2009年7月27日月曜日

つべこべ言わずに本を読め

こんにちは

完成してまだ間もない建物のコンクリートにひび割れが見つかりました。
さっそくみんなで現地確認。
幸い大きなひび割れではなく、ヘアクラックと呼ばれる微細なひび割れで、構造的には支障がないものでした。

コンクリートは材料特性的に、圧縮力には強いのですが、引っ張り力には弱い。
引っ張られるとすぐひび割れしてしまうのです。
なのでコンクリートは単独で使うことはせず、鉄筋と一緒に使います。
鉄筋コンクリートですね。
鉄はコンクリートとは逆に引っ張り力に強いのです。
金属はバネとなって、引っ張られればられるほど引き戻そうとする力を発揮します。
だから鉄筋コンクリートは、圧縮力にも引っ張り力にも強くなり、建物の主構造に使うことができるわけです。
不思議なことに、コンクリートと鉄筋とは熱膨張率がほぼ等しいために、温度の影響も受けません。
Bestな組み合わせなんですね。

さて、コンクリートは材料特性としてひび割れるのが当然なんですが、それを極力少なくする技術は存在します。
ぼくの専門外のことですので、ひび割れの現地調査をした時点ではそのような技術がどんなものか知りませんでした。
でも、技術者の勘で絶対にそういう技術、ノウハウはあるはずだ、と確信しました。
不具合のあったときこそ、勉強するチャンスです。
さっそくその夜、アマゾンで「コンクリート、ひび割れ」で検索しました。
そうしたら、沢山の本が検索されました。
つまり、それほどひび割れは多くの建物で起こっており、ひび割れ対策が必要とされているということです。
そして対策法は数々開発され、公開されているということです。
しかも、単行本レベルになるまでこなれた技術になっている、ということです。

カリスマ家庭教師である松永暢史さんの本『親がお手伝いをさせた子どもは頭がよくなる!』アスコム\1300-にこう書いてありました。

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私が勧めたいのは、月に最低一度、家族全員で書店に行き、全員が自分が読みたい本を買うことを習慣づけることです。
このとき、親は10冊、子どもは5冊とノルマを決めることも大切です。
そして、買ってきた本はリビングなど家族が集まる場所に置いておき、いつでも読めるようにしておきます。
すると、家族で「この本おもしろかった?」「こういう本が好きなら、次はこれがお勧めよ」など、自然に読書についての会話が増えていきます。
また、子どもも親が読んでいる本に興味を示し、手を伸ばすようになるかもしれません。
そんなに大量の本を買うなんて・・・とお思いですか?
私は、塾に対する投資より本への投資が劣ってはならない、と考えています。
そう、子どもの頭をよくしたいと思うなら、少なくとも収入の5%は書籍購入にあてるべきです。(93p)
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一流の人物になりたければ収入の5%は本を買え、とぼくの尊敬する小学校教師向山洋一さんは言っていました。
子どもの頭をよくしたいってことにも、これは適用できるんですね。
我が家でも子どもにおもちゃの類はたまーにしか買ってあげませんが、本なら無条件で買ってあげることにしています。
今のところは、ほしいと言ったときその都度買いに行っていますが、小学中学年くらいになったら月に一度は親子で「まとめ買い」もいいですね。
買った本はリビングに「積ん読」しておく。
自分で買った本を自分が読むのは当然ですが、子どもが買った本を親が、親が買った本を子どもが眺めるのも楽しそう。
本を中心に会話が広がりますね。
これなら子どもの頭がよくなるのは当然です。

まずは、本を買うことを親が率先して示すことが第一です。
子どもにばかり本を読まそうったって、上手くいくはずがありません。
親が本を買い、それを読み、書いてあったことを実践し、いい結果を得る。
そういう態度を見せられれば、子どもも本を読むことの価値を知ることができるんだと思うのです。
検索された本の中から、5冊注文しました。
コンクリートに関する基本的なことを扱った本2冊とひび割れ対策を扱った本3冊。
このくらい読むと、専門家の話が理解できるようになります。
基礎的なことを学んでおいて、あとは専門家と議論して、適切な対処をしていきたいと思うわけです。

2009年7月26日日曜日

玉袋のひみつ

こんにちは

我が子はっちゃん、モノゴトの理解がずいぶんとできるようになってきました。
科学する心を育てるために、一緒にお風呂に入ってこんな実験をやってみましたー。
筋肉には二種類あると、学校で習ったと思います。
腕や足の筋肉のように、自分の意志で動かすことができる「随意筋」。
胃や腸や心臓のように、自分の意志で動かしたり止めたりできず、勝手に動く「不随意筋」。
不随意筋は内臓にある、って習ったと思います。
内臓にあるからちょっと観察できないねって。
でも体の外側近くにある筋肉で、不随意筋である平滑筋でできている部分があるのです!
それが陰嚢、いわゆる「玉袋」です。
陰嚢の皮膚の内側には肉様膜と呼ばれる薄い平滑筋でできた筋肉層があります。

タマブクロは時と場合によって、だら~んと垂れ下がったり、きゅっと縮まったりしますね。
これを自分の意志で、垂れ下げたり縮ませたりできる男の子はいないと思います。
自分の意志とは無関係に、ある条件の時に緩み、ある条件の時には縮む。
たとえば暑いときは緩み、寒いときは縮む。
ジェットコースターに乗ったとき、緊張したときも縮みますよね。

男の子はお風呂で実験してみてください。
お湯に入ってだら~んとなったタマブクロに、冷たい水をかけてみてください。
ほら、一瞬できゅっと縮んだでしょ。
次に温かいお湯をかけてみてください。
じわじわじわっと伸びてくるのがわかるでしょう。

ところで、陰嚢の筋肉も筋肉の一種ですから、自ら伸びることはできません。
では、一度きゅっと縮んだタマブクロを再び緩めるものは何でしょうか。
それは、重力です。
そのためタマブクロは、縮むときは筋肉の働きで瞬間的にきゅっと縮みますが、伸びるときはゆ~くりです。

どお?はっちゃん、面白かった?

