの邪魔をしてはいけない。
子どもが今やっていることが一段落するまで待ってやる。
それが大切なんですね。

で、一段落したら「いい顔してたよ!」と言ってあげる。
「熱中してたねー」と、集中していた状態を言語化してあげる。
そうすることによって子どもも、集中するとはどういうことなのかも分かっていくのだと思います。
そうすれば、自分の意志で集中することもできるようになっていく。
集中できれば、深く考えることができ、何事にも自主的に楽しく取り組めるようになる。

我が子たちも、目力のある明るく輝くような表情で居続けてほしいと思います。

2009年12月15日火曜日

個性をはき違えるな


こんにちは

この前、まだ1歳か2歳の子どもなのに、髪の毛を金髪にしている子どもを見かけました。
この年齢ですから自分の意思じゃなく、親が染めたんでしょうね。
もちろん、一緒にいたお母さんも金髪でしたから、子どもとおそろいってつもりなんでしょう。
肉体が出来上がって自分の意思も確固とした年齢の子どもが、自分の意思で髪を染めたなら文句はありませんが、未だ乳幼児といった年齢の子どもの髪を親の好みで染めるのは賛成できませんぞ。

髪を染めるための薬はかなりの劇薬です。
老人である我が家のおばあちゃんは、髪を染めると必ず具合悪くなる。
それでも若作りしたくて染め続けていましたが、とうとうギブアップ。
具合悪くなるくらいなら白髪でも仕方ない、と割り切ったようです。
そのくらい髪を染めることは、体力がなくなった人にとって劇薬なんです。

ほ乳類の頭部は元もと魚のエラと発生的に同じ部分です。
顔の筋肉はエラを動かす筋肉が進化したものです。
ですから、顔や頭部はエラのように物質を吸収しやすい場所なのです。
そこに劇薬を塗りたくるのですから、体力がない人は具合悪くなってしまうわけです。
乳幼児も未だ体力的に十分発達しているわけじゃありませんから、髪を染めるのは体のためにはよくありません。

子どもの髪を染めちゃったりする親は、それで個性を発揮していると錯覚しているんだと思います。
ぼくなど口が悪いですから、髪ぐらいしか個性を発揮するところはないんかい、って言ったりします。
ともかく、個性というものをはき違えている人が多くなっているように思いますね。

林義道『父性で育てよ!』PHP\1300-から、ちょっと長いけど引用しますね。

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本来「個性」とは、秩序を乱したり、ルールを破ったりするものではないはずである。
それが「個性」と「無秩序」とが同じになっているということは、「個性」についての理解のどこかが間違っているからではないであろうか。
つまり、個性を重んじることが悪いのではなく、間違った個性の理解にしたがって個性を重んじることが悪いのである。

個性的教育を唱える人の中で、本当に個性とは何かということについて、深く考えたことのある人が、どれだけいるであろうか。
「個性」について、どれだけ本気に考えているかを試そうと思ったら、「個性と規律」の関係について質問してみるとよい。
「個性と規律を相反するものですか?」「個性と規律はどういう関係にあるのですか?」と。

私の答えはこうである。
「個性を伸ばすためには、きちんとした人格的な基礎ができていなければならない。
その基礎とは、自分をコントロールできる能力、最低限必要な秩序感覚、他人と協調するために集団規律を守ること、最低限の善悪の判断力である」。
これができてない人間が「個性的に」なろうとすると、他人に迷惑をかけるだけの、ただのわがままになってしまう。

個性とは、単に他と違っていることではなく、何か価値を主張できるものでなければならない。
他と違った価値を持っていること、他よりぬきんでた特徴のある価値を持っていることである。
そういう特徴は、良識のある人格的な基礎の上に成り立つものである。
このことが分かっていない者は、「規律に従うと個性的でなくなる」と思いこんでいる。
だから規律を破る「自由」をいちばん価値のあることだと勘違いする。
他人と違う行動をするだけで個性的になれたと勘違いしている者たちである。
たとえば髪の色を自由にすることが、個性的教育だと勘違いしている。
髪の色だのポルノの表現などというくだらないことのために、「自由」という大切なことを浪費しないでもらいたいものである。
「自由」というものは、本当に人間の尊厳を守るといった、大切なことのために使うようにしたいものである。(93-94p)
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他人と違うことが即個性なんじゃないのです。
きちんとした価値を伴っていることが必要なんですね。
髪を染めることで何か価値を生んでいるのか、よく考えてみることです。

たとえば一昔の飲食店の女性なら、髪を染めることによって非日常的な経験をお客さんに提供して、お客さんを呼び込むといったような価値があったかもしれません。
でも今は、銀座の高級飲食店の女性はみんな自然な黒髪なんだそうです。
黒髪の方がお客さんが寄って来て、価値を生み出しているんだって。

自分の子どもの髪を染めることはどうなのか。
それによってどんな価値が生み出され、個性を発揮することに貢献しているのか。
価値も生まず、健康を害しているだけなんじゃないかって。

我が子たちには本当の個性とは何か、きちんと理解してもらいたいです。
理解できるようなしっかりとした学力を身に着けてもらいたい。
そう願っています。

お父さん、かっこいい!


こんにちは

ぼくの誕生日にはつき君が「お父さん、かっこいい」ってメッセージカードに書いてくれました。
てっぺんハゲになりかけ、エム字ハゲも小文字から大文字に変わりつつあるぼくですが、子どもからみたらかっこいいんでしょうか。
なんだか照れ臭いですね。

最近、伊坂幸太郎の小説にはまっています。
小説の中のフレーズがことごとく「腑に落ちる」ちゃいます。
たとえば『チルドレン』の中で、主人公にこんな意味のことを言わせています。

 大人がカッコよければ、子どもはグレない

うーん、かっこいい!
子どもがまともに育たない原因の大きなものに、あこがれる大人、真似したい大人がいないっていうことがあると思います。
つまり、ダサイ大人ばっかりしか見ていない。
それじゃ大人になっても面白くないわけですから、いつまでも子どものまま、ワガママ放題し放題になるのも当然です。

特に父親が子どもにとってかっこいい存在じゃなくなっちゃっている。
父親自身もしょぼくれちゃって自信なさげに家の中にいる。
100年に1度の不況で給料もダウンし、ますます自信がなくなっている。
追い打ちをかけるように、母親が「お父さんのようになっちゃダメよ」なんて言ったりする。

反面教師、ということもありますが、子どもにそれは難しいんです。
反面教師というのは、自己がある程度確立している子どもじゃないと成り立たない。
やはり最初は、ぼくもお父さんのようになりたいな、お母さんのようになりたい、というロールモデルとなる必要があるんです。
自分がなりたい人物があって、そのために努力する。
そうやって自己が形成されてきているから、悪い例を見たときに反面教師にできるわけです。

林義道『父性で育てよ!』PHP\1300-にこうありました。

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親の権威というのは、ただ子どもから尊敬されているというだけでは不十分なんです。
そこには「好き」という感情が加わらないといけません。
好かれていて、しかも尊敬されているという、この両方が混じっていないと駄目なんです。
尊敬されているだけじゃ、怖いとか、親しみがないということになってしまいます。
その反対に、ただ好かれているというだけだと、好きだが軽蔑しているということになってしまいます。
(40p)
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子どもに好かれようとしている親は多いと思います。
でもその思いは、子どものためというより親自身のためのような気がしてなりません。
つまり、子どもに嫌われたくないというネガティブな思いだからです。
親自身、自分を守るために子どもに好かれようとしているわけです。
これでは、子どもの奴隷になってしまいます。
林さんはさらにこう言います。

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お父さんの場合でも、子どもの言うことを何でも聞いてやる、子どものほしがるものを何でも買ってやる、何をやっても自由に放っておく、というふうだと、たしかに子どもにとっては便利ですから、子どもは「お父さん好き」と言いますが、子どもはお父さんを決して尊敬していません。
いざというときには、お父さんの言うことを聞きません。
お小遣いをもらうために表面は言うことを聞きますが、陰では破っています。面従腹背になります。(41p)
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好かれたいだけの親は、子どもにとって便利な奴隷でしかありません。
そういう親はちっともかっこよくありません。
好きという感情に尊敬という理性が加わったとき、子どもは親を「かっこいい」と思ってくれ、親のようになりたいと思うのだと思っています。

まあいつかは子どもは親を乗り越えていくわけで、オヤジもたいした人物じゃなかったんだ、と気付く時期もくるでしょう。
でもあまりに早くそうなっては、親の役目を果たしたとは言えないと思います。

少なくとも10才、できれば15才くらいまでは、子どもにとってカッコイイあこがれる親でありたいと思っています。
さて、どこまで自分を引っ張れるかなー。

情けは人のためならず

こんにちは

ぼくはよくSPring8( http://www.spring8.or.jp/ja/ )へ出張に行きます。
SPring8までは、JR相生駅からバスに40分ほど乗っていきます。
途中に兵庫県立大附属高校のバス停があります。

この間、仕事が終わって帰路に着くためバスに乗った時刻が、ちょうど学校の下校時刻と重なっていました。
途中のバス停から学生たちがたくさん乗り込んできました。
だけど、テキパキ乗ればいいのにみんなダラダラ乗り込むもんだから、いつまでたっても発車できない。

そのバスは定刻に相生駅に到着すれば、5分後くらい発の新幹線に余裕で乗れるはずでした。
学生たちのダラダラ乗車のために、相生駅への到着は5分遅れてしまいました。
新幹線の発車まで残り1分。
ホームに目的としている新幹線が既に到着しているのが見えました。
ぼくはダッシュして駅の階段を駆け上りました。
が、新幹線ホームまでの距離は長く、ホームに着いたときには動き出しちゃってました。。。
あ~あ。。。
相生駅に止まる新幹線は1時間に2本ほど。
次に出るこだままで40分以上待つはめになってしまいました。
クソー、学生らめ~!

