2009年8月30日日曜日

ペアシステムでやりましょう

こんにちは

出張先のバス停で本を読みながらバスを待っていたら、突然声をかけられました。
振り向くと、以前ぼくの上司だった方で、今はある会社の役員をしている方でした。
お久しぶり!
で、バスが来るまでの間しばらく雑談。
「関ちゃんの下にいた人はみんな活躍してるなあ」なんて言ってくれました。
出張先の事業所には、以前ぼくの下で働いていてくれた人がいます。
元上司も彼らの様子を見てきたようです。
ぼくの元部下たち、こっちでも活躍してるんだなーって思って嬉しくなりました。

ぼくの下で働いてくれた人は、どんどんと他に引っ張られていきます。
もっといいポジションに行ったり、安定した職場に行ったり、いいところに嫁さんに行ったり、天国に召されたり。
みんなまずまず活躍しています。
そしてぼくなりに育ててきたと自負しているのです。

その育て方を紹介しましょう。
それは

 一つのプロジェクトはぼくと部下二人だけで組む

ことです。
ぼくの担当する係に多人数いたとしても、一つの案件は必ずぼくとあと一人の部下だけの二人で取り組むようにしたんです。
決して三人にはしない。
なぜなら、二人だけだと役割が明確になるからです。
ぼくが判断を、部下が実作業を担当するわけです。
そうすると、部下はすべての実作業を一人でこなさなければならないわけです。

実作業には時間が必要です。
部下は一つのプロジェクトに専念して、時間をかけて作業できます。
判断は実作業がしっかりできていれば、瞬時にすることができます。
なのでぼくは他の部下と別のプロジェクトにも取り組む時間が生まれるというわけです。

三人以上いると分業してしまいます。
自分の好きなところ、得意な部分ばかりやりがちになります。
そうすると不得手な部分を身に着けるチャンスがなくなってしまいます。
結果として、全体を理解し見ることができるようになれなくなる。

また、三人いるとどうしてもどちらがやったらいいか分からないダークな部分が出てきてしまいます。
これはオレの仕事じゃない、と両者が思ってしまう。
そうするとヌケが出ちゃうんですよね。
ぼくと部下の二人だけなら、全部自分の仕事だと分かっているので、たとえ嫌な仕事、不得手な仕事でもやらざるを得なくなる。
よって、ヌケのない仕事ができます。

それに、人間ですから「関口はあいつばっかり楽な仕事を回す」とか「あいつばっかりやり甲斐のある仕事を回す」みたいな感情もありがちです。
部下への仕事の割り振りも、上司の面倒な業務のひとつなんです。
二人だけで一つのプロジェクトを担当すれば、こういう面倒も回避できます。
すべて一人の部下に指示すればオッケーだからです。

二人の部下同士の感情がこじれるとやっかいですよ。
ある部分の作業がストップしてしまう。
感情のトラブルを解決するのには、かなりのエネルギーと時間が必要です。
ムダですよねー。

またヌケた部分は上司が作業しなくてはならなくなってしまいます。
作業には時間がかかります。
中途半端にやられた作業は、引き継ぎに時間がかかります。
そんなことをしていたら、上司の判断業務をする時間がなくなっちゃいますよ。
ムダが多くなります。

まあぼくだっていろいろ試行錯誤してきたわけですが、今はこの「二人で1案件」というやり方がベストだと思っています。
もちろん部下同士、助け合ったり、教え会ったりすることも必要です。
でもそれは自主的にやればいいことで、作業の全責任はひとりの部下にある。そこは崩さない。

そしてぼくもぼくの上司に対して、ぼくの仕事に関しては全責任を負う。
ぼくとぼくの上司も1対1、ペアシステムとすることによって、ぼくも自分の仕事に責任を持ち、逃げられない状況にするんです。
よくいるじゃないですか、いつも部下を何人か引き連れて打ち合わせに出てくる上司。
こういう人って部下にばっかりしゃべらせて、自分は何も話さない。
部下に晴れ舞台を用意しているのかもしれませんが、どっちかというと自分が逃げているだけなんですよ。
その証拠に、上手くいかないとき打ち合わせの場で部下を罵倒したりしてみせたりね。
自分じゃ、自分の責任じゃないことをアピールしているつもりかもしれませんが、まともな人には分かりますよ。お前が無能なだけじゃないかって。