第一反抗期

こんにちは

一般的に2歳頃は「第一反抗期」です。
とっちゃん2歳もどうやら反抗期に入ったようです。
「いや!」と言うことが多くなった。
叱られても言い訳したりする。
扇風機に指をつっこもうとしていたので「アブナイよ!」と叱ったら、「しゅうりしてんの!」だって。
あはははは。

林道義『父性の復権』中公新書\720-にこう書いてありました。

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第一反抗期のころになると、子どもは自分の筋肉組織を、詰まりは自分の身体を次第に自由に動かすことができるようになり、自分の欲望を自分の力で満たすことができるようになる。
好きなように動けるようにはなるが、しかし当然子どもは自分にとって危ないとか、汚いということが分からないので、親から規制を受けることが多くなる。
自分の力で何かをしたいという欲望と親の規制との食い違いが反抗を引き起こすのである。
この場合に親の規制があまりに性急であると、子どもの自主性や自信を損なう恐れがあり、子どもが自分から自分なりの秩序をつくっていく力をなくしてしまう危険がある。
逆にあまりに自由放任にされると子どもは秩序感覚を持つことができなくなる。
つまり人間の社会には必要な秩序やルールがあるという感覚が育たず、わがままな人間になってしまうのである。
この時期は自分の欲望をコントロールし、必要なルールを学ぶときであるから、親は子どもに年齢に応じた厳しさを与えることが必要になる。(124-125p)
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反抗期は必要な発育段階なんですね。
反抗できるまで肉体的にも精神的にも発達したって証拠なんです。
規制するから反抗するんだし、反抗するから社会のルールも身に付いていく。
だから反抗するからといって、反抗しないように甘やかしてやりたいようにやらせちゃいけないんです。
やってはいけないことは何かを学ぶチャンスだからです。

かといって、何でもかんでも規制してしまうのもいけない。
やっていいことを学ぶチャンスを逸してしまうから。
要はトライアンドエラーをする機会をたくさん作る、ってことですね。

とっちゃんにも充実した反抗期を過ごしてもらいたいですね!

ブレークスルーは他者からやってくる

こんにちは

我が社でも業績評価制度が始まって数年になります。
年功序列ではなく、よい業績をあげた人を評価し、報酬にも反映させる。
そのために、年度当初に目標管理表を書くことになっています。
本人が部課の目標に合わせて今年度に目標とすることを書き出します。
自ら目標を立てるのは、モチベーションを上げ、それを維持するのに役立ちます。
上司から与えられるだけの目標では、積極性が出にくいですから。

で、個々人が書き上げたものを上司と面談して確定するわけです。
時々、部下の書いた目標を修正したり、削除したりする上司もいるようです。
修正したり、削除したりすることが上司の仕事だと思っている。
これはとても損なことです。
当然ながら本人が書いたものを修正したら、それは本人独自の目標ではなくなってしまいます。
上司から与えられた目標の度合いが強くなってしまう。
消極的になってしまうのは必然です。
削除してしまったらもちろんのこと、誰もがやる気を削がれてしまうのは当然。
ましてや修正するのが「テニヲハ」だけだったりしたら、部下にバカにされちゃいますよ。

もちろん、部課の目標から大きく外れている場合や、社の利益、公共性に反する目標の場合はいけませんよ。
そういう場合は、修正や一部分の削除ではなく、理由を説明した上ですべて破棄すべきです。
破棄した上で、再度部下に考えさせ、書き直させる方がよい。
ここで重要なのは、部課の目標から大きく外れている場合は破棄した方がよいけど、ちょびっと外れているように思えるときはそのままの方がいい。
それは部課の枠をちょっと超えている可能性があるからです。
仕事って、枠を超えた部分にお宝が埋まっているものだからです。
部下にはそのお宝が見えているのかもしれないんです。
こういうのまで破棄したり削除したり修正したりしたら、お宝を逃すことになっちゃいますよ。

部下の書き上げた目標を、なぜ上司は面談して話し合う必要があるのか。
決してそれは、部下の目標を修正したり削除したりすることではありません。
むしろ、一つ二つその部下にやってもらいたいことを追加してやる。
これをやれば部署の価値も上がるし、部下の能力も上がるというものを見つけて、それを部下に提示すること。
それこそが上司の役目なんだと思います。

内田樹『街場の教育論』ミシマ社¥1600-にこうありました。

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ブレークスルーというのは自分で設定した限界を超えるということです。
「自分で設定した限界」を超えるのです。
「限界」というのは、多くの人が信じているように、自分の外側にあって、自分の自由や潜在的才能の発言を阻んでいるもののことではありません。
そうではなくて、「限界」を作っているのは私たち自身なのです。
「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価は謙遜しているように見えて、実は自分の「自己評価の客観性」をずいぶん高くに設定しています。
自分の自分を見る眼は、他人が自分を見る眼よりずっと正確である、と。
そう前提している人だけが「私にはそんなことはできません」と言い張ります。
でも、いったい何を根拠に「私の自己評価の方があなたからの外部評価よりも厳正である」と言えるのか。
これもまた一種の「うぬぼれ」に他なりません。
それが本人には「うぬぼれ」だと自覚されていないだけ、いっそう悪質なものになりかねません。
ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。
それが自分自身で設定した限界を取り外すということです。
「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです。(155-156p)
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自ら立てる目標は、自分が思う「限界」に基づいて書くものです。
でも、自分が思う限界が本当に自分の限界かどうかは分からないものです。
むしろ「岡目八目」で他人の方が分かっていたりする。
そこを上司は見つけてやらなくちゃいけない。

誰にでも経験があるでしょう。
上司から無理難題を与えられ、とても無理、できない、と思いつつも取り組んだことが。
大変な努力は必要だったかもしれませんが、そういう仕事、たいてい出来ちゃうんですよね。
そして出来上がったときに、とてもいい気分になれる。
自分の能力が存分に発揮でき、すがすがしくもあるんです。
こういう仕事って、自らは絶対にやりませんよ。
他人から押しつけられたからやり通すことが出来るんです。
そしてたぶん、上司には「アイツならやり遂げられるはずだ」というのが見えていたんです。
期待があるから指示もされるんです。

