2011年12月31日土曜日

競争は嫌いです


こんにちは

はっちゃんもとんたんも、気持ちが優しいです。
人を押しのけてまで自分の欲望を満たそう、という気はないようです。
誰かと競合するような場面では、さっと譲ってしまいます。
ちょっと気が弱いような気もしますが、それでいいとぼくは思っているのです。
だって、世の中競争じゃないからです。

学校でも職場でも競争、競争とうるさいくらいです。
で、どんな競争をさせられるかというと、隣の席に座る友だち、同じ部署の同僚と競争させられるんです。
これって間違ってませんか?

今の時代、競争に勝たなければグローバル社会を生き抜けない、というのも本当かもしれません。
でもね、いつでもどこでも誰とでも競争しなくたっていいじゃないですか。
勝負するには、勝たねばならない相手を間違えてはいけないのです。

競争好きな人ってちょっと鬱陶しくもあります。
成功したいという気持ちは分からなくありませんが、成功=勝つことじゃないんだよね。
自分の実力を上げて、結果的に勝つってのならオッケーなんです。
競争好きな人って、あんがい勝つために手段を選ばないんですよ。
誰かの足を引っぱったり、邪魔をしたりしてまで勝とうとする。
これって生産的じゃありませんよね。

こういうやり方で隣の席のクラスメイトや同じ部署の同僚に勝っても、クラス全体、部署全体の成績は上がりませんし、返って低下する。
それは、自分のクラスや自分の属する組織の競争力を削いでしまうからです。
身近な人と競争させられると、往々にしてこういうコトになりがちなんです。

戦う相手は、たとえば他校の誰かだったり、競合他社だったりするのが、本来でしょう。
そのためには、クラスメイトや同僚同士で戦っちゃいけないんですよ。
クラスメイトや同僚とは協力しなくちゃね。
クラスメイト、同僚とは助け合ったり、譲り合ったりして、結束を固めていくべきなんです。
そして、助け合うためには自分自身を向上させなければなりませんし、時に譲ることによってクラスメイトや同僚を向上させなければならないのです。

城戸淳二/阪本桂一『学者になるか、起業家になるか』PHP新書¥720-にこうありました。

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少なくとも子どものころから「1番を取ろう」という考えは必要ないと思います。
競争心と向上心は、別物だと思います。
なぜ、そう考えるのか?
もし競争に勝てばいいだけであれば、他の人が勉強しているのを妨害してもいいことになります。
もしそれで1番を取ったとしても、将来クリエイティブな人になれるかといえば、疑問です。(坂本、77p)
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だから我が子たちは、今のままでいいかなーと思っているんです。
誰かを蹴落としてまで勝ちたいという、という間違った競争心は持ってもらいたくないですね。
できれば、勝負する前に既に勝敗が決まっているような人物になってくれるといいな。
剣豪が構えただけで「参りました!」って言うようなね。

2011年12月22日木曜日

分かち合う行動

こんにちは

金は天下の回り物。
自分で稼いだと思っているお金も、いろんな人のお陰で自分のところに回ってきたものです。
だから自分のためだけに使うんじゃなくて、少しは社会貢献のために使いたいものです。

和民の社長、渡邉美樹さんはお子さんたちにこう教えているそうです。

 お小遣い、お年玉をもらったら
  50%は好きな事に使いなさい。
   45%は将来のために貯金しなさい
    5%は困っている人のために寄付をしなさい

ぼくもささやかながら真似しているんですよ。
自分が自由に使えるお小遣いのうちから少しを、毎月寄付しています。
渡辺さんのお子さんよりもたぶんお小遣いが少ないため、あははは、5%では小額すぎるので10%にしていますがー。

お給料が出たので、今月もお小遣いの10%を被災者の方にお裾分けです。
http://t.co/r9I6sX0Y

お正月はわが子たちにも、いただいたお年玉の10%を被災された方にお裾分けさせようと思っています。

2011年12月21日水曜日

分かち合う心

現在、共用開始に向けての最終チューニング中の世界一の性能を誇るX線自由電子レーザー施設「SACLA」。
製作、建設に関わったすべての会社名をHPに掲げています。
http://t.co/tPmex3YY
こういうの、とってもいいなーって思います。
だって、いろんな会社のいろんな技術者の得意な部分を集積したから、いいものが完成したわけですからね。
栄誉も分かち合うべきだと思います。
素晴らしい!

2011年12月18日日曜日

良い教師とは何か


こんにちは

2学期も終わりに近づき、はっちゃんの学校でもとんたんの幼稚園でも個人面談が行われました。
二人とも先生に大変褒めていただきました。
嬉しい、嬉しい。
もちろん我が子たちが一生懸命がんばったというのもあるでしょうが、先生がスバラシイですね。
ダメな先生ほど、子どもの欠点ばかり言うんですから。
つまり、いい先生だからこそ子どもの良い面をよく見てくれているってわけです。

なぜ良い先生は子どもの良い面を見てくれるのでしょうか。
それは、子どもがいい行いをするよう、導いてくれるからに違いありません。
良い先生に教えてもらえば、子どもはできるようになり、できるようになれば心も安定します。
心が安定すれば、良い行いしかしなくなるんですよ。
そうすれば先生は良い面しか見ることができなくなるんです。
だって、悪いコトしないんだからね。

これは逆も真です。
ダメな先生はなぜ子どもの欠点ばかり言うのでしょうか。
それはホントに子どもがダメなことばかりするからなんです。
なぜ子どもがダメなことばかりするのか。
心が不安定だからです。自信がないからです。
心が不安定だから、何をやっても上手くできるようにならない。
その原因はやっぱり先生にあったりするんです。
この先生も、子どもの欠点を直したいと思って指摘しているんだ、と言うのかもしれません。
でも、欠点ばかり言われてそれを直そうという子どもはいないんですよ。
褒められて、褒められて、でも自分の欠点を自分で見つける。
そういう子じゃないと、欠点は直せないんです。

社会人も同じですね。
ぼくも管理職になって周りの同僚を観察して分かりました。
いつも部下を怒っている、しかも人前で、上司はダメ上司です。
ダメ上司の部署は、離職率も高いです。
この上司に従っていても、スキルが上がるとは思えないからです。
スキルも上がらず、当然職位も賃金も上がらず、おまけに四六時中怒鳴られて気分が悪ければ、転職したくなるのは当然でしょう。

なぜダメ上司は人前で怒るのか。
実は部下が成果を上げられない責任は、上司である自分にあることは、無意識かもしれませんが分かっているんですね。
周りの人に、おまえがだめなんじゃん、と言われるのを恐れている。
なので、責任は自分ではなく部下にあるのだ、とアピールしたくなっちゃうんですよ。
そしてホントは自分は能力があるんだけど、部下がだめだからこんな失敗をしたんだと、周りの人に示したくなっちゃうんですね、脅迫神経的に。
だって、怒鳴りつければどうしたって、怒鳴る方が地位が上で、怒鳴られる方が下だってことになりますから。錯覚ですけど。

すごくいやらしい上司もいて、自分の方が格上だと示したいがために、わざと部下の不得意な仕事をやらせるんです。
不得手ですから、やっぱり時間もかかったり、失敗もします。
それで勝ち誇ったように怒鳴りつけるわけです。
すごくかっこ悪い。
でも周りの大方の人には分かっているんです。
怒鳴っているおまえが悪いんだよ、ってね。

良い上司は、あまり部下を怒りません。少なくとも人前で怒鳴りつけるようなことはしません。
なぜならこの上司の部下たちは、怒鳴られるようなことをしないからです。
きちんと成果を上げているから、怒る必要なんかない。
なぜなら、その部下にあった仕事を割り振るからです。
それぞれの部下の得意なことしか割り当てない。
得意な仕事なら、短時間にこなせますし、間違いなくいい成果を出すことができます。
もちろん、時には成長を促すために難しい仕事を割り振ります。
でもその目的は、部下に失敗させるためじゃありません。

苫米地英人『「天才脳」子育て術』ミリオン出版¥1219-にこうありました。

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多くの犯罪者に共通するのが「自己評価の低さ」だからです。
そしてその自己評価の低さは、おおかたの場合、子どもの時に親やまわりの大人に植えつけられてしまい、そのまま回復することなく歳を重ねてしまうのです。
「自分なんて生まれてこなければよかった」という低い自己評価が、やがて「自分をこんな目にあわせた社会に復讐してやりたい」といった自暴自棄な犯罪へとつながっていくのです。(15p)
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先生、上司から、ダメだダメだと言われ続ける。
それで自己評価が上がるわけがありません。
人は自信が持てないと成長しないものなのです。

苫米地さんはこうも言います。

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人間は、挑戦するからできるようになるのではありません。
はじめに「自分はできる」という強い意志と自信があるから、挑戦し、それが成功するのです。
「やってやるぞ!!」という能動的な意識を、「自分はできる」という無意識が応援するとき、人ははじめて行動に移せるのですから。(151p)
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教師の仕事、それは子どもに自信を持たせることです。
上司の仕事、それは部下に自信を持たせることです。
はっちゃんもとんたんも良い先生に恵まれました。
ぼくも良い上司になろうと思います!

2011年12月2日金曜日

アトピーにもワセリンごしごし

こんにちは

ぼくは子どもの頃からアトピー性皮膚炎。
子どもの頃は肘の内側とか膝の内側とかひっかいて、いつも血が出ているような状態でした。
大人になって、生活習慣や食習慣に気をつけたり、保湿剤を塗ったりして、まずまずコントロールできるようになりました。
でも、特に冬の乾操した時期などは、肌も乾燥してかゆみも増してしまいます。
かゆいからひっかくと、肌はぼろぼろになってよけいに乾燥します。
そしてますますかゆくなる。

踵のアカギレも冬はひどくなります。
何箇所もバックリと割れて痛い。
歩くのにも支障が出るほどだったんです。
これも踵が乾燥して、弾力がなくなるからでしょう。

踵については、去年からお風呂上りにワセリンを塗りこむようにしています。
おかげで去年は、ぱっくり割れたのは1ヶ所だけですみました。
それは、出張中めんどうで2,3日ワセリンを塗り忘れたためでした。
今年も寒くなってきたので、踵にワセリンを塗りこむ作業を始めました。

ワセリンを塗りこむ方法は、『傷はぜったい消毒するな』の夏井先生の本に書いてあったことを実践したものです。
ワセリン塗りこみは、踵の他に背中の肩甲骨のあたりがいつもガサガサしているので、ここにも塗りこんでいます。
かなり改善しました。

夏井先生のホームページを読むと、ワセリン塗りこみはアトピー性皮膚炎にかなり有効であるとありました。
http://www.wound-treatment.jp/next/case/944.htm
アトピー性皮膚炎も、かゆいからひっかくため、細かな傷がたくさんできるわけです。
引っかき傷から湧き出してくる細胞液を餌にして、皮膚常在菌が繁殖する。
皮膚常在菌は普段はおとなしいのですが、異常繁殖すると毒素を出すんです。
異常繁殖した細菌がかゆみのものとになる毒素を出し、引っかき傷が増える。
そこでまた細菌が繁殖する。さらにかゆみが増す。
そういうメカニズムらしい。
だから、その引っかき傷を治してしまうのがいいわけです。
傷を治すなら、夏井先生の開発したワセリンゴシゴシ方が有効、というわけです。

ワセリンを塗りこむにもコツがあります。
ワセリンを直接患部に塗ってはいけません。
まず小匙半分程度のワセリンを手のひらに乗せ、両手でよく揉み込みます。
するとワセリンは体温で溶けて、液状になります。
液状になったワセリンを患部に塗りこむのです。
そうすると皮膚のでこぼこの奥にもワセリンが届き、皮膚によくなじみます。

ワセリンを塗ると、皮膚がベタベタ、ヌルヌルして気持ち悪いかもしれません。
そういうときは、キッチンペーパーでゴシゴシと拭きとるといいです。
拭きとっても皮膚表面にはちゃんとワセリンコーティングが残りますから、効果は薄れません。
ベタベタ感もなくなって、快適にもなります。

ワセリンは高分子の油脂であり、体の細胞と反応しません。
だからまったく薬理効果はないわけで、逆に言えば副作用もない。
単純に皮膚表面を保護するだけなんです。
皮膚の乾燥を防ぎ、湿潤環境を保ち、傷ついた皮膚の再生を促す。
皮膚が再生すれば、皮膚常在菌の異常繁殖もなくなり、かゆみも減るわけです。

もちろんこれは「対症療法」であって、アトピーを根治するものではありません。
それでも、ステロイド軟膏を塗ったり、尿素系保湿剤、保湿クリームを塗るよりは効果があり、安全で安価な方法だと思います。

2011年11月27日日曜日

少し冒険させる


こんにちは

今日は日曜日。
何にも予定を入れず、のんびり過ごす。
そういう日も必要です。

でも子どもは退屈。
近所、我が家から1km程離れた場所にある「ビッグボーイ」に連れて行け、と言うんです。
そのお店にお目当てのガチャポン(カプセル入りのおもちゃ、200円)があるから。
そこへ車で連れて行ってくれと言います。

当然、こういうおもちゃはお小遣いで買わせることにしています。
お小遣いは、はっちゃんは月給制で毎月1000円、とんたんは毎週200円あげることにしています。
今週はまだとんたんにお小遣いをあげていませんでした。

そこで思い立ちました。
子どもたち二人だけで、ビッグボーイまで行かせようと。
ビッグボーイまでの1kmは、歩道もちゃんとあり、それほど危険はありません。
子どもたちだけでも行ってこられるでしょう。
とんたんも自分の自転車をこいで行く。
はっちゃんはとんたんの面倒を見ながら行く。
それならとんたんにお小遣いをあげるよ、とぼくは言いました。

子どももお金には弱いわけです。
お小遣いをもらえるとなったら、努力もするんです。
ちょっとした冒険でもあります。
とんたんも「自分の自転車で行ってくる!」となりました。

出発してから1時間あまり。
往復1kmの割には帰りが遅かったので、心配になって迎えに出てみることにしました。
目白通りと環八との交差点まで行くと、向こうから二人がこちらに向かってくるのが見えました。
ホッと一安心です。
無事、行ってこられましたねー。
スバラシイ!

はっちゃんは自分の持っている1000円札を、ビッグボーイのレジで100円玉に両替してもらったそうです。
がちゃぽんは一人一つだけ買ったんだと思ったら、はっちゃんがとんたんに200円あげて、二つずつ買ってきました。
ちょっと無駄遣いだねえ。
でも自分のお小遣いを使う分には、親は文句を言わないことにしています。
二人で買ってきたおもちゃで遊んでる姿を眺めながら、ま、それもいいかーって思っています。

やっぱり読み書き計算が大事


こんにちは

はっちゃんの学校の参観日。
2時間目は生活科の授業でした。
この時間は「掃除機を使ってみよう」でした。
先生がわざと教室にごみを撒き散らし、子どもに掃除機で掃除させる。
親も子どもと一緒に掃除する。
とても楽しいものでした。

ぼくは生活科なんか学校でやる必要はない、と思っています。
掃除機の使い方なんか、本来家庭でやるべきことです。
親がしっかりした教育観を持っていれば、子どもにある程度のお手伝いをさせているはずです。
子どもにお手伝いをさせた方が、子どもはよく育つことを知っているからね。
もちろん我が家でもさせていますよ。
はっちゃんには玄関掃除、とんたんは雨戸の開け閉め。
それから近頃は、ちょっとした買い物も子どもたちにやらせています。
お手伝いのレベルも子どもたちの年齢に従って徐々に上げていくつもりです。
茶碗洗いとか、お風呂掃除とか、トイレ掃除とか、夕食の準備とかね。
これは子どもが家にパラサイトしている限り、中学生になろうと、高校生になろうとさせるつもりです。
受験なんて時期でもやらせます。
だって、せいぜい10分かそこらでできることです。
お手伝いをやらせないで勉強時間を増やすメリットより、デメリットの方が大きいのは自明でしょう。

ちゃんとした家庭に育つ子なら、生活科なんか必要ないんです。
でもまあ学習指導要領で決まっているからやらざるを得ないわけです。
ならば無理せず楽しくやるだけでいい。
せいぜい、きっかけを与える程度で十分です。
その点、はっちゃんの先生はそれが分かってらっしゃいますね。
子どもに押しつけるようなことが全然ありませんでした。
そしてやんわりと親たちに「お手伝いさせましょうね。その方がオトクですよ~」と伝えてるのかな、と思いました。

では学校でしっかりやるべきことは何か。
小学4年生までは読み書き計算だと思います。
小4までの読み書き計算ができれば、あとは自分の好きな勉強をやればいい。
読み書き計算の技能があると、あとは情熱さえあれば何でも習得可能です。
逆に言うと、小4までの読み書き計算がしっかり身に付いていないと、好きな勉強を続けることができないんです。
時々ぼくは若い技術者君に資格試験の勉強を教えることがあります。
そういうときでも、簡単にあきらめちゃう若者はたいてい読み書き計算に難がある。
テキストの漢字に読めない字が多いとか、電卓を使っても計算ができないとかなんです。
でも二十歳を過ぎた青年に、小学校からの読み書き計算から再勉強をさせようというのは難しいです。
若者にもプライドってものがありますから、今更小学校の勉強をやり直しするだけの気力を持てないんです。
脳には臨界期ってものもあって、ある勉強をするのに適した年齢というのもあります。
読み書き計算はやっぱり5歳から12歳くらいが適齢であるというのが、教育学上の経験則なんです。

公文毅『どんな人間がこの時代を生き抜くか』河出書房新社¥1400-に載っている加藤周一さんは、もっと極端なことを言っています。
義務教育は、国語と算数だけでいい、って。

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義務教育に対する私の意見は、国語と数学だけをすべての子供に教える、そして英語も含めてほかのすべての科目は選択性にすべし、というものです。
今の詰め込み教育では、子供の負担が多すぎると思います。
あまりに負担が多いからのいって、教科書を薄くしたり、授業時間を削ったりしているでしょう?
しかしそれは因循姑息な手段だと思います。
教科書を薄くするために、高度な技術を駆使して、短い文章に、ただの一言もむだなく大事なことを詰め込む。
しかし、それを全部理解し覚えるのは大変なことです。
また授業時間数を減らすと、教師は、あれも大事だ、これも大事だと、短い時間に詰め込んで、授業はもっと難しくなります。
子供の負担はそういう方法では減りません。
減らす唯一の方法は、習う科目を減らすことです。

学校を出てからどういう知識が必要になるかということは子供によって違います。
そこで何が必要になっても大丈夫なように、すべてのことを教えようとすると、負担が大きくなってしまいます。
だから、義務教育では知識を教えることをいっそやめてしまって、知識を獲得する手段だけを教える。
そして、義務教育を終えたあと、必要に応じて、その手段を使って知識を獲得するというふうに踏みきればいいのです。
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科目を減らして、その分重要なことに注力する。
重要なことは強制するわけです。
善意の強制ですね。
その他の教科は選択制にして、子どもの興味関心に任せるわけです。
でもぼくはそこまでしなくてもいいし、学校にはきっかけを与えるという役目もあるので、今のままでいいですけどね。
強制されて初めて面白さのわかることもあるからです。
ゴリゴリに押しつけられなければ、生活科だってちょっとはやってもいい、とも思います。

なぜ読み書き計算、国語と算数が重要なのでしょうか。
加藤さんはこう言います。

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知識獲得の手段というのは言語です。
日本人が必要とする言語は二つあって、国語つまり日本語と、数学なんですね。
その二つの言語を使えば、よほど専門的なことは別にして、大抵のことはわかる。
ところが、どちらかが欠けていると、獲得できる知識の範囲が急に減少します。(134p)
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ここはぼくも大賛成です。
読み書き計算がしっかりしていないと、新たな知識を獲得するときに支障が出る。
国語と数学は、その意味で「技能」なんです。
人生をよりよく生きていくために身に着けておくべき技なんです。

背筋を伸ばせ、頭を鍛えよ


こんにちは

昨日ははっちゃんの学校の参観日。
算数と生活科の授業を見てきました。
算数の授業の始めは、計算練習。
加減混合算5問でした。
1年生に加減混合算をやらせるのはすごいですね。
普通の1年生はやらないでしょう。

小学4年生までは、読み書き計算の技能が重要。
文章題は出来なくてもいいけど、計算はある程度速くできる方がいい。
参観日の授業では、子どもたちがどのくらい速く計算できるようになっているか、親も同じ問題を解かされました。
よーい、スタート。
はっちゃんはクラスで5,6番目くらいでしたね。
ぼくは15番目の子と同じくらいに解き終わりました。
はっちゃんの方が速かったですね。
スバラシイ!

