2009年12月31日木曜日

ありがとう&来年もよろしく!


こんにちは

今日は大晦日。
今年も飽きもせず「ごみメール」を書き続けてきました。
おつきあいくださり、ありがとうございました。

発明王エジソンはこう言ったそうです。

  本のない家は窓のない部屋に等しい

ぼくも今年もたくさんの本を買い、読み、気になったところを抜き書きしてきました。
それを元に、日々経験したことや考えたことを付け加えて、この「ごみメール」にしてきました。
エジソンはこうも言ったそうです。

  発明には豊かな想像力と、ゴミの山が必要だ

エジソンはものすごい読書家であり、だからこそたくさんの発明ができた。
でもそのためにはゴミの山のような、役に立たないこともたくさん考えたり経験してきたんだと思います。
だからといってゴミの山に意味がなかったわけではなく、ゴミの山があったからその中から貴重な宝も見つかったのでしょう。

ぼくはまだまだゴミの山を築くだけのようです。
来年もさらにこの山を高くしていきたいと思います。
いつかぼくもこのゴミの山から宝物を見つけ出すことができるように。

では、来年もよろしくお願いします。


写真は今年11月にあった、30年ぶりの高校同期会。いやー、おじさんになったもんだねー。

2009年12月30日水曜日

行動を起こせ、改善せよ!


こんにちは

先週、神戸スパコン施設の特別高圧電力の受電に立ち会ってきました。
ぼくらの次世代スパコンはCPUなどとても省エネルギーに造ってはいますが、超並列計算機ですので積み上げると数万キロワットもの電力を消費します。
よって77000Vという高い電圧で受電するのです。
電圧が高いと受電前の試験も念入りにやる必要があります。
受電作業もまるまる一日かかってしまうのです。

その日は幸いなことに天気には恵まれましたが、強力な寒波が日本列島を覆っており、めちゃ寒い日でした。
受電立ち会い試験の場所は、まだ生乾きのコンクリート建屋の中。
受電していませんから、当然ながら空調なんてありません。
屋外よりも寒い場所でした。
みんなぶるぶる震えながらの立ち会いです。

ぼくは発注者監督員ですので、寒かったら適当に歩き回ったり、事務所に戻って暖を取ったりもできます。
が、電気設備を総括する電気主任技術者の方はずーーーっとその場に居続けなくてはいけません。
お願いしている電気主任技術者の方は超ベテラン、すなわちじいさんです。
この寒い中での一日中の立ち会いは酷ですよ。
不快な状況で試験するとイライラもしますから、試験に集中できず好ましくないのです。
環境は大事なんですよ。

受電はしていませんが、見るとその部屋には試験のための仮設電源が引かれていました。
かなり太い電線で引かれていましたし、コンセントにも空きがあった。
これを利用すればいい、と思いつきました。
ぼくはメインの施工スタッフに言いました。

 おいおい、このまま寒い中で立ち会いさせるつもりなのかい?
 ほら、仮設電源にも余裕がありそうじゃないか。
 電気ストーブくらい用意しろよ。

スタッフはようやく動き出しました。
そのスタッフ自身、寒さでぶるぶる震えていたんです。
ぼくが指示して10分後には現場事務所にあった小型電気ストーブが用意されました。
そして1時間後にはしっかりとした電気ストーブも用意されたんです。
車で15分ほどの場所にある、施工会社の支社から取ってきた。
これで寒さは和らぎ、安心して受電立ち会いを継続できたんです。
結果、無事受電完了することができました。

要は「気が利かない」ってことです。
気が利くとは、

 ・現状の不満足な部分に気がつく
 ・それを改善するために行動する

ことです。
現状の不満足な部分に気がつかないのは、アホとしか言いようがありません。
でもそんなアホはめったにいませんよ。
たいていの不満足は、気がついているのにそれを我慢してしまうことに原因があります。
つまり、改善のための行動を起こさないのです。
行動を起こしさえすれば、改善は容易に成し遂げられるものです。
電気ストーブを用意するなんて、あっという間にできること。
なぜ行動を起こさないのかなーって、ぼくは思ってしまいます。

NHKテキスト『知る楽・仕事学のすすめ』¥657-藤原和博「スピード突破力」から引用します。

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いいものは実施する。
多少の不備な点は、やりながら修正していけばいい。
実施もせずにうだうだ悩んだり考えているくらいなら、やってみてからドンドン修正する。
100回修正すれば、たいていの不備は改善されるでしょう。(118p)
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世の中には「改革派」も多いですね。
改革派は、一度に全部を良くしようと考えています。
そして改革派は、改革できないなら何もしない人なんです。
何もしなければ、現状は変わるわけがありません。
変わらないので不満のまま生きているんです。

ぼくは「改善派」なんです。
改善とは、少しでいいから、一部でもいいから、良くしようと考え、実行することです。
とにかく何かできることはないかと探してみる。
そして何か思いついたら実行に移してみる。
もちろん時に大それた「改革」も思いついたりしますが、実行不可能ですよねー。
すぐに実行できるような小技をたくさん思いつくように、常に訓練しているのです。
で、やりながら考える。更に改善できることはないか探す。
そうやって、結果として世の中を改革できたらなーって思っているのです。


受電立ち会いの合間に、15年前にSPring8を建設したときの建設業務室メンバーだった大先輩たちをスパコン工事現場に案内しました。
昔ぼくもこの方たちにずいぶんと技術のことや仕事のやり方などを教えてもらいましたので、ご恩返しです。
それにしてもまあ元気なじいさんたちだこと!

2009年12月29日火曜日

自分という資産


こんにちは

昨日は御用納め。
一昔は御用納めの日は昼過ぎから宴会でしたが、最近は定時まで通常勤務。
とは言え御用納めの日はさすがに重要な打ち合わせなどなく、年休を取ってしまう人も多い。
ぼくは資料が乱雑に積まれた机の上を片付けて過ごしました。
片付けも終わり、定時になったので退勤です。

帰りがけに電気監視員室に立ち寄りました。
彼らは交代で正月も出勤して、キャンパスの電気設備の運転監視をしてくれます。
ぼくは既に電気主任技術者を辞してはいますが、隣のセクションのことでもあるし、近所に住んでいますし正月に遠出もしないので、万が一事故があった時は連絡するよう伝えました。
まあ何もないとは思いますが、監視員の人だって万一の時に連絡が取れる所がある方が安心でしょう。
これもぼくの「余分な仕事」だと思っています。

以前、昼休みにこの監視員室に調べ物があって行ったとき、若い技術員が何やら熱心にパンフレットを眺めている。
除いてみると、投資や外貨取引のものでした。
「へー、投資の勉強してるんだ。面白い?」と聞きました。
彼は目を輝かせて、「100万円で月に20万円稼げるんですよー」と答えました。
20万円というと、彼の月収くらいです。
「毎月君が160時間労働して稼ぐ金額を投資で稼げるとしたら、まじめに働く気がなくなっちゃうねー」と、ぼくは言いました。
詐欺まがいの変な金融商品にだまされないように、やんわりと注意したつもりですが、伝わったでしょうか。

金融工学の研究で、長期的に最大利益を得る投資方法は、すべての株にまんべんなく同金額を投資することである、と数学的に証明されているんです。
そんなことは実際にはできませんが、事実日経株価指数に取り上げられている会社全部に分散投資するような投資信託商品もあります。
すべての株にまんべんなく投資して得られるリターンは、我が国の経済成長率と同等です。
我が国の経済成長率(年率)は、高度経済成長の時代で10%、バブルの頃で5%、近年は1%程度なんです(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4400.html)。
もちろんプロの投資家は成長株を見極めて投資するので、短期的にこれより高いリターンを得られるでしょう。
それでも近年は年利5%程度がいいところのようです。

4人程度の家族があまり不足なく暮らしていくためには、年収500万円くらいあるといいですね。
500万円を投資で稼ぐためには、原資としてどのくらいのお金が必要か計算してみましょう。
投資利率を5%とすれば、これで割り戻すと500万円÷0.05=1億円です。
有能な投資家が1億円を原資として投資をすると、年に500万円稼げるということです。
つまり、1億円もの現金資産を持つ人が、最高度の投資の知識と技術を持ち、日々投資に専心して稼げる金額がやっと500万円足らず、ということなのです。
投資に頼って家族が暮らしていくために必要なお金を稼ぐためには、最低1億円の資産を持っている必要があるのです。
まあ、普通の人は1億円の現金資産なんか持っていないですよねー。

