2011年1月30日日曜日

熱い蒸気で冷たい水を作る2

こんにちは

こうして発電機のエンジン排気から熱回収して蒸気を作ります。
この蒸気をそのまま使って空調機の加湿に使ったり、暖房時の温水を作ったりもしています。
がメインは、スパコンを冷やす冷水を作ること。
スパコンは1万kW以上もの電力を使います。
その電力は熱になって排出されます。
スパコンから排出される熱をきちんと取り除いてやらないと、スパコンの温度はどんどん上昇してしまい、計算エラーを起こしたり、壊れたり、火を噴いたりしちゃうのです。
スパコンには空調機から16℃の冷たい空気を押し流ますが、その空気はスパコンの熱を取り去り、30℃の暖かい空気になって排出されるのです。
そしてまた温まった30℃の空気を空調機で冷やし、16℃の冷風にするのです。
空調機で16℃の冷風を作るために、10℃の冷水が必要なのです。

では、どうやって熱い蒸気で冷たい水を作るか、説明いたしましょう。
冷たい水は「吸収式冷凍機」で作ります。
吸収式冷凍機の冷媒は「水」。
水を蒸発させ、その蒸発潜熱を奪うことによって冷やすのです。
水の蒸発潜熱は540kcal/kgもありますから、少ない水を蒸発させればたくさんの冷水を作れるのです。

まず「蒸発器」という容器に水を入れます。




でも常温(20℃)くらいでは水はあまり蒸発しません。
蒸発しなければ蒸発潜熱をたくさん奪うことができません。
そこで、蒸発器に真空ポンプを接続し、蒸発器内部の圧力を下げてやります。
どんどんと圧力を下げていくと、常温程度の温度でも沸騰し始めます。
沸騰とはたくさん蒸発している状態ですから、蒸発潜熱もたくさん奪い、水の温度は下がっていきます。
そこで蒸発器の内部に冷水パイプを通せば、パイプの中の水を冷やすことができます。




蒸発器の中で水が蒸発すれば、蒸発器の中は水蒸気で満たされ、圧力が上がってしまいます。
圧力が上がれば常温で沸騰しなくなり、それ以上温度が下がらなくなり、継続して冷水を作ることができなくなってしまいます。
蒸発器の中の圧力を低く保つために真空ポンプをガンガン運転しなければなりませんが、それだとたくさんのエネルギーを消費してしまいます。

そこで、発生した蒸気をパイプで「吸収器」へと導きます。
吸収器の中には「臭化リチウム溶液」が満たされています。これを吸収剤と言います。




臭化リチウム溶液は、水蒸気を溶け込ませ、吸収する性質があります。
蒸発器からやってきた水蒸気は、臭化リチウム溶液にどんどん溶け込んでいきます。
そのため蒸発器で発生した水蒸気は、どんどんとパイプを伝わって吸収器に引っぱられていきます。
こうなれば真空ポンプを停止しても大丈夫。
蒸発器の圧力は低いままに保たれ、沸騰も継続し、冷水も作られ続けます。

が、臭化リチウム溶液も無尽蔵に水蒸気を吸収しつづけることはできません。
やがては水蒸気によって薄まってしまい、水蒸気を吸収できなくなってしまうのです。
そこで、薄まった臭化リチウム溶液をパイプで「再生器」に導きます。






ここでようやくコジェネレーション設備で作った熱い蒸気が必要になります。
再生器の中の薄まった臭化リチウム溶液を、熱い蒸気で温めるのです。




臭化リチウム自体は温められても蒸発しにくい物質です。
よって、水だけが蒸発していき、臭化リチウム溶液は再び濃い溶液となります。
濃くなった臭化リチウム溶液は、再びパイプを通じて吸収器へと戻されます。




こうして吸収器では蒸発器からやってくる水蒸気を吸収し続けることができるわけです。
ここで使われたコジェネからの熱い蒸気は、温度が下がって再びコジェネへと戻されます。

再生器で蒸発した水は、またパイプで「凝縮器」へと導かれていきます。




ここには冷却水が流れており、やってきた蒸気は冷やされて水になります。
この水は再びパイプを通じて蒸発器へと戻されるのです。




以上で吸収式冷凍機の「サイクル」は完成です。
水が蒸発したり凝縮したりを繰り返し、冷水の製造が続けられるというわけなのです。
スバラシイでしょー。

え?凝縮器で使った冷却水はどこへ行くかって?
スパコンを冷やした熱は最終的に冷却水に渡され、冷却水は屋上に設置した冷却塔で蒸発して大気へと逃がされます。
そのためスパコン施設では大量の冷却水が必要となります。
スパコンがフル稼働するとき、毎日1000t以上の冷却水が冷却塔から蒸発していくのです。
スパコン施設の場合、この冷却水は淀川から引いてきた安価な工業用水を利用しているのです。

最終的に冷却水の温度は35℃になっています。
ここまで温度が低いと、この熱をさらに回収することは難しい。
でも、暖房のための予熱程度には使えそうです。
スパコンプロジェクトが上手く行けば、全国、全世界から研究者が集まってくるでしょう。
その人たちのためにさらに近隣の土地に研究棟を建設することになるかもしれません。
そのときには、冷却水から熱を回収して暖房に使って、さらに総合熱効率を上げたいなー、って夢見ています。
そのためには、スパコンプロジェクトを成功させなくちゃね!
ぼくもぼくのできること、得意とすることで貢献していきたいと思っています。

熱い蒸気で冷たい水を作る1


こんにちは

先週末は神戸スパコン施設に建設していたコジェネレーション発電設備の完成検査。
2台の合計出力1万kWのれっきとした火力発電所です。
今回選定したシステムは、スパコンを安定的に稼働させるためわざわざ最新鋭のものは避けました。
稼働実績が豊富であり、既にシステムとしてのトラブルが解決されている機種。
世界で100台以上が稼働中であるものにしました。
最新鋭のものはやっぱりトラブルも多く、安定運転するまで時間もかかります。
目的はスパコン世界一。そのためのインフラ設備です。
こなれた設備の方がいいんです。
一世代旧型の設備だと言っても、これまでに改良が加えられており効率もよくなってきている。
その上、最新鋭の機種より安価ですしね。一挙両得なんです。

検査のはじめに我が部長に「この施設は関口君が中心になって作ったんです」と言ってもらえたので、ぼくは担当理事に張り付いて解説。
完成検査時も、運転員の教育訓練のために発電していました。
ちょうど1号機から2号機への切り替え中で、かっこいいところも偉い方々にご覧いただけました。
こうして無事、完成検査も終了。
工期ほぼ2年間にわたって努力してくれた、スタッフの皆さんに感謝ですね。

コ・ジェネレーションの名の通り、二つのエネルギーを発生させます。
一つは当然ながら電力、もう一つは熱です。
燃料を燃やして発電用タービンを回転させます。
タービンエンジンから排気が出ますが、その排気は600℃もの温度を持っています。
これを排気として大気に捨ててしまってはもったいない。
まだまだ活用できる高い温度ですから、これを利用します。
タービンエンジンからの排気をボイラーに導き、お湯を沸騰させ、蒸気を作るんです。

エンジンなど熱機関は「エネルギー効率」でその性能を測ります。
もともとの燃料が持っているエネルギーを使って、どれだけの出力エネルギーに変換することができるか。
たとえば、自動車に使われているガソリンエンジンのエネルギー効率は15%くらいしかありません。
ガソリンの持つエネルギーのうち、15%しか自動車を動かす出力になっていないのです。
電力会社の火力発電所はどうでしょうか。
最新鋭の火力発電所でも59%、火力発電所平均で48%に留まります。
それに比べて我がコジェネレーション設備は最大80%近くの効率です。
すごいでしょー。
なぜこんなに効率が高いかと言えば、エンジン排気の熱を回収するからです。

電気は電線で遠くまで運べますが、熱を遠くまで運ぶのはとても難しい。
太いパイプを延々と張り巡らせるにはお金がかかりますし、熱を運んでいるうちにどんどん放熱してしまい、ロスが大きいのです。
だから電力会社の火力発電所は、もったいないけど排気を大気へ捨ててしまっているんです。
我がスパコン施設はすぐ隣にスパコンがいます。
スパコンを冷やすために、排気から回収した熱で作った蒸気を使うんです。
だからエネルギー効率を高くできるのです。
エネルギー効率が高いということは、使う燃料も節約でき、CO2の発生も少なくてすむということでもある。
ぼくはCO2地球温暖化説は信じてはいませんが、近い将来に予定されているCO2排出権取引のときも有利になるかもしれません。

ところで、タービンエンジンから排気される熱を回収して蒸気を作り、スパコンを冷やすための冷水を作る、と書きました。
蒸気は当然ながら100℃以上、冷水は10℃以下の冷たい水。
熱い蒸気で温水を作るなら誰でも分かると思いますが、なぜ熱い蒸気で冷たい水が作れるのか、不思議に思う方もいるかもしれません。
実は、このコジェネレーション設備の予算をいただくときに、ぼくも文部科学省の担当部署におじゃまして説明したんですよ。
役所の方も、なぜ蒸気で冷水が作れるのか疑問に思っていたそうなんです。
ぼくの説明を聞いて「おー、なるほどねー。すごくよく分かりました」って言ってくれました。
おかげで、予算も付けてくれたってわけです。

次回、蒸気で冷水を作る仕組みについて書いてみたいと思います。
お楽しみに!


