2011年1月27日木曜日

人の器


こんにちは

ぼくも若いときはコマネズミのように仕事をしていました。
勤務時間めいっぱい、勤務時間を超えてもがむしゃらに仕事をするのが「善」だと思っていました。
残業も毎月100時間なんてやってましたよー。
若かったねー。
でも最近はそうじゃありません。
もちろん勤務時間中はけっこう集中してがむしゃらにやっていますが、定時には退勤です。
だから端から見たら、暇そうに見えるかもしれません。
でも、あえて暇そうにしているのです。

ぼくの仕事(今や、そのひとつ)は電気設備技術者です。
電力会社から供給される高い電圧を、100Vや200Vの低い電圧に変換する変圧器という機器があります。
変圧器の容量は、使用する電力を推計して決定します。
電気工学では「需要率」という概念があります。
需要率とは、

 最大使用電力÷変圧器容量

で定義されます。
たとえば最大使用電力が80kWで変圧器容量が100kWのとき、需要率は80÷100=0.8ということになります。
需要率が0.2とか0.4とかあまりに小さい値になるということは、使用電力に対して変圧器容量が大きすぎることになります。
それは無駄。
逆に、需要率が0.95とか0.99とか1に近い値になると、変圧器の無駄はなくなりますが、余裕がなくなってしまい、推計が大きくはずれたとき、将来使用電力が増えたときに対応できなくなってしまいます。
ですから、需要率が0.6~0.8くらいになるように変圧器容量を設計するのが、電気技術者の腕なんです。
要するに、需要率とは「余裕」のあるなしを判断するための指標なんです。

仕事でも同じなんじゃないかって思います。
常に余力を残しておき、不測の事態に備える、新たな仕事に取り組むことができるようにしておく。
もちろん若いときは、がむしゃらにやる時期がないとダメでしょう。
がむしゃらにやらないと、自分の限界を知ることができないからです。
限界を知るからこそ、限界を広げることもできる。

でも、ぼくくらいの年代(中年^^;)になったら、需要率を考えて自分の仕事をデザインしなくちゃって思うのです。
ぼくの周りの同年代、年上のおじさんたちを観察すると、忙しそうにしている人はたいした仕事はしていないようです。
忙しそうにすることによって、仕事をさぼっていないことをアピールしているようにも見えます。
あるいは、忙しいからよけいな仕事は持ってくるな、とブロックしているのか。
あんまり暇なのもいやですが、中堅といわれる年代になっても忙しそうにしているのもかっこ悪いなって思うのです。

テリー伊藤『テリー伊藤の遊びベタのための成功法則』青春出版\1300-から引用します。

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最近すごく思うようになったのは、腹八分って言葉あるじゃない。
同じように仕事八部って言うスタンスも大事だっていうこと。
そんなふうに言うと、「一生懸命にならないのは手抜きじゃないか」って思うかもしれないけど、そうじゃなくて、二分はホントに大事なときのために余力として取って おくんです。(略)
一所懸命働くために、20%の力を残しておく。いつも全開じゃヘロヘロになっちゃうよ。(135-136p)
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ぼくも50歳になりました。
まー、体力の問題もあるかもしれません。
がむしゃらにはできなくなる年代というのも事実でしょう。
でも、だからこそ余力を残しておき、いざというときに瞬発力を発揮できるようにする。
新しいことを始められるだけの準備をしておく。
それが人間の器というものでしょう。

そして人間の器は努力(知識と経験)によって大きくなり得るものです。
努力によって少しでも器を大きくしていくのがよい。
最近の脳科学の研究によると、脳細胞は一生涯増え続けますし、脳細胞同士を接続するシナプスは増えていくことが分かっています。
もう歳だから、と言って努力を怠ると、器は大きくなりませんし、逆に小さくなってしまうのです。

時々、ちょっとしたことで怒り出すおじさんがいますよね。
大したことがないことにもイライラしてしまう。
こういう人を「器が小さい」と言うのです。
変圧器で言えば、常に容量いっぱい、ギリギリ運転をしている状態です。
ギリギリ運転をしているので、ちょっとした負荷が加わるだけで容量オーバー。
警報がチンチン鳴り響きます。

内田樹/春日武彦『健全な肉体に狂気は宿る』角川oneテーマ21¥724-にこうありました。

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大きな器があって、その縁ギリギリまで水が入っているときには、一滴の水が落ちた途端あふれますよね。確かに最後の一滴のせいで水はあふれてカタストロフが到来したわけですけれども、この器があふれたのは、別に最後の一滴が「原因」じゃないですよね。
それまでにたまりにたまった水があったからこそあふれたわけで、最後の一滴がこぼれる前に、おちょこ一杯分でもいいから、ちょっと掬い出しておけば、この一滴が落ちても水はあふれなかった。
ほとんどの場合、人間の遭遇する不幸というのは、どうでもいいようなファクターの累積が劇的な出力を結果するというかたちのものなんです。
極端な話、「最後の一滴」が加わる前に、いつでもおちょこ一杯分ずつ汲み出し作業をしている人の身には決して劇的な不幸は訪れない。
いつでも顕在化する一歩手前で処理されているから。でも、そういうふうに考える人はほんとうに少ない。(内田、143p)
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変圧器も容量ギリギリになったら、一部の負荷を別の変圧器に移設したり、変圧器容量を大きいものに交換したり、あるいは増設したりするなど、メンテナンスは欠かせません。
容量オーバーで使うと、故障や事故の原因になりますからね。
人の器もメンテナンスが重要です。
容量オーバーにならないように、常に負荷が一度にかからないようにスケジューリングする。
そして自分の器を少しでも大きくするように、努力、つまり知識の獲得と意図的な経験を積み続ける。
ぼくも器の大きな人間になりたいですねー。


写真は和光に建設中の脳神経回路遺伝学棟のエントランス。
いいでしょ~!

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