2009年3月12日木曜日

信頼は最大のインフラ

こんにちは

インフラとは、社会を支える基盤、下部構造であると書きました。
そしてそれは、普通に生活している分にはあまり意識しなくて済むものでなければならない。
ほんのりと感じられる程度でよいのだと。
そういうインフラがあるから、人間は自由に伸び伸びと活動ができる。
つまり、「安心」して活動できるわけです。

主なインフラに電気、ガス、水道があります。
普段気にもしませんが、スイッチを入れれば必ず照明が点灯する、ガスレンジで必要なときにいつでも料理ができる、蛇口をひねれば水をそのまま飲める。
こういう当たり前を安心して使えるのが、インフラなんです。

建物の耐震性能の偽造事件がありました。
安心して家に住めないというのでは、伸び伸びと活動なんかできません。
地震でちょっと揺れただけでも、壊れるんじゃないかとびくびくしなければなりません。
会社で働いているお父さんも、震度3とか4くらいの地震でも家族の安否が気になります。
きちんと基準通りに造られていて、阪神淡路大震災程度の揺れでも命の心配は要らない、と分かっていれば、少々の揺れでも安心していられます。
家の外で働いているお父さん、お母さんだって、安心して仕事に専念できる。
耐震偽造のマンションは、だからインフラ失格なんです。

それから、事故米事件。
幸いにして健康被害、実害は出ませんでした。
だからといって許されるものではないのです。
コンビニで弁当を買うとき、給食を食べるとき、これには基準以上の農薬が含まれているかもしれない、などといちいち心配していたら、美味しくなんか食べられません。
事故米が食用に供されることはない、と分かっているから、買った弁当、出された給食を美味しく食べることができるのです。
なので、事故米転売は社会のインフラを脅かす事件だったのです。

と考えると、もっとも大切な社会基盤は「安心」ということだと思います。
信用、信頼と言ってもいいかもしれません。
だから社会は、安心を脅かすようなことを排除しようとするのです。
それが合理的だから。

和田秀樹『凡才でも成功する!和田式「人間力」』三笠書房\1300-から引用します。

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ウソをついて得をすることは、ほとんどない。
これは私の経験則でもある。
ウソが成果に結びつくことはあり得ない。
だから、今の私はまったくウソをつかないのである。
だいたいウソは、メンタルヘルスによくない。
あれこれとウソを取りつくろうのは精神的に疲れるからだ。
ウソをつかない人間は最後まで好かれる。
誰しも長い人生でウソをつかれて痛い目にあっている。
だからこそ、ウソをつかない人は最期まで好かれるのだ。
人間力のベースは、あくまで信頼関係にある。(234p)
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耐震偽造、事故米事件を見ても、ウソは損なことです。
短期的には利益を得られるかもしれませんが、中長期的には不利益となります。
たとえウソがばれないとしても、社会のインフラである「安心」を脅かすからです。
社会は、信頼、信用を基盤に成り立っています。
目の前の人が、ウソをつかず、信頼できるから安心して話ができる、一緒に仕事ができる、一緒に暮らせるのです。
お互い疑心暗鬼のままでは、それに注意を奪われ、本来向けるべきことに集中できません。
それが社会生活の効率をどれほど下げるかわかりません。

もちろん、社会には一定数の悪人も含まれています。
当然、それには注意しなければなりません。
振り込め詐欺とかね。
でもほとんどの人、9割9分の人は信頼できるわけです。
誰をも悪人と思ってしまったら、誰ともコミュニケーション不能になってしまいます。
まして損するのが嫌だから悪人になろうとするのも間違っています。
自分も9割9分側の人間であるべきです。
自分自身も、安心、信頼、信用という社会のインフラの一部なのです。
ぼくもそういう自覚を持って、今日もがんばるぞー!

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