2010年10月31日日曜日

トップを目指せ、オンリーワンになれ!


こんにちは

最近、普通の人たちにスパコンを紹介するときにお話ししているマクラをご披露します。

 先日、ある方のツィッターを見ていたらこういうことが書かれていました。
 「息子の体育祭がありました。我が息子、1番でした!嬉しい!」
 とてもほのぼのした、親バカぶりですね。
 この方、誰だか分かりますか?
 なんと、レンホウ議員なんですよー。
 やっぱり1番が好きなんじゃん!

みなさん、どっと笑ってくださいます。
去年の事業仕分けでスパコン事業に対して「2番じゃダメなんですか」とおっしゃった方ですからー。

中山敬一『君たちに伝えたい3つのこと』ダイヤモンド社¥1429-にこうありました。

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私が医学部に在籍していた頃、とても厳しい先生がいて、学生の半分位が落第するという試験がありました。
「半分が落ちる」と聞いて学生は皆戦々恐々だったのですが、私は全然不安ではありませんでした。
絶対に通る方法があるのです。
それは簡単で、試験で一番を目指せばいいんです。
調子が悪くても二番か三番、どんなに体調が悪くても最低十番には入る気合で勉強していけば、半分も通る試験なんか全然怖くありません。
落ちる人ははじめからなんとか上半分に入ろうとして勉強に甘えが出てしまい、当日の調子がわるいと下半分に入ってしまうのです。
現在の不況の状態は、「半分が落ちる」試験のようなものです。
好況のときは誰でも通りますが、不況と言っても全員が落ちる試験ではないのです。
だったら、トップを目指せば、不況だからといって職を失うこともないでしょう。
不況を恐れる必要など全くありません。
自分ではどうすることもできないこと(景気)に思い悩むより、目の前の「自分がやれること」に集中する方が生産的です。(81p)
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トップを目指すから、たとえトップになれなくてもトップレベルに入れるんですよ。
これが最初から二番、三番でいい、半分以上に入ればいいなんて思っているとダメ。
そこに甘えが出ちゃうからです。
二番、三番、半分以上に入ればいいと思っていると、自分だけのオリジナリティが出てこないんですよ。
他の先陣を切っている人の真似をするだけでごまかしてしまうから。
真似も悪くはありませんよ。
いいところに学び、悪いところは学ばないのは効率的なやり方です。
でも真似では決してトップにはなれないのです。

だから有効な戦術としては、他のよいところを真似することによってその部分を効率的、合理的にやって、心と時間に余裕を作り、オリジナルに挑戦するのがよい。
オリジナルなことは試行錯誤が必須です。
心と時間に余裕がないとできないからね。

トップ、1番を目指すからオリジナリティが生まれ、オンリーワンにつながっていくのです。
だから、最初から「ナンバーワンじゃなくオンリーワン」というのも間違いだと思っています。
オンリーワンになるためには、ナンバーワンを目指す過程が必ず必要なんです。

ノーベル賞学者の利根川進さんが高校生だったときのエピソードを思い出します。
利根川さんは都立日比谷高校卒です。
日比谷高校は今も素晴らしい学校ですが、利根川さんが高校生だった頃はすごかったですよ。
都内全域からトップレベルの生徒が集まってくる学校だったんですから。
利根川さんも中学まではトップだったわけです。
もちろん高校でもトップで行こうと思って入学したはずです。
ところが高校に入って同級生を見渡した。
すると自分よりすごい奴らがゴロゴロいるわけです。
こりゃーこいつらと互角に戦ってはトップになれないと判断したんですね。
同級生たちは皆東大に入学した。
同じ東大に行ったんじゃ自分は活躍できないと、利根川少年は思った。
そこで利根川少年は京都大へと進んだわけです。
京都大では化学科でしたがここでもトップは取れないと判断し、大学院では分子生物学にシフトした。
さらに分子生物学分野でトップになるには日本にいたんじゃダメだと思い、アメリカに渡る。
そうやってノーベル賞まで行き着いたわけです。
そして今、利根川さんは分子生物学から脳科学にシフトして、未だ現役の研究者であり続けています。
利根川さんは常にトップを狙っていたから、オンリーワンになれたんですよ。

トップを目指していると「ニッチ=スキマ」が見えてくるんですね。
トップを目指す人はたくさんいて、競争が激しいわけです。
だからもう激烈な戦いをしなくてはならず、負ける確率の方が高い。
でもうまいニッチが見つかれば、そこでトップになれる。
そういうニッチはただボーッと待っていたのでは見つからないのです。
やはりトップを目指しているから見つかるものなんです。
トップを目指す中でスキルを磨き、そのスキルを最大限生かせるニッチを見つける。
それがオンリーワンになるための王道なんです。
最初からオンリーワンなんてあり得ないし、甘えた戯れ言でしかありません。


XFELもマシンコミッショニングが始まりました。
ナンバーワン、オンリーワンを目指して、楽しくがんばろう!

2010年10月30日土曜日

部下がいてよかった


こんにちは

今月はじめ、ぼくの直属の部下となる若者が配属されました。
ぼくと同じく、電気設備が専門です。
ということは、同じセクションに同じ役割の者は二人必要ないわけで、そろそろぼくも転勤なんでしょうね。
そういえばぼくも今の職場に入ったとき、直属の上司は電気設備担当でしたが、3ヶ月で異動していきました。
となると、ぼくも早ければ来年1月、遅くとも4月には異動することになるのは確実。
なので、短期間でぼくのノウハウを伝えるべく、若者をビシバシ鍛えています。

昔の軍隊では、兵隊には何をすべきかあれこれ具体的に指示し、下士官には目標だけを与え、その目標のために具体的に何をいつしていくべきかは下士官に任せていたそうです。
つまり戦略を与え、戦術は任せるわけです。
そうやって下士官、つまりやがては上官になる人物を育てていたんだそうです。
それが一番効率的な人の育て方なんですよ。
そんなことを知ったので、ぼくも試しにやってみているわけです。

やってみるといろんなことが見えてきました。
自分で何もかもやっているときは、我流でやってしまっていたり、何となく出来ちゃったりしていたことがたくさんあることがわかりました。いわゆる<暗黙知>ですね。
十分言語化、知識化されておらず、技術といえるところまで行っていない。
部下が仕事の途中でつまずいたり引っかかるのは、たいていそういうところです。

部下がつまずいたところを教えると、ぼく自身の仕事の仕方にあった「あいまいさ」を反省する機会になるのです。
そういう部分をしっかりと言葉で説明できるようにすると、ぼく自身がポリッシアップされるのが実感されます。
その意味で、部下に教えることによって自分が教えられているんですね。
部下がいてよかったなあ、って思います。

そんな視点で周りを見てみると、部下の扱いの上手い人はその人自身の仕事の仕方も上手かったりします。
部下を持たないで年だけとっちゃったおじさんは、やっぱり仕事が下手。
これは、会社の組織という制度的に部下がいるいないじゃないですね。
制度的に部下がいても、部下に教えよう、部下を育てようという気のない人は成長しない。
たとえ制度的に部下がいなくても、誰かを育てようとしている人はその人自身も成長している。

三田紀房『会社に左右されない仕事術』講談社¥1300-にもこうありました。

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そしてなにより、人は「教えるとき」にこそ成長するのだ。
もっと具体的にいうと、これから働き盛りを迎えて会社を牽引していく20代の社員を飛躍的に成長させるには、新人教育がいちばんの特効薬なのである。
真っ白な新人に仕事を教えようとすれば、先輩社員はあらためて「仕事」を考えることになる。
これまで感覚的に捉えてきた仕事を、頭の中で整理して言語化しようとする。
新人を叱るときにも、あらためて初心に戻ることができる。
「教える」という行為の中には、自分ひとりでは気づくことができない発見が山のようにあるのだ。(102p)
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組織には若者が必要なんですね。
やっぱり会社の主戦力は中堅社員です。
鍛えるべきは中堅社員のはず。
じゃあどうやって鍛えるのか。
それは若者に教えることによってなんです。
教えることで、その中堅が鍛えられる。
そうすると会社全体のレベルが上がるんです。

同書にはこうも書いてありました。

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だから、「新人教育は他者に任せて、仕事や社会常識を身につけた人のみを中途採用する」という採用方針も、あくまで短期的な戦略にとどめるべきだ。
赤ちゃんの誕生もなく、新人を教える機会もない組織は、やがて企業としての体力が目減りしていくだけだろう。(102p)
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今は即戦力、即戦力と言って、中途採用を多くして、若者を自社で教育することを節約する風潮がありますね。
確かに、すぐ人が必要な部署には即戦力が必要です。
でもそればっかりじゃ、組織は衰退していくんです。
教える、という手間のかかる作業がなくなってしまうからです。
社員教育は、手間はかかるけど効果がある方法なんです。
それは新入社員を鍛えるだけじゃなく、中堅のレベルアップにこそ効果がある。
ぼくもあと3ヶ月か半年、たっぷり鍛えられたいと思います!


入社してまだ数週間なのに、あちこち連れ回して、忙しくさせています。
忙しいから、身体で覚えるんですよねー。

2010年10月28日木曜日

本当の個性を身に着けよ!