安藤忠雄『建築家安藤忠雄』新潮社¥1900-にもこう書いてありました。

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全ての仕事について、全責任を負う担当者を決め、その全過程を、私と担当者と
の1対1のチームで進めていくというやり方。仕事が5件あれば5人、10件なら10人
の担当者がいるという状態だ。そうすれば全ての現場に、ボスが直結しているか
ら、中間管理職など一切必要がなくなる。
事務所が私の個人事務所である以上、最も重要なのは、私とスタッフとの間の認
識にズレがないこと。そのためにはどうやって情報を正確に伝達し共有するかと
いった、コミュニケーションの問題が鍵だと思っていたから、とにかくすべてを
単純明快にしたかったのだ。曖昧な状態が我慢ならない。これは私生来の性質か
もしれないが。
無論、いくら1対1にしても最高責任者である私と担当スタッフとでは、仕事に対
する意識の差がある。緊張感がなければよい仕事は出来ないし、いずれは独立し
て、自分の事務所を開くスタッフのキャリアを考える上でも、ここでの時間をど
れだけ真剣に、臨場感を持って過ごせるかによって、得られる経験に大きな差が
出てくる。だから、スタッフに対しては、意識的に、厳しい姿勢で臨んできた。
それが「恐怖感で教育する」の真意でもある。(14p)
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おー、安藤さんも同じ方法を実践しているんですね。嬉しいなー。
ペアシステムによって仕事がスムースに流れ、ぼくも部下も精神的、時間的余裕が生まれ、それぞれの腕も上がる。
いい方法だと思うのですが、いかがでしょうか。

楽しくがんばろう

こんにちは

今週末はすごくヘビーな出張をしちゃいました。
電気設備学会参加のため富山へ行き、自分の講演が終わったら即神戸へ向かい、スパコンの打ち合わせが終わってから播磨に向かい、XFELの打ち合わせ。そして帰宅は夜中の12時過ぎ。
さすがに疲れましたよー。
予め晶ちゃんには「土曜日、ぼくはへろへろになる予定だから、悪いけどゆっくりさせてね」と頼んでおきました。
晶ちゃんは子どもたちを児童館に遊びに連れて行ってくれました。
ありがたい、ありがたい。
おかげでゆっくり1日寝ることができ、疲れも取れました。

出張中、晶ちゃんから届いたメール。

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よっちゃん!

学会発表、おつかれさまでした。
私も聞きたかったわ。
はっちゃんととっちゃんにもよっちゃんの勇姿を見せたかったわ。
また、機会があったらどんどんチャレンジしてくださいね。

こちらは順調ですよ。とんたんは昨夜からずっとオシッコして
いなくて、今朝おじいちゃまのところで盛大におもらししたそうです。
今もおじいちゃまと自転車ででかける前にオシッコさせようとしても
拒否!とっても頑固ちゃんです。

もうすぐ、はっちゃんが帰ってきます。
今日の研究授業はどうだったかしら?
報告を聞くのが楽しみです。

よっちゃんも神戸でのお仕事がんばってねー。

しょはと
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親は子どもに背中で教える、と言いますよね。
子どもは親の姿をよく観察しているものだと思います。
特に、楽しく生きているのか、つまらない人生を送っているのか、を敏感に感じ取る。
親が楽しく生きているなら、子どもも自分の人生に楽しみを見つけていくでしょうし、親がつまらない人生を送っているなら、子どもは自分の人生の未来を見ることができない。
だからぼくは楽しく生きていることを示し続けたいんです。

