2009年5月13日水曜日

卑怯とは何か

こんにちは

今一緒に仕事をしている会社の部長さんからこんなメールが届きました。

  いつもお世話になります。
  ひとつご相談があります。
  標記の日に、弊社監理部門の研修会が予定され、
  東京、大阪、名古屋の該当者が東京に集合し、
  2日間の合同研修となります。
  今回、御社担当の○○が対象者になっており、
  キャリアアップのために受講をさせたく思いますがよろしいでしょうか。
  実は小職はこの研修会世話役のため、同様に定例には出席できません。
  重ね重ねご無理を言いますが、何卒ご検討いただきたく存じます。

こういう相談には、ぼくは激しく反論します。
「標記の日」とは、現場での定例打ち合わせのある日です。
つまり「先約」のある日。
もちろん、こういう日にだって部下を研修に出すことはいいことだと思いますよ。
長い目で見たら、担当者がしっかり勉強してきてくれれて、ぼくらの仕事をより良くしていってくれると思います。
ぼくも認めたいと思います。
でも、この文面だけでは認めがたい。
なぜか。

それは、「自社の都合」しか言っていないからです。
当方に対する配慮が述べられていない。
先約を反故にすることに対する、フォローが述べられていない。
その分の仕事をどこでどうフォローするのか。
代理の者を立てる、別の日に業務を行って予定された打ち合わせの準備を滞りなく行う、など。
きちんとフォローするので、約束の日に別の業務に行かせたい、と言って欲しいのです。
それがなけりゃ、ちょっと上司失格と言わざるを得ませんよね。

ぼくは「卑怯」をこう定義しています。

 「自分の不都合を他人に押しつけること」

もともとこれは藤原正彦さんが言っていたことだと記憶しています。
この定義に照らし合わすと、上の部長さんの物言いは確実に卑怯だと思います。

鍵山秀三郎『凡事徹底』致知出版\1000-にこうありました。

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合理化、大変素晴らしい話です。
合理化して体力をつけて最後まで生き抜こうとおっしゃる方々の合理化というのはどういうことかと見ていますと、ほとんどの人の合理化というのは、自分にとって不都合なことを人に押しつけることです。
自分の会社にとって不都合なことを他人や他者に転嫁することが合理化だと思っている経営者が非常に多く、一部上場会社でもそうです。
いま、合理化するということの中身は全部これです。
しかし、これは大変怖いことです。
自分にとって不都合なことは他人にとっても不都合なのです。
他人にとって不都合であるということに対する思いやりがないのです。
思いやりに欠けた行為をすることによって、そのときは合理的になったと思ったことが、必ずそれ以上の不合理になって返ってくるんです。(43-44p)
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卑怯なことをすると、そのときはよくても、あとでそれ以上悪いことになって返ってくる。
あるいは、その場は良くても、思いもしなかったところでその影響が出てしまう。
卑怯とはそういうものだと思います。

卑怯なことをしないためには、やはり「思いやり」なんです。
相手に対する思いやり、すなわちフォローです。
鍵山さんはこうも言います。

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自社にとって不都合なことを他者に転嫁しているとどうなるかというと、社員は間違いなくすさんでいきます。
思いやりのない集団になって、だんだん心がすさんでいきます。
私は何が嫌いかといって、すさんだ心ほど嫌いなものはありません。
ですから、少々お金を犠牲にしようが何をしようが、心のすさまない会社にしようと思って今日までやってきました。(50p)
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上の部長さんの部下もそうでしょう。
ぼくら顧客に対することだけじゃなく、自分の部下に対しても同じです。
フォローがなければ心おきなく研修に出かけられなくなります。
現場を気にしつつ勉強なんかできるものじゃありません。
上司がフォローしてくれなければ、自分でその穴を埋めないとならなくなる。
そのための時間をどうやりくりするか、結構大変なんです。
そしてその分の給料が出ないとなると、必ず心がすさみます。
心がすさめば、いい仕事なんかできなくなってしまうのです。

代理を立てるにしても、他の日に業務をするにしてもコストがかかります。
そのコストを負担してでも部下を研修に出す。
顧客への迷惑も最小限にする。
そうやってコストパフォーマンスを最大点に近づける。
これが卑怯者ではないマネージメントだとぼくは思うんだけどね。

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