2009年3月31日火曜日

仕事の原理

こんにちは

フリーターやニートが増えたためか、子どもや若者にしっかりとした職業観を持ってもらうための本がたくさん出版されるようになりました。
たとえば村上龍『13歳のハローワーク』がベストセラーになりましたよね。
この本にはいろんな職業が紹介されています。
風俗関係の仕事まで紹介されていて、なかなか面白い。
もちろん子どもに風俗の仕事をオススメしているわけじゃないけど、きちんとリスクや倫理も説明されていて、ハナから道徳的に全否定していないところがいいです。
説教臭くないのでベストセラーにもなったんでしょうね。

でもぼくは、今あるいろんな職業について紹介したり説明したりすることも大事だけど、もっと仕事の本質的なことも子どもや若者に伝えたいなーと思うのです。
仕事の原理ですね。
どんな仕事に就こうとも、この原理は成り立つ。
この原理を知り、身に着けていれば、どんな仕事に就こうともそこそこ上手くやっていけるというもの。

だって、いろんな職業を知って自分のなりたい仕事を子どものうちに見つけたとしても、その仕事に就けるかどうか分かりませんからね。
だいたい子どもの憧れる職業って、プロ野球選手とかサッカー選手とかアイドル歌手とか、並みの才能と努力じゃなれないものばかり。
よほどの運もなくちゃなれませんよ。
たいていはごくごく普通のありきたりの仕事に就いちゃうわけです。
ぼくだって子どもの頃は電気技術者になるとは思っていませんでしたよ。
行き当たりばったり、成り行きですね、たいていの大人はみんな。
そして、そういうごく普通のありきたりの仕事のことなんか、子どもは知りもしなかったりします。

それに今の子どもたちが大人になる頃、今ある仕事がまだあるとは限りません。
今花形の仕事でも、10年後、20年後は斜陽だったりしてね。
倒産、転職なんか当たり前の人生が待っているんです。
その中で、よりよい人生を自力で造り上げていく力が必要なんだと思います。

岩谷誠治『国語算数理科しごと』日本経済新聞\1500-にもこんなことが書いてありました。

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考えてごらんよ。
美咲(子ども)が、仕事に就くのは10年以上先になるよね。
だから、美咲が学ぶべき仕事というのは今の仕事ではなくて、10年後にある仕事でなければ役に立たないわけだ。
そのころには今は存在しない、当然、今は名前も付いてない仕事がたくさん出てくるはずだよね。(21p)
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たとえ成り行きで就いた仕事だとしても、そこで成功することは大切です。
成功とまで言えなくても、上手くやっていくにこしたことはありません。
仕事とは何かよくわからないために、現実と折り合えず、ふらふらと転職を繰り返したり、ニートになってしまうのは、人生の浪費です。
だからそのために必要な「原理」は身に着けておいた方がいい。
仕事とは何か、その本質を理解しておいた方がいい。

では、仕事の本質とは何か。
岩谷さんはこう言います。

  仕事とは「約束を守ること」だと思っているんだ。(23p)

シンプルですねー。
同じようなことをジャーナリストの日垣隆さんは、「依頼と納品」と言っています。
依頼とは、何をいつまでにやってほしいか合意しておくこと、そしてその見返りは何かを合意しておくこと、です。
見返りは金銭に限りません。ボランティアだって、心の満足みたいな見返りはあるわけです。
依頼とは約束を「決めること」に他なりません。

そして納品です。
決めた約束を守ることです。
納品は物を納めることだけではありません。約束を果たすことすべてです。
決めた期日に、決めた品質で納品し、ちゃんとその対価を支払う。
依頼と納品が確実に履行されるから、信頼が生まれ、社会は安定するのだと思います。

約束を守ること、依頼と納品を常に意識することが、仕事の本質であり、原理なんだと思います。
これさえ理解し、身に着けておけば、どんな仕事でもそこそこやっていけます。
ごくごく当たり前のことなんですが、身に付いている人少ないですよ。
だからこの原理、基本が身に付いているだけでアドバンテージが出る。
子どもにはぜひ身につけさせたい基礎基本です。

もちろん、ぼく自身も実践していますよ。
依頼の時は、期日と品質と対価をよーく合意しておく。
後で、言った言わない、約束が違う、ということがないように。
そして約束の通りに納品です。

仕事だけじゃありません。
全ての人間関係の基本にもなっていると思います。
夫婦でも家族でも、多少緩やかでいいし、緩やかな方がいいでしょうが、約束を守ることは信頼を築くために必要なことでしょう。
よくお父さんは子どもとの約束を「仕事の都合で」なんていってドタキャンしますよね。

あれ、子どもの教育にとって悪いですよ。
もちろんたまにならそういうこともあるでしょうが、頻繁に子どもとの約束を反故にすると、子どもにこの「依頼と納品」という仕事の原理が身に付かなくなります。
とても損なことです。

そう考えると、学校でやることは意外とこの仕事の原理の練習になっているんですよね。
たとえば宿題。
先生は何をいつまでにやればいいのか明確にする。
それを生徒は履行して、納品(提出)する。
そしてきちんと履行した生徒は、褒められ、いい成績をもらう。
たとえば定期試験。
先生は試験日までにこの範囲をしっかり勉強するよう指示する。
生徒は合格点、すなわち納品目指して努力する。
きちんと合格点を採れれば、いい成績をもらい、褒めてもらえる。

最近、学校であまり宿題を出さなくなっちゃったそうです。
宿題出されてもやらない生徒も多いらしい。
ちょっともったいないなーってぼくは思います。
仕事の本質を理解し、その優れた練習機会を放棄しちゃっているんですから。
宿題の意義を語れる先生がいないのかもしれませんね。

2009年3月30日月曜日

プロになる読書法

こんにちは

どんな職業でもそうですが、プロ級の仕事をするひとはすべからく勉強家です。
たくさん本を読んでいるし、多くの人と会っている。
仕事とはアウトプットです。
だから、インプット無くしてアウトプット無し、なんです。

だからといって読書家=いい仕事をするってことでもありません。
読書家の中には、小説や歴史書など、自分の仕事に直接関係ない本ばかり読んでいる人も多い。
そういう人は、今目の前にある自分の仕事とその読書がつながらないんです。
すごく長い目で見れば、小説や歴史書で得たことも自分の仕事や生き方に関わってくるでしょうが、仕事とはそもそも目の前の難問を解決することなんですから、役に立たないのです。

ぼくの尊敬する小学校教師だった向山洋一さんは「プロ教師なら教育雑誌を毎月何冊も読まねばならない。教育の専門書を読まねばならない」と繰り返し言っていたのを思い出しました。
ぼくが教師だった頃はナマイキにも「そんな読書法じゃ幅の広い人間になれないぜ」なんて思って、小説や科学の本ばっかり読んでいました。
でも向山さんの本など教育書も読んでいましたし、教育雑誌も数誌は購読していましたから、まずまずだったでしょう。

森信三『人生二度なし』致知出版¥1600-にこうありました。

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(読書の種類は)第一は自分の職業に関する専門の雑誌及び単行本であり、第二は一般的な教養の書だといってよいでしょう。(103p)

一般的な教養は、できるだけ広汎なのがよいと思いますが、しかしそれらは、あくまで円周的読書であって、真の円心的な読書としては、どこまでも、自分の職業を中心とした専門雑誌、および単行本でなければなるまいと思うのです。(104p)
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先ずは「軸足を決める」ってことですね。
軸足は自分の仕事に関する本。
ここは継続的に読まなくてはならない。
その上で小説や直接自分の仕事には関係しない教養書も読む。
軸足をしっかりと決めて、そこから同心円状に教養を広げていくのがいい。

専門雑誌を読むためには、学会などに入ってしまうのがいいです。
毎月定期的に学会誌が送られてきますから、自然と強制的に読むようになるからです。

ぼくも電気技術者協会会報、技術士会会報、電気設備学会誌、空調衛生工学会誌、最近は加速器学会誌と、自分の仕事に関連した雑誌を読んでいます。

もちろん「雑誌」ですから、すべての論文を読むわけではありません。
読書が身に付いていない人ほど、全部を読もうとします。
全部読まないともったいないからでしょうか。
で、もったいないから購読しない、ってことになる。
その方がもったいないですよ。

雑誌は全部読むものではありません。
ぼくも自分の興味のあるもの、自分でも理解できそうなもの、今の仕事に役立ちそうな論文だけ読みます。
まあ、1/10くらいしか読みません。
それでも確実、着実に自分の知識と技術が増えていきます。

せっかく資格をとったのに、学会に入らない人もいます。
会費なんか年額1万円か2万円程度です。
そのくらいの投資を惜しんでどうするんでしょうか。
資格はとっただけでは、その仕事をぎりぎり最低限任せる程度の技量があることを認められただけです。
とてもプロレベルとは言えないのです。
だから、プロになるには継続的な勉強が必要なんです。

その上で、専門バカにならないように、小説や歴史書など教養的な本も読む。
こういう読書もしないと、視野が狭くなって、やはりプロとしての仕事がやがてはできなくなってしまう。
あるいは、上級のプロにはなれないんだと思います。
同心円的読書、これぞプロへの読書法なんだと思います。