ぼくはまた次世代スーパーコンピューターの開発( http://www.nsc.riken.jp/index.html )にも参加しています。
事務所は丸の内に構えていますから、朝のラッシュの中出勤することになります。
朝の8時頃の電車は以前ほどではないとはいえ、寿司詰め状態です。
でも電車は遅れず、定刻運転しています。

それはなぜか。
乗客がテキパキ乗り降りしているからです。
誘導する駅員の指示に素直に従って、整列乗車。
降りる人が全部降りてから、乗るわけです。
ダラダラした乗り降りをする人はめったにいない。
これが定刻運転に必要なことなんです。
つまり、いくら電車を運行する側がしっかりとしていても、それを利用するお客さんも協力することなしには、定刻運転はできないということです。

さて、これからが言いたいことなんですが、最近の学校が荒れていて授業が成り立たない原因を、学校の側ばかり、先生の側ばかりに求めているような気がしています。
学校だって、授業だって電車やバスと同じ面もあると思います。
整列乗車と同じことが学校にも授業にもあるんだと思うのです。
先生と生徒がお互いに協力するから、学校はうまく機能するんだと思います。
先生の側もいい授業をするべく準備する。
生徒の側もそれに協力して、授業に参加する。
相互に協力し、努力し合うことによって効果的に授業はできるのです。

電車が遅れず運行することは、お客さんにとって最大のメリットです。
授業が効果的に機能することは、生徒の成長にとって最大のメリットであるはず。
メリットを最大にするために、自らも協力する。
そういうことが、今の学校では忘れられているように思えて仕方ありません。

2009年12月14日月曜日

車に轢かれた。。。


こんにちは

コーヒーを止めて10日経ちました。
禁断症状に苦しんでいます。
やたら眠い。
ボーッとして頭に霧がかかったようで、気がゆるむと心があちらの世界に行ってしまうのです。
友だちによると、カフェインが身体から抜けるのに3週間はかかる、そうです。
3週間経つとぱーっと頭が晴れ上がる(ハゲあがるじゃないよ^^;)。
それを楽しみに、我慢、我慢。

先週末はSPring8出張でした。
隔週一泊二日でXFEL建設工事の監督に行っています。
SPring8出張時の定宿は兵庫県立先端科学技術支援センター。
そこからSPring8までの約3km、歩いて移動しています。
その日もガシガシと歩いていました。
歩いているといろんな想念が頭に浮かびます。
アイデアも生まれていいことなんですが、注意散漫になるのも確か。
おまけにコーヒーの禁断症状が加わっています。
ぼくの心、ここにあらずって状態で歩いていました。

県道は通勤の車がビュンビュン走っていました。
8時頃のことです。
信号が青に変わったので横断歩道を横断。
左視界に車が右折してくるのが見えました。
でも徐行してゆっくり右折してきていたので、きっと停止するだろうと思いました。
そこまで確認してぼくの心はあちらの世界に移動、ぼくは歩き続けました。

するとグイグイと左足を押すものがある。
何だ?!
心をこの世に戻すと、さっきの右折車が車体前方をぼくの左膝あたりに押しつけてきてるんです。
やばい、轢かれる!
このままぼくが転倒し車が更に前進してきたら、内輪差によって間違いなくぼくの脚は後輪で轢かれます。
当然ぐしゃぐしゃの複雑骨折!

ぼくは必死に倒れないように、右足を踏ん張りました。
車の前輪はぼくの左足の甲を踏み越して停止。
あちゃー、結局轢かれちゃったよー。

前輪で轢かれた左足はそれほど痛みませんでした。
大したことはなさそうです。
でも交通事故は後からケガが分かることも多い。
事故にあったばかりの時は、緊張しているので痛みも感じにくいからね。
やっぱりきちんと警察を呼んで、事故証明してもらわなくちゃと思いました。
我ながら意外と冷静で、頼もしいねー。

運転手に指示して道路脇に停車させ、ぼくも歩道に待避。
運転手は年配の女性(ぼくと同年代?)。
すぐに警察に連絡してもらいました。
先に近所の救急車が到着。
救急隊員に足を診てもらいました。
何でもなさそうだけど、病院でちゃんと診てもらいなさい、とアドバイスを受けました。

幸いなことに(?)運転手は近所の病院の看護婦さんでした。
その病院に整形外科もある。
救急病院ではないけれども、診察可能とのこと。
さっそく救急車に乗って、その病院へ。
救急車なんてめったに乗れるものじゃないから、ワクワクです!

そしてその病院へ。
その病院はできて3年の新しい病院。
最新設備が揃っています。
診察を受け、レントゲン撮影の合間も、カメラで写真撮りまくり。
楽しい、楽しい。
レントゲンも写真フィルムではなく、CCD?撮影で即お医者さんへとデータが届きます。
すごいねー。

レントゲンの結果、骨には異常がないようでした。
あ~よかった。
ってお医者さんに「前輪に踏まれて骨が折れなかったなんて、ラッキーすぎますねー」なんて言われちゃいました。
診断結果は、打撲全治3日。
その後相生警察が来て、パトカーの中で事情聴取。
パトカーにも乗れて嬉しいなー。
で、全面的に運転手の不注意、となりました。
まーぼくもボーッとしていたんで、まったく責任がないとも言えないのですが、信号を守っての横断歩道での事故ですから、道路交通法上運転者に注意義務がありますからね。

ちょっと左足がびりびりとしびれていましたが、歩行には支障なさそうなので、その病院から歩いて現場に向かいました。
現場打ち合わせには15分遅刻で合流。
もちろん、事前に遅刻する旨、事情を連絡しておきましたが。
ザクザクといつも通り会議を仕切って来ました。

と書くと、とても冷静だったように思えますが、さすがのぼくもちょいと動転していたんですね。
パトカーの中で身分証明書の提示を求められ、財布から運転免許証を出したんです。
で、パトカーの座席に財布を置き忘れちゃったんです。
会議中、警察の方から携帯に電話がありました。
「関口さん、事故は大したことなかったけど、大事なもの忘れてるでしょー」
あー、楽しい一日でした!
あはははは。


写真は最新式のレントゲン装置。
興味津々!

2009年12月13日日曜日

よっちゃん49歳!


こんにちは

12/12はぼくの49歳の誕生日でした。
50歳まであと1年になっちゃいましたねー。
「将来大物、今小物」をモットーに小物のまま生きてきたぼくも、50代は大物へ発展する予定ですからね。
この1年も実力を付けるべく、健康で元気に楽しくがんばろうと思います。

いつも元気で若々しく行動しているぼくですが、やはりトシには勝てないなあってことがありました。
11月にお台場未来科学館でサイエンスアゴラが開催され、ぼくも実験教室を開催しました。
その時写真を撮ってくれた人から、写真をもらいました。
ぼくが子どもたちに熱心に工作のやり方を説明している場面。
その写真にはぼくの頭のてっぺんが写っていました。
ストロボ光がぼくの頭でけっこう反射しているのが、バッチリ写ってるんです。
ああ、いつの間にかぼくの頭頂部の冷却効果はよくなっていたんですね。。。

晶ちゃんにその話をしたら「あら、知らなかったの?」だって。
人が悪い!!
そういえばおでこのM字も、角度が鋭角になってました。。。
ま、それもぼくの個性ですからねー。

お誕生日、家族がメッセージを書いてくれました。

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よっちゃん、おたんじょう日おめでとう。
いつもあそんでくれてありがとう。
おとうさんっていつもやさしくて、かっこいいね。
いつも早起きだね。
出張とか理研とか行く日もあるけど、お休みの日もあるね。
お休みの日にぼくたちが岩手のホテルに行っても、るすばんしてくれてありがとう。
おとうさんっていつもえらいね。
             はつき君より


へたんぐー。おしりぷりぷり。
フォークリフトー!
へーくーじゅ。
へったんぐっちゅ。
へったんぐっくっ。
へったんぐっこー。
        とんたんより


HAPPY BIRTHDAY、よっちゃん!
49歳おめでとう。
いつも家族のために一生懸命お仕事してくれてありがとう。
これからも元気に楽しく、お互いの欠点を補い合って、よりよい家族になっていきましょうね。
よく学び、よく遊び、よく笑う、スバラシキ家族目指そうね。
私と結婚してくれてありがとう。
取っても幸せです。ホントにありがとう。
               晶子より

2009年12月8日火曜日

水と餌とねぐら


こんにちは

知人の子どもで、不登校になっちゃった中学生がいます。
学校でいじめられたのが原因のようです。
学校に行かないんだからその分の勉強を少しでも自分でやればいいんですが、日がなTVとゲームで過ごしてしまいます。
ゲームでも真剣にやれば少しはいいと思いますが、暇つぶしのためにだらだらやっている。
だんだん生活リズムも狂って、昼夜逆転。
おきまりのコースですね。
三度三度の食事は母親やおばあちゃんが作ってくれるので、一人前に食べます。
家からほとんど出ないので、運動しないからみるみるうちに太っちゃって、ぼくより巨漢になってしまっています。
ちょっと過保護にされすぎているように思いますよ。
彼を見ていると、研究用に飼育されている実験動物を見ているような気持ちになってしまいます。

晶ちゃんの教え子の中にも、中学時代不登校だった子がいました。
その子は今東京に出てきて、女優の卵として頑張っています。
もちろん一人暮らし。
親から援助してもらっているとは思いますが、バイトをしながら生き生きと貧乏生活を楽しんでいます。

不登校やひきこもりが成立するためには、必ず親や家族の存在が必要です。
親や家族がその子の衣食住のめんどうを見なければ、不登校も引きこもりも成り立ちません。
一人暮らしのひきこもりなんて聞いたことがありませんよね。
一人暮らしをするには、腹が減れば飯を食いにいったり、スーパーに買い物に行ったり、何らかは社会と関わらざるを得ないわけです。
親や家族が至れり尽くせりし過ぎちゃうのも、不登校やひきこもりを助長してしまうのではないかと思います。

確かに学校でひどいいじめに合ったなら、休ませるのは正しいことだと思います。
でもね、休むのなら家で勉強させるとか、家事の手伝いをさせるとか、お使いに行かせるとかした方がいい。
学校へ行くのと同等の負荷を子どもにかけないと、成長期の貴重な時間を無駄に浪費してしまうように思うのです。
学力がついたり、家事が上手くできたり、お使いに行ってお店の人と交渉が上手くできたりすれば、子どもの自信になります。
自信が着けば、いじめにもそうそう遭わなくなるのではないでしょうか。

養老猛司『まともな人』中公新書\700-から引用します。

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実験動物は、生まれたときから籠の中で、水と飼料を十二分に与えられて育つ。
籠の外に出すと、恐る恐る歩いて、逃げ出したりはしない。おかれた机の端をヒゲで触って、どんなところかゆっくり調べているつもりらしい。
籠の中という環境は、自然の状況に比較したら、きわめて単調である。
そこでは動物は、生まれ持った能力のほとんどを使う必要がない。
いまでは大学で出合う若者たちが、こうしたマウスやラットのように見える。

だからといって、日本の将来を悲観しているわけではない。
そうした育ちのネズミが籠から出てしまうことがあった。
一週間もすると野生化して、簡単には捕まらなくなる。
当時の大学は、いまとは比較にならないほど管理も悪く、建物もボロだった。
野良猫が自由に出入りしていたり、廊下をクマネズミが歩いていたりした。
そういう環境に放された籠のネズミは、アッという間に野生化する。
水と餌とねぐらを、自分で探さねばならない。
周囲は危険に満ちている。
そういう状況に置かれたとたん、籠育ちのネズミが急速に育つ。

いま教育問題がやかましい。
子どもの評価のなんとかとか、指導要領のなんとかとか、教育の問題を議論する会合に年中呼び出される。
教育の根本はなにかというなら、話は簡単である。
水と餌とねぐら、それを自分で探すようにさせる。
そうすれば、アッという間に子どもは育つ。(34-35p)
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水と餌とねぐらを自分で得ることができるようにすること、それが教育の根本の原則なんだと思いました。
はつき君、とんたんにも野性味のある人間に育ってもらいたいです。
そして、自分で水と餌とねぐらを見つけるだけの実力を持ってもらって、自分の家族をつくっていってほしいなーって思っています。