そしてはっちゃんの計算速度も、クラスで1番じゃないのも嬉しかった。
人間はスパコンじゃないんだから、計算速度1番である必要はないんです。
ある程度速ければいい。計算が苦にならない程度にね。
速すぎるのもよろしくない。
速すぎる子は、演算しているのではなく記憶している場合が多いのです。
算数、数学はロジック、プロトコルを学ぶ教科です。
計算が速すぎる子は、ロジック、プロトコルをすっとばしてしまうんです。
なので、算数、数学が得意にならないし、面白くならない。
ぼくの教師としての経験でも、計算が速すぎる子、そろばんを習っている子は算数がそれほど得意にならないんです。
算数=計算になりすぎちゃって、算数=考えるという習慣が失われる。

もちろん計算は遅すぎてもダメです。
遅すぎると面倒くさくなるからです。
面倒くさいと計算しなくなります。
適度な速度で計算できるよう訓練しておくのは、小学4年生までの算数の要なんです。
この苦にならない程度に計算に習熟するって、大切なことなんですよ。
大人になって、社会人になって、気軽に四則計算をやれる人ってホント少ない。
ちょちょいと計算してみるだけで、世の中のことがよく分かるようになるのにね。
間違えること、騙されることもなくなるし。

岸本裕史さんが開発し、蔭山先生が広めた100ます計算でも、あんまり「もっと速く!」と子どもの尻を叩いてはいけないのです。
足し算、引き算なら3~4分程度、かけ算九九なら2分台でできるようになれば十分。
もちろんガンガン練習させれば1分を切る時間でできるようになりますよ。
でもそれは意味がないし、害もあるんです。
ある程度速く計算できるようになったら、そこで合格ってした方がいい。
100ます計算で失敗する先生は、速くばかりを求めちゃっているんですよ。

話を戻して。
我が家も、家でも計算練習させようかと思って、100ます計算用紙をエクセルで作りましたが、今のところ必要ありません。
学校で十分訓練されているからです。
繰り上がりのある足し算、繰り下がりのある引き算も、ほぼマスターしているようです。
先生、ありがとうございます!

参観日でいいなーと思ったのは、クラスの子どもたちの姿勢がいいこと。
背筋をシャンと伸ばしている子がほとんどでした。
もちろんはっちゃんもシャンとしていましたよ。

外山滋比古『子どもを育てる絶対勉強力』幻冬舎文庫から引用します。

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先日、NHKテレビがおもしろい実験をしてみせた(1999年8月4日放送「ためしてガッテン」)。
姿勢によって頭がよくなったり、わるくなったりするというのである。
実験はこうだ。
ABCの三人にはよい姿勢をとらせ、DEFの三人にはネコ背になってもらう。
同じ本を引き写す作業を一斉にさせる。
十分間にどれだけ書けるかを調べた。
ABCはみんな原文の五ページ前後を写してたのに、姿勢のよくないDEFは三ページくらいしか写せない。
姿勢のよい方がよい結果をもたらす。
念のために、役割をひっくりかえし、ABCにネコ背になってもらい、DEFには背筋をのばして、同じ作業を同じ時間させる。
すると、さきには五ページ書き写したABCが、三ページちょっとになり、DEFが五ページ近く写していた。
こうなると、姿勢が決め手になっていることを認めないではいられない。(163-164p)
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物事に取り組む心構えも「姿勢」と言ったりします。
それは、真剣に取り組むためには身体だって姿勢をよくしないとダメだからです。
背筋を伸ばし、腰骨を立てると作業効率が上がるからです。
背中が曲がっていると内臓を圧迫し、神経の伝達が遅くなります。
姿勢は大事なんです。

2011年11月26日土曜日

メガソーラー


こんにちは

昨日は電気技術者協会の見学会で、東京電力浮島メガソーラー施設を見学してきました。
電気技術者協会は電気主任技術者の人たちの研修団体です。
技術者協会の見学会や勉強会に参加すると、元気をもらえます。
矍鑠とした爺さんたちが、好奇心丸出しで参加しているんです。
ぼくも50歳を過ぎましたが、参加者中まだまだ若者の部類に入ります。
まだまだヒヨッコだなーって思います。
そして、こういう元気な爺さんになりたいなーって思えるんです。

なぜ技術者協会の爺さんたちは元気なんでしょうか。
電気主任技術者という国家資格を持っていると、停年なんかないわけです。
足腰と頭が丈夫なうちは仕事があります。
電気保安の仕事は経験が活きる仕事ですから、年寄りの方が役に立つ。
難しい国家試験を合格しているから基礎知識も十分にある。
基礎知識の上に経験を重ねた技術者は強いですよ。
75歳くらいまでは十分務まります。
そんなに稼ぎがいいわけではないでしょうが、社会から求められる人材でいられる。
オトコは仕事ですからね。
年を取っても年金頼りではなく、自分の腕で稼げているという自負。
これが元気の素なんだと思うわけです。

さて、浮島メガソーラーです。
11haの敷地に7000kWの太陽光パネルがびっしり並んでいます。
http://www.tepco.co.jp/csr/megasolar/

東京電力の方に、太陽光発電の年間発電電力量をざっくり概算する計算式を習ってきました。

 年間発電電力量(kWh)=最大発電電力(kW)×1000(h)

だそうです。
浮島メガソーラーなら最大発電電力7000kWですから、

 7000×1000=7,000,000kWh=700万kWh

となります。
1000倍するってことは、最大電力換算で年間1000時間しか発電しない、ということ。
火力ならメンテ期間を除いても8000時間は稼働しますから、1/8しか発電しない
わけです。
7MWメガソーラーと威張っていても、火力換算だと875kW相当ってことです。
ずいぶん小さいですね。

逆に言えば、火力同等とするには8倍の設備が必要ということです。
現在の火力発電所の最大級のものは、出力100万kWにも及びます。
100万kWクラスの火力と同等の太陽光発電は800万kWも必要なんです。
浮島メガソーラーの敷地は11ha。
800万kWの太陽光発電所の敷地は、11×800万÷7000=12,571ha。
ってことは、11km四方の面積になります。
東京の山手線がはいっちゃいますね。
そう考えると、今の電力需要のままでは太陽光発電と置き換えるのは、ちょっと現実的ではないなあ。
ということを考えたりした1日でした。
楽しい、楽しい!

2011年11月22日火曜日

第一旭の神戸ラーメン


こんにちは

ぼくは浮気性ではありません。
何事もとことん極めたいタイプ。
だってね、浮気性の人って底が浅いと思うんですよ。
物事を表面的にしか見ない。
表面だけ見て判断しちゃうんですよね。
すぐ、つまらないと思って、違う対象へ向かってしまう。
深く見てみると、なんでも意外と面白いものなのにね。
だから浮気性は損だと思うわけ、ぼくは。

今ぼくは単身赴任のケチケチ生活をしていて、ご飯も自分で炊いて食べています。
外食はお金もかかり、健康にもよくないですからね。
毎日じゃあ、財布も体ももたないですよ。
でも週1度だけは外食してるんです。

その外食も、あちこち食べ歩く、と言うよりは、気に入ったお店に通いつめるって感じですね。
浮気性じゃないですから。
神戸では、スパコン棟を建てている頃、前半はずーっと「らーめんたろう」ばっかり行っていました。
後半は「天一軒」ばっかり。

で、最近はここにはまっています。

 神戸ラーメン 第一旭 三宮店
  http://www.asahi-foods.co.jp/

Bラーメン\700がお気に入り。
チャーシュー麺です。
このチャーシューの量がすごい!
肉好きのぼくにはたまりません。
肉の部位もばら肉ではなく、ロース肉だったりするのも嬉しい。
もちろん、ラーメン自体も美味しいです。

しばらくは、毎週通いつめることになりそうです。
楽しみ、楽しみ!

2011年11月20日日曜日

専門家も認めたスパコン!

理研スパコン「京」が、スパコン技術専門雑誌『HPCwire』2011年度のHPCwire 年間賞を受賞!スバラシイ!
http://www.riken.jp/r-world/topics/111115/index.html

2011年11月19日土曜日

子どもは水っぽい


こんにちは

いやあ、はっちゃんやとんたんのクチビル、ぷるぷるですよー。
男の子だけど、まだ単身赴任に出かけるときにチューしてくれますが、ぷるぷるのクチビルで気持ちいい。
女房の晶ちゃんからチューされるより、気持ちいいぞー。
あははははは。

なぜクチビルぷるるんなのかというと、子どもは水分が多いからね。
というより、水分がたっぷりないと成長しないんです。
水は物質が化学反応を起こすために必要なものだからです。

本川達雄『生物学的文明論』新潮新書\740-にこう書いてありました。

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私たちヒトも、水が多いと活発です。
ヒトも子宮という水環境の中で一生を始めます。
そして生まれ落ちたばかりの赤ん坊は体の80%が水です。
成長するにしたがい水は少なくなり、成人では60%になります。
その内訳は、細胞の内部にある水が40%、細胞の外部に存在する水が20%です。
水の2/3は細胞の中にあります。
水分含量は20歳を過ぎても減少し続けますが、おもしろいことに、細胞外と細胞内とでは、減り方に違いが見られます。
細胞外の水は30歳以降はほぼ一定で変わらず、減少しません。
減るのは細胞の中にある水のほうです。
これは年とともにどんどん減り続けます。
細胞が生命活動の主な場であり、その水が老化と共に減っていくのです。(86p)
###

ですかー。
我が子たちもチューなんてしてくれるのは、あと1,2年でしょうね。
それまでは、水分たっぷりのクチビルを堪能させてもらいましょー。

2011年11月18日金曜日

「役立つ」スパコン!

理研スパコン「京」、ゴードンベル賞も受賞!
もう、スパコン関係の賞を総なめですねー。
ますます役に立つ、使えるスパコンであることを証明できましたー。
http://www.riken.go.jp/r-world/info/info/2011/111118/index.html

2011年11月16日水曜日

チームワーク!


こちらもすごい!
「チームワーク・オブ・ザ・イヤー2011」最優秀チームに京速コンピュータ「京」開発プロジェクトチームが決定!!
チームの末席にいれてよかったな~。
http://group.cybozu.jp/news/11111401.html via @cybozu

「使える」スパコン!


LINPACK世界一だけじゃない!
京速コンピュータ「京」がHPCチャレンジ賞 4部門すべてで第1位を獲得!!
すごい、すごい!!
http://pr.fujitsu.com/jp/news/2011/11/16-2.html

こたつで支援


こんにちは

急に寒くなって来ましたね。
東北はもっと寒いと思います。
被災地の仮設住宅へ、こたつを送る支援にぼくも参加。
https://www.kauloco.com/ecmatch/products/detail.php?product_id=19

ぼく自身は節電のためこたつはもちろん、エアコンも使わず、早寝早起き、ドテラを着込んでこの冬を乗り切ろうと思っています!

2011年11月15日火曜日

1位をキープ!


理研のスパコン「京」が世界一をキープ!
ぼくも徹夜でインフラ設備を運転しましたが、頑張った甲斐がありましたー。
http://top500.org/list/2011/11/100

2011年11月13日日曜日

裏文化が子どもを育てる


こんにちは

今週末は、はっちゃんの学校の学園祭でした。
面白かったですよー。
校舎内に学習展示もありますが、たぶんこれはエクスキューズにすぎないでしょう。
校庭ではお父さん、お母さんたちの出店する模擬店がたくさん。
カレーライス、豚汁、たこ焼きなどジャンクフード食べ放題。
そしてお父さん主催のゲームコーナー。
スーパーボールすくいやコリントゲーム、モグラたたきなどに子どもたちが群がります。
ゲームで高得点を取ると、おもちゃやお菓子がもらえます。
要するに昔のお祭りの縁日が学校内に再現されているわけです。

もちろんお金がかかります。
子どもたちは自分のお小遣いを使って、食べたいものを食べたり、やりたいゲームに熱中する。
みんな1回100円程度ですから、1000円かせいぜい1500円そこいらでしょうが、子どもたちはここぞとばかり散財するわけですよ。
学校が子どもに無駄遣いさせちゃうわけです。
こりゃー、ぼくとしてはたまらんですね。

そして学園祭の〆はビンゴゲーム。
全校生徒が体育館に集合して大ビンゴ大会が開催されるのです。
この景品がすごいんです。
ディズニーランドのチケットやら、iPodやら、人生ゲームやら、旅行券やら。
1万円を超えるような景品もずらり。
子どもだけじゃなく、一緒にいる親も興奮してしまいます。
もちろん当たらなかった子どもにも参加賞はありますがね。
こんな感じで、もう最初から最後までめちゃくちゃ楽しい学園祭なんですよ。

たぶん、こんなことは公立学校ではできないでしょう。
「学校でお菓子など食べさせて食中毒になったらどうするのでしょうか」とか「学校でお金を使うなんて、家庭が貧しい子がかわいそうです」とか「クジに当たったこと当たらなかった子が不平等です」なんて言って反対するオバハン先生が必ずいる。
確かに正論を言ったらその通りですよ。
でもね、学校は正論=表文化だけじゃダメなんですよ。
子どもには裏文化も必要なんだと、ぼくは思うんです。

裏文化とは、ちょっといかがわしい経験です。
身体に悪いものかもしれないけど、食べちゃう。
無駄遣いはいけないことかもしれないけど、使っちゃう。
たまにはそういうこともやらないと、人間って成長しないものなんです。

そして、裏文化が豊かになると、表文化も育ってくるのです。
あんまり正論で、ぎちぎちしていると、人間はしなやかさが失われていく。
正しいことばかりやっていると、小さなつまらない人間にしかなれない。
時々は羽目を外すから、普段はちゃんとやるってもんです。
時々は下らんことをするから、普段上品にもなるんです。

「食中毒になったらどうする」とか「不公平になる」とか言う輩は、裏文化の価値がわかっちゃいないんです。
はっちゃんの学校は、先生も親もそれがわかっているんですね。
スバラシイ!

2011年11月11日金曜日

自信のタネを蒔こう!


こんにちは

特級ボイラー技士試験に合格したので、ぼくのゴキゲン度もアップしましたよ。
引いていた風邪もどこかへ飛んでいってしまったくらいです。
ゴキゲンだと仕事もはかどりますね。
やらねばならない雑事もサクサクっとやっつけ、空いた時間をつくってやりたい仕事にも取り組める。
うれしいですねー。

子どもでも自信のない子って、おどおどしていて、なかなかやろうとしないし、やっても時間がかかるし、そのうえ頓珍漢なことをやってしまい、やり直しになったりしますよね。
社会人でもそうですね。
自信のない若者は、どこか視点が定まらず、仕事の着手も遅いし、時間もかかるし、手戻りも多い。
手戻り=失敗でもあるので、さらに自信をなくす。
自信がないから、意欲もなくなる。
最悪最後は、逆切れしたり、引きこもっちゃったりね。

そういう子どもや若者に「もっと自信をもってやりなさい」とか「意欲的に取り組め」なんて、親や上司は説教してしまいます。
でも、どうやったら自信を持てるのか、どうしたら意欲が湧いてくるのか分からないんですよ、本人は。

ぼくが教師だった時の経験でも、子どもが自信を持つと何事もうまくいくようになっちゃう。
その自信のタネは、たった一つでもいいんです。
たとえば、漢字の書き取りに自信を持つだけで、その他のことにも意欲が出てくる。
宿題をやるようになるし、家のお手伝いもするようになる。
逆に、問題行動は減っていく。
だからひとつでもいいから自信のタネを植えつけることから始めるんです。

板倉聖宣さんはこう言います。

###
自信がつくためにはこれまで学んだことが身についたという<実績>がなければだめです。
<実績>があるから自信ができるんです。(『楽しい授業の思想』)
###

そうなんです、自信のタネは「実績」にあるんです。
簡単に言えば「できた」という経験です。「うまくいった」という体験です。
逆に言えば、できた、うまくいったという経験なしに自信なんか生まれないんです。

ぼくが資格試験を受験しつづけている理由は、究極には「自分で自分に自信をつけるため」なんだと思うんですよ。
合格という「実績」を得るため。
合格証という目に見えてはっきりと示せる実績が欲しい。
それによってより自分に自信を付けたい、と欲しているのかもしれませんね。

ぼくはもともとあまり自信のない人間なんです。
そうは見えないかもしれませんがね。
だから少しでも自信を付けたいと願ってきたんです。
そのために資格試験を利用してきたと言ってもいいかもしれません。

たとえば、ぼくの本業である建設工事の監督であるとき、施工者のプロの人たちと対等に議論し、よりよい仕事をしたいと思って来ました。
そのために、施工者のプロの人たちと同等の資格を持つ。
やっぱり相手の方が格上だと思っちゃうと、どうしても腰が引けちゃうじゃないですか。
言うべきことも言えなくなってしまう。
それではいい仕事はできませんよ。

子どもへの教育でも同じだと思います。
何か「できる」「うまくいった」ということを経験させる。
そうすれば自然と自信は生まれてくるんです。
できない、うまくいかないのに、自信なんか生まれようがありません。

そして、親が「うちの子、なかなかやるじゃない」と思えるようになるといいんですよね。
誰が言っていたのか忘れてしまいましたが、人間というのは「尊敬を食べて生きている」存在なのだそうです。
誰かから尊敬されると生きている実感が生まれる。
尊敬とは、存在意義を認められる、ということでもあります。
この子は、この人は、なくてはならない人間だ、と誰かから思われたり、言われたり。

自信を得て、誰かから尊敬されるようになると、意欲も生まれてくるのです。
板倉さんはこうも言います。

###
意欲のほうは、楽しいから意欲が出てくるんです。
楽しいと意欲が出てくるんです。
何らかの意味で楽しくなければ意欲なんか出てきません。(同書)
###

なぜ楽しいのか。
できる、うまくいくからです。
できる、うまくいくと、誰かから認められるからです。
誰かから認められれば自信がつきます。
自信を持ってとりくめば、やりとげることができます。
どんどんゴキゲンに楽しくなっていくんです。

そして板倉さんはこう言っています。

  自信を持たない人間に考えることはできません。
            (『仮説実験授業の誕生』)

逆に言えば、自信のない人間はちゃんと考えることができない。
考えられないから、なかなか仕事に着手できない。
仕事に着手するのは、締め切りだとか上司の催促だとか、外的要因で始める。
つまり、考えがまとまらないうちに仕事に着手するから、なかなか進まない。
よく考えずにやってしまうので、誤りが多くなる。
結果として手戻りになってしまい、失敗に終わるわけです。

自信を持つから考えることができる。
きちんと考えて行動するから、うまくいくんです。
常に自信を持てるよう、意欲が出るよう自分をメンテする。
それも大人のたしなみじゃないかなーって思って、今日もバリバリやるわけです!

