2009年6月10日水曜日

コミュニケーション能力を鍛える

こんにちは

我が家で料理教室を開きました。
みんな子ども連れでの参加です。
2才から9才まで、いろんな年齢の子どもが集まりました。
はっちゃん、とっちゃんも大はしゃぎで遊びまくりました。

でもそれだけ子どもが集まったら、葛藤もある。
はっちゃんもとっちゃんも小2のお兄さんに泣かされちゃいました。
その子のお母さんから「はっちゃんととんたんを泣かせてしまい、すいませんでした・・・・・。」というメール。
ぼくはこう返事しました。

  いえいえ。
  お互い、それもいい経験です。
  コミュニケーション感度とスキルを磨くためには、子ども同士泣いたり泣かせた
  りする経験を子どものうちにたくさんしておいた方がいいんです。
  コミュニケーションの基本は、自分の主張を通す、相手の話を聞く、ということ
  ではありません。
  相手の気持ちを受信して、それに寄り添うように自分の気持ちを伝えることだと
  思います。
  こういうスキルを身につけるには、異年齢の子ども同士で遊ぶのが一番いいと
  思っているのです。

泣かされたり泣かしたり、葛藤を経験するから能力も身に付く。
面倒見たり見られたりする中で、自分の立ち位置、ポジションが分かってくる。
年長者の役割、年少の者の振る舞い方。
弱い者へのいたわり、配慮など。

百ます計算の蔭山英男さんはこう言っています。

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よく子どもたちに言うんですよ。
「(いじめを)やった子、やってない子、よく見てごらん。
やるほうにも、やらないほうにもかかわってる。
やるほうにも、やらないほうにもなんない子っていうのは結構いっぱいいるでしょう」。
ある子を例に挙げて「あの子、いじめる側に回ると思う?」「ううん」、「いじめられる側に、じゃあ回るだろうか?」「ううん」って言うじゃないですか。
やっぱり全然かかわらない子っているんですよ。
それをよく、傍観者で問題だっていうような言い方をされるんですが、僕はちょっとそれは違うんじゃないかなというふうに思ってて。
つまり、コミュニケーション能力をしっかり持っている子なんです。
相手の気持ちもわかるし、自分の考えもしっかり伝えられる子なんですね。
ところがいじめたりとか、あるいは、いじめられている子っていうのは、どっかそこのところが抜けてたりするわけですね。
そうすると結局、集団の中で、これは最近よくある事例なんですけれども、いじめる子がある日突然、いじめられる側に回るわけです。(藤原和博他『笑える子ども。』ぴあ¥800-、15-16p)
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なるほど、いじめもコミュニケーション不全が原因なんですね。
コミュニケーション能力が低いと、相手の気持ちも分からないし、自分の気持ちも上手く伝えられない。
そうなると、相手の立場も無視して自分のやりたいこと、言いたいことばかり主張するモンスターになってしまう。
あるいは、自分の気持ちをまったく言わずに、相手に迎合するだけの奴隷的振る舞いをする。
前者がいじめる側、後者がいじめられる者になっていく。
そしてそれらは表裏一体なので、あるきっかけで逆転することにもなるんです。

コミュニケーション能力が身に付いた子は、「加減」が分かります。
「ほどほど」、ですね。
どこまでなら自分の主張が通るか。
相手に配慮するところはどこなのか。
それが分かれば、上手に自分のやりたいことを実現していくことができる。
そうであれば、モンスターにもなりませんし、奴隷にもなる必要もない。
いじめのループに絡め取られることもなくなるんだと思うのです。

兄弟同士での葛藤も必要だし、同年齢の子同士、異年齢の子の中での葛藤も経験する。
そういう場もたくさんつくりたいなーと思っているんです。

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