学会で発表するなんて、まあやってもやらなくてもいいことなのかもしれません。
それによって給料が上がるとか、出世するとかはないでしょう。
やる方がくたびれることなのかもしれません。
論文書いたり、発表資料を作ったり、講演内容を考えたり、時間も労力もかかります。
ぼくの本来やるべき仕事に支障のないように、穴を開けないようにしなくちゃならないし。
本務に穴を開けて、余分なことばっかりやってたら困りますもんね。
だから大変であることは確かなんです。

それでもぼくはやりたいんです。
自分がより楽しく生きるためです。
目標と夢を持って、自分の仕事をより価値のあるものにしていきたい。
そのためなら、ちょっと余分に働くこともいとわないんです。
他の人より、ちょっぴり努力をしていくことも必要なことなんです。
楽しくがんばっているぼくの姿を、はっちゃんとっちゃんに見てもらいたい。
子どもたちもそれによって、自分の人生をより楽しくしていこうと思ってもらいたいんです。

今度は職場の広報室から、10月末に開催するサイエンスアゴラに出演することのお誘いが来ました。
もちろん「やるやる!」って返事しました。
お台場科学未来館での開催ですから、晶ちゃん&はっちゃんとっちゃんにも見に来てもらえそうですね。
楽しみですー。

2009年8月26日水曜日

安心を売れ!

こんにちは

部下や一緒に仕事をする人たちに、メールの返事はすぐするように、と強制しています。
報告、連絡ってことで、メールじゃなくてもいいんですが、ぼくは出張が多いので一番確実な連絡手段がメールなんです。
「了解」「読んだ」だけでもいいから、素早くレスポンスする。
メールに対する返事だけでなく、仕事上のトピックス、停電作業が終わったとか、耐圧試験が終わったとか、あるいはトラブルがあったときも即メールするようにと。
「上手くいった」ことも「失敗した」というようことも。
もちろん、部下などへ言うだけではなく、ぼく自身も実践しています。

レスポンスをよくすると、「安心感」を得られます。
たとえ「失敗した」というネガティブな情報でも、初動を早くできるようにもなります。
困った事態でも対応が早ければ、安心することができます。
返信=response=責任、という意味ですし。

ぼくは施工スタッフの方たちに繰り返しこう言っています。

 一番のサービスは客を安心させることだよ

って。
客とは狭義な意味ではなく、自分と関わるすべての人という意味です。
これらの人たちに安心感を与えられるから、協力もしてくれる。
そうなれば仕事はスムーズに進むし、自分のやりたいことがよりやりやすくなっていく。
不安にさせられたら誰だって協力しようなんて思えないですからね。

不安が募ると「不信」にもなってしまいます。
不信感が強まると、そのリカバーには相当なエネルギーが必要になってしまう。
そこまでいく前に不安感を取り去る、与えないことが大切だと思っています。

『致知』07.11月号に、住宅メーカーの営業マンの田中敏則さんのインタビューが載っていました。

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営業のプロとして、絶対に貫いていただきたいのは、お客様の不安感を速やかに解消してさし上げるということです。
お客様はその節目節目において常に不安感とか、不信感を抱かれるものです。
住宅で申しますと、着工、竣工、契約、後はメンテナンスなどいろんな節目がございます。
そこでお客様が抱いておられる不安感を、速やかに解消してさし上げるのが、プロとしての道であると私は思っております。
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田中さんは口べたな営業マンだそうですが、安心感を客に売ることによって、住宅も月3棟コンスタントに売れるのだそうです。
安心だったお客さんが、知り合いを紹介してくれる。そういうお客さんの連鎖ができるので、売れ続けていくわけです。

田中さんの営業のコツも「安心感」。
安心感を与えるために、田中さんもマメにお客さんと連絡を取り合うそうです。
安心は信頼を得るための近道でもあるんですね。
お客さんからクレームが来る前に、「どうですか?」と電話を入れる。
何か不具合があっても、先に聞いてもらえると言いやすいし安心ですよね。