人はちょっぴり背伸びするから成長するものなのです。
このことは仕事だけじゃなく、家庭や学校でも応用可能ですね。
すべての目標を子どもに押しつけてはいけないのは当然ですが、全部子ども任せでもいけないんです。
背伸びさせるのも親や教師の役目なんです。
子どもにがんばってほしいこと、それは一定の努力をすれば必ずできそうなことを、一つ二つ与える。
それができるのが、いい親であり、いい教師なんだと思います。

逆もまた真であったりします。
子どものワガママに見える行動の中に、お宝がある。
自分には見えないものが、子どもには見えている。
子どもに不承不承につきあっていたら、意外や面白く、親自身のブレークスルーにつながったなんてことだって、ままあることなんです。
これは部下に対しても同じですね。

ブレークスルーは他者からやってくる。
これは真実なんだと思います。

2009年7月19日日曜日

遊びこそ要

こんにちは

はっちゃんも夏休みに入って、まー、ヒマをもてあますわけです。
子どもにはヒマでボーッとする時間も必要ですが、一生懸命遊ぶ時間も必要。
なので近所の児童館へ連れて行ったりします。
児童館はいいですよー。
なんてったって、タダ!
タダだから、「遊んでくれる」ものなんかない。
遊園地の乗り物みたいなね。
自ら行動して、身体を動かして遊ぶものばかり。
そこがいい。

遊園地の乗り物みたいなのは、消極的、受動的な遊びです。
パッシブアミューズメントです。
受動的だから「もっともっと」になるんです。
もっともっとと他人に求めるだけの快楽。
自ら創り出した喜びじゃないので、永遠に満足することがない。
子どもをもっともっとと乗り物に乗せて、親からお金を取るのが遊園地のねらい。

それに対して自ら身体を動かしての遊びは、積極的な遊び、アクティブアミューズメントです。
他人に求めるのではなく、自らが創り出す快楽です。
だからやり遂げたとき、深い満足感を味わえる。
それが本来の遊びだと思うんですよ。
それにアクティブアミューズメントである遊びは、結局のところ脳を鍛え、知能を育てるものです。

糸山泰造『子育てと教育の大原則』エクスナレッジ¥1400-にこうありました。

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どうして「自主的な遊び」が大事なのかご存じですか?
最も効果的な学力養成・思考力養成になるからです。
「自主的な遊び」は、「感情=これでいい」と、「判断=こうしよう」と、「結果=あれ、違うぞ」「思った通り」の繰り返しです。
自分で予測したことをやって、その結果を自分の考えに反映させることの繰り返しです。
バイオフィードバックとマッチング(体感と予測イメージのすり合わせ)による高度な進化過程の体現です。
判断力とは「不安や違和感がない状態で結論を実行に移す確信の感情」のことです。
ですから、自主的な遊びは安定した感情も養成するのです。
自主的な遊びの中には子供自身が自分で予測したことを実践し、修正・加工して何回も豊富なイメージ操作(思考)をするように工夫する仕組みが入っているのです。
人間は人間になるために遊びを十分に経験する必要があるのです。
遊びを犠牲にしてまですべき宿題などありません。(164p)
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前便にも書いたように、努力するとは「考える」ことなんです。
努力とはただ闇雲にがんばるのではなく、考え、予想し、それを実行する過程なんです。
それで上手くいったり、失敗したりするでしょう。
結果を自分にフィードバックして、また考える。
考え、予想し、実行することを繰り返すことが、努力の正しいやり方なんですね。

アクティブアミューズメントである遊びには、その萌芽があるんです。
楽しくなるために、あれこれと考え、予想し、実行に移してみる。
それで楽しくできるか、できないか。
危険があるか、ないか。
結果をフィードバックして、また新たな遊びを考え出す。
楽しみながら自然と努力の方法論が身に付くわけです。

なので、児童館に行ってもぼくはよほど危ないことや、とんでもない悪いいたずらをやらないかぎり、ただ眺めているだけなんです。
一緒に遊んだりもしません。ぼくは中年だから一緒に遊ぶと疲れるしね。
時々、上手くできたり、おもしろいことをやっていたら「わー、すごいねー」って言うくらい。

10才くらいまでは、そうやって育てていきたいなと思っています。
え?10才過ぎたら?
それぞれが勝手にやるでしょー。
それが我が家の理想なんです!

理数科教育は努力家を育てる

こんにちは

昨今の理数科離れ。
原因は理数科が面白くないとか役に立たないと思っているとかじゃなくて、単純にめんどくさいだけだと思います。
理数科は修得するのに努力が必要。
努力することが嫌だから、理数科が嫌いなんです。
だから、理数科離れじゃなくて、「努力離れ」なんです。
逆に考えれば、理数科目をきちんと勉強すれば、努力する習慣が培われます。
努力する習慣は、理数科目の修得に留まらず、人生のあらゆる場面で役に立ちます。

松井孝典/南伸坊『「科学的」って何だ!』ちくまプリマー新書¥760-にこうありました。

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「考える」とか「疑う」ということは苦しいわけですよ。
たとえば数学の問題を解くって大変でしょう?
大変だけど我慢して、一生懸命考えて解く。
そういう「我慢」ということを教えるのも学校教育の一つだったんです。
何でもかんでも、努力しないでわかるわけではない。
一生懸命取り組んで苦しみ抜いた末に、ようやく何とかなるという種類のことが世の中にはあるんだと。
それが、学校教育が考えなければならないことの一つだったわけです。
理数教育というのは、そういうことなんです。(松井、93p)
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努力するとは、思考機能としては「考える」、「疑う」ことなんですね。
努力とはただ闇雲にがんばるのではなく、考え、予想し、それを実行する過程なんです。
それで上手くいったり、失敗したりするでしょう。
結果を自分にフィードバックして、また考える。
考え、予想し、実行することを繰り返すことが、努力の正しいやり方なんですね。

そしてそれは「我慢」でもある。
我慢も、ただ闇雲に自分を抑えることではない。
成功目指して、地道に一歩一歩進んでいくことが、本当の我慢なんです。
まさに、数学の証明問題ですよ。
ロジックをひとつずつ積み重ね、自分だけじゃなく他の人も納得するように、正解へと導いていく。

だから、我が子はっちゃんとっちゃんには理系に進まないとしても、せめて中高生までの理数科目はしっかりと勉強させたいんです。
人生の宝になるはずだから。

2009年7月15日水曜日

背筋を伸ばせ、シャンとしろ!