こんにちは

昨日は工場検査立ち会いに山形へ出張でした。
筑波に建設中の新しい研究棟用の高圧盤と動力制御盤を造ってもらったんです。
これがなかなかいい出来。
特に動力制御盤は素晴らしい。
シンプルで使いやすいデザインにできました。
これまでいろいろ試行錯誤してきて、ようやくスタンダードとも言えるデザインにできた。
ぼくの自信作の一つになりますよー。
ぼくのワガママを聞いてくれたメーカーさんに感謝です。

今の若いヤツは、なんて言うとぼくもおっさんていうことですが。
個性、個性と言われ続けて教育されてきちゃったためなんでしょうが、基本を伴わない人が多くなってしまったように思います。
何か失敗することがあっても、それも自分の個性なんだから、で済ませてしまう。
反省して自分の足りないところを補う。そして次は同じような失敗を避ける。
そういうことがない。

失敗したのは運が悪かっただけ、あるいは、上司がちゃんと指導してくれなかったから。
そういうのがなければ失敗なんかしなかったはず。
だから今の自分は正しいのだ。今のままでいいんだ。
そういう論理なんでしょうか。
現実を見てません。

よく「今のままの君でいいんだよ」なんてTVのドラマの一シーンでありますよね。
人の悪いぼくなど、そんなのを見ると虫酸が走ります。
そのままでいいわけないじゃん、って思います。
今のままだからうまく行かないんだよ、って思います。
今のままの君でいいんだよ、なんて甘い言葉はスケコマシしか言わないぜ、って思います。
百歩譲っても、心が壊れそうな人にならそう言ってもいい、くらいでしょうか。

今のままでいい、なんていうのはウソだと思います。
人間って変わっていくものだし、変わっていかなくちゃ面白くないもんだと、ぼくは思います。
失敗したらその理由を追及して、自分の不足しているものを補う。
そうすると、いい方向に自分が変わっていくのが分かりますよ。
上手く行ってもその理由を追及して、その本質をつかんでおく。
すると次も上手く行くようになる。
そういうことを積み重ねていくのが人間的成長だし、楽しい人生なんじゃないかって思うわけです。

運任せ、他人任せにしない。
もちろん、人生は自分のコントロールの及ばないことも多々あって、運や他人に左右されるのも事実。
でも、それでも自分でコントロールする部分は必ずあり、なんとかできることもたくさんあるわけです。
そのチャンスは逃さないでおきたい。
人事を尽くして天命を待つ、ということです。

講談社のPR誌『本』'05.09号に載っていた植島啓司「性愛の術へ」からの孫引きですが、倉田真由美「だめんず・うぉーかー」に元カリスマホスト城咲仁氏へのインタビューが載っていたそうです。
どんな仕事でも一角のことをする人は違いますね。

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モテなくて努力もしないヤツらって「技術なんてオレには必要ねーよ」「素のオレを好きになってくれる女を待ってるから」なんて言うけど、なんにも持ってないヤツのは「素」じゃなくて「無」だから。
「素」っていうのはいろんなモノを持ってる才能のある人が、力を抜いた状態のことだから。
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基本を伴わない「個性」は個性なんかじゃない。
岸本裕史さんは、「それは<こせー>じゃなく、<くせー(癖)>だ」なんて言います。
きっちりと身に着けるものは身に着ける努力をする。
基礎基本を身につけ、技術を高めていく。
その上で力を抜くと、良い味が出てくるんだと思うんですよ、人間は。
それが本当の意味での個性なんだと思います。


写真はその動力制御盤。
いいでしょ~。

2010年10月26日火曜日

正邪を区別し、実力を身に着けよ!

こんにちは

あと2週間でメンタルヘルス検定試験です。
昨日、受験票が届きました。
何となく今年は合格レベルまで達しそうにない気配になってきましたが(^^;)、日曜日を除く毎日最低30分は勉強を続けています。
たとえ今年合格できないとしても、スピードは緩めずコンスタントに続ける。
それが来年へとつながると思うからね。

今度挑戦する1種コースは、さすがに経営者、労務管理者向けの試験だけあって、うつ病対策だけじゃありませんでした。
もちろんうつ対策が最大のターゲットに変わりありませんが、テキストには境界性人格障害への記述にもかなりの紙数を割いています。
境界性人格障害とは、いわゆる「モンスター」ですね。
モンスターは世の中に0.5%くらいは存在するらしい。
それが顕在化してきているんです。

モンスターの存在も、多くの会社で労務管理上問題となっているようなんです。
企業の業績を下げ、信用を失う素になるから。
それにモンスターが原因となって、他の職員がうつに追い込まれることも往々にしてあるわけです。
モンスターといえども社員であれば労働法に守られているため、なかなか首にしたり排除できないのです。

モンスターの行動原理は、オレの言うことを聞け、オレに傅け、です。
モンスターは、時に怒鳴り散らし、暴言を吐きます。
それは、組織をよくしよう、会社の業績を上げよう、社会を変えよう、という建設的なものじゃありません。
オレの言うことを聞け、ただそれだけなんです。
テキストには、モンスターに対し経営者や労務管理者は毅然とした態度で臨め、と書いてありました。
「お前の言っていることはおかしい」とビシッとやれってね。

ところが毅然とした態度で臨むのは難しいですよ。
特に、人間関係だけ、社内調整だけで出世してきた人にはできないことです。
なぜならこういう上司は、双方の言い分を聞いてしまうからです。
双方の折衷案が最良の選択であると思っている。
むしろ感情的に怒鳴りまくるモンスターを恐れて、モンスターの言い分の方を重く受け止めてしまうんですね。
モンスターに怒鳴られてオロオロしてしまうんです。

双方の言い分をよく聞くのはいいことです。
でもそれでどちらの言い分に合理性があるのか、正しいのか誤りなのかを判断することなく、折衷案へ持っていくのは間違いです。
だってモンスターの行動原理は、オレの言うことを聞け、なんですから。
モンスターの言い分を聞いてしまうということは、モンスターにエサを与えるようなものです。
怒鳴り散らせばこいつはオレの言うことを聞くんだ、と思わせてしまう。
するとモンスターはさらに成長し、もっとオレの言うことを聞け、オレに跪け、ということになってしまうのです。

人間関係だけで偉くなってしまった人は正邪の区別ができない。
なぜなら実力が身に付いていないから。
もちろん人間関係は大切ですが、リーダーなら時に毅然とした対応をしなければなりません。
その時にしっかりと正邪の区別ができること。
それには実力も身に着けていないとダメなんです。

養老孟司『読まない力』PHP新書¥680-にこうありました。

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そもそもいい大人が、他人からどう思われるか、あれこれ気にするのもどうかと思う。
自分のやっていることに自信があれば、あれこれ言われたって風馬牛でいい。(163p)
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ぼくはモンスターに対して、毅然とした態度で臨むようにしています。
それは怒鳴り返すことではない。
さらりと受け流す。
受け流して、モンスターの言い分なんか絶対に聞いてやらないんです。
だって自分のやっていることに間違いはないと思っているからね。
自分のやっていることこそ、組織をよくし、会社の成果を上げ、世の中に寄与することだと信じているから。
それはぼく自身の勉強してきたこと、実践してきたことが基盤になっているから。

養老さんはこうも言います。

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あの「軍国主義」下の小学校ですら、私は「韓信の股くぐり」という故事を習った。
力ずくで相手を思うようにしたところで、それが間違った強制なら、必ずあとで報いが来る。
「正義は勝つ」からである。(150p)
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たとえ上司など権力者から力ずくで思うようにされても、そんなにへこまない。
だって正義は勝つんですから!

2010年10月25日月曜日

ゴキゲン宣言


こんにちは

ぼくはこう見えて年収1000万円です。
エヘン。優越感ひたりまくり。
おーー、A君、久しぶり!
君も最近、羽振りがいいねー。
え?年収2000万円?
ぼく、みじめ~。

てな感じで、同じ年収なのに優越感にひたったり、劣等感でみじめになったりしちゃうのが人間。
年収という事実は変わらないのに、気分が変わってしまうんですよね。
だから優越感も劣等感も気持ちの持ちようで変わってしまうものなんだ。
同じ1000万円という年収が、視点、焦点を変えるだけで一瞬にして優越感を劣等感に変えてしまう。
これを心理学用語で「フォーカスイリュージョン」って言うんだそうだ。
つまり、優越感も劣等感も幻想にすぎないってことなんだ。

勝間和代さんの本に「三毒追放」ということが書いてありました。
三毒とは、妬まない、怒らない、愚痴らない、ということです。
もともとは仏教の教えにあることだそう。
妬みも怒りも愚痴も、劣等感、コンプレックスから生まれるもの。
だからぼくは常に劣等感、コンプレックスに絡め取られないように努力してきたんだ。
すなわち、資格を取る、勉強をして知識を得る、実践を通じて実力を身に着ける。
でも年収は自分だけじゃなかなかコントロールはできないよねー。

医学の分野に「精神免疫学」というものがある。
精神免疫学の研究によると、その人の考え方や意識、心の持ちようが健康に大きく影響することが実証されています。
三毒、妬む、怒る、愚痴るといった負の感情が免疫力をすごく低下させる。
逆にゴキゲンでいること、笑うことで免疫力がアップし、がんの発生を抑え、ウイルスに対する抵抗力を上げる。
たとえ「作り笑い」でも笑顔になるだけで、糖尿病、高血圧、認知症などの症状を緩和するそうだ。

坪田一男『長寿遺伝子を鍛える』新潮社\1200-から引用しますよ。

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仕事が上手くいったからごきげん、失恋したから不幸というのは、実は他力本願であり、結果主義的すぎる。
これではいつも”ごきげん”でいるのは無理に決まっている。
だから、無条件に「ごきげんを選択する」と決めよう。
それでもダメなときは奥の手がある。
胸のあたりにオーディオの音量バーのようなものがついているとイメージして欲しい。
今あなたのゴキゲンレベルが3くらいでも、意味なくバーを5くらいまでスーッと上げてみよう。
「ゴキゲンを選択する」というのは、こういう意外と単純な作業である。
仕事に失敗した、病気になった、ふられた、老け込んだ、この事実は変えられない。
事実は変えられないが解釈は自由だ。
落ち込むのも不機嫌になるのもあなたの自由である。
しかし、そこには何のメリットもない。
免疫力が下がり、健康が損なわれ、老化する。
このデメリットは大きい。
一方、「仕事には失敗したけれど、自分は元気でいるぞ!」という選択も可能なのである。(196-197p)
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なるほど!
優越感も劣等感もイリュージョン、幻想なんだ。
ならば笑わにゃ損、損!
いつでもゴキゲンでいた方がいい。
心のボリュームレベルを上げまくって、ガンガン乗っていくぜー。


我が次男、としきくんの笑顔。
癒されますな~。

2010年10月24日日曜日

大物になる!


