2009年11月30日月曜日

出口を決める


こんにちは

先日、地方に住む親戚から電話がありました。
中3の娘が修学旅行で東京に行くのだが、そちらの気候はどうか、寒いなら上着をもう1枚持たせたいから、という内容。
子どもは中学3年生にもなっているんだから自分で判断させればいいのに、と思いました。
自分で東京の天気予報を調べて、予想気温から判断して、上着を持っていくかどうか決める。
あるいは、荷物が多くなるのが嫌だから、ちょっとくらい寒くても我慢しよう、と判断する。
風邪をひかないか心配だという親心も分かりますが、親が何でもかんでも先回りで配慮しちゃうと、子どもの判断力が育ちません。
子どもが自分で判断して、その結果失敗したとしても、それもいい教育だと思うのですが。

逆に親が判断したことが失敗したとしたら、子どもはどう思うか。
お母さんのせいで失敗したんだ、という怨みが湧き起こります。
上着を持っていったのに寒くなかったら、余計な物を持たせやがってって。
持って行かなくて寒かったら、気がきかねえなって。
そういうことが続くと、何でも親のせいにするようになってしまう。
それはいい教育だとは思えません。
そういうことを続けると、何でも人のせいにするような人間になってしまいます。

齋藤孝『教育欲を取り戻せ!』NHK出版生活人新書\660-から引用します。

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親子における教育関係が、ともすると親の支配欲や名誉欲、そしてそこから生まれてくる行きすぎた教育欲などに影響されやすいということは、先に述べました。
肉親であるがゆえに感情が先走り、子どもに理不尽な思いをさせてしまうのもよくあることです。
そしてそのような前例は非常に多く存在します。
では、そのような轍を踏まないためには、どうしたらいいのでしょう。
いちばん効果的な予防法は、あらかじめ卒業の時期を決めてしまうことです。
例えば自分が勉強の面倒を見るのは小学生のうちだけ、とか、10歳になるまでは塾にやらず家で教える、とかいうように、きっちりといつまでと区切りをつけて、それ以降は潔くほかの先生に預けてしまうのです。
出口を決めることで、そこから「教育の時間」を逆算することができ、冷静な計画が立てられます。
そうすれば感情に振り回されることなく、お互いに落ち着いて教育関係を築き上げることができます。(83-84p)
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親が先回りして子どもの世話をしてしまうのは、もしかしたら支配欲なのかもしれませんね。
子どもは子どものままでいて欲しい、いつまでも自分のもとにいて欲しいという気持ち。
幼児だった頃のように、いつまでも親に甘えて欲しい気持ち。
肉親なので離れがたいのもわかりますが、これは子どもの自立を阻害します。
子どもはいつかは親から自立していかなくちゃならないのです。
子どもが学校を卒業するように、親からも卒業しなくちゃいけない。
それには、親も子どもから卒業しなくちゃいけない。
そのために、あらかじめ「卒業時期」を決めてしまうのもいい方法だなと思いました。

我が子たちは全寮制の中学に入れたいと思っています。
なぜなら、親も子どもから離れる時期が必要だと考えているからです。
はっちゃんもとっちゃんもめちゃかわいいので、家にいたんじゃ離れがたくなるのは必至です。
いつまでもべたべたかわいがっちゃう恐れ大。
適切な卒業の時期を逃してしまいそうなんです。
なので、物理的に距離を置く方法をとるわけです。
強制的に卒業時期を決めてしまうのです。

10才、小学4年生までは厳しくしつけをしつつ、たっぷり愛情を注ぐ。
もちろん読み書き計算の勉強もみっちり教える。
小学5年生になったら、よい先生に着いて勉強を習う。
そして中学生になったら親元を離れる。
そこで第1期親子関係を卒業する。
今はそんな計画にしています。

あ、そのためにも「先立つもの」が必要ですね。
ぼくも自分を磨き続け、社会から必要な求められる人材であり続け、しっかりと稼いでいかなくちゃねー。

正しい面倒くさがり方


こんにちは

さて、その後の家出君です。
おかげさまでヘルパー講習の座学と実技講習は完了。
残すは現場実習4日間のみとなりました。
予定通り12月中旬には免許をもらって、郷里である北海道に帰れそうです。
とは言え、それほど順調でもなかったみたい。

先週末我が家に家メシを食いに来る予定でしたが、連絡もなくドタキャン。
まさか、また逃亡?
信用のない人間は悪い方悪い方へ思われちゃいますよ。
我が家に来る時刻を3時間ほど過ぎた時に電話がありました。
「金曜日の晩に胸が苦しくなって、一晩入院して点滴してもらっていた。
退院したけどまだふらふらするので、今日は先生の家に行けない。
明日も宿で静養する」
ああ、一安心。逃亡ではありませんでした。

聞けば、所持金が底をついてきた。
宿代はヘルパー講習が終了するまで払い込み済みだから、寝るところには困らない。
でも飯代が乏しくなっていたようなんです。
なんと残金2万円。
とてもあと半月、まともに食っていくことはできませんよ。

なので飯代をケチってしまっていたようなんですね。
それじゃあ体力もなくなって、病気にもなろうってもんです。
やっぱり一番の節約は健康なんですよ。
健康を損なうような節約は、結局損なんです。
彼も一晩入院して1万円以上かかってしまったわけですから。

結局の所、彼のご両親から援助してもらうことに。
それで一息つきました。
まったくダメな人に限って、人に頼るってことを知らないんですよね。
適当な時期に自分から助けを求めない。
それで倒れちゃって、誰かが手をさしのべるのを待つ。

で、今週末は我が家に家メシを食いに来ました。
がりがりにやせて、体重44kg。ぼくの半分だよ、これ。
まるでアウシュビッツから出てきた人みたい。
我が家の家メシをガツガツ食ってました。

ヘルパー講習のめども立って、ご両親からのお金も入ったので、北海道までの航空券を予約してしまうことにしました。
せっかく援助してもらったお金を使っちゃって、帰れなくなったら困るからね。
って、やっぱり信用ないんだねー、家出君!
あはははは。

我が家のパソコンからインターネット予約。
スカイマークで羽田-千歳\9500-のチケットを予約。
そうしたら家出君、びっくりしてるんです。
「え?そんなに安いの?いつも35000円もしてるのに」だって。
JALやANAの通常料金ですね、この値段。
いろいろ安いチケットを調べたりせず、当日ふらっと空港に行って、搭乗券を買う。
そういうやり方をしているからです。

人は誰もが面倒くさがりなんです。
が、人によって面倒くさがり方が違う。
避けがたい困難に直面したとき、人は二つのタイプに別れる。

1.調べたり人に聞くのは面倒だから、今の自分の知識と経験を基にして考える

2.自分で新たに考えるのが面倒だから、人がすでに考えていて効果のあるものを探し、
  それを真似して利用する

1はオリジナリティは発揮でき、時に大当たりしたりしますが、失敗する確率の方が大きい。
当たってもまぐれ当たり、99.9%は失敗に終わります。
行き当たりばったりで、どうしても「自己流」の範囲にとどまってしまうから。
だから、損することも多い。
いや、損ばかりしちゃうんです。

