2010年2月28日日曜日

食糧自給率のナゾ

こんにちは

日本の食糧自給率は40%だと言われています。
つまり、日本人の食べるもののうち、40%が国内産で60%が外国からの輸入。
国内で作っている食べ物はとても少ない。
国際紛争などが起こって食料の輸入がストップしたら大変なので、自給率を上げなければいけない、という主張もあります。
もっと国内の農業を大切にして、畑や田んぼを増やして行きましょうという政治家もいます。

一方で、田んぼを減反したりして国内の生産量を下げているようです。
つまり米は余っているということです。
これは矛盾していますよね。
いったい日本は食料が足りているのか足りていないのか。
子どもの頃から疑問でした。

食糧自給率40%というのは、どうやって計算したのか調べてみました。
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/fbs/index.html
すると、国内で生産された食料のカロリー÷全日本人に供給される総カロリーで計算した結果なのです。
ここで注意すべきは、日本人が食べるカロリーではなく、「供給される」カロリーなのです。
食べたかどうかは問題にしていないのです。
東京など都市部では、コンビニ弁当など作られたものの1/3もが食べられずに廃棄されているそうです。
こういう廃棄される弁当なども、供給されるカロリーとしてカウントされているのです。

また、カロリーベースでの自給率は41%なのですが、生産金額ベースでの統計も農林水産省のホームページに載っていて、これは65%もある。
これは、高カロリーのものほど安物の輸入に頼っていて、低カロリーだけど高価なものは国産であることを示しています。

高カロリーだけど安物って何でしょうか。
日本の自給率はどうやれば上がるのでしょうか。
もうちょっと詳しく調べてみましょう。

日本人が食べるものは大きく分けて、「ご飯など主食といわれるエネルギーを得るためのもの」「野菜や果物などビタミンを取るためのもの」「肉や魚などタンパク質を取るためのもの」の三つがあります。
統計によると、日本人一人あたり1日に約1600カロリー供給されており、その内訳は主食で930カロリー、野菜や果物で140カロリー、肉や魚介類で530カロリーとなっています。

それぞれのカロリーベースでの自給率を調べてみます。

まず、「ご飯など主食といわれるエネルギーを得るためのもの」の自給率は66%もあります。
主食は、米とパンを作るための小麦がほとんどと言っていいです。
このうち米は余るくらいですから、自給率100%。
小麦はほとんどが輸入です。
つまり主食で自給率を上げるには、米食、ごはんを食べるようにすればいいことが分かります。
これは誰でも気付くことかもしれません。

次に、「野菜や果物などビタミンを取るためのもの」の自給率を調べてみます。
これも61%もあります。
新鮮野菜は、やっぱり国産でしか食べられないものだからでしょう。
また、野菜は保存性が悪く、体積も大きいので、輸入するには運送コストがかかるという理由もあるでしょうね。
というわけで、主食や野菜などは60%以上もの自給率があることが分かりました。

なのに全体の自給率は40%なのですから、残る「肉や魚などタンパク質を取るためのもの」が自給率を下げている元凶であることは明白です。

肉や魚介類の自給率は、なんと26%しかありません。
いかに日本人は、肉や魚を輸入に頼っているかが分かります。
だから、食糧自給率を上げるには田んぼや畑を増やしたってダメなんです。
肉や魚介類を国内で生産する必要がある。

でもこれは可能なのでしょうか。
たとえば畜産には広い土地が必要です。
安い肉を消費者に提供するには、タダみたいに安くて広い土地がないとダメです。
日本にはそんな土地はありません。
だから畜産農家は狭い土地でも付加価値の高い、黒毛和牛を育てているわけです。

また、畜産には多くの飼料が必要です。
ほ乳類など温血動物の産肉効率はたった3%しかありません。
子牛をを育てて3kgの肉を得るには100kgの餌が必要なのです。
この飼料も国内で安く手間をかけずに生産するためには、途方もなく広大な土地が必要になります。
つまり、高カロリーで安い食料とは、肉類のことだったのです。
安い肉を供給できるのは、アメリカやオーストラリアのような広大な土地を持つ国しか可能ではないのです。
ですから日本で肉類の自給率を上げるのは原理的に無理なのです。

さらにここでもあまり知られていない統計上の「決まり」があります。
たとえば豚肉の国内生産割合は50%程度はあります。
ところが豚肉の飼料の多くを輸入に頼っており、輸入した飼料分のカロリーは国内生産カロリーから減じています。
そうすると豚肉の国内生産カロリーは5%とカウントされてしまうのです。

では日本の自給率を上げるにはどうすればよいでしょうか。
日本人が1日に食べる1600カロリーのうち、肉類から530カロリーも取っています。
530カロリーというのは、タンパク源と言うよりエネルギー源として肉を食べてしまっているということです。
タンパク質の消化は胃腸に負担をかけますし、消化しきれなかったタンパク質は大腸で腐敗して毒素を出します。
人間の栄養としてタンパク源は必ず必要ですが、食べ過ぎてはいけないのです。
もともと人間の体は、そんなにたくさんタンパク質を食べられるようにはできていないのです。

エネルギーを取るためなら主食で取る方が合理的です。
特に国内での生産に余力のある米を食べるのがいい。
結局、日本の自給率を上げる方法は、一人ひとりが食生活のパターンを見直すことしかないのです。
ご飯中心の食事に変え、食べ残しを極力減らし、みんなが腹八分目で満足するなら、今現在でも食糧自給率は80%を超えている、という推計もあるそうです。
我が家はごはん主体の食事を心がけています。
その他はおかず一品とおみそ汁。
お米は、水田トラスト(http://www.nurs.or.jp/~suiden/index.html)で山形新庄の農家に栽培していただいた、無農薬無化学肥料の「さわのはな」という品種。
玄米で送ってもらって、自宅で五分づきに精米しています。
これが美味しくて美味しくて、おかずはちょびっとでいいんです。
ちょっと高価(8000円/10kgくらい)なお米ですが、おかずが少なくてすみますから食費全体としては安上がり。
健康によくて、その上日本の食糧自給率向上にも貢献できて、ハッピーですよ!