2011年11月9日水曜日

人生の主役であり続ける方法


こんにちは

昨日、10月に受験した特級ボイラー技士国家試験の合格発表がありました。
見事合格!
けっこう大物をGetしましたよー。
やったー。

ボイラーというのは火を炊いて蒸気を造る機械。
その蒸気は高温かつ高圧になります。
高圧の機械は操作を誤ると、爆発します。
その爆風とあたりに飛び散る高温の蒸気やお湯で、被害甚大になります。
だから、きちんとした知識と技術を持った人に運転させなくては危険なのです。
だから、安全衛生法という法律で、ある規模以上のボイラーはボイラー技士免許を持つ者に取り扱いをさせなくてはいけない、と規定しているのです。
特級ボイラー技士は、熱交換器の面積が500m2以上の超大型ボイラーの取扱主任に選任されるための資格です。
熱交換器面積が500m2以上というと、もうほぼ火力発電所のボイラークラスですね。

ぼくはテキストを買うと、購入年月日をテキスト表紙に書きこむようにしています。
特級ボイラーのテキストには、'04.08.27とありました。
ということは、受験を志してから7年もかかったわけです。
実際に受験したのは3回目。
仕事の関係で受験申請しても受験しにいけないこともあったからね。

ともかくやり続けたのがよかった。
細々とでも、少しずつでも。
もちろん受験1ヶ月前からはけっこう集中して勉強しました。
根を詰めました。
それも嬉しい。
50歳を過ぎても勉強する気力、好奇心、集中力が維持できていることが確認できたからね。

いつもちょっとでも勉強していることが頭の隅にあると、日常生活も変わりますよ。
ぼくの職場にもそれほど大きくはありませんがボイラーがあります。
そのボイラーを見るときも、見る目が「微細」になります。
知識がないと、大雑把にしかものを見ることができないものです。
ボイラーの構成要素各部分を細かく見られるようになり、それらの相互関係もわかってくる。
すると、ボイラーの扱い方、よい運転方法も理解できてくるんです。
知識が得られて、仕事もうまくいく。
自分の仕事に関連した資格試験にチャレンジすることは、一石二鳥なんです。

そして合格すれば嬉しいですよ。
自尊心が高まりますね。
ぼくは、自尊心がある人間のほうがいい仕事をするし、いい人生を送れると思っているんです。
自尊心があれば自分を大切にします。
自分を損なうような馬鹿なことをしないように気をつけるようになるんです。

技術系の仕事をしていて事故を起こす人は、必ずといっていいほど自尊心が低い人なんです。
たとえば、ボイラーなど機械の運転にしても、自尊心のある人は「絶対間違いはしないぞ」と思って運転しますから、事故も起こりません。
常日頃から資格、免許に恥じない仕事をしようとするわけです。
事故を起こしちゃうと免許剥奪にもなってしまいますからね。

ご近所の早起き会の方が下さった小冊子『愛和』'11春号に、俳優の宇梶剛士さんのインタビュー「自分の人生では誰もが主役なんです」が載っていました。

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世の中には人の数だけ人生があって、すべての人が自分の人生の主役を務めています。
だから他人を憎んだり、うらやましがったりするのはやめてほしい。
そうした感情にとらわれるということは、人生の主役の座を降りて、他人の人生の脇役に甘んじていることだからです。
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誰だって、ぼくだって、誰かを恨んだりうらやましがったりすることはあります。
それを、自分を高めるチャンスにするか、それとも自分を自分で貶めてしまうかで人生が違ってきてしまうと思うのです。
誰かを恨んで、そいつをやっつけてやろうと、いつもそればかり考えて生きる。
誰かをうらやんで、そいつの足を引っ張ってやろうと、いつもそればかり考えて生きる。
それはハッピーな生き方じゃありませんよ。
宇梶さんの言う通り、自分を「脇役」に甘んじさせる人生になってしまいます。

誰かを恨んでも、そいつより楽しくハッピーな人生を築く。
誰かをうらやんでも、そいつよりもっと努力して自分の価値をあげてしまう。
人生の主役であり続ける。
ぼくもそうありたいなーって思っているんです。

2011年11月7日月曜日

風邪引いてます。。。


こんにちは

先週後半から風邪気味です。
だるいなー。
何もやる気がしませんよ、体がダルイと。
やっぱり体は心のご主人様ですね。
おまけに単身赴任の一人暮らし。
一人暮らしで病気になるのはやっぱり余計に気弱になります。

それでも昨日はメンタルヘルスマネジメント検定1種を受験してきました。
勉強期間は1ヶ月ほど、教科書を1度通読、過去問集を1回解いた、という程度での受験です。
http://www.mental-health.ne.jp/

鼻水ダラダラ状態で、ぼくのメンタルも最悪でしたが、何とか3時間の試験、それなりにがんばりましたよ。
論述問題のお題は「メンタルヘルスケアに関する産業医の役割を400字以内で書け」と「職場復帰第3ステップにおける情報収集と評価について4点述べよ」でした。
どちらも過去問にはない初出問題です。
教科書には書いてあった気もしますが、はっきり思い出せない。
もうこうなれば自分の経験から得たことを書くしかないです。

ぼくは数年衛生管理者のお役を仰せつかっていました。
その時に産業医の先生を観察していましたからね。
また労働組合委員長だったとき、職場復帰プログラム作成にもちょこっと関与しました。
その時のことを思い出しながら、なんとか書き上げました。

試験が終わって教科書を読み返してみたところ、それほど頓珍漢な解答はしなかったようです。
満点は無理でしょうが、部分点は稼げたはず。
発表が楽しみですー。

試験の帰りに三ノ宮ダイエーで電気あんか(880円)を買って帰りました。
夕べは布団を1枚足して、電気あんかを抱いて寝ました。
昔からの知恵で、体を温めると風邪はよくなるんですよね。
おかげで今朝は鼻水は止まっていました。
まだちょっとだるいですが、今日の仕事は何とかこなせるでしょう。

がんばりまーす!

2011年10月30日日曜日

出たな!妖怪ダラダラ!!


こんにちは

まだまだ若いつもりですが、やっぱり50歳を過ぎると肉体的には衰えてきますね。
まず目が悪くなりました。
暗いところで本を読むのが苦痛に。
そして細かい文字が読めない。
電子工作をやるときでも、はんだ付けの手元が狂います。
とりあえず100円ショップで+1という老眼鏡を買ってきました。
細かい文字を読むときと、工作など細かい作業をするときにかけています。
安物の老眼鏡だからでしょうが、長時間は疲れます。

そして排尿。
オシッコが出てくるまでの時間が長い。
我が子たちと一緒にトイレに入ると、ぼくのがようやく出てくる頃に、子どもたちは放尿完了しちゃってる。
あれれ。

そして先日、とうとうぼくのところにも「妖怪ダラダラ」がやってきてしまいました。
先週、排水処理管理者講習に参加したんですね。
休み時間にオシッコに行ったわけです。
トイレは混雑していました。
ぼくの順番まできましたが、まだまだたくさんの人が待っています。
急いでオシッコしなくちゃって、焦ってしまいました。

が、小便器の前でポコチンを出しても、なかなか尿は出てきません。
その間、お隣の若い人はさっさと排尿を終わらせて、次の人に交代しています。
ようやくぼくもオシッコが出始めます。
出終わったかな、と思って、ポコチンを収納。
次の人に交代しました。

が、トイレから出て廊下を歩いている間に違和感が。
股のあたりに水が流れる感触。
うわ~、妖怪ダラダラだ~~。
ズボンにもじわじわと濡れが染み込んできて、外部からも分かるようになってきます。
かっこわりー。
急いで自席に戻って、いつもの首タオルでズボンを拭きました。

ああ、これからもこんなことが続くのでしょうか。
オシッコをしたあと、じっくり尿切れ作業をしなくちゃね。
いやですねえ。。。

善意の強制


こんにちは

溌貴君も1年生後半、9月からは漢字学習が始まりました。
1年生で習う漢字は80文字ですが、どんどんと進んでいます。
はっちゃんのノートを見ると、1日1文字から2文字くらいのペースですね。
1週で5文字、ひと月で20文字ですから4ヶ月で完了。
ということは遅くとも年内に全部教えきってしまうわけです。
なかなかスバラシイ鍛え方です。

漢字の読み書きは、国語の教科書の進度より先に進むのがいいんですよ。
ぼくが教師だった頃もそうしていました。
ぼくはシンプルなシステムが好きなので、教える計画もシンプルにしていました。
学校の標準授業時数は35週と決められています。
遠足や運動会など行事などがあるから、実際は40週くらい登校しますがね。
ともかく35週間で教え切らなくちゃいけないことになっているんです。
漢字は早めに教えきって、最後の1ヶ月くらいに総復習ができるといい。
じゃあ、30週で終わらせちゃえってね。

2年生以上だとその学年で習う漢字は200文字程度。
200文字を30週で割ると、週に6.6文字です。
毎週6文字こなしていけば、おおむね2学期末には終わらせることができるんです。
毎週の国語の授業のうち、2回を新しい漢字を教えることに割り振りました。
1回に3文字ずつです。
これならどの子も追いついてこられます。

こうやると、教科書のある単元を読むときに、既に漢字の読み書きはできるようになっている。
すると、漢字の読み書きに煩わされないで単元の読み込みができます。
より深い勉強ができるってもんです。
ごく普通の先生たちは、その単元に来たときにその単元で出てくる漢字を教えるわけです。
これだと、教科書本文をちゃんと読めない子どもも出てきてしまいます。
すらすら読めもしないのに、そこに書いてあることが理解できるわけがありません。
そんなこんなで授業進度も遅れ勝ちになり、3学期の終わり頃は超特急で教科書をこなしたりして。形式的にね。
教科書の最後の方の単元に出てくる漢字でさえ満足に教える時間がなくなってしまうのです。

ということよりも、小学生の勉強の中心は「読み書き計算」なんです。
ここはしっかりと身に着けないとね。
実を言うと教科書の内容の読み込みなんてどうでもいいことなんです。
それよりも、漢字の読み書きはしっかり身に着けさせる。
強引にでも教え込んでほしい。

公文毅『どんな人間がこの時代を生き抜くか』河出書房新社¥1400-で竹内宏さんはこう言っています。

###
理不尽なことを強引に言うことが教育です。
教えてくれた先生のことは忘れても、教わったことは覚えているのが教育の効果だという気がするのです。(165p)
###

本当にその子のためになることなら、頑として押しつける。
野口芳宏さんはこれを「善意の強制」と言っています。
ぼくも学校というのは、善意の強制の場でなければいけないと思っています。
放っておいたら身に付かないことを、学校に行けば身に着けられる。
身に着けた知識や技能は一生モノになる。
だから学校に行く意義があるんです。
放っておいても身に付く程度のことは、わざわざ学校でやる必要はない。
漢字の読み書き、計算などは、放っておいたら身に付きませんよ。
だから学校で勉強させないといけないんです。
会社だって同じ、大人だって同じです。
その人のためになるなら、将来のためになるなら無理も言います。

たしかにはっちゃんも毎日学校から帰ってきて宿題をこなすだけでも結構大変。
でもなんとか付いて行っているようです。
はっちゃんには「いい先生に習ってるよね。普通の学校だとまだこの辺の漢字を習ってるんだよ。はっちゃんはもうこんなところまで習っちゃってるんだね。すごいねー」って言っています。

はっちゃんの学校では既に漢字検定10級(1年生レベル)を希望する子どもに受けさせました。
はっちゃんは未だちょっと早すぎるかなと思って受検させませんでしたがね。
だって、勝負は勝算がないときにするものじゃありませんから。
次の漢字検定は1/29にあります。
これは受検させようと思っています。
それまでしっかり書き取り練習ですねー。

2011年10月27日木曜日

ミッションとビジョン


こんにちは

スパコン棟の電気設備を造ってくれた代理人だった方から嬉しい連絡が来ました。

 社内での 昨年度竣工した物件で実施されました一般工事表彰におきまして、
 第5部(JV施工・部分施工の部) で ”金賞”が確定いたしましたのでご報
 告いたします。
 また、現地審査の際にも貴重なお時間を頂き、ありがとうございました。

よかったですねー。
スパコン棟工事では大変な苦労をかけました。面倒な事もたくさんお願いした。
それにも関わらず情熱的に、誠実に取り組んでもらった工事です。
社内でそれが評価されたのはよかったですよ。
現場審査の時、ぼくは夜勤明けで少々ヘロヘロでしたが、ご案内した甲斐がありました。
がんばってくれた代理人さん、スタッフの皆さんに少しは恩返しができたかなーと嬉しく思います。

そう言えば、この代理人さんも忙しいにも関わらず、スパコン棟の工事中に技術士2次試験に合格したことを思い出しました。
ぼくはしばしば部下や仕事仲間に、資格試験を受験するよう薦めます。
もちろんぼく自身も、ご存知のように常に何かしら勉強していて、毎年二つ三つ受験しています。
それは、もちろんその分野の基礎知識が身につくからでもあるけど、それにも増して仕事力がupすると思っているからです。

日垣隆さんの言葉を借りれば、仕事とは「依頼と納品」です。
依頼された条件、品質、期限、仕様をしっかり理解し、依頼された通りのものを納める。
もちろん本当にいい仕事は依頼された以上のものを作り出すことですが、それにしても依頼された事項は満たした上で、上乗せされたものじゃなければいけません。
いくらいいものだとしても、依頼されたものとまったく違ってしまっては困ります。

仕事力のない人のやっていることを見ると、依頼されたことをきちんと把握していないんですよ。
自分の思い込み、勝手な解釈で仕事をしてしまうので、完成しても依頼とずれてしまう。
それでは依頼者は困りますし、満足できない。
当然ながら、やり直しになります。
やり直し、手戻りほど非効率なことはありません。

資格試験に取り組むと、この問題で何を問われているのかが分かるようになるんです。
出題者が何を求めているのか、それに対してどう答えれば正解を得られるのか。
その訓練ができる。
試験問題の解答だって、出題者の意図を取り違えていれば、いくらすばらしい解答を書いたって点数にはなりませんよね。
知識はあるのに試験になかなか受からない人がいます。
そういう人はしばしば出題者の意図を取り違えているんです。
だから試験勉強を合格するまで繰り返すと、相手の意図を正しく捉える訓練になるんですね。

それは確実に仕事力の向上に役立ちます。
すなわち、依頼者の意図をきちんと把握する習慣と思考回路が出来上がるからです。
依頼者の意図が十分理解出来ない場合、追加の質問もできるようになる。
どこが欠落しているか自覚できるからね。
そうすれば、ゴールとなる成果品が見えてきます。
ゴールが見えれば、そこに至るための段取りが分かります。
何をいつまでにやればいいか、いくつかの通過点を設定できます。
あとは計画通りに、通過点を一つ一つこなし、それを積み重ねていけばいい。

NHKテレビ「仕事学のすすめ」テキスト、伊藤真『”司法試験流!知的生産術』NHK出版\524-のあとがきで、この番組のファシリテーターである野田稔さんはこう言っています。

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ゴールのことを、経営学では「ミッション」と言います。
要するに、何のためにその会社は存在しているのか。人間でいうなら、何のためにその人は生きているのかです。
しかし、当然のことながらそのミッションは簡単には到達できませんから、そこに向けて、数段階ステップを踏む必要があるわけです。
そうして「少なくとも、3年間でここまで来よう」と設定したものを、経営学の定義では「ビジョン」と言うのです。
つまり、ビジョンというのは、「あるべき姿」でなくてもいい。
あくまで期限付きの達成目標なんですよ。
これを繰り返し実行していけば、いつかは必ず「あるべき姿」に辿りつける。
最悪なのは、そこで「遠いから」と、そもそもの動機であるミッションを引き下げてしまうことなのです。(野田稔、98p)
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そう、仕事とは依頼と納品。
仕事を貫徹するには、依頼を正確に理解する、すなわち「ミッション」を明確にする。
そしてそのミッションを達成するための段階、「ビジョン」を設定する。
ビジョンに期限を決める。
そしてビジョンを期限通りにこなしていく。
それを繰り返して行けば、手戻りなくミッションを貫徹するんです。

2011年10月26日水曜日

どっちに転んでもシメタ

NHKテレビ「仕事学のすすめ」伊藤真『”司法試験流!知的生産術』NHK出版\524-

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自分にとって嫌な人から気に障ることを言われるともう、「こんちきしょう」と思ってしまうわけです。
昔は怒りの気持ちが沸き起こって、それが結構あとを引くところがありましたね。
けれども、考えてみれば、その人が自分にとって心地よいことを言ってくれようが、そうでなかろうが、やはりどちらも意味があることなんです。
気に障ることを言われて、まだそこで苛立っているようならば、「自分は未熟な人間だと教えてくれた、自分にとって価値のある人である」と思えばいい。
「万物すべて、これ師たらざるものなし」のように、どんなに嫌なヒトでも、まだ自分が成長過程にあることを教えてくれる師だと、理屈で考える訓練を繰り返していったんです。
結果的に本当にそう思えるまでに10年かかりましたね。
それで、最初は何か嫌なことを言われた時に1週間ぐらいあとを引いていたのが、3日になり、1日になり、3時間、1時間、3分と、だんだん短くなり、今は3秒くらいでふっ切ることができるようになったんです。
それが瞬間的にできるようになると、もう仏になってしまうんでしょうね(笑)。(87p)

2011年10月25日火曜日

努力と運


こんにちは

最近、こんな研究発表がありました。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news6/2010/100824_1.htm
大学受験時に数学や理科を選択した人、つまり理系の人のほうが各年代において平均年収が多い、とのこと。
例えばぼくの今の年齢50歳で見ると、文系の平均年収は700万円、理系の平均年収は830万円と、100万円以上差がついています。