こんにちは

昨日は電気技術者協会の見学会に参加してきました。
見学場所は、木更津の新日鐵の工場と、東京電力の火力発電所。
新日鐵では圧延工場を見せてもらい、真っ赤になった鉄の固まりがだんだんと薄く大きく延ばされる様子を見ることができました。
東京電力発電所ではMACC(モアアドバンスコンバインドサイクル)という、熱効率59%にもなる最新鋭の発電機を見ました。
知的好奇心、大満足!

この見学の参加者42名の平均年齢は62才、最高年齢は76才、みなさん現役の電気主任技術者です。
ぼくが電気技術者協会に入会して15年になり、40代後半の年齢になりますが、まだ「若手」のままです。
電気技術者とは、工場などたくさんの電気を使う場所では高い電圧を扱うから危険もあるわけで、その安全を監督する技術者です。
安全を守る仕事ですから、常に緊張した仕事を要求されます。
なので、お年寄りだからよぼよぼしていると思ったら大間違い。
みなさんかくしゃくとしていらっしゃる。
製鉄所も発電所も、階段の上り下りも多い。
そんなことはものともせず、好奇心いっぱいに見学していました。
爺さんのくせに目なんかキラキラしちゃってるんですから!

そういう方たちの姿を見て、ぼくも元気をもらいました。
心身共に健康で好奇心を失わずにいれば、76才までだって現役で活躍できるぞって。
それなら、はっちゃんととっちゃんを十分育て上げられます。
しかも、生き生きと張りのある姿を見せながら育てていける。

外山滋比古『子どもを育てる絶対勉強力』幻冬舎文庫から引用します。

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先日、NHKテレビがおもしろい実験をしてみせた(1999年8月4日放送「ためしてガッテン」)。
姿勢によって頭がよくなったり、わるくなったりするというのである。
実験はこうだ。
ABCの三人にはよい姿勢をとらせ、DEFの三人にはネコ背になってもらう。
同じ本を引き写す作業を一斉にさせる。
十分間にどれだけ書けるかを調べた。
ABCはみんな原文の五ページ前後を写してたのに、姿勢のよくないDEFは三ページくらいしか写せない。
姿勢のよい方がよい結果をもたらす。
念のために、役割をひっくりかえし、ABCにネコ背になってもらい、DEFには背筋をのばして、同じ作業を同じ時間させる。
すると、さきには五ページ書き写したABCが、三ページちょっとになり、DEFが五ページ近く写していた。
こうなると、姿勢が決め手になっていることを認めないではいられない。(163-164p)
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たしかに電気主任技術者の爺さんたちは姿勢がいい。
背筋がピンと伸びている。
見た目がシャンとしているから、心もしゃっきりしているんだと思います。
逆に心がしゃっきりすると、姿勢もシャンとするのかもしれませんね。

子どもに「姿勢をよくしなさい」と説教すると嫌われます。
見た目なんかどうでもいいじゃないか、ちゃんとやればいいでしょ、形式的なことを言うなって。
でもそれは違う。
本質は形式に顕れるんです。
心がしゃっきりすると姿勢も自然とよくなる。
また姿勢をよくしていれば、心もしゃっきりしてくるんだと思います。

それは子どもの勉強だけの問題じゃない。
仕事をしている大人も同じです。
ショボイ仕事をしている人は、やっぱり姿勢が悪い。
背中を丸めて下を向いて歩いている。
いい仕事をしている人は、姿勢がいい。
歩いているときでも、背筋を伸ばして水平よりちょっと上を見据えている。
表情も明るくにこやかです。

姿勢って大事だなーって思いますよ。
ぼくはこれからスパコン変電所の工場立ち会い検査のため名古屋出張です。
背筋を伸ばして、今日も楽しくバリバリやりますよー!

2009年7月14日火曜日

高校受験は人生の必須科目

こんにちは

ぼくは若い頃、中学受験対策の大手進学塾で教えていたことがあります。
そのときの経験から、できれば中学受験はしない方がよい、と思っています。
中学受験は子どもの生理に合っていないからです。
中学受験で合格する子は、頭のよい子でも努力する子でもない。
知的にマセた子なんです。
12才頃までにマセた子が、ちょっとひねった入試問題を解くことができる。
ただそれだけなんです。

子どもの頃マセていた子は、たいてい成長するとふつうの子になってしまいます。
というより、他の子が成長して追いついてしまう。
で、マセた子は子どもの頃お勉強ができたばっかりに、努力する訓練を怠ってしまう。
すると、あとからやって来た子どもたちに追い抜かされちゃうんです。

でもまあ合格する子はいい。
中学受験で不合格となった子どもの心の傷は大きい。
まだ世間が狭い時期ですから、たまたま不合格になったとは考えられず、自分はバカなんだと自己規定してしまうんです。
さらにバカ親が追い打ちをかけちゃったりして。
「不合格なんて、あなたを何年塾に通わせて、お金をいくら使ったと思ってるのよ!」
ああ、かわいそう。

糸山泰造『12歳までに「絶対学力」を育てる学習法』草思社¥1200-にもこう書いてありましたよ。

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誤解のないように言っておきますが、中学受験が危険なのは、受験勉強をする時期が問題だからです。
脳内進化が完了していない時期だから、危険なのです。
ですから、受験は受験でも、高校受験は、たとえ進学しなくてもさせることが望ましいのです。
十分に覚悟をし、準備をし、相手を分析し、自分を分析し、計画を立てる。戦い方を教え、知識もスピードも養成すべき時期だからです。(208p)
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はっちゃん、とっちゃんには、小学生のうちは存分に遊びまくって、小脳の回路を増やしてもらいたいと思っています。
遊びまくるといっても放ったらかしにするのではなく、いろんな場を用意してやって、その中でアクティブに遊ぶ。
自分で工夫したり、仲間と協力したり、そういう経験をたくさんできるように。
たとえば、ボーイスカウトなんかいいんじゃないかって思っているんです。