これを逆に考えてみます。
年収500万円稼ぐサラリーマンはごく普通にいます。
500万円稼ぐためには、何かを原資にしなくてはいけません。
サラリーマンの原資は何なのでしょうか。
それは「自分自身」に他なりません。
サラリーマンは自分自身を原資にして、労働という投資をして、収入を得ているわけです。
ですから、年収500万円のサラリーマンの自分自身の資産価値は、年利5%の時代であれば1億円であると計算できます。

自分の年収が500万円だと考えると、あまり嬉しくないかもしれません。
でも、自分の資産価値が1億円もあると考えるとちょっと嬉しくなりませんか?
自分は1億円の価値があると思えば、自分を大切にしたくもなるでしょう。

橘玲『知的幸福の技術』幻冬舎文庫にこうありました。

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経済合理的に考えるならば、元金100万円しかない人は資産運用などせずに働いた方がいい。
年10%の運用益をコンスタントに達成するのは(投資の)プロでも困難だが、年間10万円の追加収入を得るのはさほど難しくない。
その上投資は損をするリスクがあるが、働けば確実に利益が増える。
効率的に投資できるのはまとまった元金のある人だけなのだ。(115p)
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年10万円余分に稼ぐということは、自分自身の資産価値がそれだけ上がるということでもあります。
10万円余分に稼ぐためには、それだけ労働時間を増やすので経験値が上がりますし、スキルも上がります。
つまり、経験値やスキルこそが自分自身の資産価値を上げるものだと言うことができます。

さてさて、ぼくも自分自身の資産価値を上げるべく、今年もがんばってきました。
もちろんやみくもに苦しみながらではなく、楽しみながらね。
ぼくの職場は公務員系なので、実際の働きではなく人事院勧告など政治的なもので賃金が決まってしまうので、年収自体は昨年よりダウンしました。
ちょいと残念ではありますが、政治だから仕方がない。
それでも、スバラシイ人に出会ったり、その人たちと一緒にいい仕事を残したり、もちろん自分自身も楽しく努力して、確実に去年よりもいい1年だったなーって思っています。


写真は、XFEL加速器で造られた高品質電子ビームを既存蓄積リング棟へも打ち込めるようにするための電子ビーム輸送トンネルです。
もう間もなく完成。

2009年12月27日日曜日

お正月には餅食って~

こんにちは

もうすぐお正月ですねー。
お正月になると、お餅をのどに詰まらせて亡くなってしまうお年寄りのニュースが毎年のように流れます。
お年寄りが餅をのどに詰まらせる原因は「嚥下(えんか)反射」が老人になると上手くできなくなるから、と説明されます。

人間ののどは奥の方で、空気の通り道である気管と、食べ物の通り道である食道とに分かれています。
その分かれ道には、食べ物が気管の方に行かないように蓋をする「喉頭蓋(こうとうがい)軟骨」が付いています。
嚥下反射とは、食べ物を飲み込むとき気管の方に食べ物が行かないように、反射的に喉頭蓋軟骨を動かして気管に蓋をする反射のことです。

この嚥下反射は、口からのどにかけての筋肉群が微妙に調整しながら行われるので、お年寄りになるとタイミングが上手く合わなくなってきてしまうのです。
それでのどに餅が詰まってしまうというわけです。

でも考えてみると不思議です。
お年寄りが嚥下反射が上手くいかないのは、正月だけじゃなく年がら年中のはずです。
餅以外の普段の食事でものどに詰まらせることだって多々あるはずです。
でも、日常的にお年寄りがのどに食べ物を詰まらせて亡くなったというニュースはありません。
なぜお正月だけ、老人はのどに食べ物を詰まらせて死んじゃうんでしょうか?

さっそく調べてみました。

お年寄りだけじゃなく子どもでも大人でも、誤って気管に食べ物が入りそうになった場合、それを取り除くために猛烈に咳き込みます。
そういうときによく「気管に食べ物が入った」と言いますが、実際には気管にまで食べ物は入ってはいません。
食べ物がのどの奥の気管の先端に触れるやいなや、強烈な吐気反射が起こって激しく咳き込み、肺からの空気の圧力で食べ物を追い出してしまうのです。
そういうときよく食べ物が鼻の方へと入ってしまいますが、鼻は息の通り道ですから肺からの強い吐気は鼻に抜けるのは当然です。
この吐気反射があるために、嚥下反射が上手くいかずに気管側に食べ物が入りそうになっても、それを取り除いてくれるのです。
これは老人だけじゃなく、子どもでも大人でも同じなんです。

このありがたい吐気反射ですが、もし気管の先端に触れた食べ物がベタベタと粘り着く餅のようなものだったらどうでしょうか。
咳き込んでもちょっとやそっとじゃ吹き飛ばされずに、気管に付着したままになってしまうことが想像されます。
若い人の場合、餅を食ってもよく咀嚼してから飲み込みます。
咀嚼中には唾液とよく混ぜ合わされますから、餅の粘着性も弱くなります。
唾液の量は30歳代では一日に約1500cc、歳をとると分泌量が減り、50歳代では約800ccにも減ってしまうそうです。
また、お年寄りは歯が抜けてしまっていたり、入れ歯だったりするので、咀嚼力も若い人のように強くはありません。
顎の筋肉も弱ってきています。
お年寄りになると、唾液の量が減り咀嚼力が弱くなるので、餅をねばっこいまま飲み込んでしまう恐れが高くなります。

さらに、お年寄りになると肺活量が低下するので、気管に入ろうとする食べ物を吹き飛ばす威力がなくなってきます。
こうした複合要因で、餅をよく食べるお正月に、お年寄りが餅をのどに詰まらせて亡くなってしまうというわけです。

餅がのどに詰まって死ぬと言っても、餅が気管を全部ふさいでしまって窒息死してしまうという場合は少ないそうです。
実際は、気管が完全に閉塞することはめったにありません。
餅のかけらが気管の先端にくっついてしまい、吐気反射が起こりますが、いくら咳き込んでも粘っこい餅は取れずに、果てしなく連続的に咳込みが続いてしまうことになります。
咳き込んでいる間は、十分な呼吸ができなくなってしまいますから、結局は窒息状態に陥ってしまい亡くなってしまうというわけです。
ぼくは子どもの頃ぜんそくでしたので、ずっと咳込みが続くのを想像しただけで、息が詰まりそうです。

餅がのどに詰まる事故を防ぐには、唾液が少なく咀嚼力の弱いお年寄りでも食べやすく調理することが大事です。
つまり、餅は最初から小片にする、最初から柔らかくなるまで煮ておくといい。
でも、そんな風に調理した餅を食べて、餅を食った気がしないというお年寄りもいるでしょうね。。。
ま、お年寄りのいる家庭ではお雑煮の作り方も注意してくださいませ。


餅がのどに詰まる原理は、正高信男『0歳児がことばを獲得するとき』中公新書\680-の63pあたりに書いてありました。

手帳は2年分持て!


こんにちは

ぼくは手帳主義です。
打ち合わせの時は必ず手帳を出し、必要事項をどんどん書き込んでいきます。
何でもかんでも一冊の手帳に書き込んでしまうのです。
スケジュールはもちろん、誰かに嫌なコトされた、なんてのまで書き込んでます(嫌な性格!)。
仕事のスケジュールだけじゃなく、プライベートなことも同じ手帳に書き込みます。
だって身体はひとつなんですから、仕事とプライベートをきっちりと分けるなんてできませんよ。
両者を上手くスケジュールするから、仕事もプライベートも充実するんだと思っています。

先日、仕事で来年のスケジュールについて打ち合わせしました。
すると打ち合わせ相手は来年の手帳を持っていませんでした。
持っていないからスケジューリングできない。
困ったものです。
そいつは、メーカーさんが年末の挨拶としておみやげに持ってくる手帳を使っていました。
今年はまだそのメーカーさんが挨拶に来ないから、来年の手帳が手に入らないとのこと。
ケチ!
手帳くらい自腹で買いなさい!

