2011年2月28日月曜日

褒められる人生を!


こんにちは

溌貴君の入学前準備、ひらかなの練習も順調です。
土日も欠かさず、毎日コツコツと進めています。
筆圧もしっかりしてきて、いい文字を書けるようになってきましたよ。
勉強時間も10分くらい。
その間集中して、かつ楽しく取り組んでいます。

そういうお兄ちゃんの姿を見て、としきくんも勉強したくなったみたいです。
一緒にダイニングテーブルに座って、勉強を始めました。
溌貴君用に買ったひらかな練習帳があまっていたので、それを与えました。
溌貴君に「とんたん、じょうずじょうず!」と褒められながら、取り組んでいますよ。

藤原正彦『大いなる暗愚』新潮社¥1300-にこうありました。

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私は学生たちに日頃からこう言っていた。

 君たちは今後、落ち込むこと、挫折すること、深い失意に沈むこと、などが必ずある。
 何度もある。
 そんな時には褒め言葉を思い出すんだ。
 これまでに先生、親、権威ある人などから褒められたことがあるでしょ、それを思い出すんだ。
 私のように気が強く自信過剰な人間でも時にはどん底に落ち込むことがある。
 そんな時は一日に何度も褒め言葉を思い出さないと一日が終わらないこともあるんだ
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藤原さんのお茶大での教え子が地方のマスコミに就職し、その縁でその地方へ講演に行ったんだそうです。
講演後に教え子と雑談をしたとき。
その教え子も働きはじめ、社会の厳しさを味わっているところ。
藤原さんは大学の1年生向けのゼミで、毎週指定する本を読んで、その感想文をレポートに書き、それを元にみんなでディスカッションをする、という授業をしていたんです。
学生の書いた感想文は、ちゃんと読んでコメントを書いて返す。
その教え子は自分のハンドバッグの中に、学生時代のレポートを常に入れていたんだそうです。

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彼女(藤原氏の教え子)はそんな私の教えを忠実に守っているようだった。
「ところでそこにあるぼくのコメントはほめてあるんだろうね」
「はい、激賞です」
そう言って彼女は初めて頬をバラ色に輝かせた。(30p)
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藤原さんから返却されたレポートで、激賞されたコメントが書いてある。
社会人になってもそれを支えにする学生。
いい話だなーって思いました。

人は褒められないと成長しないんですよ。
それは子どもの頃、学生時代は当然だし、大人になっても老人になっても同じなんです。
褒められるから自尊心も育ち、もっとやろう、自分にはできるはず、という自負心も生まれます。
誰からも褒められなかった子どもは、心に風穴が空いてしまいます。
自尊心も自負心もなく、努力する習慣も身に付きません。
誰からも褒められない人は孤独で寂しく、心がすさみます。

褒めると言っても、ただ甘い言葉をかけるだけではダメ。
何か課題を与え、それをやらせる。
それもちょっと背伸びしないとできない程度の困難を与える。
藤原さんのゼミも結構厳しいですよね、毎週1冊骨のある本を読ませるんですから。
読書経験の足りない昨今の学生にとっては、なかなかのハードルになっている。
そしてそれをレポートにして、授業で話し合う。
かなりの努力を必要とする課題です。

こういう困難を乗り越えさせる。
「結果」を出させるってことが大切。
乗り越えるところまで、きちんとサポートする。
だから「激賞」もできるし、その激賞が学生の心に届くんです。
そこまでできる先生が、よい教師ってことでしょう。

誰かに褒められるには褒めるに値することを成し遂げないといけません。
そこまで自分を引っぱっていけるのは、自尊心、自負心なんです。
困難にめげそうなとき頼りになるのは、これまで自分が褒めてもらった経験。
それががんばりの素になるんです。

人はどんなときに褒めるでしょうか。
それはその子どもは「価値のあること」を成し遂げたときでしょう。
お手伝いをしたとき、お年寄りに親切にしたとき、道に落ちているごみを拾ったとき、等々。
だから褒めるという行為には必ず「公共的」側面があるんだと思うのです。
家族の役割を果たす、誰かの役に立つ、社会に貢献する。
子どもがそういうことをするから、心から褒めることができるわけです。
勉強ができたことを褒めるのも、将来社会にとって価値ある人間になる期待を褒めるんです。
だから、自分のためだけに何かをやっても、ちょっとそれは褒められない。
誰かの役に立つ、という視点がないとだめなんですよ。

我が子たちにも、褒められる人生を贈りたい。
褒められるにはどうすればいいのかを、行動を通して教えていく。
多くの人の役に立つことをする、多くの人にハッピーを届け、笑顔を増やす。
そして誰かに褒められたり、感謝されたりする。
やる気が出て、もっといいことをしようと努力を重ねる。
ちょっと厳しい状況になってもあきらめずに、結果を出すまでがんばる。
そういう好循環の中で人生を歩んでいってもらいたいです。

2011年2月26日土曜日

集合写真を撮ろう!


こんにちは

何年も前に一緒に仕事をした若い現場代理人さんからメールがとどきました。

 関口さんへ

 突然ですが、、、
 この度、青森県の弘前営業所に異動になります。
 3月より赴任します。
 会社としては東北の仕事も学んでほしいようです。
 こちらに来てちょうど12年。随分と遠くに異動になったものですが、
 自分としては良い機会かなーと思っております。

 関口さんには、大変お世話になりました!
 私の師匠ですから。(勝手にー。スミマセン!)
 仕事のイロハを教えてもらい、社会人、技術屋としての基礎を
 叩き込んでくれました。本もそれまで以上に読むようになりましたね。
 その後は、常に関口さんから学んだことを意識して仕事をするようになり、
 会社からそしてお客様から良い評価をしていただけたことが、
 今回の異動につながったんだと思います。
 役職も上がりましたよー。肩書きも営業所の副所長兼設備課長です。

 これからも関口さんに少しでも近づけるよう、一本スジの通った社会人、
 技術屋として頑張っていきたいと思います。
 たまには近況報告しますね。
 弘前に行っても関口さんのゴミメール、欠かさず読みます!
 またどこかでお会いすること楽しみにしております。
 本当にありがとうございました!!!!!

嬉しいですねー。
このメールをもらって、ぼくのゴキゲン度もアップ。
ゴキゲン、ゴキゲン、超ゴキゲンになりましたよー。
ゴキゲンこそ自分の能力を開花してくれるものですからね。
内田樹さんもこう言っていますから。

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どうすれば、パフォーマンスは向上するか。経験的には誰でも知っている。
自分の仕事に誇りを持ち、機嫌よく仕事をしているときに、仕事の質は最も高くなる。
怒っている人間や怯えている人間や恐怖にすくんでいる人間が質の高い仕事をするということは、ふつうない。
まして手詰まりの状況を切り開く起死回生の知恵を思いつくというようなことは、絶対にない。(鷲田清一/釈徹宗/内田樹/平松邦夫『おせっかい教育論』140B¥1200-、202p)
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昨日は神戸に建設してきたiPS研究棟の竣工検査。
ぼくのゴキゲンを共に苦労してきた施工スタッフたちにも感染させなくちゃ。
ゴキゲンは周りの人たちに感染し、ハッピーを広めますからね。
でもゴキゲンになるためには努力もしなくちゃ。
やれることをきちんとやるんです。

竣工検査の目的は、

 偉い人たちにかっこいいところを見せる

なんです。
竣工「検査」と言っても、実際に検査するわけじゃありません。
実質的な検査は既に担当者が終えているのです。
それに偉い人たちは具体的な検査をするだけのスキルもありませんしね。
だから竣工検査は「ほら、こんなによくできましたよ」「おお、よくできてるなー」とお見せできればいいんです。
我が社からは施設担当理事が出席しますから、設計会社、施工会社もそれに釣り合う各社の偉い方々が出席します。
我が社の偉い方によく思ってもらい、褒めてもらう。
そうすれば、各社の偉い方々は各社の現場スタッフを褒めるでしょう。
そうやって現場スタッフのみんなの評価を上げるのも、監督員の務めなんですよ。
やっぱり認められ、褒められるような仕事を残さないと、ゴキゲンにはなれませんからね。

検査開始時刻の2時間前に現場入りして、代理人さんと検査順路に沿って現場を見て回りました。
残材が残っていないか、清掃はきちんとなされているか、お見せできないようなヤバイ場所がないかどうか、チェックしていきます。
途中途中気づいたことを指示出ししていくんです。
2時間前なら対処も可能。
本番でつまらないところでケチがつかないようにね。

