2010年9月29日水曜日

子育てを楽しめ!

こんにちは

ある仕事仲間が「自分は理科系がさっぱりできなかったので、うちの子(小2)には理科的なことにも興味を持ってもらいたい」と言うので、以前友人たちと出版した『たのしい理科こばなし』星の輪会\1200-をプレゼントしました。
ぼくのサイン入りでね。
この本は小学3,4年生向きですから、彼のお子さんにはまだちょっと難しいかもしれません。
なので、「最初はお父さんが読んであげてね。休みの日には本に載っている実験を一緒にやって遊んだりするのも楽しいよ。たとえ一人で読めるのでも、一緒に聞いてあげたりしてね」と言って、本を渡しました。

その後、彼からこんなメールが届きました。

> 理科の小話ですが、何度も読むように娘に言ってるんですが、
> わからない漢字ばかりだと言って忌避しております。
> 困ったやつです。

ありゃりゃ、こんな与え方をしたんじゃ、いい本だって読みたくなくなっちゃいますよ。

ぼくはこう返事しました。

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そりゃ当然です。
最初は読み聞かせること、一緒に読むことが大事です。
何回か読んであげて、一緒に出来そうな実験を休日にやる。
難しい漢字には振り仮名を振ってやる。
そうする中で、自分だけでも読むようになるんですよ。
親の方が努力もせずに、子どもが努力するわけがありません。
困ったやつは君のほうです!
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子どもをよりよく成長させるためには、手間暇かかるわけです。
その手間を惜しんでしまっているのに、困ったヤツもないもんだ。
そんなことしていると、ホントに困ったヤツに育っちゃうんですよ。
昔から言うように、子どもって「育てたように育つ」ものなんです。

子どもは「未完成」だっていうことを忘れちゃいけません。
未完成だから教育が必要なんだし、成長するんです。
いい本をポンと与えたって、それだけで読めるようにならないんです。
読み聞かせて、興味を持たせること。
子どもが興味を持った実験を「じゃあ今度の休みの日にお父さんとやってみようか」と誘うこと。
そして約束通り、一緒に実験して楽しむこと。

漢字なんか何度も何度も読んであげれば、自然と読めるようになるんですよ。
自分で勉強しろ!なんて言うから、漢字がキライになっていつまでたっても漢字が読めるようにならないんです。
そういう手間暇をかけるから、よく育つんだし、親も楽しくなるんです。

自分が子どもだったときのことをよく思いだしてみましょう。
今自分が漢字が読めたり計算ができたりするのは、どうしてなのか。
きっと、お父さんやお母さんや先生が手間暇掛けて教えてくれたはずなんです。
そういうことをすっかり忘れちゃって、自分は自分だけで大きくなったような気になっているから、子どもに優しくなれないんです。
そして、子どもも親も楽しくない嫌な家庭にしてしまっている。
損だなーって思います。

子どもは発展途上、未完成なんです。
だから、できなくて当たり前、分からなくて当たり前なんです。
ちゃんと教えてやればいい。
手間暇かければ、確実に成長してくれます。
きちんと対応すれば、ちゃんとできるように、分かるようになっていく。
だから、面白いんですよ!

2010年9月28日火曜日

結婚しよう、子どもを産もう!

こんにちは

最近は職場婚というものが減っているそうです。
職場婚とは、男女が職場で出会って結婚する、ということです。
ある本に書いてあったのですが、それはセクハラについて厳しくなったからとか。
職場で男性が女性に声をかける。
それをセクハラと呼ぶ人がいる。
それで声をかけることを躊躇してしまうんです。

やっぱりセクハラの定義を間違えています。
セクハラと言うためには、そこに権力関係がなければ成立しません。
人事権を持っていて、労働者の評価権も持っている上司が、部下に性的な関係を強要する。
これをセクハラと呼ぶわけで、権力関係のないヒラの社員同士が社内で恋愛することはまるでセクハラじゃないのにね。
だいたい恋愛は男性が女性に声をかけるところから始まるのが常じゃないですか。
社内に好意を寄せる女性がいる。
その女性に「帰りに食事でも一緒にいかが」と声をかける。
独身の男女が、業務に支障がない範囲なら、社内恋愛はまるでオッケーだと思いますよ。

野口芳宏さんはこう言っています。

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家族は結婚によって成立します。
昔と比べて、結婚に対する考え方がかなり変わってきています。
一般的な考え方では「愛し合うから一緒になる」「好きだから一緒になる」です。
ですから、「好きで一緒になったのだから、嫌いになれば別れる」ということになります。
結婚は個人の好き嫌いという要素もありますが、私はもう一つの重要な軸があると思います。
それは公的な意味で結婚すべきだという考え方です。
自分がこの世に生を享けたように、次に生をつないでいかなくてはなりません。
そのための結婚という公的な考え方です。
結婚をそう考えると、自分の好みだけではなく、公的な自覚と言うことも必要なのだ、と子供に教えていかなければならないと思います。
(田下昌明/野口芳宏『家族を考える』モラロジー研究所¥900-、77p)
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最近は自由恋愛が減ってお見合いが増えているそうです。
誰かにちょっと強制されたり、お墨付きをもらわないと恋愛もできなくなっちゃってるんですかねー。
あ、ぼくら夫婦も友人から紹介でした。
ある意味、お見合いみたいな出会いでしたっけ。

確かに、お見合い結婚の方が上手くいくって例が多いようです。
お見合いだと誰かから、しかもしかるべき人からの紹介で出会うわけです。
そこには社会性が含まれています。
単に男女の関係だけではなく、多くの人の関わりの中で出会い、結婚するわけです。
公的な意識が、当事者にも分かるのではないでしょうか。
すると、せっかく紹介してくれた方に迷惑をかけたり、不義理をしてしまってはいけない、という気持ちも生まれる。
共に祝ってくれた人たちへの感謝もある。
いい家庭を築こう、いい子どもを育てようという気持ちが自然に湧いてくるのかもしれませんね。

同書にこんなことも書いてありました。
今度は小児科医の田下さんの言葉です。

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老後の話を必ず5歳の時にしてください。
子供が5歳の時で、6歳では駄目です。
6歳になると学校に行き、悪い友だちができるからです。
心がまだ汚染されていない5歳の時、「お父さん、お母さんは今元気でこうやっているけれども、歳を取って動けなくなって寝たきりになったらどうする?」と聞いてもらいたいのです。
そうすると100パーセントとは言い切れませんが、ほとんどの子供がドンと胸を叩いて、「任せなさい。僕が食べさせてあげる」と言うでしょう。(略)
両親の世話は、子供の生きがいの出発点です。
ですから、子供に「おまえたちの世話にはならない」と言ってしまったら、もうおしまいです。
取り返しがつきません。
早くから子供に「世話を頼む」と言うことです。(田下、43-45p)
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我が長男が5才の誕生日に、これを実践してみました。
これを言うと、ホントに長男は嬉しそうな顔をしたんですよ。

人は誰かの世話になるだけでは生きている気がしないものです。
誰かの世話をすることが生き甲斐になる。
親は子どもの世話をするから生き甲斐を持ててるんですね。
その意味で、子どもに感謝です。

でも子どもは親から世話ばかりされている。
そういう子どもに「老後も世話にならない。好きに生きなさい」と言ってしまうのは、反って子どもの生き甲斐を奪う残酷なことなんですね。
もちろん結果として老後は夫婦だけの力で暮らすことになるとしても、子どもの時に子どもに生き甲斐を与えるのも親の役目でしょう。

そういうことが分かったのも、結婚して子どもが生まれたからです。
家族ってホント楽しいですよ。
若者を結婚せよ、子どもを産みなさい!

2010年9月27日月曜日

短所を見るな、長所を伸ばせ

こんにちは

ぼくもちょびっと偉くなったんでしょうか(職位も変わらず、給料はまるで上がりませんが^^;)、役員会に臨席したり、役員へ説明したりする機会が増えてきました。
我が社の理事長は、ノーベル化学賞を受賞した野依さんです。
野依さんのような立派な方のお話を直接聞くことができるので、やっぱり役得だと思っています。
先日の会議で野依さんがおっしゃったことを紹介しますね。

あるプロジェクトで、たくさんの選択肢からどれかを選ばなければなりませんでした。
あらかじめ事務局でそれぞれの選択肢のメリットデメリットを検討し、点数化してその平均点で優劣を提示したときです。
野依さんはこうおっしゃいました。

 平均点だけで判断すると間違える
  同じ3でも、オール3で平均3なのか、
   または5と1とで平均3なのか
 オール3のものを5に持っていくのは大変難しい
  ところが5と1のものは5にすることが容易にできる
   1の部分が気にならない、体勢に影響しないようにすればいいからだ
 1の部分が無視できるなら、一気に点数は5になってしまう

なるほどー。
目からウロコが落ちました。
もちろん1という点数が付くようなひどいデメリットを簡単に直すことはできません。
でも、いくらひどいデメリットがあったとしても、それが全体に影響がないものなら、わざわざ点数に入れる必要はありません。
あるいは、ひどいデメリットが影響しないようなシステム、方法を考え出せれば、それを無視することができます。
すると5という点数の部分だけ、メリットだけが残っていくのです。

これは人の能力についても言えますね。
人は誰でもデコボコがあるのが普通です。
平均点だけで見ちゃうと、その人の能力を見誤ります。
平均点というのは、長所も短所も同時に見てしまうということですから。

短所があったとしても、その短所が表面に出てこないようにすれば、短所はあってもなくても同じになります。
表面には長所しか出てこないから、すごく有能に見えるはずです。
短所を矯正するのは非常に苦労します。嫌なことだからね。
ところが長所を伸ばすのは、元々好きなことだったりするので、楽しいことです。
東京大学のような一流大学に合格するためには、オール5じゃないとダメだと思っている人が多い。
でも違うんですよ。合計点が合格点を上回っていればいいんです。
こちらもノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんもこう言っています。