2009年3月29日日曜日

技術者としての価値の高め方

こんにちは

先週水曜日はXFEL棟竣工検査でした。
検査といっても実質的な検査は完了しているので、最後に偉い方々にご披露する場です。

ぼくは検査開始2時間前に現場に行き、施工を担当した代理人さんと現場巡視。
偉い方々にお見せしてみっともない部分がないか、最後のチェックです。
機能は万全なのは分かっていても、最後は見た目です。
見た目がよければ、よい評価につながります。
ちょっとした汚れとか、機器の取り付けが曲がっていたりする程度のことで、評価を落とすのは損ですからね。

やっぱり最後は偉い人に褒めてもらいたいわけです。
文句を言われないようにしたい。
発注者側の偉い人が見るということは、施工者側だって偉い人が来ます。
だから、施工者さんにも恥をかかせるようなことがないようにしたい。
施工スタッフも、自分の会社の偉い人に評価してもらえるように。

巡回して、まだ養生シートが貼りっぱなしだったところを発見。
すぐ取り外しの指示を出しました。
同様な部分も見て回るように。

1時間ほど現場を巡回して事務所に戻る途中、XFEL本部の建設担当チームリーダーとすれ違いました。
この方も事前に現場を見て回っているのでした。
さすが!
って、この方はぼくの元上司で、ぼくもこの上司が検査前に巡回していたのを見て真似しただけなんです。
いいことは真似しなくちゃね。
技を伝授してくれた上司に感謝です。

ぼくは自分にもできそうないいことがあったら、真似して行動してみるものです。
それが実践者としての王道だと思っていますから。
ダメな人はたとえいいことを見ても、あいつがやってくれるんだから自分はやらなくてもいいや、と思う。
行動に移さない、習慣化しない。
なので、事前確認する人がいない場合でも、それをするのを怠るわけです。
その結果、偉い人から悪い評価をもらう。
でも、その責任を部下や施工者など立場的に弱い者へ転嫁したりするんですよ。
かっこ悪いね。

ともかく、最後のだめ出しをして事務所に戻りました。
これなら大丈夫。
事務所に戻ると、施工者側の偉い人も挨拶に来ます。
「いい仕事してくれましたよ。優秀なスタッフで助かりました!」と、ウソいつわりなく、お世辞抜きで堂々と言えます。
がんばってくれた施工スタッフが、自社でもよい評価をもらえるタネになってくれればと思います。

そして竣工検査。
偉い方からもお褒めの言葉をいただけました。
特に研究系のトップであるプロジェクトの副本部長から

 装置冷却水設備が静かなので驚いた
 最初、運転していないのかと思って配管を触って確かめた
 触らないと分からないくらい静かだ

とコメントをいただいたのは「やったー!」と思いましたね。
とても嬉しかった。
今回の工事では、建屋工事で装置冷却水設備も建設したんです。
たぶん、これまでの国内の加速器施設では初めての試みだと思います。

建屋工事で施工することにより、他の設備との配置もコンパクトに収まり、合理的に設置できます。
合理的ということはすなわち、早い、安い。
プロジェクトの期間を半年は縮められ、この部分のコストも6割くらいに圧縮できたと思っています。
もちろんぼくにとっても初めてのチャレンジ。
プロトタイプ機の建設時に経験はありましたが、加速器の安定運転のための要の設備ですから、研究者とよく打ち合わせながら、自分でも加速器学会のレポートを読んだりして基礎的なことを勉強しました。
施工スタッフにも、設備の目的、趣旨をよく伝え、スタッフにも勉強してもらいました。
設計図通りにただ造ればいいというスタンスでは上手くいかないからです。

まだ実際に加速器と接続しての運転はしていませんが、音が静かということは振動が少ないということですから、加速器の安定運転のためのひとつの目標がクリアできたということです。
あとは必要温度精度で制御できるかどうかですが、これも自信を持っています。
ダメな設備は最初から転けているものだからです。
早く加速管に通水して運転する日のことをワクワクして待っています。

ぼくは技術者としてもともとは「電気保安技術者」としてスタートしました。
それが手っ取り早く食えるようになるための最短ルートだったからです。
でもそこに留まらず、自分の枠を広げるよう努力してきました。
電気だけでなく機械設備や建築へ、となりとなりへと枠を広げてきました。

ノーベル化学賞の田中耕一さんは講演の中で、こうおっしゃっていました。

 浅くても良いから幅広い知識と2つ以上の専門性を持つことが必要

田中さんは大学では電気工学を専攻しました。
化学は専門外のはずですが、ノーベル化学賞です。
それは田中さんもひとつの枠に収まらず、となりとなりへと広げてきたからなんだと思います。
田中さんも研究者というより技術者なんですよね。

技術者は世界初、世界一である必要はありません。
が、その人の持つ知識や技術が希少であるほど価値を持ちます。
希少価値であるためには、二つの道があると思います。

 1.ひとつの専門を極める
 2.二つ以上の専門を持つ

たとえば1級建築士。
建築の仕事のトップの資格です。
でも1級建築士は日本に30万人もいるのです。
ちょっとした小都市の人口くらい。
30万人もいる中で希少価値を出すのは大変です。
よほどの才能と努力がないと、一流にはなれません。
ところが、1級建築士でも電気設備や機械設備までちゃんと設計できる人はめったにいない。
設備を設計するプロ資格に建築設備士というものがあります。ぼくも持ってます。
1級建築士かつ建築設備士というと、その人数は少なくなって3000人くらいになってしまう。
希少価値が出ます。

だからぼくは後者を選んだんです。
二つ以上の専門を持つこと。
そしてそれを自在に組み合わせられ、新しいものを生み出すこと。
楽して希少価値が出る方法です。
それがぼくのやり方なんだと思っています。

2009年3月28日土曜日

評論家に堕するな!

こんにちは

ぼくは自分自身を「実践家」であると規定しています。
実践家とは行動する人、のことです。

「それは無理だ」「難しい」「できない」、まず最初にそんな否定的な言葉を発する人が時々、いやしばしばいますよね。
そういう人に限って、いろいろ言い訳はするんですが、行動を起こすことはまずありません。
言い訳するヒマがあったら、先ずはアクションを起こしてみればいいのにね。
行動してみないことには、自分が何ができて何ができないのかさえも分かりませんよ。

ところが、そういう人ほど誰かが行動を起こした時、その瑕を探し、誤りを見つけ、揚げ足を取り、呆れ、嘲笑し、口汚く罵倒したりするんですよ。
「ここがダメだ」「そら見たことか」「やっぱりダメだったろう」「無理って言っただろう」。
ちょっとでもだめな部分を見つけ、勝ち誇ったように言います。
いわゆる「評論家」。
まるで上手く行かないことを喜んでいるようです。

「行動する人」を馬鹿にするのは「行動しない人」なんです。
決して一歩でも二歩でも先に進もうとする「行動する人」ではない。
行動する人は、現実の厳しさも知っているので、滅多やたらに他人のやることを馬鹿にしたりはしません。
一歩でも二歩でも前に進めることが、いかに大変で努力が必要であるかを知っているからです。
だから同じように努力をしている人が、ほんの少しでも行動を起こしていれば、その「価値」がわかるのです。
もちろん、ダメなところ、間違っているところもあるかもしれません。
そういうときは、その部分だけ指摘して、静かに正しい方向付けをするだけです。

何も行動しない人だけが、行動しないが故に無傷でいられることを強みにして、行動する人を嘲うんです。
かっこ悪いね。

金出武雄『素人のように考え、玄人として実行する』PHP\1500-に、行動しないで言い訳ばかりする人を<ネイセイヤー>と言うのだと、書いてありました。
ネイセイヤーにならないためには、どうすればいいのでしょうか。

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「これは難しい。きっとうまくいかない」「こんなことをやっていて、本当にいいのだろうか。効果があるのだろうか」「もっといい方法があるはずだ」
どこの世界でも、計画が始まる前や途中で、こういうことを言う人、反対論者がいるものである。
英語ではネイセイヤー(Naysayer)と言う。NayつまりNoと言う人のことである。

私は徹底してやるタイプなので、もし学生が、こんな泣き言を言ったら、

「終わる前にうまくいかない理由をぐたぐた考える暇があったら、早くやれ。
 最後までやってから、ダメだったらダメでした、と言えばいいのだ」

と言うところである。(60-61p)
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つまり、最後までやり遂げるということが大切なんですね。
ネイセイヤーがなぜ否定的なことを言って、行動に移そうとしないのか。
それは、最後までやり遂げたことがないからです。
やり遂げた経験がないから、成功する自信がない。
だから、自分が失敗することが恐いだけなんです。

もともと仕事というのは「難しいもの」なんです。
難しくない仕事に、世間は高い給料を払ってなんかくれないのです。
実は、なにやらしかめっ面をして「それは無理だ」「難しい」「できない」と言う人ほど、<楽>な仕事をしているのです。
そうやって、難しい仕事から逃げているだけなんです。
楽な仕事なんですから、評価されないのは当然なんです。
失敗はしないかもしれませんが、何もアウトプットされないわけですからね。

反対に、いつもニコニコ顔で「できるよ」「やってみようよ」「なんとかしよう」と言う人は、本当は<厳しい>仕事をしているものなんです。
こういう人は失敗もするかもしれませんが、確実にアウトプットが増える。
中長期的に見れば能力も伸びるし、評価も得られます。

伸びる人は言い訳をしないだけではなく、愚直でもあるんですよ。
素直と言ってもいいかもしれません。
これだと決めたら最後までやりとげる。
小さなことでも「結果」を出す。
たとえそれが失敗に終わったとしても、得るものも大きいのです。
最後までやり遂げた経験こそが、自信を生み出し、自分の身の丈をも伸ばしていくことにつながるんだと思います。

2009年3月24日火曜日

技術者は楽しい!