で、中学校に行ったらガッチリ勉強する。
中学校の時期はガリ勉でいいんです。
だって、中学校の勉強は教養教育なんですからね。
教養はしっかり身につけておく方がいいんです。
意味、意義なんか考えずに詰め込んでおくべきことが、教養なんです。
ガッチリ詰め込むための手段として、高校受験は最適です。
そして高校受験は、本当の頭の良さ、努力が試されるものなのです。
十分に覚悟をし、準備をし、相手を分析し、自分を分析し、計画を立てる。戦い方を教え、知識もスピードも養成すべき時期なのです。
これは、人生の戦い方の基礎基本にもなるわけです。
中学時代はだらけてはいけない時期なんです。
だらけたことは一生の不覚になってしまう時期なんです。

そういうことが分かっている学校に入学させたいのです。
小学校のうちからそれが分かっている学校。
そういう学校を見つけていきたいと思っています。

TVニュースは見せるな!

こんにちは

我が家はあまりTVを見ません。
家族揃って見るのは「爆笑レッドカーペット」くらい。
はっちゃんもとっちゃんも天津木村のエロ詩吟にはまって、吟じてます。

幼児のうちはなるべくTVは見ない方がいい、というのは定説になっています。
TVは一方的なメディアです。
こちらからのリアクションに何も応えてくれない。
それが幼児の脳には悪いのです。
幼児の脳はインタラクトすることにより育っていきます。
刺激に対して反応し、その反応に対してまた反応が返ってくる。
コミュニケーション能力ってそれの繰り返しで育つ。

糸山泰造『12歳までに「絶対学力」を育てる学習法』草思社¥1200-に、さらにこんなことも書いてありました。

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少なくとも小三~四までは、(残虐な映像を垂れ流すので)テレビのニュースは見せないと決めた方がいいでしょう。
普通の番組は内容によって選択できますが、ニュースは何が出てくるか予想しづらいからです。
感覚のまひを防ぐためにも、9歳まではニュースは見せない、12歳までは厳選して見せることをおすすめします。(55p)
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子どもの脳は柔らかく、感情豊かです。
でもまだ論理は育っていない。
そういう時期に、情動に強く訴える視覚刺激を受けるのは危険なんです。
ニュースでは交通事故の映像、鳥インフルで処分される鶏の映像、戦争で人が死んでいる映像など、子どもにとって悪い映像が垂れ流しになっています。
大人なら理屈がわかりますから、その映像の意味も理屈と共に理解できます。
でも子どもはまだ理屈がわかりませんから、情動だけがダイレクトに脳に伝わってしまう。
これが感覚の麻痺を引き起こすのだそうです。

子どもに世の中のことを知ってもらいたいと、ニュース番組こそ見せたいTVだと思っている親は多いと思います。
でも何事も適期があるんですね。ニュースは10才以下の子どもには向いていないんです。
我が家でもTVニュースは見ない、見せないようにしたいと思います。
まー、もともと世情にはあまり興味はないんだけどねー。
あはははは。

2009年7月9日木曜日

結婚しよう、子供を産もう!

こんにちは

少子化の原因は、晩婚化、未婚化であることが分かっています。
合計特殊出生率、出産可能年齢の女性が平均して産む子どもの数は1.2人。
でも結婚している女性は、平均して2人以上。
結婚してしまえば、子どもが欲しい、できれば二人以上欲しい、と思う夫婦が一般的なんだと分かります。
だから少子化は、なかなか結婚しない若者が増えていることが原因であることが明らかです。

ところで政府などの少子化対策は、どちらかというと保育所の整備や育児休業のための法制度など、女性が働きながら安心して子どもを産み育てられるものに偏っています。
これらの制度はかなり充実してきたと思います。
でも少子化傾向は止まらず、晩婚化が進んでいます。
なぜなんでしょう。

ぼくは、女性の側の問題ではない、男の側の問題だと考えています。
すなわち、結婚したくなるような男が少なくなってしまった、のだと。
だから少子化対策は、男の子を魅力的な男性に育て上げること、だと思うんです。
まー、ぼく自身それほど魅力的な男でもないわけで、それで晩婚だったわけで、偉そうなことは言えないんですがねー。
あはははは。

内田樹さんはこんな面白いことを言っていますよ。

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結婚というものは、女のほうはいやがっているのに、男が「結婚しよう、結婚しよう」とつきまとってくるので、やむなく結婚する・・・というのが基本的な型だと思っているんです。
たぶん、それが結婚がうまくゆく基本パターンなんです。どうしてかはわからないけど。
そういうものなんですから、男が「結婚しよう」とうるさく言わなかったら、晩婚化/未婚化するのはあたりまえなんです。
『毎日新聞』のオニババのコメントの時も、そのことを言いたかったんです。
でも、今のメディアの論調だと、晩婚か未婚かは女性の側の決断の問題として論じられているでしょう。
これ、おかしいですよ。
問題なのは、いま結婚適齢期の男性に「結婚したい」という意欲がきわめて希薄である、ということのほうなんです。(内田樹/三砂ちづる『身体知』バジリコ¥1300-、223p)
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つまりは、鼻息の荒い男の子、ですねー。
鼻息荒げながら女の子に迫る、生命力あふれる男の子に育てなくちゃ。
今は何かというとセクハラだ、ストーカーだと言い過ぎますよ。
男の子本来のこういう欲求を上手く引き出さなくちゃね。

はっちゃん、とっちゃんは、男の子らしい男の子に育ってもらいたい。
そして自活できるようになったら、即嫁さんをもらって子どもを産んでもらいたい。
早く孫の顔を見せてくれ!