2010年2月23日火曜日

厄歳か役歳か

こんにちは

ぼくはめったなことでは残業はしません。
もちろん必要であれば残業したり、早出したり、休日出勤もする。
でも普段は極力残業しなくてもいいように、1日の仕事を割り振っています。
朝出勤したら手帳を見て、今日やらなくちゃいけないことを紙に書く。
そこにだいたいの完了時刻も書くんです。スケジューリングですね。
最後の項目が定時には終えられるように、時間配分をします。
後はそれに従ってザクザクと進める。
そうすれば、たいてい定時に退勤できるんです。

ぼくは40歳過ぎても残業をたくさんやっているような人は信用しません。
長時間の残業は心と身体に悪いのに、なぜやるのかわかりませんよ。
それは、自分の仕事をコントロールできていない、という証拠だと思うからです。

男性の厄年は数えで42歳ですから、満40歳前後です。
サラリーマンでも40代に病気になる人が多いんです。
それが昔から、厄が着く年齢と言われたんだと思います。
なぜ病気になるかというと、長時間残業をはじめ、自分の仕事を自分でコントロールできていないからだと思うのです。

長時間の残業は悪だと言っても、誰にとっても悪だとも思っていません。
若い年代、35歳くらいまでは、時間なんか気にせずに馬車馬のように働いた方がいい。
少なくとも数年は目標を持って、残業を厭わずに仕事に集中する年代があった方がいいと思います。
そういう経験をするからこそ、仕事の本質が掴むことができ、合理的、効率的な仕事術も身につけることができる。
だから、35歳前で残業をちっともしないような奴も、ぼくは信用しないんです。
せっかく体力もあり新しいことに挑戦する気力のある年代に、一生懸命やらないのはもったいないことです。

そして35歳から40歳の間に、残業しなくていいようにシフトチェンジするのです。
一番重要なのは、自分の仕事を自分でコントロールできるようになること、です。
上司や他人から言われてやる仕事は、コントロールしづらい。
だから、他人から言われるような仕事をしなくてもいいようにしていく。
それはつまり、責任と権限を持つ立場を手に入れる、ということです。

これは世俗的な役職、という意味ではありませんよ。
課長とか部長とか名が付いていても、自分の仕事をコントロールできない人もたくさんいる。
逆に係長、平社員でも、上司や周りの人たちから信頼され、命令なんかされなくても自律的に仕事をする人もいます。
ぼくの言うのは後者のことです。
なんたって、「できる社員は放し飼い」なんです!

厄歳は「役歳」とも言います。
すなわち「役が着く」年齢でもある。
役が着くとは、責任と権限のある立場に立つ、ということです。
40歳くらいにそういう立場に立つこと。
誰かから命令されて仕事をしなくちゃならないような立場から脱すること。
35歳くらいまでに仕事術を身に付け、40歳までに合理的、効率的、短時間でアウトプットを出す訓練をしていく。
すると、40歳過ぎた頃にはしかるべき役が着いている、というわけです。

2010年2月22日月曜日

バリバリやろう!


こんにちは

さすが年度末、忙しいですよー。
先週末も、水曜日午後は省エネ法改正シンポジウムに参加。
ぼくはエネルギー管理士でもありますから、法令についてきちんとフォローしておかなくてはなりません。
一番前の席で一生懸命聴講して、改正の趣旨、ポイントを頭にたたき込みました。

講習会参加の時のコツは、後でちゃんと勉強しよう、なんて思わず、その場で理解しちゃえ、なんです。
その方が合理的。
これは学生時代の勉強も同じですね。
試験前にちゃんと勉強すればいいや、と思っている学生はたいてい成績が悪い。
試験前になれば、勉強すべき内容、質と量は大変なものになっている。
とても数日でこなせるわけはありません。
新たなことを学び、理解し、頭に入れ込むには、それなりの時間が必要で、いっぺんにはできないんですよ。
授業中にあらかた理解しちゃおう、と思っている学生は、試験前にあたふたしなくていいから成績がよい。
脳に無理をかけないからね。
学生時代にそうやってきた人も、社会人になるととたんにそのやり方を忘れる。
省エネシンポでも寝ているおじさん、多いんですよ。
もったいないね。

シンポジウム終了後、SPring8出張のため移動。
翌日は5月に完成するXFEL実験棟工事の清算処理をやりました。
最先端の研究施設なので、設計通りに造れるなんてコトはありません。
実験機器開発や研究動向に従って走りながら考えるので、かなり変更が多い。
なので工期末には必ず工事費の清算をしないとならないのです。
もちろん予算には限りがありますから、その枠内でまとめなくちゃいけない。
優秀なスタッフのおかげで、事前作業がきちんとできていましたから、ザクザクと進みました。
その場で、この図とこの図が足らない、ここの計算がおかしい、などなど指示していきました。
そして作業完了です。

さらにその翌日はXFEL実験棟受電前試験の立ち会いでした。
朝ちょいと早く現場に到着して、その日のダンドリを組む。
検査員の人に渡す記録表をその場で作る。
変電所周りでまだ作業をしている職人さんたちに、試験範囲から立ち退くよう指示する。
ここまでやればあとは工程通りに進められます。

試験中お昼休みにメールチェックすると、和光研に建設が始まった新たな工事の代理人さんから連絡がありました。
何やら悩んでいるようです。
「明日朝、現場事務所に行くので打ち合わせましょう」と返信。
スタッフに安心して実力を発揮してもらうのも、監督員の重要な仕事ですからね。

午後、工程通りぴったりの時刻に試験は完了し、無事受電することができました。
電気主任の方にもお褒めの言葉までいただいちゃいました。
寒い中立ち会ってくれた電気主任の方、スタッフの方には感謝です。
そして心おきなくバスに飛び乗り、家路につきます。

これで給料同じじゃかなわんなー、なーんて思います。
でもまあ普段もらいすぎているんだから、年度末くらい忙しくても仕方ないかな、なーんて思ったりして。
自分のモチベーションを下げないよう、楽しくやっています。
もちろん健康も損ねないように、十分注意しています。
一番大切な資源は自分自身だからね。