市販の手帳は10月になれば来年のものが発売されます。
ぼくは発売と同時に購入し、今年の手帳と一緒に持ち歩くことにしています。
10月になれば来年のスケジュールもぼちぼち入ってくるものです。
年度末は忙しいですから、スケジューリングも適切にやっていかなくちゃね。

年が変わったら、前の年の手帳も今年の手帳と共に持ち歩きます。
また次の年の手帳が発売されるまで、前の年の手帳も持ち歩くんです。
年が変わったと言っても、時間は連続しています。
去年のことを参照したいときもあるものです。
特に1~3月くらいの間は、しょっちゅう去年の手帳を見る必要があります。
去年から継続しているものも多いですからね。

また、去年と同時期に同様に行う仕事、例年通りということもたくさんありますから、去年の日程を確認できるのは便利です。
そして次の年の手帳を買ったら、必要な情報を前の年の手帳から新しい手帳へと転記する。
こうしておけば、スケジューリングはバッチリです。

斎藤孝『まずこのセリフを口に出せ!!ビジネスハンドブック』講談社\1300-を読んだら、斎藤さんも去年の手帳も持ち歩いている、と書いてありました(55p)。
斎藤さんは、去年の手帳の表表紙と今年の手帳の裏表紙をクリップで留めていました。
これなら2冊が一体になって、ポケットから取り出しやすい!
ぼくも真似しています。

2009年12月24日木曜日

proved technique


こんにちは

先週、日経新聞の取材を受けました。
次世代スパコンは、マシンは当然最先端技術を使っていると思うが、それを収納する建物にも最先端技術を使っていると思うので、それを聞きたい、とのこと。
それでスパコンプロジェクトに最初から関わり、建屋建設を牽引してきたぼくが取材を受けることになったわけです。

取材を受けるのも初めての経験だし、コーヒー断ちの禁断症状で頭の回転がボーッとしていて、記者の方の質問にスパッと答えられませんでした。
当然そらんじているはずの基本的な数値も、スッと出てこなくて困りました。
それに加えて競争の激しい分野での国家プロジェクトですから、秘密にしなければならないこともあり、言論統制(?)されていたことも頭の回転を鈍らせました。
そんなこんなで伝えたいことを十分伝えられず、取材の後はかなり落ち込みましたよ。
新聞に掲載された記事では、ほどよくまとめられていて安心しましたが。

ぼくの伝えたかったことは、こういうことです。

 残念ながら建屋建設には最先端技術は使っていません。
 なぜなら建物は最先端のマシンを支えるインフラだからです。
 安定したインフラが求められていると考えるからです。

スパコンプロジェクトが始まった頃に、高橋団吉『新幹線をつくった男』(小学館)を読みました。
東海道新幹線を実現させたエンジニア島秀雄さんの物語です。
この本を読んで新幹線が成功した秘訣が分かりました。
新幹線も大プロジェクトだったわけです。
大プロジェクトを成功させるには、

  proved techniqueの集積

が大切だ、ということがわかりました。
provedとは「実証された」「確立された」という意味です。
新幹線は新規な技術を使ったものではなく、実証された技術、確立された技術を集積したものだったんですね。
つまり、決して新奇な技術を使うのではなく、安定して信頼できる技術を上手く組み合わせることです。
まさにインフラとしての技術を支える根本的思想だと思いました。

新奇な技術開発にはリスクが伴います。
安定的に使える技術になるまでは失敗も避けられませんし、時間も読みにくい。
もちろん開発予算だって必要ですが、見込み通りにならないってことはよくある話。
言ってみれば「アテにならない」ものなのです。
プロジェクトの三要素とは、目標と期限と予算です。
だから、プロジェクトを成功させるためには新奇技術に頼ってはいけないのです。
期限と予算の読み切れない新奇技術は、プロジェクトの障害にすらなり得ます。

スパコンプロジェクトには、地球シミュレータという先行した施設がありました。
proved techniqueを知るために、ぼくは何度も地球シミュレータ施設を見学させてもらいました。
技術士会の見学、電気技術者協会での見学、もちろんスパコンプロジェクトメンバーと一緒に。
最初に行ったのは技術士会衛生工学部門での見学会だったと思います。
その時に、地球シミュレータセンターの建屋施設担当の方や電気主任技術者の方と知り合いになりました。
ぼくは見学会の時に、積極的に質問したりして顔を売る、名刺交換をする、見学後すぐに電子メールを送るようにもしています。
こうして10回以上も見に行き、センターの方の話を聞き、運用開始後の状況も教えてもらい、次世代スパコンでも踏襲すべきところ、改善した方がいいところを学んでいきました。
建屋建設工事に着手してからも、施工スタッフを引き連れて見学させてもらいました。
その時センターの方に「質問は関口さんにしてください。既に関口さんの方がお詳しいので」なんて言われちゃいましたー。


写真は計算機室です。
高さ1.5mのフリーアクセスフロアになります。
マシン同士をつなぐ大量のケーブルスペースになるとともに、冷却空気のサプライチャンバにもなっています。
この技術も地球シミュレータセンターに学んだもののひとつです。

2009年12月20日日曜日

一歩一歩少しずつ


こんにちは

おかげさまでぼくの教え子の家出君も、めでたくヘルパー講習を終了。
先週水曜日に郷里の北海道に帰りました。
その前日、修了式の日にぼくは休みを取って彼に会いに行きました。
もちろん家族一緒にね。
修了証を見せてもらって、最後の激励(釘刺し)です。

3年ひとつのことにまじめに打ち込めば、必ずそれを見てくれる人がいる。
つまりは「信用」されるんだ。
そうすれば、君を好いてくれる人も現れるだろうし、あるいは良縁を紹介してくれる人もいるだろう。
だから次に東京に来るのは3~4年後、嫁さんになる人を連れてきなさいね。
結婚式やるなら、ぼくらが仲人やってあげるよ。

修了証をみんなで見ながらそんなことを言いました。
家に帰ってから、こうメールに書いて送りました。

 「おめでとう&さようなら」
  今日はありがとう。
  明日、堂々と故郷に錦を飾ってくださいねー。
  地道にヘルパー講習に取り組んだように、
  これからも小さな努力を積み重ねていってくださいね。
  あきらめずに、しつこく、そして明るくにこやかに!!

すぐ返事が来ました。

  こちらこそお世話になりありがとうございます!
  介護学校で覚えた事や経験したことを生かし地道にコツコツと頑張ってまいります!
  後は最後まで諦めずにやり遂げる気持ちを忘れずに精進します!!
  本当に感謝してます!!
  ありがとうございます!!

ま、言うは易く行うは難し、なんですが、ヘルパー資格取得も彼にとっては初めて自分で努力した結果です。
やり遂げられたことを誇りに思っていい。
その思いを忘れずに、多少の嫌なことにもめげないで、少しずつ、一歩一歩自分の人生を築いていってほしいと思います。

森博嗣『自由をつくる自在に生きる』集英社新書¥714-から引用します。

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自由を得るためには、毎日少しずつでも良いから前進をする作戦が最も有効だと思う。
どんな山でも、一歩一歩登っていけば、いつかは頂上に辿り着ける。
目標は見えているのだから、休まずそこを目指す。
今日できることをする。
なにかできることはないか、といつも探す。
そして、無理をせず、時間をかけて少しずつ進む。
そうすることが、一番楽なのである。
僕は若いとき、一気に集中してものごとを片づける人間だった。
しかし、あるとき、それでは結局のところ肉体的限界を超えることができない、と感じた。(173p)
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ぼくも一歩一歩、少しずつでも前に進んでいきたいと思います。
教え子に恥じぬよう、我が子たちに恥じぬよう、そして嫁さんに捨てられぬよう!

目力!


こんにちは

はつき君もとんたんもとても目力があります。
瞳がいつも真っ直ぐでキラキラしている。
先日水田トラストの収穫祭に行ったときも、隣に座った初対面の方に「ホントいい目してますねー。将来大物になりますよ!」なんて言われました。

目は脳の出先機関ですから、目の輝きは脳の働きとイコールなんです。
脳が好奇心いっぱいで楽しんでいるとき、目は真っ直ぐきらきら輝き、表情もよくなる。

松永暢史『子どもを親より賢くする本』PHP¥1200-にこうありました。

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子どもが一生懸命考えているとき、それは表情にはっきりと表れるものです。
普段よりも賢い顔になります。
親は子どもの表情をよく観察し、この瞬間を見逃さないでください。
子どもが深く考え、賢そうな顔つきになったら、親は決してその邪魔をしてはいけません。(略)
子どもの顔つきが変わったら、時に「いい顔をしているね」といったほめ言葉をかけて気持ちを引き立てながら、できうだけ待ち続ける。
物事について深く考えることを重ね、やがて子どもは賢く成長していくのです。(32p)
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子どもが言い表情をして瞳をキラキラと輝かしているときは、何かに一生懸命になっているとき。
親はその時子どもの邪魔をしてはいけない。
子どもが今やっていることが一段落するまで待ってやる。
それが大切なんですね。

で、一段落したら「いい顔してたよ!」と言ってあげる。
「熱中してたねー」と、集中していた状態を言語化してあげる。
そうすることによって子どもも、集中するとはどういうことなのかも分かっていくのだと思います。
そうすれば、自分の意志で集中することもできるようになっていく。
集中できれば、深く考えることができ、何事にも自主的に楽しく取り組めるようになる。