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こうなったら、何がなんでも名古屋大学理学部に現役で合格するしかないと、三年生になったぼくは、やっと受験勉強に本腰を入れ始めたのです。
残された準備期間は1年しかありません。
勉強時間を効率的に使おうと考え、入試で何点取ればいいかを試算してみました。
当時の名大の入試科目は数学(解析Ⅰ、解析Ⅱ、代数)、国語(現代文、古文、漢文)、英語、社会(日本史、世界史)、理科(化学、物理)の五教科で、一教科200点の千点満点です。
受験参考書を読むと理学部の合格ラインは450点と書いてあったので、作戦を練りました。
真っ先に捨てたのは苦手の英語です。
やるだけ時間の無駄だろうと、最悪零点を覚悟しました。
残りの800点中450点を取れればいいわけですが、国語は本好きだから、そこそこの点は取れると踏み、社会も丸暗記さえすればなんとかなると考えた。
あとは得意の数学と理科の二教科で実力が発揮できれば合格ラインは突破できるんじゃないかと、検討をつけたんです。
最大の得点源の数学と理科は、教科書や問題集を片っ端から解きまくりました。
勉強時間の大半は数学と理科に費やし、社会の暗記を始めたのは12月になってからでした。
大学に合格したあとで点数を聞きに行ったら、英語は200点満点中30数点、その他の科目は計画通りで、マアマア上出来というところでしたね。(『フラフラのすすめ』講談社¥1000-、49p)
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益川さんも嫌いな科目、短所である英語に労力をかけなかったんですね。
それよりも得意科目、長所である数学、理科に集中して時間と労力を注ぎ込んだ。
それで名大に合格し、学者としての基礎を作り、ノーベル賞までつながっていったんです。
同じ労力をかけるなら、効率的で楽しい方がいい。
ならば、平均点なんかで判断するのはやめればいいんです。
もちろん短所は自覚しておいて、それが表に出て痛手を負わないような注意は必要です。
その注意さえしていれば、わざわざ自分の短所を世間にさらすことはないってことです。

飽きることを乗り越える


こんにちは

ぼくは時々「根気があるね」と言われたりします。
一日中ずっと事務仕事をしたり、延々と本を読んだり、勉強し続けたりするのを見かけるからかもしれません。
確かにぼくは、そのようなことができちゃったりします。
でもぼくは子どもの頃から飽きっぽい性格ですし、それは今もちっとも変わっていません。
すぐ飽きてしまうので、それをなんとか工夫するクセが着いただけです。

たとえば一日中ずっと事務仕事を続けているとしても、ひとつの仕事だけするのではなく、二つか三つの仕事を平行して仕上げているのです。
ある仕事に飽きたら別の方の仕事に切り替える、それに飽きたらまた元の仕事に戻る。
あるいは、一つの仕事を続けるにしても、前から処理していて飽きたら後ろからやってみたりします。
一日中本を読んでいる、勉強しているにしても、同じく二つか三つを平行しているのです。
それを適当に切り替えるので、気持ちも切り替えることができます。
そういうことをくり返して、飽きることをやり過ごしているのです。
それが傍目から見ると「根気がある」ように見えるというわけです。

この能力が備わったおかげで、暇をつぶすのがそれほど苦にならなくなりました。
いつもカバンやポケットの中には、本や勉強道具や、時には仕事の書類が入っています。
すき間時間ができたり、スケジュールが狂って空白時間ができても、その時間をそれほど無駄にしないでやり過ごすことができます。
だから、たとえ干されても(笑)何とかやりすごすことができるんじゃないかって思っています。
暇つぶしも能力のうちだと自分勝手に思っています。

正高信男『0歳からの子育ての技術』PHP\1250-を読みました。

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おもちゃを選ぶときには、極力、素朴でシンプルな形状で、いろいろな遊び方を創造できるものを選ぶといいでしょう。たとえば先ほど出てきた押し車や、積み木、小さなボールなどです。
遊び方の限定されたおもちゃだと、子どもは、「遊び方」を考えないようになってしまいます。
ひとつの遊び方に飽きたら、新しい遊び方を工夫して発見し、「飽きた」段階を克服するという知的な作業が、子どもの脳を発達させるのです。
ひとつのおもちゃに別のおもちゃを組み合わせたり、紙や、布箱など日常の中にあるものを使ったりして、まったく違う遊びをすることができる。
そうした”余地”のあるおもちゃが、よいおもちゃです。
また、一度にたくさん与えすぎるのは禁物です。
次々に新しいおもちゃが手に入ってしまうと、「飽きたら新しいものをもらえばいいや」と考えるようにな
り、「心の飽和状態(=飽きること)を自分で考えて乗り越える」ことを学べません。
それでは飽きっぽい、集中力や思考力のない子どもになってしまいます。(100-101p)
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我が子たちにもこの「暇つぶしの能力」を身に着けてもらいたいな、って思っています。
正高さんは、飽きることを乗り越えることが大事だ、と言っています。
飽きても今あるリソースを工夫することによって、新たな楽しみを見いだすことが、飽きることを乗り越える能力を育てる。
だから、やたらとおもちゃを買い与えちゃいけない。
それが返って子どもの能力の発達を阻害することにもなる。
工夫の余地がないビデオゲームもよくないのは、そういう理由もあるんですね。
ナルホド、心しておかなくちゃ。

2010年9月25日土曜日

歯車を回せ!

こんにちは

先日の電話交換機更新作業の立ち会い。
ぼくは監督員として1~2時間に一度くらいしか作業現場に行かない、と書きました。
じゃあ現場に行かない時間は何してるんだ?って思った人もいるかも。
別にサボっていたわけじゃなくて、普段やれない仕事をしていたんです。
ぼくは出張が多いため、なかなか和光研でしかできない仕事がやれない。
休日出勤も普段やれない仕事をするチャンスです。

ぼくは和光研次期スパコン計画にも参加しています。
次期の計画をするためには、今を知らなければなりません。
今のスパコンがどの程度電力を使っているかを調べたんです。
電気中央監視室には、各変電所の毎日の電気使用量が日報として残っています。
和光研にはたくさんの変電所があり、スパコンがつながっている部分のデータを探し出すのも一苦労。
分厚いファイルを1年分引っ張り出してきて、データを転記しました。
リンパックベンチマーク試験を実施した日とその時の電力も割り出しました。
データをまとめて、このプロジェクトのリーダーにメールで報告。
またひとつぼくの役割が果たせて気分爽快!

よく「社会の歯車にはなりたくない」とか「教育は歯車を作るためにあるんじゃない」なんて言う人がいますよね。
歯車ってそんなにくだらないものなのでしょうか。
エンジニアのぼくとしては納得できません。
そこでちょっと弁明しておきたいと思います。
歯車って何だ?ってことを説明しておきます。

歯車の役割は、

 パワーを伝達する

ということです。
モーターやエンジンで作り出されたパワーを、歯車を介して他の部分へと伝達するのです。
自動車はエンジンで作り出したパワーを、歯車を使って車輪に伝えて、動くことができるのです。

歯車はパワーを伝えるときに、そのまま伝えるのではなく、

 パワーを変化させる

こともできます。
大きい歯車に小さい歯車を接続すると、スピードを速くすることができます。
反対に小さい歯車に大きい歯車を接続すると、スピードを遅くすることができます。
また小さい歯車に大きい歯車を接続すると、トルク(回転しようとする力)を大きくできるのです。
乾電池で動くような小さなモーターのパワーでも、歯車を使ってトルクを大きくすれば、人を乗せた車だって動かすことができるようになるのです(遅いけど)。
特殊な形の歯車を使えば、回転方向を変えられますし、回転運動を上下動に変えることだってできます。

さらに歯車は、

 パワーを合成・分解できる

のです。
小さいエンジンがたくさんあって、それらのパワーを合成して強いパワーにしたいとき、歯車は役に立ちます。
大きな歯車の周りに小さな歯車をたくさん接続します。
小さな歯車には小さいエンジンが着いています。
小さいエンジンを同時に運転すれば、それぞれのエンジンのパワーは小さい歯車を介して大きな歯車に伝わります。
すると、大きい歯車を強いパワーで回転させることができるのです。

反対にひとつの大きなエンジンのパワーを、たくさんに分解して使うこともできます。
大きな歯車にエンジンを接続します。
大きな歯車の周りに小さな歯車をたくさん接続します。
エンジンを運転すれば、大きな歯車を介してたくさんの小さな歯車を回転させることができるのです。

このように、歯車はパワーの伝達、変化、合成・分解になくてはならないものなのです。
身の回りのものあらゆるものに歯車は使われています。
自動車、自転車、電車、自動ドア、エアコン、冷蔵庫、洗濯機などなど。
歯車は世の中になくてはならない技術のひとつなのです。

ぼくはある意味人はみんな歯車だと思うし、歯車であるべきだと思っています。
歯車は回転を他の歯車に伝える役目をしているメカニズムです。
ただ単に伝えるだけじゃなく、速度を変えたり、力を増減したり、方向を変えたりしている。
ちゃんと役割を持って回転しているわけです。
人だって同じだと思います。
自分のした仕事をちゃんと誰かに伝えること、そうやって自分の役割を果たすことが生きる意味だと思うのです。
誰かの回す歯車からの回転を受け取って、自分の回転をうまくやり、その回転が他の誰かがちゃんと受け取ってくれる。
人との歯車がカチッとかみ合ったとき、とても気持ちがいいんです。