こんにちは

先週の課長代理研修「リーダーシップ研修」ですが、17名の参加者のうちとうとうぼくが最年長になっちゃってました。
去年は2番目だったんだけどね。
30代後半から40代前半の人たちに囲まれて、万年課長代理(もうすぐ50才)もちと辛くなってきましたなー。
あはははは。

研究の中で「DiSC」という行動心理学による自己分析をやりました。
DiSCの各イニシャルは、「D」は主導型、「i」は感化型、「S」は安定型、「C」は慎重型を意味します。
リーダーシップを発揮するには、己を知り、部下や上司の仕事上の特性を知らなくてはならない。
自分を含めたメンバーの強みと弱みを知って、適材適所でチームを運用していくのがリーダーの役目だってこと。

で、ぼくの分析結果は「i;感化型」が一番強く、「D;主導型」も平均以上といったものでした。
これはぼく自身が常に心がけていること、みんなをエンカレッジし、エナジャイズしながら、楽しくいい成果を導くことと合致しており、とてもいい気分になれました。
他の課長代理はどうかなと思ったら、事務系の人が多かったからか「S;安定型」「C;慎重型」が圧倒的多数。
やっぱりリーダーはD型かi型じゃなくちゃー。
我が社においてぼくの出番はまだまだありそうですぞ!

吉江勝『課長のルール』明日香出版¥1400-にこうありました。

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ミスをする部下は一概にやる気だけは人一倍あるケースが多いのです。
そんな気持ちと裏腹に能力やスキルがまだ追いつかないので他の人よりも多くのミスを冒してしまうものなのですね。
世界的な経営コンサルタントのトム・ピーターズは

  ミスは大歓迎!
   平凡には罰を、
    ミスをした人には表彰を与えよう

と唱えています。(122p)
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「平凡には罰を」っていいですねー。
ミスを恐れ、ミスをしないために平凡になり、小人物になってしまうんです。
大胆にやる、誰もやったことのないことに挑戦するには、ミスも必然なんです。
大人物になるためには、多くのミスを経験し、そこから学んでいく必要があるんですね。

実を言うと、ぼくも凡ミスがけっこうあるんです。
事務書類の記載ミスなんて、自分でもうんざりするくらい。
それは本当にやりたいこと、ぼくにしかできないことに集中するために、ルーチンな事務作業にまで気が回らないんですよ。
時間ももったいないしね。
いっつも課長に怒られてますー。
気にしてないけどね。うひひ。

姫路でサイエンスカフェをやったとき、懇親会でぼくはこう自己紹介したんです。
「将来大物、今小物と言い続けて30年経ちました。未だ小物のままですが、必ずや大物になるはずです」
ま、笑いを取るために言ったんですがねー。
播磨研の同僚のづかちゃんが「関口さん、いったい何者になるつもりなんですか!?」と聞きました。
そう聞かれても、自分でもいったい何者になるのか皆目分からないのです。
でもなぜかぼくは、大人物になる確信だけはあるんですよ。
あはははは。
ま、それが妄想に終わらないように、日々勉強、勉強!


神戸に建設中のiPS研究棟も鉄骨が建ち上がりました。
狭く奥まった場所での工事、スタッフの皆さんに感謝です。
残り4ヶ月、大ミスはしないようがんばりたいですねー。

2010年10月23日土曜日

アルバイトなんかするな


こんにちは

高校生になると、アルバイトをする生徒もいます。
学校をサボってまでアルバイトに精を出す生徒もいるんですよ。
でも我が家の方針は、

  学生のうちはアルバイトなんかするんじゃない、

です。
もちろん家庭の事情でアルバイトをしないとならない場合もあるでしょうが、たいていはお小遣い稼ぎだったりします。
親の方も自分のすねをかじられるよりは、子どもがアルバイトをしてお小遣いを稼いでくれた方がよかったりします。
また、アルバイトをして自分でお金を稼ぐと、社会の厳しさを体験できて社会性も身に付くから、アルバイトすることはいいことだと考える親や子どもも多いようです。

でもちょっと待ってください。
たいていの学校はアルバイト禁止とまでは言わないでしょうが、アルバイト自粛を求めていると思います。
学校側はなぜアルバイト自粛を求めているのでしょうか。
学生という時代に何をするのが最もよいのか。
その後の人生に有益となることは何なのか。
確かにアルバイトで学べることもあるでしょうが、学業をおろそかにしてもいいのかどうか。
学業とアルバイトを天秤にかけて、どうすることが得策なのか、よく考える必要があります。

アルバイトするより、やっぱり学業で得られるものの方が大であるとぼくは思います。
もし学校で得られることより、アルバイトで得るものの方が多い、アルバイトで学ぶ方が有益なら、スッパリ学校なんかやめて、アルバイトなんて言わずに正社員になって必死に努力するべきです。
責任もない立場で、少々の小金を稼ぐために、貴重な青春時代の時間をアルバイトに費やすのは、どう考えても不合理です。

ある高校の先生は「社会性は学力に付随する」とおっしゃっていました。
つまり、アルバイトで得られる社会性より学業を積んだ方がより高度な社会性が身に付く、と言うのです。
素晴らしい考え方ですね。
斉藤孝さんがよく言っていますが、「学問をすることは、他人の考えを自分の中に受け入れることだ。それも納得した形で。そういう訓練をした人は、現実社会でも他人の考えを聞き入れるチャンネルが形成される。学問をしていない人ほど排他的になり、自分と異なる人たちの声に耳を傾けなくなる」ということだと思います。
それが、社会性の基になるものなのだと思います。

やはりアルバイトは「補助」の仕事でしかありません。
上司、先輩から指示された単純な業務を、ただこなすだけの役割です。
自分で仕事を見つけたり創り出したりするものではない。
そこで得られる社会性も、限定的なものに留まるのは当然です。

また、経済的に言ってもアルバイトは有益ではありません。
公立高校生には年間120万円程度の税金が一人の生徒に投入されています。
私立の高校生にも一人の生徒あたり年間50万円程度の税金が学校に補助されています。
これはある意味「社会的投資」です。
未来の社会を創り出していく人材を教育するために必要だから税金が使われているのです。
きちんと学業を積み、より有能な社会人へと育つことを期待しての投資なんです。
その投資された120万円を反故にして、その時間を時給600円から800円くらいのアルバイト代に変えてしまうのは、まったく釣り合わないものだと思います。
そしてそれは、納税者に対する背任行為であるとも言えます。

中山敬一『君たちに伝えたい3つのこと』ダイヤモンド社¥1429-にこうありました。

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私の場合は父も研究者でしたが、大学時代に私が家庭教師のアルバイトをしたいと言ったところ、

 「小金を得るために大切な学問の時間を削るな。
  今さら高校生の勉強をやってどうする?
  その分の小遣いはやるから、医学の勉強に集中しなさい」

と諭されました。
実際にそうするかどうかはともかく、こういうことを子どもに言うのが、本当の親の務めなのではないでしょうか。(120p)
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かっこいいですねー。
ぼくもしっかり稼いで、我が子たちに「バイトなんかするな。勉強しろ。その方が何倍も得なんだ」と言えるようになりたいと思います。

2010年10月20日水曜日

読書の効用

こんにちは

今ぼくは子ども向けにスパコンの授業を考案している最中。
子どもたちに楽しんでもらうためには、きちんと基礎から勉強して、プリミティブな話をした方がいいんです。
『CPUの作り方』『ブール代数入門』なんて本をまたまたごっそりと買い込んで、バリバリ読んでいます。

板倉聖宣さんから教えてもらったことですが、何事も狭いある分野で一流になるためには、その分野の専門書を10万円分読むといいんです。
ぼくもこれまでいろいろな分野で実践してきました。
実践して分かったのは、10万円分の本の内1/3読破するとプロたちの話していることが理解できるようになり、2/3読破するとプロと互角に仕事ができ、全部読破すると自分がリーダーになれるってこと。
仕事はオンジョブトレーニング(OJT)も大事ですが、それだけじゃダメ。
基本から学ぶチャンスを逃すからです。
OJTだけの人は、経験を裏付ける理論を学んでいないので、応用が利かない。
すごく仕事が表面的になりがちなんですよ。
仕事をしつつ本を読み、理論と実践を合致させるのがいいんです。

昨日の課長代理研修で、3分間スピーチの演習がありました。
これをチャンスにして、考案中のスパコン授業のさわりをやってみました。
NOT回路の作り方をちょこっと。
研修参加者は事務系の人が多く、理系でも電気専門者はいませんでしたが、とってもウケました。
これなら小中学生にも楽しんでもらえそうだ、と実感しました。
うれしー。

ぼくが教員だった頃の後輩で、大変な読書家がいました。
主に教育書を読んでいましたが、教育雑誌などほぼ全誌講読していたと思います。
ところが、授業の方はさっぱり上手くならない。
ある時その後輩から相談された答えが、すっかりある本に載っているのを思い出しました。
「あれ?君もあの本読んでるはずじゃなかったっけ?」

本の読み方にはどうも二通りあるようです。
<娯楽のための読み方>と<実用としての読み方>。
娯楽のための読書なら、あ~面白かった、でいいわけです。
読み終わった後に何も残らなくてもかまわない。
でも、実用のための読書なら、読後に自分の行動が変わらなくちゃ。
先の後輩は、実用としての読書が出来ていなかったんですね。
それではいくらたくさん本を読んでも、授業は上手くなるわけがありません。

では、実用としての読書をするにはどうしたらいいのでしょうか。
それは、読んだらすぐ自分で出来ることはないか、実行できることはないかを考え、即実行に移してみる。
実行して上手くいったなら、「技」として身に着くまで何度も繰り返してやってみる。
もちろん上手く行かないこともあるでしょう。
そういう時は、自分に縁がなかったと思って諦めるのもいい。
いったん自分でやってみた結果、それを諦めるのもひとつの「実用」なんだと思うのです。
とにかく、本を読んだら即やってみる。
それが実用的読書なんだと思います。

先日、近所の公民館で斎藤孝さんの講演会があったので聞いてきました。
斎藤さんは読書の定義を次のように言っていました。

 「読書とは他者を自分の中に受け入れることである」

だから、古典を読む意義があると斎藤さんは言います。
古典の中には何十人、何百人の人の人生が入っています。
1冊読むだけで、それが自分の中に入ってくるわけです。
自分の中に受け入れた他人の人生を、自分の人生に重ね合わせる。
それが自分の行動を変えていく原動力になるんだと思います。