2は確かに「個性」は発揮できませんが、ヒットの確率は高い。
大当たりはしないかもしれませんが、失敗のリスクは避けられます。
コンスタントにいい結果を得られるのです。
頭のいい人たちはこっちの考え方をする。
得ですよー。
最悪の場合でも、損はしないですむ。

面倒くさいと思うのは誰もが同じだけど、どういう面倒くさがり方をするかで得になるか損になるか、二つに分かれます。
頭のいい人はリスクを避けた面倒くさがり方をする。
その方が「生き残って」いけるからです。
生き残って行ければ、次のチャンスもやってきます。

しかし、他人の考えたよい方法を利用するだけでは、発展がないようにも思えます。
でも数をこなしていくうちに、自分に合ったやり方=オリジナルへと進化させていくことができます。
自分なりの統一したやり方が身に付いていく。
これぞ自己流から脱した「個性」ですね。
そしてそれがまた他の人の役にも立っていく。

我が教え子も、少しでもそういうやり方を身につけていって欲しいと思っています。
無理かなー??

感動する心


こんにちは

『崖の上のポニョ』のDVDを買いました。
今年の夏、児童館での映画会で途中まで見ました。
でも映画の途中ではっちゃんとっちゃんとも飽きちゃって、最後まで見なかった。
ぼくも結末が気になっていたので、アマゾンで購入。

日曜日にさっそく子どもたちとビデオ鑑賞。
やっぱりとっちゃんは途中で飽きちゃって、最後まで見ることができませんでした。
ところがはっちゃんは画面に見入っています。
最後まで見続けました。かなり集中して。

そしてエンディング。
ポニョが人間の女の子になる場面。
なんとはっちゃんの瞳が潤んで、涙をぽろり。
感動してるんです!

いや~、成長しましたね~!!
嬉しい、嬉しい!

2009年11月26日木曜日

Noと言う義務

こんにちは

最近、セクシャルハラスメントとかアカデミックハラスメントとかパワーハラスメントというのが話題によくなります。
労働組合の課題として、セクハラ、パワハラの防止にも取り組んでいます。
セクハラ、パワハラがあるような職場にはしたくないですからね。

でも逆に、おじさんが何言っても「あ、それセクハラだよ!」なんて言われちゃったりして、たじたじ。
誰が見ても明らかにセクハラだというものもありますが、人によってセクハラになったりならなかったり、ダークなエリアってありますよね。
たとえば女性が髪を切って来たとき、「失恋したの?」は限りなく黒に近いセクハラかもしれませんが、「いい髪型だね、似合ってるよ」と言うのはどうか。
そう言われて嬉しい場合もあれば、嫌な場合もある。
この言葉だけじゃセクハラに当たるのかどうか明確ではありません。
誰に言われたことなのか、お互いの普段からの関係性もあります。
好感を持っている相手からなら嬉しいし、嫌悪感を持っているおじさんからだったら嫌でしょう。

セクハラに当たるのかそうじゃないのか、どうやって見分けたらいいのでしょうか。
あまりに「言論統制」が厳しいと、返って職場をぎくしゃくさせてしまうように思います。
何か客観的で明確な基準はないのでしょうか。

職場におけるセクハラの禁止の法的根拠は、1997に改正された「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(通称;男女雇用機会均等法)第21条にあります。

 (職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の配慮)
 第二十一条  事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用
 する女性労働者の対応により当該女性労働者がその労働条件につき不利益を受
 け、又は当該性的な言動により当該女性労働者の就業環境が害されることのな
 いよう雇用管理上必要な配慮をしなければならない。

キーワードは二つ。
「労働条件に付き不利益を受ける」
「就業環境が害される」
一言でいってみれば、働きにくくなる、そして、生産性が落ちるってことです。
労働者が働きにくくなり、生産性が落ちるような言動が、セクハラでありパワハラなのです。
均等法はさすがよくできた法令だと思います。
生産性をインデックスにしておけば、誰から見てもその言動がセクハラ、パワハラかどうか明確に切り分けられるのです。

でも、鈍感なおじさんってやっぱりいるんですよ。
相手が嫌がっていて、働きにくくなっていて、生産性が明らかに落ちているのに気づかない。
あるいは気づいているのかもしれませんが、自らの欲望を抑えられないのか。
そういうおじさんに対抗するにはどうすればよいのでしょうか。

この法律に基づいて、厚生労働省にセクハラ相談窓口が設置され、相談を受けると共に企業に対して行政指導ができるようになりました。
松永真理『シゴトのココロ』小学館\1365-に、この相談窓口のカウンセラーの話が載っていました。

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ただ、何がセクハラであるのかを理解しないで相談にくる人がまだまだ多いらしい。
被害にあったとされるのは女性がほとんどで、「誘ってきた」男性の上司を訴えたい、と相談にやってくる。
「では、あなたは上司に自分の意志を伝えましたか?」
と聞くと、伝えてないケースが結構多いということだ。
「ノーと言う権利」があると同時に、「ノーと言う義務」もある。
それなのに、上司を一方的に加害者にしようとするのは、セクハラの問題を取り違えていることになる。

 「加害者を見つけだして罰するための法律ではありません。
  セクハラという切り口を使って、職場の機能不全に気づいてもらうための
  ものです」

カウンセラーの話は、明解だった。
男女雇用機会均等法は真の男女平等を目指して作られたもので、男性が女性をイクォールパートナーとみなさないことを罰すると同時に、女性側にも甘えは許されないということを言っているのである。
ではいったい、どうしたらいいのか。

 「自分の気持ちをきちんと伝えるアサーション能力を磨いていくことです。
  アサーションとは主張という意味で、相手を攻撃せずに主張する自己表現のことです。
  女性が長く働きたいと思うなら、自分はこういう人間ですということを
  表現していかなくてはなりません。
  日本では、主張というとすぐに攻撃的な印象をもたれますが、
  きちんと主張していくことは社会人としての基本的マナーでもあるのです」(81-82p)
##

なるほど、なるほど。
セクハラといえども基本は<相手の嫌がることをしない>であり、<嫌なことをされたら嫌とはっきり言う>ことなんだと、再認識しました。
相手を攻撃するのではなく、やんわりと自分の気持ちを伝えていく。
その能力をアサーションと言うのですね。
当然それは相手の生産性も奪ってはならない。
働きやすい職場環境を維持することを抜きにした自己主張はいけない。
だからといって嫌なことを我慢するのはダメ。
我慢すると反って職場環境を悪化させ、自分や周りの生産性を落とすからです。

これは女性だけじゃなく、男性も同じですよね。
「相手を攻撃せずに主張する自己表現」が社会人として身につけるべき能力なんだと思いました。

2009年11月24日火曜日

築城3年、落城1日

こんにちは

事業仕訳で心配していた次世代スパコンプロジェクトですが、応援してくださる方も多く、明るい希望が見えてきました。
文科省へのパブコメも何千通と届いているらしく、そのほとんどがスパコンプロジェクトはやるべきだ、というものだったそうです。
嬉しいですねー。ありがとうございます!

