2009年11月7日土曜日

危険もチャンスもスキマにあり


こんにちは

先日のごみメールで「労働組合の活動方針を個性的なものにした」と書いたら、どんなのか読ませろというコメントをもらいましたので、公開しますね。

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第91期運動方針

 政権交代による独立行政法人の存続が問題となっている。その中でいかに理研の存在意義を世に認めてもらうかが、今必要なことである。

 しかしながら9月に発生した主任研究員による背任事件などにより、科学者たちの自由な楽園は失われようとしており、理研の存亡さえ脅かされるような事態となっている。今回の事件は犯罪を犯した主任研究員個人の問題だけではなく、明らかに所の経営の失敗によるものだと言える。不正を生み出す温床が職場内に蔓延しているのではないかと思うのである。その主な原因は、急激な成果主義の導入による労働強化であり、職員や理研で働く人たちの連帯が失われ、自分の目先の成果ばかり追うようになり、心と時間に余裕がなくなってしまったからだということは明らかである。

 組織の力は、個人の力と個人間のつながりの両者から生み出されるものである。理研は個人の力を発揮させることには成功したのかも知れないが、今の理研には個人間のつながりが圧倒的に不足しており、働く者同士が分断されている。ギスギスとした人間関係の中で、自由で活気ある研究は生まれない。

 主任研究員が引き起こした背任事件も、人と人とのスキマに発生した不正であった。誰もが自分の目先のことで精一杯で、そのスキマを見ようとも埋めようともしなかったために発生した事件だったのだ。また、新たな価値も人と人とのスキマに存在しているものである。理研のような研究集団においては特にそれは大切なことであり、異分野の研究者との普段からの気の置けない交流の中から学際的で画期的な研究が生まれてくる。他の分野の研究者たちと交流する余裕を奪われ、目先の成果ばかり追わされていると、価値ある研究のタネを見つけ損ねてしまう。それは理研にとって大きな損失であるはずである。

 理研は次世代スーパーコンピュータ、X線自由電子レーザーと第3次科学技術基本計画における国家機関技術開発を二つも国から委託されたり、数多くの研究成果を生み出しているなど華々しい活動をしているように見えるが、その実態は惨憺たるものである。業務の増大に伴って当然増えるべき任期の定めのない職員(定年制職員)は独法改革、公務員定数削減、人件費抑制のため、全く増員されないままである。そして不足する労働力は、任期制職員、派遣職員、業務委託らの人々が支えている状況である。これらの人たちの雇用は不安定であり、賃金も低く、労働者としての当然の権利が侵害されている。定年制職員も増える業務量と責任をこなすため、長時間労働や過重労働を強いられ、メンタルヘルス問題を抱えている者も多い。男女共同参画を謳いながらも、家庭を持つ若手・中堅女性職員の退職も後を絶たない。このように職場内の人と人との和が失われ、個々人が孤立化し、連帯が失われてきている。これらはすべて近年所がトップダウンで導入してきた制度によるものと考える。

 こうした状況を鑑み、第91期理研労執行部は90期の活動を引き継ぎながら、つぎの3点に重点を置いて活動していき、働きがいのある人間らしい職場を共につくっていく。

 (1)労働時間の短縮
    36協定の適正な改訂(超勤は30時間まで、繁忙期60時間まで)を行う
 
 (2)人事評価制度の見直し
    事務系評価制度を見直し、研究系評価制度の納得ある導入を図る

 (3)連帯ある職場の実現
    定年制、任期制、派遣職員等理研で働くすべての人の雇用を守り、公平な職場をつくる

    以上
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ちょっとアジテーションが過ぎる文章かもしれませんが、かなりぼくの本音です。
これは内田樹さんからの受け売りなんですが、危険は人と人とのスキマに発生するもの、だと思っているのです。
スキマとは、誰もが自分の領分じゃないと思えるところ。
なんかあれ、危なそうなんだけど、オレの仕事じゃないよなーって思っちゃうこと。
オレの領分じゃないから放っておこう、きっと誰かがやってくれるはずだから、ってこと。
誰もが見て見ぬふりをしてしまう。
そういうのってよくあると思うんですよ。
で、誰もが見て見ぬふりをして放っておいた危険の芽は、どんどん成長してあるとき顕在化するんです。
何でこんなになるまで放っておいたんだー!!って。

業績評価、実力主義評価はいいのですが、そのやり方があまり上手くないのもひとつの原因だと思います。
年度初めに目標を立て、それに沿って仕事を進めていき、年度末に目標に照らし合わせて実績を評価する。
正しそうだけど、ぼくは間違っていると思うんです。
このやり方だと、目標からこぼれたことをやらなくなっちゃうからね。
だって現実は日々変わっていくものだから、予想もしていなかったことが起こるのはあたりまえです。
そういう予想していなかった事態は当然ながら目標には記載されていない。
そういうものに取り組んでしまったら、目標を達成できなくなる恐れがある。
目標だって自分の実力以上のものを設定されるわけですから、評価されないことまでやる余裕がないんです。
それなら見て見ぬふりしちゃうってこともあり得ますよね。

ぼくは仕事の価値は、余分なことをやること、だと思っています。
余分なことをやるためには、余裕がないとね。
余裕って意外と物理的なことで生まれるんですよ。
時間とか空間とか。
余裕ができると、余分なこともできるようになる。
余分なことってつまりは、人と人とのスキマにある、誰もがやろうとしないことだったりします。
本当はこの部分こそ会社や上司は評価しないとならないものなんだと、ぼくは思うのです。

余分なことをやるには余裕がいる。
余裕を持つためには時間が必要。
だから時短に重点を置いて取り組みたいんです。

そして、人と人とのスキマということは、あと何人かも同じスキマに気づいているってこと。
一人ではたいしたことはできませんが、何人か集まれば大きなこともできる。
誰かを手伝ったり助けたり、気にかけたりするためにも余裕は必要。
人と人とのスキマにあるのは、危険だけではありません。
あれやると面白そう、というものもたくさん転がっているんです。
でも余裕がないからやれない、あきらめちゃってる。
そういう例が多い。
余裕があればそれもできるわけですから、チャンスも広がるんです。


写真はあと半年で完成する次世代スパコン建屋。
スキマが発生しないよう、みんなでがんばっています!

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