この研究を行った西村和雄教授は「分数のできない大学生」で有名な方ですね。
若者たちに、理系のほうが得だからもっと勉強しよう、とアピールする狙いがある。
年収=能力とすれば、理系のほうが文系より能力が高いって言いたいわけですね。

年収が高いということは、それだけ需要が高いとも言えます。
すなわち、会社、社会から求められている人材。
だから高い賃金が支払われるわけです。

が、一般的に言って、能力が高いから求められる人材になるということもありますが、もう一つの理由もありそうです。
それは「希少価値」。
理系の教育を受けた人間の数が少なければ、能力とは無関係に希少価値が生まれます。
少なくて足りないものなら値段も高くなるのは、経済学の教えるところです。

西村教授の研究では、国公立大学出身者で統計を取ったわけです。
国公立大学だけでみれば、理系学部の人数も文系学部の人数もそう大差ないかもしれません。
が、社会全体の労働者においては私立大学出身者の方が多いでしょう。
そして、私立大学卒業生は圧倒的に文系学部出身者の方が多いはずです。
国公立大学出身者もそれらの人とミックスされて社会に出ていきます。
そうなれば、理系学部出身者との人数比は拡大され、理系学部出身者の希少価値が上がるのではないかと思います。

もうひとつ、理系の人材の価値を上げるファクターがあります。
それは「努力度」。
これはきちんと統計を取った研究を見たことがありませんが、ぼくの観察では理系の人のほうが文系の人よりも努力する傾向が高いように思います。
数学や物理などを習得するためには、地道な積み上げが欠かせません。
大学でも理系大学では実験や演習が多く、計画的な勉強の訓練がなされます。
そういう教育を受けた人間は、社会に出ても同じように行動するでしょう。
地道にコツコツと計画的に努力する習慣。

最近の子どもたちは「理科離れ」をしている、とよく言われます。
それを防ぐために学校では、楽しい実験をやらせたり、科学館に連れて行ったり、いろいろな工夫をしています。
ところがあまり効果がないらしい。
「あー、楽しかったー」で終わってしまうからです。

ぼくは「理科離れ」ではなく、今の子どもは「努力離れ」をしているんだと思っています。
努力ができないから、コツコツと地道に積み上げなければ習得できない数学など理系の科目ができるようにならない。
できなければ嫌いになり、離れていくのは当然です。

話を戻して、理系の年収です。
理系だろうと文系だろうと、仕事をしていく上でやっぱり努力は必要でしょう。
努力する人の年収が高くなるのは当然です。
理系学部出身者はこの努力する習慣を身につけている人が多いのでしょう。
能力とか、数学的思考力とか以前に、努力するから年収も高いわけです。

ところで、一般的な認知としては「文系のほうが収入が多そうだ」と思っている人が多いと思いますが、どうでしょうか。
理系の人のほうが貧乏に思える。
ヒルズ族なんて人たちを見ても、文系出身者のほうが多数なようです。
これはなぜか。

神永正博さんの本を読んだら、こんなことが書いてありました。

 年収2000万円以下の人たちはガウス分布をする
  ところがそれ以上の人たちはパレート分布する

ガウス分布とは別名「正規分布」。
釣鐘状の分布ですね。
パレート分布とは確率分布のひとつで、「べき」で分布するものです。

神永さんによると、年収2000万円までが正規分布するのはほぼそれが努力度によるものだから、だそうです。
年収2000万円の範囲では、努力すれば年収も上がるのです。
あたりまえだけどね。
だから努力する習慣を持つ理系出身者の「平均」年収は高くなるのです。

ところが、2000万円を超えると確率分布をする。
少人数の極端に高収入な人がいる。
この分布は確率的にしか得られない、つまり「運」なんです。
自分の人生を運に任すことができる人だけが、超高収入を得られる。
その代わり、超低収入になるリスクも同時に抱えてしまう。

するとどうでしょうか。
地道でコツコツと努力をする理系人間は、こういう人生を選択しないのだと思います。
つまり、超高収入のハイリスクハイリターン人生を選ぶのは文系出身者の方が多数を占める。
そうなれば、ヒルズ族など大金持ちは文系ばかりになるわけです。

さて、みなさんはどちらの人生が好きですか?

2011年10月23日日曜日

天才の苦悩


こんにちは

溌貴君は学校の算数で、繰り上がりのある足し算、繰り下がりのある引き算の計算を習っています。
計算はバッチリで、繰り上がり、繰り下がりの計算も、暗算で出来ちゃいます。
さすがエンジニアの息子、計算は得意なようです。
100ます計算の用紙もパソコンで作ってありましたが、100ます計算で鍛える必要はなさそう。
学校でしっかり教えてくれているので、計算に不安はありません。

が、文章題も習っているんですが、これがあまり得意ではないようです。
答えが分からないわけではなく、答えはちゃんと分かる。
問題文の意味はちゃんと分かって、絵に描いてイメージもできる。
ところがどんな「式」を書けばいいのかがわからないらしい。
というか、なぜ立式しなくちゃならないのかがわからないのです。

つまり、「直感」で解いてしまえるわけですね。
算数や数学が<得意すぎる>と、得てしてこういうことがあるものです。
問題文を読んだだけで答えが直感的に分かってしまう。
思考のプロセスというものが省略されてしまっているんです。
だから、立式や途中の式変形、証明など、なぜやらなくちゃいけないのか分からない。

数学者ラマヌジャンがそうだったそうです(藤原正彦『天才の栄光と挫折』)。
とにかくたくさんの定理を思いつく。
でもどうやってその定理に行き着いたのか、自らは説明できない。
共同研究している数学者が、公理からじっくりと証明していくと、ラマヌジャンの定理は正しいことがわかるんだそうです。
まあ、はっちゃんがそこまでの天才とは思いませんが。

小学生の文章題は難しいんです。
特に男の子の小学生の脳ではまだ言葉と数字が分離しているからね。
だから無理に今すぐ出来るようにならなくてもいいと、ぼくは思っています。
ともかく計算だけできるようになっていればいい。

10歳を過ぎて高学年になってくると、言葉と数字が統合するよう脳の発達がなされていきます。
文章題はその頃から鍛えれば十分だと思っています。
1年生、2年生の頃は計算だけしっかりできるようにするのと、算数に不得意感を持たないようにすること。
それだけでいいかなーと思っています。

2011年10月22日土曜日

やまがき畜産のハンバーグは美味い!


こんにちは

仕事仲間から教えてもらった「やまがき畜産」。
http://www.yamagaki.co.jp/

コロッケ、ミンチも美味いけど、ハンバーグがメチャウマ!

 自家製ハンバーグ(デミグラソース付) 1個280円

豚と牛の合い挽き肉ですが、バランスがいい。
もちろん肉質もいいんです。
ソースが付いてきますが、ソースなしで美味い。
つまりソースなんかでごまかさなくてもいいってこと。
うちの子はソースなしで食べてます。

最近、三ノ宮駅ミント地下に直売所がオープン。
毎週帰省の時に買って帰ります。
家族も大喜びですよー。
もちろん、ぼくもこれで飯がバクバク食えます。

機会があったらぜひ食べてみてください。
通信販売もやってマース。

2011年10月20日木曜日

ふんばろう東日本支援プロジェクト

ふんばろう東日本支援プロジェクトに賛同して、毎月お小遣いの10%だけですが、協力しています。
このやり方、寄付したお金が何に使われるのか分かるのがいいね。
http://fumbaro.org/about/project/machine/

2011年10月17日月曜日

視野を広く持ち、人生を楽しもう


こんにちは

はっちゃん、とんたんとも情緒は安定していて、誰かにイジワルしたり、悪口を言ったりすることはありません。
が、やっぱり時々はイジワルされたり、悪口を言われたりもします。
そういうとき、親はどう対処すればいいか。

ロン・クラーク『あたりまえだけど、とても大切なこと』草思社¥1400-に、こんなことが書いてありました。

###
前向きに生きよう。
そして、人生を楽しもう。
なかには、腹を立てるだけの値打ちがないことだってある。
視野を広くして、人生のすばらしい面に目を向けよう。
わたしは両親を愛している。
彼らはとても素敵で聡明だ。
わたしが何かの問題に直面したとき、あるいは何かがうまくいかなかったとき、両親はまるで魔法のよ
うなやり方で、事態は見かけほど悪くないことに気づかせてくれる。
現に、彼らはいつもこういう言い方をする。

 「まあ、そういうこともあるものだよ、ロン。
  おろおろする必要なんてないからね。
  みんなでなんとか切りぬけようよ」

それを聞くと、心底気持ちが軽くなる。(184p)
###

誰かにイジワルされたとき、しかえそうなんてしちゃいけません。
誰かに悪口を言われたとき、言い換えそうなんてしちゃいけません。
確かに腹は立ちます。
でもイジワルしたり、悪口を言う人に、腹を立てるだけの値打ちはないものです。
そっとその人のそばから離れて、自分の好きなことをやる。
あるいは自分を好いてくれる人のために何かをする。
その方がずっと価値を生み出せるからね。

いつか我が子たちも困難に出会うこともあるでしょう。
そういうとき、ぼくら親はクラークさんのご両親のように言えたらいいなって思います。
くよくよするより自分のやれることをやっていこうよ。
立ち止まる必要なんかないんだ。
だって、君がそれをやるのを待っている人がたくさんいるんだから。
少しの人が君の邪魔をしているからって、多くの人が待ち望んでいることを止める必要はない。
きっと切り抜けられるさ、ってね。

モテル男は情緒が安定している!


こんにちは

はっちゃん、とんたんとも、親の欲目かもしれませんが、とても情緒が安定して
います。
癇癪起こすところを見たことがありません。
幼児にありがちな、地団駄踏むこともたまーーになんです。
誰かにイジワルをしたり、悪口を言うこともない。
なんでこんなに立派な性格なのよ、と思うくらいです。

竹内久美子『女は男の指を見る』新潮新書\680-によると、男は元もと攻撃的で
すが、リーダーになるくらいの男は情緒の安定も大切なのだそうです。

###
サバンナモンキー(ベルベットモンキーとも言う)での研究ですが、リーダーオ
スは、テストステロンよりもセロトニン・レベルが高いことが分かった。
セロトニンは、自身や落ち着き、冷静さなどの性質に関わっている神経伝達物質
です。
テストステロンはその反対で、攻撃性やリスクを好む性質に関わる。
サルの社会ではメスたちからの支持があることも重要で、そういう穏やかな人格
者がリーダーの座につく。(86p)  
###

情緒の安定のためには、自信がなくてはいけませんね。
コンプレックスが少ない。
コンプレックスのない人間なんかいませんが、そのコンプレックスを克服するだ
けの自信がある。
そういう男性は情緒が安定しているんです。

イジワルをする子も、悪口を言う子も、自分に自信がないんですね。
自信がないから誰かを攻撃してしまう。
攻撃して自分より下位の人間がいることを確認しないと落ち着かないんです。
でも下位のものを攻撃することによって上位に立つ男性は、やっぱり女性や仲間
に好かれないと思うんですよ。
だから、合理的に考えれば損な行動なんです。

成長するにつれて、自信というのは「努力の結果」から生まれてくるようになり
ます。
素のままではいけない。
何かに熱中して、自分しかできないことを身に着けたとき、本物の自信が生まれ
るんだって、ぼくは思っています。
で、仲間たちから好かれ、信頼される人物になる。
もちろん、女性からもモテル。
我が子たちにもそういう人生を送ってもらいたいですね。

2011年10月13日木曜日

チームワークオブザイヤー

世界一のスパコン「京』のプロジェクトが、チームワークオブザイヤーにノミネート。
渡辺プロジェクトリーダーの動画で、建物建設に携わった人達のことも触れていてくれて、それもとても嬉しいです。
ぜひ京速コンピュータ「京」開発プロジェクトチーム(RIKEN)に投票くださいねー。
http://info.cybozu.co.jp/events/teamwork/toy2011/entry01.html

2011年9月29日木曜日

美味い新巻は西別鮭で決まり!


こんにちは

お正月に欠かせないのが新巻鮭。
新巻の本場といえば北海道。
北海道の中でも一番美味いのが、西別鮭です。

今年の別海漁協の注文受付が始まりました。
http://www.aurens.or.jp/hp/betsugyo/
ここの「献上鮭」は美味いですよー。
贅沢品なので、郷里のご両親やお世話になった方へ贈っても、きっと喜ばれるはず。
家庭で食べるには「甘塩づくり」もグッド。
お茶漬けにするなら「山漬けづくり」が最適です。

例年10月末頃には売り切れてしまいます。
注文はお早めに!


ちなみに、我が妻晶ちゃんは別海町で中学校の先生をやってたんですよ。

2011年9月26日月曜日

工夫はするな、伝統を守れ


こんにちは

土曜日は溌貴君の小学校の体育祭。
去年、一昨年は部分的に見学体験でしたが、今年からは当事者。
最初から最後まで楽しみました。

去年も思いましたが、とにかく進行がスムースなんです。
先生のダンドリもよく、子どもたちの動きもそれにしっかり付いていっている。
それはなぜか。

ひとつには、毎年ほとんどプログラムを変えない、ということでしょう。
同じプログラムなら、準備もわかっている。
何度もやっている競技なら、ポイントも分かるし、抜けも少なくすることができる。
先生もどう指導すればよいか分かっているし、子どもも何をやるかイメージもできている。
だから練習も少ない回数で済むわけで、授業をつぶしてまで練習する必要もなく、業間休み時間でちゃちゃっと練習できる。
経験済みの上の学年の子どもが、下の学年に競技内容を教えたりもできます。

もう一つは、お遊戯をやらない、というのもいいと思いました。
運動会の定番は、お遊戯。
なぜかこれを低学年から高学年までやったりするのです。
ぼくの教師経験でも、お遊戯の練習にすごく時間がかかりました。
低学年のお遊戯ならまだ可愛らしいのですが、高学年だと子ども自体がしらけたり、恥ずかしかったりして練習に力が入りません。
なので時間をかけた割に、それほどいいものにならないんです。
それなのに、毎年、毎年違う演技を選び、練習する。
不合理です。

はっちゃんの学校の体育祭では、お遊戯に相当するものは、全学年男子による「東えっさっさ」と全学年女子による「校歌に合わせて」だけです。
毎年同じ、全学年でやるので、1年生は多少へたっぴでも学年が上がれば上手くなっていきます。
これも、休み時間などに高学年の子が1年生に教えてくれる。
それほど複雑なお遊戯でもないので、1年生でもそれなりにサマになっちゃっていますがね。

伝統というと、古くさいものと思っている人がいます。
そういう面もないわけじゃありませんが、それよりも「合理性」がある、とも言えるのです。
合理性があるので、変える必要がないのです。
古いからって、それが悪いものというわけじゃないんです。
いいものだから古いものでも生き残っている。
これが伝統の良さだと、ぼくは思います。

運動会でも毎年趣向を変えようと、あれこれ工夫する。
特に小学校の先生は工夫好きで、いつも子どもたちに「工夫しろ」と言っている手前、つい先生自身も工夫してしまう。
工夫しないと怠慢だと思われてしまうから、とでも思い込んでるのでしょうか?
わざわざ工夫して、それで手間がかかったり、失敗したりしていることって多いのではないでしょうか。

ぼくは仕事では、アイデアマンだとしばしば言われています。
だから工夫好きな人間だと誤解されることもあります。
ところがぼくは、工夫なんか絶対にしません。
部下たちに「工夫なんかするな。勉強しろ」と言い続けています。
自己流の下手な工夫なんか、クソですからね。
それより先人たちが残してくれた安定した技術を学び、取り入れる方が絶対楽していいものができる。

良いものは変える必要はない。
それが、伝統を守る、ということなんだと思うのです。
伝統には合理性があるのです。

2011年9月23日金曜日

姫路でサイエンスカフェ10/2


こんにちは

来週、10/2(日)に姫路でサイエンスカフェをやりまーす。
スパコンの授業の初演でございます。
小学生にも楽しく、夢のある授業ができそうです。
お近くの方、ぜひどうぞ!
http://scicafeharima.iinaa.net/event/111002.html

2011年9月20日火曜日

日本が育てた日本のハワイ

ハワイアンズのホームページにも登場してますよー。
今年も冬休みに行きまーす。
http://www.hawaiians.co.jp/

2011年9月18日日曜日

明るい性格が成長を促す


こんにちは

我が子たちはホント明るい性格です。
時に泣いたり怒ったりもしますが、一日のうち80%は笑っている。
ニコニコ笑顔もかわいらしいです。

林成之『子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる!』幻冬舎新書にこんなことが書いてありましたよ。

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脳医学的に考えると、暗い性格ではスポーツでも勉強でも持てる力を十分に発揮することはできないはずだからです。
性格が暗いというのは、言い換えれば

「自分を守る自己保存の本能が強すぎて、慎重になってしまう。
そのために、物事をポジティブにとらえる力が弱い」

ということだと思います。(53p)
###

明るい性格だと何事もポジティブに捉えられる。
つまり、楽観的でいられる、ってことですね。
楽観的だからチャレンジしようと思える。
時には失敗もするでしょうが、チャレンジし続ければ必ずいつかは成功するもんです。
多少の失敗にもめげずに、ニコニコできるくらいの方がいいんですね。

それだけじゃありません。
医学研究で、明るい性格の子どもの方が栄養吸収がよく、成長もよいことが分かってきています。
三高なんて言われますが、ぼくの周りの高身長、高収入、高学歴の人を観察してみても、明るい性格の人が断然多い。
そしてこういう人の方が他人にも優しいので、出世もしているみたい。
イジワルとかしないしね。
何事にも「余裕」があるんですよね。

溌貴君も峻貴君もこのまま明るい性格で、スクスクと成長してもらいたい。
そのための筋道を付けるのも親の務め。
親自身も余裕を持って、いつも明るくニコニコしていたいものです。

2011年9月13日火曜日

性格はばい菌が決める


こんにちは

この夏我が子たちは「とびひ」の洗礼を受けました。
はっちゃんがキャンプから帰ってなり、とんたんに遷り、再びはっちゃんがなる。
二人とももう直りましたが、未だかさぶたのあとが痛々しい感じです。

とびひの原因菌は黄色葡萄状菌など、皮膚表面に普通にいる常在菌です。
このばい菌はふだんはおとなしくしていて、特に悪さはしない。
ところがいったんとびひになると、猛烈な勢いで増えていきます。

ばい菌もバラバラに孤立して存在しているときは、毒性のある物質を分泌しないんだそうです。
細菌は一つの場所で増殖すると、バイオフィルムという膜状のコロニー(集団)を形成します。
バイオフィルムの中には、液体を輸送する管のようなものも形成されます。
その管を伝わって、細菌同士がつながるんですね。
そしてばい菌がある程度増殖すると、一斉に毒性のある物質を分泌し始めるのです。
それはばい菌同士がちゃんと情報を交換していて、自分たちの仲間がどのくらい増え、どのくらいの効力を持つようになったか把握しているんです。
こうなると、普通の常在菌だったばい菌が悪さを始めるんです。

とびひは、かゆくてひっかくところから広がります。
なぜかゆくなり、ひっかいてしまうのか。
それはばい菌が人間をコントロールしているとしか思えません。
自分たちの仲間を増やすために、皮膚を壊し栄養ある細胞液を出させるために、かゆみ成分を分泌する。
ひっかかせ、その指先を利用して新しい場所へと移っていく。
そういう戦術なのかもしれないと思いました。

藤田紘一郎『こころの免疫学』新潮選書¥1,000-にこうありました。

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さらに、人間の性格を決めているのも腸内細菌だという説がある。
『腸内細菌の話』(岩波新書)、『人の健康は腸内細菌で決まる!』(技術評論社)などの著書で知られる光岡知足・東大名誉教授によれば、「人の性格を決めるのは腸内細菌」だという。
同じ病院で、ほぼ同時期に生まれた子どもを追跡調査したところ、兄弟よりも性格が似ている例がしばしば見られる。
これまでの常識では、人間の性格は主に遺伝子で決まり、環境や社会の影響はむしろ少ないとされてきた。
しかし、光岡教授は遺伝子よりも腸内細菌のほうが決定的な役割を演じていると述べている。
赤ちゃんは、胎内感染などがない限り、無菌状態で誕生する。
そのため、同じ病院でほぼ同時期に生まれた子どもたちは、ほぼ同じ腸内細菌を持ち、その影響が生涯にわたって続くというのである。(50p)
###

びっくりしますねー。
最近の研究で、脳で働くドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質の基になる物質も、腸内細菌が作っていることがわかってきています。
つまり、人間の感情、思考も腸内細菌がコントロールしているのかも。
性格とは、一定期間継続する行動様式です。
腸内細菌の生存にとって有利なように、宿主である人間の行動様式を決めてしまう。
もしかしたらそうなのかもしれないんです。

はっちゃんととんたんは、ふたりとも我が家の同じ部屋で生まれました。
でも性格は結構違うみたい。
生まれる年や季節によっても、そこにいる細菌は違うのかもしれません。
子どもたちのおならの臭いをかぐと、はっちゃんのおならはぼくのおならに近い臭い、とんたんのおならはお母さんに近い臭いがします。
はっちゃんの腸内細菌はぼくからうつった、とんたんはお母さんからうつったのかもね。
ということは、はっちゃんの性格はぼくに似て、とんたんはお母さんに似ているのかも。
面白いですねー。

2011年9月11日日曜日

糞柱を立てよ!