その結果、おかげさまで竣工検査は無事終了。
我が社の担当理事も終始笑顔でした。
最後の講評でもとてもよい評価をいただけました。
ゴキゲンそうだったんで、理事に「みんなで集合写真を撮りましょうよ」とお誘いしました。
集合写真はゴキゲンのバロメーターにもなるんですよ。
だって機嫌悪いときにみんなで写真なんか撮りたくないじゃないですか。
竣工検査でろくでもない建物になっていたとしたら、誰がそれを造った人たちと一緒に写真に写りたいと思うでしょうか。
いい仕事をしてくれたな、嬉しいな、という気持ちがあるから、一緒に写真に写ろうと思えるんです。

小宮一慶『できる社員はこうして育てる!』ダイヤモンド社¥1400-から引用します。

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社員の能力を高めようと思ったら、何よりも働くことに誇りを持てる職場とすることだ。
何も高尚な仕事をする必要はない。
職業に貴賎はないのだ。
世の中から必要とされる仕事ならすべての仕事は尊い。(73p)

尊敬される会社かどうかを見分ける簡単なテストがある。
それは、自分の子どもに「父さん(母さん)の会社に勤めたいか」と聞いてみることだ。
その際に、子どもが目を輝かせて「勤めたい」と答えたならば、あなたが勤める会社は尊敬される会社だ。それは、あなたが、家に帰っても活き活きとしており、会社で起こったいいことなどを、子どもたちに聞かせているからだ。(75p)
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家に帰ってさっそく集合写真を施工スタッフに電子メールで送りました。
それぞれの人がこの写真を家族にも見せて、自分のやった仕事を自慢してくれたらいいなーと思います。
そして近い将来、このiPS棟でいい研究成果が出て新聞に載ったら、「お父さんが作った建物でやられた研究なんだよ」なーんてゴキゲンに子どもに語ってもらいたいですね。
で、一般公開の時などに子どもや嫁さんを連れて、また我が社を訪れてほしい。
自分のした仕事を誇るためにね。

2011年2月23日水曜日

ゴキゲンこそ上司の条件

こんにちは

昨日は間もなく完成の脳神経回路遺伝学研究棟の完成図書のチェックをしました。
取扱説明書や機器完成図などの書類。
9000m2の大きな建物ですから、その書類も全部で1000ページを超えます。
スタッフと一緒にこれを過不足ないか、要領よくポイントを押さえてチェックしていきます。
途中ミスを見つけて、ちょびっとツッコミを入れたりします。
でも、厳しく言うだけじゃダメなんですよ。
ちょっと笑いを入れて突っ込む。
そうすれば、ミスをした方だってそんなに嫌な気にならない。
人間はゴキゲンでいるときが最もパフォーマンスがいいんです。
せっかくいい建物を造ってもらって、みんなゴキゲンなんですからそれをキープする。
それも監督員であるぼくの大切な仕事なんです。
人生の基礎は「読み書き計算、ボケツッコミ」なんですからねー。

先日、職場のある研究室の秘書さんからメールが届きました。
その研究室の主任がミニ講演会を開くから、聞きに来いとのこと。
なぜミニ講演会なんかするのかと思ったら、翌週に一般向けの講演を行うので、そのための予行演習だったんです。
ミニ講演を行って、口が悪くズケズケものを言う研究員たちの意見を聞き、本番をよりよい状態で迎えようというのです。
ぼくは元教師だったりするので、一般の人が聞いて分かりやすいかどうかチェックしてほしい、というお誘いも時々あるんです。

この主任は、彼の研究分野では世界的権威です。
主任の開発した機器は、世界中の研究所で使われています。
たくさんの賞ももらっている方です。
それなのに予行演習。
さすがだと思いました。
本物の偉い人は、努力を怠りませんね。

そういえば、以前東大でシンポジウムがあったとき、こちらはプロ向きの講演でしたが、その時もこの主任は登壇前に何度も何度もパワーポイントを見直していました。
常に努力していて、その姿を部下の研究員にも見せている。
だから部下たちから慕われもするのでしょう。
だから時に部下たちを怒鳴りつけても、着いてきてくれるのでしょう。

梅森浩一『ボスと上司』ちくま新書\680-を読みました。

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一体、私が働きたくない「ボス」ってどういう人なのか、興味をもたれる方もいるでしょう。
その答えは簡単です。
彼らには、私が学ぶものが何もなかったからです。
きっとこの答えを聞いて、「うん、うん」とうなずいた方も多いかと思います。
私たちがいちばん尊敬できない「上司」って、一体なんだと思いますか?
それは、その立場に到達した途端に、学ばなくなった人なんだと思います。(121p)
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なるほど、なるほど。
尊敬に値する上司って何か、すっきりわかりましたよ。
尊敬する上司の下で働きたいと思うのは、部下なら誰でも同じ。
仕事上尊敬できる上司というのは、見習うべき仕事の<技>を持っている人ということでしょう。
上司の持つその技を学ぶ(盗む)のが、部下として成長する早道です。
盗むに価する技を持っているうちは尊敬する上司ですが、盗むべき技がなくなったらどうでもいいおっさん(おばはん)に成り下がります。
最初から盗むべき技をちーっとも持たない上司もときどきいたりしますが。。。

だから、部下に盗まれても盗まれてもまだまだ技を出し続けられることが大事。
つまり、新たに技を身につけ続ける必要があるんです。
そのためにはずっと学び続けないとだめ。
いくら過去に栄光があったとしても、そこに留まっている人は底が浅いんです。
だから学び続けることが、尊敬され続けるためには必要なんです。

技も持たず、学びもしない上司からガミガミ怒鳴られても、「あ~あ、また始まったよ。自分ことは棚に上げてかっこわるいなー」って部下は心の中で毒づくわけです。
いくら怒鳴ってもそのガミガミオヤジの言うことは聞かず、思うような成果を上げてくれません。
尊敬できない人から何を言われても、不機嫌になるだけですからね。

無能な上司ほど、ガミガミ怒鳴ります。
もちろん有能な上司も時にはビシッと怒鳴ることもありますよ。
でもそれは部下が怒鳴られるようなことをしたからです。
そして、その後にちゃんとフォローがあります。
こうすればいい、あの人に会ってこい、この書類に目を通せ、など具体的に教えてくれるんです。
あるいは、上司自らが行動して問題を解決するところを見せてくれる。

もしかすると何も教えてくれないかもしれませんが、それは部下自身が自分で解決するのを期待しているから。
その場合も、部下が山を乗り越えるのをちゃんと見守ってくれているんです。
で、成功したらちゃんと褒めてくれたり、処遇してくれるんです。

ところが無能な上司は怒鳴ることしかしません。
具体的な方策を部下に示さない。
いや、示せないんです。技を持っていないから。
だから怒鳴ることしかできなくなっているんですよ。

人は不機嫌になるとパフォーマンスは落ちるんです。
闇雲に怒鳴られるだけの部下は不機嫌になります。
有能な部下は上司を無視するようになり、普通の部下は萎縮してチャレンジしなくなり、無能な部下はうつになって会社に出てこなくなる。
そんな上司を持つ部署のパフォーマンスは、どんなに怒鳴りつけたところで上がることはないのです。

自分自身もゴキゲンであり続け、部下や周りの人たちもゴキゲンにしていく。
ゴキゲンであり続けるために、学び続け、技を磨き、それを伝えていく。
そして全体のパフォーマンスを上げる。
それこそが正しい上司の行く道だと思います。

2011年2月22日火曜日

知性とは恥じらいである


こんにちは

昨日は完成間近の脳科学神経回路遺伝学棟の監督員検査。
施工スタッフと一緒に丸一日かけて各所じっくりと検査です。
ぼくは「おもしろまじめ主義」ですから、真剣に検査をすると言ってもリラックスも忘れません。
にこやかに時には冗談を言ったり、雑談をしたりもします。
こういう方が返って施工スタッフたちに必要な事項が伝わるんですよね。
カリカリと、ここがダメ、あれを直せってことばかり言ってもダメなんです。
ぼくはプラグマティスト(現実主義者)ですから、多少不真面目でもおもしろまじめを貫くんです。

この建物にはマウスなど実験動物の胚を凍結保管する部屋があります。
卵細胞を液体窒素のデュワー(Dewar=魔法瓶)に漬け込んで、凍らせて保管するのです。
卵子や精子、受精卵の初期段階は凍結保存ができるのです。