我が子たちも、目力のある明るく輝くような表情で居続けてほしいと思います。

2009年12月15日火曜日

個性をはき違えるな


こんにちは

この前、まだ1歳か2歳の子どもなのに、髪の毛を金髪にしている子どもを見かけました。
この年齢ですから自分の意思じゃなく、親が染めたんでしょうね。
もちろん、一緒にいたお母さんも金髪でしたから、子どもとおそろいってつもりなんでしょう。
肉体が出来上がって自分の意思も確固とした年齢の子どもが、自分の意思で髪を染めたなら文句はありませんが、未だ乳幼児といった年齢の子どもの髪を親の好みで染めるのは賛成できませんぞ。

髪を染めるための薬はかなりの劇薬です。
老人である我が家のおばあちゃんは、髪を染めると必ず具合悪くなる。
それでも若作りしたくて染め続けていましたが、とうとうギブアップ。
具合悪くなるくらいなら白髪でも仕方ない、と割り切ったようです。
そのくらい髪を染めることは、体力がなくなった人にとって劇薬なんです。

ほ乳類の頭部は元もと魚のエラと発生的に同じ部分です。
顔の筋肉はエラを動かす筋肉が進化したものです。
ですから、顔や頭部はエラのように物質を吸収しやすい場所なのです。
そこに劇薬を塗りたくるのですから、体力がない人は具合悪くなってしまうわけです。
乳幼児も未だ体力的に十分発達しているわけじゃありませんから、髪を染めるのは体のためにはよくありません。

子どもの髪を染めちゃったりする親は、それで個性を発揮していると錯覚しているんだと思います。
ぼくなど口が悪いですから、髪ぐらいしか個性を発揮するところはないんかい、って言ったりします。
ともかく、個性というものをはき違えている人が多くなっているように思いますね。

林義道『父性で育てよ!』PHP\1300-から、ちょっと長いけど引用しますね。

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本来「個性」とは、秩序を乱したり、ルールを破ったりするものではないはずである。
それが「個性」と「無秩序」とが同じになっているということは、「個性」についての理解のどこかが間違っているからではないであろうか。
つまり、個性を重んじることが悪いのではなく、間違った個性の理解にしたがって個性を重んじることが悪いのである。

個性的教育を唱える人の中で、本当に個性とは何かということについて、深く考えたことのある人が、どれだけいるであろうか。
「個性」について、どれだけ本気に考えているかを試そうと思ったら、「個性と規律」の関係について質問してみるとよい。
「個性と規律を相反するものですか?」「個性と規律はどういう関係にあるのですか?」と。

私の答えはこうである。
「個性を伸ばすためには、きちんとした人格的な基礎ができていなければならない。
その基礎とは、自分をコントロールできる能力、最低限必要な秩序感覚、他人と協調するために集団規律を守ること、最低限の善悪の判断力である」。
これができてない人間が「個性的に」なろうとすると、他人に迷惑をかけるだけの、ただのわがままになってしまう。

個性とは、単に他と違っていることではなく、何か価値を主張できるものでなければならない。
他と違った価値を持っていること、他よりぬきんでた特徴のある価値を持っていることである。
そういう特徴は、良識のある人格的な基礎の上に成り立つものである。
このことが分かっていない者は、「規律に従うと個性的でなくなる」と思いこんでいる。
だから規律を破る「自由」をいちばん価値のあることだと勘違いする。
他人と違う行動をするだけで個性的になれたと勘違いしている者たちである。
たとえば髪の色を自由にすることが、個性的教育だと勘違いしている。
髪の色だのポルノの表現などというくだらないことのために、「自由」という大切なことを浪費しないでもらいたいものである。
「自由」というものは、本当に人間の尊厳を守るといった、大切なことのために使うようにしたいものである。(93-94p)
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他人と違うことが即個性なんじゃないのです。
きちんとした価値を伴っていることが必要なんですね。
髪を染めることで何か価値を生んでいるのか、よく考えてみることです。

たとえば一昔の飲食店の女性なら、髪を染めることによって非日常的な経験をお客さんに提供して、お客さんを呼び込むといったような価値があったかもしれません。
でも今は、銀座の高級飲食店の女性はみんな自然な黒髪なんだそうです。
黒髪の方がお客さんが寄って来て、価値を生み出しているんだって。

自分の子どもの髪を染めることはどうなのか。
それによってどんな価値が生み出され、個性を発揮することに貢献しているのか。
価値も生まず、健康を害しているだけなんじゃないかって。

我が子たちには本当の個性とは何か、きちんと理解してもらいたいです。
理解できるようなしっかりとした学力を身に着けてもらいたい。
そう願っています。

お父さん、かっこいい!


こんにちは

ぼくの誕生日にはつき君が「お父さん、かっこいい」ってメッセージカードに書いてくれました。
てっぺんハゲになりかけ、エム字ハゲも小文字から大文字に変わりつつあるぼくですが、子どもからみたらかっこいいんでしょうか。
なんだか照れ臭いですね。

最近、伊坂幸太郎の小説にはまっています。
小説の中のフレーズがことごとく「腑に落ちる」ちゃいます。
たとえば『チルドレン』の中で、主人公にこんな意味のことを言わせています。

 大人がカッコよければ、子どもはグレない

うーん、かっこいい!
子どもがまともに育たない原因の大きなものに、あこがれる大人、真似したい大人がいないっていうことがあると思います。
つまり、ダサイ大人ばっかりしか見ていない。
それじゃ大人になっても面白くないわけですから、いつまでも子どものまま、ワガママ放題し放題になるのも当然です。

特に父親が子どもにとってかっこいい存在じゃなくなっちゃっている。
父親自身もしょぼくれちゃって自信なさげに家の中にいる。
100年に1度の不況で給料もダウンし、ますます自信がなくなっている。
追い打ちをかけるように、母親が「お父さんのようになっちゃダメよ」なんて言ったりする。

反面教師、ということもありますが、子どもにそれは難しいんです。
反面教師というのは、自己がある程度確立している子どもじゃないと成り立たない。
やはり最初は、ぼくもお父さんのようになりたいな、お母さんのようになりたい、というロールモデルとなる必要があるんです。
自分がなりたい人物があって、そのために努力する。
そうやって自己が形成されてきているから、悪い例を見たときに反面教師にできるわけです。

林義道『父性で育てよ!』PHP\1300-にこうありました。

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親の権威というのは、ただ子どもから尊敬されているというだけでは不十分なんです。
そこには「好き」という感情が加わらないといけません。
好かれていて、しかも尊敬されているという、この両方が混じっていないと駄目なんです。
尊敬されているだけじゃ、怖いとか、親しみがないということになってしまいます。
その反対に、ただ好かれているというだけだと、好きだが軽蔑しているということになってしまいます。
(40p)
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子どもに好かれようとしている親は多いと思います。
でもその思いは、子どものためというより親自身のためのような気がしてなりません。
つまり、子どもに嫌われたくないというネガティブな思いだからです。
親自身、自分を守るために子どもに好かれようとしているわけです。
これでは、子どもの奴隷になってしまいます。
林さんはさらにこう言います。

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お父さんの場合でも、子どもの言うことを何でも聞いてやる、子どものほしがるものを何でも買ってやる、何をやっても自由に放っておく、というふうだと、たしかに子どもにとっては便利ですから、子どもは「お父さん好き」と言いますが、子どもはお父さんを決して尊敬していません。
いざというときには、お父さんの言うことを聞きません。
お小遣いをもらうために表面は言うことを聞きますが、陰では破っています。面従腹背になります。(41p)
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好かれたいだけの親は、子どもにとって便利な奴隷でしかありません。
そういう親はちっともかっこよくありません。
好きという感情に尊敬という理性が加わったとき、子どもは親を「かっこいい」と思ってくれ、親のようになりたいと思うのだと思っています。

まあいつかは子どもは親を乗り越えていくわけで、オヤジもたいした人物じゃなかったんだ、と気付く時期もくるでしょう。
でもあまりに早くそうなっては、親の役目を果たしたとは言えないと思います。

少なくとも10才、できれば15才くらいまでは、子どもにとってカッコイイあこがれる親でありたいと思っています。
さて、どこまで自分を引っ張れるかなー。

情けは人のためならず

こんにちは

ぼくはよくSPring8( http://www.spring8.or.jp/ja/ )へ出張に行きます。
SPring8までは、JR相生駅からバスに40分ほど乗っていきます。
途中に兵庫県立大附属高校のバス停があります。

この間、仕事が終わって帰路に着くためバスに乗った時刻が、ちょうど学校の下校時刻と重なっていました。
途中のバス停から学生たちがたくさん乗り込んできました。
だけど、テキパキ乗ればいいのにみんなダラダラ乗り込むもんだから、いつまでたっても発車できない。

そのバスは定刻に相生駅に到着すれば、5分後くらい発の新幹線に余裕で乗れるはずでした。
学生たちのダラダラ乗車のために、相生駅への到着は5分遅れてしまいました。
新幹線の発車まで残り1分。
ホームに目的としている新幹線が既に到着しているのが見えました。
ぼくはダッシュして駅の階段を駆け上りました。
が、新幹線ホームまでの距離は長く、ホームに着いたときには動き出しちゃってました。。。
あ~あ。。。
相生駅に止まる新幹線は1時間に2本ほど。
次に出るこだままで40分以上待つはめになってしまいました。
クソー、学生らめ~!