そのために一番気をつけていることは、「長時間労働しないこと」です。
ぼくは衛生管理者でもあるし、今現在メンタルヘルス検定に向けて勉強もしています。
それで分かったのは、長時間労働は心と身体に悪い、です。
たとえだらだら、のんびり仕事をしていても、長時間労働が脳卒中などを引き起こし、過労死につながり、うつ病の原因になっているのは明白なのです。
おまけに、長時間労働は効率も悪い。
残業すればするほど、単位時間あたりのアウトプットは減る。
いいことは何もありません。
でも、仕事量はそれなりにあるわけで、これをこなさなければならない義務もあります。
ならば集中して効率的に短時間にこなすしかないのです。

吉越浩一郎『残業ゼロの仕事力』日本能率協会¥1400-にこうありました。

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ちなみに、過労死の原因は明らかに過度の残業ですが、正規の勤務時間における仕事の密度をいくら濃くしても、それが過労死につながることは絶対にありません。
体力とは関係ないのですから、安心してください。(29p)
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集中して効率的に密度を上げて一生懸命仕事をしても、短時間であれば健康にまったく影響はないのです。
むしろ健康にもいいんですよ。
やるべきコトをやり遂げた充実感を味わえ、それを短時間に効率的にやることで能力も上がる。
有能な自分にうっとりです。あはははは。
なんたって、健康と共に自尊心こそ自分の最も大切な資源ですからね。
この資源を充実させるべきなんです。

そして短時間で仕事を終わらせた後、何をするかです。
間違ってももっとたくさんの仕事をしてはいけませんよ。
必要な仕事は終わっちゃってるんですから。
無理してやると、必要もないこと、やらなくてもいいこと、やってもやらなくてもいいことまでやってしまう恐れもあります。
結局の所それは効率を下げてしまいます。
需要のないところで生産性だけ上げても意味はないのです。

ぼくの尊敬する人物、藤原和博さんはこう言っています。

 1500万円稼ぐ能力を身につけよ。
 そしてその能力全部を本業に使うのではなく、
  500万円分を本業に、500万円分を家族や地域のために、
   残りの500万円を将来の自分のために使え。
 これからの世の中は、あえて自分の能力すべてを本業に注いではいけない。
 そういう「生意気さ」が必要だ。(関口意訳)

なるほどー。
ぼくはまだ1500万円稼ぐだけの能力はありません。
でも藤原さんの主張には賛同しますよ。
ぼくの場合、あまった時間と能力を家族のために使いたい。
早く帰宅して、家族と一緒にごはんを食べ、お風呂に入り、プロレスごっこをしたり遊んで、ゆったりと眠る。
さーて、今週もバリバリやりますかー!!

写真はXFEL実験棟受電前試験の様子です。
天気にも恵まれ、絶好調!

2010年2月21日日曜日

なぜ小便器周りは汚れるのか

こんにちは

頻繁に出張に行くので、駅のトイレを利用する機会が多いです。
しっかし、なぜこんなに小便器の周りは尿がこぼれ落ちているんでしょうか。
最近、公衆便所の小便器には「的」が貼り付けられていますね。
この的は時にハエのシールだったりして、失笑してしまいます。
的に向けて放尿すれば、便器周りを汚さないだろう、ということなんでしょう。
ところがやっぱり汚れています。
これはなぜなんでしょうか。

公衆トイレを利用する度、お隣の方の行動を観察してみることにしました。
ぼくは元理科少年ですから、観察が大好きなんです。
その結果、原因が判明しました!

やっぱり原因を作っているのは、中年から老年のおじさんたちでした。
おじさんとはいえ、放尿中はしっかりとやっている。
あらぬ方向へと放尿する人はいませんでした。
的にもよく当てているようでした。

ところが放尿後に問題があったんです。
コトが終わったあと、ポコチンをズボン&パンツに収納する。
その時に、腰を引きつつ、後ずさりしながら収納しているんです。
この時、ポコチンの先からポタポタと数滴落ちるしずくが、便器外へと落下するのです。

面白いことに、ほとんどのおじさんたちのポコチン収納様式は同じなんです。
東京でも関西でも同じ。
後ずさりしながら、腰を引きつつ、収納する。
そしてポタポタと数滴落とす。

こうして、駅のトイレは利用者数が多いですから、たちまち便器周りは汚れまくりになってしまうというわけです。
しかし、なぜおじさんたちは後ずさりしながらポコチンをしまうのか?
それが次のナゾとして残されました。
まだまだ観察と考察は続きます!

2010年2月20日土曜日

少女の髪のかほり

こんにちは

出張からの帰り道、夜9時過ぎ頃、西武線が人身事故で止まっていました。
駅は帰宅する人で溢れかえっていました。
あちゃー、疲れてるのにかなわんなー。
仕方ないので駅のホームで本を読んで待ちました。

ラッキーなことに30分ほどで運転再開。
動き出した電車に乗り込みました。
当然座れません。ぎゅーぎゅー詰めです。
こんなぎゅーぎゅー詰め、最近では朝のラッシュアワーでもありませんよ。

ぼくの左隣に20代半ばくらいの女性が、右隣に中年(といってもぼくと同年代?)の女性が立っていました。
ぎゅーぎゅー押しつけられるので、痴漢と間違えられても困りますから、ぼくは両手でつり革につかまりました。
このとき、以前国立科学博物館人類研究部部長馬場悠男さんの講演で聴いたことを思い出したんです。

 昔から「少女の髪のかほりはかぐわしきものだ」って言われているでしょう。
 それにはちゃんと科学的根拠があるんですよ。
 繁殖年齢の女性の頭皮にはアポクリン腺が発達しているんです。
 アポクリン腺は分泌されると、微生物によって分解され、それがフェロモンになる。
 若い女性が髪を伸ばし、髪を念入りに梳かすのは、髪全体にアポクリン腺液を行き渡らせるため。
 髪全体からフェロモンを発し、男性を誘うわけですね。
 男性と女性の身長差も、男性の鼻が女性の頭の位置に来る程度になっている。
 これも男性が女性から発せられるフェロモンを存分に吸引できるようになんです。

 ところがこの頭皮のアポクリン腺、中年になると退化していく。
 中年になった女性が髪を短く切ってしまうのは、もう髪を伸ばす必要がなくなってしまうから。
 よくおばちゃんがちりちりパーマをかけたりしますよね。
 それは少なくなったアポクリン腺液の香りを少しでも頭に保持したいからかもしれませんね。
 (関口意訳です)

ぎゅーぎゅー詰めの電車の中、このチャンスにさっそく実験です。
なんたって、ぼくの信条は「なにはなくても仮説・実験」ですからねー。
まず左隣の若い女性の方に鼻を向けて深呼吸。
う~ん、具体的にどんな匂いかよくわかりませんでしたが、確かにいい気分になりました。
次に右隣の中年(もしかして年下??)の方に鼻を向けて深呼吸。
吸い込んでいる途中で、ゲホゲホと咳き込んでしまいました。。。

おーーー、科学は偉大だ!!