2009年7月8日水曜日

地獄を天国に変える技

こんにちは

同じ職場、同じ仕事をしていても、そこを楽しんでいる人とつまらなそうにしている人がいますよね。
楽しいはずの家庭で、仏頂面して嫁さんや子どもからわざわざ嫌われるようなことをするお父さんもいます。
一方で家庭でもニコニコして楽しく家族と接しているお父さんだっています。
この差は何なのでしょうか。

仏教の説教の中にこんな話があるそうです。

ある若い修行僧が、「地獄とはどういうところですか?」と老師に尋ねた。
老師曰く、

 地獄とは、
  直径1mの大きな鍋の中に、美味いうどんが煮えているところだ。
  それを食べるには、1mほどの箸ですくって食べるしかない。
  地獄の住人は、我先にこのうどんを食おうとして、箸を奪い合う。
  つかみ合い、殴り合いをする。
  1mの長い箸でうどんを自分の口に運ぼうとする。
  するとうどんは飛び散り、やけどをして誰もこの美味いうどんが食えない。
  果てしなくいがみあい、殴りあう。
 これが地獄だ

続けて若い僧が尋ねます。「では極楽とは?」

 同じく大きな鍋の中に美味いうどんが煮えている。
 1mの長い箸があるのも同じだ。
 ところが、
  ある人がうどんをすくって、鍋の向こうにいる人に「どうぞ先に召し上がってください」と
  差し出す。
  鍋の向こうにいる人は美味いうどんをたっぷりと食べられる。
  すると釜の向こうにいる人は、「どうもご馳走様でした。今度はあなたがお召し上がりください」と
  長い箸を受け取って、うどんをすくって差し出してくれる。
  そうやってみんなが美味いうどんをたらふく食べ、ほがらかに、微笑みながら暮らしている。
 これが極楽だ

ナルホドー。
大きな鍋の中の美味いうどんというのは、現実社会のことでしょう。
現実は極楽だろうと地獄だろうと同じなんです。
そこを極楽に変えるか地獄にしてしまうかは、そこにいる人の心の持ちよう、行動の仕方で決まってしまうんですね。

職場でも、自分だけが利益を得ようとばかりすれば、誰も味方してくれないのは当然です。
同僚は皆競争相手、敵になってしまい、食うか食われるかの関係になってしまう。
それでは美味いうどんは食えないんですよ、誰も。

家庭でも自分だけが楽しようとして威張ってばかりいれば、家族の心は離れていくのは当然です。
仕事で疲れているんだから家では勝手にさせろ、というお父さんは、自ら家庭を地獄に変えてしまっているんです。

そうじゃない。
職場で困っている人がいたら、自分の余裕の範囲でいいからちょっと手伝う。
アドバイスだけでもいい。
そういうことを続けていれば、自分が困っているときに必ず助けてくれる人が現れるわけです。
同僚たちは敵ではなく味方になって、本当の協力関係を築いていくことができる。
そうすれば職場は極楽に変わっていきます。

家庭でも疲れているとしてもちょっと家族のために何かやる。
そうすれば「疲れているのにお父さん、がんばってくれるじゃない」と家族は思う。
すると「お父さんは疲れているんだから、ゆっくりしていていいよ」と言ってくれたりする。
そう言われるとお父さんも嬉しくなって「なになに、このくらいは平気さー」なんて言ったりして、がんばっちゃったりするわけですよ。
そうすれば家庭は極楽に変わっていきます。

極楽でも地獄でも客観的な現実は同じなんです。
それを極楽にしていくか地獄にするかは、そこにいる「人」なんです。
そしてそれは「やり方」「技術」なんだと思うのです。


大鍋の美味いうどんの話は、市川善彦『我謳!!』長崎出版\1600-(155-156p)に書いてありました。

2009年7月7日火曜日

七夕のひみつ

こんにちは

毎年、この時期になるとみんなに教えたくなっちゃいます。
今日は七夕です。
笹の葉にお飾りを作っているおうちも多いのではないでしょうか。
短冊にどんなお願いを書きましたか。

七夕には<天の川に挟まれた彦星と織り姫星が年に一度だけ会う>という伝説があります。
ぼくは子どもの頃、これが不思議だったんです。
だって、彦星も織り姫星も<恒星>だから位置は変わらず、この時期だけ近寄るってことはないはずです。
それに、7月7日は梅雨のまっただ中。とても夜空を愛でるなんて季節じゃありません。
なのに何で七夕に彦星と織り姫星が会うなんて伝説ができたんでしょう?

もともと七夕は<旧暦>の7月7日の行事です。
今年の新暦の7月7日は、旧暦では閏月の5月15日にあたります。
旧暦7月7日は、今年の暦では8月26日です。
8月26日なら明らかに梅雨も明け、夏真っ盛り。
夕涼みをしながら夜空を愛でるのにちょうどいい時期になりますね。

また、旧暦ということは<太陰暦>ですから、日にちと月の満ち欠けは一致しています。
すなわち七日は月齢7の半月、「上弦の月」の日です。
また旧暦の七月は今の暦では真夏であり、今や都会ではちっとも見えませんが、夜空に天の川がはっきり見える季節でもあります。

旧暦七夕の夜には、上弦の月がちょうど天の川あたりに位置するのです。
上弦の月ですから半月であり、上側が欠けていて下側にふくらんだ形をしています。
昔の人はそれを天の川に浮かんだ「船」に見立てたんです。
月は地球の衛星ですから、公転運動によってだんだんと天の川の中を動いていくように見えます。
彦星はこの月の船に乗って天の川を渡り、織り姫星と年に一度だけ会うわけです。
昔の人って、結構ロマンチストだったんですね!


この話は、仮説実験授業研究会の藤森さんが発行していたミニコミ『たのたの』に載っていたものです。
また、暦については http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm が便利で面白い。

2009年7月6日月曜日

心は食がつくる

こんにちは

大沢博『食事崩壊と心の病』レグルス文庫\800-という本を読みました。
身体の健康と食べ物の関係はよく知られていて、多くの人が実践していると思います。
でも食べ物は心とも大きく関係している。
この本によると、不登校、暴力、ADHD、うつ、ボケなども、食が原因で発生し、食の改善で治療できるんだって。

考えてみれば当たり前です。
心は脳という臓器の機能です。
脳という身体が健康であれば、心も健康になれるのは当然。
心は身体の一部であり、それは食べ物がつくっているんです。

特に重要なのは、血糖値。
脳の栄養はグルコース=糖だけです。
グルコースは血液に溶け込んで、脳へと運ばれます。
脳へコンスタントに適正量運ぶことが、脳の健康に必要なのだそうです。