ぼくも真似していきたいと思います。

2009年8月25日火曜日

学校の役割

こんにちは

中学校や高校で習う勉強なんか意味がない。
本当の勉強は、自分がやりたいことをやるときにやればいい。
その時に始めればいいんだ。

そういう言説をよく聞きますよね。
確かにそういうこともできる。
事実ぼくも、今の仕事に直接つながるような技術の勉強は30歳を過ぎてから始めました。
それでも10年くらいコツコツと勉強を続けていたら、中堅技術者程度にはなれたと思います。

でも、それはある程度の「基礎」があったからできたことだと思うのです。
基礎もない人が、やりたくなったときにそれだけの勉強ができるのかどうか。
その基礎はどこで学んでおくべきなのか。
やはり学校で学んでおくのが、ロスが少なく効率的なんだと思います。

職業人として人生を楽しく生きていくために、最低限どの程度の基礎が必要かと言うと、

 小学生程度の読み書き計算
  +中学生程度の文系科目or理系科目のどちらかの分野
   +高校生程度の好きな科目

じゃないかと思います。
このくらいの基礎があると、将来好きなことができたとき不自由なくその分野に飛び込めますし、自分に不足する知識や技能があってもその都度必要な勉強を開始することができる。
たとえばぼくの職場にいる世界最先端を走っている物理学者の方がこう言いました。
「高校の物理が身に付いているなら、物理学者になれる」って。
全分野、全教科をまんべんなく勉強することもないと思いますが、自分の好きな分野、科目を作っておくととても役に立ちます。

中学や高校の勉強は役に立たないと言う人もいますが、ぼくはそれは違うと思っています。
役に立たないんじゃなくて、役に立たせることができないだけなんだと思うのです。
知識はinputするだけじゃだめで、outputしなくては役に立ちません。
学校ではinputばかり教えるので、だからそれだけでは役に立たないのです。
なぜ学校でoutputまで教えないかというと、outputは人それぞれだからでしょう。
そこまで学校が責任をとるものでもないし、実際outputまで教えられないことだと思います。
outputは自分で試行錯誤しながら身に着けるものだからです。
outputを学校で教えてくれないからといって、学校の勉強を全否定してしまうのはよろしくない。
少なくともinputはとても合理的に順序よく教えてくれる。
要は、学校の利用の仕方ですね。

『ドラゴン桜』15巻を読みました。
龍山高校では東大を目指す特別進学クラスの生徒だけではなく、一般のクラスの生徒たちも「大学に行こうかなー」と言いだしています。
一般クラスでは、大学入試に向けたような高度な授業をしているわけじゃなく、中学校レベルの基礎を教えているだけなんです。
それでも、授業がわかってきて基礎が身に付いてくると、勉強に無縁だった生徒たちも変わってくる。
まあこれはマンガの世界ですから現実はそうもならないかもしれません。
でも、真理も含んでいると思います。

桜木先生は言います。

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成長を実感できれば学校へもちゃんと来る
教室にいても居場所がないというような違和感を持たなくなる
机に座って授業を受ける普通の高校生の姿に戻れる
生活の乱れも改善され、ケンカやトラブルが減る
学校の空気が平穏になる
ちょっと勉強させるだけでこんなに変わるってことだよ
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さらに桜木先生は言います。

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学力の基礎は中学までにほぼ完成される
だから中学レベルの問題を完全に理解できたならば相当の力はついている
大学入試でも中学レベルの学習内容を応用して解ける問題は意外と多い
だから大学受験をするからといって学習レベルを無理に変えなくとも狙いどころを間違えずにしっかり対策をとれば合格はそれほど難しいことではない
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そしてこう締めくくります。

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もはや我が校の生徒はそれほどバカじゃない
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かっこいいですねー。