2010年2月17日水曜日

勉強は太陽の光


こんにちは

ぼくは今の職場が気に入っています。
伸び伸びと自分の実力を発揮できるからです。
自由度が高い。やりたいことがやれる。

ところが同じ職場にいても「やりたいことがやれない」「いろいろ制限が多くて不自由だ」と言う人もいるんです。
確かに、やりたいことがやれると言っても何でもやれるわけじゃありませんし、制限が全くないわけじゃない。
でも制限があるから反って自由にやれることも多いんです。

同じ職場なのに、自由にやれるという人もいれば、不自由だと言う人もいる。
楽しんでいる人もいれば、つまらなそうにしている人もいる。
この違いはどこからくるのでしょうか。

本多静六『本多静六自伝 体験八十五年』実業の日本社\1000-にこんなことが書いてありました。

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職業を道楽化する方法は、ただ一つ、勉強に存する。努力また努力のほかはない。
あらゆる職業は、あらゆる芸術と等しく、それに入るに、はじめの間こそ多少苦しみを経なければならぬが、何人も自己の職業、自己の志向を天職と確信して、迷わず、疑わず、専心に努力するからには、早晩必ずその仕事に面白みを生じてくるものである。
一度その面白みが生じてくることになれば、もはやその仕事は苦痛でなく、負担でなく、義務でもない。
歓喜の力行となって、立派な職業の道楽かとなってくる。(198p)
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自由に楽しく仕事をするには、職業を道楽化できるかどうかが、そのポイントだとぼくは思っています。
一日の大半の時間を過ごす仕事を、道楽のように楽しみに変えてしまうことなんだと思うのです。
それにはどうしたらいいか。
本田さんは、ただ一つ、「勉強に存する」と言います。
勉強とは、事前の予習と、事後の復習からなります。

事前の予習を十分行えば、リスクがどこにあるか分かります。
リスクを避けつつやっていけるので、自由に動ける範囲が広がります。スピードも上げられます。
予習が十分でない場合、どこにリスクがあるかよく分からないので、手探りで進まなくてはいけません。
なるべく安全な道を選んでしまいますから、動ける範囲がすごく狭くなる。
のろのろとスピードも遅くなってしまう。

万が一、リスクに気付かずに地雷を踏んでしまったとき、復習は欠かせません。反省と言ってもいい。
復習しておけば、リカバーも早くなりダメージも少なくなります。
次から同じリスクに陥らなくてすむようにもなります。
復習を怠れば、何度も同じような失敗を繰り返してしまいます。
そうすると心は萎縮し、ますます自由に動けなくなってしまうのです。

こうしてみると、勉強は太陽の光のようなものだと言えますね。
行く道を照らしてくれる光です。
明るい場所を行くなら、どこに危険があるか見えるわけですから、ぴょんぴょんとそこを避けつつ、走り抜けることができる。
勉強こそ、自分に光を当ててくれ自分の自由度を上げてくれる方策なんだと思っています。


写真は、次世代スパコン棟1階の見学者スペースです。
ここからマシンだけじゃなく床下の様子も見ることができます。

2010年2月15日月曜日

ビジネスは心理学


こんにちは

同じ会社にとてもまじめそうな人がいました。
直接一緒に仕事をすることはありませんでしたが、端から見てまじめ。
朝も早くから夜遅くまで一生懸命机にかじりついて働いている。
でもその人はしょっちゅう誰かから怒られているんです。
まじめで一生懸命なのに何で怒られるのか不思議でした。

その後、たまたまぼくもその人と一緒に仕事をする機会がありました。
すると、ぼくも思わず怒鳴りつけちゃったんですよ~。
あはははは。
やっぱり怒られるには怒られるだけの理由があったんです。

微妙に約束を守らない、ちょっとポイントが外れている、手伝ってもらってもお礼を言わない、連絡しても返事がない、他人事のような話し方をする、言い訳が多い。。。e.t.c.
こういう言動に接するれば、ほぼ100%の人が怒りますよね。
怒ってしまって、その人のやった仕事のおかしな所を細々と指摘してしまいました。
怒ると脳が興奮するために、必要以上に細部にわたって間違いを見つけてしまうんですよねー。
見逃してもいいような些細なことまでね。
その結果その人の仕事は増えてしまい、長時間仕事をしなくてはならなくなるわけです。

三田紀房『ここ一番に強くなれ!』大和書房¥1200-にこうありました。

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上司が大事なクライアントに部下を送り込むとき、まず最初に考えるのは「相手に不快な思いをさせたり、相手を怒らせたりしない」という点である。
だってそうだろう。
怒らせさえしなければ、そしてそれなりの好印象さえ残すことができれば、たとえその場で契約に至らなくとも「次」につながる。
可能性をキープできる。
しかし、怒らせてしまったら「次」はない。(61p)
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この頃、仕事は心理学だなーってつくづく思います。
よいパフォーマンスを出している人は、その人自身ゴキゲンだし、周りの人たちもゴキゲン。
なぜならその人が励ましたり、的確にディレクションしたり、時には冗談かましたり、きちんと叱ったり、手助けしたりと配慮しているんです。
人は気分がいいときに最大限のパフォーマンスを発揮するものです。
そういうことが分かっていて、意識的でも無意識的でも周りの人たちをエナジャイズしている人が、よいパフォーマンスを出している。
逆に言えば、そうしない、できない人は自分もパフォーマンスを上げられないし、周りの人たちのやる気を奪ってしまうのです。
やる気こそ組織の持つ最大の資源なんですから。
そういう人の心理、当たり前の気持ちを理解し、実践することがビジネスを成功させるコツなんだと思います。
それができればば、たくさん残業しなくてもパフォーマンスを上げていけるんだと思っているのです。