その部屋のドアに「塩素ガスボンベ室」と書いてありました。
あやー、この部屋名称、違うよ~。
塩素じゃ毒ガスでみんな死んじゃうよ~。
それにボンベじゃないよ、デュワーだよー。
そこで「ボンベは和製英語で、外国では通じない」という、数年前に特定化学物質作業主任講習を受講したときに講師の方から聞いた話を披露しました。

酸素や窒素、プロパンなど高圧ガスを保管する容器を「ボンベ」と呼びます。
ガスボンベなんて言いますよね。
ガスgasは気体という意味の英語です。
ボンベも英語だと思って、この前職場で外国から来たばかりの研究者に設備を説明するときに「ボンベ」と言いました。
我ながら流暢な発音で^^;)。
ところがまったく通じない。
それどころか、「ボムbomb(爆弾)?」なんて聞き返されてしまいました。
確かにボンベは爆弾に似てないこともないなあ。

家に帰って辞書を引いてみると、ボンベのことを英語では<シリンダーcylinder>と言うのだそうです。
エンジンのシリンダーと同じく、肉厚の中空容器は何でもかんでもシリンダーなんですね。
つまり、ボンベは英語ではないのです。
日本でしか通じない和製英語のようなんです。
ではなぜ、ボンベと呼ぶようになったのか。
やはり爆弾bombと関係あるそうです。

明治時代、日本が初めて高圧ガスを輸入したときのこと。
もちろん船便です。
船から港へと荷役人(にやくにん)たちが荷物を下ろします。
荷役人って役人じゃないですよ。
荷役(にやく)=荷物の積み卸しを仕事にする人のことです。
暴力団山口組ももともとは神戸港の荷役人たちの集まりだったように、荷役人は荒くれ男たち。
稼ぎを増やすために、結構乱暴に荷物を扱っていたんですね。

中味の詰まった高圧ガス容器は手荒に扱うと爆発します。
そのことを港の荷役人に伝えるために、輸入元の外国人担当者が「下手に扱うと爆発するぞ!」という意味で、高圧ガス容器を指さして「bomb!」と言ったらしいのです。
それが荷役人の間で、容器そのものの名前だと誤解されたまま使われるようになり、やがてはそれが世間一般にも広まった。
広まる過程で、カタカナ語になり「ボンベ」と呼ばれるようになり、日本語として定着していったのだそうです。

こんな話を施工スタッフたちにして笑いと感心をとったりしつつ、検査も楽しく終えました。
とてもいい研究棟になりました。
愉快、愉快。

で、家に帰ってから念のためボンベをインターネットで検索。
すると「ボンベ【(ドイツ)Bombe】」と出てきました。
あちゃー、ドイツ語なのかよー、がせネタだったかも~。
あはははは。
まあいいや、この機会にもっとよく調べてみようっと。

内田樹『ためらいの倫理学』冬弓舎\2000-にこうありました。

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私たちは知性を検証する場合に、ふつう「自己批判能力」を基準にする。
自分の無知、偏見、イデオロギー性、邪悪さ、そういったものを勘定に入れてものを考えることができているかどうかを物差しにして、私たちは他人の知性を計量する。
自分の博識、公正無私、正義を無謬の前提にしてものを考えている者のことを、私たちは「バカ」と呼んでいいことになっている。(32p)
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昨日、「バカと言う方がバカ」と書きましたが、他人をバカにする人は「自分は間違っていない」ということを前提にしちゃっているんですよ。
だから平気で他人を罵倒できるのです。
本当に知性のある人は常に「もしかしたら自分の方が間違っているかもしれない」という留保を持っている。
だから、他人を罵倒するなんて野蛮なことはできない。
ためらいや恥じらいがあるからね。

自分は間違っていないと思い込んでいる人には「学び」はありません。
学ばないから当然、本物のバカになっていくんです。
ソクラテスが言うように、無知の知、なんです。
自分は無知かもしれないと思う謙虚な心。
それこそが人間らしい知性なんだと思います。



この写真が脳神経回路遺伝学棟。
利根川進センター長の意見をふんだんに取り入れて、これまでの日本にはないアメリカ~ンなステキな研究棟になりましたよー。

2011年2月21日月曜日

バカと言う方がバカ


こんにちは

息子がしょげて幼稚園から帰ってきました。
どうしてかなーと思ったら、お友だちから「そんなことも知らないの?バカ」と言われたらしい。
確かに我が家はほとんどテレビを見ませんから、他の子の話題についていけないのかも。
他の子が常識的に知っていること、まあ仮面ライダーとかゴレンジャー(古い?)のこととか、うちの子は知りませんからねー。
時々、話が合わないこともあるでしょう。

ぼくは息子にこう言いました。

 あのね、人にバカと言う人の方がバカなんだよ。
 君には知らないことがあったかもしれない。
 でも他のことはみんなよりよく知っているでしょ。
 だから全然バカじゃない。
 バカと言われても気にしなくていいんだよ。
 同じように、君も友だちのことをバカと言ってはいけないよ。
 バカと言う方がバカなんだからね。

近年、脳科学の研究はものすごく進みました。
人に対する実験ができるようになったからです。
脳を解剖して電極を刺すなんて、人に対してはできません。
fMRI(ファンクショナルMRI)とか光トポグラフィーなんて装置があります。
これらの装置を使うと、傷つけることなく、数mmの分解能で脳のどの部分が働いているかわかるようになってきたんです。

こんな研究があります(池谷裕二/木村俊介『ゆらぐ脳』文藝春秋¥1238-、97p)。
ビデオゲームをやりながら脳を計測します。
このゲームは迷宮を探検しながら進むロールプレイゲームですが、そこには知能を持った邪悪な敵が徘徊しているのです。
邪悪な敵をかわしつつ、敵と戦ったりしてゴール目指して進むゲームです。

実験によると、敵までの距離によって活性化する脳部位が異なることがわかりました。
敵が遠いところにいるうちは、主に前頭葉が活性化します。
前頭葉は理性を司る部位です。
敵が近くにいない間は、理性的に敵を避けるようなゲームの進め方をします。
ところが、敵が目前に来てしまうと前頭葉の活動は静まってしまいます。
その代わり、中脳の奥にあるPAGという部分が活動を始めます。
ゲームをしている人は、やみくもに敵と戦うようになります。
あるいは、敵から逃げようとして、行き止まりの道に迷い込んだりして、返って敵にやられてしまう。
つまり、理性的な判断ができなくなってしまうんです。

PAGはパニック障害の患者さんの脳で、いつも活性化していることが知られている部位です。
つまり、敵が目前に来ると、人の脳はパニックに陥るんですね。
パニックに陥ると、やみくもに戦ったり、無思慮に逃げたりする。
理性的な行動ができなくなるのです。
それが人の脳の性質なんです。

「戦」という漢字は、戦う(たたかう)という読み方と、戦く(おののく)という読み方があります。
パニックに陥ると、やみくもに戦ったり、わけも分からず恐れ戦いたりします。
脳科学的にみても、戦うと戦くは非常に近い状態なんですね。
同じ漢字を戦うと戦くにあてるなんて、昔の人も脳のことがよく分かっていたのかもしれません。
相手に対して恐怖を感じるから、恐れおののき、過剰に戦ってしまう。
だから戦うという行為は、決して合理的でも勇気ある行為ではなく、恐怖の裏返しなのかもしれませんね。

森博嗣『小説家という職業』集英社新書¥700-にこうありました。

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ところで、人間というのは、自分が弱い部位を、相手に向かったときも攻める傾向がある。
自分が言われたら腹がたつ言葉を、相手を攻撃するときに使う。
その言葉にダメージを与える効果があると感じているからだ。
したがって、悪口を言ったり、苛めたりする人間は、自分が悪口を言われたり、苛められたりすることを極度に恐れている。
苛める方も、苛められて傷つく方も、この点で共通している。
苛められても気にしない人は、人を苛めない。
悪口を言わない人間は、悪口を言われても腹が立たないのである。(87p)
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なるほど、なるほど。
人のことをバカという子は、実は自分のことを(深層心理では)バカと規定している。
バカだと言われることを恐れているんですね。
そこに自分より優秀な人間が現れる。
すると自分がバカであることが露呈する危険が迫っていると脳は感じてしまう。
PAGが活性化し、理性的に行動できなくなる。
パニックに陥り、相手のことをバカにするような言動をとってしまうのです。

誰かのことをバカにして、いいことなんかまるでありません。
相手から嫌われ、疎まれ、自分の品格を落とす。
何度も繰り返していけば、誰も相手にしなくなり、孤立してしまう。
理性的に考えたら、損な行為であることは間違いありません。

ぼくも子どもの頃、両親や先生から「バカと言う方がバカ」と何度となく言われました。
これってホント真理なんですね。
自尊心、自負心のある人は、人をバカにしたりしません。
当然、誰かからバカと言われても気にしないでいられるのです。
だって、自分がバカじゃないことは分かっているんですから。

よく学び、よい行動をとり、誰かの役に立ち、感謝される。
自尊心、自負心を自分で育てていく。
そういう人生を造っていきたい。
我が子たちにも伝えていきたいことです。


神戸スパコン棟のお隣に、神戸市の外郭財団が建てた計算センター棟が完成しました。
今、両棟を接続する渡り廊下を建設中です。
誰に何と言われようと、いい仕事を続けていきたいと思います!