こんにちは

我が家の子育てのモットーは、

 どこでも寝られる、何でも食える、誰とでも友だちになれる、どこでも出せる

です。
これは内田樹さんの本に書いてあったことをアレンジしたもの。
これができれば、人生かなりハッピーに生きていける。
はっちゃんもとんたんも、何でも食えるだけはまだ道半ばですが、その他は結構いい線行っています。

特に、幼少期は出す方を優先しています。
ウンコを出したら、それをちゃんと見てあげて、いいブツだったら褒めてやる。
最高のウンコは、糞柱が立つんですよ。
茶柱が立つよりも、糞柱が立つ方が幸運=コーウンなんです。

藤田紘一郎『こころの免疫学』新潮選書¥1,000-にこうありました。

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食物繊維の権威である、辻啓介・兵庫県立大学名誉教授は、「糞便は水に浮かぶのがよい」と述べている。
「食物繊維が多ければ、ガスが発生するから浮かびます。
そして、数分後に泡を残して沈む」そうだ。(51p)
###

食は基本です。
食物繊維の多い食べ物として、我が家では三分づきのお米を炊いています。
分づき米は繊維が豊富。
はっちゃん、とんたんとも未だ野菜はあまり食べませんが、ご飯はたっぷり食べます。
分づき米を食べて、ウンコもドカンです。
今日も糞柱が立ってます。
我が家はハッピーですねー。

2011年9月4日日曜日

スパリゾートハワイアンズ営業再開!

10月から営業再開するスパリゾートハワイアンズのCMに我が家が登場してますよー。
http://ja-jp.facebook.com/SR.Hawaiians?sk=app_227237910625915

2011年9月1日木曜日

浮いてみませんか?

ってすでに職場じゃあ浮いてますがねー、おれ。
あはははは。

内田樹さんのツイッターで紹介されてました。
http://yowayowacamera.com/

うまく着陸できてるんだろうか??って心配になっちゃいます。
ぜひご覧ください!

2011年8月27日土曜日

よいところも見よう!


こんにちは

7/10に受験したITパスポート試験の合格発表がありました。
もちろん合格です!えへん。
自己採点通り100点満点中84点の出来。えへん、えへん!
先ずは「毎年ひとつは資格を増やす」という目標達成です。えへん、えへん、えへん!

今年は欲張って、あと3つ受験する予定です。電験1種、特級ボイラ、メンタルヘルス1種。
全部合格ってわけにはいきそうもありませんが、もうひとつくらい合格を増やしたいなーって思って、毎日ちょっとずつ勉強を続けています。
資格試験も合格するためにそれほどの才能はいりません。
勉強したかしないかで合否が決まるだけです。
イチローも言っていますよ。
「小さなことを積み上げることがとんでもないところに行く唯一の道だ」って。
だから毎日コツコツと。

さて。
3.11の地震、そして津波による被害。
原発停止による電力不足。
東京電力もどうやらこの夏のブラックアウトや輪番停電は乗りきれたようです。
よかった、よかった。

それは、市民や企業が節電に協力したからってこともあります。
企業の場合、法律で15%節電を義務付けたのでがんばらざるを得なかったんだけどね。
でもね、東京電力やメーカー、協力会社のエンジニアたちの必死のがんばりもあったんだと思うんですよ。
それは、火力発電所の迅速な復旧。
津波によって、太平洋沿岸の火力発電所も相当ダメージを受けたんです。

たとえば、地震で止まってた鹿島火力は一ヶ月くらいで復帰。
津波でかなりやられてた広野火力も7月半ばには全面復帰したんです。
http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/20110715_460945.html
広野火力の復帰で、地震や津波でやられていた火力はもちろん、休止していた火力発電所もすべて動き出した。
みんなが節電してくれたことに加えて、火力の復帰で発電余力も増えて、安定供給ができるようになったんですね。
それが7月半ばの暑い夏が始まるギリギリで間に合ったんです。
この数ヶ月の現場のエンジニアたちの努力は凄いものだっただろうと想像します。

こういうことって、あんまりテレビや新聞で報道されないんですよね。
とても残念なことだと思います。
岩田健太郎『1秒もムダに生きない』光文社新書\760-にもこんなことが書いてありました。

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官僚のほうも、以前は「現場を知らない」机上の空論チックな政策が多かったの
ですが、最近はメールやネットを駆使して「現場でなにが起きているのか」をよ
く理解するようになりました。
2011年3月の地震のときは、厚労省が次々と、医療や薬事に関する規制を解除して、被災地への医療支援を行いやすくしましたが(その功績はもっともっと評価されてよいと僕は思います)、彼らはメーリング・リストやネットを通じて、現場でなにが足りないのか、行政になにが求められているのかを、かつてに比べてはるかに熟知していました。(144p)
###

ほほー。
厚労省もがんばっていたんですね。
ちっとも知りませんでした。
これもあまり新聞やテレビのニュースで報道されていないことだと思います。
いろいろ批判ばかりされているお役人だって、スバラシイことをしているんです。

ある心理学者の人が、幼い子どもにテレビのニュースは見せるな、と言っていました。
残酷な映像が無防備に放送されるからです。
どうもテレビも新聞も、悪い話ばかり報道するんですよ。
テレビや新聞に頼っていると、世の中悪いことばかり起こっているように思えてきます。
悪人探し、犯人探しばかりしているんです。
それは、子どもだけじゃなく大人の認識も歪めてしまいそうです。
テレビや新聞にどっぷり使っていると、悲観的になりすぎるんじゃないかって思います。

世の中、いいことだってたくさんあるんです。
いいことをしている人もたくさんいる。
そういうのをもっとぼくらは見つけて、みんなに知らせなくちゃって思います。
もちろん悪いことから目を逸らすわけじゃありません。
でも世の中悪い事だらけ、悪いものだらけだと思うと、自分まで悪いことをしたり、あるいは何をやってもダメだと思いがちになってしまう。
良いこともあり、良い人もいるって知れば、自分にも何かできることはないかって思い、行動に移す人も増えるんだと思います。

2011年8月21日日曜日

モテる男子は育ちがいい


こんにちは

小川洋子/岡ノ谷一夫『言葉の誕生を科学する』河出書房新社¥1,200-にこうありました。

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岡ノ谷 実際に複雑な歌を歌えるヤツのほうが体格がいいし、育ちもいいということなんです。
育ちがいいというのは、幼いときに栄養状態がいいということです。
そのほうが大人になってから複雑な歌をうたえる。(36p)
###

岡ノ谷さんは、鳥のさえずりから文法を発見した研究者です。
ラボで飼育しているジュウシマツを観察すると、メスにモテるオスはうた(さえずり)が上手い。
上手いというのは、複雑なバリエーションをうたえるってことです。
そういうオスは、育ちがいいんだそうです。
育ちのいいオスはメスにモテるんです。

人間も歌が上手い男子はモテます。
女子にモテたくて、ギターを覚えてラブソングをがなり立てる男子も多し。
たいていは失敗しますが(<-オレ^^;)

岡ノ谷さんは、鳥の文法の研究から人間の言語の発生を研究しています。
人間の言語も、歌から生まれたという学説を唱えている。
つまり、歌が上手い=言葉が巧み、とも言えるわけです。
ボキャブラリ豊富で、場に合わせて言葉を選べる能力。
笑わせたり、ほろりとさせたり、説得したり縦横無尽に語れる男子。
女子にモテまくるでしょうねー。

で、そういう男子は育ちの良さを感じます。
幼い頃から身体だけじゃなく「ココロの栄養状態がいい」ってことでしょうね。
多くの人から愛され、語りかけられ、コミュニケーションを持つ。
それにより生きた語彙の使い方を自然に学んでいく。
それが人間の『育ちの良さ」なんだと思います。

はっちゃん、とんたんも育ちのいい男子になって、女子にモテるといいなー。
ただし、アソビはダメだぜー。

2011年8月14日日曜日

子どもは3食、大人は1食


こんにちは

暇つぶしにペットショップへ。
ドッグフードの能書きを読んでみる。
すると、幼犬の時は一日3回エサをあげなさい、と書いてある。
成犬になったら一日1回でよい、とも書いてある。
さらに、それら1回分のエサの量は、犬の体重により一定なんです。
つまり、成犬になったら一日一回の食事、そのカロリーは幼犬の時の1/3でよい、ということです。

なるほどー。
これは人間でも十分当てはまります。
ぼくはここ数年、一日一食、夕飯だけ食べるようにしています。
健康のためには朝食をしっかり、なんて言われていますから、以前は朝食も食べていました。
が、朝ってあんまり食欲なんですよ。
それなのに健康のために無理して食べていたので、午前中調子が悪かった。
調子が悪いのに、昼に昼食を食べる。
午後も調子が悪い。眠くなる。仕事に集中できない。
そしてまた夕食を食べ、調子の悪いまま一日が終わる、って感じだったんです。

それを1日1食に変えてみたんです。
すると非常に体調がよくなりました。
持病のアトピーも軽減され、何より午前中の集中力が向上しました。
昔から「朝飯前の仕事」と言うとおり、朝飯前にやっつける方が効率がいいんですね。
おまけに昼食も食べないので、昼休みの時間もまるまる使えます。
仕事が忙しいときは昼休みも仕事を続けられますし、それほどでないときは3~4km散歩したりできます。
ノルマ的な仕事はほぼ午前中に片付けられ、午後は自分のやりたい仕事に時間を使えるようになります。
ああ、なんてハッピー。

原始時代の人間を考えてみましょう。
朝、きちんと食事を摂れたとは考えにくいです。
朝満腹になってしまったら、狩りに行く必要も感じなくなります。
腹が空くまでは、ただ寝転がっていたんだと思うんです。
たいていは朝は腹が減っている。
腹が減っているから狩りに行かなくちゃならない。
腹が減っているから狩りへのモチベーションも高まり、獲物を捕る確率も高まるってもんです。
そして獲物を捕らえ、夕方には家族の待つ家(巣?)に戻り、獲物をむさぼり食う。
腹が満たされ、心も満足して、ゆったりと眠りにつく。
それが本来の人間だと思うんです。
で、きっと原始人たちも夕餉の食料を少し残して、翌日の子どもの食料としていたんじゃないでしょうか。
子どもは1食では十分成長できないから。

生き物には3種類いるんです。
細胞分裂を盛んにして、成長しているもの。
劣化した細胞だけを作り替え、身体を維持しているもの。
まったく細胞分裂しないもの。

一つ目はたとえば昆虫の幼虫です。
毛虫の葉っぱを食べる量といったらすごいです。
木に毛虫が着くとあっという間に木は丸裸になってしまいます。
どんどん食べて、どんどん成長していきます。
細胞分裂して大きくなるには、たくさんのエネルギーを摂取しなくちゃいけない。
人間の子どもも同じですね。

二つ目はたとえば人間の大人。
細胞分裂は表皮や腸の上皮細胞のような劣化しやすい部分だけ。
だから新陳代謝に必要な分だけ食べればいいんです。

三つ目はたとえば昆虫の成虫。
蝶など花の蜜くらいしか吸いませんし、それもちょびっとしか吸いませんが、それで十分なんです。
だって、昆虫の成虫はまったく細胞分裂しないから。

最近、溌貴君も峻貴君もよく食うようになりましたよ。
特に溌貴君は完全に大人並みですね。
近所の中華料理屋のお気に入りのチャーハンなら一人前ぺろりです。
まだ偏食は多くて、食べられないおかずが多い。
先日のボーイスカウトキャンプの時も、おかずはほとんど食べられなかった。
その代わり、ご飯を3杯お代わりしていました。
毎日ウンコもドカンとしていましたよー。

大人は1食食えば十分。3食食べちゃうと食べ過ぎになっちゃうんですね。
子どもは3食しっかり食べ、3時のおやつも「第4の食事」だからおにぎりなど身体を造るものを食べる。
それがきちんと成長するために必要なことなんです。

2011年8月13日土曜日

記憶しているから思考も深くなる


こんにちは

はっちゃんの学校の宿題に「音読」があります。
国語の教科書を何回も何回も読む。
「音読カード」というのがあって、間違えずに読めたか、大きな声ではっきりと読めたか、など評価も記載していきます。
この音読カードには、暗唱できたか、という評価項目もあるんです。
これはスバラシイ。
教科書の文章をそのまままるごと暗唱してしまうことは、とてもいいことだと思います。
語彙、文型などのストックが頭の中に格納されるからです。

人間の脳は、メモリーベイスドアーキテクチャであることが、脳科学の研究で分かってきています。
記憶を基にした思考機構ってことです。
世界一のスパコンでも人間の脳に敵わない部分があります。
それは「直感」。
じっくりと考えなくても、答えがパッと思い浮かぶ。

とはいえ、直感はしばしば間違えます。
直感で得た答えが、じっくり検討してみたり、実験してみたりすると外れることがしばしば。
特に子どもや若者の直感はたいてい外れます。
それに対して、その道に通じた専門家は、その専門分野に関してだけかもしれませんが、直感はよく当たるんですよ。
なぜなら、直感を支える記憶=知識が十分あるからです。
子どもや若者の直感がアテにならないのは、基になる記憶=知識が不十分だからです。

佐々木常夫『働く君に贈る25の言葉』WAVE出版¥1400-にこうありました。

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私は、仕事に関する重要な数字はすべてメモしていました。
「担当事業のマーケットサイズ」「競争相手のシェア」「オイル価格」「ジニ係数」などなど。
そして、通勤電車の中や、ちょっとした”隙間時間”に何度も何度も読み返して暗記していったのです。
よく「ネットで調べれば分かる」という人がいますね?
しかし、それは「ネットで調べなければわからない」ということです。
それでは、数字を使うことはできません。
いや、考えることができないと言うべきでしょう。
数字を頭の中で”転がしている”うちに、「あれ?」「なぜだ?」と疑問が浮かんできます。
「原油価格が下がっているのに、なぜ、原油由来の原材料は高止まりなんだ?」とか「中国で○○商品の消費量が増えているのに、なぜ、当社の○○商品の売上が伸びないのか?」と考え始めるのです。
これは、数字を暗記しているからこそできることです。
「ネットで調べれば分かる」ではできません。
しかも、頭に入っていれば、いつでもどこでも考えることができます。
電車の中ででも、トイレの中でも、つまらない会議の最中でも・・・。
こんな便利なことはないですよ。(101p)
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再び言います。
人間の脳は「メモリーベイスドアーキテクチャ」なのです。
だから、記憶していないと思考できないのです。
もちろん、記憶するだけではいけません。
記憶したことを基にいろいろ考えてみる。
考えたことを現実と照らし合わせてみて、正誤を確認する。

間違えていたら、何が足りなくて間違えたのかを考える。
それはたいてい、基本的な知識が不足していたからだと分かるはずです。
そして不足していた知識を頭に入れ込む。
専門家はこういう訓練をずっと続けてきているのです。
だから直感が当たるようになるのです。
記憶している中から必要な事項を瞬時に選び取る能力が、直感力に他なりません。

小学生に限らず初学者は、まずは基礎的なことを記憶することが大切です。
だから、小中学校など低年齢の子ども生徒を教える学校ほど、きちんと基礎的な事項を記憶したかどうか試験されるのです。
そして、記憶したことは必ず役に立つのです。
暗記は役に立たない、と言う人は、記憶の役に立て方を知らないだけなんです。
記憶したことを基にあれこれ考えるという過程を経ていない人が、暗記ばかりさせるな、と言うのです。
ということは、その人は「思考力のない人」だということです。

暗記、記憶をバカにしてはいけないのです。
小学生なら教科書を何度も何度も繰り返し読み、その内容を自分の頭に記憶させることが大切なのです。

子どもをきちんと躾けるための必要条件


こんにちは

青木雄二『青木雄二のゼニの教育論』青春出版¥1100-にこうありました。

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子どもをきちんとしつけようと思うくらいの気持ちの余裕を持つためには、基本的な生活が安定していないとダメなんや。
つまり、物質的財貨が必要だということや。
いくら愛情のある夫婦でも、ゼニがなくて生活苦が続けばギスギスするやろ。
イライラして、喧嘩ばかりするようになるやろ。それと同じや。
子どものしつけをしようと思うたら、やはり精神的な余裕が必要なんや。
そのためには、経済的な基板がしっかりしていることが絶対条件なわけや。(55p)
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躾自体にお金はかかりません。
でもお金がないと、躾をする心の余裕がなくなるんですね。
ぼくもしっかり働かなくちゃ!