不登校、校内暴力、家庭内暴力、ADHD、うつ、ボケなども、血糖値のコントロールが上手くいかないことによって発生するのだそう。
ある体質の人は、甘いものを大量に食べると、血糖値が逆に下がるのだそうです。
食べてすぐは上がるのですが、それに対してインスリンが過剰分泌されて、ガクンと低血糖になってしまう。
空腹時よりもさらに低血糖になってしまうのです。そしてそれが継続する。
それが低血糖。
すると脳細胞は貧栄養状態に長時間さらされ、活動不全、場合によっては壊死してしまう。

低血糖というのは、本来は空腹時のものです。
腹が減ると、獲物を捕るために攻撃的になるのが自然。
もっと空腹になると、動かない方がいいから無気力になるのも自然なことです。
心の病のうち、低血糖が原因である割合はかなりあるんだ、というのがこの本の主張。

では、脳へ糖をコンスタントに適正量運ぶためにはどうすればよいのでしょうか。
この本では、きちんと米食をすることを勧めています。
ご飯は粒城なので、消化に時間がかかります。
じわじわと消化され、じわじわと吸収されます。
すると、血糖値が急激に上昇することはありません。
一定値で長時間、血糖値は保たれます。

我が家は、山形県産のさわのはなというお米を食べています。
水田トラストで栽培してもらった無農薬無化学肥料のお米を、ここ3年ほど食べ続けています。
もちろん子どももアイスなど甘いものやジャンクなものも食べますが、基本はごはんです。
ぼくもとても調子がいいですよ。
身体だけじゃなく精神的にも落ち着いていて、頭の回転もいいんです。

毎日米一粒

こんにちは

資格マニアのぼくは、年がら年中何かしら勉強しています。
何でそんなに勉強するかというと、常に自分を知的にアクティブにしておきたいから。
仕事上のことを勉強するのは当然ですが、それだけじゃ自分が狭くなりそう。
もっと自分を押し広げておきたい。
その手段として資格試験の勉強をしているのです。

資格試験はゴールがはっきりしているので、目標を定めやすい。
何をどれだけいつまでに勉強すればいいか分かりやすいので、モチベーションも維持しやすい。
とても便利。

先日、岩手から妻のいとこが我が家に遊びに来ました。
高校を卒業して地元のごみ焼却施設の運転員として採用されました。
給料はあまり高くはないようですが、新日鐵系の安定した職場。
今年で就職して丸3年。
よく上司に叱られるそうですが、めげずにがんばっています。
千葉で研修があり、そのついでに我が家に泊まっていったのです。

彼は施設の運転員なので、そのための技術系の資格が必要。
資格を取るために勉強を始めたそうです。
「中学高校のときより今の方が勉強している」なーんて言っていました。
偉い、偉い。

彼が岩手に帰った日、彼から御礼のメールが届きました。
礼儀正しいのも、社会で上手に生きていくために必要ですね。
ぼくはこんな返事を送りました。

> 君はいい性格をしているので、真面目に地道にやっていけば、多くの人からかわ
> いがられ、いい人生を歩めると思いますよ。
> 成功の反対は失敗じゃない。あきらめないこと。何度も失敗してもあきらめない
> で挑戦し続ければ必ず成功するもんさ。
> 10年たたなくても嫁さん決まったら、また遊びに来なさいね。

江戸時代に新井白石という高名な儒学者がいました。
白石さんは少年の頃から天才の誉れが高かったそうです。
勉強好きでもあり、日々学問に励んでいた。
でも子どもですから、たまには遊びたい時もあったんでしょう。
あるとき、1日さぼったんですね。

それでお父さんは白石少年を呼んでこう諭した。
白石少年に米びつを持ってこさせ、そこから一粒だけ米粒を取った。

 たった一粒だけなら、取ったのか取らないのか分からないだろう。
 取っても取らなくても変わらないと思うかも知れない。
 でもこれを1年ぐらい毎日一粒ずつ取ってみると、やっぱり減ったことがはっきりと
 わかるはずだ。
 勉強も1日くらいさぼったってどうなるものでもない。
 急に馬鹿になるわけでもない。
 しかしそうだからといってそれを続けてしまうと、ある日はっきりと
 自分がダメになったなと、気付くものだ

それ以来、白石少年は前にも増して学問に励むようになり、大学者になっていったんだそうです。
いい話だなーって思いました。

毎日少しでも勉強すれば、米一粒くらいは進歩しているはずです。
その進歩は米粒みたいに小さいから、つい馬鹿にしたり軽んじたりしてしまう。
1日くらいサボってもいいやって。

でも米一粒分でも1年、2年と経つうちに目に見えて増えてきます。
勉強したのとしなかったのと、格段の差が付いていることがはっきりしてしまうものなんですね。
日々コツコツやることの大切さは、そういうことなんですね。


白石少年の話は、大村はま『心のパン屋さん』筑摩書房\1600-に書いてありました。

2009年7月5日日曜日

小脳を創れ!

こんにちは

最新の脳科学では、小脳の働きもかなり分かってきたそうです。
これまで小脳は運動を司る脳であると言われていましたが、思考もかなりしているそうなんです。
で、小脳がしている思考はパターン化した思考を分担している。
定型的な思考ですね。
コンピュータのプログラムで言うと、サブルーチン。

大脳は複雑な思考ができるけど、時間がかかる。
なので、パターンですむ思考は小脳に任せちゃうんです。
やっぱり誰もが考えるのは面倒なことなんです。
面倒なことをなるべく省力化してやるためのシステム。
それが小脳のパターン記憶なんです。

そのとき、小脳のパターンは多ければ多いほど、いろんなことに対応可能。
小脳にはたくさんサブルーチンを仕込んでおく方がいいんです。
大脳は複雑な思考ができるけれど、面倒くさい。
誰もが考えることは面倒なんです。
だから、小脳のパターンが少ない人の思考は浅くなりがちなんです。
視野も狭くなってしまう。
小脳にはたくさんのパターンを記憶しておいた方が、有利なんです。

で、そのサブルーチンを創るにはどうすればいいか。
12才頃までに多様な実体験を積むことなんだそうです。
実体験によって、身体を通してパターンを記憶していく。
やっぱり「思考は運動の応用」なんですよ。