次世代スパコンで使われる予定のCPUも完成しています。
CPU単体での性能は世界一、計算速度あたりの消費電力も世界一という優れもの。
現在日本2位のスパコン、JAXAで稼働開始したFX-1は、このCPUの一世代前のSPARC64 VIIを使用していますから、実績、安定性という意味でも有望です。

事業仕訳で蓮舫議員が「1位じゃなくちゃだめなんですか。2位でもいいじゃないですか」とおっしゃっていましたが、2位でもいいんです。
1位を取ることが大事じゃなくて、「使えるスパコン」が必要なんです。
2位でも3位でもいいんですが、日本に世界トップレベルの高性能スパコンがあることが大切だと思います。
でも30位じゃダメなんですよ。

もちろん遅いマシンでも計算はできますよ。
パソコンレベルのマシンだって、時間さえかければどんな計算もできるんです。
でもその時間が現実的に有意な時間なのかどうかが問題なんです。
パソコンでもできるけど100年もかかるとしたら、意味のないものになってしまいます。
次世代スパコンに使われるCPU SPARC 64 VIIIfxの単体での計算速度は128ギガフロップス。
ぼくらが使っているパソコンの計算速度はせいぜい3ギガフロップス程度ですから、50倍近い差があります。
まして次世代が目指す10ペタフロップスと比べると、300万倍にもなります。
次世代スパコンで1日で完了する計算をパソコンでやろうとすると、300万日=8200年もかかるわけです。
8200年先に結果の出る計算に、まるで意味はないと思います。

現在のtop500リストによると、1位のアメリカジャガーは1.7ペタフロップス、日本最速の地球シミュレータⅡは120テラフロップスで31位。
1位と30位の速度差は15倍近くあります。
つまり、同じ計算をするために、30位のマシンでは1位の15倍もの時間がかかる、ということです。
たとえば1位のマシンなら1日でできる計算が、30位のマシンでは15日間かかるわけです。
日本最速のマシンを15日間もひとりで占有して使えることなんかできません。
割り当てられたマシンタイムをやりくりして計算結果を出すには、さらに多くの日数が必要になってしまうのです。
この時間差が、科学や技術の開発力の差になってくるわけです。
だからトップレベルのマシンが日本にないとやばいんです。

トップレベルのマシンを造るには、最初から2位、3位を目指すことなんかできません。
各国が今現在の技術レベルで達成可能なマシンを、しのぎを削って開発しているのです。
各国の技術差はごく僅かです。
1位を目指さない限り、トップレベルのマシンは造れないのです。
もちろん総額1200億円という膨大な税金を投入しての開発ですから、無駄なく着実に実行する必要があるのは当然です。

最近のぼくの座右の銘は「築城3年、落城1日」です。
城を築くためには3年間コツコツとやり続ける必要がある。
でも油断したらたった1日で落城してしまう。
築城も落城も一番大切なのは「信用」「信頼」でしょう。
信用、信頼を得るためにはコツコツとした努力を3年続ける必要がある。
でも信用を失うのはあっという間なんです。
心してぼくの役割を着実に果たしていきたいと思っています。

2009年11月23日月曜日

親のめんどうをみなさい


こんにちは

11/21は、はっちゃんの満5歳の誕生日でした。
5歳になったらはっちゃんに伝えたいことがありました。
小児科医の田下さんの本に書いてあったことです。
すなわち、大人になったら親のめんどうをみて欲しい、私たちも君に期待している、ってこと。
子どもは誰かに期待されている、頼られていると思わないと、正しく育たないんだそうです。
期待されている、頼られているから、しっかりしようと思うものです。
大人でもそうですよね。
期待されない、頼られないって、寂しい人生だもん。
もちろん過度な期待はいけませんが、適度な期待は責任感を育てます。

誕生日の夜、寝る前にはっちゃんに言いました。正座してね。

 はっちゃんが5歳になったから、伝えたいことがあります。
 はっちゃんが大人になるとき、お父さんもお母さんもじいさん、ばあさんになっています。
 はっちゃんは立派な大人になって、お父さん、お母さんのめんどうをみてください。

はっちゃんは元気に「はい!」って答えてくれました。
ちょっと目が潤みましたよー。
さて、はっちゃんの心の奥底に染み通ったかな。

2009年11月19日木曜日

ともかく木に登れ!

こんにちは

ぼくは変人道を邁進するためにも人付き合いを悪くしています。
嫌いなものは嫌い、と割り切って、必要最小限の付き合い以外は切り捨てる。
人間関係というのは鏡のようなもので、こっちが嫌いなら向こうもこっちのことが嫌いなわけです、たいていは。
それならイーブンなわけですから、必要最小限以外の付き合いを止めることは相手にとってもメリットとなります。
相手だって嫌な奴と付き合う時間は少なくしたいでしょうからね。
そう考えると楽になります。

よのなか、2割くらいの人に嫌われても、同じく2割くらいの人には認めてもらえているものです。
学校の一クラス40人で考えれば、その2割8人くらいとはそりが合わないのは当たり前。
その代わり8人くらいとは非常に仲良くなれる。
そんなもんなんだと思います。
そして、何人かでも自分を認めてくれる人がいれば、何人かに嫌われたって平気のはず。
嫌われまいとして嫌われている人の方ばっかり見ているから辛くなるわけで、自分を認めてくれる人の方に注意を向ければ、意外と自分のシンパは多いんだってビックリするくらいなんです。

嫌われまいとしてそっちに自分の労力をかけるのはムダです。
誰からも嫌われないようにばかりしていると、精神が摩耗します。
精神が摩耗すると、本当は自分を好いていてくれる人に対する配慮がなくなってしまい、シンパが減っていってしまいます。
それは全くの損ですよね。
だから自分を認めてくれる人の方を向いて、そっちを大事にする。
その方が断然オトクなんです。

かくいうぼくにも、変人のぼくを認めてくださる方がいらっしゃいます。
こそばゆくなるくらい誉めてくださるんです。
あまりにこそばゆいので「そんなに言われると木に登っちゃいますよー。オレ、ブタになっちゃうよ」と言いました。

するとその方は次のように言ったんです。

 いいじゃない、登っちゃえば
  おだてだろうと何だろうと、とりあえず登ってみればいいんだ
   すると木の下では見ることのできなかった風景が見えてくる
    それだけでも登る価値はあるんだよ

あー、さすがです。
目からウロコが落ちました。
信頼できる人の言うことは素直に聞いてみるものです。
いい言葉だったんで、紹介しました。
さて、今日も木に登りに行ってきますかー!