三田さんはこうも言います。

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本当に仕事ができるヤツは社内でも人気がある。プライベートでもたくさんの友達がいる。
そして社内で嫌われるようなヤツは、かならず外でもその「イヤな匂い」を醸し出している。
自分の気づかないところで、数え切れないほどのミスを犯している。
社内で嫌われるようなヤツは、「結果を出せないから嫌われる」のではない。
「嫌われるような性格だから、結果も出せない」のだ。
この順番を間違えると、とんでもないことになる。(59p)
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やっぱり人を怒らせるような人にはいい仕事はできないんです。
もちろん誰彼かまわず怒らせないようにビクビクとしているのもダメですよ。
多くの人が集まる組織であれば、おかしな奴も時々いたりします。
こんな奴のゴキゲンまでとる必要はありません。
こんな奴のゴキゲンをとっていたら、他の大多数の人のやる気を奪います。

では人を怒らせないようにするにはどうすればいいのでしょうか。
それは単純なこと。
子どもの頃、幼稚園や小学校で繰り返し教えられたことを実践することです。
すなわち、最低限の礼節を守り、人格を攻撃するような発言に注意し、嘘をつかず、誠実に約束を守ること。
今週も誠実に、そしてゴキゲンにやっていこうと思います!


写真は次世代スパコン棟のメインマシンの入る計算機室。
多くのスタッフの誠実な仕事が実ってきて、ゴキゲンです!

2010年2月14日日曜日

正直者は得をする


こんにちは

「正直者がバカをみる」という言葉がありますね。
実際、正直にしていたために損をするということもままあります。
たとえば、正直に確定申告して税金をたくさん払う人。
ごまかして税金を少なく払う人。
お金だけみたら確かに正直者はバカをみているのかもしれません。

でも考えてみてください。
正直に確定申告した人は、「適正に」税金を納めただけです。
ごまかした人は「不正に」「不法に」少なく納税しただけです。
だから正直者は別にバカをみたわけではなく、適正、適法なだけなんです。
不正、不法を働いた人と比べること自体が間違いだと思います。
不正、不法を働けば、それが明らかになれば当然法的に裁かれたり、社会的な信用をなくします。
信用こそ最大のリソースですから、多少のお金には換えられないものだと思います。
なので不正を働き、かつ信用もなくさないためには、その不正がばれないように常に注意しておかなくてはなりません。

ところでぼくは、「浮気をしている人は頭が悪くなる」という仮説を持っています。
浮気も倫理的な不正です。
ばれないように常に注意しておかなくちゃいけません。
人間の思考は、脳の前頭前野にあるワーキングメモリで行われます。
ワーキングメモリに記憶をストックしたり、操作したりして、人は思考しているのです。
つまりワーキングメモリは「意識」そのものと言っていいものです。

ところがこのワーキングメモリ、とても容量が少ない。
たったの7つしかないんです。
このたった7つのメモリに情報を入れては操作して、考えている。
浮気をしてばれないように常に注意するためには、そのことをワーキングメモリに「常駐」させておく必要があります。
するとワーキングメモリの空きは、6つに減ってしまいます。

さらに浮気をごまかすために嘘を一つつくとします。
そうするとその嘘にその後の言動が束縛されます。
矛盾した言動をすると嘘がばれちゃいますからね。
そのためにはその嘘もワーキングメモリに常駐させておかなくてはいけない。
するとワーキングメモリの空きは、5つに減ります。
こうして嘘を積み重ねる度に、ワーキングメモリに常駐させておくことが増えていき、逆にメモリの空きは減っていきます。

思考はワーキングメモリを使って行われます。
クリアな思考をするためには、メモリの空きが多いほどよい。
空きがまったくなくなったとき、思考は停滞します。
要するに、頭が悪くなってしまうのです。
頭が悪くなれば、当然いつかは言動にほころびが顕れ、結局は浮気はばれてしまうというわけです。

正直者はどうか。
せっかく苦労して稼いだお金を、税金に持って行かれるのは嫌なことです。
でも正直に払ってしまえば、気も晴れ晴れします。
ごまかしたり嘘をつく必要がない。
そこですべてが終わり、新たなスタートを切れる。
すると脳のワーキングメモリの空きスペースを圧迫することがない。
スッキリとクリアカットな思考ができます。
クリアな思考ができるなら、失敗も少なく、よりたくさん稼げる可能性も高くなるわけです。
ちょっとばっかり税金を少なくすることなんか問題にならないくらい、稼げる。
そっちの方が断然得ですよ。

自分にとって最も重要な資源は自分自身だと思います。
自分自身を快適にチューニングすることが、人生を充実させる要。
だから、正直者は得をするんです!


写真は神戸スパコン1F計算機室です。
照明が点灯し、仕上りが見えてきました。
正直に嘘いつわりなく、ごまかさずに完成させていきたいと思っています。
いいスタッフに恵まれていますので、バッチリですけどねー!

2010年2月13日土曜日

春はもうすぐ


こんにちは

今日も寒いですね。
東京でもちらほら雪が降っています。
でもなぜ東京では、真冬の12月や1月よりも、春先の2月や3月上旬に雪が降るのでしょうか。

温帯低気圧は、北風と南風の衝突する前線上で発生します。
台湾付近で発生した低気圧は、前線に沿って西から東へと移動します。
真冬には、この前線は日本列島のはるか南から東の海上に広がっています。
ところが春になってくると、北風と南風の衝突する前線がジワジワと北上してきます。
すると、日本のすぐ南側で暖かい空気と冷たい空気が衝突するようになります。
この時、日本を吹く風はまだ冷たい北風になります。

日本のすぐ南にある低気圧と前線のある場所で、北風と南風が衝突します。
この時、暖かい南風は冷たく重たい北風の上に吹き上げられ、日本の上空に広がります。
つまり春先の日本では、地上には冷たい北風が吹いていても、上空には暖かい南風が存在
しているのです。
上空に吹き上げられた湿気を含んだ南風は、地上付近にある冷たい空気に冷やされて、雲を作って雨や雪を降らせます。

だから、日本の太平洋側の地域に雪が降るとき、それは春がもうすぐそこに来ている証拠なのです。

倉嶋厚『ちょっと使えるお天気知識』小学館文庫\495-の12pあたりに書いてありました。

2010年2月9日火曜日

いい顔した中年になりたい!