こんにちは

日曜日に越谷市科学館で出張授業をしてきました。
三連休の最終日にもかかわらず満席状態で、当日参加をご希望された方をお断りしなければならないくらい盛況でした。
嬉しい限りです。
参加者は、小学生とその保護者でした。
子ども一人にお父さんとお母さんだったりして、大人の方が人数が多かった。
ちょっと話しづらかったですよ。
子どもと大人とどちらに向かって話すべきか、ターゲットが絞りきれませんでした。
まだまだ未熟ですねー。

それでも楽しい授業ができたと思います。
授業のメインの話は「光が出る仕組み」で、電子と光の関係からXFELまでの話だったのですが、それよりも

 技術者は楽しい

ということを伝えたかった。
科学者というと、ほとんどの子どもや文系の大人も、研究者をイメージしています。
それも白衣を着たはげちゃびんおやじだったりして。お茶の水博士みたいなイメージですね。

ぼくは科学者とは、科学をメシのタネにしている人、と定義しています。
なので、研究者だけでなく技術者も科学者というカテゴリーに入るわけです。
そう定義すると、科学者の中では研究者より技術者の方が圧倒的に人数は多い。
なので、科学者のほとんど(95%くらいでしょうか)は技術者だってことです。
数が多いと言うことは、それだけ世の中から必要とされているということでもある。

ぼくは、

 研究者;夢を見つける仕事
 技術者;夢を実現する仕事

であると思っています。
授業の中で、

 研究者;世界初、No.1じゃなきゃ意味がない
     その意味で厳しい仕事
     でも楽しい!

 技術者;たくさんの知識や技術を広く知る必要がある
     その意味で厳しい仕事
     でも世界初、No.1でなくてもいい

と話しました。
どちらも世の中に必要な仕事だし、どちらもまじめに取り組めば楽しい仕事だと話しました。
どちらに適性があるかは、人それぞれ。

吉田武『中学生が演じた素粒子論の世界』東海大学出版会\1600-にこうありました。

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科学者と違って、技術者は必ずしも一番である必要はありません。
世界で二番ならそれはそれで結構です。
仮に同じ技術を持った人がたくさんいても、それは希少価値が減るだけで、全く無意味になる、ということはありません。
体に身についた技術というものは、生涯何らかの形でその人を助けます。(161p)
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何より技術者は「人まね」が有効なんです。
研究者は人まねは御法度。
技術者はいいものはどんどん真似して、自分の身にすればいい。
勉強すればするだけ技術力が上がる。
その分、夢を実現する技が身に付くんです。

ぼく自身は、夢を見つけるより夢を実現する方が楽しいと思っているので、技術者になったんだと思っています。
それに技術者は、いろんな仕事に携われるのもメリット。
ぼくもこれまで理研で、多くのプロジェクトに関わってきました。
横浜NMRパーク、和光RIBF、神戸スパコン、そしてXFEL。
これらの施設の写真を見せながら、技術者は楽しいぞ、と話しました。

ところで昨日のごみメールでお見せしたXFEL機械室の写真を、職場内の方にも見てもらいました。
こんな感想をもらいましたよ。

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このお写真に写っている機械室は、本当に美しいですね!
何が美しいかって無駄なものが一つも無い。
色一つ、形一つ、素材一つとっても無駄なものが無い状態。
詳しくは、どう機能するか分からないけど無駄が無いものって、やはり美しいです。
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こういう感想をもらうと嬉しいですねー。
技術者冥利に尽きます。
いいものは素人目にもいいものだと分かるんだと、ぼくは思っています。
玄人しかわからないようなものは、偽物だね。
さ、今日もホンモノ目指して楽しくがんばりましょうか!

2009年3月23日月曜日

結果こそ現実

こんにちは

先週末は、今月末に完成するXFEL棟の監督員検査でした。
口数が減っていた例のフレンドリー君にも、おしゃべりが戻ってきました。
もう大丈夫です!

XFEL棟のコンセプトは「建物もマシンの一部」。
精密で質のよいビームを発信するためには、建物だって高品質で精密でなければならないのです。
マシンを設置する床面の精度も重要ですし、安定した空調や冷却、電源も必要です。
その意味でぼくが手がけた研究実験棟の中でもっともチャレンジングな仕事でした。

検査の結果は、十分合格点を超えた、です。
機能的な要求は満足し、その上で「ホスピタリティ」にあふれた建物になったと思いました。
ホスピタリティとはラテン語で”客間”です。
ホスピタリティを辞書で引くと、客に対する親切なもてなし、歓待とある。
心をこめて客をもてなすこと。
お客さんと一緒に喜び、共に楽しさや感動を共有する場所が客間なのです。

森信三『人生二度なし』致知出版¥1600-にこうありました。

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結果こそ現実であって、願望や意図だけでは、いかにそれが真摯かつ熱烈であろうとも、結局はたんなる主観的観念に過ぎない(56p)
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コンセプト=概念、理想です。
理想を思い描くことは大切ですが、それだけでは絵に描いた餅にすぎません。
理想を現実化していくために努力していき、結果を出すことが大切なんだと思っています。
結果とは何か。
多くの人と一緒に喜び、共に楽しさや感動を共有できることだと、ぼくは思います。

今週水曜日には役員の検査があります。
きっとホスピタリティあふれたよい施設に仕上がったことが、役員にも伝わると思います。
がんばってきた施工スタッフのみなさんに感謝ですね。

役員の検査が終了したらすぐ、マシンの搬入、据え付けが始まります。
世界に一歩でも先んじられるように、できることはどんどん着手していくのです。
マシンの据え付け、試運転調整の時にも、建物側のチューニングが必要になってきます。
何たって「建物もマシンの一部」ですからね。

マシンの研究者、技術者のみなさんと努力を続け、よい結果を現実化し、このプロジェクトを成功させ、共に喜び、感動を共有したいなーって思っています。

2009年3月20日金曜日

お金に困らない人生

こんにちは

今造っている研究棟の空調は、床吹き出し空調を採用しました。
計算科学のための研究棟なので、研究者は一日中座っての仕事です。
なので居住空間は普通の研究棟よりも低い位置になります。
床から高さ1.2mまでの範囲で仕事をします。
この空間を快適にする必要がある。
また計算科学の研究者は、デスクの足下にワークステーションというパソコンの強力なやつを置いたりしています。
これもかなり発熱します。
なので、一般的な天井からの空調は適しません。
床面近くを適性に空調したいので、床吹き出し空調で設計したわけです。
といっても、設計時点では床吹き出し空調についてあまり知識はありませんでした。
ただこの空調の方が適していると判断して、空調設計担当者にお願いしたのです。

施工者も決まり、床吹き出し空調についても本格的に打ち合わせが始まりました。
が、スタッフたちとの打ち合わせにちょっと違和感。
何となく話がかみ合っていない。
え?誰もこの技術をよく知らないみたいじゃん!
ちょっとあわてましたよー。
確かに、床吹き出し空調は確立した技術ですが、まだそれほど普及した技術ではありません。
経験したことがない技術者の方が多いのも当然。
じゃー、おれがディレクションしなくちゃねー。

というわけで、その場でパソコンでアマゾンにつなぎ、床吹き出し空調で検索。
適当な本を見つけ、注文です。
ディレクションするためには、先ずは基礎知識の修得が必要ですからね。

ところで我が家は本多静六に倣って、「1/4貯金法」を実践しています。
給料手取りの1/4は、必ず貯金に回すんです。
その残りで一月暮らす。
毎月の暮らしはあまり余裕のないものになりますが、質素倹約に努める習慣ができます。
いざ職を失っても、1~2年なら暮らしていけるだけの蓄えもできます。
質素倹約が身に付いていますから、少ないお金でも暮らしていける。
20年くらい前ぼくが教員だった頃と比べて収入は3倍くらいになっていますが、その頃とあまり変わらない金額で暮らしています。
家族が増えた分程度は生活費は増えていますが、収入を全部使ってしまうような贅沢な(肥大した)暮らしはしていません。
それが精神的余裕を生んでいると思います。