狭い世界に生きている人ほど、その中以外の世界を知ろうとしません。
自分と違う人とつき合うのを嫌がったり、排除したりします。
たとえ自分の意見や行動が間違っていたとしても、かたくなに変えようとしなかったりします。
最近の子どもにいじめなど排他的な行動が多いのは、一つには読書体験が少ない、ということからくるものでもあると思います。
読書によって他人を自分の中に受け入れてきた人は、現実でも他人を受け入れる素地が出来てきます。
いろいろな人がいることを、いろいろな状況がありえることを理解できるようになる。
つまり、読書によって自分の<容量(キャパシティ)>が大きくなるんだと思います。

2010年10月19日火曜日

ベストエフォートな生き方

こんにちは

昨日、今日と会社で課長代理研修(必修)を受講しています。
リーダーシップ研修なんだって。
部下に嫌なことを言うための面談をロールプレイするなど、ぼくの不得手な実習もありました。
んー、上司って部下に嫌なことを言うのが仕事なのかなー。
そんなんなら上司って楽しくないよなー、なんて思っちゃいました。
もう一つの実習で、グループディスカッションで建設的にモノゴトを決めるというのがありましたが、こっちは楽しかった。
こういうことならぼくも有能さを発揮できるのにね。

子どもを育てるときの鉄則は、褒めて育てることです。
もちろん躾は大切で、悪いことをしたら、社会的に見て好ましくないことをしたら、その場で叱ることは必要。
でもそうじゃない、未熟なための失敗、経験が足りないための間違いを子どもがしたときは、絶対に叱っちゃいけないんです。
特に知的な間違いは、子どもはただ単に知らないだけなんですから、バカと言ってはいけない。
知らないなら教えてやればいいだけなんです。

バカ、バカと言っていると、本当にバカに育ってしまいます。
自分はバカなんだと自己規定するようになるからです。「自己否定感」を持つようになってしまう。
そうすると、ぼくはバカなんだから仕方ない、バカなんだからやってもダメ、と思いこみ、成長のチャンスを逃すようになります。
ちょっと努力すれば成功することができるようなことでも、最初からあきらめてしまうようになる。
そうこうしているうちに本物のバカになってしまう、というメカニズムです。

特に「つ」の付く年齢、九つ、小学校3年生くらいまでは、褒めて育てなくちゃね。
自分は有能であり、かつみんなから認められている、という自己肯定感を育てる。
そうすると、ある意味楽観的になれます。
困難な状況に出くわせても、ぼくならなんとかできるだろう、きっとやり遂げられるに違いない、みんなも協力してくれるはずだ、って。
成功する見通し、見込みがあれば、必要な努力は惜しまないようになります。
そういうよい循環に入れれば、どんどんと賢くなっていけるわけです。

「つ」の付く年齢を過ぎる頃、小学校4年生くらいから、学校で習う勉強も抽象的で難しくなってくるし、友だちづきあいも複雑になってくる。
そういう時期に自己肯定感があれば、自らが自らを鍛え、健全に育っていけるんだと思います。

岸田秀『古希の雑考』文芸春秋\1800-から引用します。

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(略)どのような職業も、それを非難し軽蔑すればするほど、その職業に就く人間の質を低下させることになるからである。
現実に何の根拠もない、まったくの仮定の話であるが、例えば、タクシーの運転手は、客が道を知らないとわざと遠回りしたり、タクシーでしか帰れない客の弱みにつけ込んだりして金をたくさんふんだくろうとする薄汚い連中で、サービスの気持ちに欠け、気ままで自堕落などうしようもない奴らだ、タクシーの運転手になろうなんていう奴はろくでなしに決まっているというような囂々たる非難が世間に満ちているとしてみよう。
こういう非難に直面して、タクシーの運転手たちは、非難されたことを反省し、非難されないようにもっとまじめで親切でサービスのよい運転手になろうと努めるであろうか。
そういう気にはなれないであろう。
そのような評判が立つと、まじめで親切な運転手は嫌気がさして運転手を辞めるであろう。
そして、その穴埋めに、そのような非難なんか気にもしない本当にろくでなしの人間しか集まらず、まさに世間の非難通りの運転手がだんだんと増え、ついには、タクシーの運転手全員が悪評通りの人たちになるであろう。
現在、もちろんそうなってはおらず、日本のタクシー運転手は、一部の外国の同業者とは比べものにならないほどまじめで親切で、少なくともわたしは料金の不正請求なんてことはされたことがないが(アメリカや東南アジアでされたことはあるが)、それは日本ではタクシー運転手はみんなが非難して馬鹿にする職業ではないからであろう。
非難というものは、非難されたことがたとえ的外れの非現実であっても、その非現実を現実化する力があるのである。(「総理」と「草履」は使い捨て43-44p)
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この原理は子どもだけじゃなくて、社会人にも当てはまりますね。
自分の部下、一緒に仕事をする人を、むやみやたらとバカと言ったり、バカにした態度を取ってはいけない。
それは損なことです。

考えてみればわかることですが、バカだ能なしだと言われて頑張れる人なんてめったにいません。
そう言う方はもっと頑張って欲しくて言うんでしょうが、逆効果。
萎縮してしまって本来持っている実力さえ発揮できなくなります。
自己否定感を強めるだけで、どうせおいらはバカだよ、バカなんだからしょうがないだろう、だから何言ったってやらないよ、という開き直りされる結果になるだけだったりします。

もちろんサボっていたり、やるべきことをやらなかったりしたときは、叱責するのは当然です。
でも、自分は相手に無理な注文をしていないかどうか、常にチェックしておくことは大切です。
相手の能力、時間、事情を無視して、無理を言っていないかどうか。
無理を言っているから、サボったり、やるべきことができなかったりしているのではないか、というチェックです。
無理をさせれば必ずパフォーマンスは落ちるんです。
サボるにはサボるだけの必然があるんだと思います。

なぜ無理を相手に押しつけちゃうのかというと、相手にベストを求めてしまうからです。
あるいは、自分の理想を相手に押しつけてしまうからです。
相手がベストを尽くしてくれない、理想通りにしてくれないから、イライラし罵倒してしまうわけです。
そもそも、ベストになんかできるわけがなく、理想通りできるわけがないわけです。
上手く行かないのは必然なんです。
上手く行かなくて権力関係が上の奴から一方的に罵倒されれば、気分悪くなりますよ、そりゃー。
ますます相手もこちらの言うことなんか聞かなくなるのは当然です。
負のスパイラルに入ってしまう。

無理のない範囲で実力を発揮してもらうのが、最もパフォーマンスがいいことです。
だからぼくは相手にベストは求めない、理想を押しつけないようにしています。

もちろん理想は掲げますよ。
理想=目的ですから、理想を共有していないと何のために今やる仕事が必要なのか分からなくなってしまう。
必然性を見いだせない、方向性を見いだせない仕事には、人は熱中できないものです。
理想は掲げつつ、妥協する。
自分も含めて、人にはそれぞれいろんな事情があるわけですからね、それも認めていく。

で、いろんな事情がある中で、どうやっていったらパフォーマンスが上がるのか考えます。
つまり、ベストエフォートでやっていくのです。
諸事情勘案して、相手のできる範囲と自分のやれる範囲を上手く仕分けして、お互いベストエフォートで仕事が進められるように段取る。
そうすれば、個々の作業は順調に進捗することができます。
順調にいけば「よかったねー、上手く行ってるねー、ありがとう、どうも」とお互いに言えます。
お互いに認め合い、クレジットレベルを上げることができ、自己肯定感が増していきます。
そうなれば気分よくなります。
気分がよくなれば、当然引き続きがんばろう、もっといい仕事をしなくちゃという気になりますよ。

だからぼくは、ベストを求めるのはやめよう、ベストエフォートで行こう、と主張したい。
ベストエフォートこそベストな生き方なんだと思っているのです。

2010年10月18日月曜日

自分の頭を通せ!

こんにちは

理研横浜研究所医科研キャンパス勤務のぼくの妹からメールが届きました。

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お兄ちゃん

今日、うちのシークエンサーと医科研のスパコンの接続工事の検収で、横浜研のFさんという方が見えて、「関口さんの妹さんですか?」と声をかけ られました。淡路の方です。
「和光時代は、関口さんによく怒られましたけど、後になってその意味がよくわかるんですよ~」とおっしゃってました。 さすが、兄ですね。
今回、ノーベル賞を受賞された 根岸英一特別教授も、「生徒さんにはどんな先生だと思われてますか?」と聞かれて、「怖い先生ではないでしょうか?でも、後になってわかってくれる子が多い」と厳しさを肯定されてましたね。

今日は、私も、普段行けない研究棟のB2Fとか、スパコン室に入れて、とても楽しかったです。
ちなみにFさんの御嬢さんは、節約料理で本を出したり、テレビに出たりしているとか。たぶん、名字が変わっているのでしょう。ググッてもわかり ませんでした。知ってますか?
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嬉しいですねー。
Fさんもがんばっているようで何よりです。
Fさんはぼくより年長、しかも主幹という課長級で派遣職員として来ていただいた方。
つまり制度上はぼくより格上。
でもよく怒りましたねー。
Fさんは脂汗流しながら怒られてました。
あはははは。

派遣職員さんは、「今の実力」を発揮してもらうために来ていただくものです。
それは正しい。
でも今の実力のまま仕事をすればいい、それ以上はやらない、実力を上げようと思わないという人も多いんですよ。
新しい仕事や契約外の仕事を極端に嫌い、断る人もいます。
そういうことをやるのは損だと思っているよう。
とても残念だなーと思います。

でもFさんは違いました。
少しでも実力を上げようという気持ちがあったんです。
なので年上、格上にも関わらず、よく怒りました。
実力が上がれば、次の仕事の時の待遇もよくなります。
どんな不況な世の中になったって、実力のある人は必ず仕事がある。
実力があれば、人生の選択肢も増える。
ぼく自身もそう思って、いつも仕事力を上げようと勉強しています。