2009年11月18日水曜日

Interestとは何か

こんにちは

昨日は労組団体交渉。
ぼくは執行委員長ですので、主役となって交渉にあたりました。
交渉ネタは冬のボーナス。
昨今の我が国の経済状況、新政権による事業仕分けなど、我が社のようにほぼ税金で運営している会社はとても厳しい状況です。
金額的に大幅なダウンは避けられない。
我が社はたくさんの研究成果を挙げているのは確かですが、だからといってそれを評価して賃金やボーナスを増やしてくれるわけでもないのが悲しいところ。
強硬に戦っても得るものはなく、支給が遅れるなど失うものの方が大きい。
ならば金額については譲歩する方が得策であると判断しました。

その代わり、お金のかからない労働条件の改善を要求しました。
育児や介護の時にお休みが取りやすい方策、有給休暇を取りやすくする方策など、いくつかアイデアを提示しました。
その中から二つ三つでも実現させたいと思っています。
この点については使用者側とも利害が一致するので、たぶん実現するのではないかと期待しています。
来週にかけて交渉は続きます。
がんばろっと!

さて先日、技術士会情報工学部門の勉強会で「ハーバード流交渉術」についての講演を聴いてきました。
面白かったことをメモしておきますね。

interestという英単語を知っているでしょうか。
中学校でも習う単語ですから、ほとんどの人は見覚えのある単語だと思います。
その意味を思い浮かべてみてください。
たぶんほとんどの人は「興味」という意味だと記憶しているはずです。
ところが、interestという単語の意味には「利害」という意味もあります。
知っていましたか。ぼくは知りませんでした。
辞書を引いてみると、興味という意味より先に利害という意味が載っています。
利害の方がよく使われる意味なんでしょう。
同じinterestという単語が、興味と利害の二つの意味で使われる。
興味と利害とは、まったく関係のない意味のように思えます。

たとえば、ある姉妹の前にオレンジが一つあるとします。
二人ともオレンジが欲しい。
このオレンジを二人で分けるとします。
欲しいということは興味があるということです。
二人ともが同じ一つのオレンジを欲しがっているということは、そこに利害が発生しています。
二人は一つのオレンジをどのように分けるべきでしょうか。

一番単純なのは、二つに切って半分ずつ分けることです。
でも、オレンジは半分になってしまうので、満足度も半分になってしまう。
いがみ合ったまま、オレンジを半分ずつ分けるしかありません。

もう少し各々のオレンジに対する興味を確認し合ってみます。
すると、お姉さんはそのオレンジでマーマレードジャムを作りたかった。
妹はオレンジジュースを作りたかった。
そんなことが分かるかもしれません。
それならば、お姉さんには皮、妹には実と分ければいい。
そうすれば、お互いの満足度は1になります。
二人の合計満足度は1+1=2になるわけです。

もしかすると、1個分の皮でジャムは2人前できるかもしれません。
ジュースもカクテルにすれば2杯分できるかもしれません。
それならば、姉も妹も満足度2倍、合計2+2=4にもなるわけです。

つまり相手の興味をよく聞いてみて理解してみると、あんがい自分の興味と違っていたりすることもあるのです。
同じ対象物への利害でも、お互いの興味が違っていれば解決の方法も見えてくるのです。
あるいは、もしかするとまったく同じ興味を持っていることだってあるでしょう。
その場合は利害が対立したままになってしまいます。
その場合は、自分が自分の興味をずらしてみるのも解決への一つの方法です。
お互いともジュースにしたかったと言うとき、自分の興味をマーマレードへと変えてみるわけです。
あるいは相手に、マーマレードもいいんじゃないの?と提案してみる。
それでお互いが納得すれば、やはり満足度の合計は大きくなっていくのです。

利害が対立したとき、interestを「興味」と「利害」という二つの意味から見てみると、win-winへの道が見えてくるように思います。

2009年11月17日火曜日

棟梁になりたい!


こんにちは

先日、来年度我が社へ入社する内定者の若者諸君を、我がスパコン棟建設現場に案内しました。
若者たちからその感想が届きました。
若者といってもそんじょそこらにいる若者とは違います。
理研に入ろうという、日本の科学技術を背負って立つぞという志のある「変人」たちです。
感想文には知性も教養も感じられました。
その中にこんなことが書いてありました。

 神戸研究所の次世代スーパーコンピューター施設の建設現場では、まず外観で、
 コンピューターが入る建物として想像していた以上の施設規模に圧倒され、
 内部に入って、それぞれ直下から送風して冷却しなければならないほどの
 コンピューターが立ち並ぶ様子を想像してまた圧倒されました。
 こちらも運用開始されてからでは入ることができないだろう空間、特に免震装置が
 連立する地下の免震階にまで入らせていただき、精密で巨大な施設を建設する現場を
 肌で感じることができました。

よろしい、よろしい。
やはり実物はインパクトありますよね。
大きな仕事をしていくということを、実物を見ることによって肌で感じる。
若者の心にしみ通ったことと思います。
さらに、こういうことも書いてくれた若者もいました。

 建設現場で説明して下さった関口さんは、最初現場で働く棟梁さんかと
 勘違いしてしまったほど現場に馴染んでいらっしゃって、こんな大きな
 施設の建設に立ち会えることをとてもうらやましく思いました。
 もし私がこの現場にいたならば、この先長く働き続ける施設の設立に
 関われたことは一生の誇りになるだろうと思います。
 理研の事務職員の業務内容の幅広さを改めて実感し、ますます楽しみになりました。

おーー、嬉しいですねー。
変人は変人の価値が分かるんです!
棟梁とはぼくにとって最大級の賞め言葉です。
なぜならぼく自身、棟梁を目指して毎日仕事を熱くしているんですから。
では、ぼくの考える棟梁とはなにか。
『本の話』文春PR誌08.5にあった塩野米松「棟梁」から引用しますね。

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いくつもの職業の「トウリョウ」に会ってきた。
トウリョウは組織や一団の一族の頭である。
法隆寺・薬師寺の宮大工棟梁であった西岡常一氏から、大工や宮大工のトウリョウは「棟梁」と書くが、他の多くは「頭領」と書くのだと聞いた。
宮大工の棟梁は諸職の頭を集めて、仕事の段取りを打ち合わせ、指示を出す。
仕事のすべてを統括する。
それはとりもなおさずすべての責任を取るということである。
責任のとれない者は、仕事を指示し、人を束ねる資格がない。
棟梁の最大の仕事は人心を掴み、職人達に意図通りの仕事をさせることである。
職人はその仕事に満足し、そこで働いたことを喜び、そこで自分の技をほんの少しであれ進歩させることを自覚するのである。
棟梁の仕事は仕事のすべてを細々としたところまで知っていることではない。
棟梁は頭領に任せる。
頭領は職人に任せる。
職人は任された仕事を全うする。
それを支えているのは、腕はもちろんのことだが、後に引けない責任感と誇りである。
責任が全うされないところにすばらしい仕事はない。
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そうなんです。
棟梁とは読んで字のごとく、棟(むね)と梁(はり)。
鉛直方向の加重を支える棟と、水平方向の加重を支える梁。
建物を支える構造物なんです。
どちらも建築物になくてはならないものであり、最も基本となるもの。