こんにちは

リンカーンが言ったことだったと思いますが、「40歳になったら顔に責任を持て」といいます。
ぼくも40歳を越えて周りの同年配の人たちを観察してみると、美醜ではなく<いい顔>と<嫌な顔>にわかれてきていますね。
いい顔の人は、表情が豊かです。
真剣な表情や、リラックスしているときの爽やかな笑顔。
ときどきは怒って険しい顔もしますが、基本は穏やかな笑顔でいることが多い。
それで、笑うときは心の底から愉しんでいるように快活に笑うんですよね。

嫌な顔の人は、いつも苦虫をかみつぶしたみたいな顔をしている。
「こんなこと疲れるわ」とか「ああ、しんどい」とか、朝から言ってたりしてね。
たまに笑いますが、笑うのは他人が失敗したことを笑ったり、下品なネタで笑ったり。
きっと心は愉しんでないんだよなーって思います。

林道義『母性の復権』中公新書\660-から引用します。

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表情というものは、長い人生のあいだに、その人が体験してきた感情生活の現れである。
感情生活が豊かで、しかもいつも洗練されたよい感情を抱いている人は、顔の表情が豊かで穏やかで、笑顔が基本になった表情になる。(36p)
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人は誰でもコンプレックスを持っていますが、それをどうコントロールしていくか、どうコントロールしてきたが、40歳を過ぎたあたりではっきり顔に顕れるんだと思います。
コンプレックスを解消するために、努力を続けてきた人。
コンプレックスを解消するために、誰かを貶めようとしてきた人。
前者はいい顔を生み出し、後者は嫌な顔になってしまう。

いい顔した中年にぼくもなりたいって思っています。
そのためには精進、精進。
今日もザクザク楽しくやりますぞー!


昨日は現場立ち会いで出勤時刻の2時間前から仕事開始。
ついでに写真撮影です。
この写真に写っているのは理研和光研究本館です。
すでに建てられてから45年も経っていますが、未だに現役の研究棟として使えています。
設計思想、コンセプトがスバラシイからです。
何事もコンセプトがしっかりしていると、出来上がりはスバラシイものになる。
ぼくはこの建物から多くを学びました。

2010年2月8日月曜日

喜ばれる仕事がしたい


こんにちは

こんなメールをもらいました。

> 関口さんが理研の四季へ投稿された写真を
> 視察説明用に使わせて頂けないでしょうか?
> 具体的には電子ビーム輸送系トンネル内部・外部、
> 共同実験・共同研究棟など、XFEL施設関連の写真達です。
> 2/2(火)の魚森監事の所管事項説明から
> 使わせて頂きたいと考えております。

嬉しいですねー。もちろんokですよー。
と思ったら、続けてこんなメールも。

> いつもお願いばかりで申し訳ないのですが、
> 関口さんが撮っているスパコン施設の写真をこちらの広報用に
> 幾つかいただくことは可能でしょうか?
> HPとかプレゼン資料とか、用途は幾つかあると思うのですが。
> 関口さんが自負(笑)しているよう、とにかく、構図がカッコいい!
> 建物の概観だけでなく、工事中の内部の写真も含めて、
> いろいろ見せて欲しいんですけど。

おっけー、おっけー。光栄至極です!
自分のやったことが誰かの役に立ち、誰かに喜んでもらえるって、とても嬉しいことです。
何より自分の存在価値を感じられます。

写真家の秋山庄太郎さんはこう言っていたそうです。

 女であれ、花であれ、山であれ、小枝であっても
 カメラのファインダーをのぞいて
 「ああきれいだ」と思った瞬間にシャッターを切る

ぼくもそうなんです。
仕事中、カメラを持ち歩いています。
もちろん、工事現場で気になるところがあったら撮影することが主目的。
現場を歩き回って撮影します。
そのとき、「あ、これきれいだな」と思うこともある。
たとえば、建物と空と雲のバランスが美しい!って思ったり。
あるいは、工事の施工状態がとても美しくよくできているとき。
そういうとき、シャッターを押すんです。

秋山さんはさらにこう言います。

 これをカメラに収めて写真にしたら、
 これを見る人も、ああきれいだ、と
 思ってくれるだろう

そうそう、ぼくもそうなんですよ。
このきれいな空、このきれいな工事を誰かに見せたい。
写真にとって見せたら、きっと共感してくれる人がいる。
ぜったい喜んでくれる人がいる。
そう思って、シャッターを押すんですよ。
つまり、常に「誰か」を意識して撮影しているんですね。
写真を見てくれる人が喜んでくれるかどうか。

秋山さんが写真家としてプロでいられるのは、秋山さんの写真を楽しんでくれる人、喜んでくれる人が存在するからなんです。
もちろん喜んでもらえるだけの腕、技術がある。
そこが自己満足で終わるアマチュアとは違う。

写真に限らず、プロの仕事ってそういうことなんだと思うんです。
自己満足ではダメなんです。
こういう工夫をしたらあの人は喜んでくれるに違いない。
こういう結果を出せたら上司や部下も嬉しいに違いない。
そして喜んでもらえるだけの「結果」を出せる腕、技術がある。
それがプロなんだと思います。

人間って、誰かの役に立っていると思えるから、自分の存在価値を見いだせ、ゴキゲンでいられるものだと思います。
偉そうなことを言ってもたいした結果も出せず、誰にも喜んでもらえない人はプロとは言えませんし、こういう人はたいていいつも不機嫌です。
ホンモノのプロは、いつもゴキゲンで笑顔でいる。

ぼくは写真だけじゃなく、本業の工事監督の仕事も同じ思いでやっています。
こういう設計をしたら、あの研究者にとって使いやすいラボになる。
こういう工夫をしておいたら、研究目的が変わってもフレキシブルに対応できる。
こういう工事をしておけば、電源トラブルは起こらず安定した実験ができる。
そうやって誰かの喜ぶ顔を思い浮かべながら、ひとつひとつの仕事をやり通しているんです。
もちろん理想通りにはなかなか行かなくて、予算的な制約も多々ある。
そういうときでも、このくらいなら大きな支障にはならないだろう、この程度なら研究に影響を与えないだろう、と考えるわけです。

そして実際はどうなのか、建物完成後も時間を見つけて自分の造った建物を歩き回り、そこで働く研究者と話をする。
うまくいっていることが分かると、ニンマリできちゃうわけです。
さて、今週もゴキゲンにプロフェッショナル目指して、笑顔でやっていきたいと思います!