Fさんや部下たちに常々言っていることは、

 自分の頭を通せ

ということですね。
回ってきた仕事を、右から左に渡すだけみたいな仕事はするなってこと。
必ずその仕事を自分の頭で理解し、自分ができることを付け加え、たとえわずかであっても次にこの仕事を受け取る人が楽になるようにする。
働くとは「端が楽になること」だからね。
自分の頭で考え、端が楽になることをいつも考えながら仕事をすれば、自ずと実力も上がっていくんです。

でもこのことが分かっていない人ってけっこういるんですよ。
年齢、経験も長く、役職にある人にもね。
誰かから届いたメールをそのまま部下に転送するだけとか。
転送したらそれでその仕事は自分の仕事でなくなったと思っている人。
こういう人をぼくは「転送バカ」と呼んでいます。
こういう人は何のために存在しているんでしょうね。
転送するのでも、きちんと指示命令を付け加えないとダメです。
こういう理由でいつまでにこの程度の品質で仕事しろ、とね。
指示命令をきちんと言えるためには、その内容をいったん自分の頭を通さないといけない。
きちんと理解しないと、きちんとした指示命令はできないですから。

マイケル・アブランショフ『即戦力の人心力』三笠書房¥1500-から引用します。

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私は、彼らが(海軍の)艦を離れていく第一の理由は、給料が安いせいだろうと思っていた。
しかし、驚いたことに、実際にはそれは5番目の理由だった。
第一の理由は「上司から大切に扱ってもらえないこと」だったのである。
第二は「積極的な行動を抑えこまれること」。
第三は「意見に耳を貸してもらえないこと」。
第四は「責任範囲を拡大してもらえないこと」であった。(14p)
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なるほどなるほど。
働くモチベーションはお金だけじゃないんですね。
お金も大切だけどそれは一番じゃない。
それよりも上司から大切に扱ってもらうことが大切なんです。
大切に扱うとは、ちやほや優しくすることじゃないとぼくは思います。
部下の実力が上がるようにビシバシ鍛えること。
実力が上がれば、部下の積極的な行動を承認することもできます。
実力がある部下の意見なら、聞くことだってできます。
そして実力がある部下には、責任ある仕事を心配なく与えることができる。
そしてそして責任ある仕事を貫徹できれば、それは報酬につながってくるんだと思います。

Fさん、これからも脂汗流しながらがんばってくださいねー!


ちなみにFさんの娘さんのブログはこちら!
http://blog.goo.ne.jp/dancing-geisha/

2010年10月16日土曜日

美味いケチャップならこれ!


こんにちは!

我が家では、もはやこれ以外食べられない状況です。
埼玉の名品、とってもおいしいタカハシソース製ケチャップ。
http://www.takahashisauce.com/

楽天で検索しても購入できますよ。
ひと瓶300円くらいです。

高橋ソースは、もちろんソースもめちゃウマです。
こちらもオススメです!

2010年10月14日木曜日

本当の優しさ

こんにちは

やたら謙る人っていますよね。
何を言うのでも「若輩者ですが」「経験が浅いもので」「不勉強でして」とマクラに付ける。
一緒に仕事をしていて、つきあい始めて日が浅いときならいいのですが、もう何度も打ち合わせで顔を見ているのに、その度にそんなことを言うから、ちょっと鬱陶しい。
もうお前の実力は分かっているんだ、若輩者で経験も浅い割に不勉強なのも知っている、だからいちいち言うな!と、心の中で毒づきます。

そもそも謙譲語というのは、若者は使っちゃいかんのですよ。
若者は未熟なのは当たり前ですから、わざわざ言わなくてもいい。
実力のない者がわざわざ謙ってみせることはありません。
本当に実力がある者が、ちょっと謙るのがかっこいいんです。
謙ることによって反って自分をアピールするんですね。
そういう戦略にも長けた人だけが、謙ってもいいんだと思います。

上原春男『成長するものだけが生き残る』サンマーク出版\1700-から引用します。

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土光(敏夫)氏と話すとき、私はいつも、「私のような若い者が言うのはおこがましいのですが」という前置きを口癖のように言っていました。
するとあるとき、土光氏は私にこうおっしゃいました。
「先生はいつも『私のような若い者が』と言われるが、先生はいくつですか」
私が35か6歳くらいのときでしたから、その旨答えると、土光氏は再度、「35歳は若いのですか」とたずねられるのです。
私は冗談半分に、「若いと思います、土光さんに比べれば・・・」と答えました。
すると土光氏は、にわかに鋭い目をして、

 「先生、それは間違っている。人間は30歳過ぎたら一人前です。
  30歳過ぎて若いなんて言ったらいかん。
  そう言うということは、わずかながらでも、責任逃れをしたいと
  いう気持ちの表れです」

となかば怒りながら、私をいさめられたのです。
そして、「いつもあなたは若いから、若いからと言うが、ここで一度、立場の違いや年齢差を忘れ、自分の言いたいことを遠慮なく、言いたいだけ言ってみなさい」と促されました。(67-68p)
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脳科学者の久保田競さんによると「21歳から35歳は、専門家脳を鍛える時期」なのだそうです。
20歳までに広く教養を学び、自分の適性を見つけ、自分の進む方向を定める。
21歳から35歳までは肉体的にもタフな時期なので、徹夜仕事など無理も利く。
失敗してもある程度許される年代でもあるので、果敢なチャレンジもできます。
そうやって専門性を高めていけば、35歳には自他共に認める「専門家」になれるんだそうです。

土光さんの「30歳過ぎたら一人前」というのは、30歳にもなったら一人前になっていなくちゃいけない、という意味なんでしょうね。
一人前になったのなら、謙る必要はないんです。
もちろんTPOに合わせて謙るときも必要でしょうが、専門家同士対等に議論できなくちゃいけない。
そうでない奴はオレの前に来るな!と、土光さんは言っているのかもしれません。

土光さんって柔和なお顔をしていた記憶がありますが、とても厳しい方だったのが分かりますね。
ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんも写真で見るととても優しいおじいちゃんといった雰囲気の方です。
でも竹内薫さんがどこかに書いていたことですが、東大時代の小柴さんはものすごく厳しい教師でもあり、理学部の廊下で泣いている学生(男)を何度もみかけたそうです。
そのおかげで、小柴さんのお弟子さんたちは、残念ながら亡くなってしまったが戸塚洋二さんを筆頭に、物理学者として活躍しています。
厳しいからこそ長い目で見ると、それが学生の役に立っており、結果として「優しい」ということになっていると思うのです。
だから本物の「優しさ」とは、安直なことではないんだと思います。
学生や部下たちを、30才過ぎたら専門家、と言われるくらいに育てなくちゃ。
自立した人間に育て上げることが、本当の優しさなんです。

大学に限らず、厳しい教師って少なくなったと思いませんか?
先生自身に確固たる自信がないと、生徒を厳しく導けないものだと思います。
学校に限らずいい仕事をするためには、時には厳しく対処する必要があります。
他人に厳しくするためには、自分自身にも厳しさが求められます。
まあ、ありとあらゆる部分厳しくもできないでしょうし、そんなことしたら疲れちゃうでしょうから、ある部分だけでもいい。
ポイントを外さず厳しくできるような人にぼくもなりたいなって、常々思っているのです。
それがホントの「優しさ」を産み出すからです。

お小遣いは吉


こんにちは

溌貴君ととしきくんには、毎週土曜日にお小遣いを渡しています。
今のところ毎週200円です。
溌貴君は、以前はもらうとすぐゲームセンターに行って、カードゲームに散財していました。
今は毎週のゲームセンター通いは我慢できるようになり、月に1,2度だけおじいちゃんに連れて行ってもらっています。
運動会の後などがんばったときだけになりましたよ。
それも自分で200円までとか300円までとか予め決めて、その分だけ持って行くようになりました。
残りはお財布の中にしまって、家に置いていく。
スバラシイ!
としきくんもお兄ちゃんの真似をして同じようにしています。
よいことは真似してエライねー。

お小遣いをあげるときは、直接手渡ししています。

 ぼく「お小遣いをあげるよ」
 こどもは気をつけをします。
 ぼく「溌貴君、としきくん、先週はがんばりましたか?」
 こども「はい、がんばりました!」
 ぼく「よろしい!今週もがんばってください!はい、お小遣いです」

という具合です。
そしてすぐに自分のお財布にしまわせます。
こうやって努力と報酬、努力とお金の関係も子どもたちに伝えているんですよ。
ぼくも毎月のお給料を振り込みじゃなく、理事長の野依先生から直接「関口くん、今月もバリバリやってくれたね!」なんて言われて手渡しされれば、もっとがんばっちゃうのになー。
あはははは。

がんばる、努力するといっても、ちゃんとそのためのネタも子どもたちに与えないとね。
具体的に何かをすることを通じて、努力を継続し、それが報酬につながることを理解させないといけないと思っています。
溌貴君には、雨戸の開け閉めのお手伝いをさせています。
もう楽々できちゃうようになりました。
お兄ちゃんが雨戸を閉めていると、としきくんもやりたがってお手伝いします。
まだとしきくんは力が足りなくて戸袋から雨戸を出せませんが、手伝いたいという気持ちは大切にしたいと思います。
やり続けている内に、徐々にできるようになるでしょう。
もう少ししたら、雨戸の開け閉めのお手伝いはとしきくんに引き継ぎたいと思います。
溌貴君にはもうすこし高度なお手伝いをしてもらいましょう。
お風呂洗いにしようかな~。

2010年10月12日火曜日

戦略を同じくし、戦術を持て!