写真はそのコジェネレーション設備。
狭い場所にデカイものを設置したんで、その全容を撮影することができません。。。

2011年1月27日木曜日

人の器


こんにちは

ぼくも若いときはコマネズミのように仕事をしていました。
勤務時間めいっぱい、勤務時間を超えてもがむしゃらに仕事をするのが「善」だと思っていました。
残業も毎月100時間なんてやってましたよー。
若かったねー。
でも最近はそうじゃありません。
もちろん勤務時間中はけっこう集中してがむしゃらにやっていますが、定時には退勤です。
だから端から見たら、暇そうに見えるかもしれません。
でも、あえて暇そうにしているのです。

ぼくの仕事(今や、そのひとつ)は電気設備技術者です。
電力会社から供給される高い電圧を、100Vや200Vの低い電圧に変換する変圧器という機器があります。
変圧器の容量は、使用する電力を推計して決定します。
電気工学では「需要率」という概念があります。
需要率とは、

 最大使用電力÷変圧器容量

で定義されます。
たとえば最大使用電力が80kWで変圧器容量が100kWのとき、需要率は80÷100=0.8ということになります。
需要率が0.2とか0.4とかあまりに小さい値になるということは、使用電力に対して変圧器容量が大きすぎることになります。
それは無駄。
逆に、需要率が0.95とか0.99とか1に近い値になると、変圧器の無駄はなくなりますが、余裕がなくなってしまい、推計が大きくはずれたとき、将来使用電力が増えたときに対応できなくなってしまいます。
ですから、需要率が0.6~0.8くらいになるように変圧器容量を設計するのが、電気技術者の腕なんです。
要するに、需要率とは「余裕」のあるなしを判断するための指標なんです。

仕事でも同じなんじゃないかって思います。
常に余力を残しておき、不測の事態に備える、新たな仕事に取り組むことができるようにしておく。
もちろん若いときは、がむしゃらにやる時期がないとダメでしょう。
がむしゃらにやらないと、自分の限界を知ることができないからです。
限界を知るからこそ、限界を広げることもできる。

でも、ぼくくらいの年代(中年^^;)になったら、需要率を考えて自分の仕事をデザインしなくちゃって思うのです。
ぼくの周りの同年代、年上のおじさんたちを観察すると、忙しそうにしている人はたいした仕事はしていないようです。
忙しそうにすることによって、仕事をさぼっていないことをアピールしているようにも見えます。
あるいは、忙しいからよけいな仕事は持ってくるな、とブロックしているのか。
あんまり暇なのもいやですが、中堅といわれる年代になっても忙しそうにしているのもかっこ悪いなって思うのです。

テリー伊藤『テリー伊藤の遊びベタのための成功法則』青春出版\1300-から引用します。

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最近すごく思うようになったのは、腹八分って言葉あるじゃない。
同じように仕事八部って言うスタンスも大事だっていうこと。
そんなふうに言うと、「一生懸命にならないのは手抜きじゃないか」って思うかもしれないけど、そうじゃなくて、二分はホントに大事なときのために余力として取って おくんです。(略)
一所懸命働くために、20%の力を残しておく。いつも全開じゃヘロヘロになっちゃうよ。(135-136p)
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ぼくも50歳になりました。
まー、体力の問題もあるかもしれません。
がむしゃらにはできなくなる年代というのも事実でしょう。
でも、だからこそ余力を残しておき、いざというときに瞬発力を発揮できるようにする。
新しいことを始められるだけの準備をしておく。
それが人間の器というものでしょう。

そして人間の器は努力(知識と経験)によって大きくなり得るものです。
努力によって少しでも器を大きくしていくのがよい。
最近の脳科学の研究によると、脳細胞は一生涯増え続けますし、脳細胞同士を接続するシナプスは増えていくことが分かっています。
もう歳だから、と言って努力を怠ると、器は大きくなりませんし、逆に小さくなってしまうのです。

時々、ちょっとしたことで怒り出すおじさんがいますよね。
大したことがないことにもイライラしてしまう。
こういう人を「器が小さい」と言うのです。
変圧器で言えば、常に容量いっぱい、ギリギリ運転をしている状態です。
ギリギリ運転をしているので、ちょっとした負荷が加わるだけで容量オーバー。
警報がチンチン鳴り響きます。

内田樹/春日武彦『健全な肉体に狂気は宿る』角川oneテーマ21¥724-にこうありました。

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大きな器があって、その縁ギリギリまで水が入っているときには、一滴の水が落ちた途端あふれますよね。確かに最後の一滴のせいで水はあふれてカタストロフが到来したわけですけれども、この器があふれたのは、別に最後の一滴が「原因」じゃないですよね。
それまでにたまりにたまった水があったからこそあふれたわけで、最後の一滴がこぼれる前に、おちょこ一杯分でもいいから、ちょっと掬い出しておけば、この一滴が落ちても水はあふれなかった。
ほとんどの場合、人間の遭遇する不幸というのは、どうでもいいようなファクターの累積が劇的な出力を結果するというかたちのものなんです。
極端な話、「最後の一滴」が加わる前に、いつでもおちょこ一杯分ずつ汲み出し作業をしている人の身には決して劇的な不幸は訪れない。
いつでも顕在化する一歩手前で処理されているから。でも、そういうふうに考える人はほんとうに少ない。(内田、143p)
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変圧器も容量ギリギリになったら、一部の負荷を別の変圧器に移設したり、変圧器容量を大きいものに交換したり、あるいは増設したりするなど、メンテナンスは欠かせません。
容量オーバーで使うと、故障や事故の原因になりますからね。
人の器もメンテナンスが重要です。
容量オーバーにならないように、常に負荷が一度にかからないようにスケジューリングする。
そして自分の器を少しでも大きくするように、努力、つまり知識の獲得と意図的な経験を積み続ける。
ぼくも器の大きな人間になりたいですねー。


写真は和光に建設中の脳神経回路遺伝学棟のエントランス。
いいでしょ~!

生命保険を止めてみた


こんにちは

昨日は振替休日だったので、我が家の懸案事項をひとつ処理しました。
それは、ぼくの生命保険を解約することです。
たいした保険じゃありませんが、毎月7000円の掛け金。
それでも年間84000円、契約期間10年間で84万円にもなります。
少なくない金額です。
生命保険の掛け金分で、毎年1回家族旅行ができちゃいますよ。
その方が心と体の健康にいいかも?って思ったんです。
最近読んだ『40歳の教科書』講談社¥838-という本でも、経済アナリストの山崎元さんがこう言っているんです。

 合理的に考えて、生命保険と縁を切るだけで日本人の生活はずいぶん楽になる、
 というのが私の持論なのですが、なかなか理解してもらえないようです。
                 「感情を切り離して真実を見抜く力を」

この本を読んで踏ん切れました。
保険とは、万が一の不幸に対してのリスク回避です。
生命保険ですから、死亡や病気に対するリスク回避。
リスク回避の方法は、保険だけじゃありませんよね。
死ぬような可能性のあることをしない、場所に行かない。
病気になるような働き方をしない、無茶をしない。
自分でコントロールできるリスク回避はもっとたくさんあるんです。

内田樹/春日武彦『健全な肉体に狂気は宿る』角川oneテーマ21¥724-にこうありました。

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ぼくが運転免許を取って初めて車を買おうと思ったときに、友人のディーラーに相談したんです。
運転が下手であちこちぶるけるかもしれないから、中古車を買おうと思って。
でも、友人は絶対にピカピカの新車を買わなきゃ駄目だと言うんです。

「ぶつけても大丈夫なようにという理由で中古車を買ったら、必ずぶつけるぞ。
 だって、ぶつけないと中古車を買った意味がないから」

って。
これは名言だなあと思いましたね。
これから起こりそうな嫌な事態を予測してあらかじめ手を打っておいた場合、手を打ったことが正しかったと証明するためには、嫌なことに起こってもらう方がいい。(内田、44p)
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これと同じことが生命保険にも言えるんじゃないでしょうか。
生命保険に入っているがために必要なリスク回避をしなくなる。
万が一死んだり病気になっても保険があるから大丈夫って思ってしまう。
もっと言えば、「保険のモトをとるために死んでしまえ、病気になってしまえ」という気持ち。
もちろんそんな考えをする人はいないとしても、深層心理ではそう思ってしまう可能性が高い。
少なくとも気が緩む。
そしてわざわざ自ら危険なことをし、嫌なことを起こすように行動してしまう。
それは恐ろしいことです。

保険会社に出向いて解約手続きをしたら、サッパリとした気持ちになれました。
また一つ自由を手に入れたような気分です。
これからはより自分で自分をコントロールしなくちゃいけない。
つまり自由は自律が前提なんですね。
そういうことがはっきり分かりました。
死なないように、健康を害さないように、子どもが自活できるまで元気に働き続けられるように、孫の顔まで見られるだけ長生きできるように。

2011年1月26日水曜日

借金は恐い。。。

こんにちは

幸いにして我が家は借金、ローンを抱えていません。
小心者のぼくは、借金、ローンなんかしちゃうと、それだけで脳前頭前野のワーキングメモリを一つ二つ消費してしまい、頭の回転が鈍くなりそうです。
借金、ローンがないというだけで、ずいぶんと「自由」な気分になれた気がします。

借金をしたときに、その利子によって借りたお金の2倍になるまでの期間を、ざっくりと計算する方法があります。
それは、

 70÷利子(%)

を計算すればよいのです。
たとえば、住宅ローンで固定金利3%で3000万円借りるとします。
3000万円なら、家を建てる場合ごくごく一般的な借入金額ですよね。
何年でそれが2倍の6000万円になるでしょうか。
上の公式にあてはめると、

 70÷3=23.3年

という結果になります。
まあこれは全額一括返済の場合ですから、毎月少しずつ返済していくなら返済額も減ります。
それについてはあとで書きます。

逆に、銀行に定期預金したとき、何年貯金しておくと倍になるかも計算できます。
1000万円以上を長期の定期預金とした場合、今の金利は0.25%くらいです。
公式にあてはめると、