棟梁の仕事はそれと同じ。
すべてを支え、すべてを統括し、すべての責任を取る。
棟梁がいないと、仕事は屹立しないんです。
棟梁がしっかりと棟と梁を用意するから、あとの仕事が安心してスムーズにできる。
関わるすべての人たちがよい仕事をし、満足感を得る。

ああ、若者たちを案内してよかったなー。
ホントは早く家に帰って子どもたちと遊びたかったんだけどね。
ま、こういうちょっと余分な仕事がぼくの腕を上げ、評価も上げてくれるんだと思っています。
苦労する甲斐のある仕事は買って出るのが主義。

とはいえ、まだまだ道半ば。
とても自分が棟梁になれているとは思っていません。
薄紙を積み重ねることを日々怠らず、ちょっとでも棟梁へと近づいていきたいと思っています。
それにね、まだこの歳で棟梁になっちゃったなんて、つまらないしー。


ところで鳩山内閣。
先週11/13の行政刷新会議ヒアリングで、我がスパコンプロジェクトも「ムダ」と判定されてしまいました。
同日、スパコンプロジェクトにも協力していただいている三浦先生が、シーモアクレイ賞を受賞したというニュースが入ってきました。
我がプロジェクトリーダーである渡辺さんに続いて、日本で二人目のクレイ賞受賞です。
クレイ賞は、コンピュータハードウェアの開発に世界的貢献のあった人に贈られる賞で、この分野のノーベル賞とも称されています。
日本人が二人も受賞しているってすごいことですよ。
そもそも世界初のマイクロプロセッサであるインテル4004は、日本人である嶋正利さんがメインになって開発したものです。
つまり、日本には高性能コンピュータを開発する人的資源が豊富である、という証明です。
これを活用しないでどうするというのでしょうか。

同じく同日、新しいスパコンtop500も発表されました。
上位をアメリカが独占しているのは変わりませんが、中国や韓国も上位にランクインしています。
日本は世界の中どころかアジアの中でも沈没しかかっているのです。
スーパーコンピュータは今や計算科学だけに必要なのではなく、実験科学にも必須なツールなんです。
コンピュータなしには科学技術は発展しないといってもいい。
はたしてそれが「ムダ」なんでしょうか。
文部科学省HPでパブリックコメントを募集しています。
ぜひみなさんもコメントをお寄せください。
応援、ご協力、よろしくどうぞ!

2009年11月16日月曜日

リーダーシップはフォロアーシップから


こんにちは

先日、近所の光が丘公園でボーイスカウトの体験教室が開催されたので、はっちゃんを参加させました。
ボーイスカウトは幼稚園年長の秋から参加可能なのだそうです。
ぜひ、我が子たちを参加させたいと思っているのです。

なぜボーイスカウトがよいのか。
それは、リーダーシップの勉強になると思うからです。
年上の子どもが年下の子どもを引っぱっていく。
子どもだけで運営するキャンプとかね。
そういう機会が多く用意されています。
そして年少の子どもは年長のリーダーに従う。
きちんとしたリーダーの指示で行動する訓練にもなる。

ぼくも社会人になって見えてきたのは、会社でも社会一般でも、ちゃんとしたリーダーになっている人たちは、若い頃ちゃんとしたリーダーの元で働いた経験があることです。
そこで多くを学び、身につけている。
つまり、フォロアーとしても優秀だった人が優秀なリーダーになっているんですね。
自分勝手な無手勝流では、リーダーシップは発揮できないのだと思うのです。
合理的な指示命令に従い、その指示命令の趣旨をよく理解して行動する。
そういう経験をしてきた人が、ちゃんとしたリーダーに育っていくんです。

ボーイスカウトの趣旨にこうありました。

 実社会で先駆的な立場に立てるように、身体を実際に動かし、
 形に囚われない戸外活動を通じて心身ともに健全な青少年の育成と教育を目的とする。

戸外で実際に身体を動かしてリーダーシップを身につけていく、という方法がぼく好みです。
小脳の発達にも役に立ちますね。
スポーツ少年団のように特定の競技だけしかやらないのではなく、いろんな活動が含まれているのもいい。
奉仕活動もあるしね。

はっちゃん、とっちゃんも楽しんでやってくれるといいなーと思っています。

2009年11月10日火曜日

とっちゃん合格!


こんにちは

とっちゃん、名門練馬幼稚園にみごと合格しましたー!
バンザーイ!
昨夜はお誕生日以外めったに買わないコージーコーナーのイチゴショートでお祝い。
よかったねー。
来年4月からはっちゃんと一緒に登園です。

とっちゃんはどうしてもお兄ちゃんと遊ぶことが多く、同年齢と一緒に遊ぶチャンスがこれまであまりありませんでした。
集団生活になじめるかどうかちょっと心配ですが、とっちゃんなら大丈夫でしょう。
幼稚園でのとっちゃんの成長が楽しみです!

あとは学費の心配です。
はっちゃんととっちゃん二人分の学費の負担は、我が家の家計にかなり響きます。
ますますやりくりが大変になってきますね。
その上、給料は上がらないどころか下がるようなご時世です。
ぼくもがんばってしっかり稼いでいかなくちゃね。

我が家は本多静六に倣って「1/4貯金」を励行しています。
手取り給料の1/4は手を付けずに貯金してしまい、残ったお金だけでやりくりしてひと月暮らす。
そのおかげで慎ましく生活することには慣れています。
いい教育をするためには家計の1/3を子どものために使え、と言われています。
親はちょっとくらい貧乏くさくしてもかまいません。
本当に子どものためになるための出資なら、ケチらずにいこうと思っています。
いざというときには1/4貯金で貯まったお金もあります。
こういうバッファがあるってことも、心の安定につながりますよ。

ひとまず合格して安心、安心。

自分と御分


こんにちは

横山験也『明治人の作法』文春新書を読んだら、こんなことが書いてありました。

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その昔、武士の時代の日本人は、相手のことを「御分(ごぶん)」と呼んでいました。
「自分」同様に他人にも「分(ぶん)」(立場や役割)があることを、言葉が示していたのです。(8p)
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なるほど。
自分の「分」は、立場や役割、という意味なんですね。
それに対して相手の「分」を示すのが、御分。
自分の立場や役割を主張し、相手の立場や役割も尊重する。
それが礼儀の基本なんだと思いました。

最近の若者は自己中心的と言われています。
確かに自己主張が強くて辟易する若者もいます。
でもそういう若者にちょっと意見すると、とたんにシュンとなっちゃう。
最初からシュンとなりっぱなしの若者も多いし。
それはつまり、自分も御分もないからでしょう。

自分の「分」はどこまでなのか、どこまでなら相手や世間が認めてくれるのか分からない。
相手の「分」はどこまでなのか、どこまでなら自分が認められるのか分からない。
それがコミュニケーション不全につながっているように思えます。