学校の仕事は、「畑を耕すこと」なんだと思っています。
そこにどんな種を蒔くかは、それぞれの生徒の勝手。
でも、いつでも種を蒔いて、水をやったり肥料をやったりと必要な世話をすればグングン成長できるだけの畑にしておく。
学校は、卒業したからすぐ希望の会社に就職できるとか、自分の好きなことができるというような、直接役に立つところではなくなってるのは確かです。
でもその役割は依然としてあるんだと思います。
それは畑を耕すこと。必要なinputをしていくことを通じて。
「我が校の生徒はそれほどバカじゃない」と言えるような学校であってほしいなと思っています。

2009年8月24日月曜日

名前の残る仕事がしたい

こんにちは

ぼくはぼく自身のやった仕事をある意味「誇り」にしています。
機会を見つけて、時間をやりくりして、自分の造った建物を何度も何度も歩き回ります。
そのためにちょっと早めに出張に出かけたり、数時間帰宅が遅くなったりしますが、オトクなことの方が断然大きいんです。
そこで既に仕事をしている人と話をしたり、建物施設の使い方や設計思想を話したり、困っていることを相談をされたりするのも有益。
不具合の発見も早くなるし、人とのつながりができていれば解決は早い。
だって詰まるところ、トラブル解決は人間関係、なんですから。
そしてそうやって得たノウハウを次の研究棟を造るときに活かしていく。
オトクですぜー。

要するにぼくは、自分の名前の残る仕事、をしたいと思っているのです。
インターネット掲示板でも、匿名の掲示板は荒れます。
なぜなら、匿名なら無責任な発言が可能だからです。
誰だか分からないなら、責任を追求されることはない(ホントはあるんですが、そう誤解している人が無茶苦茶な誹謗中傷を書き込み続けています)。
仕事だってそれと同じです。
誰がやったか分からないような仕事は無責任になりがちです。
それにも増して、誰がやったか分からないような仕事には熱がない。
責任があり、面白い仕事をしていくためにも、オレのやった仕事だ、ということをハッキリ全面に出していく必要があると思っているのです。
無責任な人ほど、つまらない仕事をしている人ほど、自分の名前を公にするのを嫌いますしね。
これまでも職場内では、職場内ホームページなどで工事の進捗状況や出来上がった建物の紹介などをしてきました。

今年からはより広く世の中に向けて自分の仕事をアピールしていこうと思って、XFEL建屋建設について加速器学会で発表してみました。
これがなかなか好評で、多くの学会参加者から「おもしろいやり方だ」「うちでもやってみたい」というお言葉をいただけました。
中には「おもしろいと思うけど、実際に上手く稼働するかどうかが重要だ」という厳しい指摘もいただきました。
確かに、動いてナンボの施設です。
でもこうやって、自分の名前を公にして発表したからには責任もより大きくなります。
トラブルがあってもオレがちゃんと対応していくぜ、プロジェクトは絶対成功させるぜ、という気になりますから。
名前が出てて失敗しちゃったら、かなりみっともないしね。

論文には、建設工事で苦楽を共にした設計会社や施工会社のスタッフも共著者に入ってもらいました。
大変な工事をしてもらった感謝の気持ちもあります。
そしてそれよりも、彼らにも自分の仕事に誇りを持ってもらいたいからです。
誇りを持つとは責任を持つことでもある。
工事が完成してそれでお終い、ということにはしてもらいたくないのです。
時々は時間と機会を見つけて、自分の関わった仕事のその後を見に来てほしい。
できれば、自分の子どもも連れてきて、これはオレが造ったんだぜ、と自慢してほしい。
そのためには、トラブルがあったとき迅速に責任ある対応をする必要があるでしょ。
名前を前面に出すことによって、スタッフのみんなにもより責任感を持ってもらいたい、という気持ちがぼくにはあるのです。
XFELもマシン据え付けが始まったばかりです。
これから試運転が始まるにつれ、トラブルも発生してくることでしょう。
自分の仕事に誇りをもって、それらに対処していきたいと思っています。

2009年8月23日日曜日

厳しさの中の優しさ

こんにちは

出張中に届いた晶ちゃんからのメール。

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よっちゃん、おはよー!
今日は幼稚園の夏期保育&夕涼み会です。