勝間和代『日本を変えよう』毎日新聞\1500-に漫画家西原理恵子さんとの対談が載っていました。

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西原 うち、子どもが「おかあさん、お金とぼくらと、どっちが大事なの?」と聞くんだけど、「両方」って答えるんですよ。
だって金なきゃさあ、親が人じゃなくなっちゃうもの。
自分の親がね、金がなくてホントいやなケンカをしていたんです。
数万円で殺すのなんの言って。
人であるためにはお金が必要。
だからお母さんは常に働くの。
だから私はあんたたちのためじゃないく、自分のために働いている、といつも言っているんですよ。(103p)
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お金はそんなにたくさんは必要ないと思いますが、でも、あまりにないのもダメ。
精神的に余裕が無くなってしまいます。
ある調査によると、日本のサラリーマンの幸福度は年収と強い相関があるそうです。
年収1500万円までは、年収が上がるほど幸福度もupするんだって。

相関なので因果じゃありません。
年収が高いから幸福なんだってことかもしれませんし、逆に、幸福な人は年収も高いのかも知れませんけどね。
ともかく、お金に困らない程度は稼げないと人は幸せにはなれないんだと思います。
西原さんの言うように「人であるためにはお金が必要」というのも真理だと思います。
お金がないと、人間らしさも失われてしまうのです。
お金というのは社会の潤滑油、人と人とを結びつけるものでもあると思います。
悪用もされますが、上手に扱えれば幸せにもなれる。

稼げるということは、「人から求められる人物」ということでもある。
誰かが必要としているから、その対価としてお金も得られるんだと思います。
実力があって人から求められれば、感謝されつつお金ももらえるんです。

で、お金と気持ちに余裕があるので、必要な本ならちょっと高価な専門書でも迷わず注文することができます。
お金がないと買うのを迷ったり躊躇したりしちゃいます。
そうすると、学ぶべきことを学ぶべき時期に学べない。
それではよく分からないまま、人任せの仕事になってしまいます。
失敗する確率も高くなる。

まだまだ年収1500万円にはほど遠いですが、まずまずハッピーに暮らしています。
収入>支出なので、お金にも気持ちにも余裕ありあり。
我が子たちにも、稼げる人物になってもらいたいですねー。

2009年3月16日月曜日

安易に謝るな

こんにちは

仕事上で何か不具合があったとき、その原因についての会議を行うことがあります。
でもその会議が、不具合を直すことを話し合うのではなく、誰かを犯人に吊し上げる場になってしまうこともよくある話。
魔女裁判かよ、ってぼくは思ってしまいます。
ただただ誰かを犯人に仕立て上げ、謝らせることが目的の会議。
建設的じゃない、嫌な時間ですよね。
こういう会議の時、権力的に弱い立場の人が魔女に仕立て上げられるみたいです。
誰を魔女にするかは会議の前から決まっている。
そして魔女役になる人は、最初から「すみません」と謝ることだけに終始するんです。
自分が正しいのか間違いなのか区別なく。

悪いことをしたとき、迷惑をかけたとき、すぐきちんと謝ることは大切です。
謝らずに頑なに自分の非を認めようとしない人は、世間から受け入れられなくなっていくのは当然です。
ハナから謝る人も、何かが欠けているようにも思います。
すみませんの言葉が、軽く聞こえてしまうのです。
なぜでしょうか。

それは、すぐ謝っちゃう人は「謝ることが目的になっている」ように思えるからです。
悪いことをしたとき、迷惑をかけたとき、謝りさえすればいいと思っているようなんです。
謝ればとりあえず許してくれるから謝っておこう、という安易な気持ちが透けて見えてしまうのです。
たとえ自分は間違っていないと思っていても、とにかく謝ればこの場が納まるだろうという気持ちなんです。

長野慶太『お客には絶対に謝るな!』光文社\952-にこうありました。

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実はあなたのような多くの営業マンは、お客様に「好かれたい」と願い、謝っている。
本当に自分が悪いと思って謝るケースは少ない。
あなたは、お客様の勘違いも含めて、本来自分には非のないことでも、「とりあえず謝ることで自分の誠意を売り込もう」という魂胆で謝っているのだ。
つまり、あなたの「申しわけございません」は、営業を進めるための1ツールにすぎない。(25p)
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「すみません」を営業ツールにしちゃってるんですね。
相手のために謝っているのではなく、自己保身のために謝っている。
でもそれは相手のためにも自分のためにもならないと思うのです。

謝ることが目的になってしまっている人は、再び同じような失敗をおかします。
行動が変わらないからです。
同じ人が同じ失敗をした場合、前よりもっと叱られます。
再犯ですからねー。
するとさらにすみません、すみませんとペコペコ謝るようになってしまうのです。

自分が悪くもないのに謝る場合も、再び同じような失敗を繰り返すことになります。
それは、謝ることで原因追及がそこでストップしてしまうからです。
原因がはっきりしないと、対策も明確にできません。
不十分な場当たり的な対応しかしていないので、現状を改善させることがないからです。

悪いことをしたとき、迷惑をかけたとき、一番大事なのは「行動を変える」ということです。
同様な失敗を避けるように、原因を明確にし、自分の行動パターンを変えていく。
そうすれば、次からは同じことで失敗はしなくなります。
行動を変えない限り、失敗は繰り返されます。
同じような失敗を繰り返していたら、信用は失われていき、ただただペコペコと謝るだけの人生に陥ってしまうのです。

誰にでも失敗はあります。
特に若いときは失敗だらけです。
そういうときに、謝ってごまかしてしまうのは反って損なんです。

初めての失敗には、世間はある程度寛容です。
失敗を恐れて縮こまってしまうのも困ります。
失敗を恐れずチャレンジして、それで失敗したらきちんと謝る。
原因をはっきりさせ、そして行動を変えていき、同様な失敗を繰り返さない。
徐々にでも、謝らなくてもいい人間に成長していかなくちゃ。
年齢的にも社会的にもある程度の地位に就いている人は、安易に謝ってはいけない。
いいトシしたおじさんが、ぺこぺこ意味もなく謝っているのはみっともないことだと思います。
それは若い頃からぺこぺこ謝ることによって問題をうやむやにし続けてきた結果なんだと思います。

謝ることは、実は「これから行動を変えていきます」という宣言であるべきなんですよね。
だから謝ってお終いにしてはいけないんです。
原因を追及し、失敗を繰り返さないための算段を取る。
謝ることは目的ではなく、自分の行動を変えていくきっかけ、手段なんです。
それが、相手のためになり、自分のためにもなる。
そこを間違えてはいけません。

2009年3月12日木曜日

信頼は最大のインフラ

こんにちは

インフラとは、社会を支える基盤、下部構造であると書きました。
そしてそれは、普通に生活している分にはあまり意識しなくて済むものでなければならない。
ほんのりと感じられる程度でよいのだと。
そういうインフラがあるから、人間は自由に伸び伸びと活動ができる。
つまり、「安心」して活動できるわけです。

主なインフラに電気、ガス、水道があります。
普段気にもしませんが、スイッチを入れれば必ず照明が点灯する、ガスレンジで必要なときにいつでも料理ができる、蛇口をひねれば水をそのまま飲める。
こういう当たり前を安心して使えるのが、インフラなんです。

建物の耐震性能の偽造事件がありました。
安心して家に住めないというのでは、伸び伸びと活動なんかできません。
地震でちょっと揺れただけでも、壊れるんじゃないかとびくびくしなければなりません。
会社で働いているお父さんも、震度3とか4くらいの地震でも家族の安否が気になります。
きちんと基準通りに造られていて、阪神淡路大震災程度の揺れでも命の心配は要らない、と分かっていれば、少々の揺れでも安心していられます。
家の外で働いているお父さん、お母さんだって、安心して仕事に専念できる。
耐震偽造のマンションは、だからインフラ失格なんです。

それから、事故米事件。
幸いにして健康被害、実害は出ませんでした。
だからといって許されるものではないのです。
コンビニで弁当を買うとき、給食を食べるとき、これには基準以上の農薬が含まれているかもしれない、などといちいち心配していたら、美味しくなんか食べられません。
事故米が食用に供されることはない、と分かっているから、買った弁当、出された給食を美味しく食べることができるのです。
なので、事故米転売は社会のインフラを脅かす事件だったのです。

と考えると、もっとも大切な社会基盤は「安心」ということだと思います。
信用、信頼と言ってもいいかもしれません。
だから社会は、安心を脅かすようなことを排除しようとするのです。
それが合理的だから。

和田秀樹『凡才でも成功する!和田式「人間力」』三笠書房\1300-から引用します。

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ウソをついて得をすることは、ほとんどない。
これは私の経験則でもある。
ウソが成果に結びつくことはあり得ない。
だから、今の私はまったくウソをつかないのである。
だいたいウソは、メンタルヘルスによくない。
あれこれとウソを取りつくろうのは精神的に疲れるからだ。
ウソをつかない人間は最後まで好かれる。
誰しも長い人生でウソをつかれて痛い目にあっている。
だからこそ、ウソをつかない人は最期まで好かれるのだ。
人間力のベースは、あくまで信頼関係にある。(234p)
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耐震偽造、事故米事件を見ても、ウソは損なことです。
短期的には利益を得られるかもしれませんが、中長期的には不利益となります。
たとえウソがばれないとしても、社会のインフラである「安心」を脅かすからです。
社会は、信頼、信用を基盤に成り立っています。
目の前の人が、ウソをつかず、信頼できるから安心して話ができる、一緒に仕事ができる、一緒に暮らせるのです。
お互い疑心暗鬼のままでは、それに注意を奪われ、本来向けるべきことに集中できません。
それが社会生活の効率をどれほど下げるかわかりません。

もちろん、社会には一定数の悪人も含まれています。
当然、それには注意しなければなりません。
振り込め詐欺とかね。
でもほとんどの人、9割9分の人は信頼できるわけです。
誰をも悪人と思ってしまったら、誰ともコミュニケーション不能になってしまいます。
まして損するのが嫌だから悪人になろうとするのも間違っています。
自分も9割9分側の人間であるべきです。
自分自身も、安心、信頼、信用という社会のインフラの一部なのです。
ぼくもそういう自覚を持って、今日もがんばるぞー!