ぼくはまた次世代スーパーコンピューターの開発( http://www.nsc.riken.jp/index.html )にも参加しています。
事務所は丸の内に構えていますから、朝のラッシュの中出勤することになります。
朝の8時頃の電車は以前ほどではないとはいえ、寿司詰め状態です。
でも電車は遅れず、定刻運転しています。

それはなぜか。
乗客がテキパキ乗り降りしているからです。
誘導する駅員の指示に素直に従って、整列乗車。
降りる人が全部降りてから、乗るわけです。
ダラダラした乗り降りをする人はめったにいない。
これが定刻運転に必要なことなんです。
つまり、いくら電車を運行する側がしっかりとしていても、それを利用するお客さんも協力することなしには、定刻運転はできないということです。

さて、これからが言いたいことなんですが、最近の学校が荒れていて授業が成り立たない原因を、学校の側ばかり、先生の側ばかりに求めているような気がしています。
学校だって、授業だって電車やバスと同じ面もあると思います。
整列乗車と同じことが学校にも授業にもあるんだと思うのです。
先生と生徒がお互いに協力するから、学校はうまく機能するんだと思います。
先生の側もいい授業をするべく準備する。
生徒の側もそれに協力して、授業に参加する。
相互に協力し、努力し合うことによって効果的に授業はできるのです。

電車が遅れず運行することは、お客さんにとって最大のメリットです。
授業が効果的に機能することは、生徒の成長にとって最大のメリットであるはず。
メリットを最大にするために、自らも協力する。
そういうことが、今の学校では忘れられているように思えて仕方ありません。

2009年12月14日月曜日

車に轢かれた。。。


こんにちは

コーヒーを止めて10日経ちました。
禁断症状に苦しんでいます。
やたら眠い。
ボーッとして頭に霧がかかったようで、気がゆるむと心があちらの世界に行ってしまうのです。
友だちによると、カフェインが身体から抜けるのに3週間はかかる、そうです。
3週間経つとぱーっと頭が晴れ上がる(ハゲあがるじゃないよ^^;)。
それを楽しみに、我慢、我慢。

先週末はSPring8出張でした。
隔週一泊二日でXFEL建設工事の監督に行っています。
SPring8出張時の定宿は兵庫県立先端科学技術支援センター。
そこからSPring8までの約3km、歩いて移動しています。
その日もガシガシと歩いていました。
歩いているといろんな想念が頭に浮かびます。
アイデアも生まれていいことなんですが、注意散漫になるのも確か。
おまけにコーヒーの禁断症状が加わっています。
ぼくの心、ここにあらずって状態で歩いていました。

県道は通勤の車がビュンビュン走っていました。
8時頃のことです。
信号が青に変わったので横断歩道を横断。
左視界に車が右折してくるのが見えました。
でも徐行してゆっくり右折してきていたので、きっと停止するだろうと思いました。
そこまで確認してぼくの心はあちらの世界に移動、ぼくは歩き続けました。

するとグイグイと左足を押すものがある。
何だ?!
心をこの世に戻すと、さっきの右折車が車体前方をぼくの左膝あたりに押しつけてきてるんです。
やばい、轢かれる!
このままぼくが転倒し車が更に前進してきたら、内輪差によって間違いなくぼくの脚は後輪で轢かれます。
当然ぐしゃぐしゃの複雑骨折!

ぼくは必死に倒れないように、右足を踏ん張りました。
車の前輪はぼくの左足の甲を踏み越して停止。
あちゃー、結局轢かれちゃったよー。

前輪で轢かれた左足はそれほど痛みませんでした。
大したことはなさそうです。
でも交通事故は後からケガが分かることも多い。
事故にあったばかりの時は、緊張しているので痛みも感じにくいからね。
やっぱりきちんと警察を呼んで、事故証明してもらわなくちゃと思いました。
我ながら意外と冷静で、頼もしいねー。

運転手に指示して道路脇に停車させ、ぼくも歩道に待避。
運転手は年配の女性(ぼくと同年代?)。
すぐに警察に連絡してもらいました。
先に近所の救急車が到着。
救急隊員に足を診てもらいました。
何でもなさそうだけど、病院でちゃんと診てもらいなさい、とアドバイスを受けました。

幸いなことに(?)運転手は近所の病院の看護婦さんでした。
その病院に整形外科もある。
救急病院ではないけれども、診察可能とのこと。
さっそく救急車に乗って、その病院へ。
救急車なんてめったに乗れるものじゃないから、ワクワクです!

そしてその病院へ。
その病院はできて3年の新しい病院。
最新設備が揃っています。
診察を受け、レントゲン撮影の合間も、カメラで写真撮りまくり。
楽しい、楽しい。
レントゲンも写真フィルムではなく、CCD?撮影で即お医者さんへとデータが届きます。
すごいねー。

レントゲンの結果、骨には異常がないようでした。
あ~よかった。
ってお医者さんに「前輪に踏まれて骨が折れなかったなんて、ラッキーすぎますねー」なんて言われちゃいました。
診断結果は、打撲全治3日。
その後相生警察が来て、パトカーの中で事情聴取。
パトカーにも乗れて嬉しいなー。
で、全面的に運転手の不注意、となりました。
まーぼくもボーッとしていたんで、まったく責任がないとも言えないのですが、信号を守っての横断歩道での事故ですから、道路交通法上運転者に注意義務がありますからね。

ちょっと左足がびりびりとしびれていましたが、歩行には支障なさそうなので、その病院から歩いて現場に向かいました。
現場打ち合わせには15分遅刻で合流。
もちろん、事前に遅刻する旨、事情を連絡しておきましたが。
ザクザクといつも通り会議を仕切って来ました。

と書くと、とても冷静だったように思えますが、さすがのぼくもちょいと動転していたんですね。
パトカーの中で身分証明書の提示を求められ、財布から運転免許証を出したんです。
で、パトカーの座席に財布を置き忘れちゃったんです。
会議中、警察の方から携帯に電話がありました。
「関口さん、事故は大したことなかったけど、大事なもの忘れてるでしょー」
あー、楽しい一日でした!
あはははは。


写真は最新式のレントゲン装置。
興味津々!

2009年12月13日日曜日

よっちゃん49歳!


こんにちは

12/12はぼくの49歳の誕生日でした。
50歳まであと1年になっちゃいましたねー。
「将来大物、今小物」をモットーに小物のまま生きてきたぼくも、50代は大物へ発展する予定ですからね。
この1年も実力を付けるべく、健康で元気に楽しくがんばろうと思います。

いつも元気で若々しく行動しているぼくですが、やはりトシには勝てないなあってことがありました。
11月にお台場未来科学館でサイエンスアゴラが開催され、ぼくも実験教室を開催しました。
その時写真を撮ってくれた人から、写真をもらいました。
ぼくが子どもたちに熱心に工作のやり方を説明している場面。
その写真にはぼくの頭のてっぺんが写っていました。
ストロボ光がぼくの頭でけっこう反射しているのが、バッチリ写ってるんです。
ああ、いつの間にかぼくの頭頂部の冷却効果はよくなっていたんですね。。。

晶ちゃんにその話をしたら「あら、知らなかったの?」だって。
人が悪い!!
そういえばおでこのM字も、角度が鋭角になってました。。。
ま、それもぼくの個性ですからねー。

お誕生日、家族がメッセージを書いてくれました。

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よっちゃん、おたんじょう日おめでとう。
いつもあそんでくれてありがとう。
おとうさんっていつもやさしくて、かっこいいね。
いつも早起きだね。
出張とか理研とか行く日もあるけど、お休みの日もあるね。
お休みの日にぼくたちが岩手のホテルに行っても、るすばんしてくれてありがとう。
おとうさんっていつもえらいね。
             はつき君より


