2009年5月14日木曜日

才能なんか関係ない

こんにちは

時々、若い技術者君たちに資格試験の勉強を教えることがあります。
教え方のうまい(^^;)ぼくが教えてるのに、勉強を続けられなくてリタイヤしちゃう青年もいます。
それも勉強を始めてひと月も経たないうちにギブアップ。

そういう青年が言うことは、いつも決まっています。

 オレには才能がないんだ

才能なんて、ひと月やふた月その勉強をやっただけで分かるようなものではありませんよ。
あきらめが早すぎます。
そんなときは、吉本康永『ぐうぜん東大に合格させる法』三五館\1100-に書いてあった次の話をしてあげたりします。

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自分の子供に数学の才能がないと嘆く親がいる。
私はそういう時に次のような例を挙げる。
中学、高校と数学がダントツにできた生徒が、大学の理学部の数学科に入り、四年間勉強をし、さらに修士課程に進んだ段階で、「俺は数学の才能がないのかなあ」とひそかに悩むのが、本当の数学の才能の問題だということなのだ。
受験数学に才能は関係ない。
これはすべての塾講師、予備校講師が公言していることだ。(171p)
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たかが資格試験の勉強で、才能の有無なんて関係ありません。
一定の努力ができ、ある程度の根気があって、小学校程度の読み書き計算ができる人なら誰だって合格できるのです。
たぶんこのことは、最難関の国家試験である司法試験だって同じだと思います。
法律の才能なんかなくても、並大抵の努力ではだめかもしれませんが、努力と根気の継続ができるなら、誰でも合格できるものだと思います。
(じゃあよっちゃん、やってみな、って??)
つまりリタイヤしちゃう青年は、才能がないのではなく、一定の努力ができない、ある程度の根気がないのが原因なんです。

ただし、才能は必要ないかもしれないけど、適性は必要かもね、と言ったりもします。
適性がない、すなわち、今の仕事が好きじゃない、面白くないからモチベーションが上がらない。
なら、わざわざ資格を取ってまで上級技術者を目指す必要はありません。
自分のもっと活かせる他の道を探した方がいい。
嫌ならこんな所でウジウジしていないで、すぱっとやめちゃって別の道を探すっていうのも人生だ。

でも30歳をすぎた青年君には、こんなことを言ったりもします。
たしかに、才能もないかもしれない、適性もないかもしれない。
かくいうぼくも、この仕事の才能があるかどうか分からないし、実を言えばそれほど好きじゃない。
でもこの仕事で食っているのは事実。
どうせなら、家族にいい暮らしもしてもらいたいし、女房子どもから尊敬もされたい。
いい給料ももらいたいよ。
そして少しでも楽しく仕事したいしね。
でももうこの年齢になったら他の道を探すのも難しいし、家族を路頭に迷わせるわけにもいかない。
じゃあ、この道で生きていくしかないじゃないか。
人生には、そういう「ふんぎり」や「あきらめ」も必要だと思うんだ。

そういう話しをして、再度モチベーションを持ってもらえたらと思います。
それでも、もう勉強会に来なくなっちゃう青年もいるんですけどね。

谷川浩二『集中力』角川oneテーマ21¥600-から引用します。

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「どうすれば、将棋が強くなれますか?」とは、もっともよく聞かれる質問である。
実は、この質問には肝心な言葉が隠されている。
それは「努力しないで」という言葉である。
つまり、「どうすれば努力しないで将棋が強くなれますか」と聞きたいのだ。
(略)
しかし、才能という言葉は、あるレベルまでいってからのことで、それまでは継続的な努力によってのみ上達や向上がある。(50p)
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谷川さんも努力抜きの才能の開花はない、と言い切っています。
ぼくの教えている資格試験の勉強については、一定の努力と言っても、たかだか毎日2時間の勉強時間を確保し、それを半年続ける程度です。
踏ん切りさえ付けば、やれないことはないんです。
才能がない、とすぐに自分に見切りをつけちゃうのはもったいないことだと思います。

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