2010年2月7日日曜日

Noと言える子どもに育ってほしい


こんにちは

重松清さんの小説が好きです。
以前読んだ『日曜日の夕刊』新潮文庫\629-所収の「後藤を待ちながら」が強く印象に残っています。
それはこんな話です。

主人公が25年ぶりに中学のクラス会に出席する。
中学時代に後藤君といういじめられっ子がいて、みんなでいじめた。
後藤君も同窓会に出席するらしい。
主人公は中学時代に後藤君をいじめたことを後悔している。
それは今現在、主人公の小学3年生の息子も今いじめられているから。
後藤君はなかなかクラス会に現れない。
結局、かつての後藤君はクラス会の会場には現れなかった。
が、同窓会場に一緒に連れて行った主人公の息子には会ったらしい。
そして後藤君は、いじめに勝てる<必勝法>を主人公の息子に教えた。
「一時間泣きつづけたら勝つんだ」って。

サイバーキャッププロジェクトという、子どもを虐待から守るための教育プログラムを開発している団体があります。
http://www.jcap.org/
このプログラムでは、先ず「NOとはっきり言えるようにする」ためのレッスンが用意されています。
あるいは、「その場から逃げる」ためのレッスンが用意されている。
自分の気持ちをはっきり言うこと、特にイヤなことをイヤということも、我慢のならないとき、自分のみに危険が及んだときに逃げることも、訓練で身に付くものだと思います。
生きていくための「技術」として、子どもに教えるのは大人の義務だと思います。

いじめられる子は得てして、嫌なことにNoと言えなかったり、その場から逃げなかったりする。
我慢しちゃうんですね。
それが余計にいじめる子の衝動をヒートアップさせ、いじめをひどくさせることにもなっているんだと思います。

和田秀樹『他人に言い負かされないための心理学』PHP研究所\1200-から引用します。

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<予期不安を払拭する>
ケンカが弱い人の特徴とは、どういうものだろうか。
ケンカができない人に良くあるパターンは、相手に心理的に圧倒されたり、相手に対して余計な不安を覚えて負けてしまう場合が考えられる。
たとえば、ヤクザ風な人に脅される場合を想像するとよく分かる。
暴力的なことを含めて何をされるか分からないから、いたずらに恐怖心を抱いてしまう。

その場でことを収めても、後で仕返しが怖いし、二倍、三倍にして報復されるかもしれないという不安を持ってしまう。
こうした「予期不安」を抱くと、既にこの段階で心理的には負けているし、これでは相手の思うつぼである。
大切なのは、ケンカした後の状況や負けることを勝手に想像して、最初の段階で心理的に追い込まれないことである。
この人とケンカをしたら、あるいはこの人に嫌われたら、と勝手に決めてしまわないで、冷静になって自己の主張を明確に持つことである。
サラリーマンであれば、上司であれ、いやな同僚であれ、取引先であれ、何かしら無理難題をいわれたときに、逆らった後の結果を論拠もなく自分の中で悪い方に悪い方に解釈しないことである。
ケンカやディベートで、結論が出ていないにも関わらず、自分の解釈でストーリーを描き、相手はこうするだろうと決めてかかって、「主張すべきこと」の半分も発言しなかったりする。
また、もっと悪いのは、相手の言いなりになってしまうことである。
こうした負けの習慣が身に付いてしまった人は、そのサイクルからなかなか抜けられない。
幼少の頃を思い出してもらいたい。
年上の子どもや近所の悪ガキに絡まれたり、いじめられたりした経験のある人は多いだろう。
そうしたとき、逆らったら仕返しされるだろうという恐怖心から、抵抗しなかったとする。
そうすると、相手にとって刃向かってこない人、抵抗の姿勢をとらない人ほどラクな相手もいない。
いじめっ子にとっては、やりたい放題、言いたい放題である。
ところが、少しでも抵抗の姿勢を示せば、相手も次から違う手を考えてくるだろうし、無理難題をいわなくなるかもしれない。
もし、攻撃してきても、そのときはこちらも相応の対応策で対向すればいい。
つまり、一番いけないのはいいなりになることであり、一度も抵抗しないで負け戦が習慣化してしまうことだ.(74-76p)
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言い返せない、反撃できない理由は「予期不安」なんですね。
反撃した結果もっと悪いことが怒るんじゃないかという予感。
悪い方に悪い方に考えてしまう。
何か行動を起こした結果もっと悪いことになるなら、現状に甘んじていよう、がまんしよう、という気持ちになってしまう。
それでは相手の思うつぼとなってしまう。

不安に思うことの99%は実現しないものです。
もちろんあまりの楽観視は危険で、必要なリスクヘッジはしなければなりません。
でも過剰に不安に思いこんで、萎縮しない方がいいんです。
たいていの不安要素は「予期不安」にすぎないんですから。

いじめにあったら恐れずにとにかく反撃してみる。
重松さんの小説のように、泣きわめいてもいい。
あるいは、ひどくならないうちにその場から立ち去るのがいい。
あいまいな態度がいじめっ子を助長させるんです。
打開策は「行動」を起こすことからしか始まらないものだと思います。

我が子たちにも徐々にNoと言える技術、逃げる技術を教えていきたい。
そして他の子のNoと言う権利も認めることができる子どもに育ってほしいと願っています。

2010年2月2日火曜日

ほんの少しのお裾分け

こんにちは

職場の労働組合で発案して、ハイチ地震への募金を実施しました。
お昼休み30分程度、執行委員みんなで交代で社員食堂で募金活動をしました。
おかげさまで1週間で10万円を超える募金を集めることができました。
我が社のみんな、まだまだ捨てたもんじゃないぜ!って思いましたよ。
集まった募金はユニセフを通じて、ハイチの人たちに届けたいと思います。

こういう面白いホームページがあります。
http://www.globalrichlist.com/
自分の年収を書き入れると、自分が世界の中でどのくらい金持ちかを表示してくれます。
試しにぼくの年収を書き入れてみたら、世界の中では驚くほど金持ちの部類に入ってしまうようです。
というより、世界の中には貧しい人たちがものすごく多い、ということなんでしょう。

