2009年5月1日金曜日

こだわらない・よく笑う・いじけない

こんにちは

知り合いの小学校の先生から、校内で行われた授業研修会の記録を送ってもらいました。
研修会の講師は、ぼくの尊敬する野口芳宏さん。
野口さんは元小学校の先生で、退官後も全国の学校に研修会の講師として飛び回っています。
記録の中にこんなことが書いてありました。

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(5)間違いを正されたことを喜べる子どもを育てること!
自分のミスに気づき,そこを直してもらったことで自分が向上できたことを喜べるような子どもを育てていくのが教育。
校内の研究会も同じ。お互いを高めていくために,直すことを歯に衣着せずいう。
そして,そのことで自分の技量が高まると感謝できる教師であれ。
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いいですねー。間違いを正されて喜べる子ども。
大人だって、社会人だって同じだと思います。
ぼくの職場にもいるんですよ、間違いを指摘されるとクサルおじさん。
そりゃあ人間ですから、間違いを指摘されたら誰だっていい気分はしないのは当然です。

でも、それでふてくされちゃって間違いを認めようとしない。
認めないから変わらない。
変わらないからまた同じような間違いを繰り返すんです。

それはどうも、少しでも間違いを指摘されると全人格を否定された、と感じちゃうからですね。
つまり自分は完璧であるべきだ、という誤ったプライドを持っている。
それは裏返せば自信のなさなんでしょう。
別に誰も全人格なんて否定していないんです。
「ここがおかしいよ」と、その部分だけを言っているだけなのに。
過剰反応してしまうんです。

ぼくが進学塾や予備校で小中学生や高校生に勉強を教えていたときも、過剰反応する生徒がいました。
勉強のできない子はすぐ「どうせオレはバカだよ」みたいなことを言う。
君をバカと言ってるんじゃなくて、ここをこう考えるようにすれば正解にたどりつけるんだよ、と言っているだけだよと、言ってもだめ。
そこであきらめちゃう。
自分はバカなんだって自己規定しちゃって努力を放棄しちゃう。

人はうすうすでも自分の欠点を知っているものです。
自分でも欠点を否定しているものなんです。
それを隠そう、隠そうとして生きているものなんです。
でもそれを他人から言われたくない。
自ら否定している欠点を他人から指摘されるととても傷つくわけです。
傷つきたくないから、妙なプライドを持つことによって自分を守っているわけ。
心がひ弱なんですね。
そして暗い顔をして生きる。

それに比べて自信のある子は、たとえバカと言われても平気。
むしろバカと言われて喜んじゃうようなお調子者もいました。
バカと言われても上機嫌なんですよ。へらへら笑っていたりしてね。
こういう子は実はものすごく勉強もできるし、行動もしっかりしている。
なぜバカと呼ばれても平気かというと、自分がバカじゃないのが分かっているし、たとえバカだとしてもバカなのはこの部分だけなんだ、と分かっているから。
この部分を直せば、自分はまたさらにかしこくなる、というのが分かっている。
努力の方向を間違えず、また努力の効率がいいんです。
強い心の持ち主なんだと思いました。

こういう強い心は一朝一夕には育たないでしょう。
子どもの頃からの小さな成功体験の積み重ねが必要なんだと思います。
小さな成功体験が自信を生む。
成功体験があるから自分の今の実力も正確に把握できるので、へんてこなプライドも持たなくてすむ。

内田樹『こんな日本でよかったね』バジリコ¥1600-にこうありました。

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コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、つねづね申し上げているように「こだわり・プライド・被害妄想」(@春日武彦)であるので、「こだわらない・よく笑う・いじけない」という構えを私は高く評価する。(181p)
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というわけで研修会での野口さんの言葉を読んで、子どもの頃の教育は大切だな、って再認識しました。
我が子たちにも小さな成功体験を積み重ねて自信のある強い心の持ち主に育ってもらいたいと思いました。
親であるぼく自身もそれを背中で教えられるよう、くだらないことにはこだわらず、よく笑い笑わせて、毎日をゴキゲンに生きていきたいって思っています。

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