2009年3月11日水曜日

先生は尊敬しよう

こんにちは

ぼくの大学時代の恩師が定年退官しました。
恩師にはご夫妻でぼくらの結婚式の仲人もお願いしたり、大変お世話になりました。
学生時代もよくご自宅に呼んでいただいて、ご飯をごちそうになったり。
もちろん、勉強もマンツーマンで厳しく楽しく教えてもらいました。
ぼくも日本の学生としては(笑)よく勉強したと思いますが、それは先生のおかげです。
ぼくの人生で一番影響を受けた、すなわち尊敬する先生です。
尊敬できる先生を持てたことは、とてもハッピーなことだと思っています。
感謝。

最近の子どもが学ばなくなった、学力が低下した主原因は「尊敬できる先生と出会えない」からだと思っています。
と言うより、内田樹さんも言っていましたが、先生を尊敬しなくなったからだと思えます。
もちろん変な先生、嫌な先生、とても尊敬なんかできない先生もいますよ。
でもそういう先生からだって、反面教師的に学べることだってあります。
学ぶところがあるなら、一部分かもしれませんが尊敬も生まれるはすなんです。

でも最近の子どもは、ちょっとでも嫌なところがあったり、変なところがあると、その先生を全否定します。
バカにしちゃったりします。
そうすると、受け取るものも受け取れなくなってしまう。
学びはゼロになってしまうのです。

それでも毎日学校へ行き、その先生の授業を受けなくてはならない。
何も学ばないとしたら、ただただ時間だけを浪費することになってしまいます。
先生の立場からだって、尊敬もされずに、ぎゃーぎゃー文句ばかりいう子どもに、親切に教えようという気は起きませんよ。
教えようという気が起きない、やる気のない先生を育てちゃっているんですね。
それはとてももったいないことだと思います。

『知致』'09.02に米永邦雄講演録「美しい日本人を育てよう」が載っていました。

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フィンランドの教育が素晴らしいということで、よく引き合いに出されますね。
日本と何が違うのでしょうか。
それは、子どもたちが親を、そして学校の先生を尊敬していることです。
それで、子どもは学校から帰ってですね、親の言い付けをしっかり守って予習、復習をする。
つまり、家の中で勉強をするってことなんです。
それから親も、先生を尊敬しているんですね。
たとえば、親にあなたのお子さんが勉強ができるかできないかは、どこに原因があるかという質問をします。
そうするとフィンランドでは90%以上の親が自分の責任である、家庭の問題である、本人の意欲の問題であると答えます。
いまの日本の親とは全然違います。
ここに決定的な違いがあります。
そこをもっと強調して紹介してほしいですね。
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フィンランドの先生は、全員が大学院修士課程を修了していて、学識も高いのも確かです。
だから尊敬に値するって面もないわけじゃない。
でも日本にだって大学院出た教師はたくさんいますよ。
近年採用される高校の先生は、そのほとんどが修士、博士だったりします。
小中学校にも大学院卒の先生は増えているんです。
それでも生徒からバカにされていたりする。
親も「あの先生、東大出てるくせにたいしたことないわね」なんて言う。
それじゃあ、子どもも先生を尊敬するようになりませんよ。

その違いは「躾」なんだと思うのです。
フィンランドの親は、先生は無条件で偉い、と子どもに躾けている。
幼少の頃から「先生は偉い」と躾けられていれば、そういう気になります。
偉い人の言うことは先ずは聴いてみよう、ということになります。
もちろんフィンランドだって変な先生、嫌な先生もいるでしょう。
子どもが成長するにつれ、そういうところも見えてくるのは、日本と変わらない。
でも、躾ができているから、学ぶべき所は学ぶ、という態度がとれる。

子どもが学ぼうとしていれば、先生だってそれに応えようとします。
子どもが分かった、面白い、と笑顔で言ってくれることが、先生の最大の報酬です。
そのために、自身も勉強したり、教え方を工夫したりするようになる。
そうすればますます子どもは勉強が好きになります。
子どもも育つし、先生も育つ。
好循環が生まれます。
オトクです。

公立学校の経費は税金でまかなわれています。
その経費は、小中高とも生徒一人あたり年間100万円にもなっています。
これだけのお金を使って、子どもをダメにし、先生をダメにしているのが日本の現状。
まったくもったいない話です。

「先生は偉い」という躾を子どもにしていくこと、親もたとえウソでもいいから「先生は偉い」と言うこと。
それが日本の教育を良くしていく最適行動なんだと思います。

2009年3月10日火曜日

毎日が冒険

こんにちは

はっちゃんを石神井公園まで自転車で行く話をしました。
男の子には冒険が必要だって。
冒険って遠いところまで行ったり、ちょっと危ないことをやったりすることだけじゃありませんね。
自分の力を伸ばすために、今までよりちょっと背伸びすること。
それが冒険なんだと思います。
だから、冒険はいつでもどこでも毎日でもやれるわけです。

横尾忠則『隠居宣言』平凡社新書¥760-にこう書いてありましたよ。

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新しく眼を開くことはすでに冒険ではないだろうか。
わざわざ遠くに出かけなくても冒険は可能だと思う。
今日の自分じゃない自分を試してみたいと思うことがすでに冒険である。(210p)
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なるほどー。
今日の自分じゃない自分を試してみること。
いい言葉ですねー。

ということは、冒険は子どもの特権でもないということです。
大人だって冒険はできる。
日常に埋もれるだけじゃなく、ちょっと違うこともやってみる。
本を読む、人と会う、何かを作ってみる、仕事で工夫してみる、みんな冒険になり得る。
それによって自分の能力や枠も広がる。
楽しい人生を創ることができるってわけです。

オトコの魅力は冒険が創る

こんにちは

昨日は久しぶりにいい天気だったので、はっちゃんと石神井公園までサイクリング。
我が家から8kmくらいありますが、石神井川の川縁にしっかりこいで行けました。
石神井公園では一緒にボートに乗って遊びました。
ぼくも30年ぶり?
はっちゃんにとって、ちょっとした「冒険」だったかもしれません。

男の子はちょっと冒険した方がいいと思っています。
冒険するってことはいつもと違う体験をするってことです。
いつもと違う体験をすると、いつもと違う脳や体を使います。
そうすれば、心と体が強くなるんです。

心と体が強くなると、普段の生活に余裕が生まれます。
いつもやることなんか、楽々とできるようになる。
すると、ちょっと余計なこともやってみようという気になります。
面白いことを見つけ、やってみたくなる。

オトコの魅力は、この面白さ、だと思います。
面白いことをやれるだけの余裕と余力。
余裕と余力があるから、何かをやることができるんです。

まじめ一方のオトコがつまらないのは、余裕がないからなんだと思うのです。
余裕、余力のないオトコは、何もしないつまらない人生を送ります。
あんまり波瀾万丈ってのも困りますが、多少アップダウンのある人生の方が楽しいと思います。

松永暢史『男の子を伸ばす母親は、ここが違う!』扶桑社¥1200-にこうありました。

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男の価値は「バカ」か「利口」かでは決まりません。
「やれる」か「やれない」かで決まると思います。
すべての基本となるこの能力は、試験の点数でははかることのできないものです。(196p)
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テストの点数がいいとか、いい学校に入るだけのつまらんお利口さんには、我が子たちにはなってもらいたくありません。
テストの点数がいい、いい学校に入るのは当たり前。
そんなことよりオモロイことするぜー、って子どもに育ってほしいです。

なので、チャンスを見つけて「冒険」なんです。
冒険に連れ出すことが、父親の大切な役目だと思っています。

2009年3月9日月曜日

日本人は飢えない

こんにちは

日本の食糧自給率は40%だと言われています。
つまり、日本人の食べるもののうち、40%が国内産で60%が外国からの輸入。
それは統計的事実です。

そう聞いちゃうと、国内で作っている食べ物はとても少ないんだな、国際紛争などが起こって食料の輸入がストップしたら大変だな、と誰もが思うのは当然です。
なので、もっと自給率を上げなければいけない、という主張に賛成してしまいます。
もっと国内の農業を大切にして、畑や田んぼを増やして行きましょうという政治家もいます。

一方で、田んぼを減反したりして国内の生産量を下げているようです。
つまり米は余っているということです。
これまでの減反政策で3割もの田んぼが減っているそうです。
この田んぼを復活させれば、お米は現在の1.4倍(=1÷0.7)も増産可能という計算です。
でもお米は余っているので、増産はしていないのです。