こんにちは

近年、高学歴ワーキングプアが問題になっています。
大学院を修了して博士号を取得しても仕事がない、ということです。
10年ほど前に文科省は日本の科学技術レベルを上げるために、大学院重点化政策を実施しました。
理系の大学院の定員が増え、博士課程に進学する学生も何倍にも増えました。
その増えすぎた博士の仕事がないんです。

ところが我が社の求人広告を見ても、常に人材不足でたくさんの研究室が研究員を募集している。
現実には、研究員は不足しているんですよ。
一方で博士は余り、他方では不足している。
なぜか。
それは博士号を持っている人が増えていても、博士に値する人材が育っていないということではないでしょうか。
自分で研究計画を立てられない、研究した内容を自分で論文にまとめられない。
そういう博士もたくさん生み出しているように思います。

それは日本の博士課程がきちんとした博士を育てていないんじゃないかと思うんです。
教授の技量とかよりもシステムとして適切じゃない。
大学院重点化によって博士課程の定員を満たさなくちゃ研究予算がもらえない。
そうすると頭数だけ揃えようしてしまうんじゃないか。
どんな学生でも定員を満たすまで入学させてしまう。
学生の側も、学費を払って入学したんだからきちんと教えろ、学位をとるまでめんどうをみろ、という意識がある。
そこにモラルハザードの素がありそうです。

アメリカの大学院は、学生に給料を払います。
教授が得てきた研究費から支払われるわけです。
貴重な研究費ですから、無駄には使えません。
厳しい人選が必要です。
アメリカの大学は入るときは易しくて、卒業は難しいと言われています。
いえいえ違います。
そもそもアメリカの一流校と言われる学校は、入るときも厳しいんです。

アメリカの一流校は私立学校ですから、学校の評価を上げ続けないと一流校でい続けることができません。
だからきちんと学校の経営をきちんと考えて学生を選別しているのです。
すなわち「学校にメリットがある生徒」、「他の学生にメリットがある生徒」しか入学させない。
日本の学校のように、ある点数をクリアしたら誰でも合格というわけではないのです。
入学させても厳しく教育し、そこで脱落した学生は容赦なく留年や退学になってしまうのです。
そのくらい厳しく教育しないと、卒業してから使い物になる人物にならないからです。
使い物にならない人物を卒業させたら、学校の価値を損ねます。
優秀な卒業生が学校の名声を高めてくれます。
優秀な卒業生が学校に寄付をしてくれます。
そうすれば優秀な教授を招聘することもでき、教授の下で研究したい優秀な学生も集まります。

利根川進『私の脳科学講義』岩波新書\700-にこうありました。

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誰もやっていないことをやろうというわけだから、大志を抱いていない人間は雇いません。
もうひとつは、むずかしい問題を、みんなが考えているほどむずかしいと思っていない人です。
なぜその人がむずかしいと思っていないかというと、自分のストラテジーがあるから、いけると思っているわけです。
他の人は、そんなことに気がつかないので、100年後の話だと思っています。
100年後にしか解けないとみんなが思っていることを、10年後に解くのがオリジナリティのミソなのです。(136p)
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利根川さんはMIT教授でもありますから、大学院生、ポスドクの採用には厳しい。
それは自分の研究業績に直結するからです。
大学院生、ポスドクを選別する観点として、利根川さんは

・大志を持っている
・ストラテジーがある

の二つを重視しているんですね。

大志を持っているということは、別の言葉で言えば「戦略を共有している」ということです。
利根川さんの元で研究するわけですから、利根川さんがやりたいと思っていることに賛同している、ということです。
全然違うことを研究しようなんて思っている学生は困ります。
戦略を共有し、ここで得たノウハウ、成果を土台に、教授を超える研究を成し遂げようとする志。
そういう学生がいいわけです。

でも志だけではダメです。
志を実現するためのストラテジー、つまり方策、技術を持っている。
利根川さんのラボにいる他の研究員が持っていないようなストラテジーを持っているといい。
つまりそれは戦術の多様化になるからです。
戦略は同じでも、戦い方は多様の方がいいんです。
ひとつの戦い方で上手く行かなかったら、すぐに戦い方をシフトできる。
そういうフレキシビリティが研究を押し進めるのです。

戦略を共有し、独自の戦術を持っている。
こういう学生なら遠慮なく厳しく教育もできますし、当然学生も自律的な研究者に育つはずです。
日本の博士課程にはこれが欠けているように思います。
教授のやる研究に興味もない。
研究をするための技術も身に着けようとしない。
そういう学生が増えてしまったのではないか。
教授も頭数だけで入学させてしまった学生を厳しく教える気もない。
博士課程を終えても、それでは自律的な研究者には育っていないのも当然です。

学生の教育だけじゃありません。
役に立つ人物とは、「戦略を共有し」、「戦術を持っている」ことだとぼくは思います。
特に短期間に限られた予算とマンパワーで実行するプロジェクトはそう。
戦略を共有しない、すなわち志のない人物は邪魔なだけです。
戦術をもたない、つまり技術のない人物はお荷物になるだけです。
ところが戦術を持たない人に限って、邪魔だてをするんですよね。
こういう人は最初からメンバーに入れない、メンバーにいても排除できるシステムが必要だと思います。


「京」をTシャツにしてみました。
ぼくもこのプロジェクト成功への志を持ち、ぼくにしかできない戦術で貢献していきたいと思います!

自尊心を育む


こんにちは

昨日は幼稚園の運動会。
秋晴れのいい天気、暑いくらいの陽気でした。
今年は溌貴君ととしきくん二人の運動会ですから、プログラムの2/3に我が子が出場するわけです。
見所満載って感じでしたよ。
二人ともが参加する運動会は今年1年だけです。
おじいちゃん、おばあちゃん、育ちゃんも見に来て、たっぷり楽しみました。
溌貴君、としきくんともよく頑張りました。
みんなにたくさん褒めてもらいましたよ。

岩堀美雪『ポートフォリオでできる自分になる!』サンマーク出版¥1400-にこうありました。

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神戸で起きたバラバラ殺人事件をはじめ、罪を犯した少年の精神分析をすると、すべての子に同じような結果が出ました。
それは、どの子も「自分は無価値な人間だ」と思っているということです。
自分は無価値。だから、他人も無価値。価値のない人間にどんな仕打ちをしてもいいという論理が成り立っていました。
みなさん、お子さんにあなたは価値のある人間なんだということを伝えてあげてください。(25p)
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価値ある人間なんだと思えること、すなわち「自尊心」なんですよね。
自尊心のない人は、自分を大切にしないだけじゃなくて、他人も大切にしないんです。
だって人は自分の尺度で判断するのが常だから。
同書にはこうもありました。

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自分のことが好きになると、周りの人のことも好きになることができます。
自分を認められない人は他者も認められない。
自分を認められる人は他者も認められるのです。(40p)
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自分で自分を認めるってことが大切なんですが、それってとても高度なこと。
大人でもなかなかできませんよ。
やっぱり人との関わりの中で、周りの人たちに認められるから、自らも認めることができるんです。
周りの人たちに否定されているのに、自尊心を保つってことは子どもにはできませんよ。
子どもの頃から小さな成功体験を積み重ね、それを周りの人に褒められ認められる。
そうやって自尊心を育んで成長すれば、大人になって多少の逆境に出会っても、心が折れることがなくなるんだと思うんです。

人生山あり谷あり、晴れたり曇ったりです。
運のないときもあるわけです。
そういうときでも自尊心を失わず、明るく前向きに生きていく。
そういう人に我が子たちにも育ってもらいたい。
そのために、あらゆる場面で褒めてあげたい。
褒められることをするよう導きたいと思っているのです。

時々、否定的なことを言う人がいますよね。
それは違う、そうじゃない、何やってるんだってね。
こういう言動に出会ったら、心が乱れますよね。
それで、つい否定的なことを言う人の言うとおりにしちゃったり。
アブナイ、アブナイ。
そういう人は建設的な意見として否定的なことを言うわけじゃなく、他人の足を引っぱるために言うんです。
自尊心のない人、足りない人は、他人に心ないことを言うものなんです。
自分が惨めだから、楽しそうにしている人が気に入らないだけなんです。
足を引っぱり、自分と同じ惨めな状態にしたいだけなんです。
それに引っかかってはいけませんよ。

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否定されたことは、気にしないでおきましょう。
何か満足できないことがあってストレスを感じると、それを発散するために、他人の悪口を言ったり、否定したりする人がいます。
言われたときは辛いですが、冷静になってよく考えると、人の悪い面しか見られない人は寂しい人だと思えるようになります。
なぜかというと、誰もそんな人とは友達になりたくないからです。
「世の中には、そんな人もいる」のです。
そんな人のことであなたの大切なエネルギーを消耗するのは、もったいないこと。時間の無駄です。
あなたは、世界でたった一人の存在、それだけは間違いないのです。(155p)
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そういう処世術も大切ですね。
生きる技術です。
機会を捉えて、溌貴君としきくんにも教えていきたい。
もし我が子たちの周りに自尊心が育っていないために否定的な言動をする子がいたら、ぼくら親がその子のよいところを見つけて褒めてあげたいと思います。
少しでも世界がハッピーになっていくようにね。

2010年10月9日土曜日

お疲れさまと言うな!


こんにちは

朝、同僚からメールが届く。
冒頭に「お疲れさまです」と書いてある。
ぼくはこう返信します。

 疲れてないよー。
 疲れてなんかいられない!

大人げない?
だって朝から疲れててどうするんですか。
これから8時間、バリバリと働くんですよ。

もちろんぼくだって、お疲れさまは社会人の挨拶って事ぐらい知ってますよ。
ぼくだって使います。
夕方退勤間際だったり、前日その人が大きい仕事をしたときとかね。
でも朝からこれを使うことはないじゃないですか。
マニュアル的にTPOを考えずに『お疲れさま」というのは嫌なんです。

今週もよく働きました。
水曜日は名古屋に出張して、和光に建設中の新研究棟に設置する高圧配電盤の工場検査。
木曜日は尼崎に移動して、同じく非常用発電機の工場検査。
金曜日は神戸で、午前中に神戸に建設中の新研究棟の工程会議、午後は神戸市水道局との打ち合わせと関西電力との打ち合わせ。
バリバリと議論し、決めることは決め、やることはやりました。
さすがに疲れましたけど、心地よい充実感です。

バリバリやるために、心がけていることがあります。
即断即決即実行のためには、心身が充実していなくちゃ。
健康を保つことです。
健康じゃないと頭はどんよりして、身体も動かなくなっちゃいますからね。
ぼくは元もとあまり丈夫な方じゃく、疲れやすい。
疲れは溜めないように気をつけています。