2011年8月12日金曜日

読書は人生の基礎


こんにちは

夏休み、本をたくさん読むようにしています。
はっちゃんの学校の課題図書50冊、全部読んじゃおうと思っています。
図書館で借りまくっていますよ。

伊藤氏貴『奇跡の教室』小学館にこうありました。

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英語の成績が急伸する生徒には、「国語ができる」もしくは「本好きである」という明らかな共通点が見つかった。
たとえば英語の長文問題。
わからない単語が出てくる。一文の意味がつかめない。
こうした「壁」に出会うと、国語力のない生徒は、往々にしてその壁の前で立ち止まり、うずくまってしまう。戦わずして戦意喪失してしまう子が多いのだ。
「学ぶ力の背骨」が弱い、最近の流行語に置き換えると、「体幹」が弱い生徒と言えるだろう。
そんな「壁」を前にしたとき”なんとかして乗り越えてやろう”、と腕まくりするのが読書量の多い生徒だ。
単語がわからなくても、文法が難解でも、前後の文脈から類推しようとする。
意味のわからない一文があっても、とにかく読み進めて行き、後の文章からヒントを探そう、結論から逆算してみよう、などとあれこれ方策を練る。
押してみたり引いてみたり、下から見たり、離れてみたりと、「壁」をなんとかして「階段」にすることで乗り越えようとするのだ。
この「壁を階段にする力」こそが、エチ先生が『銀の匙』の子どもたちに授けた果実なのだろう。(78p)
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エチ先生とは、灘中学の伝説の国語教師です。
中学3年間の国語の授業は『銀の匙』一冊だけをじっくり読む。
高校受験がある学校だとこういう授業はなかなかできないですが、中高一貫校である灘なら可能。
一冊だけを読むと言っても、授業の中だけの話。
灘中では、生徒をヒマにしてたくさん読書させるのだそうです。
授業での精読と自主的な乱読。
この二つが灘の生徒を育てている。

学力とは国語力、だと思っています。
どんな教科でも国語力がしっかりしていないと、学力は伸びません。
英語だって国語が基礎になるんです。
そして国語力の基礎は、読書。

本を読むこと、すなわち他人の考えを受け容れる、ということです。
すべての学習は、他人の考えを自分で咀嚼して受け容れることから始まります。
どんなにオリジナルな考えだって、きちんとした基本的な学習抜きではあり得ません。
だいたい、読書しない人ほど、他人の話を聞こうとしませんね。
他人の話を聞かないことを個性的であると誤解しているんです。
もちろん先生の話も聞かないわけですから、勉強もできるようになりません。
大人でも、読書する習慣のない人はろくな仕事ができないものです。
他人から学ぼうとしないからね。
読書することは、他人の話をよく聞き、自分のものにする「方法」を身に着けることができるのです。

まだはっちゃんは1年生ですから、乱読と言っても親が読み聞かせることが必要。
毎晩寝る前、2冊くらいずつ読み聞かせています。
ついでにとんたんも聞いている。
とんたんの語彙もすごく増え、おしゃべりになりましたよ。
素晴らしい!

2011年8月5日金曜日

ハッピーのつくり方


こんにちは

加速器学会に参加していた研究者から、さっそくぼくらの論文を送って欲しいというオファーがありました。
嬉しいですねー。
誰かから必要とされ、誰かの役に立つ。
それこそが仕事ってもんですからね。
ハッピーですよ。

教師時代の友人たちと作ってきた理科の本が出版されました。

『小学校理科の実験・観察ナビ』日本標準

なかなかいい本に仕上がりましたよ。
教科書に載っている実験や観察をうまくやる方法とともに、その実験や観察について掘り下げた解説も書いてある。
教員向けの本として出版されましたが、一般の人が読んでも面白いし、もちろん小学校高学年以上の理科マニアの子どもが読んでも面白い。
息子の通う学校にも寄贈しようと思います。
確実に誰かから必要とされ、誰かの役に立つ本ができたと思います。
ハッピーですねー。

先週、東京の私立中学校の生徒さんが、ぼくの職場の見学に来ました。
夏休みのレポートを書くための取材だって。
勉強熱心なお子さんでした。
ぼくも熱を入れて案内しましたよ。
その生徒さんからお礼のメールが届きました。
その中に「皆さん楽しそうにしていらしたのが印象的でした」とありました。
いいですねー。
楽しく仕事していることが伝わりました。
楽しいことこそ自分、ゴキゲンこそ能力発揮のもとですからね。
子どもたちに夢を与えるったって、大人が楽しくゴキゲンに仕事をしていないでどうやって夢を与えられるのでしょうか。
ハッピーがこの生徒さんにもちゃんと伝わりましたよー。

4月の科学技術週間に、ぼくは東京科学技術館でサイエンスカフェをやらせてもらいました。
その時の参加者のアンケート結果が、事務局の方から送られてきました。
参加者のほぼ全員の方が、とても満足、満足という評価でした。
不満という評価はゼロ。
ある方の感想に「あまり得意でない分野ではありましたが、興味深く聞くことができました。とても楽しかったです。子どもの付き添いではありましたが、自分のほうが夢中になってしまいました。」とありました。
嬉しいですねー。
ハッピーです。

お一人だけ、まあまあ、という評価。
この方の希望と異なる講演内容だったとのこと。
すみません、ご期待に添えずに。。。
な~んちゃって、ちっともそんな事思ってませんー。
ごめん!

世の中に不満を持っている人の特徴って、自分の思いを何かに投影して、それが自分の思い通りじゃないことに怒っているんですよね。
誰かに期待し、期待通りにその人がしてくれなかったから、裏切られたと思う。
なんか自分勝手なんですよ。
勝手に期待しておいて、勝手に怒っている。
オレはお前の奴隷じゃないんだぜ、って思っちゃいます。

先の方も、カフェの内容が自分の思っていたものと違っていた、そこが不満だったんです。
でもねー、世の中自分の思うとおりになっているなんてこと、あるわけじゃいじゃないですか。
人はそれぞれの思い、考えで行動しているんですから。
社会全体だって同じです。

そういう時、自分の価値観の方をちょっとずらしてみるといいと思うんです。
ぼくのサイエンスカフェもお子さん向けの話でした。
自分はもっとハードなサイエンスの話を聞きたかった。
自分の希望と違っていたとき、それをハナから否定してしまうのも損です。
そういうときは、自分も子どもになった気持ちで聞いてみる。
そうすると、なにか面白いこと、自分にとって役に立つことが見つかるかもしれません。
ハナから否定してしまったら、それさえも見つけることができないんです。

森博嗣さんはこう言います。

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ものの価値を計る物差しは、とても沢山あって、その物差しの数が少ない人が、
貧しい、物差しを沢山持っている人が、豊か、ということになるだろう。(森博嗣『工学部水柿助教授の逡巡』幻冬舎¥829-、248p)
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いろんな尺度を自分の中に持っている。
これがハッピーのつくり方なんだと思います。
不満の多い人って、物差しが少ないんですよ。
自分の物差しに合わないものは否定するわけですから。
世の中、そうそう自分の物差しに合うものなんかありませんよ。

物差しをたくさん持っていれば、一つの物差しで合わなければ、別の物差しを持ってくることができます。
別のもの指しなら、ドンピシャとはいかないかもしれませんが、合うこともあるでしょう。
物差しをたくさん持てば持つほど、フィットする物差しを見つけることができるわけです。
自分の持つ物差しにフィットすれば、不満も持つことがなくなるのです。
これがハッピーのつくり方なんですよ。

もちろん相手や世の中の方が明らかに間違っているって場合もありますよ。
そういうことに不満を持つことは正しい。
何でもかんでも肯定して受け入れてもいけません。
つまり、間違いに対する正しい物差しも持っている必要があります。

自分の物差しの方が正しくて、相手の、あるいは社会の物差しのほうが狂っていることを知るにはどうすればよいか。
それは他の人の物差しも見てみるといいんです。
間違っていると思う人が、自分の他にもいるかどうか。
あるいは、自分の行動に賛同してくれる人がいるかどうか。
自分の行動に対して、一緒に行動してくれる人がいるかどうか。
賛同者がたとえ少しずつでも増えていくなら、自分の物差しは正しいと判断できるのです。

2011年8月2日火曜日

楽しい時が本当の自分

こんにちは

今週はつくばで開催されている加速器学会に参加しています。
ぼくもXFEL=SACLAの電源電圧変動と冷却の温度安定性について、2本の報告をしました。

今回のぼくの報告は、実際にSACLAのユーティリティ施設を運転している方との共著にしたんです。
ひとつは、ぼく自身がその後のSACLAの様子を知りたいから。
ぼくはSACLAのインフラを造ってきましたが、インフラってその上に乗っているアプリケーションがしっかり動いてこそのものです。
いくらいい施設が造れたと言っても、加速器がちゃんと動き、レーザーが出ないことには、それを支えるインフラの価値もないわけです。
うまいこと6月にレーザーが発振できた。
それはインフラ施設が上出来だった証拠です。
大いにアピールしなくちゃね。
当然ながら、造った施設を適切に運転してくれている人がいるから、うまく動いてくれたわけです。
その人と一緒に論文にまとめ、発表する。
それによってぼく自身も、どこが良かったか、改善すべきところはどこだったかを学べる。
施設は造るだけじゃダメなんです。
使ってみての様子を知らなくちゃ。
それを次の設計や施工に活かすことができるからね。
おいしい、おいしい。

もう一つは、ユーティリティ施設を運転している方にも研究的な仕事をしてもらいたいからです。
でき上がった施設でトラブルがあることがあります。
何でこんな施設を造ったんだー!ってぼくも叱られることもあります。
でもよく調べてみると、いい加減な運転をしていることが原因だってことがほとんど。
施設についてよく理解せず、学ぼうともせず、思い込みで運転していてトラブルに至っているのです。
施設を安定運転するためには、やはりその施設についての深い理解がないといけないんです。
そのとき、学会発表しよう!という目標を立てる。
学会発表するからには、良い報告をしなくちゃいけません。
うまくいきませんでした、って発表もないわけじゃないけど、イレギュラーです。
学会発表をチャンスにして、これまでの運転方法を評価し、これからの課題も見つけられる。
論文を書く過程で、ぼくともディスカッションができ、設計意図と現実の運転との調整もできるわけです。
これはよりよい運転法を見つけていくことに繋がっていくのです。
おいしい、おいしい。

ぼくらの発表も、参加者の皆さんにもまずまず興味を持ってもらって、大満足です。
他のSACLA関係の講演でも、空調、冷却の安定がすごくうまくいっている、と聞けてニンマリでした。

書き上げた論文を、神戸iPS棟電気工事を手がけてくれた若い現場代理人にメールしました。
こんな返事をもらいましたよ。

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加速器学会というと、『電気設備学会誌vol.31 2011 No.7』に「X線自由電子レーザー施設 加速器棟の電気設備」(きんでん)の論文が掲載されていました。
施工等なにも関係ないのですが、Spring-8の名前と設備を頻繁に耳にしていたで、気になったので、今回の添付論文と両方の論文読ませていただきました。(非常に難しいです)
私も、いろいろな現場の体験をしたいとつくづく思いました。

また、社内で技術発表会が毎年あります。
今回理化学の件を発表させていただきました。
論文の書き方、発表の仕方と経験が大切と思い、今後も率先して、担当現場の全てにおいて発表していこうと思っています。

なんでも、経験と検討、実践後の検証が大切だと思います。
思うだけでなく、実践していこうと思います。
まずは、理化学現場での上記の実践はできましたので、今後も「業務多忙」にかまけず続けていきます。
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いいですねー。
社内の技術発表会で積極的に報告する。
確かにめんどくさい。
でもチャレンジしてみるんです。
その努力は必ず自分に帰ってきます。
そしてその努力が楽しさを生むんです。

よく若者が「自分探し」なんてのをしてますよね。
なかなか自分が何者なのかわからず、定職も持たずにフリーターをやり続ける。
中年という年令になってもフリーターだったりして。
それって、自分が楽しくない、ってことなんですよ。
人生を楽しんでいない自分は本物の自分じゃないって気がするんですね。
森博嗣『自分探しと楽しさについて』集英社新書¥700-にこうありました。

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「楽しさ」を探す行為というのは、第1章で述べた「自分」を探す行為と、ほとんど同義であるように感じる。
おそらく、両者の違いは実質的にほとんどないと言っても良い。
というのも、誰でもが思い描くあるべき「自分」というのは、普通は「楽しい自分」なのである。
悲しいヒロインになりたい、といったやや屈折した願望は例外として、ほとんどの人は、楽しい状態を望んでいる。というよりも、そういう望ましい状態を「楽しい」というのだ。
「悲しいヒロイン」になりたいと願っている人にとっては、つまりそれが「楽しみ」なのである。(55p)
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で、楽しい自分、本物の自分を見つけるにはどうしたらいいか。
待っていてもダメなんだよね。
どこかに自分がすっぽりハマる場所があると思って、それを探しても見つかるわけがない。
すっぽりハマる場所は、自分で掘らなくちゃならないんですよ。

まずは何かに挑戦する。
努力してみる。
その努力が気持ちいいかどうかだね、ポイントは。
努力が実って気持ちいいなら、それが「自分」なんですよ。
森さんはこうも言います。

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一般的にいえる傾向として、自分に向かって近づいてくるものは、えてして楽しくないものが多い。
これに対して、自分が向かっていきたいものは、たいていは楽しいものである。(55p)
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つまりつまり、やらされることは楽しくないんです。
当たり前ですね。
自分から向かっていきたいことこそ、楽しいことなんです。
だから積極的にやってみなくちゃ。

では、そういうものを見つけるにはどうしたらいいか。
森さんは言うんです。

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楽しいものは、「やらなければならないもの」ではない。やってもやらなくても、どちらでも良いものだ。(56p)
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やってもやらなくてもどちらでも良いもの。
それは誰もやろうとしないものなんだね。
やらなければならないもの、は、自分がやらなくても誰かがやらざるを得ない。
そういうのは楽しくないし、自分だけのものには成り得ない。
学会発表なんて、研究者として飯を食っているんじゃないぼくにとったら、やってもやらなくてもいいものに違いありません。

やってもやらなくてもどちらでも良いものこそ、自分しかできないものなんだ。
つまりは「人と違うことをやる」わけです。それを恐れない。
そういうことを少しでもやる。
そういうことをやるために、ちょっとずつでもいいから他の人より10%だけ努力してみる。
それをやり続ける。
それが楽しいこと、自分自身を見つける技術なんだと思うわけです。

2011年8月1日月曜日

親の背中


こんにちは

今週は、ぼくはつくばで加速器学会に参加、晶ちゃんと子どもたちは岩手に帰省です。
家族はいつもべったり同じ行動をとる必要はない。
自由にしたり、一緒にいたり、みんながその時々で楽しくなるようにする。
妻や子どもたちが加速器学会に一緒にいっても楽しくないでしょう。
同様にぼくが女房の帰省に付き合うのも、あまり楽しくない。
あははははは。

昨日、家族を岩手に送り出したあと、ぼくは加速器学会で発表する論文を書きました。
今年は電源安定性についてと、冷却水温度制御についての2本発表することで、登録してありました。
1日で2本論文を書くのはきつかったー。
へろへろになりましたよ。

今年はもう一つのチャレンジとして、共著者のみんなにも部分執筆してもらったんです。
これも結構大変でしたね。
複数の原稿を集めて、一つのストーリーを組み立て、文章のトーンも統一し、流れるように読めるようにする。
一人で全部書くのより大変だったかも。

それでも、論文の出来不出来は抜きにして、2本書き上げ学会へ投稿できました。
エンジニアのモットーは「期日は守る」ですから、最低限それは守れましたよ。
もっと余裕を持って取り組めばいいんでしょうが、ま、こういう経験も大事ですからね。
あはははは。

青木雄二『青木雄二のゼニの教育論』青春出版¥1100-から引用します。

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子どもに豊かな人生送ってほしかったら、まずは親が豊かな人生送って、その手本を見せるということや。
どんな有名な塾に入れるよりも、どんな立派な参考書を与えるよりも、子どもに、
「うちの親のような、いい人生、おもしろそうな人生を送れたらええなあ」
そう思わせるのが、最高の教育や。
金が無いのは厳しいが、そこは努力でカバーせなあかんで。
まちがっても、つらい生きざまを見せてはあかん。
ぬかるみにできた車輪の跡に足をとられるように、子どもも同じ轍を踏むで。(20p)
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ぼくもまったく同感です。
親が楽しく人生を送っていかなくちゃね。
楽しくやるにも努力は必要です。
努力している姿を見せる。
そしてその努力が実った姿も見せる。
そうしていきたいんです。

いくら子どもに「勉強しろ、勉強しろ」と言っても、言うだけじゃ勉強するようになりません。
勉強の価値をこんこんと説明してもダメ。
やっぱり親も勉強する。
勉強したらいいことがあるってことを実際に子どもに見せなくちゃ。
勉強した方が人生は豊かになるし、ハッピーでいられるってことを、実感できませんよ。

時には辛いこともあるのが人生です。
でもその辛い状況にどっぷり浸かってしまってはいけないんです。
ただただ「辛い、辛い」と愚痴や不満を言うのでは、子どもは人生に絶望してしまいます。
辛さから抜け出る努力をする。
辛くてもちょこっとでもハッピーを拾うんです。
笑顔になれる小さな努力を積み重ねる。

そうなれればいいなーと思っています。
さて、加速器学会に出発しますか。
楽しくがんばってこようと思います!