それなのに、大量のお米が輸入されていて、事故米事件なんてのも起こりました。
政府が輸入したお米は、凶作などに備えて数年間備蓄されたあと、入札によって商社に安い値段で売られます。
このお米は商社から転売されて、コンビニ弁当や低価格の外食産業のご飯として、私たちの口に入ります。
事故米は、カビが生えたり、規定量以上の農薬が検知された輸入備蓄米です。
食用以外の目的で使うことを条件に、政府は安く入札にかけます。
事件になったメタミドホスという農薬が規定濃度以上検知されたお米は、輸入時点では許容濃度だったようです。
備蓄している期間に、規制が強化されたために規定濃度を超える事故米になってしまった。
なので、十分食用にもできるお米だったわけです。
そこで食品ブローカーは、食用米として転売し、大もうけしてしまったのです。
この事故米での健康被害がまったく出ていないのは、こういう理由だったのです。

さて、話を戻します。
日本は食料が足らないのでしょうか、余っているのでしょうか。
わけが分からなくなってしまいます。

食糧自給率40%というのは、どうやって計算したのかちょっと調べてみました。
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/index.html
すると、この40%という数字は「カロリー」から計算された数字だと分かりました。
つまり、国内で生産された食料のカロリー÷日本人が消費した総カロリー、で計算した結果なのです。
一人の人が1日に2000カロリー消費するとすると、その40%である800カロリーが国内産、残りの1200カロリーが輸入されたものということです。
輸入備蓄米もこの1200カロリーに含まれているってことですね。

ところで、日本人が消費した総カロリーってどうやって推計しているんでしょうか。
出された食事を全部食べる人もいれば、残す人もいます。
そんなのまで正確に計測するのは不可能です。
推計の元になる数量は、取引数量なのだそうです。
たとえば、お米が1t売却されたらそれが全部食べられたものとして、1tにお米の1gあたりのカロリーをかけ算しているのです。
これなら、全部食べても食べなくても統計上同じ数字にできます。

実は、輸入した食料のうち40%は実際に食べられずに捨てられているor家畜などの飼料となっている、という統計もあります。
たしかに、コンビニ弁当などはお店に大量に置いてあり、その全部が売れるわけではありません。
一定時間が経過したら、品質保持や衛生上、廃棄されてしまいます。
お客さんに買われた弁当でさえ、食べ残しはあるはずです。
レストランなどの残飯量も、お客さんに出された量の20%以上にもなるそうです。
レストランでは料理を美味しく美しくするため、食材の利用率も低い。
野菜の面取りをたくさんしたり、お肉の脂や筋の部分は捨てたりしています。
本来なら食べられるところも、かなり捨てられているのです。

そう考えると、食糧自給率40%というのはいったいどんな意味がある数字なのか分からなくなってしまいます。
養老孟司/竹村光太郎『本質を見抜く力』PHP新書\760-によると、国内生産の食料だけで国民一人あたりのカロリーを満たすに十分なのだそうです。
昭和20年代に日本人が食べていたカロリーと同等に食べられるとのこと。
昭和20年代だと、腹一杯は食べられなかったかも知れません。
今ほど美味しい料理を食べられず、脂身やすじ肉も食べる必要があるかもしれません。
でも無駄に捨てたり、食べ残したりすることも少なかったと思います。

ところでカロリーベースでの自給率は40%なのですが、金額ベースでの統計も農林水産省のホームページに載っていて、これは68%もある。
これは、高カロリーのものほど安物の輸入に頼っていて、低カロリーだけど高価なものは国産であることが分かります。

高カロリーだけど安物って何でしょうか。
日本の自給率はどうやれば上がるのでしょうか。
もうちょっと詳しく調べてみましょう。

日本人が食べるものは大きく分けて、「ご飯など主食といわれるエネルギーを得るためのもの」「野菜や果物などビタミンを取るためのもの」「肉や魚などタンパク質を取るためのもの」の三つがあります。
統計によると、日本人一人あたり1日に約1600カロリー食べており、その内訳は主食で930カロリー、野菜や果物で140カロリー、肉や魚介類で530カロリーとなっています。

それぞれのカロリーベースでの自給率を調べてみます。
まず、「ご飯など主食といわれるエネルギーを得るためのもの」の自給率は66%もあります。やはりといえばやはりですが。
主食は、米とパンを作るための小麦がほとんどと言っていいです。
このうち米は余るくらいですから、自給率100%。
小麦はほとんどが輸入です。
つまり主食で自給率を上げるには、米食、ごはんを食べるようにすればいいことが分かります。
これは誰でも気付くことかもしれません。

次に、「野菜や果物などビタミンを取るためのもの」の自給率を調べてみます。
これも61%もあります。
新鮮野菜は、やっぱり国産でしか食べられないものだからでしょう。
というわけで、主食や野菜などは60%以上もの自給率があることが分かりました。

なのに全体の自給率は40%なのですから、残る「肉や魚などタンパク質を取るためのもの」が自給率を下げている元凶であることは明白です。
肉や魚介類の自給率は、なんと26%しかありません。
いかに日本人は、肉や魚を輸入に頼っているかが分かります。
だから、食糧自給率を上げるには田んぼや畑を増やしたってダメなんです。
肉や魚介類を国内で生産する必要がある。

でもこれは可能なのでしょうか。
たとえば畜産には広い土地が必要です。
安い肉を消費者に提供するには、タダみたいに安くて広い土地がないとダメです。
日本にはそんな土地はありません。
だから畜産農家は狭い土地でも付加価値の高い、黒毛和牛を育てているわけです。

また、畜産には多くの飼料が必要です。
ほ乳類など温血動物の産肉効率はたった3%しかありません。
子牛をを育てて3kgの肉を得るには100kgの餌が必要なのです。
この飼料も国内で安く手間をかけずに生産するためには、途方もなく広大な土地が必要になります。

つまり、高カロリーで安い食料とは、肉類のことだったのです。
安い肉を供給できるのは、アメリカやオーストラリアのような広大な土地を持つ国しか可能ではないのです。
ですから日本で肉類の自給率を上げるのは原理的に無理なのです。

では日本の自給率を上げるにはどうすればよいでしょうか。
日本人が1日に食べる1600カロリーのうち、肉類から530カロリーも取っています。
人間の栄養としてタンパク源は必ず必要ですが、こんなには要らないのです。
530カロリーというのは、タンパク源と言うよりエネルギー源として肉を食べてしまっているということです。

エネルギーを取るためなら主食で取る方が合理的です。
特に国内での生産に余力のある米を食べるのがいい。
結局、一人ひとりが食生活のパターンを見直すことしかないのです。
そうすれば、日本人は飢えることなどないはずなんです。

2009年3月7日土曜日

インフラとは何か

こんにちは

研究者から、3φ200V3kWの超低温冷蔵庫の電源を増設する依頼がありました。
超低温冷蔵庫の仕様書によると、30Aコンセントを要求していました。
ということは当然、30Aブレーカから給電です。
この仕事を若い技術者君に任せました。
プランができたら見せるように、と指示して。

図面ができたので、見せにきました。
そこには配線として直径1.6mmの芯線の電線を使うと記載されていました。
ぼくはそれを、2.6mmのものに書き直しました。
若い技術者君は怪訝な顔をしました。
彼はこう質問してきました。

 消費電力3kWの機器の運転電流は11Aくらいです。
 それなら起動電流を考えても1.6mmの電線で十分のはず。

よろしい、よろしい。
疑問を持つこと、質問することは大切です。
そういう人は成長しますね。
ぼくはこう答えました。

確かに今予定している冷蔵庫ならそれでも十分。
ショートしたときでも安全な範囲。
でも、そのうち冷蔵庫は交換するでしょ。
同じ容量とは限らないよね。
もしかすると冷蔵庫じゃなくて、オートクレーブ(滅菌器)を
取り付けたくなるかも知れない。
30Aのコンセントが付いていたら、30Aまで使えると思っても仕方ない。
電気のことはよくしらない素人の研究者ならね。
ならば30Aまで安全に使えるように最初からしておいた方がいい。
電線サイズを1.6mmから2.6mmに変えるくらい、それほどのコストもかからないし。
 
要するに、ぼくは使う人があまり考える必要のない設備を作りたい。
空気のように自然にここにあるような設備。
いちいち使えるか使えないか考えなくてもいいなら、その分節約した思考と時間を、研究に振り向けられる。
その方が、職場全体として合理的であり、オトクなんだと思うのです。

ぼくの仕事は、研究施設の建物を造ることです。
建物の中にある電気設備や空調設備も含みます。
いわゆる「インフラ」ですね。
インフラとは正しくは、インフラストラクチャ(infrastructure)と言います。
structureとは「構造」という意味です。
infraは、「下部の」という意味の接頭語です。
インフラとは「下部構造」という意味なのです。
つまり、インフラとはいろいろな人間活動を「下支えしている」設備だということです。

インフラストラクチャ以外に、infraという接頭語が付く言葉を調べてみました。
infrared=赤外線、infrasound=超低音という言葉がありました。
赤外線は目に見えませんし、超低音は耳に聞こえません。
でも赤外線は肌でほんのり暖かさが感じられますし、超低音も体を揺すられるような感覚を与えます。