大内伸哉『雇用はなぜ壊れたのか』ちくま新書¥740-から引用します。

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多くの人は、会社の中で「チームプレー」をしている。
同僚とは切磋琢磨し、上司からは指導を受け、力を発揮するチャンスをもらう。
こうしたなかで、実力がついていくのである。
他者との関係性を度外視した実力などは、(よほどの天才ででもない限り)考えられない。
仕事をする上では、他者の力を借りながら、自分の実力を涵養していく努力をするということが大事なのである。
そして、そういう心構えをもてるということこそが、その人の本当の実力なのかもしれない。(110p)
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逆に言えば、ちゃんと誰かに伝わらなかったとき、自分の役割を果たすことができなかったとき、生きた実感がなくなる。
そういう気持ちになった人が「人間は歯車じゃない!!」って叫ぶんです。
自分が空回りした歯車になったとき、とてもむなしくなります。

悩んでいる人はたいてい歯車が空回りしているんです。
仕事は一人でやるものではありません。
一人でやってはいけないものだと思うのです。
一人で抱え込んではいけないんです。
悩んでいるなら、悩んでいることを明言するといい。
すると誰かが歯車をかみ合わせてくれます。
空回りから開放してくれる人が必ずいるんです。

誰かから仕事を受け取り、自分の役割を付け加え、それをまた誰かに渡す。
そのために自分という歯車を上手く回すんです。

2010年9月23日木曜日

質問する方がエライ!

こんにちは

先週末は和光キャンパスに建設中の脳センターの工事立ち会いのため休日出勤しました。
ぼくは残業や休日出勤を極力しない方針ですが、絶対にしないというわけじゃなく必要ならきっちりやる。
キッチリやって、その分を振替休日にしたり、超勤手当をいただいたりします。
キッチリやってるんだから、堂々といただきます!
だから、普段残業しないのはいざというとき残業できる余裕を残している、というわけなんです。
1日8時間、週40時間ではどうしたってこなしきれない仕事量になることだって、たまにはあるわけです。
退勤時刻以後、休日じゃないとできない仕事だってあるわけです。
そういうときそいつをやっつけることができるかどうか。
やっつけるためには余力を残しておかなくちゃね。

で、先週末の作業は電話交換機の更新作業の立ち会いでした。
ぼくは監督の仕事ですので、実際の作業はメーカーの技術員さんたちがやります。
じゃぼくは何をしていたのか。ただ見ていただけなのか。
いやいやそうじゃありません。
監督員の仕事のひとつは、作業員の方たちに適度にリラックスしてもらい、適度に緊張して作業してもらうことなんです。

適度にリラックスしてもらうためには、ずーっと現場に立ち会っていたらダメです。
学校の授業中でも、子どもだって勉強している間ずーっと後ろに先生が立っていたら、逆に集中できなくなります。
逆にまったく見に行かなかったらだらけすぎますよ。
先生もたまに自分のそばに回ってくるから、適度に緊張感を保つことができる。
監督員も同じだと思います。

ぼくも1~2時間おきに現場に行き、様子を見に行きます。
そして進捗を確認すると共に、技術員さんたちと雑談。
馬鹿話もしたりして、ちょっと笑ったりね。
もちろん作業中に発生した小さな問題にも対処。
よく分からないケーブルが付いていたけどどうしましょうか、みたいな。
その場でそのケーブルの行き先をたどっていって、途中で切断されているのを見つけ、撤去してもらったり。

それとちょっと新しい交換機について質問したりもします。
資格マニアのぼくは、デジタルアナログ総合種工事担任者という電話設備に関する資格も持っていますので、交換機の原理くらいは知っています。
なので新しい交換機の仕組みなんかを、技術員さんにちょっと質問するんです。
作業の邪魔にならない程度にね。
そうすると技術員さんに、この人は全くの素人じゃないな、ということが伝わります。
下手なことはできないな、と思ってもらえる。
そこで適度な緊張感も生まれるわけです。
おまけにぼくの知識も増え、好奇心満たされますしね。
一挙両得!

特に日本人で顕著なんですが、質問されるより質問する方がエライと認識されるようなんです。
だから、自分を有利な立場に持っていくためには、質問する側に回るといい。
質問される方はビビリますからねー。
この心理は覚えておくと便利です。
もちろんぼくは誰かよりエライとも思っていませんし、エラクもなりたくありません。
でも世渡りの技術として、心理学を応用したりします。

世の中には自分の実力以上に自分をエラく見せたい輩もいるんですよ。
そのためにしなくてもよい、してはいけないイジワルをする。
そういう奴を黙らせるために、時にこの技法を使ったりします。
そういう奴にはちょっと質問してみるんです。
相手が答えに窮してもいいですし、答えられてもかまわないんです。
質問するだけで、自分の方がエライんだと相手に認識させることができる。
相手の方が先に質問してきたらどうするか。
答える代わりに逆質問してやればいいんです。
「じゃ逆におたずねしますが、○○についてはどうなんでしょうね?」みたいにね。
これで自分を有利な立場に持っていくことができるのです。

何で日本人は質問する方をエライと認識するのか。
たぶん学校教育の影響があると思うんですよね。
授業中、質問するのはほとんど先生ばかり。
先生から質問されて指名される。
答えられなくてバカにされたり、恥をかいたりする。
そういう経験が誰もに積み重なっているわけです。

よく講演会などで、講演後に司会者が「せっかくの機会ですので講師の方に質問がありましたらどうぞ」なんて言います。
でもたいていの場合質問する人はおらず、会場は沈黙に包まれます。
それは講師の人はそれだけでエライ人なので、そのエライ人に質問するのは失礼だ、という意識が働くからです。
エライ人に質問したら自分の方がエラくなってしまうので、それは困るわけです。

学会発表でも、エライ人の発表に対して質問する人はいません。
まだエラくない若手研究者に対してなら、結構質問が出ます。
で、その質問に指導教授が答えちゃったりするんです。
するとその答えに対して反論しにくくなります。
だって教授はエライですからねー。

野口芳宏さんの講演を聴きにいったときのこと。
講演はとても楽しく、役に立つお話で、時に笑いがあったりとてもよい雰囲気でした。
ところが講演後例によって司会者が「どなたか質問はありませんか」と言ったとたん、みんなだんまり。
だって野口先生は偉い方ですもん、質問なんかできませんよー。
その時、野口さんはこう言いました。

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講演後は質問じゃなくて感想を言ってもらうといいんです。
感想なら気楽に言うことができます。
できれば事前に、若い人とか遠方から見えた方に最後に感想を述べてもらうよう
お願いしておくといいですよ。
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さすが野口先生、人間の心理が分かっている。
自分に対する質問はしにくいということが分かっているんですね。
そして教育者です、若者やお金と時間を使って遠方から来た人に配慮がある。
予め感想を言うよう頼まれたら、真剣に講演を聴くことになります。
その分、学びは多くなるはずです。
もちろんみんなの前で話すわけですから、学びも倍増します。

2010年9月22日水曜日

子どもを勉強好きにする


こんにちは

親なら誰もが我が子が少しでも勉強してくれることを願っているでしょう。
子どもが小学校高学年にもなれば「勉強しろ」「勉強しろ」と言うようになる。
でもたいてい子どもは勉強するようにならないんですよね(笑)。
だって勉強はめんどくさいんだもん。
それに親は「勉強しろ」と言うだけで、それ以上のことをしてくれない。
まあ、勉強するようにはなりませんわな。

『たのしい授業10.09』仮説社¥740-に掲載されていた、板倉聖宣「世の中、悪くするのは<善意の人>なんです」にこうありました。

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お母さんたちは知っているはずです。
自分たちの勉強してきたことがほとんど役立ってないと。
しかもイヤイヤやってきたことを。
なのに自分の子どもにはそれを強制する。
おいしいものを「食べろ!」と言うのはいいよ。
自分では「おいしくなかった、栄養にもならなかった」と思っているものをなぜ食べさせようとするのか。それは非人間的なことだと思いませんか?
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自分たちの勉強してきたことがほとんど役立っていない。
なのに親たちはなぜ子どもに「勉強しろ」と言ってしまうのでしょうか。
役立っていないのは、親自身にとって、なんです。
世の中を見回してみると、勉強を役立てている人がいる。
そういう人は収入が高かったり、地位があったり、社会的信用も高かったり、何より生き生きしている。
だから勉強した方がいいことは分かるんです。
たとえ自分が勉強しなかったとしてもね。
だから我が子には「勉強しろ」と言ってしまうんです。
でも、勉強が楽しい、役に立つという実感がないし、勉強のやり方も知らない。
なのでかけ声だけに終わってしまうんです。
子どもも親の腰のひけた言動が見えてしまうので、ちっとも勉強するようにならないわけです。
板倉さんはこうも言います。

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学問というやつは、本当は、少し深くやると、とても面白くなるんですよ。
だから、自分が勉強したいこと、勉強して楽しかったことについては、子どもにそれを勉強するよう期待してもいいと思います。
子どもの尻をひっぱたいてもよろしい。
自分の好きなものを押し付けるなら、相手もなぜ押し付けられるかわかりますからね。
一方、自分が嫌いな勉強なら「その勉強を押し付けるな」と言いたい。
「自分は勉強したかったのに機会がなくてできなかった」というのなら、子どもと一緒に勉強しなさい。
第一級の科学や文化というものは、本格的に勉強したら、すごく楽しいものになるはずです。
もし、少しでも余裕があったら、人間的に豊かになるために学びなおしたらどうでしょうか。
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勉強も学校の勉強だけをターゲットにするとあまり面白くない。
学校で教える勉強は「浅い」ですから。
学問的に浅いので、それ自身面白いものではないから、子どもは「できる」ことに楽しみを見いだします。
それも、他の子よりできるってことに。
他の子よりできるようになった子が優等生。
でも優等生君は勉強の面白さまで到達していないことが多いんです。

勉強の面白さが分かるには「マニア」にならなくちゃ。
学校で習う範囲を逸脱することが大切です。
好きなこととことん、ですね。
算数、数学が好きなら上の学年の教科書へどんどん読み進めていく。
社会科が好きなら、図書館でいろんな本を読んだり、行きたい場所へどんどん行ってみる。
理科が好きなら、自分で実験してみたり、博物館へ行ってみる。
マニアにならなくちゃ勉強の面白みもわかりませんから、勉強するようにならないんです。

その点、我が家は既にアドバンテージがあります。
ぼく自身が勉強マニアだからです(笑)。
勉強の面白さを知っていますし、役立つことも知っている。
子どもに「勉強しろ!」というときの迫力が違いますよー。
あはははは。
それに、勉強の仕方も知っているので、子どもにアドバイスもできます。
断然有利です。
たとえ我が子が理数系以外、文系の学問に興味を持ったとしても、ぼくは好奇心旺盛なので一緒に楽しむこともできると思うのです。
だから我が子たちは勉強好きになるに決まっているのです!