 70÷0.25=280年

2倍に増えるのに300年近い時間がかかるというわけです。
これが普通預金(年利0.001%)だと、

 70÷0.001=70000年

7万年ですよ!気が遠くなりますね。

20年くらい前、バブル景気だったときの金利は6%くらいもありました。
その時なら、

 70÷6=11.7年

で貯金額は倍になったわけです。
その代わり、物価上昇率もそれ以上だったんですが。

次に、消費者金融から借金したときのことを計算してみます。
テレビでコマーシャルを流しているような大手消費者金融の年利は、15%~28%くらいのようです。
最低の15%で計算すると、

 70÷15=4.7年

となります。
放っておけば、5年しないうちに倍にふくれるわけです。
15%の金利で借りられる人は、何度もその消費者金融から借りて、高い金利にもかかわらずちゃんと返済して「信用」ができた人だけです。
初めて借りる人や信用がない人は、28%で借りることになります。すると、

 70÷28=2.5年

たった2年半です。うかうかしていられませんね。
信用がない人ほどひどい条件で借りることになるのです。
これではローン破産も必然ですよ。

消費者金融の中には、無認可で月に10%や20%の金利を取るところもあるそうです。
いわゆる闇金。
月利20%とすると、

 70÷20=3.5ヶ月

たったの3ヶ月半で倍になってしまうのです。恐ろしいですね。。。
だから、ごく普通のサラリーマンは絶対に手を出してはいけないのです。

これまでの議論は、借金して最後に一括返済する場合の話でした。
実際は住宅ローンなど毎月、コツコツと少しずつ返済していくわけです。
サラリーマンなら返済は給料の「手取り額」の中から工面していかなければなりません。

借金の返済のために、いったいいくら稼がねばならないのか、たわむれに計算してみます。
たとえば住宅購入のために3000万円を30年ローンで銀行から借りるとします。
当然ながら3000万円返せばいいわけじゃない。利子が付きます。

固定金利で3%とすると、総返済額は4500万円にもなるそうです。
返済額の計算法はぼくにはよくわかりませんが、三井住友銀行のホームページで計算してもらいました。
http://www.smbc.co.jp/kojin/jutaku_loan/ganri_sim.html

4500万円は「返済額」です。
これだけ返済するにはいくら稼がなくちゃいけないかです。

給料には当然税金がかかってきます。
税金だけじゃなく、社会保険料や年金など「税金もどき」のものもかかってきます。
これら税金などの合計の割合は、大卒40代一流企業のサラリーマンの平均的な年収900万とすると、なんと給料額面の43%にもなるそうです。
返済期間ずっとこの税率と仮定すると、4500万円返済するために稼がねばならない税込み収入Xは、

 X-0.43X=4500、
  0.53X=4500、

   ∴X=4500÷0.53=8490万円!

なんと、3000万円の借金のためにその3倍近い金額を稼がねばならないのです。
高収入の人ほど税金などの率が高くなるので、それだけ馬車馬のように働かねばならなくなってしまうのです。
これでは借金のために人生を消費してしまっているようですね。
改めて借金って恐いって思いました。



借金が2倍になるまでの期間の計算法は、友達のおーくらちゃんから教えてもらいました。
理屈は以下の通り。

年利x%で1年借りると元金の1+e倍になったとします。(つまり、x=100*e)
2倍になるまでの年をn年とすると(冪を「^」で表します)、

(1+e)^n=2

両辺の対数(自然対数)をとると、

n*ln(1+e)=ln2

ここで、

ln(1+e)=e-e^2/2+e^3/3-....
ln2=0.693....

なので、0<<1として

ne=0.693
すなわち、
n=0.693/e

x=100eだから、

n=69.3/x

2011年1月25日火曜日

試験を楽しめ!



こんにちは

今週末は神戸スパコン施設に設置してきたコジェネレーション発電設備工事の完成試験です。
火力発電所ですよ、れっきとした。
この発電所で作った電気と、排気の排熱から作る蒸気で得られる冷水を使って、スーパーコンピュータを動かすんです。
先週末出来具合をチェックしたのですが、なかなかよい出来です。
ワクワクしますねー。

ぼくは発注者側の監督員ですので、実際に施工をしたわけじゃありません。
でも工事の出来不出来は監督にも大きく左右されるものだと思っています。
野球だって、優勝したチームは選手だけでなく、監督も褒め称えられるじゃないですか。
選手よりむしろ監督の方が評価されたりします。
今週末の完成検査で、いい結果を出せれば嬉しいですね。

ぼくは試験というものは本来楽しいものだと考えています。
それは自分の有能さを確認したりアピールしたりできるチャンスですから。
逆に、自分の有能さを確認したりアピールするために試験を「利用する」と言った方がいいかもしれません。

子どもの頃から学校でたくさんの試験を課されます。
この試験をただただ受け身で受けていたのではいけません。
試験で悪い点数ばかりとっていたら、試験はツライものにしかなりません。
だから試験はいい点数をとるために受験するのです。
つまり試験の日までにいい点数を取れるように自分を持っていくことが大事です。
積極的に試験を利用するんです。

時に悪い点数を取ることもあるかもしれません。
いつもじゃなく時にだったらそれほどへこみません。
むしろ、「自分の弱点を教えてくれてありがとう」という気持ちになれます。
次への目標を与えてくれます。
だから悪い点数だって役に立つ。
いい点数を取るにも悪い点数を取るにも、とにかく試験を受けなくちゃ。

日垣隆『父親のすすめ』文春新書\710-から引用します。

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仕事を仕事として成立させる二つの要素は「依頼」と「締め切り」です。(略)
仕事の前段階として宿題や試験がある、という事実をここでしっかり確認しておきましょう。
宿題には「締め切り」があり、試験は「一定範囲の課題をインプットして特定期日にアウトプットして評価を受ける」という、ほとんど「仕事」の一歩手前の内実をもっているのです。
学生時代の試験を莫迦にしてはいけない理由も、ここにあります。
試験突破力は、総じて仕事能力の基礎になるからです。(124p)
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そう、試験や受験はただ自分が試されるものじゃないんですよ。
誰かに試されていると思うから、緊張するしツライ。
試験も自分を高めるための一つの「仕組み」なんだと思うことが大事。
それは将来仕事に就いたときに必ず役に立つスキルとなっていくんです。

日垣さんはこうも言います。

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成功体験は、絶対的にあったほうがいいことだからです。
それは、小さな努力が報われる、という体験です。
この成功体験が積み重ねられてゆかないと、「だめな自分」という思い込みから脱することができません。
「だめでない自分」をイメージすることができず、したがって脱出法がまるでわからない。
小さな成功体験が積み重ねられないと、自分を含めた能力の数々は、すべて所与のもの妥当誤解から自由になることができません。
「あの子は頭が良い」から何かができるのだと思い込み、「自分は頭が悪い」から勉強もできないのだ、と本気で信じ始めてしまいます。
頭が良い悪いというのは、もちろん学校ごときの成績や点数とはストレートに比例しません。
周りを見渡してみれば、すぐに気づくでしょう。
頭の良さは一般に、「未知のものに対する判断の的確さと速さ」として表現されます。
既知を相手にする学校の勉強とは違う。
けれども、学校での勉強が必要ないかと言うと、天才でないかぎり、そんなことは絶対にありません。
未知のものに対する判断力を鍛えるには、既知のもので訓練するほかないからです。
学校での勉強、とりわけ定期試験や受験は、この点で重要な役割を担っています。
おおむね20代前半までは一人前として通用しないとされる近代社会のなかで、試験は、成功体験を着実に育む貴重な教育装置だからです。(163-164p)
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中学校や高校の定期テストなどは試験範囲が明確ですから、その部分をきっちり勉強すれば必ずいい点数をとれるものです。
努力をすれば必ず報われるのが、定期テストです。
こういった小さな努力と成功を積み重ねていく。
それが自信を生み出し、より困難なものへチャレンジしていく準備になっていく。
そういった努力と成功の積み重ねは、社会人になっても役立つんですよ。
こういう便利で有効な「教育装置」を活用しなくちゃいけません。

積極的に活用するには、待っていてはダメ。
常に予習を怠らず、先取りし、前倒しで取り組んでいく。
宿題や試験はそうやって活かしていくものですし、そうやって楽しくしていくものなんです。
受け身じゃいけません。
学生時代にそういった訓練を続けて、小さな自信を積み重ねて、自分で自分を褒められるような人間になる。
そういう人になれば、就職氷河期も関係ありませんよ。
必ず必要としてくれる会社があるし、その中でも楽しく活躍できるようになれるはずです。
だから、試験を楽しめ、なんです。

そして来週は播磨研究所の会計検査です。
ぼくも試験が続きます。
積極的に楽しんでいきたいと思います!


写真は和光キャンパスに建設中の脳神経回路遺伝学研究棟。
なかなかいい感じに仕上がってきました!

