2009年4月21日火曜日

学歴は吉

こんにちは

ぼくは「学歴は40才まで」と思っています。
社会人になって40才までいかに自分の仕事に打ち込んできたかで、その人の価値は決まると思います。
そこまで打ち込んできた人は、もはや学歴なんか関係なくなる。
どんな人とも対等につきあえる。
だからぼくは学歴無用論者であります。

とは言え、それは社会人になってからの話。
子どもにはしっかりとした学歴、学習歴が必要だと思っているのです。
社会人になってから仕事に打ち込むとしても、学生時代もその基礎となる勉強やコミュニケーション能力、体力をしっかりと身につける必要がある。
勉強、コミュニケーション能力、体力を適切に身につける装置として、学校というシステムは上手くできたものだと思うのです。
これを活用しないと損です。

ぼくの職場には高学歴、日本だけじゃなくハーバードやケンブリッジなど超一流大学卒の博士がごろごろいます。
もちろん、博士号を取得してから何の努力もしていないで、学位を無駄にしちゃっているような人もいないわけじゃない。
でも、そのほとんどの人はとんでもなく活躍している。それも楽しげに。
そういう人たちを観察していると、ああ絶対に追いつけないなー、って思っちゃうんです。
しっかりした基礎を身につけて、その上で社会人になっても仕事に打ち込んでいる人にはちょっとやそっとじゃ勝てないんです。

苫米地英人『自伝ドクター苫米地』主婦と生活社¥1500-にこうありました。

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私自身を振り返ってみると、自分の会社を興してから、いろいろな人に騙されたことはいい勉強だと思っている。
思えばいわゆるお坊ちゃんで育ってきたわけで、政治家の家に生まれ、親は銀行のお偉いさんだったわけだからお金に不自由することもなかった。
学生時代でもある程度トップスクールに行けば、まともな人しかいない。
就職しても三菱地所にもいい人しかいなかった。
だから人を騙す人間がいるんだと、その存在を知ったのはジャストシステムに入ってから以降だ。(217p)
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基礎基本を学ぶためには、学びやすい環境の方がいいに決まっています。
苫米地さんの言うように「学生時代でもある程度トップスクールに行けば、まともな人しかいない」のは事実です。
学校とは何をする場なのか、そこに集う子どもも親もちゃんと理解し、最適行動ができる。
学校の中に勉強する雰囲気がなければ、いくらしっかりとした子どもだって勉強する気を削がれます。
学校の中に嘘や欺瞞が満ちあふれている中で、人を信じる習慣は生まれません。
生徒がたばこを吸うような学校で、健康を維持するのは無理な話です。

内田樹『こんな日本でよかったね』バジリコ¥1600-にはこうありました。

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どうしてそういう(自分を支えてくれたり励ましてくれたりする)ネットワークを形成できなかったかと言えば、それは彼らがコミュニケーションを通じて信頼関係を構築する能力を致命的なしかたで欠いているせいである。
人を信じることのできない人間を信じてくれる人間はいない。
コミュニケーションへの深い信頼を持つことのできないものは、それが男であれ、女であれ、組織的に社会的リソースの
分配機会を逸する。(203p)
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納得です。
人のもっとも大切な能力は、信じることができる、ということだと思います。
相手を信じ、社会を信じられるから、よいと思うことを行動に移すことができる。
そしてそれが相手を喜ばせ、社会をよくしていくから、皆から信頼される。
皆から信頼されれば、自分の価値を感じられ、より努力をしていこうと思える。

人を信じられない人ほど不幸なものはないと思います。
いつも他人を疑っていては、誰ともまともにつきあえません。
友人なんかできるわけがない。
できたとしても、最後は裏切ったり裏切られたりするような、悪い友だち=同類だけ。
それでは人生を長期的に安定して生きることはできません。

なので、学生時代にその基礎を身につけることが重要。
そのとき、いい学校で落ち着いた雰囲気の中でなかで育む必要がある。
いちいちクラスメイトを信用できるか信用できないのか疑ってかかる必要がない。
気の置けない友だちであることが、既に前提としてあれば、即コミュニケーションがとれます。
励ましたり励まされたりする経験を重ね、人とは基本的に信頼できるものなのだ、という観念を育てる。
自分も信頼されるに足る人間になろうと努力する。
勉強もしなくちゃならないし、健康でなければならない。
そしてその習慣を社会人になっても続けていくことができる。

なので我が家は「学歴主義」なのです。
我が子、はっちゃん、とっちゃんにはいい学校に入ってもらいたいのです。

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