ま、ぼくもフツーの親です。
子どもには勉強好きになってもらいたいですねー。

2010年9月20日月曜日

美味い店(魚がし日本一)

こんにちは!
 
例によってB級グルメ情報です。
ちょいと気軽に旨い寿司を食いたくなったらここ!
回転寿司じゃないよ。
 
 立ち食い寿司「魚がし日本一」
 
1貫75円という安さ(ネタによっては高いものもあり)。
それなのに注文に応じてちゃんとした寿司職人のおじさんが握ってくれます。
ネタもまずまずですが、酢飯が旨い。
安い回転寿司は酢飯がまずいでしょ。
ネタ、酢飯とも適温なのも大変よろしい。
ここはちゃんとした寿司が食えるんです。
 
たっぷり食べて、ほぼかっぱ寿司並みのお値段。
その上毎月10日、20日、30日はレディースデー。
メンバーに一人でも女性がいれば、全員が10日は10%引き、20日は20%引き、30日は30%引きなんです。
こりゃ、オトク!
 
ゆっくり食べるには向いていない店ですが、立ち食いこそ江戸前寿司の本来の姿なんです。
ぜひ一度行ってみてくださいね。

IT化の罠

こんにちは

今朝のニュースで菅新内閣総務相片山氏が「公務員給与を人事院勧告以上に削減する」と言ったとか。
毎年ちょびちょび下げるくらいなら、いっそのこと今年一気にドカンと下げちゃってくださいよ!って思っちゃいますよ。
行動経済学の研究「プロスペクト理論」によれば、ちょびっと給料が下がるのが一番気分が悪くなり、人のやる気を奪うのです。
逆に、ほんの僅かでも給料が上がると、やる気が出るものなのです。
公務員だってほとんどの人は毎年努力を重ね、効率を上げ、成果も出していると思うんですよ。
なのに給料が下げられる。
それでやる気を出せという方が間違っています。
だからこの際完全にリセットする気でドカンと下げちゃって、そこから再スタートするのも悪くないとぼくは思います。

今年の人事院勧告はこんなのでした。
http://www.jinji.go.jp/kankoku/h22/h22_top.htm
人事院勧告は国家公務員の給料について、国に適正額を勧告するものです。
それは公務員は公僕であるため、労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)が制限されているためです。
本来、労働者は使用者と直接交渉することによって自らの賃金を決めていくものですが、公務員はその賃金を税金という公金で賄われるため交渉によって決めるのはそぐわない、という考えなんです。
その代わり人事院が民間企業(以前は職員数100人以上の会社でしたが、昨年から50人以上の会社を対象)の賃金を調査し、適正額を使用者である国に勧告するわけです。

我が社の職員は公務員ではありませんが、事業のほとんどが税金によって運営されているため、「見なし公務員」などと呼ばれており、労使交渉は行いますがほぼ人事院勧告を参照して決められるのです。
で、今年の勧告ですが、またもボーナスダウンです。
本給も中高年齢層はダウン。
ぼくの年俸も確実にダウンですね。
このところ毎年給料を下げるばかりの勧告なっていますが、最近の人事院勧告はその代わり労働条件を改善するための勧告もペアで行っています。
今年の勧告の場合、「65才定年制」もしています。
給料は下げるけど定年も伸ばしてやるから我慢してね、と言うことでしょうか。
デメリットを与えるならメリットも与えるってことです。
なぜこういうスタイルになったかというと、H20に「労働契約法」という法律ができたからです。
この法律に、一方的な労働条件の切り下げはしてはいけない、切り下げるならそれとバランスするものも提示しろ、と書いてあるのです。
そういうわけで、人事院勧告も給料だけの上げ下げだけではなく、他の労働条件についても勧告するようになったのです。

去年の人事院勧告は、ボーナスをドカンと0.35ヶ月減らせ、というものでした。
その代わり、ワークライフバランスに配慮した働き方ができるように「時間年休」の取得ができるようにしろ、とあったんです。
年次有給休暇は、労働者が心身を休めリフレッシュするために与えなければならないものなので、本来は1日単位で与えるものです。
が、それだとなかなか休めない人が多く、年休取得が進まない現状があるわけです。
そこで1時間単位の年休が取れるような制度にすれば、子育て世代なら保育園の送り迎えや、子どもが急病の時の対応もしやすくなります。

去年ぼくは労組委員長でしたから、ボーナスを減らすのは我が社の置かれている状況や世情から考えて容認せざるを得ないが、合わせて勧告通り時間年休も実現するよう要求しました。
が、これがすぐにはできないって言うわけですよ、会社側は。
なぜなら我が社の勤怠管理はIT化しており、このソフトウェアの変更に時間とお金がかかると言うのです。
おいおい、そんなに大変なソフトウェアかー、って思っちゃいましたよ。
ぼくは簡単なプログラミング程度ならできる知識や技術を持っています。
すぐさまぼくの頭の中には時間年休を管理するためのプログラムが思い浮かびました。
すぐできない、ソフトウェアの変更に時間とお金がかかるのは、そのソフトウェアを外注しているからです。
外注していると、ちょっとした変更をするにもとんでもないお金と時間を要求されちゃうのです。

吉越浩一郎『CEO仕事術』朝日新聞出版¥1400-にこうありました。

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マニュアル化の一つであるITシステムは、常に更新可能な状態にしておくのが望ましい。
社内のマニュアルが充実し、より高度な仕組みで仕事が回るようになると、一度作り上げたITシステムに、すぐ現状にそぐわない不都合な部分が出てくるものだ。
ところが多くの会社が、そこで立ち往生しているのが現状だ。
なぜならITシステムは外注することが多く、簡単に修正できないからだ。
ちょっとした修正を依頼するだけで、システム会社に何千万円の費用を支払うことになる。
だから、少々、使い勝手が悪くなっても、そのまま我慢して使い続けるのだ。効率化のために導入したITシステムが、効率化の妨げとなるという笑えない事態である。(160p)
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IT化すると、確かに業務効率が上がります。
ルーチンワークをすべてコンピュータがやってくれるわけですからね。
ただし、そのソフトウェアが実情とぴったり合っている場合はね。
実情とのズレが大きくなるにつれ、反って業務効率を下げていきます。
だから常に実情の業務に合わせて、ソフトウェアをカスタマイズし続ける必要があるんです。
そうじゃないとIT化しても効率は上がりません。
だから、IT化すればすべてオッケーと単純に考えているバカ経営者はダメなんですよ。

まあ確かに「バグのないソフトはない」と言われるように、安定して確実な動作をするソフトを作るには大変な時間と労力がかかります。
それはそのまま金額に跳ね返ってきます。
だから会社としてはカスタマイズすることに躊躇してしまうのです。
そして、間尺に合わなくなったシステムを使い続け、業務効率を下げていくわけです。
これじゃあ何のためにIT化したのか、分からなくなります。

吉越さんの会社、トリンプでは、社内システムは社内で作るようにしていたそうです。
だから実情に合わせて、迅速に、ON Timeでソフトをカスタマイズできた。
その代わり、多少のバグは容認していたんだと思います。
バグがあっても、すぐ社内担当者が是正できるから、それほど問題にならないわけです。
だからこそIT化の威力も発揮され、経費削減、労働時間の短縮につながり、毎年増収増益を続けられたと言うわけです。

2010年9月19日日曜日

理想を掲げて妥協する

こんにちは

今日も休日出勤です。
和光研に建設中の脳センターの新しい工事で、脳センター全体の電話交換機を更新しています。
1000内線もの内線電話をつなぎ換える工事です。
結構大変な作業です。
休日にがんばってくれるスタッフのみなさんに感謝ですね。

ぼくは出勤するとまず、手帳を確認して、今日やらねばならない仕事、やりたい仕事を反故紙の裏に書いてリストアップします。
そしてそれらをがむしゃらにやっつけていく。
やっつけるごとに、×をつけていくんです。

だいたい一日8~10項目くらいリストアップしますが、たいていの場合その6割から8割しか終わりません。
優先順位、重要度の高い仕事から片付けていくので、それでも問題はないわけです。
6割から8割しか終わらなかったからといって、計画性がないなーとか、悲観したりはしない。
おー今日も60点、合格だ!と思って、気分よく退勤します。