2011年1月24日月曜日

節約を学ぶ



こんにちは

毎週土曜日、我が子たちにお小遣いをあげています。
1週間お手伝いを休まずしっかりやって、がんばれたらあげています。
金額は200円。100円玉2枚ですね。
ぼくのお財布に小銭があまっていたら、ついでに1年玉、5円玉、10円玉をプラスすることもあります。
こうすると、それぞれのコインの価値の違いや、数字の違いも分かってきますしね。
先日貯金箱も買ってあげたので、お小遣いをもらうとすぐ貯金箱に投入。
必要なときに、必要なだけその貯金箱からお金を出して買い物に行く。
貯金額>散財額になっていて、ふたりとも貯金箱には1000円以上が貯まっています。

昨日は西友高野台店でお買い物。
子どもたちは「何か買いたい」と言う。
でもその時はお小遣いを持っていきませんでした。
ぼくは「じゃあお金は貸してあげるから、あとで貯金箱から返してね」と言いました。
つまり、<親が買ってあげる>ということは止めたんです。卒業です。
あくまで欲しいものは自分のお小遣いで買う。
その代わり、自分のお小遣いで買うものについては親はつべこべ口を出さない。よっぽどじゃなきゃね。
それによって、自分でお金の使い方を考え、無駄遣いに歯止めがかかることを親は期待しているわけです。

で、昨日はさすがに溌貴君は100円のお菓子一つでがまんしました。
峻貴君はまだお金の価値が分からないらしく、欲しいものをどんどこ買い物かごに入れる。
結果、500円のお買い物!
ま、これも経験ですからね、そのまま許容しました。
とは言え、この程度の買い物で満足したのも幼児らしくてかわいいですなー。
家に帰ってすぐ、「はい、さっきのお買い物のお金、返しなさいー」と言って、貯金箱から返金させました。
こういうとき、100円玉、500円玉がどれかも分かってきたりしますから、勉強にもなりますね。
桁の大きい数字もよく読むチャンスにもなります。

我が家では<離婚貯金>なんてのをやっています。
毎月お給料日に晶ちゃんの定期預金に強制的に天引きで貯金しちゃう。
そのお金は手を付けない。
たとえ離婚しても数年は生きていける金額をストックしておくことが目的。
離婚したくなるほど嫌な相手と経済的理由で離れられないなんて、アンハッピーじゃないですか。
離婚貯金がたっぷりあれば、慰謝料とかで離婚後もめなくてもすみますしね。
嫌で別れた相手と離婚後にまで会って、お金のことで何度も話し合わなきゃいけないってのもアンハッピーですよ。
もちろん離婚しないに越したことはなく、離婚しないための努力を双方がしていくことが前提です。
めでたく離婚しないですんだら、そのお金を家族のために使うんです。

その話を友人たちにすると「私もさっそく始めます!」「男にとってはコワイ話しですね」などなど大反響がありました。
ある女性の方から、「友人が証券会社の支店長をしていた時の話です。子供が中学生になった頃、子どもの進学の為に、時給800円のスーパーのレジがイヤで、証券会社の歩合給のセールスレディに応募してくる仏文、英文卒の昔の才媛達がいました。元々頭が良いから仕事を直ぐに覚えて、年収600万円を超す婦人が多かったそうです。その年収600万円を超す婦人の全てが離婚したそうです。」という話を聞きました。
600万円というのは、離婚を経済的に成立させるためのメルクマールとなる金額なのかもしれません。
このくらい収入があれば、アパートの家賃を払って、金のかかる学齢期の子どもがいても十分やっていけますよね。家族での外食や旅行、自分のおしゃれなどの楽しみもケチらなくてもすみます。
共働きの男性はご注意を!
あはははは。

離婚に限らず目標とするお金を得るためには、株式投資や宝くじ、ギャンブルなどの方法もありますが、安全確実なのはやはり「貯金」です。
株式投資は始めるためにはある程度まとまったお金が必要ですし、安全確実に分散投資するためにはもっとお金が必要です。
宝くじやギャンブルは、当然ながら長期的に儲かることは絶対なく、楽しみ以上の意義はありません。
既に資本力がある人ならともかく、普通のサラリーマンのように身一つだけを資本に給料をもらう人間は、コツコツと貯金から始めるしかありません。

また、高い収入を得るためには人脈を得たり、資格試験の勉強するなど自己投資も必要です。
自己投資は「人生の貯金」といってもいいと思います。
人脈がある人はどんどん自然と人脈が広がっていってしまうようです。
人脈を得るにも資本というものがあるのですね。
人脈は、自分だけが利益を得るのでは広がっていきません。自分が相手にとって有用であり、相手が必要としてくれるなら、人脈も広がる。そういう人間にならなければならない。
そのためには、最初はコツコツと「人生の貯金」から始めなくてはならないのだと思います。
貯金と共通するものがあるように思います。
自己投資や人脈を広げるためには、ある程度先立つものも必要ですしね。

邱永漢『新・飯の食える経済学』知恵の森文庫\619-から引用します。

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貯金のことを英語ではsavingという。savingとは節約のことである。
つまり、貯金とは毎月の収入の中から余ったお金を残しておくことではなくて、毎月の生活費の中から節約をして強制的に、もしくは、はっきりした意志にもとづいて、残す金のことなのである。
したがって、貯金は消費に優先すべきものであって、そうとう強固な意志を持っているか、計画的に先取りするかしておかなければ、なかなか貯まってはくれないものである。
(略)
どんな大金持ちもいちばん最初に貯金からスタートしない人はいない。
貯金は、お金を大切にする人でないと、持続的に続けることはできないし、お金を大切にしない人で大金持ちになれる人は一人もいないからである。
財産づくりはまず貯蓄から始まる。その貯蓄は倹約から始まる。
したがって、倹約の精神のない人に金の貯まらないことは、歴代金づくりの名人たちの繰り返し強調しているとおりである。(61-63p)
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お金を貯めるには、1ヶ月生活して<余ったお金>を貯金しよう、というのではダメで、それでは一生お金は貯まりません。
人間というのは、手元に現金があれば使ってしまいたい欲望に勝てないものなんです。
給料もらったら、強制的に先ずは貯金してしまう。
残ったお金で1ヶ月生活する。
もちろん生活が破綻して飯もろくに食えなくなっちゃうほど貯金はできませんが、何とかやりくり可能な金額を割り出してみることです。
たとえば離婚という目標を立てたなら、亭主に気づかれない程度に残飯でも食わせておけばいいのです!

ま、それはともかく、我が子たちにも節約・倹約の大切さを教えたい。
そのためにお金のコントロールを覚え、貯金もさせたい。
溌貴君が1年生になったら、お小遣いも月給制にする予定です。
1年生だから毎月1000円にしようと思います。
今の毎週200円より多くなります。
このお金を1ヶ月自分でコントロールするんです。
できるかなー。
とっても楽しみです!

2011年1月18日火曜日

スケジュール管理は手帳から


こんにちは

エンジニアは時間厳守が鉄則です。
期限通りに約束通りの品質でモノを造ったり、コトを成し遂げる。
それが一流のエンジニア。
ぼくもエンジニアの端くれなので、まだまだ完全にはできませんが、時間厳守をキモにして日々努力しています。

スケジュール管理にぼくはごく普通の紙の手帳を使っています。
尻ポケットに入るサイズで、どこへ行くにも持ち歩いています。
仕事の時はもちろん、プライベートな時でも持ち歩きます。
そしてしょっちゅう手帳を眺めます。
気がついたことがあったら、即メモします。
予定が変わったりしてぽっかり時間が空いたときは、手帳をめくって見ます。
前倒しでできることはないか探し、空いた時間に作業できることをやってしまう。
こうすると将来の時間に余裕が生まれ、締め切りを守れる可能性も高まります。

ぼくの昔の部下で、仕事の締め切り日をしばしば守れない奴がいました。
どうしてなのかと思って、彼の手帳を見せてもらいました。
あら、ビックリ。手帳の使い方がまるでなってないんですね。

スケジュール管理は「技術」です。
エンジニアリングなんです。
手帳はスケジュール管理のための道具(tool)です。
技術だから教えることが出来ます。
訓練によって身につけることが出来ます。

ぼくのやり方を紹介しましょう。

1.締め切り日の日付欄に書きこむ
当たり前のようですが、できてない人もいるんですよ。
ある部下は、ぼくが指示した日の日付欄に書いていました。
これではいつまでにやるべきか、分からなくなってしまいます。
締め切り日の欄に書き、そこに指示された日付と指示者名も書いておくのがい
いです。

2.公私を分けない
仕事が立て込んでいる時にある部下が「今日は早く帰らせて下さい。女房と約束があったんです」と突然言ってきました。
こんなに仕事が立て込んでるのにそりゃないよ~、ちゃんと残業してもらう約束もしてあったのに~、とぼくは思いました。
ま、ぼくとその他のスタッフでやりくりできそうだったし、プライベートも大切ですから帰ってもらいましたが。
実は彼の手帳は2冊あって、仕事用とプライベート用と分けてあったのです。
公私混同しないという意味ではいいのかもしれませんが、体はひとつです。
スケジュールは公私の兼ね合いを測らなければなりません。
だから、一つの手帳に仕事の予定もプライベートな予定も書き込んでいかないと、ダブルブッキングしてしまいます。
それに二つの手帳を管理していくのは、とても大変。
手帳管理に自分の能力を使いすぎてしまっては本末転倒、大損です。
ぼくは斎藤孝さんを真似て、同じ一つの手帳にプライベートな予定は緑のボールペンで書き込んでいます。
こうすると、公私の区別もはっきりわかります。

3.中間目標を設ける
ある部下は締め切り日間際になって青くなって仕事を始めました。
とても1日で終わるような仕事じゃありませんし、急いでやっても品質を確保できません。
時間がかかる大きな仕事の場合、中間の目標を立てなければいけません。
大きな仕事は小さく小分け(チャンク分け)して、それぞれに締め切りを決めるんです。
最終締め切り日をながめながら、中間目標の締め切り日を設定していきます。

4.作業時間を見込む
締め切り日だけ手帳に書いてあっても、他のスケジュールがどんどん埋まってしまい、実際に作業する時間が取れなくなってしまうこともしばしばあります。
特に会議は魔物です。
会議は時間が取られる上に、会議に出席しているだけで仕事をした気になってしまう。
会議はそれ自体では何も生み出さないのです。
作業するからアウトプットも生まれるのです。
よい仕事をするためには、まとまった作業時間の確保が必須です。
中間目標を達成するために必要な時間を割り出し、その時間帯を手帳に記入します。
その時間帯はその他の雑用は一切しない、緊急な仕事以外は絶対に割り込まさない気構えが必要です。
もちろん、緊急な仕事も入ってきてしまうことも想定して、作業時間には2割くらいの余裕を見込んでおくといいです。

