2009年1月13日火曜日

実用としての勉強

こんにちは

今年の目標「1級建築士」受験のための勉強も順調です。
基本書(基本となる教科書、今回の場合『一級建築士(受験)学科総合対策』霞ヶ関出版\3000-)をざっと通読し、試験範囲とそのレベルを確認し終えました。
ほぼ一月ほどで読了です。
1級建築士の基本書の厚さは、放射線主任者の時の半分しかない。
それにぼくにとって建築のことは<門前の小僧>なので、ザクザク読み進めることができましたよ。

もちろんすべて頭に入ったわけじゃありません。
何がどこに書いてあったかが分かる程度。
インデックスが頭に入ったってところでしょうか。
基本書の通読はその程度でいいんです。

これから過去問を解き始めます。
そのとき分からない、理解が足らない問題に出くわしたら、基本書を再読するのです。
インデックスが頭に入っているので、基本書のどこを読めばいいのかだいたい分かります。
そうやって問題を解きながら基本書を精読していく。
過去問を解きながら勉強するのは合理的なんです。

教科書だって重要なこともそうでもないこともいろいろ書いてあります。
どこが重要か、出題者はどこをポイントとしているのか、それは過去問に顕れています。
重要なポイントは、過去に何度も繰り返し出題されている。
そういうところをしっかり勉強すれば、確実に得点できるのです。

そして、重要ポイントは、過去に何度も繰り返し出題されているわけですから、実務上も重要なことなんです。
実務に活かすためには、重要ポイントはしっかりと身につけておくべきです。
資格のための勉強ではなく、将来の自分のために勉強する。
しっかりとした基礎力を身につけるために、資格試験を利用するのです。

以前書いた「試験を楽しもう」に対して、若い同僚からこういうコメントをもらいました。

> 今日の「試験を楽しもう」については、学校の試験が仕事の訓練になるというのは
> 確かに大切な視点だと思います。
> ただこれまた仕事と同様、能率を重視するあまりに学問本来の楽しみが奪われる危
> 険もはらんでいると思います。

「学問本来の楽しみ」なーんて言うヤツは、きっと勉強が嫌いなんでしょうねー。
あはははは。
ま、学問本来の本当の楽しみが分かるのは、大学院修士課程を終える頃なんだとぼくは思います。
学校の試験や資格試験は、学問の楽しみとはそれほど関係がありません。
むしろ無関係。
「実用のための勉強」だと思うからです。
効率的、合理的に仕事が出来るようになるのが目的。
ぼくが勉強しているのは、ラクに生きられるようになるから、と言ってもいい。

勉強をすると、世の中の見晴らしがよくなります。
何が正しくて何が間違いか、素早く判断できるようになります。
そうすると過ちを犯すリスクを低減することができます。
その意味で、無知蒙昧は不利なんですよ。

リスクが減れば、余裕も生まれます。
余裕が生まれれば、新たなことにもチャレンジすることもできる。
面白い仕事があったとき、余裕があれば真っ先に「それやりたい!」と手を挙げることができる。
もちろん、やりたいという気持ちだけではだめです。
やれるだけの能力があると、世の中が認めてくれないとね。
勉強して実績も積んでいれば、認めてくれる可能性は高くなるのは当然。

何より早く退勤できます。
早く家に帰って家族との団らんを楽しめる。
仕事上の悩みも不安もなく、夜もぐっすりと眠れる。
そして翌朝、また元気に出勤できるんです。

勝間和代『勝間和代の日本を変えよう』毎日新聞社\1500-にこう書いてありました。

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気がつくと課せられるバカみたいな長時間労働、死ぬほどの残業から逃れるためには、生産性を上げなければならない。
そのためには勉強をしなければならない、ITも使いこなさなければならない、ということが身に染みているのです。
勉強のための勉強ではなく、最終的には仕事のための勉強でもない。
仕事以外の人生時間をつくるための勉強です。(30p)
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なるほどなるほど。
ワークライフバランスのための勉強ってことですね。
人生をすべて仕事に捧げてしまわないために、効率的、合理的に働かないとなりません。
そのための勉強。
学校の勉強だって、資格試験の勉強だって、最終的にはこれなんでしょうね。

ラクに働き、ワークもライフもバランスのよい人生を自ら造っていく。
ライフを充実させることによってワークも充実させる。
ワークが充実すれば、ライフも充実する。
この良循環を創り出すってわけです。

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