建物や設備も同じじゃないか。
直接的には見えたり感じたりしないんだけど、ちゃんとここにあって役立っていることがほんのりと感じられる。
普段は特段に意識しなくてもいいけど、それがちゃんと役立っている。
それがぼくの考える理想のインフラなんです。

2009年3月5日木曜日

50を過ぎたら好きなことしかしない

こんにちは

ややや!
今度は職場の労働組合の次期執行委員長に推挙されてしまいました。
その理由は「関口さんなら押しが強そうだから」。
って何?!
あははははは。

ま、これもぼくの年齢からしてやるべき役回りなんでしょう。
引き受けることにしました。
ますますスケジュール調整が大変になると思いますが、ベストエフォートでやっていきたいと思っています。
少しでも職場の人たちの役に立てれば嬉しいです。

もちろんぼく自身にもメリットもありますよ。
ぼくのモットーは「創造的無能」。
今の職位より偉くなりたくないわけです。
管理職になって管理的業務をしても、ぼくの実力、技術力は発揮されない。
楽しく活躍できる今のポジションに留まりたいのです。
会社としても、まさか労組の執行委員長を管理職にすることはできないでしょう。
やったぜ!
「どっちに転んでもシメタ!」ですよー。

ぼくもあと数年で50才になってしまいます。
5年くらい前になるでしょうか、技術士会の講演会でトロンの開発者である坂村健さんのお話を聞く機械がありました。
坂村さんは「50才を過ぎてから好きなことしかしない」とおっしゃっていました。
40代前半だったぼくは、それを<50才過ぎたら好きなことしかやらなくてもいいような状況に自分を持っていくべきだ>と受け取りました。
それをあと10年くらいのぼくの目標の一つにしよう、と思いました。
好きなこと=自分で決められること、です。
他人から命令されてやるような仕事、他人が決める仕事をやるのは40代までで終わりにしたい。
そう思って、以来精進し続けてきました。
労組の執行委員長の仕事も、その「仕上げ工程」のひとつなのかも、と思っています。
まあ、楽しくやりたいと思います。

坂村さんのお話を、教育雑誌に寄稿しました。
読んでね。

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『総合的学習を創る』2004年9月号

特集 総合で読み聞かせ“感動よぶ体験談”33選

2 子どもをその気にさせる“感動を呼ぶ体験談”~~5分間話

     ⑨子どもをその気にさせる発明家の話

       日本人だって創造的だ!

              理化学研究所・電気主任技術者 関口芳弘


「日本人は創造性がない」なんてよく言われます。これって本当なんでしょうか?
いえいえ、全然そんなことはありません。
タンパク質の質量を簡単かつ正確に測ることができる器機を開発して、ノーベル賞に輝いた田中耕一さんをみなさんは知っているはずです。
近年、ヒトの大脳の活動状態を測れるようになり、生きて育つ脳のことがいろいろ分かるようになってきました。
大脳の活動状態を測定する機器には、ファンクショナルMRIと光トポグラフィがあります。
このどちらもが日本人の発明なのです。ファンクショナルMRIは小川誠二さんの発明ですし、光トポグラフィは小泉英明さんの発明です。
創造性を発揮している日本人は、こんなにたくさんいるのです。

ところで、コンピューターというとWindowsを搭載したパソコンを思い浮かべる人が多いと思います。
けれども、全世界で生産されているコンピューターのほぼ98%は「器機組込型」のコンピューターなのです。パソコンは、全世界で生産されているコンピューターのたったの2%にすぎないのです。
ほとんどのコンピューターは、携帯電話、デジカメ、電子レンジ、電気炊飯器などの家電製品に組み込まれて使われているのです。
そして、その器機組込型コンピューターのほとんどは、「トロン」というオペレーティングシステムを使っています。Windowsなんかじゃないのです。
トロンは器機組込型コンピューターに使わわれているものとして世界No.1のシェアを誇るオペレーティングシステムなのです。
このトロンの開発者も日本人である坂村健さんです。
先日、坂村さんの講演を聞く機会がありました。その時聞いたお話をみなさんにも紹介しましょう。

坂村さんは、国際的に活躍しているコンピューターサイエンティストです。論文はもちろん英語で書くでしょうし、英語で講演したりする機会も多いはずです。
でも、坂村さんは「発音できない英単語は覚えない」と言います。
英語には日本人には絶対発音できない音があります。たとえば、fの音とか、BとVとか、LとRの区別とか。
これらはいくら練習してもネイティブのようには絶対に発音できません。
無理してそういう音が含まれる単語を使って、アメリカ人に「何言っているか分からない」なんて言われたら、やっぱり傷ついてしまいます。だから発音できない単語は無理して覚えないようにしてるのだそうです。
どうせ母国語ではないのですから微妙なニュアンスは伝えられません。それでも発音できる単語を組み合わせるだけで、必要なことは伝えられるようになるのです。

坂村さんは「ユビキタスコンピューティング」という言葉を広めています。なぜユビキタスなのか。
ユビキタスはラテン語なので、カタカナのように発音できます。日本人でも発音しやすいし、日本人が発音しても国際的にちゃんと通じるわけです。日本人が国際的に打って出るときに有利な単語を選んでいるのだそうです。
これを日本人が発音しにくい単語を使ってしまったら、日本から外国へと広めていきにくくなってしまいます。
つまり坂村さんは、自分の不得意なことで勝負はしない、と言っているのだと思いました。
不得意なことは上手く避けて、自分の得意なところへ持っていく。国際的に勝負するなら、アメリカや西洋の人と同じ土俵では勝てっこないのは当然です。
日本人には日本人の得意な分野があるはずです。得意な分野で打って出て、世界の人たちに貢献できる分野を開拓していくのが重要なんだと思いました。

また、坂村さんは「50歳を過ぎてから好きなことしかしないことにした」と言って、次のようにお話をしてくれました。

飯を食べる時、若い頃は美味しい物は最後に残しておいた。先に好きじゃない物を食べてから最後に好きな物を食べていた。
でも50歳になると、たくさんは食べられなくなる。美味しくて好きな物に行き着く前に、腹が一杯になってしまう。だからこの頃は好きな物から食べるようにしている。
仕事も同じだ。若いときはパワーがあったから、嫌いな仕事、いやな仕事でもやれた。いやな仕事をやっても、好きなことをやるだけの体力があった。
ところが50歳を過ぎて、体力がガクンと落ちた。いやな仕事を先にやるとそれだけで疲れてしまって、自分がやりたい仕事ができなくなってしまう。
だから好きなことしかしないのだ。

ナルホドな、と思いました。もっと言えば、好きなことだけできるように、嫌いなこといやなことをしなくてもいいように、50歳までにそこまで自分を持っていくということなんじゃないでしょうか。
逆に言えば、若いときはパワーがあるんだから好きなことだけやるのではなくて、嫌いなこといやなこともやる必要がある。それが自分の能力を高め、枠を広げることにもつながるんじゃないかと思います。
嫌いなこといやなことも実際にやってみないと、本当に嫌いなのか、いやなのかが分かりません。やってみた結果、案外面白かったりすれば好きなことのレパートリーを増やすことができます。
そうすれば、ますます50歳になって好きなことだけやれる状況に近づけるわけです。
坂村さんのように自信と誇りを持った創造的な日本人になりたいですね。

2009年3月4日水曜日

適度に出世しよう!

こんにちは

昨日出勤して喫煙所の前を通りかかりました。
たばこを吸っていた他部署の部長さんに呼び止められました。

「関口君、△△研究所の○○も君が手伝ってくれているんだって」
「はい、予定通り進めていますよ」
「○○、本当に契約通りの期日に完成するかね」
「すごく厳しいですけど、アタリは付いています。間違いなく期日に間に合います」
「ああよかった。それが心配でね。よろしく頼むよ」

てなことで、他部署の部長さんからも信頼されていることが分かって、朝から気分よし!