2011年7月28日木曜日

嫌な仕事から逃れる技術


こんにちは

50歳を過ぎたら好きなことしかしない、と決めているぼくですが、やっぱり嫌なやりたくない仕事もあります。
やらざるを得ない。
でも好きなこと、やりたいことをやるためには、嫌な仕事、やりたくない仕事もほどほどにこなしていくしかありません。
こういう仕事は別にそれでいい評価をもらおうなんて思っちゃいないので、とにかく「片付ける」って意識でやっています。
短時間で合格ギリギリでもね。
これも好きなことを存分にやるための「儀式」だと思っているわけです。

森博嗣『工学部水柿助教授の日常』幻冬舎¥800-にこうありました。

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嫌いだ、苦手である、が故にそれらが押し寄せてくる。
その人の周囲に溜まってしまう。
そればかりが集まってしまう。
お心当たりはないだろうか?
どうして、私の周りにだけ、こんな嫌なことがいっぱいなの?という疑問に対す
る答えがここにある、と思う水柿君である。(157p)
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嫌だ、やりたくない、とそれを避けてばかりいると、嫌な仕事、やりたくない仕事がどんどんストックされていきます。
自分という資源は有限ですから、ストックされていくものが溜まるにも限度があります。
自分の中に嫌なもの、やりたくないことばかりが溜り、パンパンに膨れ上がってしまうのです。
これでは、好きなこと、やりたいことをやるだけの余裕が生まれません。

嫌なこと、やりたくない仕事は、たいてい誰にとってもそう。
他の人はそれでも、そういう仕事をちょっとずつでも片付け、好きなこと、やりたい仕事ができるようにちまちまと努力しているのです。
そのちまちました努力を見ずに、好きなことをやっている姿を見ると、「どうして自分ばかり嫌な仕事をしているんだろう」と思うようになるのです。

嫌なこと、やりたくないような仕事は、たいてい誰にとっても、会社全体にとってもそうなんです。
あまり価値はないけど、やらざるを得ないことなんです。
だから「こなす」ことが一番重要。
そこでよい仕事をしようと思わなくていい類のものなんです。
だって、価値はないんですから。

自分ばかり嫌な仕事、やりたくない仕事がやってくるとぼやいている人は、そこを考えて欲しい。
もしかすると、あまり価値のない仕事にも労力をかけすぎていないかどうか。
仕事というのはたいてい、これで終わり、という到達点はないのです。
だから続けようと思ったらいつまででも続いてしまう。
どこかで妥協して終わらせないと、終わらないものなんです。
仕事にあるのは、不合格範囲と合格範囲だけ。
合格範囲に入ったな、と思ったらそこで止めていい。
特に価値の低い仕事は、合格範囲に入ったら止めなくちゃいけないんです。

嫌な仕事から逃れるには、嫌な仕事から逃れてはいけないんです。
迎え撃つ。
バッサバッサと切り捨てる。
そして自分のやりたいこと、楽しい仕事、価値のある仕事にた~ぷり時間と心を傾けるんです。

2011年7月27日水曜日

フレンドリーな空間のつくり方


こんにちは

ぼくも多くのスタッフを抱える立場になりました。
スタッフたちにいかにゴキゲンに仕事をしてもらい、その能力を100%発揮してもらい、さらに腕を磨いて欲しいと思っているのです。

内田樹『最終講義』技術評論社¥1580-にこうありました。

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学会でも若い人を励ますようなコメントを聞く機会はまずないです。
権威者が、若い研究者をがみがみ叱り飛ばす。
でも、若い研究者が人前で喋ったら、だいたいボロを出すに決まっているんです。
いいじゃないですか。
みんなで「よし、頑張った!」と言って励ましてあげればいいのに。
学会がほんとうに研究共同体であれば、そうなるはずなんです。
気が遠くなるほど広大な研究対象が現に目の前に広がっているなら、みんんで手分けしてやるしかない。
「猫の手も借りたい」と思っていたら、若い人を叱り飛ばして、「もうやめちまえ」みたいなことを言うはずがない。
だから、査定して、格付けして、能力のない人間を追い出すということをやっている学会って、要するに「猫の手も借りたい」わけじゃない、ということですよね。
「人手は足りてます」ってことですよね。
それどころか、今いる研究者だけでも多すぎるってことですよね。
じゃあ、それって、「気が遠くなるほど広大な研究対象が目の前に広がって」はいないということでしょう。
自分が寝食を忘れて一生涯研究しても究め切れないかもしれないと思うからこそ、「後事を託す」ために若い研究者を育てるわけじゃないですか。
世代を超えた協力がなければ、絶対に果たせないほどの研究対象の奥行きと深みを実感していたら、研究共同体はフレンドリーな空間になるはずなんですよ。(286p)
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なるほど、なるほど。
学会、研究者について書いてありますが、そのまま職場、スタッフに読み替えることができますね。

職場でも若い人を励ますようなコメントを聞く機会はまずないです。
管理職が、若いスタッフをがみがみ叱り飛ばす。
でも、若いスタッフが新しい仕事をやれば、だいたいボロを出すに決まっているんです。
いいじゃないですか。
みんなで「よし、頑張った!」と言って励ましてあげればいいのに。
職場がほんとうに仕事共同体であれば、そうなるはずなんです。
気が遠くなるほど広大な仕事が現に目の前に広がっているなら、みんんで手分けしてやるしかない。
「猫の手も借りたい」と思っていたら、若い人を叱り飛ばして、「もうやめちまえ」みたいなことを言うはずがない。
だから、査定して、格付けして、能力のない人間を追い出すということをやっている職場って、要するに「猫の手も借りたい」わけじゃない、ということですよね。
「人手は足りてます」ってことですよね。
それどころか、今いる職員だけでも多すぎるってことですよね。
じゃあ、それって、「気が遠くなるほど広大な仕事が目の前に広がって」はいないということでしょう。
自分が寝食を忘れて一生涯仕事をしてもやり切れないかもしれないと思うからこそ、「後事を託す」ために若いスタッフを育てるわけじゃないですか。
世代を超えた協力がなければ、絶対に果たせないほどの仕事の奥行きと深みを実感していたら、職場はフレンドリーな空間になるはずなんですよ。

てな具合ですな。
意味もなく若いスタッフをガミガミ怒ってばかりいる管理職は、実はヒマなんですよ。
仕事を進めるために怒っているのではなく、「オレのほうが偉いんだ」って示したいだけ、それだけのために怒っている。
そんなくだらないことをしていても、仕事に支障はないということは、イコール暇なだけなんです。
その部署は廃止、あるいは縮小してしまえばいい。

同様に、学校、教師に読み替えてもいいですね。

教室でも生徒を励ますようなコメントを聞く機会はまずないです。
教師が、生徒をがみがみ叱り飛ばす。
でも、生徒は初めて学ぶんですから、だいたいボロを出すに決まっているんです。
いいじゃないですか。
みんなで「よし、頑張った!」と言って励ましてあげればいいのに。
学校がほんとうに学習共同体であれば、そうなるはずなんです。
気が遠くなるほど広大な教えるべき事柄が現に目の前に広がっているなら、がみがみ叱り飛ばしている時間なんかない。
しっかりと教えようと思っていたら、生徒を叱り飛ばして、「もうやめちまえ」みたいなことを言うはずがない。
だから、査定して、格付けして、能力のない人間を追い出すということをやっている学校って、要するに「教えたい」わけじゃない、ということですよね。
「教えることはない」ってことですよね。
それどころか、教える気なんかないってことですよね。
じゃあ、それって、「気が遠くなるほど膨大な教えるべき事柄が目の前に広がって」はいないということでしょう。
自分が寝食を忘れて一生涯勉強しても勉強し切れないかもしれないと思うからこそ、「後事を託す」ために生徒たちを育てるわけじゃないですか。
世代を超えた継続がなければ、絶対に社会の発展はないほどの学習すべき事柄の奥行きと深みを実感していたら、教室はフレンドリーな空間になるはずなんですよ。

いかがですか。

2011年7月25日月曜日

よい評価を与えられる教師こそよい教師である


こんにちは

1学期が終わりました。
溌貴君は初めての遠距離通学でしたが、1日も休みませんでした。
ずいぶんと体力も付きました。
としきくんもお休みは1日だけ、まずまず健康でしたね。

終業式、溌貴君はこれまた初めての通信簿をいただいてきました。
おお、いい成績です!
ほとんど全部が「とてもよい」ですからね。
スバラシイ!

溌貴君ももちろん素晴らしいと思いますが、先生も素晴らしいです。
よい成績を堂々と付けるだけの度量がありますからね。
あるいは、よい成績を付けても誰からも後ろ指さされないだけの豪腕さ。
だってねー、小学1年生に悪い成績を付けて、いいことなんか何もないからね。
子どもと親のやる気を奪うだけですから。

実力のない先生ほど、平気で悪い評価を付ける。
「だってこの子、ちっともできませんから」なーんて言う。
おいおい、できるようにならないのはあなたの教え方が悪いからだろう。
子どもの通信簿は教師の通信簿でもあるんです。
子どもに悪い評価を与えるということは、自らの教え方が悪かったと表明することでもあるんです。
だから、たとえ悪い評価を付けなければならないとしても、泣く泣く付ける。
オレが悪かった、オレのせいでこんな点数しか付けられなくてゴメン。
そのくらいの先生じゃないといけませんよ。

内田樹/成瀬雅春『身体で考える。』マキノ出版¥1400-から引用します。

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内田 レベルの低い先生というのは潰しにかかる傾向があるんですよね。
技量の低い先生は、弟子がすぐにできるようになるので、自分がすぐに追い越されてしまう。
そうなるのは困るわけです。
そのため、あれこれと厳しく指導したりする。
教えるほうは弟子の成長を願ってやっているのだという言い分があるのかもしれないけど、どんなに努力しても、「ダメだ、ダメだ」と言うばかりで、精神的に追い込む先生は多いですね。(121p)
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子どもは褒めて育てた方がいいんです。
ダメだダメだ、と言って育てれば、本物のダメ人間になります。
バカだバカだ、と言って育てれば、本物のバカになる。
人間とはそういうものなんです。

自信のない教師は狭量になりがちです。
自分よりかしこい子どもに嫉妬をする。
かしこい子にバカにされるのが恐いんですな。
だから、少しでも悪いところを見つけて、ダメだ、ダメだと言ってしまうんです。

だからよい教師ほど、子どものいいところを見つけて褒めます。
もちろんまだ子どもですから、できないこと、悪いところもあって当たり前。
悪いところを見つけて、指摘するのは誰でもできます。
悪いところは、よっぽど反社会的なことでない限り、見て見ぬふりすればいいんです。
悪いところは、いいとも悪いとも言わないで、無視するのが一番いい。
あえて悪いところは評価しない方がいいんですよ。

そしていいところだけ褒める。
悪いところだらけの子どもの、いいところを見つけるのが本物のプロ教師です。
そういうところを褒め続ける。
とんちんかんなほめ方はいけませんよ、当然。
事実に基づかないほめ方は、子どもに伝わりませんし、返って反感を買います。

実は子どもって、どういうところが自分のいいところなのか、自覚していないものなんです。
そういうところを見つけてやる。
ああここが自分のいいところなんだ、と気付かせてやる。
そうなると、子どもは自分のいいところを自ら育てるようになるんです。

褒められて嫌な気がする子どもはいません。
褒められればゴキゲンになります。
ゴキゲンであれば、自然にもっとよくなろうとします。
そうやって育てた子どもは、素晴らしい先生を超えて、さらに素晴らしい人間に育っていく。
生徒が自分より素晴らしい人物になることほど、教師冥利に尽きることはないはずです。
自分が追い越されるのが嫌、なんて狭く小さいプライドなんか要らないのです。
それが人を育てる教師の仕事なんだと思うのですよ。

いい先生に恵まれてよかったね。

2011年7月22日金曜日

教員採用に関する一試案


こんにちは

国家公務員試験を実施している人事院のホームページを見てみました。
http://www.jinji.go.jp/top.htm
これまでの試験枠、Ⅰ種、Ⅱ種、Ⅲ種という区分は来年からなくなるんですね。
その代わり、総合職、一般職という区分になる。
これまではごくわずかなⅠ種採用の人だけがキャリア官僚として偉くなっていく制度でした。
Ⅱ種、Ⅲ種の人は採用時点から偉くなれないのが分かっている、偉くなれないなら一生懸命働かない、という弊害もあった。
Ⅰ種の人にも、何もしなくても偉くなれるんだから一生懸命働かない、という人もいたのかもしれません。
なので総合職採用の人は誰もが偉くなる可能性があるってことにして、公務員全体としての効率を上げようってことですね。
なるほど、なるほど。
来年から試験制度が変わっても、総合職合格者は3年間の採用名簿登録という仕組みは残るようです。
よかった、よかった。

この制度、ぜひ教員採用試験でもやってほしいと思っています。
教員採用試験も合格即採用ではなく、名簿登録なんです。
この登録有効期限は1年間しかない。
これを3年間にしたらいいんじゃないか。
そうすれば、国家公務員と同じく研究者目指して修士課程に進学する人も、自分が研究者に向いていないと思って教職に就く人が増えると思うんですよ。

教育って、受ける側(子ども)と授ける側(大人)との間に、圧倒的な知識の落差があったほうが効果が高まるんです。
休み時間や放課後はフレンドリーに友だちのような先生でもいいけど、授業中は「この先生にはかなわない」と生徒に思わせる。
そのくらいの迫力がある先生のほうが、生徒も習う気になるもんなのです。
友だちのような先生もいいんですが、授業における圧倒的な知識の落差がないと、やがては生徒からばかにされてしまうのです。
誰もバカから学ぼうとはしません。
授業が崩壊するメカニズムは、先生が生徒にばかにされているからなんですよ。

おまけに親。
親も教師をばかにし始めている。モンスターペアレンツですね。
親のほうも「先生ったってたいした学歴もないじゃないか」って思っている。
もしかすると「この先生より自分のほうがうまく教えられる」と思っていたりして。
事実、授業参観に行っても、パッとしない授業をしているし、子どもたちも真面目に授業を受けていない。
これじゃだめだ、塾に通わせなくちゃ、なんてね。

だからぼくは、学校の先生も修士卒くらいの人のほうがいいんじゃないかって思うんです。
2年間集中して研究をした経験を持つ。
それも先端的な学問をやった経験。
そういう先生なら、教職についても論文誌を購読し、読み続けるでしょう。
先端の研究をフォローし、楽しめるだけの学力が身についていますから。
自分の研究も継続して、学会発表なんかもし続けるかもしれませんね。
研究への情熱を少しでも持ち続ける。
それが子どもへ伝わるんだと思います。

都道府県教育委員会のみなさん。
教員採用試験でも3年間の登録留保って制度、やってくれませんか。

2011年7月21日木曜日

キャリア官僚の採用試験


こんにちは

空調学会から連絡がありました。
9月の全国大会の全体会で、学会賞を受賞したSACLAについて講演してほしいって。
おお!嬉しいですねー。光栄です!
がんばろっと。

ぼくの今の夢は、今の職場を卒業するまでに学位「博士号」を取ること。
以前は教育学で博士を取ろうと思っていましたが、いろいろ調べてみると非常にハードルが高い。
ぼくの理科教育での大先輩も学位を得ようとしばらく大学に通っていましたが、果たせないでいるようです。
教育学だけでなく、文系の学位は取るのが大変のようです。
エジプトピラミッド探検で有名な考古学者吉村作治さんも、考古学(文学部に所属)ではなく、工学博士です。
吉村さんは考古学博士号も持ってはいますが、ジョークでディプロミル(お金で買える学位)だそうです。

で、狙いはやっぱり工学での博士号です。
これならなんとか取れそうな気がしています。
今のぼくの直属の上司は工学博士で、大学の特任教授も兼務しています。
非常なる変わり者ですが、とても楽しげにあちこち飛び回っています。
上司から学位をどうやって取ったのかを教えてもらいました。
仕事をしながら博士課程に入学し、土日はフルに大学に通い、3年間で学位を取ってしまったとのこと。
すごいですねー、さすが我が上司、変わり者面目躍如!
身近にロールモデルとなる人がいるってのも心強いです。アドバイスもらえますしね。
ぼくもやれそうな気がしてきましたよー。

学位を取るには、大学院に入学して取る方法と、論文を学位授与機構に提出して取る方法とがあります。
社会人はこれまで論文で取る論文博士が一般的でした。
でも最近は論文博士のハードルが高くなっていて、一筋縄では難しいようなんです。
論文博士でもちゃんと指導してくれる大学の先生を見つけて取り組まないと無理なようです。
大学院に入学して取る課程博士の方が一般的だし、学位を取るまでの年限もある程度はっきりしている。

ぼくは工学系の教育を受けていないので、修士から始めなくちゃならないかなと思いました。
webで調べてみると、工学系博士課程の入学資格に「修士同等の能力を持つ者」とあり、その例として特許取得、学会発表、学会誌に主著者として論文掲載などがありました。
これならぼくも直接博士課程に入学できそうです。
ここ数年、電気設備学会、空調学会、加速器学会で研究発表してきましたし、いくつかの賞もいただいていますし、資格十分でしょ!
ますますやれそうな気がしてきましたよー。
何事も、やれると思ったらできる、無理だと思ったら無理なんです。

ところで、スパコンやXFELの仕事をするようになってから、キャリア官僚の人たちと仕事をする機会が多くなりました。
旧科学技術庁系の官僚の人たちですね。
この方たち、理学系や工学系の修士卒がとても多いんです。
どうしてなのかなーって思って、調べてみました。

キャリア官僚の採用は、人事院の実施するⅠ種国家公務員試験によります。
国家公務員採用試験は、試験に受かっても即採用ではありません。
人事院は合格者を、登録名簿に載せるだけなんです。
名簿に登録されてから、各人が行きたい省庁を訪問し、面談したりしていく。
各省庁も名簿からめぼしい人材を見つけて、採用していく。

で、Ⅰ種公務員試験の名簿登録の期間は3年間なんです。
国家公務員試験に合格すれば、3年間はその合格実績がキープされるんですね。
で、修士卒の官僚はほぼこの制度を利用しているそうなんです。

大学院は当然ながら研究者を養成する場所です。
でも大学院修士課程に入学する大学4年生の段階で、自分が研究者に向いているかどうかははっきりしていない。
自分が研究者に向いているかどうかは、修士課程でがむしゃらに研究をしてみて初めて分かってくるものです。
でも修士課程はたったの2年間。
もし研究者に向いていないとしたら就職しないとなりませんが、就職活動する時間が必要です。
就職活動なんかしていたら、2年間のうち1年間は研究に没頭できなくなります。
すると自分が研究者に向いているかどうか、はっきりわからなくなってしまうのです。

修士課程2年間、がむしゃらに研究に専念するにはどうしたらいいでしょうか。
学部4年生の時にⅠ種公務員試験に合格しておく。
そして修士課程2年間、採用を保留してもらうよう申請しておくのです。
こうして2年間研究に没頭できる条件を整えるんですね。
2年間やるだけやって、研究者としてやっていけそうだと思えたら、登録名簿から抹消してもらい、博士課程に進めばいい。
無理そうだったら、公務員になればいい。

なかなかいい制度ですよね。
たとえ研究者に向いていない人でも、2年間研究に集中した経験を持つ人材なら、役人としても能力を発揮できる可能性が高いです。
採用する側、採用される側、双方にとってメリットのある制度だと思います。

実はぼくも大学生の時、研究者になろうかどうか迷った時期があります。
当時の指導教官にも「関口君は研究者に向いているかもよ」と言っていただいたこともありました。
でも踏ん切れなかったんですよ。
ぼくは教員養成系大学に通っていたので、国家公務員になる級友、先輩もおらず、こういう情報がなかったんです。
そのとき、この公務員試験の制度を知っていたら、人生違っていたかもしれません。
まーもっとも、Ⅰ種公務員試験に合格できるかどうか定かではなかったわけですがねー。

2011年7月19日火曜日

人生のプロ


こんにちは

我が子たちに「自らを限る者」になってほしくありません。
やるからにはトコトンやって、一流を目指してほしい。
もちろん一流にはなれないかもしれないけれど、それに近づくことはできる。
最初から二流でいいや、と思っていると二流にさえなれないんです。

ぼく自身、子どもの頃、若い頃は「自らを限る者」だったように思います。
ぼくの能力ではこのくらいかな、って限界を自分で作っていた。
ほどほどならいいやって。
だから努力の仕方もほどほど、結果としてほどほどの人物にもなれなかった。
ちょっと損しちゃったなー。

最近はあまり限ってませんよ。
50を過ぎたら好きなことしかしない、ですからー。
やってみると、おっ、オレこんなこともできちゃうんだー、って思うこと度々だもん。
あはははは。

