2009年4月20日月曜日

学歴は40才まで

こんにちは

先日、以前ぼくの部下だったやつとちょこっと一緒に仕事をする機会がありました。
彼がぼやいていました。電気主任技術者免許がなかなか取得できないんだと。
彼が今いる部署は、研究施設や実験施設の設備機器を実際に運転・管理する部署です。

ぼくがいる部署、つまり彼がかつていた部署よりももっと電気主任技術者免許の必要な部署です。
ところがなかなか勉強がはかどらず、取得できないでいる。
彼は法学部卒なのに技術職をやっているという、ちょっと変わった経歴の持ち主。
「やっぱり学歴がないからなあ」なんてぼやいています。

電気主任技術者国家試験は、技術系の資格の中でも最も難しい部類の試験です。
一番下位の第三種電気主任技術者試験(通称;電験三種)でも、かなり難しい。
大学の電気工学科を卒業した人でも、根を詰めて勉強しないと合格しません。

教育学部卒のぼくは15年ほど前に合格しました。
教育の仕事から技術の仕事へと方向転換しようとしていた時期です。
合格した時の、とても嬉しく誇らしい気持ちを今でも思い出します。
あー、これで技術屋としても食っていける、まあまあ活躍できるはずだ、と。
その時、勉強というのは食っていくため、よりよい人生を送るためにも必要なものだと実感したのです。
電気主任技術者免許のおかげで、今の職場に転職することができました。

ところで電気主任技術者免許を得るには、試験で合格する方法の他にもうひとつルートがあります。
電気科など電気工学に関する学校を卒業した人は、一定の期間実務経験を積むことによって、申請により免許がもらえるのです。
彼が下請けで使っている業者さんの若い電気技術者君が、申請で電験免許を取得しました。電気科卒だったんですね。
それを見て、彼はよけいにクサっていたようなのです。
学歴さえあれば、オレだって十分実務で頑張ってきたんだから、申請でもらえるはずなのに!と。
でもぼくも彼も電気工学に関する学歴がありません。
だから、試験で合格するしか免許を得る方法がないんです。

ぼくは彼に言いました。

 学歴がなくてよかったじゃないか。
 学歴もないのに合格すれば、世間の人はスゴイと思ってくれるんだ。
 たとえば一番難しい試験と言われている司法試験。
 東大や慶応の法学部卒の人が合格しても、ふーん、でお終い。
 たとえものすごい努力をしたとしても、ふーん、なんだよ。
 大平光代さんって知ってる?
 中卒で元極妻で司法試験に合格して、今は弁護士をやっている人。
 大平さんは中卒で元極妻だから、こんなに今世の中で認められているんだ。
 もし大平さんが法学部卒だったら、こんなにも注目されないはずだ。
 逆に言えば、学歴がないんだから合格しなくてもあんまり恥ずかしくない。
 学歴があるのに合格しない方がすごくみっともない。
 あいつ、学歴は十分なのに合格しないということは、ロクでもないヤツなんだな。
 そう世間は見るわけ。
 だから、学歴がないからこそ、がんばり甲斐があるってもんなんだよ。

森信三『人生二度なし』致知出版¥1600-から引用します。

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「学歴は四十才まで」という言葉は、なるほど深い現実の真理をふくんではいますが、しかしそれには、一つの大事な但し書きがついているということです。
ではその但し書きは何かというに、それは「但し人間が真剣になって一つのことと取り組んだら」という条件がその前提になっているということです。
つまり誰でもただ四十才くらいになれば、学歴のかせから免れることができるんだ---というような安易なことでは断じてないということです。(167p)
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社会人になって、確かに最初は学歴は有効です。
入社の時に有利だったり、社内に同窓生がいたり、学閥があったり。
もちろん学生時代に勉強した量と質でもアドバンテージがある。
でもその神通力が通用するのはせいぜい5年くらいだと思います。

それ以降は、いかに自分の仕事に打ち込むか、でしょう。
目の前の仕事に真剣に向き合い、自分に足りない知識を学び続け、そしてまた意図的な経験を積む。
それを15年続けると、プロとして恥ずかしくない専門家になれるんです。
そしてそのとき、40才くらいになっているんですね。

40才を過ぎプロになっているなら、もう学歴なんか関係ありません。
どんな高学歴の人とも対等につきあえるんだと思います。
だから、40才を過ぎても自分の学歴に対して卑下したり、逆に自慢したりするのはみっともない。
そういう人は、真剣になってひとつの仕事に打ち込んでこなかったんだと思います。
卑下する人は自分の実力のなさのエクスキューズを学歴に求め、自慢する人は学歴以外に自分に誇れるものがないということなんです。

40才というのは、大卒くらいの年齢から努力を初めて、プロになれる年齢という意味です。
だから別に40才の時点でプロでなければダメ、ということではない。
自分の進むべき道を見つけ、努力を始めてから15年なんです。
何才になっても、そういう道を着実確実に歩んでいるならば、たとえその時点ではまだプロにはなっていなくても、自信を持つことができる。

さて、ぼくの元部下にもそれが伝わったでしょうか。

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