この時期に、体験を伴わないパターン学習をしてしまうとどうなるか。
小脳は限られた経験しかできないので、限られたパターンしか記憶できない。
すると、多様な思考ができなくなり、大人になって視野が狭くなったり、深く考えることができなくなる。
だから、この時期に体験を伴わない固定されたパターン学習を強いる中学受験は、子どもの脳にとってよくないということになるのです。
長い目で見れば、小学校時代は実体験重視で、勉強は読み書き計算の基礎だけに限っておいた方が、子どもにとって有利なんです。

小学校時代にスパルタ式に勉強を教えられて、豊かな実体験を積む時間を奪われると、中学受験には成功するかもしれませんが、その後の人生は狭まってしまう恐れが大きい。
もちろん、スパルタ勉強も楽々こなして、遊びも存分にできるくらい優秀な子は別です。
そういう子は、どう育てたって自分で自分を育てることができる。
でもそうじゃない大部分の子は、脳の発達生理に合ったやり方で育てた方がいいと思うわけです。

実体験を多く積み、小脳にたくさんのサブルーチンを組み込んだ子どもは、中学高校大学と進んで実体験を伴わない机上の勉強をしても、それを実体験したことと同等に認識し、自分のものとしていくことができる。
我が子はっちゃん、とっちゃんも、12才頃までは伸び伸びと多様な実体験を楽しんで積ませていきたいと思っているわけです。

2009年7月2日木曜日

できると思うからできる

こんにちは

交渉の上手い人と下手な人、どこが違うかよく観察してみました。

交渉に失敗する人は、ほぼ間違いなく最初から「できない」「無理」という意識で交渉に臨んでいる。
できない、無理を前提にしているので、交渉にも手ぶらで向かうんです。
で、相手に対して「ね、やっぱりダメでしょ、無理ですよねー、それは私も同意見なんですよ」という気持ちが見え見えなんです。
「お願いですからダメって言ってくださいよ、私も立場上一応お願いしてみるんですが、あなたがダメと言ってくだされば、私の上司や仲間も納得してくれますから、ぜひお墨付きをお願いしますよ」という意識。
これじゃあ、失敗するに決まってます。

交渉に成功する人は、間違いなく最初から「できるはずだ」という意識があります。
できることを前提にしているので、相手を納得させるための材料をちゃんと用意していく。
是が非でも、うんと言わせようとする。
交渉にも迫力が出ます。
人間というのは、相手の喜ぶことをしよう、という気持ちが基本にあるものです。
交渉相手だって、できれば喜ばせてあげたいんです。
でも、相手だって自分の上司、組織が後ろに控えています。
うんと言うからには、それなりの材料を持ってきてくれなくちゃ困るわけ。
そういう欲望があるところに、適切な判断材料を持ってきてくれれば、スポッとはまります。
これなら、成功するに決まってます。

何の本で読んだか忘れちゃいましたが、第2次世界大戦中の原爆開発の話です。
原爆は、アメリカでもソ連でもドイツでも日本でも開発研究をしていました。
日本での研究は、理研仁科博士が中心になって行っていたのは有名な話。
でもアメリカが最初に開発に成功した。
そのとき、日本の研究は未だ基礎的なレベルに留まっていたんです。

なぜアメリカは原爆開発に成功できたのか。
アメリカにとって原爆開発のトップシークレットは「原爆は実現できる」だったんだそうです。
この「秘密」がライバル国に伝わらないように、厳重に管理したんだそう。
原爆研究は優秀な研究者を家族と共にロスアラモスに幽閉して行われましたが、それは単に科学的、技術的情報が漏れないようにするだけではなく、「原爆は実現できる」ということを秘密にするためだったのです。
そして、アメリカの研究者には「原爆は実現可能」と言い続けた。
それがアメリカの勝因だったんです。

人間、できると思うと熱が入ります。
できないと思えば、どうしても一生懸命になれない。
そこがもっとも基本的で重要な分水嶺なんですよ。
できると思うから実現できるんです!

2009年7月1日水曜日

ハッピーの技術

こんにちは

昨日は夏のボーナスが支給されました。
世界的な不況の影響を受け、「見なし公務員」である我が社のボーナスも大幅ダウン。
それでもボーナスをいただけるだけでもハッピーですよ。

ボーナスとはそもそも「賞与」です。
賞めて与えるもの。
その時々の会社の業績に応じて、いい業績があがって余剰利益が出たら、社員みんなでそれを分配するものです。
だから、もともとコンスタントにもらえるものじゃないんだと思います。

その定義に従って我が家は家計を設計しています。
すなわち、ボーナス払いで買い物をしない。
ボーナスを生活費としてあてにしない。
するとハッピーなんですよ。

だって、あてにしていたものがもらえなかったら困るじゃないですか。
もらえなかったら、支払いができない、生活が立ちゆかないのでは困ります。
それだと、ボーナスをもらってもちっとも嬉しくない。
借金の返済で、もらったボーナスが右から左に移動していくだけだったら、悲しいもんね。

何にも使う目的がないから、いただいたボーナスはほぼ全部自分の好きに使えるってことです。
ハッピーです。
我が家では、ボーナスをこう使っています。
まず、ぼくの親、妻の親に感謝を込めてお裾分け。
だいたい5万円を目安にして、互いに干渉せずされず、好きなものを買う。
残りは貯金。

内田樹さんの本に書いてあったことですが、

 「正しい」生き方よりも「ハッピーな」生き方を選ぶ

のが大事だと思っています。
ハッピーは技術なんですよ。
ハッピーになれるよう、いつもご機嫌でいられるようにするには、どうしたらいいか。
そう自分をコントロールしていく。

ボーナス払いで買い物をしちゃうのは、欲望の先取りです。
あてにならないものをあてにして、欲望を満たすのは不幸の素。
そういうのは我慢する。
ちょっと我慢した方が、超中期的にはハッピー度が上がるわけです。

毎月の給料の範囲を超えて生活を肥大化させない。
確かに貧乏くさく思えますよ。
でもいいじゃないですか。
もともと貧乏くさい生活しかできない給料なんですから。
見栄を張る必要もないんです。