自分と御分、これをキーワードに子育てしていくといいかなーって思っています。
はっちゃんとっちゃんには、自分も御分を理解して、いい人間関係を造っていってほしいと思っています。
ぼくら親も、自分と御分について、機会を捉えて実地体験で示していきたいなと思います。

2009年11月9日月曜日

人生は薄紙を積み重ねるごとき


こんにちは

このところかなりハードワーク状態ですが、健康には気を遣っています。
なんたってもう中年ですからね。
自分こそ最大の資源=リソースですから、大切に使わなくちゃいけません。

最も気をつけていることは睡眠時間。
最近ぼくは労働メンタルヘルスに興味があって、関連する本をまとめて読んでいます。
その中に、

 睡眠時間が5時間未満の脳は酩酊状態と同じ

とありました。
5時間かどうかは多少人によって違うでしょうが、睡眠不足が続くと確かに脳の働きは悪くなりますね。
酩酊状態と同じと言うことは、判断力が鈍る。
それが事故など労働災害を招いたり、睡眠不足が続くことによって鬱などメンタル問題も招く。

ドイツの労働法では、労働者の睡眠時間を最低限確保するため勤務時間を最大17時間としているそうです。
職場にいる時間が17時間なら、残り7時間あります。
通勤時間を行き帰り1時間ずつとして、睡眠時間5時間確保できますね。
まあドイツでは連続17時間も働く人はいないでしょうけど。

ナポレオンは3時間睡眠だったと言われています。
3時間眠れば十分だったということじゃなくて、やっぱり睡眠不足で脳は酩酊状態だったんじゃないでしょうか。
酔っぱらった勢いで偉業を達成した。
もっともナポレオンは悲惨な最期を迎えたようで、酔っぱらった勢いは続かないことは明かのようですが。

ぼくは元もと身体が弱いので、睡眠時間5時間確保と共に時間さえあれば横になって休むようにしています。
ごろごろタイムの確保ですね。
横になって休む時間は睡眠時間を含めて8時間以上は必要。
これは西原克成さんの学説に従っています。
造血細胞は骨の中にありますが、骨に重力がかかっている間は造血能力が下がるそうなんです。
骨だって重力を支えたり血液を造ったり、一度に二つの作業は難しい。
造血能力を発揮させるためには、重力からの開放、すなわち横になって休むことが必要なんです。
造血は赤血球だけではなく、白血球も造ります。
白血球は免疫力を持っていますから、白血球をきちんと造らないと健康も維持できないのです。

そんなこんなで、心身とも健康を維持し、長期間よいパフォーマンスを発揮するためには、残業は好ましくないものなのです。
たまに必要があって数日間、せいぜい数週間だけヘビーワークすることは可能です。
でもそれが常態になってはいけない。
そうならないように、ダンドリをうまくやるようにしています。

さて、その後の家出君。
寮を追い出されて安宿暮らしも1週間経ちました。
ホームヘルパー学校への入学も達成。
あとひと月半毎日休まず受講すれば、資格を得ることができます。
そのためには健康第一です。
早寝早起き、正しい食事です。

松浦元男『先着順採用、会議自由参加で世界一の小企業をつくった』講談社\1500-にこんなことが書いてありました。
松浦さんは若い頃バンドマンだったのですが、その時のバンマス吉屋潤さんから言われたこと。

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マッチャンがこれからも、音楽を続けるかどうかはわかりませんが、何の仕事になっても同じことです。
人生は薄紙を重ねていくようなもの。
でも何年も休まず重ねた厚みは、だれにもマネはできません。
人それぞれが積み重ねる人生の山は、すべて形が違います。
でも、この山の形と高さが人生の価値です。
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人生晴れたり曇ったり。
決して楽しいことばかりじゃありません。
苦しいこともありますが、そこから逃げてちゃいけない。
少しずつ、ひとつずつ、薄紙を重ねるように努力していく。
何年か経ったとき、それが高い山になっているんですね。

家出君の人生もこれからです。
毎日毎日コツコツと薄紙を重ねていかなくちゃいけない。
薄紙ですから、吹けば飛んでいってしまうものです。
すなわち、崩れるときはあっという間なんです。
崩さないように慎重に一枚一枚積み重ねていく必要がある。

ヘルパー学校入学を祝って、先週末我が家に泊まりに来てもらいました。
リボーンを祝って、いいえ生まれ変わることを祈って、安いロールケーキにろうそく1本立てて、再出発を祝いました。
ぼくもまた毎日毎日、薄紙を積み重ねていきたいと思っています。
そして我が子たち、ぼくの家族たちも健康でいい人生であるように。

2009年11月7日土曜日

危険もチャンスもスキマにあり


こんにちは

先日のごみメールで「労働組合の活動方針を個性的なものにした」と書いたら、どんなのか読ませろというコメントをもらいましたので、公開しますね。

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第91期運動方針

 政権交代による独立行政法人の存続が問題となっている。その中でいかに理研の存在意義を世に認めてもらうかが、今必要なことである。

 しかしながら9月に発生した主任研究員による背任事件などにより、科学者たちの自由な楽園は失われようとしており、理研の存亡さえ脅かされるような事態となっている。今回の事件は犯罪を犯した主任研究員個人の問題だけではなく、明らかに所の経営の失敗によるものだと言える。不正を生み出す温床が職場内に蔓延しているのではないかと思うのである。その主な原因は、急激な成果主義の導入による労働強化であり、職員や理研で働く人たちの連帯が失われ、自分の目先の成果ばかり追うようになり、心と時間に余裕がなくなってしまったからだということは明らかである。

 組織の力は、個人の力と個人間のつながりの両者から生み出されるものである。理研は個人の力を発揮させることには成功したのかも知れないが、今の理研には個人間のつながりが圧倒的に不足しており、働く者同士が分断されている。ギスギスとした人間関係の中で、自由で活気ある研究は生まれない。

 主任研究員が引き起こした背任事件も、人と人とのスキマに発生した不正であった。誰もが自分の目先のことで精一杯で、そのスキマを見ようとも埋めようともしなかったために発生した事件だったのだ。また、新たな価値も人と人とのスキマに存在しているものである。理研のような研究集団においては特にそれは大切なことであり、異分野の研究者との普段からの気の置けない交流の中から学際的で画期的な研究が生まれてくる。他の分野の研究者たちと交流する余裕を奪われ、目先の成果ばかり追わされていると、価値ある研究のタネを見つけ損ねてしまう。それは理研にとって大きな損失であるはずである。

 理研は次世代スーパーコンピュータ、X線自由電子レーザーと第3次科学技術基本計画における国家機関技術開発を二つも国から委託されたり、数多くの研究成果を生み出しているなど華々しい活動をしているように見えるが、その実態は惨憺たるものである。業務の増大に伴って当然増えるべき任期の定めのない職員(定年制職員)は独法改革、公務員定数削減、人件費抑制のため、全く増員されないままである。そして不足する労働力は、任期制職員、派遣職員、業務委託らの人々が支えている状況である。これらの人たちの雇用は不安定であり、賃金も低く、労働者としての当然の権利が侵害されている。定年制職員も増える業務量と責任をこなすため、長時間労働や過重労働を強いられ、メンタルヘルス問題を抱えている者も多い。男女共同参画を謳いながらも、家庭を持つ若手・中堅女性職員の退職も後を絶たない。このように職場内の人と人との和が失われ、個々人が孤立化し、連帯が失われてきている。これらはすべて近年所がトップダウンで導入してきた制度によるものと考える。