昨日、はっちゃんに「明日は早起きするんだよ。幼稚園に行くんだからね。」と言ったら
「うん。わかった。早起きする。」というので、私が「でも、お母さんが寝坊しちゃったらどうしよう」と
言ってみたら「そうしたら、はっちゃんが起こしてあげる!」だって。

今朝、とんたんが5時頃から起き出して、がさごそやっていたのですが、私はまだ眠かったので、放っておきました。
6時ちょっと前にはっちゃんが「おかーさーん、朝ですよー」だって。「早く、早く、幼稚園に遅れちゃうよ」だって。
そしたら、とんたんが「ようちえん、おわっちゃうよ」だって。(いや~、そこまで寝てたらさすがに寝過ぎでしょう~。)

昨日まで朝7時半すぎまで寝ていた子がこの変わりよう!
はっちゃんによると「はっちゃん、すぎさんのときは幼稚園きらいだったけど、ひのきになったら幼稚園すきになったの」だそうです。
「どうして?」と聞いたら「しまざき先生はおこるけどすぎさか先生はやさしいから」だそうです。ははは・・・。

あと「今日、よっちゃん帰ってくる?帰ってくるなら幼稚園がんばる!」とも言っていました。
おみやげ、期待しているようですから・・・。

そうそう、昨夜のごはん、私がてんぷらをつくりましたよ。
二人のリクエストがありましたので。
二人とも大喜びでウインナーとちくわのてんぷらを食べました。
ああ、よかった。

では今日もお仕事ばりばりがんばってきてくださいね。

しょはと
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こういうメールをもらうと、元気が出ますねー。
先週の出張はトラブル解決のために臨時出張。
嫌なことも言わなくちゃならないし、頭も下げなくちゃならないし、強く議論もしなくちゃならない。
やる気満々男のぼくでも、あまりやりたくない仕事だわね。
でも、仕事は人の嫌がることをやってナンボのものだし、それが自分の枠も広げていくものです。
おまけに、トラブルを迅速に解決できれば、反って信頼も厚くなるってもんです。
家族の顔を思い浮かべながら、がんばってやり抜きました。

はっちゃんが「しまざき先生はおこるけどすぎさか先生はやさしいから」と言ったそうですが、実は怒る人の方が優しかったりするんです。
間違いに対してはキッパリと怒れる。
なあなあにしてしまったら、間違いは繰り返されるわけです。
どっちが相手にとって優しいことでしょうか。
そういう、厳しさの中にある優しさを、はっちゃん、とっちゃんにも分かっていってもらいたいなーと思っています。

波及効果

こんにちは

とっちゃんは何でもはっちゃんと同じことをしたがります。
高いところにのぼって歩いたり、そこから飛び降りたり。
まだとっちゃんには無理だよ~って思って見ています。
ところが何度かトライしているうちにできちゃうんですよ。
不思議不思議。

はっちゃんと同じことをやりたい、という強い意志が働くんでしょうね。
そして、はっちゃんができるならぼくもできるはずだ、と思う。
そして現実にできるようになっちゃう。
そうすると、はっちゃんの方もより困難なこと(たいていは危ないことなんだけどねー)に挑戦していくんです。

こういうのを「波及効果」と教育学では言うんだと思いました。
学校に行く理由も、ひとつには波及効果が期待できるから。
自分ひとりではとてもできないと思えることでも、身近な友だちがそれができる事実を目のあたりにすると、自分もできるはずだと思える。

人生には、自分より一歩先に行くライバルが必要なんです。
今のところ、とっちゃんはっちゃんにとって兄弟がライバルなんでしょう。
年齢の近い同性の兄弟がいる最大のメリットですね。
ライバルがいると、お互いがお互いを真似して自分を高めることができる。
しばらくは兄弟がいい意味でのライバルでいてほしいですね。
そして小学校高学年か中学生になった頃、学校の友達や先輩によきライバルを見つけてもらいたいと思っています。