ぼくはなぜ生まれてきたの?


こんにちは

夕べ子どもたちとお風呂に入っているとき。
溌貴君がこんなことを言いました。

 ねえ、お父さん
 ぼくはどうして生まれてきたの?

おやおや、どこでそんなフレーズを覚えてきたのかね。
ずいぶんと哲学的な質問だな。
ぼくはとっさにこう答えました。

 みんなをハッピーにするためだよ

我ながらなかなかグッドなアンサーでしょ。
溌貴君はにっこりして、「ぼくが生まれたからお父さんも、お母さんも、おじいちゃまも、おばあちゃまも幸せになったんだよね」だって。
確かに、確かに。
子どもは宝ですなー。
ぼくらを幸せにするだけじゃなく、世のため人のため、多くの人にハッピーを運んでくる、そんな人生にしてほしいですね。

続けて溌貴君はとしきくんへも、「とんたんはどうして生まれてきたの?」と聞きます。
としきくんは、

 おかあさんと結婚するためー

だって。
いやあ、さすがお母さん子のとしきくん、晶ちゃんが聞いたら泣きますよー。
いつまでそう言ってくれるかなー。
あははははは。

2011年2月18日金曜日

安物買いの銭失い


こんにちは

出張中、爪が伸びていたのに気づきました。
ぼくは子供の頃アトピーだったので、今もかなりの乾燥肌。
かゆくて無意識にひっかくこともある。
爪が伸びていると皮膚を切り裂いて流血させてしまう。
なので、いつも爪はきれいに切っておく必要があるのです。

出張中だったのでもちろん爪切りは持っていませんでした。
でもどうしてもすぐ切りたい。
爪切りを買おうと思った。
たまたま出張先の駅前に100円ショップがありました。
1回使うだけだから、100円のもので十分だと思いました。

100円ショップで爪切りを買い、さっそく駅のホームで爪を切る。
ところがうまく切れないんです。
細かなコントロールが効かないので、爪の端が残ってしまう。
おまけに刃に力がうまく伝わらず、切りにくいったらない。
だんだんイライラしてきました。
しまいにはとうとう肉を切ってしまい、血がにじむ。
イテテテテ。。。

やっぱり100円ショップの爪切りではダメでした。
全部の指を切り終える前に、この安物爪切りを使い続けることは不可能だと判断。
ふたたびスーパーに行き、ちゃんとしたものを買いました。
450円でした。
今度は快適、とてもスムーズに切れます。
最初からこれを買えばよかったよ。
安く上げようと思ったのに、かえって無駄遣いになってしまいました。
とほほほ。。。

『40歳の教科書』講談社¥838-似鳥昭雄(ニトリ社長)「本当の豊かさは安さで実現される」にこうありました。

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ものごとの価値は「価格」と「品質」のバランスによって決まります。
価格を大幅に上回るだけの品質があれば、その商品には「価値がある」と見なされる。
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ただ金額が安いだけじゃ、人は価値を認められないんですね。
絶対額じゃないんです。
安いものでも品質が粗悪じゃだめなんです。
たとえ金額は高めでも、品質と比べてオトク感があるかどうかなんですね。
でもねー、よのなかには安さしか売れるもののない会社というのも多々あるんですよ。
逆に言えば、品質という観点のない会社は安さしか売るものがなくなってしまうんです。
でもそれじゃあお客さんは結局離れていってしまいます。

モノの値段というのは「1/3の法則」というのがあって、だいたいこんな割合になっているのです。

 1/3が原材料費、
 1/3がそのモノを作るために必要な直接的な人件費、
 残り1/3が間接費や利益

これはほとんどすべてのモノに当てはまる法則です。
たとえばマクドナルドのハンバーガーでも、値段の1/3はパテやパンにかかる金額で、1/3は店員さんたちの給料、残り1/3がお店の家賃や光熱費、本社費用と利益なんです。

ぼくの本業の電気工事でも同じようなことが言えます。
たとえば分電盤の値段を見積もるとき、ぼくはこんなふうにやっています。
分電盤に必要な材料費、ブレーカーや金属箱、内部配線の値段をざっくり見積もります。
個々の材料費はカタログやWebで調べられますし、ぼくは長年こんなことをやっているのでだいたいの単価は記憶しています。
で、材料費合計を3倍すればほぼ適正価をはじけるんです。

先日もある工事を発注しました。
変電所から幹線を配線し、分電盤を設置する工事です。
この分電盤の価格は、ぼくの概算では350万円くらいが適正なものでした。
発注前には予定価格を立てますが、ぼくの概算を正式な資料として採用はできません。
なので盤製作メーカー数社から見積を取ります。
この見積と、ぼくの弾いた概算額や市場価格を勘案して、見積額を査定するわけです。
この盤に対するあるメーカーさんの見積書には、なんと1200万円と記載されていました。
うわー、ベンツが買えちゃう値段だぜー。
絶対こんなわけありませんよ。
やっぱり契約額は適正価である350万円程度になるはずなんです。

入札が終わりました。
予定価格よりかなり安い金額での落札でした。
落札した電気工事業者さんの札には、見積内訳書が添付されています。
これを見ると、ケーブル配線費用などはほぼ適正でしたが、分電盤の値段がすごく安い。
そこには200万円と記載がされていました。ぼくの概算額の2/3以下です。
だから合計した工事費を安く入札できたんです。
落札業者さんに「ホントに設計図に記載された仕様と品質で作っていただけますか」と聞きました。
まあ当然「はい」と言いますよ。
不安を抱えながらも、この落札業者さんに発注することになりました。

大規模工事なら工場出荷前に工場立会検査を実施して納品してもらいますが、小規模な工事だったので分電盤は製作後、直接現場に搬入されてきました。
もちろん事前に製作図を提出してもらい、そのチェックもします。
が、図面にはすべての事項を記載できるものでもなく、当然満たすべき暗黙の了解事項は記載されないのが普通です。
たとえば、電気設備技術基準という経済産業省令に記載されているものまで、製作図には書いてない。
法令準拠はあたりまえのことだからです。
で、搬入されてきた分電盤をチェックすると「なんだこれ?!」。
想定される電流値に対して許容電流値のが満たさない細い電線が使われていたんです。
こんなんじゃ場合によっては過熱、出火してしまいます。
電気設備技術基準に適合していないのは明白です。
ぼくは直ちに是正を指示しました。

適正価の2/3ですから、いくら経費削減、コストカットに努めても無理が出ます。
どこかでこの無理を吸収しないとならない。
そこでつまんない部分でケチってしまったんでしょう。
でもそれでいいのでしょうか。
結局、是正させられて二度手間になってしまい、コストもかかり、元請け電気業者さんにも恥をかかせ、発注者にも悪い印象を残す。
万一、不適合が発見されずこのまま使われて火災にでもなったらどうするつもりだったんでしょうか。
まったく割りに合わない損なことだと思うんですがねー。

この盤を製作したメーカーは、1200万円の見積をしたメーカーでした。
それを200万円で受注したんですね。
見積価の1/6です。
こういう見積をするメーカーさんの心理が透けて見えますよ。
品質で勝負できないから、価格で勝負してるんです。
とにかく安けりゃ客は納得するだろう、と安易に考えているに違いありません。
安さを強調するために、見積価格を釣り上げ、値引き率を大きく見せかけているんだと思うのです。
せこいよねえ。
こんなの意味のある仕事なのかなーって、ぼくは思いますよ。

ニトリ社長はこうも言っています。

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だから、子どもが自分のおこづかいを使うときも、価格と品質を天秤にかけて、本当の価値を考える習慣を身につけてほしいですね。
これは自分の身を守る上でも、大切な心がけになります。
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さすが「お値段以上、ニトリ」ですね。
ぼくもわが子たちに「値段だけに騙されないように」ということは、強く教えていきたいですね。
値段はそのモノの価値を表すものだ、価値のないものはいくら安くたって高いものになってしまう。
高くたってそのねだん以上の価値を持つものならは、人は「安い」と喜んで買ってくれる。
モノだけじゃなく、人だって同じだ。
価値のある人間なら、高い給料を払ってくれる、高く買ってくれるんだってね。



写真は完成間近の神戸研iPS研究棟。
今日、完成前の監督員検査をしてきました。
お値段以上の施設ができたと自負しています!