5.自ら締め切り日を設定する
仕事の中には、締め切り日がはっきりないものもあります。
無能な上司に限って締め切り日を明確に言わなかったり、「なるべく早く」なんて曖昧な指示をしますしね。
ところがこういう仕事に限って実は重要度は高かったりします。
人間は怠惰ですから、締め切りがないとなかなかその仕事に取りかかろうとしません。
自分で締め切り日を設定して取り組む必要があります。
上司から突然「あれ、どうなった」と聞かれてもあたふたしない。
「もうできてますよ」と言えると、かっこいい。

以上がぼくのやっているスケジュール管理の技術です。
もっと良い「技」があったら、教えていただけると嬉しいです。

キャメル・ヤマモト『ムダな時間の充電力、バカな時間の開放力』講談社+α新書\880-から引用します。

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実行の敵は期限と時間
ビジョンやゴールが明確に描けても、実行を妨害する「敵」がまだ潜んでいる。
第一の敵は、「期限」だ。いつまでに、という期限の設定をおこなわないと、結局実現しない。
なぜかというと、期限があると初めて優先度が上がるからだ。
人は誰でも緊急度に従って仕事をする。
重要度では決してない。
わたしはこれを官僚時代にいやというほど学んだ。
すごく大切な仕事でも、緊急性がないと手がつかない。
常に緊急事件にじゃまされるのだ。
そのため、大切な長期的な問題に取り組む時間は永久にできない。
大切で長期的な問題が残り続けると、それが緊急度の高い小さな問題を生み出す温床となる。
その結果、緊急事態が増えて、緊急事態に対応する対症療法を繰り返す羽目に陥る。
そのうち、長期的な重要問題には、「引退後のライフワーク」というファイル名がついてお蔵入りする。
第二の敵は、使用予定時間だ。
いつまでに解決するかとか達成するかといった期限と合わせて、そのためにどれくらい時間を使うのかを想定し、スケジュール表に書き込むことが大切だ。
いくら期限を定めても、具体的に作業や思考をする時間を決めないと、決して実行されない。(187-188p)
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なるほど、なるほど。
長期的な重要問題ほど、自律的にスケジュール管理して取り組んでいかないといけないんですね。
そして、そのための作業時間をきっちりと確保する。
スケジュール管理がうまくできないと、緊急の用件という仕事に振り回されてしまいます。
仕事に振り回されて重要な仕事を後回しにしていると、たいして重要ではないけど緊急事態がますます増えてしまう、というのはホントだと思いました。


写真はSPring8キャンパスに建設中の相互利用施設。
むちゃくちゃタイトな設計・建設期間ですが、なんとかやり抜けそうになってきました。
楽しみ、楽しみ。
スタッフのみなさんにも感謝ですね。

2011年1月17日月曜日

終わりよければすべてよし


こんにちは

年度末完成の研究棟の清算処理がほぼ完了しました。
みんな年度末に完成するので、同時期に集中してしまいましたので、終わってホッとしましたよ。
研究棟の建設工事はなかなか設計図通りには造れないのです。
ひとつには建設中にも研究者の意見を聞くからです。
研究者だってこの建物で自分たちがやる研究がだんだん具体化してくるからね。
そういう意見も聞いておきたい。
完成してから使う人が過不足なく使えるものを造りたい。
そういう思いがあるので、工期とコストの範囲ではあるけれども意見を聞いて設計を変更する。

もう一つはどうしても設計図通りには造れないからです。
現実に設計図を施工図に描き直してみたり、具体的な部材を決めたりすると、設計図通りには造れないこともあるんです。
こういうとき、無理に設計図通りに造ろうとすると失敗しますよ。
現場での納まりや機能に支障が出る。
やっぱり「現実こそすべて」なんですから、いいものを造ろうと思ったら設計を変える勇気も必要なんです。
なので最後は工事費の清算処理が必ず必要になる。

ぼくはこういう清算事務を工事期間が2/3くらい経った頃にやることにしています。
残り1/3くらいになった時期ですね。
この時期だと、研究者からの要望は全部聞け、使う部材も確定し、施工図も書き上がっています。
つまり、工事全体がほぼすべて確定した時期なんですね。
この時期に1ヶ月くらいかけて集中してやりきってしまう。
すると残り1/3の工期に余裕が出るんですよ。
余裕が出ると、最後の仕上げを上手く造ることができるんです。
まずはお金の精算が終わっているので、最後の仕上げにかけられる予算が明確になります。
お金があるのかないのか分からない状態は不安ですよね。
たとえお金が足りなくても、ないならないなりにやりくり算段ができる。
そして最後の期間、仕上げに集中する時間的余裕もできる。
いい仕事を残す条件がそろうんです。

ぼくもエンジニアとして20年近く生きてきました。
エンジニアマインドとは「役に立つ」ってことだと以前書きました。
もう一つ付け加えるなら、

 結果こそすべて

なんです。
すべてのことはいい結果を得るために必要なのです。
いい結果を得られないエンジニアは、いくら知識があって技能が優秀だとしても失格なんですよ。
当然ながら、志が高くてもダメ。
結果が得られてこそ、志も知識も技能も活かされたということになるからです。
もちろん、志も知識も技能もエンジニアの「必要条件」です。
これなしにいい仕事はできませんよ。
でも「十分条件」じゃないんです。
よい結果が出て初めて「十分条件」となることができる。

森信三『人生二度なし』致知出版¥1600-にこうありました。

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結果こそ現実であって、願望や意図だけでは、いかにそれが真摯かつ熱烈であろうとも、結局はたんなる主観的観念に過ぎない(56p)
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つまり、終わりよければすべてよし、なんですよ。
コンセプト=概念、理想です。願望、意図と言ってもいい。
理想を思い描くことは大切ですが、それだけでは絵に描いた餅にすぎません。
理想を現実化していくために努力していき、考え、工夫し、結果を出すことが大切なんだと思っています。
どんなに理想が高く、正しくとも、よい結果が出ないのならそれは「主観的観念」に過ぎないのです。
どんなにプロセスが正しくとも、よい結果を導けないのなら、それは「技術」ではないのです。
結果とは何か。
多くの人と一緒に喜び、共に楽しさや感動を共有できることだと、ぼくは思います。
今取り組んでいる工事も最後の仕上げを充実させ、よい結果で完成させたいと思います。

写真は神戸に建設中の幹細胞研究棟。
だんだん仕上がってきて嬉しい、嬉しい。

美味い店(麹町の番町食堂)


こんにちは

ぼくは労組の仕事で月に1,2度は麹町に行きます。
労組の仕事なので退勤後、夜になります。
毎日夕食しか食べないぼくは、夜になれば腹が減ります。
麹町にもグッドな飯屋はないか、探してました。
ついに見つけました!

 番町食堂 ペザント四番町
これぞB級グルメの店です。
もー麹町に行くのが楽しみなんです。
写真は定番メニューの「四番町定食」です。
すごいボリュームでしょー。感動します。
これで800円なんです。

おかずのボリュームも素晴らしいのですが、ごはんの盛りも豪快。
ドカ飯です。
普通盛りでもこの写真くらいあります。
もちろんおかずの味も素晴らしく、ドカ飯をガンガン食えますよ。
メニューにはごはん大盛もありますが、大盛にしてもらったらいったいどのくらい盛られてくるんでしょうねー。ちょっと恐い。。。

ぜひ一度行ってみてくださいねー。
市ヶ谷駅からも近いです。

2011年1月16日日曜日

ごはんを食べよう!

こんにちは

我が子たちは偏食で、肉や野菜はほとんど食べず、ごはんやうどんなど穀類ばかり食べていると書きました。
赤ちゃんや幼児期は偏食が当たり前なので、無理強いしてまで嫌いな物を食べさせることはしていない、とも書きました。
だからといって栄養バランスにまったく気遣いしていないかというと、そうでもありません。

まず、ごはんはしっかり食べる。
そのためにスナック菓子などはあまり与えず、お菓子類でお腹を満たしてしまいごはんが食べられなくなるようなことはしない。
きちんと、朝ごはん、お昼ごはん、晩ごはんは食べる。
それは、スナック菓子はカロリー以外の栄養素が欠けているからね。
いくらカルシウムやビタミンなどが添加されているといっても、それは商品価値を高めて、あえて言えば消費者を安心させて買わせようという理由からでしょう。
きちんとした食事にはかないません。

二つめは、いいお米を食べる。
ごはん=お米はほぼ完全食品です。
これさえ食べておけば、人の成長や活動、生きていくのに必要なほぼすべての栄養素が満たされる。
炭水化物はもちろん、タンパク質、ビタミン、ミネラル、油脂も含まれているんです。
こういう食材は他にはジャガイモくらいでしょうか。

だからお米にはこだわっています。
我が家では、新庄水田トラストでお願いしているお米を食べています。
一口3万円で300坪の水田を農家の方にお願いして、無農薬でお米を栽培してもらう。
そこで収穫されたお米をいただくわけです。
300坪でだいたい40kgのお米が収穫できます。
それぞれの家庭のお米の消費量によって、お願いする口数を決めればよい。

我が家では玄米で送ってもらっています。
長期保存には玄米のままの方が味が落ちませんからね。
毎週末に1週間分精米して食べています。
精米も3分づき、5分づきにしています。
炭水化物以外の栄養素は、お米の表面にあります。
なので、完全に白米にしてしまうと、その栄養素が失われてしまいます。
それはもったいない。
分づき米にすれば胚芽も残りますしね。

玄米のまま炊いて食べてもいいんですが、玄米の表面には「発芽抑制因子」という成分が残っています。
この成分があるために玄米はすぐに発芽しないわけです。
稲は適切な季節になるまで発芽しないように、この成分を作って実らせるのです。
ところが発芽抑制因子は、人に対しては毒性があります。
特にまだ胃腸が完成していない幼児には食べさせない方がいいのです。
玄米をそのまま炊いたものより発芽玄米の方が体にいいのは、いったん発芽させることによって発芽抑制因子が分解されるからなのです。
家庭でも発芽玄米をつくることはできますが、手間が大きい。
なので、我が家では分づき米にしているというわけです。
玄米の表面を薄く削るだけで、発芽抑制因子も削り取ることができますから。
精米して残った糠は、庭の植物の肥料として使っています。
無農薬のお米ですから、ぬか漬けにも使えますね。