熱しやすく冷めやすい

こんにちは

子どもには飽きるまでやらせよ、と言うことを書いたら、ぼくの仕事上の師匠からこんな返事をもらいました。

 昔、菓子職人さんから聞いた話です。
 菓子職人になる丁稚には「腹いっぱい菓子を食わせる。」なぜなら、
 ・つまみ食いをしなくなる。
 ・菓子作りの最中よだれなど垂らすことがなくなる。
 ・菓子の味を覚えどのようにやれば「うまい菓子ができるか。」
  工夫するようになる。

なるほどー。
飽きるまでやって、その先にホンモノは見えてくるんですね。
逆に、飽きるまでやって、スパッとそれを止めてしまうのも子どもというものらしいです。
糸山泰造『子育てと教育の大原則』エクスナレッジ¥1400-から引用します。

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「熱しやすく冷めやすい」というのは子供時代の基本的で大事な特性です。
「(自分から言い出したのだから)一度やり始めたら最後までしなさい」という声を聞きますが、これは子供の成長に必要な「多様な思考モデル」の獲得を邪魔する浅はかな考えです。
12歳を過ぎた子供に対しては結構ですが、12歳までの子供に対しては悪影響があるばかりです。
特に9歳以前では使用厳禁の言葉です。
生死に関わるのであれば問題は別ですが、そうでなければ大人の嗜好で継続を強要するのは止めましょう。
本当に好きなことは隠れてでも続けます。
途中で止めることは、本当に好きなことではないのです。
スパッと快適に止められるようにサポートすることが親の役目です。(30p)
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これまた目から鱗です。
お稽古ごとなど、ついやり始めたら継続させたいと親は思う。
得にピアノとか初期支出の大きいお稽古ごとだと余計にそうなりがち。
「あなたがやりたいって言ったんでしょ。もう少しがんばりなさい!」なーんてね。
でもそれは間違いなんですね。
冷めてしまったのはそれが本当に自分が好きなことじゃないって分かったからなんですね。
だからスパッとやめさせる、止めてもいいって言ってやる、気分よく止められるようサポートするのも親の役目なんですね。
あることに熱して、飽きるまでやって、そして冷める。
これを繰り返すことのよって、子どもは自分の本当に好きなものを見つけていくんですね。

読み聞かせは宝

こんにちは

はっちゃん、とっちゃんには、求められれば本を読み聞かせてあげるようにしています。
ぼくが自分の本を寝っ転がって読んでいるときでも、「読んでください」と言われれば、自分のは中断して読んであげる。
そのくらい本の読み聞かせは大切だと思っているからです。
おかげで二人とも、本は好きですね。
身体を存分に動かすやんちゃ遊びも大好きですが、本を読んでもらって、じっとそれを聞くのも好き。

糸山泰造『絶対学力』文春ネスコ¥1400-にもこうありました。

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自分で読むことと聞いて楽しむこととは、全く違うということをご存じでしょうか。
特に、字が読めるようになったばかりの小1前後の時期には、自分で読むことと聞いて楽しむこととの間には雲泥の差があります。
なぜなら自分で読む場合には、読むこと自体にエネルギーを使ってしまい、読んだことのイメージ化が貧弱になってしまうからです。
一方、読み聞かせだと百パーセントのエネルギーをお話しのイメージ化に費やすことができるので、楽しく、しかも効果的にイメージ化することが可能になります。(略)
もちろん自分で読む本と読んでもらう本では質・量ともに差が出てくるのは当たり前で、人に読んでもらえば様々な本に接する機会も作られるわけです。
この時期、子ども自身が読書するのは単なる発音練習だと思ってください。
保護者は読む練習と読み聞かせとは全く違うものだということを知っておかなくてはいけません。(55p)
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なるほど、なるほど、我が家の方針は間違っていないってことですね。
よく子どもが小学校に入学すると、子どもが読んでほしいとリクエストしても、「もう小学生なんだから読めるでしょ、自分で読みなさい」なーんていう親がいますが、それは自分がめんどくさいだけなんですよ。
確かに、子どもに読み聞かせをするのはめんどくさいですよ。
そのめんどくささを優先させたら、失うものはかなり大きいんです。