へたんぐー。おしりぷりぷり。
フォークリフトー!
へーくーじゅ。
へったんぐっちゅ。
へったんぐっくっ。
へったんぐっこー。
        とんたんより


HAPPY BIRTHDAY、よっちゃん!
49歳おめでとう。
いつも家族のために一生懸命お仕事してくれてありがとう。
これからも元気に楽しく、お互いの欠点を補い合って、よりよい家族になっていきましょうね。
よく学び、よく遊び、よく笑う、スバラシキ家族目指そうね。
私と結婚してくれてありがとう。
取っても幸せです。ホントにありがとう。
               晶子より

2009年12月8日火曜日

水と餌とねぐら


こんにちは

知人の子どもで、不登校になっちゃった中学生がいます。
学校でいじめられたのが原因のようです。
学校に行かないんだからその分の勉強を少しでも自分でやればいいんですが、日がなTVとゲームで過ごしてしまいます。
ゲームでも真剣にやれば少しはいいと思いますが、暇つぶしのためにだらだらやっている。
だんだん生活リズムも狂って、昼夜逆転。
おきまりのコースですね。
三度三度の食事は母親やおばあちゃんが作ってくれるので、一人前に食べます。
家からほとんど出ないので、運動しないからみるみるうちに太っちゃって、ぼくより巨漢になってしまっています。
ちょっと過保護にされすぎているように思いますよ。
彼を見ていると、研究用に飼育されている実験動物を見ているような気持ちになってしまいます。

晶ちゃんの教え子の中にも、中学時代不登校だった子がいました。
その子は今東京に出てきて、女優の卵として頑張っています。
もちろん一人暮らし。
親から援助してもらっているとは思いますが、バイトをしながら生き生きと貧乏生活を楽しんでいます。

不登校やひきこもりが成立するためには、必ず親や家族の存在が必要です。
親や家族がその子の衣食住のめんどうを見なければ、不登校も引きこもりも成り立ちません。
一人暮らしのひきこもりなんて聞いたことがありませんよね。
一人暮らしをするには、腹が減れば飯を食いにいったり、スーパーに買い物に行ったり、何らかは社会と関わらざるを得ないわけです。
親や家族が至れり尽くせりし過ぎちゃうのも、不登校やひきこもりを助長してしまうのではないかと思います。

確かに学校でひどいいじめに合ったなら、休ませるのは正しいことだと思います。
でもね、休むのなら家で勉強させるとか、家事の手伝いをさせるとか、お使いに行かせるとかした方がいい。
学校へ行くのと同等の負荷を子どもにかけないと、成長期の貴重な時間を無駄に浪費してしまうように思うのです。
学力がついたり、家事が上手くできたり、お使いに行ってお店の人と交渉が上手くできたりすれば、子どもの自信になります。
自信が着けば、いじめにもそうそう遭わなくなるのではないでしょうか。

養老猛司『まともな人』中公新書\700-から引用します。

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実験動物は、生まれたときから籠の中で、水と飼料を十二分に与えられて育つ。
籠の外に出すと、恐る恐る歩いて、逃げ出したりはしない。おかれた机の端をヒゲで触って、どんなところかゆっくり調べているつもりらしい。
籠の中という環境は、自然の状況に比較したら、きわめて単調である。
そこでは動物は、生まれ持った能力のほとんどを使う必要がない。
いまでは大学で出合う若者たちが、こうしたマウスやラットのように見える。

だからといって、日本の将来を悲観しているわけではない。
そうした育ちのネズミが籠から出てしまうことがあった。
一週間もすると野生化して、簡単には捕まらなくなる。
当時の大学は、いまとは比較にならないほど管理も悪く、建物もボロだった。
野良猫が自由に出入りしていたり、廊下をクマネズミが歩いていたりした。
そういう環境に放された籠のネズミは、アッという間に野生化する。
水と餌とねぐらを、自分で探さねばならない。
周囲は危険に満ちている。
そういう状況に置かれたとたん、籠育ちのネズミが急速に育つ。

いま教育問題がやかましい。
子どもの評価のなんとかとか、指導要領のなんとかとか、教育の問題を議論する会合に年中呼び出される。
教育の根本はなにかというなら、話は簡単である。
水と餌とねぐら、それを自分で探すようにさせる。
そうすれば、アッという間に子どもは育つ。(34-35p)
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水と餌とねぐらを自分で得ることができるようにすること、それが教育の根本の原則なんだと思いました。
はつき君、とんたんにも野性味のある人間に育ってもらいたいです。
そして、自分で水と餌とねぐらを見つけるだけの実力を持ってもらって、自分の家族をつくっていってほしいなーって思っています。

マイペースとは何か


こんにちは

人生とは自分というリソース(資源)の使い方なんだと思っています。
自分というリソースをよく把握し、うまく使いこなして命を輝かせることだと思います。
使い方を間違えたり、分配を間違えると、命はすり減ったり錆び付いたりしちゃうものなんだと思います。

そのためには、自分を自分のコントロール下に置き、決して他人にコントロールさせないことです。
他人に振り回された生き方をすると、自分というリソースをいたずらに浪費してしまいます。
具体的には、どんなことに注意すべきなのか。

一番は、他人にスケジュールを握られないこと。
そして、まだかまだかと催促されないこと。
催促されると自分のペースを崩され、他人のペースに自分を合わせなくてはならなくなります。
すると自分のリソースのある部分だけを過度に使ったり、逆に遊ばせておかなくてはならない部分ができたりします。
非常に非効率になります。

だから大切なのは、催促されないようにすることです。
催促されないように、たとえ他人から与えられた締め切りでも、締め切り通りに仕上げたり、それよりちょっとでも早く仕上げられるように自分で段取る。
締め切り日は他人が決めたものかもしれませんが、それに至るまでは自分で決められます。
自分で決められるから、自分というリソースを自分でコントロールし、適切に配分することも可能です。

また、きちんと期日、締め切り日を決めておかないのもいけません。
「なるべく早くね」と言われていた仕事を、翌日に「できた?」なんて催促されたことはありませんか。
「早く」は人によって違うものです。
自分は来週までくらいだろうと思っていても、他人は明日までと思っているかもしれないのです。
だから、曖昧な約束はしないことです。
期日が双方明確であれば、期日までは催促されないことが確約されます。
ならば、それまでの期間は自分でコントロールできることになります。

マイペースというと、他のメンバーのことを考慮しないで自分のことをやる人、と思われています。
でもそれは違う。
そういう人は、催促されちゃいますからね。
本当のマイペースとは、他のメンバーに迷惑をかけずにザクザクと気分よく、自分の立てた計画に従って仕事をこなす人ってことだと思います。

つまりは催促されないこと。
時には催促でもされないとやる気が起きないようなこともありますが、原則は催促されなくて済むようにすることが大切だと思います。
これが自分らしく生きるための「技術」のひとつだと思っています。


催促されないと余裕が生まれます。
沼津出張ついでに、乗りたかった「特急あさぎり」に乗れました!

2009年12月7日月曜日

悩むな、踏ん切れ


こんにちは

昨日は「ダンドリ力検定」を受験してきました。
ぼくは別名「ダンドリー関口」と呼ばれるほどのダンドリ好き。
この試験も難なく全問回答できましたよ。
もちろん試験対策できちんと勉強したことによって、プロジェクトワークの知識と技術を整理できました。
ますますダンドリーでいられますぜー。
ぼくは、毎年ひとつは何らかの資格を取り、自分の腕を上げていくことを目標としています。
今年もこの目標はクリアできそうです。

さて、前便で「悩むことは無駄」と書きました。
と言っても、ぼくだってまったく悩まないわけではありません。
少しは悩むこともあります。
以前、ちょっとおかしな奴から理不尽な要求を突きつけられたことがありました。
どう考えても不合理な要求で、その目的は明らかに「関口憎し」なんですよ。
ぼくは一部の人からとても嫌われていますからね。

いえ、あえて一部の人から嫌われるようにしているんです。
嫌われてもいいやって思っている。
すべての人に好かれるようにすると、自分自身ってもんがなくなっちゃいますから。
どんな社会、どんな組織にも10%くらいのおかしな人を抱えているものです。
こういう人にまで好かれたいと思うと、時間と精神を浪費します。
ぼくはぼくを応援してくれる人、ぼく自身が価値を見いだしたものに、ぼくの時間と心と労力を使いたいんです。
それが合理的だって思うから。

で、その理不尽な要求に対して悩みましたよ、一晩。<-短すぎる?
ケンカするのも嫌だし、大した手間でもないからその要求通りにやっちゃおうかとも思いました。
でもねー、不合理なことをやるのはぼくの信条に反しますし、公的に見ても無駄です。
でもそいつに説明し、説得しようと思ってもそれも無駄。
だって最初から目的は関口憎しで感情的になっているだけで、正しいことを要求しているわけではないからです。