マイペースとは何か


こんにちは

人生とは自分というリソース(資源)の使い方なんだと思っています。
自分というリソースをよく把握し、うまく使いこなして命を輝かせることだと思います。
使い方を間違えたり、分配を間違えると、命はすり減ったり錆び付いたりしちゃうものなんだと思います。

そのためには、自分を自分のコントロール下に置き、決して他人にコントロールさせないことです。
他人に振り回された生き方をすると、自分というリソースをいたずらに浪費してしまいます。
具体的には、どんなことに注意すべきなのか。

一番は、他人にスケジュールを握られないこと。
そして、まだかまだかと催促されないこと。
催促されると自分のペースを崩され、他人のペースに自分を合わせなくてはならなくなります。
すると自分のリソースのある部分だけを過度に使ったり、逆に遊ばせておかなくてはならない部分ができたりします。
非常に非効率になります。

だから大切なのは、催促されないようにすることです。
催促されないように、たとえ他人から与えられた締め切りでも、締め切り通りに仕上げたり、それよりちょっとでも早く仕上げられるように自分で段取る。
締め切り日は他人が決めたものかもしれませんが、それに至るまでは自分で決められます。
自分で決められるから、自分というリソースを自分でコントロールし、適切に配分することも可能です。

また、きちんと期日、締め切り日を決めておかないのもいけません。
「なるべく早くね」と言われていた仕事を、翌日に「できた?」なんて催促されたことはありませんか。
「早く」は人によって違うものです。
自分は来週までくらいだろうと思っていても、他人は明日までと思っているかもしれないのです。
だから、曖昧な約束はしないことです。
期日が双方明確であれば、期日までは催促されないことが確約されます。
ならば、それまでの期間は自分でコントロールできることになります。

マイペースというと、他のメンバーのことを考慮しないで自分のことをやる人、と思われています。
でもそれは違う。
そういう人は、催促されちゃいますからね。
本当のマイペースとは、他のメンバーに迷惑をかけずにザクザクと気分よく、自分の立てた計画に従って仕事をこなす人ってことだと思います。

つまりは催促されないこと。
時には催促でもされないとやる気が起きないようなこともありますが、原則は催促されなくて済むようにすることが大切だと思います。
これが自分らしく生きるための「技術」のひとつだと思っています。


催促されないと余裕が生まれます。
沼津出張ついでに、乗りたかった「特急あさぎり」に乗れました!

2009年12月7日月曜日

悩むな、踏ん切れ


こんにちは

昨日は「ダンドリ力検定」を受験してきました。
ぼくは別名「ダンドリー関口」と呼ばれるほどのダンドリ好き。
この試験も難なく全問回答できましたよ。
もちろん試験対策できちんと勉強したことによって、プロジェクトワークの知識と技術を整理できました。
ますますダンドリーでいられますぜー。
ぼくは、毎年ひとつは何らかの資格を取り、自分の腕を上げていくことを目標としています。
今年もこの目標はクリアできそうです。

さて、前便で「悩むことは無駄」と書きました。
と言っても、ぼくだってまったく悩まないわけではありません。
少しは悩むこともあります。
以前、ちょっとおかしな奴から理不尽な要求を突きつけられたことがありました。
どう考えても不合理な要求で、その目的は明らかに「関口憎し」なんですよ。
ぼくは一部の人からとても嫌われていますからね。

いえ、あえて一部の人から嫌われるようにしているんです。
嫌われてもいいやって思っている。
すべての人に好かれるようにすると、自分自身ってもんがなくなっちゃいますから。
どんな社会、どんな組織にも10%くらいのおかしな人を抱えているものです。
こういう人にまで好かれたいと思うと、時間と精神を浪費します。
ぼくはぼくを応援してくれる人、ぼく自身が価値を見いだしたものに、ぼくの時間と心と労力を使いたいんです。
それが合理的だって思うから。

で、その理不尽な要求に対して悩みましたよ、一晩。<-短すぎる?
ケンカするのも嫌だし、大した手間でもないからその要求通りにやっちゃおうかとも思いました。
でもねー、不合理なことをやるのはぼくの信条に反しますし、公的に見ても無駄です。
でもそいつに説明し、説得しようと思ってもそれも無駄。
だって最初から目的は関口憎しで感情的になっているだけで、正しいことを要求しているわけではないからです。

頭のよい人と悪い人の違いは何か。
頭のよい人にだって感情はあります。
怒ることだってあるのは当然です。
でも自分の感情と異なる合理的な説明があり、自分もそれに納得できる場合、自分の感情を抑えることができる。
感情より合理を上位に置ける人が、頭のよい人だと思っています。
なので合理を理解できず感情に振り回されるだけの人に、いくら説明しても絶対に納得はしてもらえないのです。

こう言うときは「金持ちケンカせず」がベストチョイス。
最悪、ケンカになっても公の場でやればぼくの方に合理性があることを示すことができます。
議論とは1対1でやるものではないんです。
その他聴衆がいるべきものなんです。
どちらに合理性があり、正しい選択かは、その聴衆が決めるものなのです。
聴衆は岡目八目で感情的になっていないので、より合理がわかるものなのです。
よって、とりあえずそいつの理不尽な要求は無視することにしました。

森博嗣『自由をつくる自在に生きる』集英社新書¥714-にこうありました。

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僕は、だいたいにおいて、他人の目を気にしない人間だと思う。
自分が基準なので、自分が普通だと思うわけで、結局、「何故、みんなはあんなに人の目を気にするのか」と考えるはめになる。
ものごとを客観的に観察しようとすると、人の目といった想像上の(思い込みの)自分の目こそ疑いたくなる。
もう少し説明すると、「人の目を気にする」人間の大半は、「自分の周囲の少数の人の目を気にしている」だけである。
そして、「人の目を気にしない」というのは、自分一人だけの判断をしているのではなく、逆に、「もっと確かな目(あるときは、もっと大勢の目)」による評価を想定している、という意味だ。
それは、「今の目」だけではなく、「未来の目」にも範囲が及ぶ。
それが「客観」であり、「信念」になる。(55p)
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人の目を気にする人間の大半は、自分の周囲の少数の目を気にしている、ってホントですね。
やっぱり自分の周りにいる人の影響は大きいですから。
もちろん気にすべきことはしないといけませんが、合理性のない無意味な目まで気にしていてはいけないんです。
そういうときは「踏ん切る」しかない。
自分の方に合理性があり、多くの人に益することになり、よりよい未来を創り出せるという信念があればいい。
それが客観にもつながっていく。

ぼくはあまり悩まないようにしています。
なぜなら悩みの多くは、「問題」に変えられるからです。
問題とは、考えれば解決法が見えてくるものです。
考えて分かるものは考えればいいんです。
そして行動に移せばいいんです。

考えても解決法が分からないものが最後に残った悩み。
ごく僅かに残った悩みの大部分は、たいていは人間関係です。
人間関係は、自分の力だけで変えることはできない。
他人と過去は変えられない、のですから。
考えても分からないんだから、考えるだけ無駄、時間の浪費です。
こういうものは踏ん切るしかないと思っているのです。
踏ん切って、とにかく前に進む。
そうやれば、自分と未来は変えられるんですよ!


写真は、先週末職場で10年ぶりに復活した餅つき大会。
大盛況でしたよ。
ぼくはこういうことにぼくの労力と時間を使いたい。
だって、ハッピーマニアなんだもん!

2009年12月6日日曜日

愛すること、働くこと


こんにちは

先週木曜日12/3は、はっちゃんの幼稚園のお遊戯会。
はっちゃんの通う練馬幼稚園は、3学年16クラスもある少子化の時代でも園児の減らない名門校。
園児がたくさんいるので、お遊戯会も木曜日と金曜日に分けて開催します。

はっちゃんのクラスが木曜日になるのか金曜日になるのか、やきもきしていました。
なぜなら木金、ぼくは必ず関西に出張だからです。
お遊戯会の日程も、神戸スパコン現場への出張と重なっていました。
が、木曜日午前だったら何とかやりくりしてお遊戯会を見ることができる。
はっちゃんのクラスが木曜日になりますように!と祈っていました。

祈りが通じて、木曜日に決定したことが2週間前に分かりました。
2週前の神戸スパコンでの打ち合わせも、お遊戯会当日のことも考慮してザクザクとこなしました。
もちろん現地スタッフの皆さんにも事情を話して協力してもらいました。
よし、これならお遊戯会見てから出張に出発できるぞ、という状況を作り出せました。

その後、電力会社からどうしても当日打ち合わせないとならないというオファーが入りました。
午前にお遊戯会を見て午後一番に出発すれば、夕方5時には神戸に着きます。
5時から打ち合わせることで約束しました。

でも不安要素が。
はっちゃんのクラスの出番がプログラムの何番目になるか、まだ分からなかったんです。
最後の方になったら、プログラムは押せ押せで遅くなるのが常ですから、午前中に終わらない可能性も。
ようやくプログラムの公表があったのが、前々日火曜日。
すると、なんとはっちゃんのクラスの出番はトリ、最終プログラムだったんです。
うわー、ちょっとやばいかも?!

とりあえず、打ち合わせの相手方に「もしかして30分か1時間遅れるかもしれないけど、大丈夫ですか」と連絡を入れました。
「大丈夫です。安全に来て下さい」と言ってもらいました。
ホッと一安心。

はっちゃんの出番を無事見終わって、飛び乗った新幹線の中で斉藤孝『フロイトで自己管理』角川oneテーマ¥705-を読みました。

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フロイトは、人生の目的は愛することと働くことだ、といった。
まず、父親が「働くことは大事なんだ」と示す。
人生の中心が働くことにあって、「それはとても充実した幸せなことだ」というメッセージを伝える。(187p)
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なるほど。
子どもに愛情を注ぐのは父親として当然のことですが、それは「働くことを通して」愛情を示すことも大事なんですね。
お遊戯会ではっちゃんのがんばる姿もしっかり見て、夕方からの打ち合わせもやりきることができ、仕事も滞りなく実行することができました。
ちょっと綱渡りみたいな一日でしたけど、家族を愛することと働くことの充実感も味わうことができた一日でしたよ。
スバラシイ!

2009年12月3日木曜日

三毒追放!