2011年2月16日水曜日

はしかは恐いか、恐くないか


こんにちは

まだとしきくん4歳は時々具合が悪くなります。
肌もちょっと乾燥肌で、夜中にかゆがって起きることも。
とはいえ、徐々に改善してきてキズをつくるほどひっかくことも少なくなってきました。
全体的に肌もツルツルの部分が拡大してきています。
これならワセリンなどでコントロール可能でしょう。
恒常的に医者通いしなくてすむ。
夜中にかゆさで起きる回数も減ってきています。

溌貴君も0歳の時はすごい乳児湿疹でした。
頭や顔が血だらけになっていました。
ひっかかないように、寝るときに「ひじっこ」という肘が曲がらないようにするサポーターを付けていたこともありましたっけ。
何とか乗り切り、今も若干乾燥肌気味ではありますが、特にスキンケアをしなくても夜もぐっすり。
元気満開で、名付けたとおりの元気溌剌溌貴君になりました。

乳幼児の時の湿疹は、体内からの毒出し作用。
顔や頭は発生学的にエラだった部分で、排泄器でもあったわけです。
乳幼児はまだ排泄器としても働いている。
皮膚は一生涯排泄器でもあり続ける臓器ですしね。
この毒出し作用を薬で抑えてしまわない方がいい。
抑えてしまうと毒が体内に留まり続け、薬で抑えている間は治ったようになりますが、薬が切れたり、薬が効かなくなってしまうとまだ一気に吹き出してしまう。
だから血まみれになってちょっとかわいそうだったんですが、溌貴君もとしきくんも毒が出来るまでがまんしました。

お医者さん、医療も怪我や急性的な病気の時は頼らなくちゃいけないものだけど、慢性的な病気でずっと病院がよいしなくちゃいけないというのはよろしくない。
そうならないように強い身体になるよう、あれこれやってきました。
風邪も幼児のうちは罹った方がいい。
それによって免疫力が身に付くから。
だからインフルエンザ予防接種はしませんでした。
インフルエンザで重症になる子どもは、栄養状態が悪かったり、他の持病があって元もと病気への耐性がない子ども。
普段元気なら、インフルエンザに罹患しても重症化することはまずないんです。

同様に、はしかなどの予防接種もしないできました。
たとえ保健所から「無料接種のお知らせ」が届いても無視。
できれば自然に罹患して、自力で治ることによって、免疫力を身に着ける方がいいからね。
それに免疫力もなく体力も十分でない乳幼児に予防接種して、それによって重篤な病気になってしまう子どもも結構いるわけです。
そのリスクを考えたら、乳幼児期は予防接種はしない方が得策だと判断したのです。

瀬名秀明/池谷裕二『東大博士が語る理系という生き方』PHPサイエンス・ワールド新書¥850-にこうありました。

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日本でははしかに感染して死ぬ子どもはそれほど多くなく、死亡する確率(致死率)は1%以下といわれています。
これは、日本が極めて清潔で、医療も発達した国だからです。
アジアやアフリカなどの上下水道や医療機関が未発達な国では、いまだに子どもたちに蔓延するはしかは死にいたる恐ろしい病気の一つで、その致死率は10%~40%にも達します。
なぜかというと、麻疹ウイルスに感染すると、免疫抑制が引き起こされるからです。
免疫とは私たちの体内に備わっている、外敵を撃退する仕組みで、これが抑制されると、元気なときには知らない間に免疫系がやっつけてくれているはずの細菌などの感染に対する抵抗力を失い、合併症にかかりやすくなります。
そのため、あまり清潔でない国では、はしかにかかった子どもが、はしかのせいでというよりも、下痢などの合併症によって死んでしまうことが多いのです。(古谷未央、268p)
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昔(昭和20年代頃まで)は、はしかで死亡する子どもが多かった。
それは日本の栄養状態や衛生状態が悪かったからなんですね。
はしかのウイルスによって免疫抑制が起き、他の病原菌が増殖し、合併症で死んでしまった。
今の日本は栄養状態や衛生状態もとてもいいので、たとえはしかに罹っても死ぬようなことはなくなっているんです。
日本人のはしか予防接種の接種率は低い。
日本でははしかはそれほど恐い病気ではなくなっているからです。

が、外国では違います。
未だ栄養状態、衛生状態が悪い国は多い。
だからはしかは恐い病気に変わりないのです。
日本人が外国に行くとき、一緒にはしかウイルスも連れてきてしまう。
それが現地の人たちに感染し、広がってしまう。
そのため日本は「はしかの輸出国」と言われています。

溌貴君は4月から小学生です。
だんだん世間が広くなり、近い将来には外国へ行くこともあるかもしれません。
体力もついてきていますから、そろそろ予防接種をした方がいいかもしれませんね。
もしかすると知らないうちに既にはしかなどに罹っていて、免疫ができちゃっているかも。
まずは免疫ができているのかどうか、診断してもらおうかと思っています。

2011年2月15日火曜日

締め切りを守れ!


こんにちは

ぼくは「締め切り」にうるさいやつです。
仕事を頼まれても頼んでも、締切日を明確にしないと気がすまない。
「なるべく早く」とか「ゆっくりでいいよ」とか、あいまいな指定は嫌。
○月△日、ときっちりと決めないと、安心できない。
日にちを確定して手帳にメモしないと気がすまないんです。

それは今までの経験から得た教訓なんです。
「ゆっくりでいいよ」と言っていた人が、突然「あれ、どうなってる?」なんて催促してくることが多いんですね。
ゆっくりでいいと思っているので、当然やっていないわけです。
でも催促されると、やっていない方が悪いみたいな状況になっちゃう。

誰でもそうでしょうが、催促されるほど嫌なことはありません。
まるでこっちがサボっていたような気になってしまい、無能であるかのような劣等感を植え付けられてしまいます。

その点、具体的に締切日を設定していれば「それは○月△日のお約束です」と言える。
ちっともやってなくても「お約束の○月△日には提出できますよ。進捗状況もばっちりです」なんて言っちゃえます。

スケジュール管理で大事なのは、締切日よりもその作業をいつやるか、なんです。
締切日が明確なら、逆算して作業する日程を組みやすい。
仕事の優先度もつけやすいのです。

反対に誰かに仕事を頼んだときも、管理がしやすい。
締め切り1週間前頃になったら「来週がお約束の日です。よろしく」なんてメールを出したりできる。
前日になれば「明日です。よろしく」とアテンションできたりする。
事前にアテンションしておけば、万が一遅れる場合でもその情報が得やすく、ドタキャンを防ぐことができます。
必要なら手伝ったり、みんなに応援を頼んだりもできる。
だいたい無能な人に限って締め切り日まで何も言わず、助けを求めないんですよ。
いきなりドタキャンするんです。
ドタキャンはこっちのスケジュールにも影響大で、避けるべき事態です。
たとえ前日でも遅れることが予めわかれば、調整も可能です。
次善の策を施すこともできる。

時々立派な人がいて、締切日より大分早く提出してくる。
これも困りものなんです。
早く出されてもこっちはそれに対応する時間がない。
チェックもせずに、ただ受け取って保管するだけになっちゃう。
締切日に提出してくれれば、受け取ったときに真剣に内容チェックします。
その方が間違いも少ない。
だから、自分でも提出日も守るようにしていますし、相手には守ってもらうようにお願いしています。