内田樹/成瀬雅春『身体で考える。』マキノ出版¥1400-にこうありました。

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内田 やる以上は名人・達人になりたいと思って稽古しなくちゃ意味が無い。
「自分みたいな運動神経のない人間はうまくなりようがない」とか、「忙しいサラリーマンで、週に一回しか稽古できないんだから、せいぜいこの程度」というようなことを自分で言っていると、自分で自分の限界を作ってしまう。
可能性の芽を自分で摘んでしまう。(42p)
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最初に「言い訳」をしちゃうとダメなんですよね。
ネガティブ要因をたくさんカウントして、それでやっぱりやれない、ってやる前に決めちゃう。
それよりも、ポジティブなことを少しでもたくさんカウントする。
おおっ、ここまでできそうだ!って思って取り組んだ方がいいんです。
内田さんはこうも言います。

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内田 「自分みたいに才能のない人間は、うまくなるはずがないと思います」という言葉をいったん口にしてしまうと、自分が言った言葉そのものに自分が呪縛されてしまう。
「自分はうまくなるはずがない」という未来予測が正しかったことを「絶対にうまくならない」ことによって身をもって証明してしまおうとする。
これ、証明するの簡単ですからね(笑)。間違った稽古をすればいい。
先生が「やりなさい」と言ったことをやらないで、「やってはいけません」と言ったことをやる。
ほんとうにそうなんですよ。(42p)
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ネガティブなことを言うと、自分で自分の言葉に絡め取られちゃうんですよね。
だからそんなことを言ってはいけないんです。
ポジティブなことを言う。
そうすると行動もポジティブになる。
うまく行く確率が上がるんです。

もちろんそれでもうまく行かない場合もありますよ。
運もありますしね。
それでもポジティブにしていれば、確実に勝率は上がるんです。
ネガティブな人は、1回でもうまく行かないと、ほらやっぱりダメだった、ってあきらめちゃう。
あきらめ早すぎ。
ポジティブな人はしぶといですよー。
何回かうまく行かなくてもあまりめげない。
うまく行かない要因を調べて、リトライする、あるいは別のことにチャレンジする。

だってね、プロの野球選手だって毎回ヒットを打つことなんかないじゃないですか。
打率3割なら大打者ですよね。
それは7割は打ててないってことです。
人生だって3割くらい思い通りになったなら、それはすごいことなんですよ。
人生の3割打者、すなわちプロ中のプロってことですから。

我が子たちにもそうなってほしいですねー。
もちろんぼく自身の生き方でも示していきたいと思います。

2011年7月18日月曜日

自らを限るなかれ


こんにちは

溌貴君は学校で足し算を習い始めました。
家でも少し練習しています。
ちゃんと指を使って計算しています。
どこで習ったのかなと思って、溌貴君の学校のホームページを見てみました。
1年生の算数の時間の様子が写真に写っていて、ほとんどの子が指を使っているようなんです。
スバラシイですねー。

やっぱり計算の基本は「指」なんです。
10進数を人間が採用したのは、たまたま指が10本だったからです。
数を認識し始めた大昔の人類も、指を使って計算していたに違いない。
個体発生は系統発生を繰り返すわけですから、計算を習い始めの子どもは、きちんと指を使って計算した方がいいんです。
このとき、格好悪いからって指を使わせないでいると、計算力が伸びません。
存分に指を使わせていれば、半年もすれば卒業して、指を使わなくても計算できるようになっちゃうんですから。
それは脳の中に指が10本刻まれたってことですね。

内田樹/成瀬雅春『身体で考える。』マキノ出版¥1400-を読んでいたら、こう書いてありました。

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内田 僕は長年、教師として教壇に立ってきたので、学校という枠の中での話になるんですけれども、伸びる子供というのは、自分で自分の限界を作らないんです。
伸びる、伸びないの違いには、もともとの学力や才能はあまり関係ないんです。
「自分はここまでの人間だ」と思っていればそこで止まるし、自分の可能性に関して、どこまでが可能性かよくわからないと思っている人は素質が爆発的に開花する可能性がある。
自分の成長に制約をつけるかどうか、そのマインド・セットの違いによって、そのあとの進む道が全然違ってくる。(27p)
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孔子様が言ったように、なんじ限る事なかれ、ですね。
野口悠紀雄さんも、自分は才能があると思っている人ほど才能を発揮できる、と言っています。
たとえ錯覚でも、自分はできる、と思った方がいいんですよ。
特に伸びしろの大きい子どもには、自分はできるんだ、という意識を持たせた方がいいんです。

計算でも、指を使ったって計算ができた方が、自分はできるんだという意識が定着するんです。
指を使わせないで、なかなか計算に上達できなければ、自分は算数が得意じゃない、と早々と思い込んでしまう。
自分はできると思っていれば、どんどんトライしますから、結果的にたくさん勉強するようになります。
できないと思っていたら、心は萎縮してしまい、練習量も少なくなります。

実を言うと、高校くらいまでに習う基礎的な勉強って、あまり頭の善し悪しには関係ないんです。
どちらかというと、どれだけ大量に勉強したかどうかなんですよ。
自分はできると思っている子は、自然と大量に勉強しちゃうんです。
だって、どんどん解けて、どんどん先へ進めば楽しいですからね。
だから勉強がよくできる。

そして、自信が着くといい意味でのプライドもできてきます。
ぼくならこんな問題だって解けるはずだって。
算数、数学の難問も、自分は解けると思っていれば必ず解けちゃうんです。
自分には解けないと思っていれば、解き始めさえしないから、解けないのは当然です。

指を使った計算をたっぷりやったあと、算数の次のステップは、「絵を描くこと」です。
文章題を読んで、それを絵に描いてみる。
算数のできない子は、文章題の問題を読んでいきなり式を書いてしまう。
問題文の中にある数字をやみくもに、あるいは機械的に前から順に、式に当てはめてしまう。
だから解けない。
式を書く前に絵を描くんです。
絵を描くと量関係がはっきり目に見えます。
量関係が分かれば、間違えずに立式できるわけです。

算数、数学は文系に進むにせよ理系に進むにせよ、しっかり身に着けると有利です。
我が子たちも、自分は算数が得意なんだ、という錯覚を持ってもらいたいですね。
それで結果的に大量に勉強ちゃう。
大量に勉強すれば得意になっちゃうんですから。


はっちゃんの学校で盆踊りが開催されました。
盆踊りの基本は見よう見まね。
自分はうまく踊れないから、と躊躇しているといつまでも踊れない。
楽しく踊っているうちに、踊れるようになるんです。

2011年7月14日木曜日

リーダーは怒鳴らない


こんにちは

ぼくも管理職級になったんで、そういう眼で周囲を観察するようになりました。
何人かのチームを率いていくには、どういう行動をとればいいかを観察しているんです。
リーダーの役割は、メンバーにいい仕事をしてもらって、チームとして成果をあげることだと思います。
別にリーダー自身が成果をあげる必要もない。
メンバーが活躍して、チームの成果があがれば、それがリーダーの成果になるんだと思うわけです。

時々、リーダーである人が部下を怒鳴りつけている場面に出くわします。
怒鳴られて、その部下はある作業をやる。
でもそれがリーダーの意に沿わないらしく、また怒鳴られる。
部下はオロオロしてしまって、またへんてこな作業をしてしまう。
またまたリーダーは怒りまくる。

うーん。
確かにその部下も能力が足りないかもしれませんよ。
が、怒鳴られ続けているので、萎縮しちゃっている可能性も高い。
人は萎縮してしまうと、うまく考えられなくなります。
考えられない人間は、誰かの指示・命令でしか動けなくなります。
考えられないのですから、指示・命令も的確かつ単純でなければなりません。
複雑な指示、意図がすぐにはわからないような命令に対して、うまく行動に繋げられなくなるのです。
部下が自分の意図に沿った行動をしないと怒っている上司は、指示もあいまいなんですよ。

人間というのは、ご機嫌なときにその能力が十分発揮され、さらに能力を向上させるものだと思います。
だから怒鳴られ続け、萎縮してしまい、自ら考えられなくなってしまうと、その人が本来持っている能力さえ十分に発揮することができなくなってしまう。
もちろん、能力をさらに向上させるなんてこともできません。
能力が発揮できなければ、仕事のパフォーマンスは落ち、チームの生産性を落とします。
結果的に、そのリーダーの価値も下がってしまうのです。
やたら部下を怒鳴りつける上司は、自らの首を絞めているとしか思えません。

と考えると、リーダーの役割が見えてきます。
メンバーにご機嫌になってもらうこと。
メンバーが仕事をしやすい環境を作ること。
部下たちがご機嫌で、頭の回転も早くなれば、必然的に成果も出ます。
いい仕事をすれば能力も向上します。
能力が向上すれば、ますますいい仕事ができるようになる。
チームの成果が上がり、結果的にリーダーの価値も上がるのです。

では、なぜ損なことなのにも関わらず、やたらに怒鳴るような上司がいるのでしょうか。
内田樹さんはこう言います。

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怒鳴りつけられたり、恫喝を加えられたりされると、知性の活動が好調になると
いう人間は存在しない。
だから、他人を怒鳴りつける人間は、目の前にいる人間の心身のパフォーマンス
を向上させることを願っていない。
彼はむしろ相手の状況認識や対応能力を低下させることをめざしている。
どうして、「そんなこと」をするのか。(略)
人間が目の前の相手の社会的能力を低下させることによって獲得できるものは一
つしかない。
それは「相対的な優位」である。
(内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/ '11.7.5)
###

そうなんです。
結局、怒鳴りつけたり、恫喝まがいのことを言うリーダーは、ただ単に「オレは偉いんだ」と言いたいだけなんですね。
怒鳴りつけているその部下に対して、自分の優位性を誇示している。
そのためだけに怒鳴っているんです。
さらに、人前でも平気で部下を怒鳴りつけている人は、それを見ている人たちにも「オレは偉い」ということを誇示したいんですね。
そんなご本人の意図にかかわらず、みっともないですなー。

たぶんそれは、そのリーダー自身のコンプレックスの裏返しなんでしょう。
その人は、自分の能力がそれほどでもないことに薄々気づいている。
表層心理ではわからなくても、深層心理では気づいているんです。
自信がないんです。
だから部下やメンバーからバカにされることを恐れているんです。
バカにされないためには、先手を打って相手をバカにしてしまうのが得策。
「相対的優位」を保つためにね。

そもそもリーダーとは何か。
それは、

 自分一人ではなしえない仕事を
  チーム全員の力を借りてなし得る人

なんだとぼくは思っています。
メンバーの力を借りる立場なんですよ。
だから「オレは偉い」なんて言ってる場合じゃないのです。
だって、誰がそんな嫌なやつのために力を貸すでしょうか。
自分を認めてくれ、やりやすい環境を作ってくれる人だから、協力していこうと思えるんです。

ぼくの周りを観察してみても、いい成果を出しているリーダー、出世していく人ほど、部下を理不尽に怒鳴りつけることはないです。
少なくとも人前で怒鳴ったりなんかは決してしない。
部下たち、メンバーたちにご機嫌に仕事をしてもらうこと。
それが一番自分のためにもなることを知っているからなんですね。
そしてその方が、部下やメンバー、そして周りの人たちからも、尊敬を集め、本当に偉い人だって思ってもらえるのです。
ぼくも見習おっと!

2011年7月13日水曜日

淡々と生きる


こんにちは

関口さんって、毎日美味しいお店をさがしまくってるのかと思いましたよ!

ぼくが毎日決まりきったものを自炊で食べているって話をした時です。
そうスタッフの一人に言われました。
ぼくは好奇心旺盛で個性的な人間のように見えるから、食べるものもあれこれ好奇心発揮しまくっていると思われていたんでしょう。
たしかに神戸は美味しいお店がたくさんありますからね。
でもそんなことをする財力はありませんよ。

ぼくの単身赴任での日々の暮らしは単調です。
ぼくは朝昼は食べない(野菜ジュースだけ)ので、夕食だけ。
その夕食はご飯は自分で炊いていますが、おかずは買ってきます。
メニューは毎週同じなんです。

月曜日=レトルトカレーとサラダ、火曜日=神戸水野屋のコロッケとサラダ、水曜日=王将の餃子とサラダ

いつも同じメニューって、らくちんなんですよ。
今晩何食べようか、って考えたり、悩んだりしなくてすむ。
メニューを考えることだって、けっこう頭に負担をかけるのです。
よく主婦のみなさんは、晩ご飯のメニューを考えるのが大変だと言います。
主婦が感じるストレスの大きなものが、このメニューを考えること。
それで亭主や子どもに「今晩なに食べたい?」と聞きます。
で、「なんでもいいよ」なーんて答えられると、ますますストレス。
実を言うと亭主の方も、女房から「なに食べたい?」と聞かれることがストレスになっているそうなんです。

だから主婦の方々も、日々のメニューを決めちゃえばいいのです。
月曜日はこれ、火曜日はこれってね。
毎週毎週同じでも、亭主や子どもはそれほど文句は言わないと思いますよ。
得意な定番メニューが10くらいもあれば、それを繰り返すだけでいいんです。
毎日毎日違うものを作ろうとするから迷うし、ストレスにもなるのです。

で、月に1回くらいは新しいメニューに挑戦してみる。
料理本を見て、家族が喜びそうなものを作ってみるんです。
美味しくて家族が喜んだのなら、それを定番メニューに加える。
ダメなら二度と作らない。
それでいいと思います。

さてさて、こんな感じなので、1日に使うお金は1000円以内で収まります。
1週間の生活費を1万円と決めていますが、楽に達成できますよ。
木曜日はコインランドリーに洗濯しに行くので、その待ち時間に銭湯に行ったり、外食したりします。
木曜だけは三宮近辺で安くて美味しい店を探して食べ歩きます。
ちょびっと贅沢するんです。と言っても1000円から2000円の範囲ですがね。
そして金曜日は家族の待つ家に帰ると。

というわけで、日々の暮らしはいたってシンプル。
淡々としたものです。
でもこうすると「疲れない」んですよ。
やっぱりいつもと違うことをするって、楽しいけど、疲れます。
旅行に行って家に帰ると、大抵の人は「あー疲れたー、やっぱり家がいいねー」と思います。
旅行は非日常ですから、心も体も疲れるんです。
時々非日常的なことをするのは楽しいことなんですが、普段はできませんよ。
心身がその負担に耐えられないんです。

内田樹『最終講義』技術評論社¥1580-にこうありました。

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ケーニヒスベルク大学で教えていた頃、イマヌエル・カントは毎日決まった時刻に決まった道筋を散歩していたそうです。
あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したという逸話が今日に伝えられています。
わが身を大哲学者に引き比べるのがまことに僭越至極であることは重々承知しておりますが、僕にはカントの気持ちがわかります。
「それ以外の条件をすべて同じにしておく」というのは、脳内でふっと未聞のアイディアが沸き上がってきたときに、それを取り逃さないために必須の心得だからです。
天文学者が彗星を探すときに、毎日、同じ時刻に、同じ方位の星座を撮した写真を重ねてみるのと同じで、「それ以外の条件が全て同じ」であるときにだけ、わずかな変化は検出できる。
知的な活動においても同じです。
昨日は脳内に存在しなかったアイディアをその萌芽状態においてとらえるためには、それ以外の生活条件を全部同じにしておくに如くはない。
規則正しい生活をするのが、脳内麻薬物質の大量分泌をもたらすためには、最も効果的なんです。(68p)
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なるほどなるほど。
毎日決まりきったことをすると、自分の中のわずかな変化も検知できるようになるんですね。
それは淡々とシンプルに生きることによって、心と体に余裕ができるからなんだと思います。
その余裕に新しいものが芽生えてくる。

規則正しく生きることが、逆に個性的になる王道なんですよ。
自分とは自分自身にとって最大のリソースであり、それは有限なもの。
人生は自分というリソースを最大限使って、輝かせるものだと思っています。
だから無駄に使ってはいけない。
淡々と生きると無駄を省くことができる。
その分、心身に余裕が生まれ新たなこと、自分にしかできないことができるようになるんです。
結果として個性的な仕事を残せるんだと思います。


神戸のアパートにようやく天井照明を取り付けました。
裸電球だけどね。
白熱球の寿命は1000時間。
早寝早起きして、2年間の単身赴任期間中の点灯時間は1000時間未満にするぞー。
ってケチなだけ??

2011年7月10日日曜日

集中力を維持せよ!


こんにちは

今日はITパスポート試験というのを受験してきました。
http://www.jitec.ipa.go.jp/
一応、国家試験です。
情報処理技術者試験の中で一番簡単なやつです。
それにしても情報処理技術者試験って、資格名称がコロコロ変わりますねー。
ま、日進月歩の分野だから仕方ないか。

ぼくは「平成の資格王」を目指していますから、毎年二つ三つ何らかの資格試験にチャレンジし、そのうち一つか、よく行って二つ合格するということを、もう20年も続けています。
保有資格も60を超えたくらいまでは把握していましたが、今やいくつ持っているのかも分からなくなってしまいました。
今年も最低ひとつは合格しておきたいので、安全パイとしてITパスポート試験を受験したわけです。

情報処理推進機構のHPにもう模範解答が掲載されていました。
さっそく採点したところ、100問中84問正解。
今日の試験もまずまずの出来でしたねー。
なかなかやるじゃん、オレ。
今年もひとつ資格が増えること、確定!

はっきり言って、今のぼくにとってこの資格を取っても何のメリットもありません。
この試験のための勉強をしても、大きく知識や技能が上がるわけでもありません(少しは面白いネタを仕入れられましたが)。
もちろん、お給料が上がることもまったくない。
でも、受験する意義はあるんですよ。

一番は、集中力の維持です。
社会人になると、集中力ってなかなか鍛えられないんですよ。
みなさんも職場にいるおじさんたちを観察してみてください。
集中して仕事をしている人って、ほんといないでしょ。
すぐタバコ吸いに行ったり、ひんぱんにお茶飲んだり、それでトイレにばっかり行っていたり。
ひどいおじさんは、一生懸命仕事をしている若いお姉ちゃんにどうでもいいくだらない話を話しかけて、仕事の邪魔してたりねー。

集中してやらなきゃならないほどの仕事がないっていうのもあるんだけど、おじさんたち、やっぱり集中力が衰えているんだと思います。
集中力を鍛える機会が、仕事ではなかなかないからです。
学生時代、かなり集中力があった人でも、社会人を10年、20年とのんべんだらりと続けているうちに、集中力は衰えてしまうのです。
集中力が衰えると、テキパキと仕事をこなすこともできなくなる。
なんとなく毎日ダラダラと残業しているおじさんは、きっとこういう状態になってしまっているんですよ。

学生時代はそれなりに集中力があったのは、しばしば試験を受けていたからです。
中間試験、期末試験、そして受験。
試験が集中力を鍛えるいいチャンスになっていたんです。
だから大人になっても試験を受けるのはいいことなんです。
試験時間中、集中して問題に取り組まなければならないからです。
今日の試験も、2時間半で100問解かなくちゃいけない。
集中せざるを得ません。
途中でだれてしまったら、時間内に全問完答することができないのです。
年に一度か二度、こういう経験を毎年続ける。
それによって、集中力を維持できるんだとぼくは思っているのです。

というわけで、今日もとっても爽やかな気分です!