もちろん、小学生になったら小学3年生くらいまでは、十分な音読の練習は必要です。
音読がすらすらできないと、黙読もできないですからね。
でもそれは、教科書の文章を何度も何度も繰り返し読む方が効果的。
いろいろな本をひとりで音読する必要はない。
糸山先生の言うとおり、音読は子どもにとって疲れることであり、だから訓練でもあるわけです。
気楽にお話を聞くことだけに集中し、楽しんだり知識を増やすことも大切なんです。

だから読み聞かせは大切で、ぼくは中学生にだってやった方がいいと思っているんです。
もっとも、中学生に親が読み聞かせをするのはちょっと無理かもしれず、中学生は学校の先生がやった方が効果的でしょうがね。
少なくとも親は小3まで、寝る前などに読み聞かせは続けた方がいい。
それが子どもの心とアタマを育てて、結局の所オトクなやり方だと思うわけです。

2009年8月15日土曜日

相手の関心に関心を持つ

こんにちは

最近、ストーカーになっちゃう男の子が多いみたいです。
ストーカーも愛のひとつの形かもしれませんが、迷惑ですよね。
ストーカー君は確かに相手を愛しているんでしょうが、一方的すぎです。
相手のことを考えていない、と言う意味で、自己中心的なんです。
たぶん、彼らは愛するということをちゃんと教えられていないと思うんですよ。

よく言うじゃないですか。
愛とは見つめ合うことじゃない、同じ方向を見ることだ、って。
このことを地球物理学者である鎌田さんは「相手の関心に関心を持つ」と言っています。
相手に感心を持つんじゃない、相手の関心が何かを理解し、その相手の関心に寄り添っていくことが、ホンモノの愛なんだって。
鎌田浩毅『ブリッジマンの技術』講談社現代新書¥720-から引用しますね。

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ストーカーにならないためには、どのようにしたらよいだろうか。
そこで、「相手の関心に関心を持つ」という考え方が出てくる。
これは、相手の好きなこと、嫌いなことを察知して、それに応じて自分の行動を決めることである。
「関心に」という一言を加えただけで、まったく違う状況が現れるのだ。
「相手の関心に関心を持つ」とは、いま相手が何を考え何を欲しているかなど、目の前の相手の状況すべてを推し量ることである。
その結果、相手の好きなことをしてあげ、相手に合わせて、お気に入りのメニューを差し出すのである。
一方で、相手の嫌なことは決してしない。
相手の関心に丁寧に合わせて行動するのである。
これがブリッジマンになるための一番基本にある法則なのである。(38-39p)
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ブリッジマンとは、相手と自分を橋渡しできる人のことです。
橋渡しするための鍵は「相手の関心に関心を持つ」ことなんですね。
それが分からないとストーカーになっちまうんです。
鎌田さんはこうも言います。

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恋する相手から気に入られたいときに見つめるのは、自分の気持ちではない。
はやる自分の気持ちを抑えて、冷静になって相手の気持ちを推し量るのである。
相手は何を欲しがっているのかを考えてみよう。
「相手の関心に関心を持つ」ことができて初めて、片思いから両思いへと進展させることができるのだ。(41p)
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はっちゃん、とっちゃんにはストーカー野郎になってほしくありません。
だから、ブリッジマンになるべく育てていきたい。
そのためには、はっちゃん、とっちゃんが何に関心を持っているのかを常にリサーチし、その関心の方向へ伸びるように手助けしていきたい。
それがぼくら親が子どもを愛することなんだって、実践的に教えていくことになると思うのです。
それで、はっちゃんとっちゃんが女の子を好きになるような年齢、小学校高学年かな、になったら、「相手の関心に関心を持つ」ってフレーズを教えるんです。
きっと、ストンと心に落ちるんじゃないかな。
相手の関心に関心を持つ、っていいフレーズですよねー。