締め切りを決めることは、その他にもご利益があります。
人間は、終わりの時が明確だと、かなり過酷な状況でも耐えられるものなのです。
地震など大災害が起こったとき、レスキュー隊が活躍します。
彼らは期限を切って救助活動を行うそうなのです。
被災者全員を助けるまで、といったあいまいな期限はきめません。
2日間とか3日間と区切りを決めてしまう。
それで被災者全員を救助し切れなくても、とりあえずそこで打ち切る。
非情なようですが、そうしないとレスキュー隊の人たちが精神的にまいってしまうからなのだそうです。
2日間とか3日間と期限を決めれば、その間は不眠不休でもがんばることができます。
期限を切ることによって、その間の救助活動の効率が上がるのです。
その方が被災者にとってもメリットがあるのです。
期限を決めないと、だらだらと救助活動をすることになってしまいます。
いつ終わるかわからないので、自分の体力を温存しないとならないという意識が働いてしまうからでしょう。

締め切りを明確にすることによって、ストレスにも耐えられるようになるわけです。
これを精神医学では「締め切り効果」と呼ぶそうです。
確かに人間は、そんなに辛くはないがいつまで続くかわからない「ぬるい地獄」ほど嫌なものはありませんから。
きつい地獄でも、終わる時が決まっているならそれに耐えられるんです。

森博嗣『小説家という職業』集英社新書¥700-から引用します。

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仕事には締切りがある。
いつまでになにを書くのか、そのあとのシリーズの展開はどんなふうにするのか。
近いものは3年くらいさきまで、すべて予定を決め、遠いものは10年くらいさきまで、たいたいの方針を考えておいた方が良い。
予定を立ててもそのとおりにいかない、という人は多いけれど、だからといって、予定を立てなければ、そのまま予定どおり、なにもできないだけである。
予定を現実に歩み寄らせて、「予定どおりだ」と満足することに価値があるのではない。
たとえ予定どおりにいかなくても、現実を多少でも予定(つまり理想)に近づける努力をすることが、有意義な人生というものだと思う。
もし、予定のとおりに現実を築くことができれば、それが「自由」というものではないか。
予定を守るということは、第一には自分に対してであり、また、ビジネスであるからには、仕事関係(つまり出版社や読者)に対しても、約束を守ることが結局は自分の利益につながる。(89p)
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予定通りにこなすこと、締め切りを守ることは「自由」を得る方法でもあるんですね。
人生、メリハリですからね。
締め切り効果を活用していこうと思います。
(「締め切り効果」については、吉田たかよし『1分間ですべてが決まる!』サンマーク出版\1400-に書いてありました)。


写真は神戸iPS棟工事現場です。
仕上げ工事の真っ最中。
スタッフも現場事務所に泊まり込んでの作業。
締め切り=竣工日までもう一踏ん張り!

2011年2月14日月曜日

保湿クリームでよけいに乾く

こんにちは

ぼくは子どもの頃アトピー性皮膚炎だったので、今もかなりの乾燥肌。
なので冬は乾燥するので苦手です。
全身の皮膚表面から表皮がぽろぽろと落ちてきてしまいます。
特に背中の肩胛骨のあたりがボロボロです。
かゆくてひっかくと、表皮が雪のように落ちてきます。
かかとも冬は必ずアカギレになり、ぱっくり割れて痛い、痛い。

それに対処するためにこれまでぼくは保湿クリームを塗ってきました。
お風呂から上がったあとと、朝出勤前に。
塗りたくるようにたっぷりとね。
たしかに塗った直後はしっとりとしてかゆみもなくなり快適です。
がしばらくするとその効力は落ちてしまうのです。
すぐに皮膚はかさかさし始め、表皮が浮き上がってくる。
かゆいのでひっかくと、それがパラパラと落ちる。
あとには赤く血がにじんだ皮膚が残されるんです。

昨年末に夏井睦『傷はぜったい消毒するな』光文社新書¥840-を読みました。
主にキズややけどの治療を行っているお医者さんが書いた本。
すごく面白くて、あっという間に読んでしまいました。
この本に少しアトピー性皮膚炎の治療についても触れられていました。
そこには何と

 保湿クリームはよけいに乾く

と書いてあるではありませんですか!
ええええ???
皮膚を保湿するためにクリームを塗っていたぼくは、びっくり仰天。

その理由は明確でした。
クリームや乳液などミルク状のものには「乳化剤」が混ぜられているから、なのです。
クリームや乳液にはオリーブオイルなどの油脂が材料に入っています。
この油脂で保湿するのが目的の製品なんです。
ところが油脂は水と混ざらないで分離してしまいます。
油と水を混合し、安定化させるために乳化剤を添加してあるのです。

牛乳や母乳にも、カゼインという乳化剤が入っています。
カゼインが乳脂肪分を溶かし込み安定させるので、牛乳や母乳は白いミルク色をしているわけです。
それと同様に、クリームや乳液も乳化剤によって白いミルク色を保っている。

乳化剤は一種の界面活性剤です。
界面活性剤は合成洗剤にも含まれています。
油汚れを落とすためです。
衣服や食器にこびりついた油汚れを、界面活性剤によって水に溶け込ませることで、汚れを落とす。
乳化剤にも同じ働きがあるのです。

健康な皮膚表面は自らが分泌したセラミドという油脂で覆われています。
ここにクリームや乳液を塗る。
クリームや乳液は界面活性剤ですから、セラミドも溶かしてしまいます。
お風呂に入ってクリームや乳液を洗い流したり、クリームや乳液が下着に吸い込まれると、それと一緒に皮膚表面のセラミドも失われてしまうのです。
あとには乾燥した皮膚が残されるというわけなのです。

ファンデーションなどお化粧品にも乳化剤は含まれています。
女性の方には経験があるかもしれません。
お風呂でお化粧を落としたあと、寝る前に顔に保湿クリームをたっぷり塗らないと、翌朝ひどいことになってしまう。
顔がガビガビに乾いてしまい、ボロボロの皮膚になってしまうんです。
これもお化粧品に含まれる乳化剤によって顔の皮膚のセラミドが失われた影響なんです。
常にお化粧する必要のある人は、保湿クリームが手放せなくなります。
こうして、高価な保湿クリームを買い続けなくてはならなくなってしまうのです。
化粧の濃い女性ほどスッピン顔を見せられなくなるのは、セラミドが失われてしまってボロボロの肌になってしまっているからかもしれませんね。

同様にアトピー性皮膚炎の乾燥肌の人は、保湿クリームが手放せなくなってしまう。
保湿クリームによってより肌が乾燥し、かゆみが強くなり、皮膚科のお医者さんの診療を続けなくてはならなくなっている。
悪循環です。

夏井先生は「肌の乾燥にはワセリンがよい」と言っています。
http://www.wound-treatment.jp/next/wound351.htm
さっそくぼくも実践し始めました。
全身にワセリンを塗りたくるのはちょっと、、、なので、かかとと背中の肩胛骨のあたりのガサガサがひどいところに塗っています。
かかとは効果バツグンで、この冬は一度もアカギレは切れていません。
肩胛骨まわりはガサガサが緩和されてきました。
まだかゆみは残っていますが、以前のようにひっかきまくることはなくなっています。
もちろん尿素入保湿クリームとはオサラバしました。
保湿クリーム代もバカにならない金額だったので、家計も助かっています。

2011年2月13日日曜日

よのなかは弱肉強食じゃないんだ


こんにちは

子どもに勉強させるばっかりじゃ何ですから、ぼくも今年受験する資格試験の勉強をスタートさせました。
毎日スキマ時間を利用して、最低でも30分は勉強を続けていますが、これからは自宅でもちょこっと勉強をして、その姿を子どもに見せようかと思っています。
やっぱり親は、直接教えるより背中で教える方が効果がありますからね。

ぼくの尊敬する小学校教師、野口芳宏さんは常々こう言っています。

 教師は研究が好きだ。
 いかにして子どもに勉強させようかという研究を熱心にしている。
 けれども自らが学ぶこと、修養についてはまこと不熱心だ。

学校の先生ばかりでなく、親もそうなりがちですよね。
子どもに勉強しろ、勉強しろとうるさく言う割に、自分は学ばない。
子どもはそういう親の「姿」をよく見ているものです。
自ら学ばない親の子どもは、自ら学ぼうとはしなくなるのは当然なのです。

ところで我が子たちは、親が言うのも何ですが、とても優しい。
人と争うことを好みません。
誰かと争ってまで勝とうという気はないようです。
親としてはもうちょっと荒々しい方がいいんですがね。
ま、ぼくもそういう性格だから、遺伝でしょうか。

ぼくの職場は高学歴、高知能の博士たちがたくさんいます。
科学の世界で活躍している人たち。
世界中の研究者たちと戦っています。
ところが彼らもまた、人と争って勝とうとはしていないんです。
優秀な人ほど、人と争わない。
もちろん科学の世界ではナンバーワンしか意味がありませんから、熾烈な競争をしています。
でもその競争は、誰かを蹴落としたり、足を引っぱったりする競争じゃないんです。
自らが努力することで高みに行くことによって、結果として勝つ。
そういう戦いなんです。

