2009年5月16日土曜日

まずは体を鍛える

こんにちは

トランポリンを購入してよかったですよ。
はっちゃんもとっちゃんも夢中です。
一人で跳ぶのは好きじゃないんですが、ぼくが手を持って跳ねるのをせがみます。
手を持って高く高く跳ぶんです。
はっちゃんなんか、天井ぎりぎりの高さまで飛び上がります。
我が家の天井は普通の住宅としては天井を高く設計したんですが、それがよかった。
男の子ですから、高く跳べればとても嬉しい。
何度も何度もやります。
ぼくもへとへと。中年だからね。
あはははは。

いくらぼくが手を添えていると言っても、子どもの方も自分の手をグイッと踏ん張らないと高く跳べません。
手と腕をグイッと踏ん張るためには、胸の筋肉、腹筋、背筋に力を入れる必要がある。
もちろん、けっこう激しい運動ですから心臓も肺も鍛えられます。
楽しみながら自然と体を鍛えることができるんです。
はっちゃんなど、幼児のくせに胸板がっしり、見ただけではわかりませんが触ってみると腹筋もしっかりあって、中央が割れているんです。

慶應義塾の創始者である福沢諭吉は「獣身人心」を教育の理念とし、その伝統は今でも慶応幼稚舎にも受け継がれているそうです。
孫引きですが、『福翁自伝』に次のように書いてあるそうです。

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子どもの教育法については、私はもっぱら身体の方を大事にして、幼少の時から強いて読書などさせない。
まず獣身を成して後に人心を養うというのが私の主義であるから、生まれて三歳、五歳まではいろはの字も見せず、七、八歳にもなれば手習いをさせたりさせなかったり、マダ読書はさせない。
それまではただ暴れ次第に暴れさせて、ただ衣食にはよく気を付けてやり、また子どもながらも鄙劣なことをしたり賤しい言葉を真似たりすればこれを咎めるのみ、その外は一切投げやりにして自由自在にしておくその有様は、犬猫の子を育てると変わることはない。
すなわちこれがまず獣身を成すの法にして、幸いに犬猫のように成長して無事無病、八、九歳か十歳にもなればソコデ初めて教育の門に入れて、本当に毎日、時を定めて修業をさせる。
なおその時にも身体のことは決して等閑にしない。
世間の父母はややもすると勉強勉強と言って、子どもが静かにし読書すればこれを誉める者が多いが、私方の子どもは読書勉強してついぞ誉められたことはないのみか、私は反対にこれを止めている。
(和田秀樹/小山泰夫『わが子が輝くエリート教育』海竜社¥1400-、143-144p)
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確かに、9才、小学4年生くらいまでは、あまり勉強には向いていないんです。
ぼくの教師時代の経験からもそう思います。
9才くらいまでは、遊び、それも体を使った遊びをふんだんにした方がいい。
それは体を鍛えるというだけでなく、体を動かすことを通して脳神経の接続をする。

最新の脳科学でも、思考は運動の応用であることが分かっています。
筋肉は神経が接続することによって動かされています。
思考するとは、神経が筋肉ではなく、また他の神経細胞へ接続することによってなされるわけです。
その意味で「応用」なのです。

神経が他の神経に接続できるようになるには、やはり基本となる筋肉の制御をきちんとできるようにする必要があるんです。
筋肉への神経の接続ができるようになってはじめて、神経から他の神経への接続もできるようになる。
それが、8才、9才、10才ころなんです。
いわゆる「9才の壁」を乗り越えられるかどうかは、それまで存分に体を使って遊んだかどうかで決まるんです。
昔から、小学2年生から4年生にかけては「ギャングエイジ」なんて呼ばれています。
それは、まるでギャングのように、福沢諭吉流に言えば獣身のように、暴れまくる時期なんです。
この時期に十分暴れまくれれば、10才を過ぎる頃から勉強へとシフトしていける体勢が整うんですね。

だからこの時期に塾に通わせて勉強させたって無駄。
だって子どもの発達生理に合ってないんだから。
もちろん現代では犬猫のようにだけ育てるわけにはいかないでしょう。
基礎となる読み書き計算くらいは身につけさせていく必要はある。
でも応用的な勉強まで手を出す必要はないし、反って害があるんです。

今、はっちゃんの入学する小学校選びをしています。
選ぶ観点は、4年生くらいまでは勉強よりも体験重視、体重視、遊び重視の教育をしてくれるところ。
中学受験を売りにして、スパルタ教育をするような学校は嫌なんです。
先日の私立学校フェアでもらった資料を読みながら、じっくりと楽しみながら検討している最中です。

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