頭のよい人と悪い人の違いは何か。
頭のよい人にだって感情はあります。
怒ることだってあるのは当然です。
でも自分の感情と異なる合理的な説明があり、自分もそれに納得できる場合、自分の感情を抑えることができる。
感情より合理を上位に置ける人が、頭のよい人だと思っています。
なので合理を理解できず感情に振り回されるだけの人に、いくら説明しても絶対に納得はしてもらえないのです。

こう言うときは「金持ちケンカせず」がベストチョイス。
最悪、ケンカになっても公の場でやればぼくの方に合理性があることを示すことができます。
議論とは1対1でやるものではないんです。
その他聴衆がいるべきものなんです。
どちらに合理性があり、正しい選択かは、その聴衆が決めるものなのです。
聴衆は岡目八目で感情的になっていないので、より合理がわかるものなのです。
よって、とりあえずそいつの理不尽な要求は無視することにしました。

森博嗣『自由をつくる自在に生きる』集英社新書¥714-にこうありました。

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僕は、だいたいにおいて、他人の目を気にしない人間だと思う。
自分が基準なので、自分が普通だと思うわけで、結局、「何故、みんなはあんなに人の目を気にするのか」と考えるはめになる。
ものごとを客観的に観察しようとすると、人の目といった想像上の(思い込みの)自分の目こそ疑いたくなる。
もう少し説明すると、「人の目を気にする」人間の大半は、「自分の周囲の少数の人の目を気にしている」だけである。
そして、「人の目を気にしない」というのは、自分一人だけの判断をしているのではなく、逆に、「もっと確かな目(あるときは、もっと大勢の目)」による評価を想定している、という意味だ。
それは、「今の目」だけではなく、「未来の目」にも範囲が及ぶ。
それが「客観」であり、「信念」になる。(55p)
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人の目を気にする人間の大半は、自分の周囲の少数の目を気にしている、ってホントですね。
やっぱり自分の周りにいる人の影響は大きいですから。
もちろん気にすべきことはしないといけませんが、合理性のない無意味な目まで気にしていてはいけないんです。
そういうときは「踏ん切る」しかない。
自分の方に合理性があり、多くの人に益することになり、よりよい未来を創り出せるという信念があればいい。
それが客観にもつながっていく。

ぼくはあまり悩まないようにしています。
なぜなら悩みの多くは、「問題」に変えられるからです。
問題とは、考えれば解決法が見えてくるものです。
考えて分かるものは考えればいいんです。
そして行動に移せばいいんです。

考えても解決法が分からないものが最後に残った悩み。
ごく僅かに残った悩みの大部分は、たいていは人間関係です。
人間関係は、自分の力だけで変えることはできない。
他人と過去は変えられない、のですから。
考えても分からないんだから、考えるだけ無駄、時間の浪費です。
こういうものは踏ん切るしかないと思っているのです。
踏ん切って、とにかく前に進む。
そうやれば、自分と未来は変えられるんですよ!


写真は、先週末職場で10年ぶりに復活した餅つき大会。
大盛況でしたよ。
ぼくはこういうことにぼくの労力と時間を使いたい。
だって、ハッピーマニアなんだもん!

2009年12月6日日曜日

愛すること、働くこと


こんにちは

先週木曜日12/3は、はっちゃんの幼稚園のお遊戯会。
はっちゃんの通う練馬幼稚園は、3学年16クラスもある少子化の時代でも園児の減らない名門校。
園児がたくさんいるので、お遊戯会も木曜日と金曜日に分けて開催します。

はっちゃんのクラスが木曜日になるのか金曜日になるのか、やきもきしていました。
なぜなら木金、ぼくは必ず関西に出張だからです。
お遊戯会の日程も、神戸スパコン現場への出張と重なっていました。
が、木曜日午前だったら何とかやりくりしてお遊戯会を見ることができる。
はっちゃんのクラスが木曜日になりますように!と祈っていました。

祈りが通じて、木曜日に決定したことが2週間前に分かりました。
2週前の神戸スパコンでの打ち合わせも、お遊戯会当日のことも考慮してザクザクとこなしました。
もちろん現地スタッフの皆さんにも事情を話して協力してもらいました。
よし、これならお遊戯会見てから出張に出発できるぞ、という状況を作り出せました。

その後、電力会社からどうしても当日打ち合わせないとならないというオファーが入りました。
午前にお遊戯会を見て午後一番に出発すれば、夕方5時には神戸に着きます。
5時から打ち合わせることで約束しました。

でも不安要素が。
はっちゃんのクラスの出番がプログラムの何番目になるか、まだ分からなかったんです。
最後の方になったら、プログラムは押せ押せで遅くなるのが常ですから、午前中に終わらない可能性も。
ようやくプログラムの公表があったのが、前々日火曜日。
すると、なんとはっちゃんのクラスの出番はトリ、最終プログラムだったんです。
うわー、ちょっとやばいかも?!

とりあえず、打ち合わせの相手方に「もしかして30分か1時間遅れるかもしれないけど、大丈夫ですか」と連絡を入れました。
「大丈夫です。安全に来て下さい」と言ってもらいました。
ホッと一安心。

はっちゃんの出番を無事見終わって、飛び乗った新幹線の中で斉藤孝『フロイトで自己管理』角川oneテーマ¥705-を読みました。

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フロイトは、人生の目的は愛することと働くことだ、といった。
まず、父親が「働くことは大事なんだ」と示す。
人生の中心が働くことにあって、「それはとても充実した幸せなことだ」というメッセージを伝える。(187p)
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なるほど。
子どもに愛情を注ぐのは父親として当然のことですが、それは「働くことを通して」愛情を示すことも大事なんですね。
お遊戯会ではっちゃんのがんばる姿もしっかり見て、夕方からの打ち合わせもやりきることができ、仕事も滞りなく実行することができました。
ちょっと綱渡りみたいな一日でしたけど、家族を愛することと働くことの充実感も味わうことができた一日でしたよ。
スバラシイ!

2009年12月3日木曜日

三毒追放!

こんにちは

とうとうコーヒーを止めることにしました。
これまで朝起きるとすぐにコーヒーを入れて、マグカップ3杯がぶ飲みしてました。
そうしないと頭が眠りから覚めない感じがするんです。
もっと以前は一日中コーヒーを飲んでいましたが、夜寝付きが悪くなるので午後からは一切飲まないようにしていました。午後からは水か白湯です。
でも朝だけはコーヒーを止められなかったんです。

勝間和代さんの本に、麻薬もお酒もタバコもコーヒーも「奴隷の嗜好品」、と書いてありました。
どれもひどくツライ現実を一時的に忘れるためのもの、ってことです。
ぼくは麻薬はもちろん、お酒もタバコもやりませんが、コーヒーもそうだったとは知りませんでした。
たしかにコーヒーのカフェインは、イライラした気分を沈めますからね。
さらに林望先生の本にも、加齢臭の原因は酒、タバコ、コーヒーだと書いてありました。
これは大変、ぼくもそろそろ加齢臭が気になる年齢です。
これでコーヒーを止める意志が固まりました。
朝もお茶にしようと思います。

医学的研究によると、タバコやコーヒーを飲むと気分がスッキリすることは事実だそうです。
でもそのスッキリレベルですが、タバコやコーヒーを飲まない人の通常の意識レベル程度なのだそうです。
つまり、タバコやコーヒーの効果が切れると、普通の人以下の意識レベルに脳がダウンする。
そこで再度タバコやコーヒーを飲むと、普通の常態に戻るだけなんです。
実際、酒、タバコを止めてみると、仕事の効率が3割から5割もupするそうです。
薬物って恐いですね、確かに奴隷のものだって言うのも分かります。
現実のつらさを意識レベルを下げることによってやり過ごすってことだからです。

勝間さんの本に「三毒追放」ということが書いてありました。
三毒とは、妬まない、怒らない、愚痴らない、ということです。
もともとは仏教の教えにあることだそう。
三毒を追放すると、ツライ現実をごまかす必要がなくなるので、ニコチンとかアルコールに頼ることをやめることができる。

要するに三毒とは「悩み」、「煩悩」なんですよね。
悩むことほど人生の浪費になることはありません。
仕事でも成果の上がっていない人は、たいていその人の能力が低いわけではなくて、悩んでいる時間がすごく長く、実践している時間が短いだけ。
逆に成果の上がっている人は、悩んでも長くは悩まず、小さいことは気にせずに、ガシガシと行動し、実践に移せる人です。
勝間和代『ビジネス頭を創る7つのフレームワーク力』ディスカバー¥1600-にこうありました。

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みなさんの周りにも、どうしてこの人はこんなにたくさんいいアイデアが浮かぶんだろうという人がいると思います。
ぜひ、そういう人の生活を見てみてください。
たいてい、人生を楽しそうに生きているのではないかと思います。
髪を振り乱し、悲愴な顔をしながら、いいアイデアが浮かぶというよりは、ふわふわっとした感じで、ニコニコ笑い、おいしいものを食べ、運動もしっかりして、自分の人生も楽しんでいる。
そんなときに、新しいアイデア、新しい考え方が浮かぶのではないかと思います。
健全なる精神と健全なる肉体こそが発想力の源です。このことをもっともっと重視していきたいものです。(272p)
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意識的に三毒を追放する。
そうすると悩みから解放される。
悩みから解放されると行動するようになる。
行動すれば現実が変わっていき、よい方向へと向かう。
よい結果が得られれば、ニコニコ笑え、メシも美味くなる。
酒、タバコ、コーヒーなど薬物の力なんか借りる必要がない。
人生は楽しくなっていく。
そういう好循環の中で生きていきたいと思っています。

まずはコーヒー追放!!