小宮一慶『あたりまえのことをバカになってちゃんとやる』サンマーク出版¥1400-にこうありました。

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この世は「弱肉強食」の世界ではありません
「優勝劣敗」の世界です。
つまり、優れた者が勝ち、劣った者が敗れる。
ただ、それだけの話です。
ライバルを蹴落とすのではなく、自分が優れたことをするように全力をつくせばいい。
優れたことをしているとまわりから評価されて生き残り、そうでなければ生き残らないということです。
適者生存なのです。(44p)
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我が子たちには意地悪な人になってほしくありません。
でもよのなかで認められ、成功して欲しいとも願っています。
その成功の仕方は、誰かを陥れたり、蹴落としたり、足を引っぱるやり方ではしてほしくない。
そんな卑怯なやり方は一時的に勝者になれるかもしれませんが、長い目では成功者にはなれないんです。
自分の実力で堂々と戦ってほしい。
よのなかは弱肉強食ではなく、優勝劣敗というのは覚えておきたいことです。
まじめにコツコツとやるべきことをやり、少しずつでも自分を高みへと導いていく。

ぼくの以前の上司からいただいた年賀状に、「ご一家の写真を拝見するたびに、屋台骨のしっかりした家族が確実に成長、成熟している様子が、ひしひしと伝わってきてほほえましい限りです」と添え書きがありました。
嬉しいですねー。
人生は研究と修養。学び続けることで成長していけるんだと思っています。
そのために勉強、勉強!

コツコツと続けること


こんにちは

溌貴君の小学校入学に向けて、ひらかなを書く練習を始めました。
毎日夕食後コンスタントに10分間くらい。
すでにひらかなを読むのは完璧で、本もすらすら読める。
でも書く方は特に教えていなかったので、書き順などあやふやだったんです。

ひらかな、カタカナだけじゃなく、漢字も同じですが、書き順をバカにしてはいけません。
特に小学生くらいまでは指示されたとおりの順番に書く方が、美しく読みやすい文字を書くことができます。
ぼくはまったく字がへたくそですが、それで人生損していることが多い。
ある国家試験の願書を手書きで提出したとき、受験票が返送されてきたらぼくの名前の文字が違う漢字になっていました。
ぼくの書く字があまりにへたくそで、事務局の人が判読不能だったんでしょうね。

やっぱり文字は美しく読みやすく書けるに越したことはない。
ぼくの経験でも、きれいな文字を書く人は小学校時代にきちんと練習した人が多いんです。
だから我が子たちにも文字を丁寧に書く練習はさせていきたいんです。
今は鉛筆を正しく持つこと、筆圧をかけて書くこと、書き順を覚えることを目標にしています。

使っている教材は、

 えんぴつ:くもんのこどもえんぴつ4B
 練習帳:高嶋いさむ『小学校入学準備 高嶋式 ひらがな練習ノート』PHP

です。

まず練習帳に載っている50音表を音読します。
「あいうえお、かきくけこ・・・」ばかりじゃなく「あかさたな、はまやらわん」「いきしちに・・・」もね。
頭の中にも50音表をしっかりと書き込むわけです。
50音表が頭に定着していないと、辞書を引くときに不便ですから。
徹底して毎日やる。
それに加えて、音読の訓練にもなりますしね。

その後鉛筆を正しく持って、ひらかなを書く。
筆圧をかけて、ゆっくり丁寧に。
最初はなぞり書き、次は書き始めと書き終わりのところに点を打ってあげて、点と点をつなぐように書く。
だんだん点の数を減らしていく。

もう少し年少から始めるなら、書きやすい「く」や「へ」から始めるんですが、50音表と関連させるため「あ」から順番にやっています。
この練習帳には、各文字27個も書く欄があります。
1日に全部埋めちゃうんじゃなく、4マスくらいにとどめる。
毎日これまでに練習してきた文字を4マスずつ書いていき、そして新しい文字をひとつ覚える。
そうやって復習をしながら先へ先へと進んでいくんです。
こうやると、前の日までに練習した文字を忘れませんし、なにより目に見えて日々上手に書けるようになるんですよ。

瀬名秀明/池谷裕二『東大博士が語る理系という生き方』PHPサイエンス・ワールド新書¥850-という東大卒の理系博士たちのインタビュー本があります。
この本に、博士たちが東大に入るためにとった勉強法も書かれていました。
河村大輔さんは、

 受験を通して学んだことは、受験前の土壇場で一気にがんばるよりも、
 コツコツ積み上げていったほうが心理的に楽で、効率もいいということです。(226p)

と書いていました。
少しずつでもコツコツと続ける。
それが高みまで到達する早道なんです。

百ます計算の生みの親、岸本裕史さんは「勉強のコツは、コツコツと」と言っていました。
我が子を落ちこぼれにしたくなければ、毎日家で学年×10分間勉強させなさい。
クラスでトップにしたければ、毎日家で学年×20分間勉強させなさい。
当然我が家は学年×20分ですがねー。

子どもが幼少のうちは、親が「見ていてあげる」のが大切だと思います。
親が教える必要はありませんが、子どもが勉強しているところを見守るってことですね。
毎日ダイニングテーブルで勉強させ、それを見ていてあげる。
もちろん、時々は教えたり、手助けすることも必要でしょう。
毎日、毎日、特別なことがなければ土日も関係なく続けていく。
10歳くらいまでそうやっていけば、自学する習慣が身に付き、10歳以降、小学5年生、6年生になったら自分だけで勉強ができるようになるんです。
6年生×20分=2時間ですから、これだけの時間自力で勉強する力があれば、クラスでトップになれるのも必然ですよ。

そんな未来を夢見ながら、今は入学までにひらかな50音をマスターできるよう、毎日コツコツと続けていこうと思います。

2011年2月12日土曜日

いじめなんかで死ぬな!


こんにちは

文藝春秋PR誌『本の話'11.02』に載っていた作家貴志祐介さんのインタビュー記事「悪か否かは被害者が決める」から引用します。

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---いじめの被害者が自殺したときに気の毒に思うのは、自分を追いつめた人間が死によって社会的な制裁を受けることを期待して遺書を書いているにも拘わらず、事実はそうならないことです。
死なれた側は「迷惑だな」と思いこそすれ、実はそんなに反省しない。
死に損だよ、と思うのです。

貴志 そのとおりですね。
自殺を考えている子供たちに心から言いたいのは、自殺がなぜ悪いかといえば、自分を愛している人ほど傷つけて、自分を憎んでいる人とか、どうでもいいと思っている人に対しては何の影響もないということなんです。
しかも学校の人間関係なんて、人生の中でほんの一部分なんです。
学生時代の知人と成人してから付き合うことなんて本当に少ないですよ。
そんなもののために二度とない人生を捨ててしまうのはばかげています。
###

ホント、いじめで死ぬのは死に損だと思います。
復讐のために死ぬなんてバカげています。
だっていじめをするような奴は、自分が死んだって結局たいして反省もしないんですから。
逆に自分を大切にしてくれている人たち、親や本当の友だちを悲しませ、不幸にしてしまう。

世の中を見回してみると、いじめをする方もされる方も自分に自信がない。
いじめる側は、自信がないからそれを補い、隠そうとしてことさら強くふるまうために、弱い者をいじめるんです。
いじめられる側は、自信がないから無力感に支配され、されるがままになってしまう。
どちらも弱い人間なんです。

自分に自信がある子は、いじめもしないしいじめられもしない。
いじめがバカバカしいことが分かっているからね。
人間としての強さを持っているから。

我が子たちには時々「親より先に死んじゃいけないよ。親より先に死ぬのは親不孝」だと言って聞かせています。
だって、親にとって最大の悲しみは子に先だたれることだからね。
まして、いじめなんかで死なれたら嫌ですよ。
もちろん、我が子がいじめる側の人間になってしまうのも嫌です。
強い人間になるように、少しずついろいろなことに挑戦させ、小さな成功を積み重ねる。
そんなふうに自尊心を育てていくんです、毎日コツコツとね。

