2010年8月30日月曜日

実害がないなら気にしない

こんにちは

「あ、しまった!」
と思ったとたん、新幹線は相生の駅を発車してしまいました。
ぼくは月に2回ほど、新幹線に乗ってSPring8へ出張します。
最寄り駅は相生駅です。
ぼくは考え事をしたり、読書に集中してしまうと、その他のことが疎かになるんですよ。
街を歩いていて電信柱にぶつかったりすることもある。
電車も乗り過ごしてしまうこともたまにあるんです。

新幹線の場合、乗り過ごすとかなりの距離進んでしまうので、読書は下車駅のひとつ前でいったん中断するようにしています。
が、先週の出張ではつい読み続けちゃったんですよ、面白かったから。
気づいたときには遅く、岡山まで行く羽目になってしまいました。
こんなことは4~5年ぶりです。

4~5年前にも新幹線を岡山まで乗り過ごしたことがあり、約束の打ち合わせ時刻に間に合うように、岡山駅で到着していた上り列車まで走って乗り換えたことを思い出しました。
そのことをインターネット上のある教育関係の掲示板に投稿したところ、「関口はキセル乗車をしている」と言われ、へこみました。
その時も、乗り換えた新幹線の中で巡回に来た車掌さんに「間違えて乗り過ごしました」と説明し、「注意してくださいよ」と言われて下車駅まで戻ることを認めてもらえました。
乗り過ごしたのは事実であり、本来なら戻るための運賃も支払うのが原則ですが、車掌さんに認めてもらえたのです。
掲示板に書き込むときに、それは原則外だから車掌さんに迷惑がかかっても困りますから、そのことは書かなかったんですね。
そこを捕まれて「キセル」呼ばわりされてしまったわけです。

世の中には、他人を貶め、攻撃することによって自分を格上にしたいと思う人もいて、嫌になってしまいます。
特にネット内の匿名掲示板に蔓延しています。
それって下品ですよね。
下品なだけじゃなく、無意味だし損なことだと思います。
だって、いくら他人を貶め、攻撃したって、自分自身は変わっていないんですから。
何か努力して自分自身を高め、それによって格上になったわけじゃないんですから。

話を先週の乗り過ごしたことに戻して。
岡山駅に着いて、その日打ち合わせする人に予定より1時間くらい遅れる旨電話しました。
そして、駅構内にある精算所に行って、乗り過ごしてしまったことを駅員さんに伝えました。
駅員さんは、ぼくの切符に「誤乗」という印を押して、相生まで戻るには何時の列車に乗ればいいかまで教えてくれました。
特におとがめもなしです。
つまり、JRも故意ではなく悪意のないごくまれな誤乗車に対しては寛容なんですね。
キセルは、故意であり悪意もあり常習的に自己の利益のためにする犯罪ですから。
それと誤乗車は別物なんです。
安心して上り新幹線に乗り、相生まで戻ることができました。

ネットだけじゃなく、時にいわれない悪口を言われることもありますよね。
以前のぼくは、その度に落ち込んだり傷ついたりしていました。
誤解を解くために説明したり反論したり。
でもこれは無駄だって分かりました。
だって悪口を言う人のねらいはぼくと議論することじゃないんですから。
ただただぼくを傷つけへこますことが目的なんです。
そういうのに引っかかっては損だと気づいたんです。

悪口を言われて困ることは何か、って考えたんですよ。
どんな実害があるのかって。
そうしたらたいした損害はないんですよ。
自分や家族の生命を脅かされたり、財産を侵害されることもないんですよ、たいてい。
悪口が会社での評価や出世に響くこともない。
だいたいぼくは出世したくないわけだしー。あはははは。
残るは、気分が悪くなったり傷ついたりすることだけなんですよ。

気分が悪くなったり傷ついたりするって、自分の側の問題じゃないですか。
自分が勝手に気分を害したり傷ついたりしているだけなんです。
そしてそれこそが悪口を言う相手が望んでいること。
おめおめとその手に乗ってたまるか!ですよ。
だから、実害がない悪口は気にしないことに決めたんです。
反論もしない、ふ~んと軽く受け流す。
それが一番得なことだって分かったんです。
もちろんまだまだ修業が足らなくて、悪口を言われるとやっぱり気になりますよ、いまだに。
でも「気にしない、気にしない」と心の中でつぶやいて、やり過ごせるようになりました。

新渡戸稲造『自分をあと1メートル深く掘れ!』三笠書房¥1400-にこうありました。

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「いい気味だ」などと言っている自分の将来がどうなるかを考えてみるとよい。
敵に降りかかってきた困難は、いつかは自分の上に来ないとも限らない。
たとえ自分に来なくとも、敵が困ることは少しも自分の利益とならない。
だから自分には喜ぶべき理由がない。(213p)
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おお!逆もまた真ですね。
誰かが失敗すると、それを見て溜飲を下げ、喜ぶという心持ちもあります。
でも、誰かが失敗して自分の得になるかどうかというと、そんなことはない。
誰かの失敗を見て優越感を持つのも下品なことです。
だって、自分自身が努力して相手にうち勝ったわけじゃないからね。
これも自分自身の気分だけの問題なんです。
だから、実害がない悪口を気にしないのと同様に、実益のない優越感も気にしないのがいいのです。
誰かの失敗を見て優越感を持つのではなく、その失敗を自分のものと捉えて、その原因を考え自分は同じ失敗をしないように努力する。
それが実益を得る心構えだと思います。

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