 こうした状況を鑑み、第91期理研労執行部は90期の活動を引き継ぎながら、つぎの3点に重点を置いて活動していき、働きがいのある人間らしい職場を共につくっていく。

 (1)労働時間の短縮
    36協定の適正な改訂(超勤は30時間まで、繁忙期60時間まで)を行う
 
 (2)人事評価制度の見直し
    事務系評価制度を見直し、研究系評価制度の納得ある導入を図る

 (3)連帯ある職場の実現
    定年制、任期制、派遣職員等理研で働くすべての人の雇用を守り、公平な職場をつくる

    以上
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ちょっとアジテーションが過ぎる文章かもしれませんが、かなりぼくの本音です。
これは内田樹さんからの受け売りなんですが、危険は人と人とのスキマに発生するもの、だと思っているのです。
スキマとは、誰もが自分の領分じゃないと思えるところ。
なんかあれ、危なそうなんだけど、オレの仕事じゃないよなーって思っちゃうこと。
オレの領分じゃないから放っておこう、きっと誰かがやってくれるはずだから、ってこと。
誰もが見て見ぬふりをしてしまう。
そういうのってよくあると思うんですよ。
で、誰もが見て見ぬふりをして放っておいた危険の芽は、どんどん成長してあるとき顕在化するんです。
何でこんなになるまで放っておいたんだー!!って。

業績評価、実力主義評価はいいのですが、そのやり方があまり上手くないのもひとつの原因だと思います。
年度初めに目標を立て、それに沿って仕事を進めていき、年度末に目標に照らし合わせて実績を評価する。
正しそうだけど、ぼくは間違っていると思うんです。
このやり方だと、目標からこぼれたことをやらなくなっちゃうからね。
だって現実は日々変わっていくものだから、予想もしていなかったことが起こるのはあたりまえです。
そういう予想していなかった事態は当然ながら目標には記載されていない。
そういうものに取り組んでしまったら、目標を達成できなくなる恐れがある。
目標だって自分の実力以上のものを設定されるわけですから、評価されないことまでやる余裕がないんです。
それなら見て見ぬふりしちゃうってこともあり得ますよね。

ぼくは仕事の価値は、余分なことをやること、だと思っています。
余分なことをやるためには、余裕がないとね。
余裕って意外と物理的なことで生まれるんですよ。
時間とか空間とか。
余裕ができると、余分なこともできるようになる。
余分なことってつまりは、人と人とのスキマにある、誰もがやろうとしないことだったりします。
本当はこの部分こそ会社や上司は評価しないとならないものなんだと、ぼくは思うのです。

余分なことをやるには余裕がいる。
余裕を持つためには時間が必要。
だから時短に重点を置いて取り組みたいんです。

そして、人と人とのスキマということは、あと何人かも同じスキマに気づいているってこと。
一人ではたいしたことはできませんが、何人か集まれば大きなこともできる。
誰かを手伝ったり助けたり、気にかけたりするためにも余裕は必要。
人と人とのスキマにあるのは、危険だけではありません。
あれやると面白そう、というものもたくさん転がっているんです。
でも余裕がないからやれない、あきらめちゃってる。
そういう例が多い。
余裕があればそれもできるわけですから、チャンスも広がるんです。


写真はあと半年で完成する次世代スパコン建屋。
スキマが発生しないよう、みんなでがんばっています!

オトコはオンナが創る!


こんにちは

最近、「婚活」ってのが流行っているそうです。
で、結婚を希望する男女が登録して、条件が合う人同士を紹介する会社もある。
そこに登録しているのは女性が圧倒的に多くて、男性の3倍もいるって。
それってどういうことなんだろう。
きっと、男性は登録するための条件が厳しくて、たとえば年収とかね、登録できるだけの条件を満たすオトコが少ないのだと思います。
まあオトコもふがいないって言えばそうなんだけど、オンナもオンナだよなあってぼくは思っちゃう。

岡野雅行『人生は勉強より「世渡り力」だ!』青春新書¥750-にこうありましたよ。

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(女は)まだ芽が出ないうちから男を育てるようでなくちゃ、ダメだよ。
男が仕事で成功してから、お金を儲けるようになってから、一緒になろうっていう女房は、苦労は男にさせて自分はハナからセレブを気取ろうって魂胆だろ?
それで亭主がちょっとしくじりゃ、「離婚しましょ」ってんだから、身勝手もいいとこなんだよ。
必ずしっぺ返しを食らうぞ。
男にとって女房は参謀役なんだ。
どうかすると目一杯突っ走りがちな男を、上手に立て、乗せながら、軌道修正させたり、勝負所では背中を押したりする。
それが女房ってもんだし、男はそう言う女房を持たなきゃダメだね。
男を上手に立てられない女房なんて持つんじゃないぞ。(157p)
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オトコは芽が出るまで時間がかかりますからねー。
それにオトコはオンナに応援されないと、実力発揮できない存在なんですよ。
最初から出来上がったオトコはいないんです。
だから女性が男性を選ぶのは、今あるオトコの状態じゃない。
このオトコの未来はどうなりそうか、って予想すること。

我が子はっちゃん、とっちゃんも大器晩成であってほしいです。
芽が出るのは35か40歳でしょうか。
それまで支えてくれるような、一緒に苦労してくれるような、いいオンナに「つかまって」ほしいもんです!

2009年11月4日水曜日

はみ出し者になろう!



こんにちは

この飛び石連休に科学未来館で開催したサイエンスアゴラ。
我が職場も出店し、ぼくも子ども向けの実験工作教室で参加しました。
なかなかに好評で、ほぼ毎回満席。
子どもだけじゃなく、親御さんにも立ち見で楽しんでもらえたと思います。
授業中は通りすがりの人も立ち止まって見てくれる人も多く、まるで実演販売状態!
観客が多いと授業にも熱が入ります。
ぼくもつい調子に乗って熱の入った授業をしちゃいました!