逆に、予定していたこと全部ができちゃうっていうことは、実は自分に甘いんじゃないかって思うんです。
100点とる人は、確実に100点取れるだけの課題しか自分に与えていない。
それじゃあ自分を伸ばすことができません。
自分に負荷をかけるためにちょっときつめの課題を自らに課す。
そうするからがんばるし、伸びることができるって思うのです。

藤巻幸夫『自分ブランドで勝負しろ!』インデックスコミュニケーションズ¥1300-にこう書いてありました。

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私は、やりたいことを10個ドカンと打ち上げて、3つは達成するも、あとの7つは成しえないようなスタイルでいいと思っている。
もちろん、そんなスタイルでは、「大きなことを言っておいて、結局できたのはこれだけじゃないか」と周りからの失笑を買うこともあるだろう。
だがそれが何だというのだ?
きっちりと結果を残せなくたって、別にどうってことないじゃないか。
自分の中にやりたいことが常にあふれていたら、それだけで一生涯楽しくないだろうか?(229p)
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まったく同感です。
ぼくは「理想主義は怠惰の隠れ蓑」だと思っていますから、完璧にやろうとはちーっとも思っていません。
やりたいことを山盛りにして、ガシガシとそれを片付けていく方を選びます。
そしてギリギリ合格点までもっていく。
その方が気持ちいい。
つまり、理想は大きく掲げるようにしているんです。
理想を高く持ち、少しでもそこに近づこうとする。
 
そもそも理想って完全には実現できないから理想なのであって、すぐさま安易に実現できるようなことは理想ではないのです。
だから理想通りにできなくてあたりまえ。
理想通りにできなかったとしても、それでへこむこともないのです。

100点とるような人は、理想が低すぎるんですよ。
理想主義者は理想通りにできないと、それを失敗と捉えてしまいます。
その結果、理想を達成できないならそれをやる必要はない、ということにしてしまう。
理想主義者はこうして現状に甘んじてしまうのです。
そして、理想を忘れ、理想を失っていくのです。

ぼくは自分のことを「実務者」であると規定しています。
実務者とは、一歩でも二歩でも前に進む人のことです。
完璧にはできなくても、たとえ1%でも10%でも理想に向かって近づこうとする人です。
少しでもいいから現実を変えていく人のことです。
そのために「行動」し「努力」する人のことです。
そして、理想を決して手放すことがない人のことです。
時には理想通りにできず、妥協する必要もあります。
妥協したとしても理想は失わないようにするんです。
そうすれば、自分の中にやりたいことがなくならない。
やりたいことが自分の中に常にある人生の方が楽しいと思っているのです。


スパコン棟の写真をTシャツにしてみましたー。
Tシャツ作成サイトはこちら。1枚1000円程度で作れます。
ぼくは名刺もここで作ってます。250枚で1000円くらい。
http://www.vistaprint.jp/
 

2010年9月16日木曜日

技術は知識に支えられる


こんにちは
昨日もよく働きました。
午前中は和光で脳センター新棟の高圧電源引き出しの現地調査を施工者さんと。
ザクザクと決めるべきことは決めていきました。

それが終わってから、今年度の目標管理表を作文。
今年度からIT化してwebベースでの提出になったんですが、これが不便。
目標記載欄が1項目についてたったの3行ほどしかなく、具体的に詳細を書くだけのスペースがない。
今年もやりたいこと目白押しのぼくとしては大変不満。
まー会社側が3行程度で書ける程度の目標しか求めていないんだなーと判断するしかないでしょう。
どうせぼくは目標管理表があろうがなかろうが、やりたい仕事やるべき仕事をザクザクやるだけです。
でもちょっとイタズラ心を起こして、こんな目標も1項目記載してみました。

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ワークライフバランスの充実
業務を効率的に実施し、不要な超過勤務や休日出勤を減らすと共に、同僚へのサ
ポート、アドバイスを行うことによって課全体の業務を効率化し、ワークライフ
バランスを充実させる。
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現代においては労働者としてまっとうな目標だとぼくは思いますが、旧態依然とした方々にはカチンと来る目標でしょうね。
さて上司が何と言ってくるか楽しみです。
うひひ。

そしてその後東京連絡事務所に移動して、和光研次期スパコン検討会。
それが終わってから麹町JSTに移動して、労働組合の会議。
充実した1日でしたよー。
 ぼくはここ数年、ほぼ残業ゼロで勤務しています。
だから勤務時間は社内でも最低だと思います。
でも仕事量は人には負けていないと自負しています。
ぼくのモットーは「人生は良く生きるものではない、多く生きるものだ」です。
間違いを恐れ、小さく縮こまって生きるのは楽しくない。
多少失敗したっていろいろやってみたいんです。

話を戻して、スパコン検討会。
これが楽しかった。
ぼくはこの会に電源や冷却などインフラの担当として参加しています。
が、まだまだスパコン本体、システムの話題ばかりでした。
使われている用語もちんぷんかんぷん。
それでも最近のマシンのトレンド、たとえば一頃流行したGPUによって高速化するってのがもう使えない技術になってきた、などが分かって楽しい。
ちんぷんかんぷんながらも、キーワードをメモしてきました。
家に帰ってインターネットでそのキーワードを検索して、少しでも理解したいと思って。
インフラとは「下支え」ですから、支えるもののことをよく知る必要があると思っているんです。
何を支えるか分かっていないと、適切に支えられませんからね。
知識は大切なのです。

野口芳宏『国語授業のつくり方』東洋館出版社¥1500-から引用します。

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外科医の「技術が高い」と言う時、その内実は何でしょうか。
それは「あの外科医は器用だ」と同義でしょうか。
否です。
外科技術が高い、というのは、豊かな医学的知識、情報に基づいて診察し推理し、判断し、決断をし、その上で、もてるあらゆる医学的知識、情報に基づいて行動することです。
つまり、高い技術の実践は、それを支える豊富な知識に裏づけられているということです。
知識なき技術は偶然に依拠する他はなく、技術として行為化できない知識は無益です。(33-34p)
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野口さんは、
技術とは、知識の行為化である
とも言っています。
豊かで正確な知識に支えられた技術だから、百発百中、間違いがない。
豊かで正確な知識に支えられた技術だから、正しい行為となって顕れる。
豊かで正確な知識に支えられた技術だから、世の中を変えていけるんです。


スパコン棟にぼくが植えたハーブの苗が育っていました。
そのそばから雨蛙が飛び出しました。
なんか嬉しいですねー。

2010年9月15日水曜日

おしゃべりに育てる


こんにちは

我が子たちにはおしゃべりになってもらいたいと思っています。
ぼくの周りの人たちを観察しても、優秀な人はすべからくおしゃべり。
我が社の理事長、ノーベル賞学者の野依さんなんか最たるもの。
同じくノーベル賞学者の利根川さんも、機関銃のようにしゃべる。

おしゃべりといっても、ただたくさんしゃべっているだけじゃなく、聞いていて面白い。
みんなを笑わせるユーモアもふんだん。
もちろん役に立つこともたくさん含まれている。
だから楽しくなって聞いちゃうし、言うことに従ってしまう(笑)。

みんなを引っぱっていくリーダーは、おしゃべりじゃなくちゃダメなんです。
経営学者のピータードラッカーも言っています。

 最底辺から一段上がったら、
 しゃべったり書いたりした言葉でどれほど他人に影響を与えられるのか、
 それが実態としての自分の能力を規定する。

今や暴力や恐怖で人を動かす時代じゃありません。
そんなことをしたら犯罪になってしまいます。
パワハラやセクハラですね。
言葉によって、しゃべったり書いたりして人を動かし、変えていく。
言葉によって愉快な雰囲気を作り、納得を作り出していく。
みんなが楽しい気分で、目標に向かって行動していく。
そして世の中を変えていく時代なんだと思います。

では、おしゃべりな子どもに育てるにはどうしたらいいのか。
カーマイン・ガロ『スティーブ・ジョブス驚異のプレゼンテーション』日経BP¥1800-に、アメリカでの教育法が書いてありました。

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アメリカで育つと小さい時から自然にトレーニングを受けているという素地があることは否めないだろう。実際、幼稚園くらいから「Show and Tell」という時間があり、自分のこと、家族のこと、旅行のことさまざまな話題をクラスのみんなに説明させる時間があって、それが人生の当たり前の能力として幼少児から少しずつ刻まれていく。
ただ、これは小さい頃からプレゼンの訓練をしていたからと理解するのは若干本質を外している。
説明のテクニックやその訓練が大事なのではなく、人に分かってもらう楽しさを早期から教えているのが大事だと理解していただきたい。
みなさんがもし親だったら、ぜひお子さんには速いうちから自分の考えを説明して人に伝えて共感する喜びを教えてあげてほしい。
###

先ずはおしゃべりする楽しさですね。
おしゃべりは一方的にしても楽しくない。
自分の中に、話したいことがある。
それを聞いてくれる人がいる。
おしゃべりしたことを分かってくれて、喜んでくれる人がいる。
先ずは親がその役目を果たさなくちゃね。
何事も楽しいから続けられるし、上手にもなっていくわけです。

仕事で疲れていたり、嫌なことがあったりすると、親の方も心に余裕がなくなって、子どものおしゃべりに付き合う気がなくなっちゃいますよね。
それで邪険に扱っちゃったりね。
それじゃ、子どもはおしゃべりになりませんよ。
だから親は常に心に余裕を持たなくちゃ。

2010年9月14日火曜日

線路の幅は1435mm

こんにちは

昨日は新幹線に乗って出張でした。
新幹線の客車の幅は4mほどあります。
これを支えているのは線路に乗っている車輪。
ところがこの線路、幅が1435mmしかないんです。
これは軽自動車の車輪幅より狭い。
よくもこんな狭い車輪幅で4mもの客車を支え、時速270kmで安定して走れるものだと感心しますよ。