ぼくは「創造的無能」を実践しています。
組織にはピーターの法則が働いています。
ピーターの法則とは<組織は無能化するものである>というもの。
有能な人はやっぱり昇格していきます。
でも、あるポジションで有能だからって、昇格したポジションでも有能であるとは限りません。
前線で活躍していた営業マンが、課長になったとたん無能になってしまう、なんてことはよくある話です。
それは、営業マンと課長に必要なスキルや適性は異なるものだからです。
組織というものは、昇格させていった人があるポジションで無能となってしまう、それが積み重なって組織全体が無能化する、というシステムでもあるのです。

だから、自分が活躍できるポジションに留まる必要があるのです。
そのためには、適切なポジションから昇格させられないよう、自ら演出することが必要。
それが「創造的無能」。
仕事はできるんだけど、人付き合いが悪いとか、口が悪いとか、同僚と無関係に早く退勤するとかね。
ちょっと昇格させるのはアブナイ、と上司が判断するようにするんです。

ぼくも今のポジションが面白いし、力が発揮できる。
会社にとっても、ぼくを今のポジションに置いておく方が得だと思っています。
だから、ちょっと変人を演出しています。
って、もともと変人なんだけどね。あはははは。

偉くなりたくない、と言っても、最初から偉くなりたくなかったわけではありません。
下っ端のままでは、仕事は面白くもなんともないですから。
上司や先輩から指示されてやるだけの、義務的な仕事ばかり。
自分の個性を発揮する余地のない仕事。
そんなの嫌です。
自ら創り出していく仕事、自分がやりたい仕事をしたい。
そのためには、ある程度は偉くならなくちゃ、それはできないもんなんです。
だから、それなりに努力もしてきたし、アピールもしてきたつもりです。
ようやく、いいポジションをゲットできた。

勝間和代/福沢恵子『会社でチャンスをつかむ人が実行している本当のルール』ディスカバー¥1440-にこうありました。

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会社にいる限りは、出世、すなわち、責任と権限の拡大を目指すべきです。
それは、「会社人間になる」どころか、逆に、自分のワークライフバランスを手に入れる方法でもあります。(41p)
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なるほど。
責任と権限を持つことは、自由を得ることでもあるんですね。
たしかに、ぼくも大量の仕事を抱えていますが、不自由は感じていません。
それは、自分で仕事の段取りを組めるからです。
他人に指示命令されてやる仕事が少なくなったからです。
周りの人たちも、ぼくの予定に合わせて仕事をしてくれるようになった。

だから、定時にも退勤できちゃいます。
早く家に帰って、我が子たちとゆっくり遊ぶ時間も取れる。
これも、ある程度偉くなったからに違いありません。

同書にはこうも書いてありました。

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要は、利益を生みだす仕組み作りをして、部下に仕事を任せられる立場になると、自分の時間を長時間投入しなくても、自分の裁量で仕事や時間をコントロールできるようになるのです。
上司が部下よりも長時間働くことは、かえって部下にとって迷惑なのです。(41p)
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まったくその通り!!

2009年3月3日火曜日

目の前のことに集中せよ!

こんにちは

XFEL施設も完成間近とは言え、設備工事はまだまだ厳しい状況です。
がんばってくれている施工スタッフのみなさんに感謝です。
そんな中、打ち合わせの時に若い代理人さんがこう質問してきました。

 そろそろ完成図書を整理したいのだが、
 まとめ方を教えてほしい

先へ先へと段取りしていくのは大変よいことです。
でもまだその時期じゃないなー。
もう少し工事に専念、集中した方がいい時期です。
ぼくは次のようにアドバイスしました。

 ○月○日の担当者検査までは工事に集中してよ。
 工事にめどが付いたら、完成図書を一気にまとめよう!

人間の能力は限られています。
あれこれ同時にできるほど、キャパシティは大きくないのです。
脳の前頭葉にあるワーキングメモリが7つしかないことからも、それが分かります。
あれこれ同時に仕事をすると、意識も分散してしまいます。
一つのことに集中すべき時期は集中した方が効率的なんです。
人間の意識だって貴重な「資源」。
いつどこにそれを投入するかは、大切な戦術なんです。

戦争など生死を分ける戦いの時は、特にそうです。
あちこち分散して闘うのは、戦術としてまずい。
必ず負けてしまいます。
成毛眞『マーケティングの心得』NESCO\1500-に、元陸上自衛隊幕僚の松村劭氏との対談が乗っていました。

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松村 そうです。敵はあっちこっち散ってますから、それと全部戦うわけには
いきません。当面こいつをつぶせというのがはっきりしないと話がすっとんで
しまう。

成毛 それも外資系ではよくやっていることです。マーケティング用語で言う
フォーカスですね。今年はここ、来年はあっちとはっきり決めますよ。

松村 ハハハハハ。そうでしょ。

成毛 はっきり決めるんですが、二つとも同時に敵にしようと言うと、必ず頭
をガツンとやられるんです。何を考えてるんだと(笑)。二正面攻撃というの
は、戦史上、成功した例がないですよね。

松村 二正面攻撃をする奴はバカですね。
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経営学でも「フォーカス」つまり<焦点化>するのが有効なんですね。
敵は一つに絞ることが、勝つためのセオリーなんです。
フォーカスして、一つずつ潰していく。
仕事だって同じです。
フォーカスして、勝ちにつながると思われるところからひとつずつやっつけていく。
あれこれやりすぎない。
それが仕事の戦術なんです。

では、どこから潰していけばいいのでしょうか。
フォーカスするポイントを、同書で松村氏は示してくれています。

 ・やっつけやすいほうからやっつけろ、
 ・危険なやつからやっつけろ、
 ・身近なやつからやっつけろ

という三つの原則があるんだそうです。
一番大事なのは三番目、身近なやつからやっつけろ、だと思います。
身近なやつは、すぐそこまで迫ってきているわけですから、危険なやつでもある。
すぐそこまできているのですから、集中すればやっつけやすいやつでもある。
つまり、身近なやつ=目の前のことに集中するのが、戦術上有利なんだと思います。

勝つためには、すなわちいい仕事をするには、どこに集中すべきか。
XFELに関しては、今は工事に集中する方が断然得だと、ぼくは考えたわけです。
若い代理人さんはじめ、施工スタッフのみなさんには、よい仕事を残していってもらいたいと思っています。
もう一踏ん張りですね!

2009年3月2日月曜日

権利は小さめに使う

こんにちは

職場の知的財産センターの方からこんなメールが届きました。

> 親しむ会のサイトがオープンしましたので、
> お知らせです。
> http://www.riken-sskai.jp/
> 関口さんの写真は、
> トップページの丸の内の写真です。
> ありがとうございました!

またもぼくの撮った写真が、ちょびっとお役に立ったってことですね。
嬉しい、嬉しい。
これもぼくにとって「ちょっと余分なこと」の一つですねー。

さて、ぼくは次世代スーパーコンピュータの開発にも一枚加わっています。
ぼくの仕事はスパコンへ供給する電源や冷却システム。
今は施工スタッフのみなさんと、最終仕様を決める時期です。
ところがこの時期になって、マシンの開発者から電源容量=冷却容量の変更指示が。
世界初、世界一を目指して開発しているマシンですから、仕様も二転三転、七転八倒も当たり前。
それでも変更への対応は大変です。
施工スタッフも「う~ん。。。」と頭を悩ませていました。

その打ち合わせのあと、宿に帰って風呂に入りながら、どうシステムを変えるべきか考えました。
するとひらめきました。
上手く組むと、変圧器1台減らせそう。
風呂から上がって、電卓を叩いて概算してみました。
実現できそうです。
無駄な設備をしなくてすむ。
やったー、と思いました。

翌朝ちょっと早めに現場に行って、施工スタッフに「もしかして変圧器減らせるんじゃない?」と言いました。
するとスタッフから「ぼくらもそう思ったんで、夕べ検討しておきました」と、にこにこ顔で言われました。
おーーーー、嬉しい、嬉しい。
検討結果を聞いたら、ぼくの案の上を行くもので、さらにgood!
やっぱり七転び八起きで行かなくちゃ。

優秀なスタッフと一緒に仕事が出来るのは、とてもありがたいですね。
なぜ優秀か。
それは、指示待ちではないから。
指示されたことをやるのはあたりまえで、「義務」を果たすだけに過ぎない。
でもそれじゃつまらない。
指示されたことにちょびっとでも+αする。
その「余分」にやることが、仕事を楽しくするんだと思います。

ちょっと余分にやることを実践している人に、イエローハット会長の鍵山さんがいます。
イエローハットでは掃除を徹底してやる。
自分の店の前は当然、店の周りもきれいにする。
そういうちょっぴり余分なことをやることで、周りの人たちを喜ばせ、信頼も得る。
それが商売にも帰ってくるってわけですね。

鍵山秀三郎『凡事徹底』致知出版\1000-を読んだら、こんなことも書いてありました。

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例えば、(宴会場を)あなたの会社は九時までいいですよという枠を与えられると、与えられた枠を小さめに使って、八時四十五分に終わります。
そうすると、次には「お宅は十時まで使っていいですよ」と、与えられる枠が大きくなります。
枠を使いつくさないで、必ず小さめに使っておくと、次々と与えられる枠が大きくなって、おしまいには何をやってもいいですと言われるようになります。(106p)
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なるほどー。
つまり、

 権利は小さめに使う

ってことですね。
9時まで使ってよい、という権利を全部使わず、ちょびっと残す。
すると、宴会場の人はその分早く片付けができ、嬉しい。
嬉しいことをしてくれる相手には、好意を持ちます。
好意を持てば、相手のためになることを次はしてあげよう、という気持ちになる。
そういう好循環が生まれるんですね。

確かにそんな気がします。
誰かと約束をして、期日よりたとえ5分でも早くしてくれるととても嬉しい。
逆に、たった5分でも遅れるとすごく嫌な気がします。
同じ5分間でも価値が違うんですね。

約束とは、権利でもある。
その期日までだったら、約束を果たす猶予を与えられている。
それをちょこっと小さく使うんです。
期日よりちょっと早く約束を果たす。
するとそれが次に効いてくるんですね。

つまり、

 義務はちょこっと余分に果たす
 権利はちょこっと小さく使う

これが人生の自由度を上げていくコツなんだと思います。
実践していこっと!