こんにちは

とうとうコーヒーを止めることにしました。
これまで朝起きるとすぐにコーヒーを入れて、マグカップ3杯がぶ飲みしてました。
そうしないと頭が眠りから覚めない感じがするんです。
もっと以前は一日中コーヒーを飲んでいましたが、夜寝付きが悪くなるので午後からは一切飲まないようにしていました。午後からは水か白湯です。
でも朝だけはコーヒーを止められなかったんです。

勝間和代さんの本に、麻薬もお酒もタバコもコーヒーも「奴隷の嗜好品」、と書いてありました。
どれもひどくツライ現実を一時的に忘れるためのもの、ってことです。
ぼくは麻薬はもちろん、お酒もタバコもやりませんが、コーヒーもそうだったとは知りませんでした。
たしかにコーヒーのカフェインは、イライラした気分を沈めますからね。
さらに林望先生の本にも、加齢臭の原因は酒、タバコ、コーヒーだと書いてありました。
これは大変、ぼくもそろそろ加齢臭が気になる年齢です。
これでコーヒーを止める意志が固まりました。
朝もお茶にしようと思います。

医学的研究によると、タバコやコーヒーを飲むと気分がスッキリすることは事実だそうです。
でもそのスッキリレベルですが、タバコやコーヒーを飲まない人の通常の意識レベル程度なのだそうです。
つまり、タバコやコーヒーの効果が切れると、普通の人以下の意識レベルに脳がダウンする。
そこで再度タバコやコーヒーを飲むと、普通の常態に戻るだけなんです。
実際、酒、タバコを止めてみると、仕事の効率が3割から5割もupするそうです。
薬物って恐いですね、確かに奴隷のものだって言うのも分かります。
現実のつらさを意識レベルを下げることによってやり過ごすってことだからです。

勝間さんの本に「三毒追放」ということが書いてありました。
三毒とは、妬まない、怒らない、愚痴らない、ということです。
もともとは仏教の教えにあることだそう。
三毒を追放すると、ツライ現実をごまかす必要がなくなるので、ニコチンとかアルコールに頼ることをやめることができる。

要するに三毒とは「悩み」、「煩悩」なんですよね。
悩むことほど人生の浪費になることはありません。
仕事でも成果の上がっていない人は、たいていその人の能力が低いわけではなくて、悩んでいる時間がすごく長く、実践している時間が短いだけ。
逆に成果の上がっている人は、悩んでも長くは悩まず、小さいことは気にせずに、ガシガシと行動し、実践に移せる人です。
勝間和代『ビジネス頭を創る7つのフレームワーク力』ディスカバー¥1600-にこうありました。

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みなさんの周りにも、どうしてこの人はこんなにたくさんいいアイデアが浮かぶんだろうという人がいると思います。
ぜひ、そういう人の生活を見てみてください。
たいてい、人生を楽しそうに生きているのではないかと思います。
髪を振り乱し、悲愴な顔をしながら、いいアイデアが浮かぶというよりは、ふわふわっとした感じで、ニコニコ笑い、おいしいものを食べ、運動もしっかりして、自分の人生も楽しんでいる。
そんなときに、新しいアイデア、新しい考え方が浮かぶのではないかと思います。
健全なる精神と健全なる肉体こそが発想力の源です。このことをもっともっと重視していきたいものです。(272p)
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意識的に三毒を追放する。
そうすると悩みから解放される。
悩みから解放されると行動するようになる。
行動すれば現実が変わっていき、よい方向へと向かう。
よい結果が得られれば、ニコニコ笑え、メシも美味くなる。
酒、タバコ、コーヒーなど薬物の力なんか借りる必要がない。
人生は楽しくなっていく。
そういう好循環の中で生きていきたいと思っています。

まずはコーヒー追放!!

2009年12月2日水曜日

産業は米

こんにちは

振り替え休日を利用して、我が家も無線LAN化してみました。
デスクトップパソコンは子どもたちに占有されてしまうことが多く、ちょっとメールチェックしたいときなど不便になっていました。
無線LANルータも1万円しないようになってきたので、チャレンジです。
最初メールがつながるようにならなくて、ちょいと設定に手間取りましたが、半日ほどで完了。
ぼくのモバイルパソコンを家の中どこででも使えるようになりました。
快適です。
ついでに嫁さんにも冬のボーナスでノートパソコンを買ってあげることにしました。
メールはもちろん、ちょいと調べ物でもインターネットは便利ですからね。
ともかく、自分で無線LANルータを設定したことで、無線LANの仕組み、ルータの仕組みもより理解できるようになりました。
仕事でも活用できる知識がちょっぴり増え、ちょっとだけ腕も上がったかな。

さて、我が家ではお米はいいものを食べています。
水田トラスト(http://www.nurs.or.jp/~suiden/index.html)で山形の農家と契約して、さわのはなという在来種のお米を、無農薬、無化学肥料で造ってもらっています。
玄米で送ってもらって、自分の家で都度5分づきに精米して食べています。
今年も新米が届きました。
これが美味いんですよ。
おかずがいらないくらいです。
一汁一菜で十分。
我が子たちも、ごはんだけでバクバク食べてます。
水田トラストのお米は、10kg\8000-くらいになりますからちょっと高い。
でもおかずをあまり多くする必要がないので、食費全体としては安いくらいになります。

さわのはなを食べ続けて4年目ですが、美味しいだけじゃなく健康にもいい。
だんだん風邪を引きにくくなりましたし、ぼくの持病のアトピーもひどくなることが少なくなりました。
我が子たちも丈夫ですよ。
同年代の他の子より、熱を出したりすることがないんです。
身体だけじゃありません。
精神的にも安定しているように思います。
生田哲『心の病は食事で治す』PHP新書¥700-にこうありました。

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愛車に良質のガソリンを注入するあなたが、自分の脳のガソリンの質を考慮しないのは理不尽というほかない。(154p)
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確かに食べ物は身体のガソリンです。
身体には脳も含まれています。
脳の機能が心なんですから、心が食に影響されるのは当然です。
同書には「ジャンクフードやファストフードの特徴は、「安い、うまい、脳に悪い」の三つである。(155p)」とありました。
いい食べ物は身体と心に必要なんです。
食べ物をケチると結局は損。
体と心の健康こそ、最大の節約なんですから。

ところでお米など農作物は、太陽と水があれば勝手に育つと思っている人がいるかもしれません。
まったく間違いです。
当然、農家の方の労力が必要です。
それ以外に、トラクターなど農業機械を使わないといけません。
農業機械はガソリンや電気で動きます。
現代の日本の農業では、食料1カロリー生産するために5~10カロリーものエネルギーが必要になっています。

そのエネルギーのほとんどは、海外から輸入する石油なのです。
つまり、日本の食を維持するためには石油が必要なのです。
石油を買うには、外貨を稼がないといけないのです。
つまり、外国に買ってもらえる物を生産し、外貨を稼ぐことは日本に必須のことなのです。
内需拡大だけではまったくダメなんですよ。
日本が外国に買ってもらえるものは、技術力しかありません。
他国にできない技術力を持ち、他国が欲しいものを生産する。
それから得られる外貨で石油を買うしか、日本は食さえ維持できない。
外貨を得られる産業が立ちゆかなければ、日本は、日本人は生き残れないのです。
「産業は米」というのはホントなんですね。

なのでスパコンなんです。
日本の技術力を維持し、向上させるために必須のツールなんです。
これなしに、日本の産業は立ちゆかなくなります。
低い技術力で作られた魅力のない製品は、他国の人に買ってもらえなくなります。
それでは食糧自給率を上げるどころの話ではなくなります。
少子化対策どころの話ではなくなるのです。


水田トラストの大試食会が12/13(日)渋谷であります。
山形の美味しいものが食べ放題です!
http://www.nurs.or.jp/~suiden/005_EvntAct/2009shukakusai.pdf

2009年12月1日火曜日

ちょっと背中を押す

こんにちは

冬のボーナス交渉も先週で終わりました。
ぼくも労組委員長としてボーナス交渉は夏に続いて2回目。
だいぶん様子が分かってきました。

今回は戦略を変えてみました。
ボーナス交渉だからって金額の上乗せばかり要求しないことにしたんです。
だってね、交渉相手の役員だって所詮は雇われ役員。
お金についての権限はそれほどないわけです。
権限のない相手と交渉することほど無駄な時間はありませんよ。
結局せいぜい100円か200円上乗せできるかどうかの戦いになる。
毎度毎度100円200円の攻防に終始してしまうわけです。
なんかもったいないですよねー。
労使とも時間単価の高い人たちが時間をかけてああだこうだと言い合って、その結論が100円か200円。

もちろん100円だって労働者数を乗じればかなりの金額にはなりますよ。
でもボーナスをもらう個々人にとってはまったく影響のない金額と言っていい。
それで「勝ち取った」と言うのはちとせこい話なんじゃないかって、ぼくは思ったんです。
よって今回は、使用者側が一定の譲歩を見せてくれたらそれでよし、としました。
それ以上の金額を強硬に求めることはせず、こっちも譲歩する姿勢を見せる。

その代わり、ボーナス金以外のところで成果を得るようにしました。
今期労組の大きな目標は、時間短縮、年休取得促進です。
よのなかはワークライフバランスですからね。
メンタルヘルス問題をなくし、女性が社会参加しやすくする。
そのためには男性も働き方を変えなくちゃいけないと思っています。

もちろんやるときにはやる、残業も休日出勤もしてでも仕上げなきゃならない時もある。
特に我が社のように研究開発を主たる仕事をしていれば、当然のこと。
でもそれを「常態」にしてはいけない。
やるときにはやるけど、それは1~2ヶ月の範囲に止め、それ以外の時期は余裕のある働き方をする。
逆に言えば普段余裕を持って仕事をしていれば、いざというとき火事場の馬鹿力も出るってもんです。

時短、年休取得促進のためのアイデアをいくつか提示しました。
もちろんいっぺんに全部を認めてもらおうとは思いませんよ。
その中のひとつ二つでも実施できればと思ったのです。
徐々に少しずつでも働きやすい職場を作っていく、その方向に向かう。
幸い国の人事院勧告にも時短につながる勧告もありましたし、人事院勧告完全実施と抱き合わせで育児休業法改正案も国会に提出されていました。
なので使用者としても、やらなきゃいけないなー、と思っている事項なんです。

これらの施策を実行するには、就業規則など社内規程を変更する必要があります。
規程を変えることなら、交渉相手の担当理事や人事の人たちに権限がある。
相手に権限があるなら交渉のし甲斐もあるってもんです。
その結果、育児休業制度改正の早期実施と加重超過勤務をさせないため管理する方策を実行できることになりました。
まずまずです。

やっぱり世情とか時流とかは大切です。
アンテナを張って、今よのなかの流れがどうなっているのかをチェックしておく必要があります。
そして使用者側も「そろそろ考えなくちゃ」と思っていることを、交渉していくのがいい。
つまり、ちょっと背中を押してやるんです。
トリガーを引いてやる、と言ってもいいかな。
「いや~、労組から強く言われちゃってねえ~、やらなくちゃいけなくなっちゃいましたよ」というエクスキューズを相手に与えることもできるしね。

2009年11月30日月曜日

出口を決める


こんにちは

先日、地方に住む親戚から電話がありました。
中3の娘が修学旅行で東京に行くのだが、そちらの気候はどうか、寒いなら上着をもう1枚持たせたいから、という内容。
子どもは中学3年生にもなっているんだから自分で判断させればいいのに、と思いました。
自分で東京の天気予報を調べて、予想気温から判断して、上着を持っていくかどうか決める。
あるいは、荷物が多くなるのが嫌だから、ちょっとくらい寒くても我慢しよう、と判断する。
風邪をひかないか心配だという親心も分かりますが、親が何でもかんでも先回りで配慮しちゃうと、子どもの判断力が育ちません。
子どもが自分で判断して、その結果失敗したとしても、それもいい教育だと思うのですが。