ところで、鉄道の線路の幅は日本の新幹線を始め世界共通で1435mmに決められています。
なぜこの幅に決められたのでしょうか。
線路幅が決められた理由は、大昔のローマ時代までさかのぼるのです。

ローマ時代は、幹線道路をヨーロッパからアジアに至るまで張り巡らせた時代でもあります。
道路があることにより、戦争時の人や物資の移動が迅速にできることになり、有利に戦うことができます。
また、平和なときは軍人の失業対策として幹線道路の工事を行いました。
幹線道路が整備されれば、道路を通じての交易が盛んになり、経済的にも豊かになります。

ローマ時代の移動法はもちろん鉄道ではなく、馬車でした。
馬車の車輪によって、道路には「轍(わだち)」が作られます。
何度も何度も車輪が転がることによって、道路に凹みができるわけです。
それぞれの馬車によって車輪の間隔がまちまちだったら、どうなるでしょう。
轍もたくさん何本もできてしまいます。
すると次に走る馬車は、車輪があちこちの轍にはまって走りにくくなってしまいます。

そこでローマは車輪の幅を統一したのです。
車輪の幅が決まっていれば、轍は2本だけになります。
次に走る馬車も、この轍に車輪がすっぽりはまるので、早く走ることができます。
ローマが統一した車輪幅が、今のメートル法で測ると1435mmだったのです。
鉄道は、ローマ時代からの道路の轍の幅にレールを敷いたものだったのです。


鉄道の線路幅が歴史的に決まった理由は、福田和也『超・偉人伝』新潮文庫\552-の127pあたりに書いてありました。

2010年9月13日月曜日

授業がつまらない君へ

こんにちは

夏休みに姫路でやったサイエンスカフェ。
参加費500円でした。
最初ぼくは「え~、会費を取るのかー」と思ったんですよ。
無料でいいのにーって。
でも、ちゃんとお土産付だったんです。

10円玉と1円玉で電池を作って、LEDを光らせるという実験をやりました。
その時使ったLEDと蓑虫クリップ付リード線をお土産に持って帰ってもらったんです。
これがよかったです。
主催者の方の配慮に感謝!

カフェには、計算科学研究機構の同僚が中学生のお子さんを連れて参加してくれました。
お子さんのその後の様子をメールで教えてくれたんです。
お土産の効果がありました!

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先日、夏休みの自由研究で、ボルタ電池をあれこれと悩みながらやっておりました。
十一円で0.57Vの電位があり、直列につなぐのだから、10個つなぐと電圧は…あれ?1.60V???
1個で0.57V、2個で1.03V、3個で1.54V、4個で???なんで?
電池の作り方が悪いのか?
ろ紙に浸み込ませる食塩水の量が多くて並列になってしまっているのか?電池どおしの接触によるものなのか…悩んでおりました。

電池の作り方ではろ紙にしみこませる液の量、溶液の種類、濃度等々を変え、1個から15個まで直列につないだときの電圧、電流
を測定、負荷にはサイエンスカフェで頂いたLEDを使用して行っておりました。
まだ、まとめきってはいないようですので、出来上がりを楽しみに見ていようと思います。
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嬉しいですねー。
ぼくの授業を「きっかけ」にして、あれこれ始める。
学校の授業だってそうだと思うんですが、授業はきっかけにすぎないんですよね。
そのきっかけを受け取って、子ども自身があれこれと学び始める。
逆に言えば、子ども自身が自ら学び始めるきっかけを与えられるのが、いい授業だって思うのです。
ぼくはこう返信しました。

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いいですねー。
実験は「うまくいかない」のが当たり前。
上手くいかないからあれこれ考えることができる。
その中から素晴らしい発見が生まれる(こともある)。
理研のプロの研究者だってそうなんだ。

まとめ切らなくてもいいんです。
ここまで分かったけど、ここが分からない。
ここが不思議だ。
というレポートでいいんです。

そしてその不思議を抱えながら成長していく。
ずっと考え続けていくってことが大切。
それを解決したいという気持ちが、自分の道しるべになるんです。
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はっきり言ってぼくだって、ボルタ電池を積層しても電圧がなぜ比例しないのか、分かりませんよ。
質問されても困る。
だから自分で考え、調べなさい、なんです。
いや、ぼくでも少しは説明もできますよ。
でもそれじゃあ、つまらないじゃないですか。
説明を聞いて分かった気になってしまって、そこで疑問を終わらせるのはもったいない。
自分であれこれ考え続ける。
そして自分なりの解答、納得を得る。
それが勉強の醍醐味だからね。

教育の目的は、教えたことを修得させることではない、とぼくは思っています。
もちろん小学校4年生頃までは、教えたことを修得させることが第一の目標だと思います。
でもそれ以降の学年では、修得しなければならないことの割合は減って行くべきだと思います。
本当の、本物の教育とは、自らが自らを教育するようになること、だと思うのです。
ところが人は元来保守的ですから、何が自分が学ぶべきことなのかが分からないんですよ。
学校の、授業の目的は、自ら学ばなければならないことは何か、その「きっかけ」を与えるものなんです。
だから最終的には、自習、自学こそ学ぶための最高のあり方なんです。

中学、高校、そして大学の授業はそうじゃなくちゃいけないと思います。
教える方の意識もそうですが、教わる方、生徒、学生も、中学生くらいになったら意識を変えなくてはいけない。
先生の授業がつまらないから勉強しない、なんて言っていちゃいけない。
たぶん、それは勉強したくないことの言い訳にしか過ぎないんです。
つまらないなら授業を聞く必要なんかないんです。
自分で勝手に勉強を始める。
つまらない授業も、自らを自立させるための「きっかけ」にしてしまうんです。
それが正しい「つまらない授業への対処法」なんですよ。

2010年9月12日日曜日

いつも笑顔で


こんにちは

溌貴君が文字を書き始めました。
「はい、お手紙」と言って紙片を渡してくれる。
それもニタニタしながらね。
で、その紙片を読むと”うんこ”なんて書いてあるんだ。
もー、まったくー。

でもみんな爆笑!
ちょっと下品だけど、それもいいでしょー。
うんこでも書けば書くだけ練習になる。
その上みんなが笑って、ハッピーになる。

新渡戸稲造『自分をあと1メートル深く掘れ!』三笠書房¥1400-にこうありました。

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世の中は持ちつ持たれつであるから、互いに力を与え、慰めていきたいのである。
全く名も知らない人でさえも、快くニコニコしているのを見れば、自分の苦を忘れるではないか。
人生だもの、どんな人でも多少づつは重荷を担っている。
互いの荷物は手で助けることができなくとも、顔色で互いに助け合えそうなものである。(26p)
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家族の笑顔だけで、ちょっとへこむことがあった日も元気を取り戻せます。
今は圧倒的に親が子どもの笑顔に癒されていますが、そのうち子どもが学校などでへこむこともあるでしょう。
その時、笑顔で勇気づけられる親でもありたいと思います。

同書によると、英語の「チア」「チアフル」という語は、中古のラテン語careすなわち英語のfaceから転じたもので、「顔」という意味をもっているそうです。
愉快な心が顔に顕れるんですね。
だから笑顔の絶えない家族でいたいなーと思います。

2010年9月11日土曜日

おもしろHP(The Ugly Dance)

こんにちは

また面白いホームページを見つけたので、紹介しますねー。

『The Ugly Dance』
http://www.theuglydance.com/

自分の子どもの写真など好きな写真をアップロードすると、ちとかっこわるいダンスのムービーを作ってくれます。
そのダンスがとてもコミカルで、みんな大爆笑。
家族全員、ハッピーになること間違いなし!
ぜひやってみてー。

我が子で遊んでみましたー。
http://www2.theuglydance.com/?v=quqsnfeyt5


このHPは、百式マガジン http://www.100shiki.com で紹介されていたものです。

2010年9月8日水曜日

修業の技術

こんにちは

今日は職場で「電気取り扱い安全講習会」があり、講師を務めます。
去年までは電機メーカーさんから借りた社内教育用DVDを使って講習を進め、ぼくは1時間くらい話をするだけでしたが、今年から我が社のスタッフで全部の講習をやろうということになりました。
ぼくの分担も3時間になりました。
準備もしっかりしなくちゃと思い、スライドを作りました。
人に説明するためには、自分も理解しなくちゃいけません。
いや、人に説明するから自分の理解も広く深くなるんです。
だからこういう講師をやらせてもらえるというのも、勉強するためにとてもいい機会なんです。
修業になります。

で、スライドを作っていてはっきり分かったことがありました。
電気を使うときには、必ずアースを取りなさい、ということになっています。
ぼくは子どもの頃からハテナ君なので、何でも「どうしてなの?」と疑問を持ってしまいます。
アースも本当に意味があるのかどうか、ずっと疑問に思い続けてきたのです。
なんか意味ないじゃないかなーと思いつつ、アース線をつないできたんです。
10年以上ね^^;)。

アースを取ると感電防止になる。
それは感電電流がアースへ分流し、人体に流れる電流が減るからだ。
一般的にそう言われています。
前段はある条件下では正しいのですが、違う条件下では必ずしも正しくない。
後段はまったくの間違いです。
これがはっきりと分かったんです。
というわけで講習の準備をしたおかげで、アースが有効な条件は何か、意味のあるアースと意味のないアースの区別がつくようになりました。
嬉しい!
ちょっと興奮しましたよ、こんなことくらいでも。
あはははは。

