2009年10月31日土曜日

勉強は楽しい!

こんにちは

ぼくは言ってみれば二流、三流大卒です。
ちょっとはコンプレックスはありますが、三流大卒でもそんなに負けてはいないと自負しています。
たまたま勉強の重要性に気付くのが遅かったので、こういう学歴になっただけだと思っています。
学校を卒業した後も右往左往しましたが、それなりに勉強を続けて積み上げてきているので、今のぼくがあると思います。

つまり、勉強の重要性にいつ気付くのかで差が付いちゃうのは確かですが、勉強し続ける、意図的に継続することが大事なんだと思います。
たとえ一流大卒だとしても、学歴なんか卒業後せいぜい5年くらいで神通力は消えます。
卒業した後も、意図的、継続的に学び続けているかどうかで、その人の現在価値が決まってしまうのです。
学ぶことを止めたとき、あっという間に失速して墜落してしまいます。

ただし一流大卒の人は、既に学び続ける習慣と学ぶための技術が身についている場合も多いので、かなりのアドバンテージがあることは確かです。
でも、大学生になったとたん、社会人になったとたんに、学ぶのを止めちゃう人も多いんです。
もったいないことだと思います。

「厄年」というのがあります。男は42歳前後でしょうか。
厄年は「役年」ともいいます。ワープロでもどちらもちゃんと変換されます。
厄年、役年というのは、この年代で人間の価値がはっきりしてしまうということも示しているのです。
20代、30代を学び続け精進してきたかどうか、評価されてしまう年代が42歳頃なんです。

学び続けて自らの能力を上げ、今なお学び続けて右肩あがりの人には42歳頃になると「役」が着く。
学ぶことを怠り、ただいまある能力だけで過ごしてきた人は42才頃になると「厄」が着いちゃうんです。
役というのは、社会的に評価される、ということです。
社会的に評価されないと厄になっちゃう。

渡部昇一『思考の方法』海竜社\1400-から引用します。

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企業の経営者で忙しく働きづめなのに、なぜか楽しげな人がいる。
あるとき、そんなタイプの人に、「毎日毎日仕事で忙しく飛び回っているのに、よく陽気な顔をしていられるものですね。いろいろ心労も多いでしょうに」と言ってみたことがある。
すると、相手はこう言ったのである。
「いや、私は頭は使うけれども、神経は使いませんよ」
この答えに、私は心底感心してしまった。
ブツクサと不平不満をこぼして神経をすり減らすのと、不満の解消法を考えるのとでは、まったく違うということである。
不満に対して神経を使うのと頭を使うのとでは、天と地ほどの違いが出るのだ。
闇雲に心配するだけでは「考えた」ことにはならない。
あることに対してクヨクヨと心を悩ませていても、何の問題解決にもならない。
ところが、問題があればあるほど、その解決策を「考え」、問題点をさばいていくことに喜びを感じられるようになれば、どんなに忙しく、どんな困難な問題が生じてこようが、健康で陽気に生きていけるのだ。(23-24p)
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学び続けてきた人だからこそ、考える力が身についている。
考える力があるから、問題をザクザクとさばいていける。
そういう人だからこそ役も付いている。
そういう人だからこそ、健康で陽気に生きていける。

反対に、厄が着いちゃった人はどうか。
考える力がないので、問題が片付かず、どんどんたまってしまう。
それが悩みになり、ブツクサ不平不満をこぼして神経をすり減らす。
すると陰気にもなり健康も損なわれていく。

厄年と役年、その差が明確になるのが42歳頃だというのは、人間の法則のようです。
ほら、職場を見回してみてください。
40歳を過ぎたおじさんたちを見比べてみてください。
ニコニコしている人と、暗い顔している人、はっきり二分されちゃっているのが分かるはずです。

さて、きょうはお台場科学未来館でサイエンスアゴラです。
ぼくも子どもたちと楽しく実験教室をやってきたいと思います。
勉強の楽しさを子どもたちに少しでも伝えられたらいいなーって思っています。

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