2009年12月2日水曜日

産業は米

こんにちは

振り替え休日を利用して、我が家も無線LAN化してみました。
デスクトップパソコンは子どもたちに占有されてしまうことが多く、ちょっとメールチェックしたいときなど不便になっていました。
無線LANルータも1万円しないようになってきたので、チャレンジです。
最初メールがつながるようにならなくて、ちょいと設定に手間取りましたが、半日ほどで完了。
ぼくのモバイルパソコンを家の中どこででも使えるようになりました。
快適です。
ついでに嫁さんにも冬のボーナスでノートパソコンを買ってあげることにしました。
メールはもちろん、ちょいと調べ物でもインターネットは便利ですからね。
ともかく、自分で無線LANルータを設定したことで、無線LANの仕組み、ルータの仕組みもより理解できるようになりました。
仕事でも活用できる知識がちょっぴり増え、ちょっとだけ腕も上がったかな。

さて、我が家ではお米はいいものを食べています。
水田トラスト(http://www.nurs.or.jp/~suiden/index.html)で山形の農家と契約して、さわのはなという在来種のお米を、無農薬、無化学肥料で造ってもらっています。
玄米で送ってもらって、自分の家で都度5分づきに精米して食べています。
今年も新米が届きました。
これが美味いんですよ。
おかずがいらないくらいです。
一汁一菜で十分。
我が子たちも、ごはんだけでバクバク食べてます。
水田トラストのお米は、10kg\8000-くらいになりますからちょっと高い。
でもおかずをあまり多くする必要がないので、食費全体としては安いくらいになります。

さわのはなを食べ続けて4年目ですが、美味しいだけじゃなく健康にもいい。
だんだん風邪を引きにくくなりましたし、ぼくの持病のアトピーもひどくなることが少なくなりました。
我が子たちも丈夫ですよ。
同年代の他の子より、熱を出したりすることがないんです。
身体だけじゃありません。
精神的にも安定しているように思います。
生田哲『心の病は食事で治す』PHP新書¥700-にこうありました。

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愛車に良質のガソリンを注入するあなたが、自分の脳のガソリンの質を考慮しないのは理不尽というほかない。(154p)
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確かに食べ物は身体のガソリンです。
身体には脳も含まれています。
脳の機能が心なんですから、心が食に影響されるのは当然です。
同書には「ジャンクフードやファストフードの特徴は、「安い、うまい、脳に悪い」の三つである。(155p)」とありました。
いい食べ物は身体と心に必要なんです。
食べ物をケチると結局は損。
体と心の健康こそ、最大の節約なんですから。

ところでお米など農作物は、太陽と水があれば勝手に育つと思っている人がいるかもしれません。
まったく間違いです。
当然、農家の方の労力が必要です。
それ以外に、トラクターなど農業機械を使わないといけません。
農業機械はガソリンや電気で動きます。
現代の日本の農業では、食料1カロリー生産するために5~10カロリーものエネルギーが必要になっています。

そのエネルギーのほとんどは、海外から輸入する石油なのです。
つまり、日本の食を維持するためには石油が必要なのです。
石油を買うには、外貨を稼がないといけないのです。
つまり、外国に買ってもらえる物を生産し、外貨を稼ぐことは日本に必須のことなのです。
内需拡大だけではまったくダメなんですよ。
日本が外国に買ってもらえるものは、技術力しかありません。
他国にできない技術力を持ち、他国が欲しいものを生産する。
それから得られる外貨で石油を買うしか、日本は食さえ維持できない。
外貨を得られる産業が立ちゆかなければ、日本は、日本人は生き残れないのです。
「産業は米」というのはホントなんですね。

なのでスパコンなんです。
日本の技術力を維持し、向上させるために必須のツールなんです。
これなしに、日本の産業は立ちゆかなくなります。
低い技術力で作られた魅力のない製品は、他国の人に買ってもらえなくなります。
それでは食糧自給率を上げるどころの話ではなくなります。
少子化対策どころの話ではなくなるのです。


水田トラストの大試食会が12/13(日)渋谷であります。
山形の美味しいものが食べ放題です!
http://www.nurs.or.jp/~suiden/005_EvntAct/2009shukakusai.pdf

2009年12月1日火曜日

ちょっと背中を押す

こんにちは

冬のボーナス交渉も先週で終わりました。
ぼくも労組委員長としてボーナス交渉は夏に続いて2回目。
だいぶん様子が分かってきました。

今回は戦略を変えてみました。
ボーナス交渉だからって金額の上乗せばかり要求しないことにしたんです。
だってね、交渉相手の役員だって所詮は雇われ役員。
お金についての権限はそれほどないわけです。
権限のない相手と交渉することほど無駄な時間はありませんよ。
結局せいぜい100円か200円上乗せできるかどうかの戦いになる。
毎度毎度100円200円の攻防に終始してしまうわけです。
なんかもったいないですよねー。
労使とも時間単価の高い人たちが時間をかけてああだこうだと言い合って、その結論が100円か200円。

もちろん100円だって労働者数を乗じればかなりの金額にはなりますよ。
でもボーナスをもらう個々人にとってはまったく影響のない金額と言っていい。
それで「勝ち取った」と言うのはちとせこい話なんじゃないかって、ぼくは思ったんです。
よって今回は、使用者側が一定の譲歩を見せてくれたらそれでよし、としました。
それ以上の金額を強硬に求めることはせず、こっちも譲歩する姿勢を見せる。

その代わり、ボーナス金以外のところで成果を得るようにしました。
今期労組の大きな目標は、時間短縮、年休取得促進です。
よのなかはワークライフバランスですからね。
メンタルヘルス問題をなくし、女性が社会参加しやすくする。
そのためには男性も働き方を変えなくちゃいけないと思っています。

もちろんやるときにはやる、残業も休日出勤もしてでも仕上げなきゃならない時もある。
特に我が社のように研究開発を主たる仕事をしていれば、当然のこと。
でもそれを「常態」にしてはいけない。
やるときにはやるけど、それは1~2ヶ月の範囲に止め、それ以外の時期は余裕のある働き方をする。
逆に言えば普段余裕を持って仕事をしていれば、いざというとき火事場の馬鹿力も出るってもんです。

時短、年休取得促進のためのアイデアをいくつか提示しました。
もちろんいっぺんに全部を認めてもらおうとは思いませんよ。
その中のひとつ二つでも実施できればと思ったのです。
徐々に少しずつでも働きやすい職場を作っていく、その方向に向かう。
幸い国の人事院勧告にも時短につながる勧告もありましたし、人事院勧告完全実施と抱き合わせで育児休業法改正案も国会に提出されていました。
なので使用者としても、やらなきゃいけないなー、と思っている事項なんです。

これらの施策を実行するには、就業規則など社内規程を変更する必要があります。
規程を変えることなら、交渉相手の担当理事や人事の人たちに権限がある。
相手に権限があるなら交渉のし甲斐もあるってもんです。
その結果、育児休業制度改正の早期実施と加重超過勤務をさせないため管理する方策を実行できることになりました。
まずまずです。

やっぱり世情とか時流とかは大切です。
アンテナを張って、今よのなかの流れがどうなっているのかをチェックしておく必要があります。
そして使用者側も「そろそろ考えなくちゃ」と思っていることを、交渉していくのがいい。
つまり、ちょっと背中を押してやるんです。
トリガーを引いてやる、と言ってもいいかな。
「いや~、労組から強く言われちゃってねえ~、やらなくちゃいけなくなっちゃいましたよ」というエクスキューズを相手に与えることもできるしね。