野口芳宏さんは「頭の良さとは記憶力である」と言っています。
なぜなら記憶していないと積み上がっていかないからです。
分からないことを記憶しているから、分かろうとする気持ちが続いていく。
だからいつかは分かるようになるんです。
分かる分からないだけじゃない、できるできないにしても、人間の成長に必要なあらゆることが記憶と結びついています。
覚えていないと、せっかくチャンスが来てもそれを見逃してしまいます。
覚えているから、チャンスをさっと掴むこともできるんです。

最近の学校教育では記憶することが軽視されています。
ただ暗記したって無駄だって。
確かに調べればすぐ分かるようなことをただ暗記しても無駄ですよね。
今はすぐインターネットで検索できたりするんですから。
でも検索するにもキーワードをきちんと記憶していないと検索できないわけです。
キーワードをすぐ思い出せるということは、基礎的なことをきちんと記憶しているからなんです。
検索したものから必要な事項を選び出すためにも、基礎的なことを記憶していないとダメです。
記憶していることを核にして、周辺事項を調べ、またそれを記憶していく。
そうすれば雪だるま式に知識は増え、その知識を使って人生は豊かになっていくんです。
学校で暗記させるのは、このための訓練なんです。
記憶するためには脳に記憶する回路が作られる必要がある。
記憶するための回路が脳に刻まれると、いろいろなことが必要なときに楽に記憶できるようになるんです。

NHK『仕事学のすすめ2010年6-7月』NHK出版¥690-にワタミの会長渡邉美樹さんのインタビューが載っていました。

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居酒屋チェーンのフランチャイズ・オーナーとして創業したとき、そのお店は決して業績が良いお店ではありませんでした。
そこで、私がやったことの一つは、毎日、閉店後に伝票を1枚1枚見て、来店したお客様のことを思い出し、満足された方には○、少しでも不満があったような方は×をつけて反省することでした。
そして、「どこをどう改善すれば×のお客様が丸になるか」「何をすればお客様のためになるのか」を考え、その具体的な方策をノートに書き、実行しました。
その結果、数カ月で売上が2倍に増えました。
反省することは夢を実現させるために不可欠の習慣です。(「夢を実現するマネジメント」44p)
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ぼくは、修業とは記憶回路を自分の脳に作り上げることだと思っています。
そのためには、思い出すという作業が必須だと思います。
渡辺さんのやったように、ひとつひとつお客さんのことを思い出す。
具体的に思い出していく。
高名な小学校教師であった向山洋一さんも、若い頃同様な修業をしたそうです。
子どもが帰った教室で、一人一人の子どもの座席を身ながら今日あった出来事を思い出す。
その子と交わした言葉を思い出す。
それを毎日毎日繰り返したんだそうです。
そういう思い出すという修業をすれば、当然記憶にも刻まれます。
次にお客さんが来店したときにどう接客すべきかも分かります。
明日教室に子どもが登校してきたとき、どう声をかければいいか分かります。
つまり、仕事が積み上がっていくわけです。
売り上げが倍増するのは当然でしょう。
学級経営が上手く行くようになるのは当然でしょう。
反省とは、思い出し、それを記憶し、明日の行動を変えていくことなんです。
決して懺悔することじゃないんです。

さて、今日の講習会も楽しくがんばりますー。

2010年9月7日火曜日

晴朗


こんにちは
先日、ボーイスカウトの育成会という保護者の集いがあり、晶ちゃんが出席しました。
ボーイスカウトの年度は9月から始まるので、今年度の活動予定と方針の説明会です。
その時、いろんなお母さんから

 溌貴君はいつも笑顔でいい子ですね

と言われました。
溌貴君の属するビーバー隊だけじゃなく、上級のカブ隊やボーイ隊の方からもそう言われたんですよ。
素晴らしい!

一条真也『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考』フォレスト出版にこうありました。

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作家の塩野七生氏によれば、リーダーとして成功できる男の最重要条件とは、イタリア語では「セレーノ」、日本語では「晴朗」といった雰囲気を醸し出していることだそうです。
晴朗な人間とは、いわば、小さな太陽です。
その人物がいるだけで、どことなく周囲が明るくなる。
暖かくなる、気持ちが良くなる。
そんな太陽のような人間のことです。(188p)
###

いつもニコニコしているためには、自分に自信がなくてはいけませんね。
自分が周りの人たちに受け容れられているという実感がある。
自分のやること、自分自身が認められているという実感。
それがあるから、笑顔でいられる。
そしてその笑顔が、周りの人たちの気持ちをほぐしていく。

仏教の言葉にも「顔施(がんせ)」というのがあるそうです。
お布施の一種なんですが、お布施と言ってもお金を寄付するって意味だけじゃない。
いつも笑顔でいることも、世の中を良くし、仏様に感謝することになるんだってこと。

「晴朗」なんて言葉は今までぼくも知りませんでした。
よく晴れた日の太陽のように、ニコニコして、周りの人たちの心を暖める。
そういう人のことなんですね。
溌貴君やとしきくんが晴朗な人であり続けてほしいと思いました。

2010年9月6日月曜日

公的話法のススメ

こんにちは

先週末は大阪で開催されたXFELシンポジウムに参加してきました。
XFELの建物はぼくが情熱をかけて造ってきたもの。
その建物でどんな研究が行われるのかちゃんと知りたいんです。
仕事とは「パス」ですからね。
自分の仕事が次にパスされて、いいシュートを決めてもらいたいんです。
どんなパスをすればいいシュートができるか、それを知ることが大切だと思います。
土曜日だったけど、ちょいと「ついでに」シンポジウムに参加したわけです。

休憩時間に声をかけられました。
見るとXFEL棟を共に造ってきた電気設備工事の現場代理人二人。
おーー、偉いねー。
休日を潰してもこういうシンポジウムに参加する。
情熱の現れですね。

シンポジウムを聴講したり、自分でも学会発表したりして考えたこと。
分かりやすい話し方って何かなってこと。
学会発表でももぞもぞ話す人って多いんですよ。
よく聞き取れない。
それじゃあいくらいい内容の話でも、聞く気がなくなります。

分かりやすくするって、話の内容をダウンすることじゃないなって分かりました。
優しい言葉で難しい内容をかみ砕いて話しても、聞く人にとって分かりやすくなるわけじゃないんです。
難しい内容を専門用語を使いながらでも、分かりやすい話は分かりやすいんです。
その違いは何か。

今回のシンポジウムでは、慶応大学教授中迫さんの講演が面白かったです。
関西出身とのことで、どっかんどっかんウケていました。
話の内容ははっきり言って難しいんです。
それでも面白いから聞く。
面白いから分かるようになっちゃうんです。

ぼくの尊敬する国語教師、野口芳宏さんは

 公的話法

を子どもたちに教えています。
授業など公的な場で話すときは、普段より意識して大きな声ではきはきと話すよう、指導しているのです。
相手に何かを伝えようとするなら、当然心がけなければならない話し方です。
これは子どもだけじゃなく大人も同じです。
会議でも公的話法で話さなければならない。
ぼそぼそしゃべっていたんじゃ、伝わるものも伝わらなくなっちゃいますから。
ぼくも意識して、公的話法を使っています。

中迫さんのお話には研究に対する「情熱」が感じられました。
熱が入っているから声に張りがある。
大きめの声で、はきはきと話すんです。
それだけで聞きやすい。
きっと研究、実験が大好きなんですよ。
自分が大好きなことをしゃべれるのが嬉しいんです。
大好きなことを聞いてもらえるのが嬉しいんです。
だから熱が入るし、声に張りが生まれるし、声も大きくなり、はきはきと滑舌もよくなるんです。
難しい話だって、楽しんで聞いているうちに分かって来ちゃったりするんです。

講演の祖、アリストテレスは、話す題材に対して情熱を持つことが肝要だ、と言ったそうです。
自分が情熱を持ち、楽しんでいることだからこそ、面白く分かりやすい話ができるんです。
カーマイン・ガロ『スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン』日経BP\1800-から引用します。

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「情熱がない人は元気がない。元気がない人は何も手に入らない」---ドラルド・トランプの言葉である。すべては情熱から始まる。情熱をもって意味のある世界を描けば、顧客や社員も一緒に作ることができる世界を描けば、聞き手の心を動かすことができる。
『最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと』(日本経済新聞出版社刊)の著者、マーカス・マッキンガムは、ギャラップにいた17年間に数千人もの優秀な会社員に対して面接調査を行い、「偉大なリーダーとは、人々をよりよい未来へといざなう人である」との結論に達した。(72p)
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ぼそぼそと話してちゃいけないんです。
情熱がないから小声で話すようになっちゃうんです。
自分の仕事に誇りを持てないから、つまらない話しかできなくなるんです。
自分の話をきちんと聞いてもらい、理解してもらうこと。
それには元気を出して、大きく張りのある声で話すこと。
つまりは、情熱こそ人々をよりよい未来へと導くエンジンなんです。
情熱こそすべて、なんです!


溌貴君がボーイスカウトに正式入隊しました。
昨日は入隊式。
ボーイスカウトの約束をハキハキと言うことができましたよ!

2010年9月2日木曜日

エンカレッジ&エナジャイズ!