逆に親が判断したことが失敗したとしたら、子どもはどう思うか。
お母さんのせいで失敗したんだ、という怨みが湧き起こります。
上着を持っていったのに寒くなかったら、余計な物を持たせやがってって。
持って行かなくて寒かったら、気がきかねえなって。
そういうことが続くと、何でも親のせいにするようになってしまう。
それはいい教育だとは思えません。
そういうことを続けると、何でも人のせいにするような人間になってしまいます。

齋藤孝『教育欲を取り戻せ!』NHK出版生活人新書\660-から引用します。

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親子における教育関係が、ともすると親の支配欲や名誉欲、そしてそこから生まれてくる行きすぎた教育欲などに影響されやすいということは、先に述べました。
肉親であるがゆえに感情が先走り、子どもに理不尽な思いをさせてしまうのもよくあることです。
そしてそのような前例は非常に多く存在します。
では、そのような轍を踏まないためには、どうしたらいいのでしょう。
いちばん効果的な予防法は、あらかじめ卒業の時期を決めてしまうことです。
例えば自分が勉強の面倒を見るのは小学生のうちだけ、とか、10歳になるまでは塾にやらず家で教える、とかいうように、きっちりといつまでと区切りをつけて、それ以降は潔くほかの先生に預けてしまうのです。
出口を決めることで、そこから「教育の時間」を逆算することができ、冷静な計画が立てられます。
そうすれば感情に振り回されることなく、お互いに落ち着いて教育関係を築き上げることができます。(83-84p)
###

親が先回りして子どもの世話をしてしまうのは、もしかしたら支配欲なのかもしれませんね。
子どもは子どものままでいて欲しい、いつまでも自分のもとにいて欲しいという気持ち。
幼児だった頃のように、いつまでも親に甘えて欲しい気持ち。
肉親なので離れがたいのもわかりますが、これは子どもの自立を阻害します。
子どもはいつかは親から自立していかなくちゃならないのです。
子どもが学校を卒業するように、親からも卒業しなくちゃいけない。
それには、親も子どもから卒業しなくちゃいけない。
そのために、あらかじめ「卒業時期」を決めてしまうのもいい方法だなと思いました。

我が子たちは全寮制の中学に入れたいと思っています。
なぜなら、親も子どもから離れる時期が必要だと考えているからです。
はっちゃんもとっちゃんもめちゃかわいいので、家にいたんじゃ離れがたくなるのは必至です。
いつまでもべたべたかわいがっちゃう恐れ大。
適切な卒業の時期を逃してしまいそうなんです。
なので、物理的に距離を置く方法をとるわけです。
強制的に卒業時期を決めてしまうのです。

10才、小学4年生までは厳しくしつけをしつつ、たっぷり愛情を注ぐ。
もちろん読み書き計算の勉強もみっちり教える。
小学5年生になったら、よい先生に着いて勉強を習う。
そして中学生になったら親元を離れる。
そこで第1期親子関係を卒業する。
今はそんな計画にしています。

あ、そのためにも「先立つもの」が必要ですね。
ぼくも自分を磨き続け、社会から必要な求められる人材であり続け、しっかりと稼いでいかなくちゃねー。

正しい面倒くさがり方


こんにちは

さて、その後の家出君です。
おかげさまでヘルパー講習の座学と実技講習は完了。
残すは現場実習4日間のみとなりました。
予定通り12月中旬には免許をもらって、郷里である北海道に帰れそうです。
とは言え、それほど順調でもなかったみたい。

先週末我が家に家メシを食いに来る予定でしたが、連絡もなくドタキャン。
まさか、また逃亡?
信用のない人間は悪い方悪い方へ思われちゃいますよ。
我が家に来る時刻を3時間ほど過ぎた時に電話がありました。
「金曜日の晩に胸が苦しくなって、一晩入院して点滴してもらっていた。
退院したけどまだふらふらするので、今日は先生の家に行けない。
明日も宿で静養する」
ああ、一安心。逃亡ではありませんでした。

聞けば、所持金が底をついてきた。
宿代はヘルパー講習が終了するまで払い込み済みだから、寝るところには困らない。
でも飯代が乏しくなっていたようなんです。
なんと残金2万円。
とてもあと半月、まともに食っていくことはできませんよ。

なので飯代をケチってしまっていたようなんですね。
それじゃあ体力もなくなって、病気にもなろうってもんです。
やっぱり一番の節約は健康なんですよ。
健康を損なうような節約は、結局損なんです。
彼も一晩入院して1万円以上かかってしまったわけですから。

結局の所、彼のご両親から援助してもらうことに。
それで一息つきました。
まったくダメな人に限って、人に頼るってことを知らないんですよね。
適当な時期に自分から助けを求めない。
それで倒れちゃって、誰かが手をさしのべるのを待つ。

で、今週末は我が家に家メシを食いに来ました。
がりがりにやせて、体重44kg。ぼくの半分だよ、これ。
まるでアウシュビッツから出てきた人みたい。
我が家の家メシをガツガツ食ってました。

ヘルパー講習のめども立って、ご両親からのお金も入ったので、北海道までの航空券を予約してしまうことにしました。
せっかく援助してもらったお金を使っちゃって、帰れなくなったら困るからね。
って、やっぱり信用ないんだねー、家出君!
あはははは。

我が家のパソコンからインターネット予約。
スカイマークで羽田-千歳\9500-のチケットを予約。
そうしたら家出君、びっくりしてるんです。
「え?そんなに安いの?いつも35000円もしてるのに」だって。
JALやANAの通常料金ですね、この値段。
いろいろ安いチケットを調べたりせず、当日ふらっと空港に行って、搭乗券を買う。
そういうやり方をしているからです。

人は誰もが面倒くさがりなんです。
が、人によって面倒くさがり方が違う。
避けがたい困難に直面したとき、人は二つのタイプに別れる。

1.調べたり人に聞くのは面倒だから、今の自分の知識と経験を基にして考える

2.自分で新たに考えるのが面倒だから、人がすでに考えていて効果のあるものを探し、
  それを真似して利用する

1はオリジナリティは発揮でき、時に大当たりしたりしますが、失敗する確率の方が大きい。
当たってもまぐれ当たり、99.9%は失敗に終わります。
行き当たりばったりで、どうしても「自己流」の範囲にとどまってしまうから。
だから、損することも多い。
いや、損ばかりしちゃうんです。

2は確かに「個性」は発揮できませんが、ヒットの確率は高い。
大当たりはしないかもしれませんが、失敗のリスクは避けられます。
コンスタントにいい結果を得られるのです。
頭のいい人たちはこっちの考え方をする。
得ですよー。
最悪の場合でも、損はしないですむ。

面倒くさいと思うのは誰もが同じだけど、どういう面倒くさがり方をするかで得になるか損になるか、二つに分かれます。
頭のいい人はリスクを避けた面倒くさがり方をする。
その方が「生き残って」いけるからです。
生き残って行ければ、次のチャンスもやってきます。

しかし、他人の考えたよい方法を利用するだけでは、発展がないようにも思えます。
でも数をこなしていくうちに、自分に合ったやり方=オリジナルへと進化させていくことができます。
自分なりの統一したやり方が身に付いていく。
これぞ自己流から脱した「個性」ですね。
そしてそれがまた他の人の役にも立っていく。

我が教え子も、少しでもそういうやり方を身につけていって欲しいと思っています。
無理かなー??

感動する心


こんにちは

『崖の上のポニョ』のDVDを買いました。
今年の夏、児童館での映画会で途中まで見ました。
でも映画の途中ではっちゃんとっちゃんとも飽きちゃって、最後まで見なかった。
ぼくも結末が気になっていたので、アマゾンで購入。

日曜日にさっそく子どもたちとビデオ鑑賞。
やっぱりとっちゃんは途中で飽きちゃって、最後まで見ることができませんでした。
ところがはっちゃんは画面に見入っています。
最後まで見続けました。かなり集中して。

そしてエンディング。
ポニョが人間の女の子になる場面。
なんとはっちゃんの瞳が潤んで、涙をぽろり。
感動してるんです!

いや~、成長しましたね~!!
嬉しい、嬉しい!

2009年11月26日木曜日

Noと言う義務

こんにちは

最近、セクシャルハラスメントとかアカデミックハラスメントとかパワーハラスメントというのが話題によくなります。
労働組合の課題として、セクハラ、パワハラの防止にも取り組んでいます。
セクハラ、パワハラがあるような職場にはしたくないですからね。

でも逆に、おじさんが何言っても「あ、それセクハラだよ!」なんて言われちゃったりして、たじたじ。
誰が見ても明らかにセクハラだというものもありますが、人によってセクハラになったりならなかったり、ダークなエリアってありますよね。
たとえば女性が髪を切って来たとき、「失恋したの?」は限りなく黒に近いセクハラかもしれませんが、「いい髪型だね、似合ってるよ」と言うのはどうか。
そう言われて嬉しい場合もあれば、嫌な場合もある。
この言葉だけじゃセクハラに当たるのかどうか明確ではありません。
誰に言われたことなのか、お互いの普段からの関係性もあります。
好感を持っている相手からなら嬉しいし、嫌悪感を持っているおじさんからだったら嫌でしょう。

セクハラに当たるのかそうじゃないのか、どうやって見分けたらいいのでしょうか。
あまりに「言論統制」が厳しいと、返って職場をぎくしゃくさせてしまうように思います。
何か客観的で明確な基準はないのでしょうか。

職場におけるセクハラの禁止の法的根拠は、1997に改正された「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(通称;男女雇用機会均等法)第21条にあります。

 (職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の配慮)
 第二十一条  事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用
 する女性労働者の対応により当該女性労働者がその労働条件につき不利益を受
 け、又は当該性的な言動により当該女性労働者の就業環境が害されることのな
 いよう雇用管理上必要な配慮をしなければならない。

キーワードは二つ。
「労働条件に付き不利益を受ける」
「就業環境が害される」
一言でいってみれば、働きにくくなる、そして、生産性が落ちるってことです。
労働者が働きにくくなり、生産性が落ちるような言動が、セクハラでありパワハラなのです。
均等法はさすがよくできた法令だと思います。
生産性をインデックスにしておけば、誰から見てもその言動がセクハラ、パワハラかどうか明確に切り分けられるのです。

でも、鈍感なおじさんってやっぱりいるんですよ。
相手が嫌がっていて、働きにくくなっていて、生産性が明らかに落ちているのに気づかない。
あるいは気づいているのかもしれませんが、自らの欲望を抑えられないのか。
そういうおじさんに対抗するにはどうすればよいのでしょうか。

この法律に基づいて、厚生労働省にセクハラ相談窓口が設置され、相談を受けると共に企業に対して行政指導ができるようになりました。
松永真理『シゴトのココロ』小学館\1365-に、この相談窓口のカウンセラーの話が載っていました。

###
ただ、何がセクハラであるのかを理解しないで相談にくる人がまだまだ多いらしい。
被害にあったとされるのは女性がほとんどで、「誘ってきた」男性の上司を訴えたい、と相談にやってくる。
「では、あなたは上司に自分の意志を伝えましたか?」
と聞くと、伝えてないケースが結構多いということだ。
「ノーと言う権利」があると同時に、「ノーと言う義務」もある。
それなのに、上司を一方的に加害者にしようとするのは、セクハラの問題を取り違えていることになる。