玄米や分づき米は美味しくないと思っている人も多いですよね。
やっぱり完全に精米した白米がいいって。
でもいいお米は違いますよ。
玄米、分づき米でもとても美味しい。
逆に言えば、悪いお米は精米しないと食えたもんじゃないってこと。
こうして分づき米を炊いて食べているので、我が子たちが多少偏食でも気にならないってわけです。

ところで、いいお米は値段が高い、という印象がありますよね。
水田トラストは40kgで3万円ですから、10kgあたり7500円。
魚沼産コシヒカリと同じくらいでしょうか。
スーパーなどで売られている普通のお米の2倍くらいします。
でも実は、いいお米を買ったとしてもお米は安いのです。

ちょっと計算してみましょう。
お米1kgはほぼ7合の量があります。
1合は約150gです。
10kg7500円なら、1合で110円にしかなりません。
お米1合を炊けば、お茶碗4膳分、どんぶり2杯分のご飯になります。
お茶碗1杯28円、どんぶり1杯55円なんですよ。
安いでしょ(炊くための手間や電気代は入っていませんが)。
スナック菓子一袋100円、菓子パン1個100円と比べても断然安い。
しかも栄養価が高く、体にもよい。
ちょっといいお米を食べてもそうなんです。

日本人のお米の消費量は、50年前の約半分になっているそうです(1965年;111.7kg、2007年;61.4kg)。
金額にすると、今の人はお米に年3万円程度しか使っていないんです(つまり平均すると10kg5000円のお米を食べているってことですね)。
それに対してお菓子類の消費額は、年8万円。2.5倍以上なんです。
健康のためにも家計のためにも、ご飯を食べる方が得なんですよ。
そのうえ、日本全体にとっても得なんです。

日本の食料自給率は40%と言われています。
こんなに少ない自給率では、有事の時大変だって。
でもこの数字、カロリーベースでの計算なんです。熱量ですね。
主食としてごはん(お米)をしっかり食べて、ほとんどのカロリーをごはんから得る。
50年前の日本人のように今の倍のお米を食べる。
お米はほぼ国産ですから、それだけで自給率は80%になるんです。


幕内秀夫『1食100円「病気にならない」食事』講談社+α新書を参考にしました。
ごはんお茶碗1杯30円弱であるので、それにみそ汁とおかず1~2品で合計1食100円程度になるってことが書いてあります。

2011年1月12日水曜日

子どもは好き嫌いがあって当たり前

こんにちは

我が子たちは好き嫌いが激しいです。
昨日も宅配ピザをとったのですが、上に乗っている具はまるで食べない。
「野菜と肉は取ってくれ」と言うんです。
ピザペーストだけの状態にして、ピザ台をもそもそ食べてるんです。
今のところ肉も野菜も好きじゃないようです。ちょっとは食べますが。
ごはん、うどんなどの麺類など穀類ばかり食べています。
それでも元気なので、気にしないでします。
身長、体重も順調に増えていますしね。
そのうちだんだん何でも食べられるようになるだろうと思っているから。

例外もたまにいますけど、子どもってたいがい野菜や漬け物がきらいですよね。
ぼくも小学校4年生くらいになるまで、給食に出る生の半割キュウリが嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。
あの青臭い苦味が、大嫌いでした。
幸いにして担任の先生は、好き嫌いを許容してくれましたので、学校嫌いにならずにすみました。
食べられるようになったのは、小4になって活動量が増えたため腹が減りまくるようになって、腹を満たすためなら嫌いなものでも食うぞ、みたいになったおかげです。
自分がそういう経験をしていたから、ぼくも教師だった時も生徒の好き嫌いは許すようにしていました。
いずれ食べられるようになるだろうって。

漬け物の旨さがわかったのも、たぶん成人してからだったと記憶しています。
大学生になったばかりの頃、先輩の家で「にしんの切り込み」という北海道独自の漬け物を出してもらいました。
初めてそのとき口にしたのですが、食べられませんでした。
それまで野菜だけの漬け物しか食べたことがありませんでしたので、にしんという動物質の入った漬け物の独特の匂いと強い酸味にはびっくりした記憶があります。
それも大学生のうちに食べられるようになり、今ではその旨さもわかるようになりました。
ちょっと臭いフナ寿司なんかも、こりゃーたまらん、って感じで好きになりましたよ。

でもなぜ子どもは、野菜や漬け物がきらいなんでしょうか。
人間が感じる基本的な味は、次の5種類だと言われています。

 甘味、旨味、塩味、酸味、苦味

小笠原政次『あと100年生きる本』講談社+α文庫\780-に、
それらの味覚と本能的な意味が書いてありました。
それによると、

 甘味(砂糖など);エネルギー源としての期待(糖類)
 旨味(鰹節など);体を構成するタンパク質の原料を期待(アミノ酸)
 塩味(食塩など);ミネラル、体液のイオンバランスを期待
 酸味(お酢など);腐敗物の予感
 苦味(薬など);毒物のシグナル

なのだそうです。
そしてこれらの味覚は、味を楽しむために進化してきたわけではなく、
本来は生き延びるために必要だったから進化してきたものなのです。

で、生まれたばかりの赤ちゃんには、酸味と苦味しか味覚が備わっていないそうです。
なぜなら、赤ちゃんが生き延びるためにその二つは重要なものだからです。
赤ちゃんの体は盛んに細胞分裂をし、成長しています。
細胞は、分裂するときが一番弱いのです。
遺伝子の複製がうまくいかないと、分裂するときに細胞は死んでしまいます。
だから細胞分裂をしているときに、毒物やバイ菌にさらされることは危険なことなのです。

酸味は、腐敗物の予感を赤ちゃんに知らせます。
腐敗しているということは、バイ菌がたくさんいることを意味します。
バイ菌に感染しないためには、酸味のある食べ物は食べてはいけないのです。
腐っているものは酸っぱいのです。
だから赤ちゃんは酸っぱいものが嫌いなんです。

苦味は、毒物である危険を赤ちゃんに知らせます。
毒を体に取り込んでしまうと、細胞分裂がうまくいかずに死んでしまうかもしれません。
毒のあるものは苦いのです。
野菜は苦いものが多い。
野菜だって他の生き物に食べられないように、苦いもの=毒を作って身を守っているんです。
だから赤ちゃんは苦いものが嫌いです。

というわけで、赤ちゃんは自分の体を守るために、先ず酸味と苦味がわかるようになって生まれてくるのです。
そこから徐々にその他の味覚が解発され、いろいろなものが食べられるようになり、いろんな美味さが分かってくるのです。
大人になれば、多少毒物やバイ菌にさらされても、それほど細胞分裂もしていないので、リスクは少なくなります。
リスクよりも、酸っぱいものや苦いものを食べることによって得られるメリットが大きければ、好んで食べるようにもなるわけです。

味覚だけじゃなく、赤ちゃんの腸の機能もまだ野菜を消化するには適していません。
生後1年未満の赤ちゃんに、離乳食として野菜のペーストなどを与えても、ほぼ未消化で排便されてしまうのです。
まだ体の準備ができていないんです。

子どもはその途中過程にいる存在です。
まだ、体の中に毒やバイ菌を入れることのリスクは大きい。
だから、苦味や酸味に対する嫌悪感も大きいのは、自然なことなのです。
なのにお節介なことに、肉も野菜もバランスよく食べなさい、1日30品目食べなさい、なんて言われる。
毎食毎食、肉も野菜もバランスのよい料理を作り、30品目以上入れなければならないメニューを考えるお母さんも大変でしょう。
嫌いなものがたくさん入った料理を食べさせられる子どもも大変です。
両方とも損ですよね。
まあ、人類史上、毎日毎日肉も野菜も食え、無理すれば30品目揃えられるなんてことは、ごく最近までなかったわけです。
ほんの30年前頃までは、ほとんどの日本人はごはん、みそ汁、佃煮などのおかず少々だけを食べてきた。
たまに肉を食べたり贅沢はしたかもしれませんがね。
それでもみんな健康だったんです。

子どもはみそ汁もあまり食べませんよね。
その原因は、みそ汁の具に野菜を入れすぎるから、だそうです(幕内秀夫『1食100円「病気にならない」食事』講談社+α新書)。
みそ汁にたくさん具を入れるようになったのも近年のことらしいです。
具だくさんのみそ汁は、「汁」ではなく具の味噌煮込みですよ。
具を減らして本来のみそ「汁」にすると、子どもはみそ汁を飲むようになるそうです。
我が家でも試してみたいと思います。

というわけで、子どもの野菜嫌い、漬け物嫌いも意味があるのですから、強制してまで食べさせないでほしいなって思います。
自然に食べられるようになるまで待つことも必要だと思うのです。

2011年1月10日月曜日

すぐ仲良くなれる能力


こんにちは

子どもたちを遊びに連れて行くとき、ぼくは本を1冊ポケットに入れていきます。
先日も石神井公園まで自転車でサイクリングに行きましたが、ポケットには本。
なぜなら、子どもだけで遊ぶ時間をたっぷり確保するためなんです。
親は子どもが遊ぶ姿を見守るだけ。
ただ見守るだけだとヒマすぎるので、本を読むんです。
そうすると子どもが飽きるまでたっぷり遊ぶのを「待つ」ことができる。
親の方が退屈して「早く帰ろう」と言わなくてすみますからね。
もちろん子どもが「ブランコ押して」とか「鬼ごっこやろう」とかリクエストしてきたら、それに付き合いますよ。
でも遊びの基本は子ども同士。
親や大人が関わらない遊びもたくさんやってほしいんです。