このホームページでは、

 あなたの1時間分のサラリーでいいから寄付をしてください。
 それがたくさんの貧しい人を幸せにしていきます。

と言っています。

ワタミ社長の渡辺さんは、お子さんたちにこう教えているそうです。

 誰かからお年玉などお小遣いをもらったら、
  半分は自分の好きなことに使いなさい
   45%は貯金しなさい
    5%は寄付をしなさい

子どもの金銭教育という観点からも、自分の得たお金の内いくらかは貧しい人のために使うことを教えていくことは大切だと思います。
逆に言えば、貧しい人に寄付ができるくらいの経済的、心理的余裕を持つことが大切。
自分があまりに貧乏だと他人へ配慮するまでの心の余裕はなくなりますからね。
我が子たちも自分の収入のうち5%くらいを気分よく寄付できるくらいの経済力を持てるような、実力ある人物に育ってもらいたいと願っています。

大越俊夫『自学力を育てる教育革命』日新報道\1300-にアサヒビール会長の樋口廣太郎さんの講演録が載っていました。
樋口さんは子どもの頃、おばあさんからこう教えられたそうです。
京都生まれらしいお話です。

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目に見える物の施しは「物施(ぶっせ)」と言います。
その次に、言葉による施し「言施(げんせ)」がある。
「がんばりなさい」とか「今日は良い天気ですね」などと言って、相手を元気づける言葉です。
私は祖母から「一番下の施しは子どもの時にしなさい」と言われました。
言葉で言うにはあなたはまだその力もなければ、言葉も持っていないから、ということなのです。
その次に来るのが「顔施(がんせ)」。
いつも、相手に心地好い笑顔を向けていくことです。
これは顔や表情の施しです。
最後は心の施し「心施(しんせ)」なんです。つまり親切です。
京都の商家は、必ずそれを子どもに教えたものです。
つまり、何に対しても「ありがとうございます」と言えることです。
森羅万象に対して感謝の念を持つことで、自分が一つの力をもらうということです。
こういうことを学ぶことが、家庭教育の原点なのではないかと思います。(27-28p)

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一番下のレベルの施しは、ものやお金による施し「物施」なんですね。
まず最初に「物施」からはじめないといけない。特に子どもは。
いきなり心の施し「心施」のレベルにはなれないんだと思います。
物施から始めてそれを続けていく内に、言施が身につき、顔施という顔つきになり、心施に到達できるのでしょう。
「お金じゃないよ心だよ」なんて言っている人は、ホントはケチなだけなのかも。

ぼくはコンビニやスーパーで、おつりに小銭をもらうとレジに置いてある寄付箱に入れたりします。
でももっと意識して寄付をしていきたいなって思いました。
それは自分の心のレベルを上げることになるから。

2010年2月1日月曜日

お引き立て、ありがとうございます!

こんにちは

ぼくはごく少数の人からとても嫌われています。
若い頃は誰かから嫌われると、とても悲しくなりました。
嫌われないようにあれこれやったりもした。
そして精神的に疲れ果ててしまいました。
だんだん年齢を重ねてきて、まあ世の中には多少合わない人もいるもんだ、と達観しました。
合わない人にも嫌われまいとして、時間と労力を使うのは無駄だと思いました。
だってぼくを応援してくれる、味方してくれる人だってたくさんいるんだから。
合わない人に向けていた時間と労力を、ぼくを応援してくれる人の方へ使う方が合理的だって思ってきたんです。
だから、合わない人には嫌われてもいい、あえて嫌われたままにする戦略に変えたんです。

成毛眞『大人げない大人になれ』ダイヤモンド社¥1429-にこうありました。

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著者(『僕がワイナリーをつくった理由』落希一郎氏)にとっては、1割の理解者がいれば十分であり、その1割の期待を裏切らないことが重要だという。
効率や便利さを求めない、個性の強い存在でありたいという。
この意見には完全に賛成だ。
私の戦略も、全体の1割を味方につけることである。
自分の好きなことを突き詰めれば、少数の気の合う人間を強烈に引き付けることができる。(189p)
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誰からも嫌われないようにすると、何もできなくなってしまいます。
新しいこと、チャレンジをすれば、必ず誰かは反対するものだからです。
その反対者は往々にして合理的に考えて反対しているわけではなく、感情的に反対している。
だからいくら合理的に説得しても納得はしてくれないものなんです。
なんたって関口憎し、なんですからね。
誰からも嫌われないようにするには、何もしないことになってしまう。
それではつまりません。

自分が正しいと思うこと、やりたいと思うことを実践する。
もちろん、自分一人孤立無援というのも辛く厳しすぎる道ですし、もしかすると唯我独尊、自己満足の世界に陥る危険性もある。
でも、一人か二人、少数でも賛意を示してくれる人がいるならば、チャレンジするのがいいんです。
本当によいこと、正しいことであれば、だんだんと味方は増えていくはずです。
ぼく自身もそうなのですが、世の中の大方の人は「日和見」なんです。
いいか悪いか見てみなくちゃわからない、自分が賛同するかどうか実感してみなくちゃわからないんです。
だからそれを目に見える形にしてみる。
そうすれば、徐々にでも賛同者は増えてくる。
そうやって自分の実践を常にフィードバックしておけば、間違えることはないと思います。

ぼくを嫌っている人とは、なるべく接触しないように気をつけています。
だって、ぼくのエネルギーを吸い取られちゃうからね。
自分のやる気こそ、最大の自己資本だと思いますから。
でも同じ職場にいれば廊下などですれ違ったりすることも、当然ありますよ。
そういうとき、そんな相手にでも最低限の礼儀は尽くします。
こちらから、こんにちは、おはようございます、と挨拶はしっかりするようにしています。
たいてい相手はぼくが嫌いですから、ぷいっと知らん顔して通り過ぎます。
しめしめ、と思っちゃいますよ。
廊下ですからその場面を誰が見てるとも知れません。
ぼくがちゃんと挨拶をし、相手は知らん顔する場面を見る。
どっちが人格者に見えるでしょうね~。
毎度お引き立てありがとうございます!って、知らん顔する嫌な奴にも感謝しちゃいますよー。
あはははは。