 「加害者を見つけだして罰するための法律ではありません。
  セクハラという切り口を使って、職場の機能不全に気づいてもらうための
  ものです」

カウンセラーの話は、明解だった。
男女雇用機会均等法は真の男女平等を目指して作られたもので、男性が女性をイクォールパートナーとみなさないことを罰すると同時に、女性側にも甘えは許されないということを言っているのである。
ではいったい、どうしたらいいのか。

 「自分の気持ちをきちんと伝えるアサーション能力を磨いていくことです。
  アサーションとは主張という意味で、相手を攻撃せずに主張する自己表現のことです。
  女性が長く働きたいと思うなら、自分はこういう人間ですということを
  表現していかなくてはなりません。
  日本では、主張というとすぐに攻撃的な印象をもたれますが、
  きちんと主張していくことは社会人としての基本的マナーでもあるのです」(81-82p)
##

なるほど、なるほど。
セクハラといえども基本は<相手の嫌がることをしない>であり、<嫌なことをされたら嫌とはっきり言う>ことなんだと、再認識しました。
相手を攻撃するのではなく、やんわりと自分の気持ちを伝えていく。
その能力をアサーションと言うのですね。
当然それは相手の生産性も奪ってはならない。
働きやすい職場環境を維持することを抜きにした自己主張はいけない。
だからといって嫌なことを我慢するのはダメ。
我慢すると反って職場環境を悪化させ、自分や周りの生産性を落とすからです。

これは女性だけじゃなく、男性も同じですよね。
「相手を攻撃せずに主張する自己表現」が社会人として身につけるべき能力なんだと思いました。

2009年11月24日火曜日

築城3年、落城1日

こんにちは

事業仕訳で心配していた次世代スパコンプロジェクトですが、応援してくださる方も多く、明るい希望が見えてきました。
文科省へのパブコメも何千通と届いているらしく、そのほとんどがスパコンプロジェクトはやるべきだ、というものだったそうです。
嬉しいですねー。ありがとうございます!

次世代スパコンで使われる予定のCPUも完成しています。
CPU単体での性能は世界一、計算速度あたりの消費電力も世界一という優れもの。
現在日本2位のスパコン、JAXAで稼働開始したFX-1は、このCPUの一世代前のSPARC64 VIIを使用していますから、実績、安定性という意味でも有望です。

事業仕訳で蓮舫議員が「1位じゃなくちゃだめなんですか。2位でもいいじゃないですか」とおっしゃっていましたが、2位でもいいんです。
1位を取ることが大事じゃなくて、「使えるスパコン」が必要なんです。
2位でも3位でもいいんですが、日本に世界トップレベルの高性能スパコンがあることが大切だと思います。
でも30位じゃダメなんですよ。

もちろん遅いマシンでも計算はできますよ。
パソコンレベルのマシンだって、時間さえかければどんな計算もできるんです。
でもその時間が現実的に有意な時間なのかどうかが問題なんです。
パソコンでもできるけど100年もかかるとしたら、意味のないものになってしまいます。
次世代スパコンに使われるCPU SPARC 64 VIIIfxの単体での計算速度は128ギガフロップス。
ぼくらが使っているパソコンの計算速度はせいぜい3ギガフロップス程度ですから、50倍近い差があります。
まして次世代が目指す10ペタフロップスと比べると、300万倍にもなります。
次世代スパコンで1日で完了する計算をパソコンでやろうとすると、300万日=8200年もかかるわけです。
8200年先に結果の出る計算に、まるで意味はないと思います。

現在のtop500リストによると、1位のアメリカジャガーは1.7ペタフロップス、日本最速の地球シミュレータⅡは120テラフロップスで31位。
1位と30位の速度差は15倍近くあります。
つまり、同じ計算をするために、30位のマシンでは1位の15倍もの時間がかかる、ということです。
たとえば1位のマシンなら1日でできる計算が、30位のマシンでは15日間かかるわけです。
日本最速のマシンを15日間もひとりで占有して使えることなんかできません。
割り当てられたマシンタイムをやりくりして計算結果を出すには、さらに多くの日数が必要になってしまうのです。
この時間差が、科学や技術の開発力の差になってくるわけです。
だからトップレベルのマシンが日本にないとやばいんです。

トップレベルのマシンを造るには、最初から2位、3位を目指すことなんかできません。
各国が今現在の技術レベルで達成可能なマシンを、しのぎを削って開発しているのです。
各国の技術差はごく僅かです。
1位を目指さない限り、トップレベルのマシンは造れないのです。
もちろん総額1200億円という膨大な税金を投入しての開発ですから、無駄なく着実に実行する必要があるのは当然です。

最近のぼくの座右の銘は「築城3年、落城1日」です。
城を築くためには3年間コツコツとやり続ける必要がある。
でも油断したらたった1日で落城してしまう。
築城も落城も一番大切なのは「信用」「信頼」でしょう。
信用、信頼を得るためにはコツコツとした努力を3年続ける必要がある。
でも信用を失うのはあっという間なんです。
心してぼくの役割を着実に果たしていきたいと思っています。

2009年11月23日月曜日

親のめんどうをみなさい


こんにちは

11/21は、はっちゃんの満5歳の誕生日でした。
5歳になったらはっちゃんに伝えたいことがありました。
小児科医の田下さんの本に書いてあったことです。
すなわち、大人になったら親のめんどうをみて欲しい、私たちも君に期待している、ってこと。
子どもは誰かに期待されている、頼られていると思わないと、正しく育たないんだそうです。
期待されている、頼られているから、しっかりしようと思うものです。
大人でもそうですよね。
期待されない、頼られないって、寂しい人生だもん。
もちろん過度な期待はいけませんが、適度な期待は責任感を育てます。

誕生日の夜、寝る前にはっちゃんに言いました。正座してね。

 はっちゃんが5歳になったから、伝えたいことがあります。
 はっちゃんが大人になるとき、お父さんもお母さんもじいさん、ばあさんになっています。
 はっちゃんは立派な大人になって、お父さん、お母さんのめんどうをみてください。

はっちゃんは元気に「はい!」って答えてくれました。
ちょっと目が潤みましたよー。
さて、はっちゃんの心の奥底に染み通ったかな。

2009年11月19日木曜日

ともかく木に登れ!

こんにちは

ぼくは変人道を邁進するためにも人付き合いを悪くしています。
嫌いなものは嫌い、と割り切って、必要最小限の付き合い以外は切り捨てる。
人間関係というのは鏡のようなもので、こっちが嫌いなら向こうもこっちのことが嫌いなわけです、たいていは。
それならイーブンなわけですから、必要最小限以外の付き合いを止めることは相手にとってもメリットとなります。
相手だって嫌な奴と付き合う時間は少なくしたいでしょうからね。
そう考えると楽になります。

よのなか、2割くらいの人に嫌われても、同じく2割くらいの人には認めてもらえているものです。
学校の一クラス40人で考えれば、その2割8人くらいとはそりが合わないのは当たり前。
その代わり8人くらいとは非常に仲良くなれる。
そんなもんなんだと思います。
そして、何人かでも自分を認めてくれる人がいれば、何人かに嫌われたって平気のはず。
嫌われまいとして嫌われている人の方ばっかり見ているから辛くなるわけで、自分を認めてくれる人の方に注意を向ければ、意外と自分のシンパは多いんだってビックリするくらいなんです。

嫌われまいとしてそっちに自分の労力をかけるのはムダです。
誰からも嫌われないようにばかりしていると、精神が摩耗します。
精神が摩耗すると、本当は自分を好いていてくれる人に対する配慮がなくなってしまい、シンパが減っていってしまいます。
それは全くの損ですよね。
だから自分を認めてくれる人の方を向いて、そっちを大事にする。
その方が断然オトクなんです。

かくいうぼくにも、変人のぼくを認めてくださる方がいらっしゃいます。
こそばゆくなるくらい誉めてくださるんです。
あまりにこそばゆいので「そんなに言われると木に登っちゃいますよー。オレ、ブタになっちゃうよ」と言いました。

するとその方は次のように言ったんです。

 いいじゃない、登っちゃえば
  おだてだろうと何だろうと、とりあえず登ってみればいいんだ
   すると木の下では見ることのできなかった風景が見えてくる
    それだけでも登る価値はあるんだよ

あー、さすがです。
目からウロコが落ちました。
信頼できる人の言うことは素直に聞いてみるものです。
いい言葉だったんで、紹介しました。
さて、今日も木に登りに行ってきますかー!

2009年11月18日水曜日

Interestとは何か

こんにちは

昨日は労組団体交渉。
ぼくは執行委員長ですので、主役となって交渉にあたりました。
交渉ネタは冬のボーナス。
昨今の我が国の経済状況、新政権による事業仕分けなど、我が社のようにほぼ税金で運営している会社はとても厳しい状況です。
金額的に大幅なダウンは避けられない。
我が社はたくさんの研究成果を挙げているのは確かですが、だからといってそれを評価して賃金やボーナスを増やしてくれるわけでもないのが悲しいところ。
強硬に戦っても得るものはなく、支給が遅れるなど失うものの方が大きい。
ならば金額については譲歩する方が得策であると判断しました。

その代わり、お金のかからない労働条件の改善を要求しました。
育児や介護の時にお休みが取りやすい方策、有給休暇を取りやすくする方策など、いくつかアイデアを提示しました。
その中から二つ三つでも実現させたいと思っています。
この点については使用者側とも利害が一致するので、たぶん実現するのではないかと期待しています。
来週にかけて交渉は続きます。
がんばろっと!

さて先日、技術士会情報工学部門の勉強会で「ハーバード流交渉術」についての講演を聴いてきました。
面白かったことをメモしておきますね。

interestという英単語を知っているでしょうか。
中学校でも習う単語ですから、ほとんどの人は見覚えのある単語だと思います。
その意味を思い浮かべてみてください。
たぶんほとんどの人は「興味」という意味だと記憶しているはずです。
ところが、interestという単語の意味には「利害」という意味もあります。
知っていましたか。ぼくは知りませんでした。
辞書を引いてみると、興味という意味より先に利害という意味が載っています。
利害の方がよく使われる意味なんでしょう。
同じinterestという単語が、興味と利害の二つの意味で使われる。
興味と利害とは、まったく関係のない意味のように思えます。

たとえば、ある姉妹の前にオレンジが一つあるとします。
二人ともオレンジが欲しい。
このオレンジを二人で分けるとします。
欲しいということは興味があるということです。
二人ともが同じ一つのオレンジを欲しがっているということは、そこに利害が発生しています。
二人は一つのオレンジをどのように分けるべきでしょうか。

一番単純なのは、二つに切って半分ずつ分けることです。
でも、オレンジは半分になってしまうので、満足度も半分になってしまう。
いがみ合ったまま、オレンジを半分ずつ分けるしかありません。

もう少し各々のオレンジに対する興味を確認し合ってみます。
すると、お姉さんはそのオレンジでマーマレードジャムを作りたかった。
妹はオレンジジュースを作りたかった。
そんなことが分かるかもしれません。
それならば、お姉さんには皮、妹には実と分ければいい。
そうすれば、お互いの満足度は1になります。
二人の合計満足度は1+1=2になるわけです。

もしかすると、1個分の皮でジャムは2人前できるかもしれません。
ジュースもカクテルにすれば2杯分できるかもしれません。
それならば、姉も妹も満足度2倍、合計2+2=4にもなるわけです。

つまり相手の興味をよく聞いてみて理解してみると、あんがい自分の興味と違っていたりすることもあるのです。
同じ対象物への利害でも、お互いの興味が違っていれば解決の方法も見えてくるのです。
あるいは、もしかするとまったく同じ興味を持っていることだってあるでしょう。
その場合は利害が対立したままになってしまいます。
その場合は、自分が自分の興味をずらしてみるのも解決への一つの方法です。
お互いともジュースにしたかったと言うとき、自分の興味をマーマレードへと変えてみるわけです。
あるいは相手に、マーマレードもいいんじゃないの?と提案してみる。
それでお互いが納得すれば、やはり満足度の合計は大きくなっていくのです。

利害が対立したとき、interestを「興味」と「利害」という二つの意味から見てみると、win-winへの道が見えてくるように思います。

2009年11月17日火曜日

棟梁になりたい!