石神井公園の帰り道に寄った公園でも、最初は溌貴君ととしきくん二人で遊んでいました。
そのうち、公園に来ていた同年代の子どもと遊びだした。
歳を聞いたら5歳だって。
溌貴君ととしきくんのちょうど中間の年代の子ですね。
溌貴君はお兄さんぶってその子の面倒を見、としきくんはもう一人のお兄さんみたいにその子の後を追う。
その子とは1時間以上遊び続けていました。
そんなほほえましい姿を見ながら、ぼくは日当たりのいいベンチで本を読む。
ああ、ハッピー、ハッピー。

内田樹『邪悪なものの鎮め方』バジリコ¥1600-にこうありました。

###
つねづね申し上げているように、子どもをほんとうに生き延びさせたいと望むなら、親たちは次の三つの能力を優先的に涵養させなければならない。
 何でも食える
 どこでも寝られる
 誰とでも友達になれる(277p)
###

我が子たちは親が言うのもおかしいかもしれませんが、とてもフレンドリー。
誰とでも友だちになれるようです。
児童館に遊びに行っても、小学生のお兄さんたちにかわいがってもらって、遊んでもらえる。
自分たちより年少の子どものめんどうをよく見る。
素晴らしいと思います。

誰とでも友だちになれることって、二つの意味があると思います。

 1.自分を相手に合わせられる
 2.相手を自分に合わせていける

これは何でも食える、どこでも寝られるにも共通する資質だと思います。
まずそうな物でもちょっと無理して食べてみると、意外と美味かったという経験は誰にでもあるでしょう。
最初から拒否、否定しないで、まずは対象と向き合ってみるという気持ちは大切です。
こんなところじゃ眠れないな、と思う場所でも、新聞紙を敷いたり、囲いを作ったり、何とか眠れる場所に変えていくなんてことをやることも大切。
つまり対象の方を自分に合わせてしまうんですね。

前者は、どんなものでも自分を相手に合わせていって、自分を広げていく能力。
後者は、相手を感化し、変えていこうとする能力。
両方があるから、世界が広がり、楽しい環境を作っていけるんです。
そしてそうあるほど、世の中で活躍ができ、生き延びていける。

生き延びるといっても、何も我が子たちを「勝ち組」にしたいわけじゃありません。
より満足した人生、幸福感に満ちた人生を自力で築いてもらいたいのです。
ハッピーな人生のために、何でも食い、どこでも眠れ、誰とでも友だちになれ、なんです。

2011年1月6日木曜日

健康を維持する技術

こんにちは

昨日は今月末完成の工事の清算処理事務をやりました。
ぼくにしては珍しく、丸一日事務所に座っての事務作業です。
この業務をやるために、昨日は他の用件を一切入れていませんでした。
作業時間の確保こそ、仕事の段取りで一番重要なことですからね。
上司にも前々から、この日に提出します、と宣言しておいてあります。
とにかく終わらせなくちゃ。
退勤時刻までに仕上げるぞ、と決意して朝からザクザクとこなしていきました。
退勤2時間前に作業が終わり、最後に検算です。
エクセルで作成した一覧表を印刷して、検算は事務のお姉さまにお願いしました。
ところがお姉さまから「こんなに間違いがありました」と書類が返されました。
うわ、どうして??
退勤時刻まで残り1時間、間に合うか?
再度エクセルを見直してみたら、セルに入力していた数字に小数点以下の数字があり、エクセルが勝手にそれを四捨五入して整数にして表示、印刷していたことが分かりました。
でも表計算はセルに入力された数字でなされているため、計算結果が違ってきてしまったんです。
ぼくの前工程を作業した人が、それに気づかずにいたんですね。
あわててセル入力値と表示値を同じになるように修正して、再度検算。
今度はバッチリです。
退勤時刻10分前に完了、予定通り上司に提出できました。
あ~スッキリしたーー!

今年も楽しく生きたいと思います。
楽しく生きるために元気、健康は必須なことです。
自分は最大の資源ですから、健康じゃなければ存分に活用できません。

星新一『明治・父・アメリカ』に書いてあった、杉山茂丸が星一に贈った言葉を紹介しますね。

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人間は遊ぶ動物ではない。働く動物である。
教えるまでもないことだろうが、念のために処世上の注意をあげておく。
粗食でもいいから十分に食え。十二分に食うな。
栄養をとったら、くたびれるまで十分に働け、十二分に働くな。
くたびれたら、十分に眠れ、十二分に眠るな。
それで肉体の調和がたもてる。
脳の調和は、無駄な空想に浸らないことでたもて。
何か問題にであったら、ひとつずつよく考えて検討せよ。
そして、考えがまとまったら、いかなることがあってもやりとげるのだ。
悪い結果になることもあろうが、いずれにせよ、その経験だけは決して忘れてはいけない。(100p)
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人間は、特にオトコは「働く動物」だと思いますよ、ぼくも。
働いている方が健康でいられます。
ぼくの身の回りの人たちを見回しても、元気に生き生きとしている人はすべからくいい仕事をしている。
ろくな仕事をしていない人に限って、元気もなく、年中マスクなんかして具合悪そうにしているんです。
もちろん誰もが年がら年中元気でいられるわけじゃなく、時には風邪も引いたり、調子の悪いときもあるでしょう。
それでも年間マスク装着率を測定すると、明らかにいい仕事をしているひとはマスク装着率が低い。
それは逆に言えば、いい仕事をするから元気で健康でいられるんですよ。

でもやり過ぎはよくないですね。
過度に働いてもいけない。
くたびれるまで十分に働いたら、あとはバタンキューと休む。
十分に働くとは、その日にやるべきことを仕上げ、きちんと区切りをつけるってことです。
区切りがついていれば心もスッキリ、熟睡もできます。
朝もスッキリ目覚め、朝飯も美味い。
今日もがんばるぞーって、朝から元気もりもりになれる。
それが健康の秘訣です。

これまた面白いことに、ろくな仕事をしていない人に限って残業も多いんです。
マスクして具合悪そうにしているくせに、早く帰宅して養生せず、いつまでも仕事をしている。
仕事を仕上げ、貫徹するために残業するならいいのですが、仕上がらないまま肉体の限界が来てようやく退勤するわけです。
仕事の片が付いていないので、心はもやもやしていて夜も安眠できない。
翌朝は定時出勤しなければならないので、睡眠時間、骨休み時間も短くなる。
これでは食欲も湧かず、朝飯も食えないでしょう。
なおさら不健康になり、元気もなくなり、仕事の効率も落ちる。
悪循環です。

無駄な空想に浸らない、とは心配事を少なくするってことですね。
心配すると、あれこれ空想しちゃいます。
ああなったらどうしよう、こうなったらやばいな、とかね。
でも心配事ってたいていは現実化しないものです。
必要なことは心配し、その対処も必要ですが、心配しすぎは無駄です。

なぜ心配しすぎるかというと、仕事の区切りがついていないからです。
きちんと貫徹するまで、自分で満足するまで終わっていないから。
満足する間で終わらせる、というのは何も完全完璧にやるってことじゃないですよ。
自分で責任を取れると思えるまでやるってことです。
このくらいの精度ならオッケーだなって思えるまで。
満足な仕事をしていれば、心も落ち着きます。
しなくてもいい心配にも惑わされる必要もなくなるんです。

そしてとにかくやり遂げること。
自分で満足するまでやり遂げておけば、あとは「果報は寝て待て」です。
時に悪い結果にもなるでしょうが、それは運ってもんです。
運には逆らえないし、それは自分のせいじゃないって割り切れます。
その経験を次に活かすこともできます。

2011年1月5日水曜日

50歳からの我が侭の発揮法

こんにちは

昨日は御用始め。
我が社の理事長、野依さんの年頭挨拶をライブで聞きました。
会場に行ったら入り口が満員で、廊下まで人があふれている。
でも会場内を覗いたら、前の方ががら空きなんです。
さっそくぼくは人をかき分け一番前に行き、「もっと皆さん前に行きましょうよ」と言いました。
みなさん前に詰めて、廊下にあふれていた人もほぼ会場内に入れたようです。
よかった、よかった。
当然ぼくは最前列で野依さんのお話を聞くことができました。
平社員のくせに図々しいねー。
あはははは。

野依さんのお話で面白かったこと。
昨年も日本人受賞者が出ましたが、21世紀に入ってからのノーベル賞受賞者数について調べてみると、この10年で9人も受賞している。
これはアメリカに次ぐ世界2位なんです。
日本の科学・技術はそのくらいの実力があるんです。
21世紀になってそれが世界的に評価されるようになってきたわけです。
それが世界2位のノーベル賞受賞者数となって現れてきた。
素晴らしいですよね。
こういうことはもっと多くの人に知ってもらいたい、特に子どもたちに伝えたいと思いました。
誇らしいことだと思います。

さて毎年ぼくは字沢山の年賀状を出しています。
年賀はがきの裏に1000文字もの字を詰め込む。
普通の年賀状と比べたらかなり変わってますよね。
いわば「ごみメール」の年賀状バージョンです。
今年はこんなのでした。

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昨年は、次男とんたんの幼稚園入園、長男はっちゃんのお受験、家長よっちゃんは職場の労働組合の委員長を任されたり新しい研究棟建設のために全国を飛び回ったり、そんな中晶ちゃんは家をしっかり守るといった一年でした。おかげさまではっちゃんは第一志望の私立小学校に合格することができました。忙しくも充実した一年だったと思います。「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」をモットーに過ごしてきたつもりです。子どもたちには、返事はきちんとする、ありがとうを必ず言う、約束は必ず守ることを実践させてきました。親であるぼくらも礼儀をわきまえ、感謝の気持ちを忘れないで何事にも取り組んできました。