こんにちは

チームで仕事をするときのアウトプットは、メンバー全員のかけ算だと書きました。
たとえ10%でも20%でもメンバー各人が燃えると、チームの成果はグンと上がります。
このことは、なぜセクハラ、パワハラがダメなのかの答えにもなっています。
セクハラ、パワハラは直接の被害者だけでなく、チームメンバー全員のやる気を奪うからです。

セクハラ、パワハラを行うようなオヤジは、自信満々だったりします。
ちょっとばかり人より仕事ができたりするのも事実。
仕事ができるから、管理職などリーダーにもなり、権力も持つようになれたんでしょう。

ところで、本来のセクハラ、パワハラは権力関係があることを前提にした行為です。
上司など権力のある側が、その権力を悪用して部下に性的な関係を迫ったり、部下を不当に貶めたりする行為なんです。
だから権力関係にないところにセクハラ、パワハラは存在しません。
職場でちょいとエッチなジョークを言って、「あ、それセクハラですよ!」なんて言われるのは、少なくとも正確な意味でのセクハラではありません。
部下が上司に反抗的な言動をしたとき、最近はパワハラと捉えている人が多いんですが、これも違います。
上司は権力者ですから、反抗的な部下の査定を下げたり、左遷したり、ひどい場合は解雇したりできます。
それによって反抗的な部下に報復したり、消し去ることができる。
でも部下は権力がありませんから、パワハラをされてもそれに耐えるか、自ら退職するしかできません。
職を失うのは困りますから、限度までは耐え続けるしかないわけです。

話を戻して、セクハラ、パワハラオヤジは仕事もできる。
妙に自信を持っちゃってるので、少しくらいセクハラ、パワハラしたって平気。
会社は仕事ができる俺を切り捨てることはないはずだ、って思っちゃってるんですね。
「オレ様化」してるんです。
でもこれは間違いです。
だってチームの仕事はメンバーのかけ算だからです。

たとえばこのオヤジの仕事力は普通の人の2倍あるとしましょう。
それに自負を持っているのは悪くないことです。
でもリーダーの評価は、その人個人の成果でされるわけではなく、そのリーダーが率いるチーム全体の成果で計られるわけです。
おっさん、自慢している場合じゃないんですけどー。

セクハラ、パワハラをすると、被害者である部下の成果は当然ダウンします。
本来出せるべき成果の半分になるとしましょうか。
それだけでもチームの成果は、2×0.5=1にまで減ってしまいます。
その他のメンバーはどうなるでしょうか。
身近でセクハラ、パワハラが行われていると、自分が直接の被害者じゃなくてもとても嫌な気持ちになります。
気が散ってしまい、仕事に集中できなくなるわけです。
本来の能力の8割くらいしか成果が出せなくなったりするんです。
リーダーを含めメンバーの人数が5人とすれば、チーム全体の成果は

 2×0.5×0.8×0.8×0.8=0.51

に下がってしまうわけです。

こうなるから、会社はセクハラ、パワハラを止めさせなくちゃならないんです。
こうなるから、会社はセクハラ、パワハラオヤジを辞めさせなくちゃならないんです。
それは会社の利益に反する行為だから。
いくら個人的には仕事ができる人であっても、チームとして、会社としての成果を下げることをしているからです。
こういうオヤジは切るのが最善手なんです。

ではリーダーの条件はなにか。
自分自身の能力が高く、成果も上げられることも大事ですが、それよりもチーム全体の成果を上げることができること。
チームメンバーにゴキゲンに仕事をしてもらうこと。
10%でも20%でも燃えてもらうこと。
そしてチームのかけ算を大きくしていくことなんです。

昨日、若い同僚(いつも自信満々慶応卒^o^)からこういうメールをもらいました。

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月・火と神戸播磨に行ってきました。
神戸研究所によった流れで、無理やり機構の建物に入れていただいてしまいました!(内田女史に感謝です。)
すごいですね!地下の免震3兄弟(勝手に命名)!
空調の設計の仕方、ご本尊の入るエリア(ガラス越しに)も見せていただきました。
はやく見学者(学生なども)に見せたいですね。
っで、どんどん説明したい!あんなに夢のある現場は、興奮します!
あの現場を見たら、研究者の心は震えるはずです!
あの現場を見たら、事務の心は震えるはずです!
あの現場を見たら、「1番じゃなきゃダメですか?」なんて、言わせない!
みんなの気持ちが詰まっているので、魂の入った仏はすごいんだ!って断言できます!
あ、、、魂の入った仏なんで、3階に入る機器は「ご本尊」なんですね。。。なるほど。
相変わらずとりとめない文章ですが、関口さん、Good jobです!(生意気ですみません。)
あれを、がんがん活かしてもらえる理研でありたいです!
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このメールを読んで、ぼくも元気が出ました。
その時、来週職場で行われる電気安全講習会のスライドを作っていたんですが、このメールを読んだとたん仕事に加速がついて、ガンガン進みましたよー。
単純だね、こりゃ。あははははは。

世の中で一番尊い人は、誰かをエンカレッジ(勇気づける)してエナジャイズ(元気づける)できる人だと思います。
ぼくもそうありたいと常々思い、そして実践しているつもり。
自分が他人より優位に立ちたいために、他人を卑下し、バカにし、過剰にその失敗をあげつらい、やる気を奪い、元気を無くさせる人も多い。
みんなの心に火を灯し、元気にする。
それが世の中を過ごしやすく楽しい場所にしていくことだと思っています。

2010年9月1日水曜日

人生には切ること、捨てることも必要なんだ


こんにちは

毎朝のように書いているこの「ごみメール」ですが、誰彼かまわず送っているわけではありません。
ぼくが知り合った人のうち、ぼくが送りたいな、読んでもらいたいなと思った人にだけ送っています。
たとえ一時でも人生を一緒に歩むに足る「同士」と思える人ですね。

でも、そんなぼくの勝手な思いだけで送っているものです。
中には「関口から変なメールがちょくちょく来てじゃまくさいな。読まずにゴミ箱行きだ。ホンマにごみだよ」と思っていらっしゃる方もいるかもしれません。
そういう場合は遠慮なく「送らないで」と言ってください。
リストから外します。

横山征次『企画力!ビジネス・プロデューサーになる50の方法』講談社現代新書\700-を読みました。

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良い映画のシナリオは「キャラクターがかぶらない」と言うが、良いチームも同じことである。
明確に一人一人が違った役割を持っていて、それぞれの役割が完璧に果たされることでオーケストラ全体が良い音を奏でるわけである。
逆に言うと、良きプロが参加していない場合、一人でも低いレベルの人間が入っている場合、全体のレベルは下がる。
プロジェクトは相互に影響し合うことでテンションが上がり、出来も良くなっていくわけだが、一人の出来の悪さは完成時の出来の悪さを予想させ、テンションを一気に下げることになる。
ゲームプロデューサーとして「さくら大戦」などヒット作を連発した広井王子さんは「こんな時、プロデューサーのもっとも辛い役割は勇気をもってチームワークを乱す者を遠ざけることにある」という。(53-54p)
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チームでやる仕事は、メンバーのやる気と能力のかけ算なんです。
たとえば5人のメンバーを持つチームの場合、全員が10%だけでもいい仕事をしようと思えば、チームのパフォーマンスは、

 1.1×1.1×1.1×1.1×1.1=1.61

にもなります。
ところが、メンバーの中にやる気のない奴が一人でもいたらどうでしょう。
こいつが本来持っている力の50%しか、チームのために使わないとしたら、チーム全体のパフォーマンスは、

 1.1×1.1×1.1×1.1×0.5=0.73

にもダウンしてしまうのです。
それどころかこいつがまったく何もしようとしない場合、

 1.1×1.1×1.1×1.1×0=0

になってしまう。
なにもしないどころか、全力でチームを邪魔するようなことをするのなら、

 1.1×1.1×1.1×1.1×(-1.1)=-1.61

となり、もはや害悪としか言いようがありません。
一人でも良きプロが参加していない場合、一人でも低いレベルの人間が入っている場合、一人でもチームに貢献しようと思わない人間が入っている場合、チームのテンションが下がり、アウトプットは一気に下がってしまうんです。

だから時には「切る」ことも大切なんです。
志を同じくしない人、役割を理解しない人、意識レベルの低い人、邪魔をするヤツを、きちんと「切れる」のもビジネスプロデューサー、プロのマネージャーの重要な仕事だと思います。
日本は仲良し集団でしたし、学校でも「みんな仲良く」することを正義として教育されるので、切ることができないマネージャーが多すぎます。
それが日本の生産性を下げていることって多いんじゃないでしょうか。

確かに切ることはつらい。
切られる方もつらいでしょう。
恨んだり恨まれたりもするでしょう。
でも、切られないで嫌々仕事をするのもつらいですよ。
嫌々仕事をしても、楽しくないですし、腕も上がりません。
キャリアにならないんです。
嫌々やる仕事は人を不機嫌にします。
不機嫌な人は意地悪になります。
意地悪な人は職場の居心地を悪くします。
職場全体のパフォーマンスはこうして落ちていくのです。

その意味で、きちんと切らないということは、その人を殺してしまっているわけです。
切った人だって、たまたま今の組織に合わなかったということだってあります。
切ることによって、その人がより活きる場を探すきっかけを与える。
その方が愛情ある対応だったりするんです。

切るのは人だけじゃありません。
人生を有意義に過ごすためには、何かを切り捨てねばならないときもあります。
切り捨てるには勇気がいりますが、自分の持つ資源、時間と体力と気力は有限です。
人生とは、自分という有限な資源をいかに活かし、輝かせるものだと思っています。
自分のやりたいことをやるためには、八方美人じゃダメで、時にはバッサリと切り捨てる勇気も、時には必要なんだと思います。

なので、この「ごみメール」も不要な人にとっては切るべき対象です。
無理して「おつきあい」しなくていい。
無理しておつきあいすると、不機嫌になるじゃないですかー。
わざわざ自分を不機嫌にすることもありませんよ。


スパコン本部の事務所として4年半お借りしていた丸の内の明治生命館から引っ越しが完了し、元通りきれいにする工事も終わり、昨日8月末をもって大家さんにお返ししました。
窓から見る明治生命館コリント柱の彫刻や、丸の内の景色ともお別れだと思うと、ちょっとおセンチになりましたよ。