こんにちは

先日、来年度我が社へ入社する内定者の若者諸君を、我がスパコン棟建設現場に案内しました。
若者たちからその感想が届きました。
若者といってもそんじょそこらにいる若者とは違います。
理研に入ろうという、日本の科学技術を背負って立つぞという志のある「変人」たちです。
感想文には知性も教養も感じられました。
その中にこんなことが書いてありました。

 神戸研究所の次世代スーパーコンピューター施設の建設現場では、まず外観で、
 コンピューターが入る建物として想像していた以上の施設規模に圧倒され、
 内部に入って、それぞれ直下から送風して冷却しなければならないほどの
 コンピューターが立ち並ぶ様子を想像してまた圧倒されました。
 こちらも運用開始されてからでは入ることができないだろう空間、特に免震装置が
 連立する地下の免震階にまで入らせていただき、精密で巨大な施設を建設する現場を
 肌で感じることができました。

よろしい、よろしい。
やはり実物はインパクトありますよね。
大きな仕事をしていくということを、実物を見ることによって肌で感じる。
若者の心にしみ通ったことと思います。
さらに、こういうことも書いてくれた若者もいました。

 建設現場で説明して下さった関口さんは、最初現場で働く棟梁さんかと
 勘違いしてしまったほど現場に馴染んでいらっしゃって、こんな大きな
 施設の建設に立ち会えることをとてもうらやましく思いました。
 もし私がこの現場にいたならば、この先長く働き続ける施設の設立に
 関われたことは一生の誇りになるだろうと思います。
 理研の事務職員の業務内容の幅広さを改めて実感し、ますます楽しみになりました。

おーー、嬉しいですねー。
変人は変人の価値が分かるんです!
棟梁とはぼくにとって最大級の賞め言葉です。
なぜならぼく自身、棟梁を目指して毎日仕事を熱くしているんですから。
では、ぼくの考える棟梁とはなにか。
『本の話』文春PR誌08.5にあった塩野米松「棟梁」から引用しますね。

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いくつもの職業の「トウリョウ」に会ってきた。
トウリョウは組織や一団の一族の頭である。
法隆寺・薬師寺の宮大工棟梁であった西岡常一氏から、大工や宮大工のトウリョウは「棟梁」と書くが、他の多くは「頭領」と書くのだと聞いた。
宮大工の棟梁は諸職の頭を集めて、仕事の段取りを打ち合わせ、指示を出す。
仕事のすべてを統括する。
それはとりもなおさずすべての責任を取るということである。
責任のとれない者は、仕事を指示し、人を束ねる資格がない。
棟梁の最大の仕事は人心を掴み、職人達に意図通りの仕事をさせることである。
職人はその仕事に満足し、そこで働いたことを喜び、そこで自分の技をほんの少しであれ進歩させることを自覚するのである。
棟梁の仕事は仕事のすべてを細々としたところまで知っていることではない。
棟梁は頭領に任せる。
頭領は職人に任せる。
職人は任された仕事を全うする。
それを支えているのは、腕はもちろんのことだが、後に引けない責任感と誇りである。
責任が全うされないところにすばらしい仕事はない。
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そうなんです。
棟梁とは読んで字のごとく、棟(むね)と梁(はり)。
鉛直方向の加重を支える棟と、水平方向の加重を支える梁。
建物を支える構造物なんです。
どちらも建築物になくてはならないものであり、最も基本となるもの。

棟梁の仕事はそれと同じ。
すべてを支え、すべてを統括し、すべての責任を取る。
棟梁がいないと、仕事は屹立しないんです。
棟梁がしっかりと棟と梁を用意するから、あとの仕事が安心してスムーズにできる。
関わるすべての人たちがよい仕事をし、満足感を得る。

ああ、若者たちを案内してよかったなー。
ホントは早く家に帰って子どもたちと遊びたかったんだけどね。
ま、こういうちょっと余分な仕事がぼくの腕を上げ、評価も上げてくれるんだと思っています。
苦労する甲斐のある仕事は買って出るのが主義。

とはいえ、まだまだ道半ば。
とても自分が棟梁になれているとは思っていません。
薄紙を積み重ねることを日々怠らず、ちょっとでも棟梁へと近づいていきたいと思っています。
それにね、まだこの歳で棟梁になっちゃったなんて、つまらないしー。


ところで鳩山内閣。
先週11/13の行政刷新会議ヒアリングで、我がスパコンプロジェクトも「ムダ」と判定されてしまいました。
同日、スパコンプロジェクトにも協力していただいている三浦先生が、シーモアクレイ賞を受賞したというニュースが入ってきました。
我がプロジェクトリーダーである渡辺さんに続いて、日本で二人目のクレイ賞受賞です。
クレイ賞は、コンピュータハードウェアの開発に世界的貢献のあった人に贈られる賞で、この分野のノーベル賞とも称されています。
日本人が二人も受賞しているってすごいことですよ。
そもそも世界初のマイクロプロセッサであるインテル4004は、日本人である嶋正利さんがメインになって開発したものです。
つまり、日本には高性能コンピュータを開発する人的資源が豊富である、という証明です。
これを活用しないでどうするというのでしょうか。

同じく同日、新しいスパコンtop500も発表されました。
上位をアメリカが独占しているのは変わりませんが、中国や韓国も上位にランクインしています。
日本は世界の中どころかアジアの中でも沈没しかかっているのです。
スーパーコンピュータは今や計算科学だけに必要なのではなく、実験科学にも必須なツールなんです。
コンピュータなしには科学技術は発展しないといってもいい。
はたしてそれが「ムダ」なんでしょうか。
文部科学省HPでパブリックコメントを募集しています。
ぜひみなさんもコメントをお寄せください。
応援、ご協力、よろしくどうぞ!

2009年11月16日月曜日

リーダーシップはフォロアーシップから


こんにちは

先日、近所の光が丘公園でボーイスカウトの体験教室が開催されたので、はっちゃんを参加させました。
ボーイスカウトは幼稚園年長の秋から参加可能なのだそうです。
ぜひ、我が子たちを参加させたいと思っているのです。

なぜボーイスカウトがよいのか。
それは、リーダーシップの勉強になると思うからです。
年上の子どもが年下の子どもを引っぱっていく。
子どもだけで運営するキャンプとかね。
そういう機会が多く用意されています。
そして年少の子どもは年長のリーダーに従う。
きちんとしたリーダーの指示で行動する訓練にもなる。

ぼくも社会人になって見えてきたのは、会社でも社会一般でも、ちゃんとしたリーダーになっている人たちは、若い頃ちゃんとしたリーダーの元で働いた経験があることです。
そこで多くを学び、身につけている。
つまり、フォロアーとしても優秀だった人が優秀なリーダーになっているんですね。
自分勝手な無手勝流では、リーダーシップは発揮できないのだと思うのです。
合理的な指示命令に従い、その指示命令の趣旨をよく理解して行動する。
そういう経験をしてきた人が、ちゃんとしたリーダーに育っていくんです。

ボーイスカウトの趣旨にこうありました。

 実社会で先駆的な立場に立てるように、身体を実際に動かし、
 形に囚われない戸外活動を通じて心身ともに健全な青少年の育成と教育を目的とする。

戸外で実際に身体を動かしてリーダーシップを身につけていく、という方法がぼく好みです。
小脳の発達にも役に立ちますね。
スポーツ少年団のように特定の競技だけしかやらないのではなく、いろんな活動が含まれているのもいい。
奉仕活動もあるしね。

はっちゃん、とっちゃんも楽しんでやってくれるといいなーと思っています。

2009年11月10日火曜日

とっちゃん合格!


こんにちは

とっちゃん、名門練馬幼稚園にみごと合格しましたー!
バンザーイ!
昨夜はお誕生日以外めったに買わないコージーコーナーのイチゴショートでお祝い。
よかったねー。
来年4月からはっちゃんと一緒に登園です。

とっちゃんはどうしてもお兄ちゃんと遊ぶことが多く、同年齢と一緒に遊ぶチャンスがこれまであまりありませんでした。
集団生活になじめるかどうかちょっと心配ですが、とっちゃんなら大丈夫でしょう。
幼稚園でのとっちゃんの成長が楽しみです!