そのために毎日睡眠時間を含め8時間は横になって休みます。
ゴロゴロするってことですね。
白血球など免疫細胞は、骨の中の造血組織で作られます。
でも骨に荷重、重力がかかっている、すなわち立っていたり座っている時には、造血活動は抑えられてしまうのです。
身体を支えることと、血液を造ることを同時にはできないんですよ。
だから造血活動を促進するためには、身体を重力から開放し、横臥する必要があるんですね。
昔から「骨休め」と言いますが、骨は休めないといけないのです。
睡眠を含め8時間ゴロゴロするためには、たくさん残業はできません。
せいぜい2~3時間の残業、一日の労働時間は10~11時間以内に納めないと、通勤時間や食事、お風呂などを差し引いて、8時間横になって過ごすことはできないのです。
残業代と健康を天秤にかければ、ぼくは当然健康を取りますよー。

そして睡眠です。
5時間以上の睡眠が取れないと、脳はきちんと働きません。
睡眠時間5時間未満の人の脳波は、酩酊状態の人と同じになっているという医学研究もあります。
ナポレオンは3時間睡眠だったそうですが、きっとナポレオンの脳は常に酔っぱらった状態だったので、イケイケドンドンだったのかもしれませんね。
閑話休題。
即断即決するためには、脳がしっかりと働いてくれなくちゃダメです。
そのために最低5時間以上の睡眠を確保する必要があるんです。

昨晩は10時半頃家に帰り着きました。
電子メールを開いたら、水曜日に工場検査をした高圧盤メーカーさんの担当者からこんなメールが届いていました。

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昨日は、御立会検査に足をお運びいただきありがとうございました。(略)
2回の御立会検査とも、本当に勉強になったというのが、私の正直な感想です。
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たぶんぼくの工場検査のやり方は普通じゃないんですよ。
形式的にやらないからね。
もちろん製作する前に図面は念入りにチェックしますよ。
でも出来上がって現物を見ないと分からないことも多いんです。
使いやすくできているか、施工しやすくできているか、安全にできているかをチェックしていきます。
気づいたことを付箋紙に書いて、その箇所にぺたぺた貼っていく。
そうやって工場出荷段階でほぼ完璧に仕上げてもらっちゃうんです。
そうすると現場に搬入してからの施工も楽にできます。
施工が楽ということは、時間も短縮できますし、無理な施工をしなくてすむので安全性も高まります。
当然、完成してからの事故もなくなります。
ぼくの検査のやり方はある意味、製作メーカーさんにとって迷惑かもしれません。
でもご担当の方に「勉強になった」と言ってもらえて嬉しかったです。

山田昌弘他『幸福の方程式』ディスカバー\1000-からの孫引きですが、寺山修司氏は「幸福」をこう定義したそうです。

 多くの人に出会い、交わり、影響を受け合うこと

うん、納得です!
忙しい一週間でしたが、とてもハッピーなんです。
というわけで、ぼくは朝から「お疲れさま」とは言わないんです!


計算科学研究棟のエントランス、我ながらやっぱりほれぼれしますなー。

2010年10月6日水曜日

アクティブアミューズメントのススメ


こんにちは

我が家は、我が子たちをディズニーランドなどテーマパークなんぞには絶対連れて行かない方針です。
高級レストランにも連れて行きませんよ。
もちろん海外旅行なんか御法度。
国内旅行だって関東圏内だけ。
旅行だってホントは親が行きたいんですから、子どもは親につき合うって立場。
子どもにつき合ってもらっている、ということですね。

子どもが幼い頃の旅行は、決して子どものためではないのです。
親が行きたいだけ。
子どもをダシにしているだけなんです。
子どもの見聞を広めるため、なんてウソウソ。

旅行先で幼い子どもを連れているお父さんやお母さんが、子どもが騒いだりしているのを叱ったりしているところをよく見ます。
これってあんまりいいことじゃないよねー。
楽しみのために旅行に来ているのに、なぜ叱らなくちゃいけないのか。
子どもだって叱られるために旅行に連れてきてもらったわけじゃない。
それなら家にいた方がよかったのに。
親の都合で着いてきてもらってるんですから、むしろ感謝するくらいじゃなくちゃね。
叱ったりするのは、他人に迷惑をかけるとか、危険なこと以外ではしないようにしたい。

で、どうしてディズニーランドや旅行などに連れて行かないのかというと、
 子どもの未来の楽しみを奪わない
ためです。
ディズニーランドだって、美味しいレストランだって、親なんかと行くより、友だち同士、または恋人と行った方が断然楽しいし、感動的だと思うのです。
旅行だって、自分で計画して、自分で稼いだお金で、苦労しながら行く方が、確実に自分の心に残るはずだし、子どもの人生にとって意味のあるものになると思うのです。
そういう積極的な楽しみを創り出す「スキマ」を、親が先取りして埋めてしまうのはもったいないと思うのです。

斉藤孝『退屈力』文春新書\720-からの孫引きですが、哲学者のラッセルはこう言っているそうです。

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多少とも単純な生活に耐える能力は、幼年時代に獲得されるべきものである。
この点で、現代の親たちは大いに責任がある。
彼らは子どもたちに、ショーだの、美味しい食べ物だといった消極的な娯楽(passive amusement)をたくさん与えすぎている。
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親が与えるものは、子どもの内面から出た欲求ではありません。
本当に自分が欲しているものではないと思うのです。
ディズニーランドのアトラクションなんか、まさにそう。
外から与えられた楽しみです。
それはそれで楽しいと思いますが、本物ではない。
我が子たちには、もっとアクティブな人生を楽しんでもらいたい。

消極的なパッシブな娯楽は「消費」するだけの楽しみです。
こういう楽しみだけ与えられ続けると、自分で楽しいことを見つける能力がなくなってしまうんだと思うのです。
もっともっとと、他から与えられる楽しみばかり求めるようになる。
暇だー、退屈だー、どこかへ連れて行け、あれ買え、これ買え、と子どもがなるのは、消極的娯楽ばっかりさせていれば当然のことなのです。

子どもをあえて暇にする。
あえて退屈にするのがいいと思うのです。
暇や退屈の中で、何とか楽しみを見つける技を磨く。
自分の中から湧き出る楽しみこそ宝なんだと思うのです。
それは「創り出す」娯楽、active amusementなのです。

2010年10月3日日曜日

クレジットレベルを上げろ!


こんにちは

今日、溌貴君はボーイスカウトの活動で、赤い羽根募金をやりました。
朝、集合場所で溌貴君は泣いちゃったんですよ。
「ぼく、募金できない。赤い羽根を渡すの嫌だ。わからないから。。。」
初めてやることですからね、不安があるのは当然です。
その時、同じビーバー隊の正善君(小1)がこう言いました。
「ぼくだってわからないよ。だいじょぶ、だいじょぶ。募金お願いしまーすって言えばいいんだよー。」
いい子ですねー。
溌貴君もそれで不安が少し和らいだようです。

光が丘駅の改札口前で、募金活動。
年少のビーバー隊の役目は、募金してくれた人に赤い羽根を付けてあげること。
見に行ったら、溌貴君もしっかりやってましたよ。
おじいちゃん、おばあちゃん、育ちゃんも見に行ってくれました。
みんなから「はっちゃん、エライね~」と言ってもらいました。
今日もまた少し成長しましたね、溌貴君!

ボーイスカウト活動を通じて、誰かの役に立つという経験もさせてもらえます。
これはとてもいいことだと思います。
人は誰かに頼るばかりじゃ生きている気がしないものです。
誰かの役に立ち、認められ、頼りにされ、そして尊敬される。
そういう人になれれば自信も身に付き、人に優しい人になれると思うのです。
逆に、自分が困ったときも素直に誰かに頼ることもできます。
自信がないと、困っているときでさえ意固地になって助けを求めることができず、傷を深くしてしまうものなのです。

不登校の子どもを見ていると、クラスのみんなに自分が認めてもらえないのがつらいのは分かるんですが、自分の有り様には無頓着のように思えます。
自分を認めてもらうために、自分自身は何かしているのか。
困っている誰かを助けたり、みんなを笑わせたり。
信用を勝ち取るための行為は何もしていないで、自分が認められないことだけを悲しんでいるような感じがするのです。
もちろん本人は悩んでいると思うんだけど、それも自己中心的な幼児的発想だと思います。

元リクルートのスーパーサラリーマンで、杉並区の中学の校長になって、今は大阪府の教育顧問などをやっている藤原和博さんの本『民間校長、中学改革に挑む』日経新聞社1400-から引用します。

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(略)大人になるということは、信用(クレジット)レベルを上げていくこと。
自分が信用を他人から与えられるためには、自分が属する社会(クラスの仲間、学校、家族、地域社会など)に貢献しなければならない。
貢献すると信用が与えられ、より自由になれるというのが、個人と社会のお約束(ルール)だからだ。(2-3p)
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<信用と貢献>は対であることは、大人になるための基本法則だと思います。
信用は貢献することなしに得られず、信用があればより貢献できるようになる。
こういう人生の基本法則、中学生くらいまでに我が子たちにもしっかりと教えたい。
子どもだけじゃなく、ぼく自身の人生のメルクマールにしていきたいと思っています。

プライスレスな幸せの創り方


こんにちは

先週もよく働きました。
火曜日は筑波研に行って、建設中の研究棟の打ち合わせ。
水曜日は名古屋に行って、和光に建設中の研究棟に設置する分電盤の工場検査。
木曜日は午前中大阪の近畿経済局に寄ってスパコン電気設備保安規程変更届をし、午後は神戸で工業用水受給契約の打ち合わせ。
その後、神戸研究所に立ち寄り冷凍機更新の相談に乗りました。
そしてSPring8へ移動して、着いたのは夜8時過ぎでしたが、新棟周りの外灯照明をどうするか検討。
そして金曜日はSPring8で建設中の2棟の打ち合わせ。
もー、バリバリと全開フルスロットルでこなしましたよー。

で、休みの日は疲れを癒すためにぼくは家でゴロゴロして本を読んでいることが多いです。
もともと体力があまりないし、平日はバリバリと密に仕事をするので、休養は大切。
いくら普段バリバリやっていても、病気になったりしたらおじゃんですからね。

寝っ転がって本を読んでいると、我が子たちが乗っかってくるんですよねー。
腹とかに乗っかってくるならいいんですが、顔の上に乗っかってくる。
本が読めんじゃないかー、まったくー。