個性といえば、「他人の真似をしないのが個性の発揮だ」と思っている人が多いが、そんなことはない。分業社会はまた、科学と技術の時代でもある。それは何よりも、優れた成果を上げた人々の成果を学びあう社会である。しかし、いくら先人の真似をしようとしても、納得のいかないことまで真似る必要はない。そういうときは独自の工夫をすればいいのである。そうして、「他人が真似するに値するような新工夫」に成功したとき、そこに新しい世界が開けてくるのである。(板倉聖宣「個性を考える」)

基礎基本を充実させ、当たり前のこと、やるべきことは確実にやり、人のよいところは徹底的に真似をする。でもよくないこと、納得できないことは絶対真似をしない。自分の頭で考え、判断し、行動する。そして誰かの役に立ち、社会にも貢献し、喜んでもらう。今年もそういう一年にしていきたいなと思っています。
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ぼくも50代に突入しました。
50歳になったら「我が侭に好きなことだけする」って決めてました。
そうなれるように40代を精進してきたつもりです。
では50代にとっての我が侭とは何か。
「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」という基本は守らなければいけません。
我が侭と言っても、基本は疎かにはできないのです。
だから「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」ことは厳守です。

でもその基本さえ守れば、その他のことはバッサリ捨て去る。
それこそ我が侭ってもんですよ。
守るべき基本、基準の逆のことはバッサリやるんです。
「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」の逆とは

 当たり前じゃないことはやらない

です。
まあ、当たり前じゃないことをバカにする、わけじゃないですがね。
人生っていろいろしがらみがあるじゃないですか。
40代までは結構しがらみに縛られてしまう。
そのため、当たり前のことができなかったり、当たり前じゃないことをやらざるを得なかったり。
組織人であれば、バカバカしいこともやらざるを得ないこともある。
でも50代はそこから離脱できる年代だと思うんですよね。

当たり前じゃない、ってことを別の言葉で言うと、非常識や不合理ですね。
非常識なこと、不合理なことは絶対にやらない。
そういう勇気が50代にはあるんだと思うのです。
他人の意見に流されず、自分の頭でよく考え、判断し、非常識や不合理なことはバッサリやる。
そして当たり前のことには心を注ぐ、集中するんです。
それが50代からの我が侭の通し方なんだと思っています。

『安岡正篤 一日一言』致知出版社に「大器晩成」について書かれていました。

 大器晩成という言葉があるが、人は自然が晩成した大器だ。
 <高等動物の中で>一番後で作ることに成功した。
 まあ、大器といってよい。

 まさに大器晩成で、大自然という偉大な創造者が
 何十億年もかかってやっと作ったもの。
 だから、自然の法則は人間においても同じく、
 人間は、早成する、早く物になるというほど危ないことはない。

 人間もなるべく晩成がよい。
 まあ、死ぬ頃なんとか物になるというくらいの覚悟で
 ぼつぼつやるがよい。

ぼくは75歳までは現役で働くつもりです。
75歳までは人からお呼びのかかる人間でありたいと思っています。
とすると、50歳は職業人としての折り返し点なんです。
死ぬ頃なんとか物になると覚悟して、ぼつぼつと、かつ確実に「当たり前のことをバカにしないでちゃんとやる」を我が侭に実践していきたいと思っています。

2011年1月4日火曜日

エンジニアとは何か


こんにちは

ぼくもエンジニアになって20年近くが経ちました。
ようやくエンジニアとは何かが分かってきました。
ひとことで言えば

 人の役立つことをする

のがエンジニアの定義なんだと思います。
もう少し付け加えれば、

 与えられた時間、コスト、資源(ひと・もの)を活用し
  最大限の効率を発揮して
   人の役立つことをする

ということでしょうか。
とにかく「人の役立つことをする」というところは譲れないと思っています。
だから、役に立たないことをする人はエンジニアに値しないと思います。
誰かのために役立つことをし、喜んでもらう。
それがエンジニアの生きる道なんです。
そう言う意味で、誰もがエンジニアなのかもしれませんね。
誰もがエンジニアにならなければいけないんだとも思います。

今野浩『理工系離れが経済力を奪う』日経プレミア¥850-に「エンジニアの倫理」が書いてありました。
これをぼくの今年の座右の銘にしていきたいと思います。

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エンジニアたちは、大学でエンジニア倫理を叩き込まれる。
その中で最も大切なものが、仲間の尊敬を受けることである。

一つ。
専門に集中して一流の専門家になろう。
一流でなければ仲間の尊敬を得ることはできない。

一つ。
仲間から頼まれたことは(法に触れない限り)、原則として断らないこと。
頼んできた側には、この人に頼まなくてはならない理由があるのだから。
この教えの逆に当たるのが、頼んでやってもらった恩義は決して忘れないこと、である。

一つ。
他の分野の専門家の仕事には、軽々しく口出ししないこと。
専門家と呼ばれる人は(自分がそうであるように)誰もが、最高の知識と良心に基づいて仕事をしているはずだから。

一つ。
時間に遅れないこと。
時間に遅れるエンジニアは仲間の信頼を得ることは出来ない。(77-78p)
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今年も仲間から信頼され、多くの人の喜ぶ、役立つ仕事をしていきたいと思います。
そして少しでも「ありがとう」と言ってもらえるように。
そしてぼく自身も誰かにたくさん「ありがとう」を言えるように。
今年もよろしくお願いします。

2011年1月2日日曜日

予習が大事


こんにちは

復習が大事、とよく言われます。
学校の先生はよくそう言いますよね。
確かに復習も大事です。
でも復習ばかりではいけないんです。
復習は授業でできなかったところ、分からなかったところを再度勉強するわけです。
授業でわからなかったところが1割2割、少しならいいですよ。
でもできなったところが半分以上、いや分からないところだらけだったらどうでしょう。
やる気になれって方が無茶でしょう。

復習は子どもを卑屈にしちゃいます。
だって、できないことを何度もやらせるんだから。
復習ばかりやらせると、人格がゆがみますよ。
できない、できないと、できない体験ばかりしていれば、誰だって卑屈になりますよ。
錯覚でもいいから、自分はできる、と思う方がいい。
野口悠紀雄さんの本にもそう書いてありました。
だから復習も大事だけど、予習の方が大切なんです。
予習しておくと授業がよく分かり、発言もできたり、他の子よりよくできるよう
になれば、アドバンテージを持て、勉強が楽しくなり、自信もつきます。
自信がつけば、心に余裕もでき、心優しい子どもになります。

授業前にテキストを一度音読しておくといい。
できれば三度音読しておく。
国語だけじゃなく、算数だって理科、社会だってそれだけでokなんです。
そうすると授業自体が復習の場になる。
一度読んでいることを授業で聞くと、理解も深くなります。
予習してから授業に参加すれば、なにもしないで授業に望んだときより、格段に分かる、できるようになります。
そうなってこそ、復習もする気になれるんです。
ここまでできたんだからもう一歩がんばってみるかってね。

我が子たちは男の子ですので、中学受験はさせないつもりです。
小学生の間は塾通いはさせず、学校の勉強だけを予習重視でやらせていこうと思っています。
具体的には学校の授業進度より先まで教科書を音読させていく。
1年生の間は学校の授業より1ヶ月先行、2年生で2ヶ月、とやっていって、6年生では1学年上、中学1年生の半分くらいまで先に行く。

分からない部分もちょっと先まで勉強すると分かるってことが多いんです。
学校の授業よりちょっと先を行く。
そうすれば授業自体が復習の場になります。
予習をしてあるので、自分の分からない部分が自分が分かっています。
授業で先生がその部分を説明し始めたら、集中して聞く、質問する。
受け身じゃなくて能動的な授業態度になりますから、授業の活用度も上がります。

中2までには中3レベルまで先行しておいて、高校受験に集中させてやる。
目指すは都立旧ナンバースクールなんです。
私立中から都立高校だと、内申点はアテにできません。
試験でいい点数を取るしかない。
近年、都立高校も内申点はちっとも考慮せず、試験の点数だけで合格させる枠があるんです。
ハードルは高い。
でもそれが15歳の頭と心を育てると思っています。
推薦や内申で高校に入っても、次につながりませんからね。

こんな風に書くと、勉強、勉強と、勉強ばっかりやらせようと思っていると感じるかもしれません。
でも違いますよ。
予習をきちんとやると、総学習時間は反って少なくてすみます。
時間に余裕ができるので、好きなことにも打ち込める。
いや、まったく勉強しなければもっと時間に余裕ができるじゃないか、という反論もあるかも。
でもそれ、人生全体を考えたらどうなんでしょうか。
長い人生を見たら、20歳くらいまでの期間はしっかりとやるべき勉強をやっておいた方がいいんです。
その方が人生全体で見たときの余裕が大きくなる。
時間的にも経済的にも精神的にもね。

実を言うと予習中心の勉強法は大人になっても役に立ちます。
資格を取るときはもちろん、日常の仕事でも予習をしっかりやるといい。
上司やお客さんの前でオロオロしなくてすみますからね。
事前に予習して理解が進んでいれば、たとえ完全じゃなくてもハッタリも利きます。
ちょっとやばい場面でも堂々としていられる。
堂々としている人に対して、相手もなかなかツッコミは入れにくいもんですからね。
わはははは。
逆に言えば、予習によってやばい部分を1~2割にしておくから、堂々としていられるんです。
それに完全な予習なんかできないですよ、どんなことが起こるかわからないですから。
それでも考えつく限りの範囲だけでも予習しておくと、ホント心に余裕が生まれます。

なんだかんだ言っても日本の教育課程(学習指導要領)はよくできていて、きちんと積み上げるのにふさわしい内容と順序を持っているんです。
予習中心に、教科書にある内容をしっかりと身に着けていく。
これを活用しないと損ですよ。