あとは学費の心配です。
はっちゃんととっちゃん二人分の学費の負担は、我が家の家計にかなり響きます。
ますますやりくりが大変になってきますね。
その上、給料は上がらないどころか下がるようなご時世です。
ぼくもがんばってしっかり稼いでいかなくちゃね。

我が家は本多静六に倣って「1/4貯金」を励行しています。
手取り給料の1/4は手を付けずに貯金してしまい、残ったお金だけでやりくりしてひと月暮らす。
そのおかげで慎ましく生活することには慣れています。
いい教育をするためには家計の1/3を子どものために使え、と言われています。
親はちょっとくらい貧乏くさくしてもかまいません。
本当に子どものためになるための出資なら、ケチらずにいこうと思っています。
いざというときには1/4貯金で貯まったお金もあります。
こういうバッファがあるってことも、心の安定につながりますよ。

ひとまず合格して安心、安心。

自分と御分


こんにちは

横山験也『明治人の作法』文春新書を読んだら、こんなことが書いてありました。

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その昔、武士の時代の日本人は、相手のことを「御分(ごぶん)」と呼んでいました。
「自分」同様に他人にも「分(ぶん)」(立場や役割)があることを、言葉が示していたのです。(8p)
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なるほど。
自分の「分」は、立場や役割、という意味なんですね。
それに対して相手の「分」を示すのが、御分。
自分の立場や役割を主張し、相手の立場や役割も尊重する。
それが礼儀の基本なんだと思いました。

最近の若者は自己中心的と言われています。
確かに自己主張が強くて辟易する若者もいます。
でもそういう若者にちょっと意見すると、とたんにシュンとなっちゃう。
最初からシュンとなりっぱなしの若者も多いし。
それはつまり、自分も御分もないからでしょう。

自分の「分」はどこまでなのか、どこまでなら相手や世間が認めてくれるのか分からない。
相手の「分」はどこまでなのか、どこまでなら自分が認められるのか分からない。
それがコミュニケーション不全につながっているように思えます。

自分と御分、これをキーワードに子育てしていくといいかなーって思っています。
はっちゃんとっちゃんには、自分も御分を理解して、いい人間関係を造っていってほしいと思っています。
ぼくら親も、自分と御分について、機会を捉えて実地体験で示していきたいなと思います。

2009年11月9日月曜日

人生は薄紙を積み重ねるごとき


こんにちは

このところかなりハードワーク状態ですが、健康には気を遣っています。
なんたってもう中年ですからね。
自分こそ最大の資源=リソースですから、大切に使わなくちゃいけません。

最も気をつけていることは睡眠時間。
最近ぼくは労働メンタルヘルスに興味があって、関連する本をまとめて読んでいます。
その中に、

 睡眠時間が5時間未満の脳は酩酊状態と同じ

とありました。
5時間かどうかは多少人によって違うでしょうが、睡眠不足が続くと確かに脳の働きは悪くなりますね。
酩酊状態と同じと言うことは、判断力が鈍る。
それが事故など労働災害を招いたり、睡眠不足が続くことによって鬱などメンタル問題も招く。

ドイツの労働法では、労働者の睡眠時間を最低限確保するため勤務時間を最大17時間としているそうです。
職場にいる時間が17時間なら、残り7時間あります。
通勤時間を行き帰り1時間ずつとして、睡眠時間5時間確保できますね。
まあドイツでは連続17時間も働く人はいないでしょうけど。

ナポレオンは3時間睡眠だったと言われています。
3時間眠れば十分だったということじゃなくて、やっぱり睡眠不足で脳は酩酊状態だったんじゃないでしょうか。
酔っぱらった勢いで偉業を達成した。
もっともナポレオンは悲惨な最期を迎えたようで、酔っぱらった勢いは続かないことは明かのようですが。

ぼくは元もと身体が弱いので、睡眠時間5時間確保と共に時間さえあれば横になって休むようにしています。
ごろごろタイムの確保ですね。
横になって休む時間は睡眠時間を含めて8時間以上は必要。
これは西原克成さんの学説に従っています。
造血細胞は骨の中にありますが、骨に重力がかかっている間は造血能力が下がるそうなんです。
骨だって重力を支えたり血液を造ったり、一度に二つの作業は難しい。
造血能力を発揮させるためには、重力からの開放、すなわち横になって休むことが必要なんです。
造血は赤血球だけではなく、白血球も造ります。
白血球は免疫力を持っていますから、白血球をきちんと造らないと健康も維持できないのです。

そんなこんなで、心身とも健康を維持し、長期間よいパフォーマンスを発揮するためには、残業は好ましくないものなのです。
たまに必要があって数日間、せいぜい数週間だけヘビーワークすることは可能です。
でもそれが常態になってはいけない。
そうならないように、ダンドリをうまくやるようにしています。

さて、その後の家出君。
寮を追い出されて安宿暮らしも1週間経ちました。
ホームヘルパー学校への入学も達成。
あとひと月半毎日休まず受講すれば、資格を得ることができます。
そのためには健康第一です。
早寝早起き、正しい食事です。

松浦元男『先着順採用、会議自由参加で世界一の小企業をつくった』講談社\1500-にこんなことが書いてありました。
松浦さんは若い頃バンドマンだったのですが、その時のバンマス吉屋潤さんから言われたこと。

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マッチャンがこれからも、音楽を続けるかどうかはわかりませんが、何の仕事になっても同じことです。
人生は薄紙を重ねていくようなもの。
でも何年も休まず重ねた厚みは、だれにもマネはできません。
人それぞれが積み重ねる人生の山は、すべて形が違います。
でも、この山の形と高さが人生の価値です。
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人生晴れたり曇ったり。
決して楽しいことばかりじゃありません。
苦しいこともありますが、そこから逃げてちゃいけない。
少しずつ、ひとつずつ、薄紙を重ねるように努力していく。
何年か経ったとき、それが高い山になっているんですね。

家出君の人生もこれからです。
毎日毎日コツコツと薄紙を重ねていかなくちゃいけない。
薄紙ですから、吹けば飛んでいってしまうものです。
すなわち、崩れるときはあっという間なんです。
崩さないように慎重に一枚一枚積み重ねていく必要がある。

ヘルパー学校入学を祝って、先週末我が家に泊まりに来てもらいました。
リボーンを祝って、いいえ生まれ変わることを祈って、安いロールケーキにろうそく1本立てて、再出発を祝いました。
ぼくもまた毎日毎日、薄紙を積み重ねていきたいと思っています。
そして我が子たち、ぼくの家族たちも健康でいい人生であるように。

2009年11月7日土曜日

危険もチャンスもスキマにあり


こんにちは

先日のごみメールで「労働組合の活動方針を個性的なものにした」と書いたら、どんなのか読ませろというコメントをもらいましたので、公開しますね。

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第91期運動方針

 政権交代による独立行政法人の存続が問題となっている。その中でいかに理研の存在意義を世に認めてもらうかが、今必要なことである。

 しかしながら9月に発生した主任研究員による背任事件などにより、科学者たちの自由な楽園は失われようとしており、理研の存亡さえ脅かされるような事態となっている。今回の事件は犯罪を犯した主任研究員個人の問題だけではなく、明らかに所の経営の失敗によるものだと言える。不正を生み出す温床が職場内に蔓延しているのではないかと思うのである。その主な原因は、急激な成果主義の導入による労働強化であり、職員や理研で働く人たちの連帯が失われ、自分の目先の成果ばかり追うようになり、心と時間に余裕がなくなってしまったからだということは明らかである。

 組織の力は、個人の力と個人間のつながりの両者から生み出されるものである。理研は個人の力を発揮させることには成功したのかも知れないが、今の理研には個人間のつながりが圧倒的に不足しており、働く者同士が分断されている。ギスギスとした人間関係の中で、自由で活気ある研究は生まれない。

 主任研究員が引き起こした背任事件も、人と人とのスキマに発生した不正であった。誰もが自分の目先のことで精一杯で、そのスキマを見ようとも埋めようともしなかったために発生した事件だったのだ。また、新たな価値も人と人とのスキマに存在しているものである。理研のような研究集団においては特にそれは大切なことであり、異分野の研究者との普段からの気の置けない交流の中から学際的で画期的な研究が生まれてくる。他の分野の研究者たちと交流する余裕を奪われ、目先の成果ばかり追わされていると、価値ある研究のタネを見つけ損ねてしまう。それは理研にとって大きな損失であるはずである。

 理研は次世代スーパーコンピュータ、X線自由電子レーザーと第3次科学技術基本計画における国家機関技術開発を二つも国から委託されたり、数多くの研究成果を生み出しているなど華々しい活動をしているように見えるが、その実態は惨憺たるものである。業務の増大に伴って当然増えるべき任期の定めのない職員(定年制職員)は独法改革、公務員定数削減、人件費抑制のため、全く増員されないままである。そして不足する労働力は、任期制職員、派遣職員、業務委託らの人々が支えている状況である。これらの人たちの雇用は不安定であり、賃金も低く、労働者としての当然の権利が侵害されている。定年制職員も増える業務量と責任をこなすため、長時間労働や過重労働を強いられ、メンタルヘルス問題を抱えている者も多い。男女共同参画を謳いながらも、家庭を持つ若手・中堅女性職員の退職も後を絶たない。このように職場内の人と人との和が失われ、個々人が孤立化し、連帯が失われてきている。これらはすべて近年所がトップダウンで導入してきた制度によるものと考える。

 こうした状況を鑑み、第91期理研労執行部は90期の活動を引き継ぎながら、つぎの3点に重点を置いて活動していき、働きがいのある人間らしい職場を共につくっていく。

 (1)労働時間の短縮
    36協定の適正な改訂(超勤は30時間まで、繁忙期60時間まで)を行う
 
 (2)人事評価制度の見直し
    事務系評価制度を見直し、研究系評価制度の納得ある導入を図る

 (3)連帯ある職場の実現
    定年制、任期制、派遣職員等理研で働くすべての人の雇用を守り、公平な職場をつくる

    以上
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ちょっとアジテーションが過ぎる文章かもしれませんが、かなりぼくの本音です。
これは内田樹さんからの受け売りなんですが、危険は人と人とのスキマに発生するもの、だと思っているのです。
スキマとは、誰もが自分の領分じゃないと思えるところ。
なんかあれ、危なそうなんだけど、オレの仕事じゃないよなーって思っちゃうこと。
オレの領分じゃないから放っておこう、きっと誰かがやってくれるはずだから、ってこと。
誰もが見て見ぬふりをしてしまう。
そういうのってよくあると思うんですよ。
で、誰もが見て見ぬふりをして放っておいた危険の芽は、どんどん成長してあるとき顕在化するんです。
何でこんなになるまで放っておいたんだー!!って。

業績評価、実力主義評価はいいのですが、そのやり方があまり上手くないのもひとつの原因だと思います。
年度初めに目標を立て、それに沿って仕事を進めていき、年度末に目標に照らし合わせて実績を評価する。
正しそうだけど、ぼくは間違っていると思うんです。
このやり方だと、目標からこぼれたことをやらなくなっちゃうからね。
だって現実は日々変わっていくものだから、予想もしていなかったことが起こるのはあたりまえです。
そういう予想していなかった事態は当然ながら目標には記載されていない。
そういうものに取り組んでしまったら、目標を達成できなくなる恐れがある。
目標だって自分の実力以上のものを設定されるわけですから、評価されないことまでやる余裕がないんです。
それなら見て見ぬふりしちゃうってこともあり得ますよね。

ぼくは仕事の価値は、余分なことをやること、だと思っています。
余分なことをやるためには、余裕がないとね。
余裕って意外と物理的なことで生まれるんですよ。
時間とか空間とか。
余裕ができると、余分なこともできるようになる。
余分なことってつまりは、人と人とのスキマにある、誰もがやろうとしないことだったりします。
本当はこの部分こそ会社や上司は評価しないとならないものなんだと、ぼくは思うのです。

余分なことをやるには余裕がいる。
余裕を持つためには時間が必要。
だから時短に重点を置いて取り組みたいんです。

そして、人と人とのスキマということは、あと何人かも同じスキマに気づいているってこと。
一人ではたいしたことはできませんが、何人か集まれば大きなこともできる。
誰かを手伝ったり助けたり、気にかけたりするためにも余裕は必要。
人と人とのスキマにあるのは、危険だけではありません。
あれやると面白そう、というものもたくさん転がっているんです。
でも余裕がないからやれない、あきらめちゃってる。
そういう例が多い。
余裕があればそれもできるわけですから、チャンスも広がるんです。


写真はあと半年で完成する次世代スパコン建屋。
スキマが発生しないよう、みんなでがんばっています!