でもしばらくベタベタしたあとは、また離れて遊びに夢中になっていくんです。
そしてまた遊びにあきると、ベタベタ寄ってくる。
そういうのもかわいいですね。

鍵山秀三郎『凡事徹底』致知出版\1000-にこう書いてありました。

 人間の喜びで最たるものは、人に頼りにされ、人にあてにされることです。
 これが喜びの中でなによりも大きい。
 どれだけの財産を持つよりもこの喜びがいちばん大きい。
 逆に、どれだけの財産を持っても、人にあてにされない、
 大して頼りにもされないということになったら、生きていく甲斐がなく、
 どんどんエネルギーを失って老化していきます。(73p)

まったくその通りですね。
誰からも頼りにされない、あてにされないほど寂しいことはありません。
特に子ども、家族に頼りにされているというのが、一番の原動力になります。
子どもがベタベタ寄ってくるというのは、頼りにされている証拠なんだと思います。
それが一番の財産です。

ぼくは世の中のこと8割はお金で解決できる、と思っています。
だからお金は大事。
我が子たちには、お金持ちになってほしい、とは思いませんが、お金に不自由にはならないでほしい、と思っています。

でも、お金で買えないものも世の中には2割あって、それこそが本当に大切なものだと思います。
先にも書いたように、家族や周りの人たちから頼られるとうことは、一番の財産です。
信頼はお金では買えないものです。
だからとても大切。

ブランドものなど高級品をお金にまかせてガンガン買う人がいますが、ちょっとかっこ悪いし、下品に見えたりしますよね。
なぜ下品に見えてしまうかというと、内田樹/平川克美『東京ファイティングキッズ』柏書房\1600-にこう書いてありました。

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平川 それでも、どうしてもお金で買えないものは残ります。
それはウチダくんもよく書いているように、他者からの「リスペクト」(尊敬)だろうと思います。
リスペクトだけはお金では買うことができません。
人に強制して得られるものでもありません。
リスペクトや愛情といったものはただ人と人との心的な関係のなかにあるもので市場に「流通」しているものではないからです。
そして、お金では買えないというその不可能性が、代理行為としての「フェラーリ買い」にさらに拍車をかけるという構造を作り出します。
ニーズを越えて人が高価なものを手に入れたいと思うのは、擬似的にリスペクトの象徴である、簡単にお金では買えないものを所有することで、リスペクトへの飢餓を癒そうとするからかもしれません。(75p)
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お金では買えないものの代償行為として高級品を買うんですね。
本来買えないものを買おうとするわけですから、下品に見えるのは当然です。
きっと高級品を買う人もそれに内心気づいている。心に隙間があることが分かっている。
気づいていても得られないから、次々と高級品を買って心の隙間をうめるしかない。
お金はあっても寂しい人生だと思います。

信頼、愛情、尊敬など、お金では買えないものの価値を、我が子たちにも伝えていきたいです。
それらを得るにはどうすればいいのかは、親の態度、行動、交際を通して教えていくしかない。
誰かの役に立つことをし、誰かの信頼を得て、多くの人の尊敬を集める。
ぼくも誠実に自立した人生を創っていきたいと思います。

もちろん、お金で買えるものの価値も伝えていきたいし、お金に困らない技術、技能も伝えていければと思っています。
お金で買えるものも買えないものも、どっちも大切だと思いますから。


次世代スパコン「京」のロゴマークをタペストリにして、スパコン棟エントランスに掲げました。
武田双雲さんによる書です。
かっこいいでしょー。

2010年10月2日土曜日

元気が一番!


こんにちは

出張中に晶ちゃんからこんなメールが届きました。

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よっちゃん!
今日、10:20頃、幼稚園から電話があり、とんたんをお迎えに行きました。
運動会の練習中にゲロ吐いたそうです。
帰宅してすぐ大量の水様便。
ポカリスエットを飲ませて、しばらく安静にさせました。
午後、おじいちゃまの家でヨーグルトを食べさせてもらい、そのあと、大量に嘔吐。下痢も続いています。
おそらくロタウィルスによる嘔吐&下痢でしょう。

家でもヨーグルトやぶどうジュースは飲んでいるので、脱水症状ではないと思うのですが、病院に連れて行った方がいいでしょうか?
私は明日の朝の様子をみて決めようと思っています。
水もうけつけなくなったら病院に連れて行きます。
明日はとんたんお休みさせますね。

はつき君は今のところ元気ですが、うつる可能性大です。
ビーバースカウトのお手伝い、そういうわけでお約束できないのですが、どうしましょう。
2日のお茶大付属小の説明会もあやしいですね・・・。
健康第一ですから、そのへんは臨機応変にいきましょう。
それでは。

しょはと
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あらららら、大変、大変。
でもまあ、幼児は病気になった方がいいんです。
しっかり免疫が着くからね。
もしかするとロタウイルスは、嘔吐と下痢で幼児の身体を浄化してくれているのかもしれません。
免疫ができて、治ったあともっと元気になるなら、病気も悪くないさって思いますよ。

結局、幼稚園を一日お休みして、金曜日は都民の日でお休みでしたから、二日間ゆっくりお母さんに甘えて、元気になりましたよ。
うんちもドカンとバナナうんちをしましたし。

やっぱり元気が一番ですよね。
それは大人も同じ。
健康じゃないと心も弱くなります。
ぼくも早寝早起き、快食快便でがんばっていきたいと思いマース!

本物の職業人


こんにちは

先日新宿の地下街を歩いているとき、柱にぶつかってしまいました。
人通りの多い時間だったので、周りの人にくすくす笑われちゃいました。
のんびり歩いているので、ぶつかっても怪我をするってほどじゃありませんがね。
ぼくはよく柱にぶつかったり、壁にぶつかったりしちゃうんです。
幸いにして人にぶつかることはありません。
向こうが避けてくれるからです(笑)。

なぜ柱にぶつかったかというと、上を向いて歩いていたからです。
ぼくの仕事は電気設備技術者です。
電気設備は上の方、天井に設置されていることが多いわけです。
電線とか照明器具とかね。
そういうものに興味があるもんだから、どうしても上を見る。
見るだけじゃなく、見たものを元にあれこれ考えたりするわけです。
それも歩きながら。。。
だから、柱にぶつかってしまったというわけです。

横田濱夫『そんな会社、辞めてしまえ!』講談社+α文庫\680-にこんな話が書いてありました。

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職業病は夢の代償?
たまたま物書きという職業は、代償が腰にくるけれど、他の職業だって、みんなそれぞれ犠牲を払っている。
あしたのジョーを夢見た若者を待っている職業病と言えば、網膜剥離だ。
目の上を切って出血するのも痛いけど、それにもまして網膜剥離は、目が見えなくなるという一生のダメージを背負ってしまう。
その危険を冒してまでも、ボクサーがリングの上で殴り合うのは、本人にとって「ボクシングが好きだから」だろう。
どんな世界でも、リスクを負わなかったら、富も名声も掴めない。ボクサーの場合、たまたまそのリスクが目にある、ということだ。
オペラ歌手にも、やっぱり職業病はある。
常にでかい声で、声帯をめいっぱい共鳴させて歌うことにより、過剰な刺激が脳に伝わる。特に高音域帯を歌う、女性ならソプラノ、男声ならテノールの場合はそうだ。
するとしだいに、刺激で脳味噌の組織がやられてしまう。
実際、音楽業界には、「ソプラノXX」とか「テノールXX」なる言葉さえあるそうな。
その危険をわかっていてなお、オペラ歌手たちが大声で歌うのをやめようとしないのは、それが自分の天職と信じているからだ。
これってほんと、すごいことだと思う。自分の脳味噌の破壊もいとわないで、好きな道に邁進するんだから・・・。(35-36p)
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オペラ歌手の話はホントカナーって眉に唾着けてしまいますが、天職として仕事を楽しんでいる人はどうしても犠牲になることもあるんでしょうね。
犠牲になることがわかっていてもやめられないんです。
そのくらいにならなくちゃ、天職とは言えないのかもしれません。
ぼくも柱にぶつかって周りの人から笑われるくらいは、電気屋として仕方ないということでしょう。

ノーベル物理学賞を受賞した益川先生も、常々奥さんにこう言っているそうです。
「オレが交通事故に遭っても、運転手を責めてはいけない。オレが考え事をしながら歩いているのがいけないんだから」
ちょっと笑えますね。
益川先生くらい研究を天職としている人はいないでしょう。
交通事故と引き替えになっても、いつでもどこでも物理を考え続けていたいってことなんですね。

仕事が天職化してくると、だんだん仕事時間とプライベート時間との区別がつかなくなってきます。
公私混同状態になっちゃう。
仕事中でも遊んでいるように興味の赴くまま調べたり、計算したり。
遊びに行っているときでも仕事に関係する面白いものを見つけると、そっちに目が釘付け。
飯食っているときでも方程式解いていたりして。
そうして女房に叱られたりするのも、犠牲のひとつでしょうか。
わははははは。

大内伸哉『雇用はなぜ壊れたのか』ちくま新書¥740-にプロフェッショナルの語源が書いてありました。

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「職業」という言葉を英語で言う場合、いくつかの言い方があるが、その一つが「profession」である。「profession」を持っている人がプロフェッショナル、略してプロである。日本語で言えば、「職業人」である。
じつは、「profession」の語源(ラテン語)には、「自分の信仰を公に宣言すること」という意味である(動詞の「profess」には、今でもそういう意味がある)。
自分の専門能力を公言するという場合にも、この言葉が使われ、そこから「職業」という意味になった。
ちなみに、教授(professor)も同根の言葉であり、自分の専門分野を公言している人という意味である。
このように「profession」は、仕事の専門性と関係が深い。(112p)
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なるほどー。
元もと、職業=プロってことなんですね。
逆に言えば、しっかりとした専門性を持たないと職業とは言えない。
夢中になって仕事に取り組む。
多少の犠牲が伴おうともやるべきことをやる。
それが本物のプロであり、本物の職業人なんだと思いました。


スーパーコンピュータ「京」の量産機の搬入、据え付けが始まりました。
今月から電源を入れ、試運転が開始されます。
マシンを収納する建屋はぼくの渾身の作ですが、これからがその実力を試される時。
楽しくがんばっていきたいと思います!