さてさて、ぼくは自他共に認める「変人」だと思います。
変人の大先輩?である、我が職場の理事長でもある野依さんはこんなことを言っています。

  大学にしろ企業にしろ、奇人・変人をもう少し収容しないといけない。
  特に学術には、ユニークな考えとこだわりを持った異端者を、
  研究者の10%ぐらい確保する覚悟が重要だ。
  そういう人が成功した時には、尊敬される人物に育っているものだ。
  独創性は後から付いてくるものである。
  (野依良治『オンリーワンに生きる』中央公論新社\1600-、113p)

「収容」という言葉に思わず吹き出しちゃいました。
奇人変人は収容するものなんですねー。
ぼくももしかすると野依さんのおかげで、10%の変人枠で理研に収容されているのかもしれません。
あはははは。

でも変人は変人のままで終わってはいけないと、野依さんは言っています。
変人が成功したとき、初めて尊敬される人物になれるんです。
やっぱり多くの人に認められる仕事を成し遂げたとき、変人は尊敬される人物へと脱皮できるんですね。
榊原英資『君たちは何のために学ぶのか』文藝春秋\1286-にこうありました。

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日本社会ではこれまで、集団からはみ出していることを悪いことのように教えてきましたが、これからはそれを素直に受け止めていては、いけません。
はみださない、というのは、組織の中で交換ができる人間のことです。
交換ができる、ということは、あなたより安い給料で働いてくれる人がいれば、その人に代わってもらう、ということです。
もちろん、これまで見てきたように、あなたのはみ出している部分が、他の人にとっても、どれだけ大切なことなのか、あなたが言葉で説明ししっかりと納得させる必要があります。
ただ「他の人と違う」というだけでなくて、それが相手にとっても自分にとっても役に立つことを見つけていく。
そうすれば、あなたはその集団の中で、誰にも代えることのできない存在になれることでしょう。(185p)
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はみ出し者はいいことなんですね。
みんなに認められたはみ出し者、変人である必要が、これからの世の中では必要なんです。
それは、他の人と代えられない、この人じゃなくちゃだめだ、ということ。
誰とも交換できないもの、それが個性なんだと思います。
ぼくもいつの日か脱皮する日を夢に見ながら、志失わず、変人道を突き進んでいきたいと思います!


我が子たちもサイエンスアゴラの科学工作コーナーで、目をきらきらさせていました。
好奇心旺盛な変人に育ってほしいですねー。

2009年11月3日火曜日

とっちゃん入園試験

こんにちは

今日11/1はとっちゃんの入園試験でした。
もちろん練馬の名門幼稚園、練馬幼稚園です。

事前に家で面接の練習をしてみました。
「お名前は?」
「きんたま!!」
。。。
おいおい、大丈夫かよー、って感じでしたが、本番はまずまずちゃんとしてましたよー。
やっぱりユーモアのセンスが(ちょっと下品だけどね^^;)あるんですなー。
ユーモアがあるって、頭がいい証拠だしねー。

今日の面接で、先生から「お父さんからみて峻貴君はどんな子どもですか」と聞かれました。
ぼくは、

 いつも機嫌がよくてニコニコしていて、笑顔の可愛い子どもです。
 きっといい人生を送れると思いますよ!

って答えました。
いつもゴキゲンでいられる人生を造っていって欲しいなーって願っています。

もひとつ面接の時の笑っちゃう受け答え。

 先生 「峻貴君、好きな食べ物はなんですか?」
 とっちゃん 「かっぱじゅしー!!」

あらあら、安い寿司屋に行ってるのがばれちゃったー!
あはははは。

明日が合格発表。
楽しみですねー。

2009年11月2日月曜日

セミナー行くのも命がけ!


こんにちは

先日、ぼくも末席で関わっている次世代スーパーコンピュータのセミナーがありました。
今年は2日間のセミナーのうち、何とか仕事のやりくりをして半日だけ参加できました。
興味のあるところだけつまみ食いです。
今自分がやっている仕事の全体像を掴んでおくことは、自分がやっている部分の仕事をよりよくするために欠かせないことだと思うのです。
だからちょっと無理してでも参加する方がオトクなんですよ。

セミナーを受講していたら、偉い方から声をかけられました。
「関口さん、ちゃんとセミナーにも参加するんですね。立派です」
えへん!
こういうセミナーに参加すると、仕事しないでサボってる、なんて陰口を言われることもありますよ。
でも、分かる人にはわかるんです!

ぼくは見学会や講習会に参加するのが好きです。
自分が申し込むとき、ついでに部下や同僚の若いヤツらを「一緒に行かない?」って誘ってみます。
技術者に限らないと思いますが、自分の仕事についてはOJTで仕事をしていくうちに理解することができますが、その範囲にとどまってしまいがちです。
つまり「井の中の蛙」になりやすいんです。
自分の腕を上げていくためには外の世界も積極的に見なくちゃならない、というのがぼくの持論。
外と内とを比べることによって、より内のことも理解できるようになると思うのです。
で、機会があるたびにぼくも見学会や講習会に参加しますし、部下や同僚も誘ってみるわけです。

でもこういう風に言う奴がいるんです。
「今やっている仕事が一段落できたら参加します」
確かに今やっている仕事をおろそかにしてまで、外へ出て行くのは好ましいことではありません。
彼の言うことも「正論」ですし、真面目な言説にも思えます。

でもでもぼくは、ちょっと違うぞ、って思うのです。
何度も書きますが、ぼくの尊敬する小学校教師野口芳宏さんが言うように、

 経験は意図的に積む

ものなんです。
実のある経験をするためには、意図的、自覚的じゃなくちゃいけない。
ただ流れるままに過ごしていたんでは、偶然の経験しかできないと思うのです。
待っているだけじゃ、できる経験は限られてしまうと思います。
自分がしたい経験、するべき経験は、自ら選び取って、勝ち取っていくべきだと思うのです。
だから<<仕事が一段落着いたら参加する>>のではなく、
「今やっている仕事を一段落させてでも参加します!」
と言って欲しい。

スケジュールは「立てる」ものです。
立てるは自動詞、つまり自分から動くもの。
やりたいことのために、それは仕事だけじゃなくてプライベートなことも含めて、それを可能にするために段取る。

はっきり言って、それは結構大変なことです。
スケジュールをやりくりして、普段よりがんばって仕事をこなさないとならない。
時には残業してでもやっつけないと、一段落着かないわけです。
大変な思いをするくらいなら、見学や講習なんか行かない方が楽。
でもそれじゃあ自分の枠は広がっていかないと思うのです。

だからちょっと無理してでも出かけてみる。
出かけるために、ザクザク仕事を片付ける。
そう決心して実行する。
そうすると、ダンドリ力も鍛えられ、自分の腕も上がっていくんです。
伸び盛りの部下や若い同僚達にはそうしてもらいたいと思うし、ぼくもそうしていきたいと思っています。

自分が合理的・効率的に時間配分をして仕事をしているかどうかを実測するためのフリーソフトがあります。
 スリムタイマー
実際に自分の仕事の仕方を計測してみることによって、見えることがあります。
意外とムダな時間を使っていたりするんですよ。
ぜひスリムタイマーでそれを発見し、自分のための時間を生み出しましょう!


写真はサイエンスアゴラでの様子。
光が生まれるしくみをミニ授業にしてみました。
最先端の研究施設であるXFELも、その原理は小中学生でも分かるんです。
こういうイベントに協力できるのも、普段の仕事を効率的にやっているから。
我が子、はっちゃん、とっちゃんも飛び入り参加しましたー。