2011年2月10日木曜日

笑いなさい、幸せになりなさい


こんにちは

溌貴君もとしきくんもとてもにこやか。
笑い声もステキです。
表情も明るく、いつも脳が活き活きしてるって感じ。

内藤誼人『悪魔の処世術』河出書房新社¥1200-から引用しますね。

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子どもが声を出して笑うほど、先生からは、「あの子は優秀そう」と思われることがわかったのだ。(略)
サラ博士の実験によると、声を出して笑うようにすると、優秀さのアピールができるばかりでなく、「リーダーシップ」のアピールもできるそうである。(85p)

天才研究で有名なG・ワラス博士は、素晴らしいアイデアが出せる人間の特徴として、ユーモアのセンスがあることを挙げている。
私たちは、頭がいい人のことを頭に思い浮かべるとき、眉にシワを寄せて、熟慮に耽っている哲学者のような人間を連想してしまうものだが、実際には、まるで違うのであって、頭がいい人ほど、とてもユニークでおもしろいのだ。(126p)

本当に優秀な人は、とても陽気で、周囲の人をたえず笑わせている。
明るい笑い声がたえないところの、会話の中心にいる人は、例外なく、優秀な人間である。(126p)

面接では、面接官を笑わせることができたら、採用されたも同然、という話を聞いたことがある。
面接では、応募者は当然ながら緊張しているが、面接官も同じように緊張している。
お互いに緊張するような状況において、それでも相手を笑わせるくらいのユーモアのセンスがあるような人物は、まず合格するのだ。(128p)
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「泣くから悲しい」というのはジェームズ・ランゲ説という心理学の法則。
悲しいから泣くんじゃなくて、泣くから悲しくなるんですよ、人は。
最近の脳科学でこのことは実証されています。
脳が指令して身体がそれに反応して行動が起こるんじゃないんです。
まず身体が反応する。
それを脳が検知して、身体の反応に整合的な感情を生み出すんです。

だから泣くから悲しいの逆に、笑えば楽しくなるのもホント。
笑えばハッピーはやってくるんです。
笑う門には福来たる、って昔の人はよく言ったもんです。

我が家も笑いの絶えないハッピーな家庭であり続けたい。
そうなるようにぼくもオトコの価値を上げ、心と時間とお金にゆとりを持つ。
家庭生活を上手にマネジメントしていきたいと思います。
さて、今日は神戸出張です。
バリバリやってきますよー!

2011年2月9日水曜日

オトコの価値


こんにちは

関根眞一『となりのクレーマー』中公新書ラクレ¥720-を読んでいたら、

 クレーマーは年配の男性に多い。

って書いてありました。
ナルホド、ナルホド、分かりますよ。
ぼくの周りの40代、50代のおじさんたちの中にも、くだらないどうでもいい自分の趣味みたいなことをぐだぐだと言いつのったり、押しつけてきたりして、職場の雰囲気を悪くしている人がいます。
みんなから嫌われてるのにそれを止めようとしない。
困ったもんです。

同書にはこうも書いてありました。

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ある懇親会での出来事です。ひとりの法学系の教授が、こんなことを言いました。
「苦情の背景には少なからず、苦情申し立て者の経済的事由が存在する。
そのため、そのような要因が除去されれば、苦情は減少するであろう」(略)
では、社会に対して「格差意識」を持ってしまう年収のラインは、どの程度でしょうか。
もちろん、意識の問題ですから個人差が大きいでしょうが、くだんの教授によれば、一般的に若年層の単身世帯で年収400万円を超えると、精神的にゆとりができて穏やかになり、ほとんどトラブルにならないとのことです。(151-153p)
###

なるほどねー。
クレーマーになってしまうおじさんは、「ビンボー」なんですよね、精神的にも実際にも。
それに対して自己評価が高すぎる。
高すぎる自己意識と、低すぎる現実のギャップががまんならない。
ネガティブコンプレックスになっている。
その鬱憤をクレームというやり方で解消しようとするんですね。

どんな人にも多かれ少なかれコンプレックスはあるものです。
でも真っ当な人間ならそのコンプレックスをバネにして、自分の能力を上げ、少しでも会社や社会に貢献できるようにし、皆から歓迎されるように行動するものです。
収入の低さがコンプレックスだったら、少しでも稼ぎを多くするようがんばらなくちゃね。
たしかに、自分の能力を上げたり、会社や社会に貢献したりして自分の評価を上げていくのは、大変な努力が必要だし、時間もかかります。

クレーマーにはそういう意識がないんですよ。
手っ取り早くお手軽に鬱憤を晴らしたいだけなんですね。
でもその戦術は間違っているし、損なだけなのにね。

もちろんクレームが建設的なものなら、会社や社会をよくしていくタネにもなります。
正しい意見としてね。
そういう真っ当なクレームなら、相手が誰であっても言うべきです。
ところがクレーマーは違うんです。
自分の言うことを聞いてくれそうな、弱い人に対してだけクレームを付ける。
決してそれに反論、反撃してきそうな人には言わないんです。
きっと自分でも自分が言っていることが理不尽で支離滅裂でとても社会には受け容れてもらえないだろうと分かっているんでしょう、少なくとも深層心理では。
だから相手を選ぶんでしょう。
常識的な価値観から言えば、卑怯者です。

理不尽なクレームを発し続けていると、当然ながら周りから疎まれ、孤立していきます。
誰がそういう人を評価したり、給料を上げたりするでしょうか。

給料などお金は自分の持つリソース=資源の一つです。
澤口俊之『なぜいい女はパッとしない男に惚れるのか?』アスキー新書\724-に面白いことが書いてありました。
男はどんなことに一番ストレスを感じるか。
それは脳科学の研究ではっきりしているんだそうです。
こういう研究している研究者がいるってことも面白いことですがねー。

で、男はどんなことにストレスを感じるかというと、それは、

 リソースを得られないこと

なんだそうです。

リソースとは「資源」「得物」という意味です。
たとえば、食べるもの、お金や家など財産、地位や名誉、妻や家族と言ったところでしょうか。
男性は、獲物や住処、領地などのリソースを獲得することを目的として進化してきたので、これらが得られない時の心的ストレスが大きいのは当然かもしれません。
つまり、「カネ」「権力」「オンナ」がオトコの価値なんですよね。
これを持っているかどうかで、オトコは幸せを感じられるか不幸になるかが決まる。
だから、カネがなく、権力をふるえる相手がおらず、オンナからも相手にされないオトコは、ストレスまみれになり不幸になってしまうというわけなんです。

オンナと言っても愛人、浮気相手という意味じゃないですよ。
女房や子どもなど、自分が守るべき存在って意味です。
オトコは女房や子どもなど「弱き者」を守ることにもアイデンティティを感じるのです。
それによって自分が「強い存在」であることを確認できるからです。
え?女房の方が強いって?
それじゃーダメだねー。
あはははは。

リストラで職を失った男性は、同じくリストラされた女性より自殺する人が多いそうです。
それはオトコの方がリソースを失ったことによるストレスが大きいからです。
お金が稼げなければ、食べるものを得られない、地位・財産も失う、名誉なんか絶対に得られない、まして女房や家族から軽蔑される、下手すると女房子どもに逃げられ捨てられる。
死にたくなるのも分かります。

40歳も過ぎる年代になると、変なクソオヤジが増えてきます。
クレーマーもその一種です。
42歳はオトコの厄年です。
厄年は「役歳」とも書きます。
これはオトコも42歳頃になれば、それまで自分を磨き上げ価値を上げて「役がつく」ような人間と、努力を怠ってきたツケを払わなければならない「厄がつく」ような人間と、二つにはっきりと分かれてしまうということなんです。

クレーマーおやじは嫌なことをやったり言ったりして、職場でも家庭でも嫌われる。
それは、ある程度の年齢になってもリソースを得られなかったからなんですね。
リソースを得られなかったおじさんが、卑屈になったり過度に弱気になったりするのは脳科学的に言っても当然なんです。

だから男性がストレスから解放されるには、上記のうち少なくとも一つでも持っていればいいわけです。
お金でも、名誉でも、妻や家族の信頼でも。
でも、男にとっての一番大切なセーフティーネットは妻や家族からの信頼なんだと、ぼくは思っています。
たとえリストラされてお金も地位も名誉もなくたって、妻や家族からの信頼が残っていればストレスに負けずに生きていける。
反対に日頃から女房の信頼を獲得することを怠ると、リストラされたりオトコのリソースを失うような事態に陥ると女房家族に逃げられるんです。
そしてますます卑屈なおじさんになってしまい、クレーマー化してしまうのです。

でもリソースは天から降ってくるものでも地から湧いてくるものでもありません。
自分の「努力」で獲得していかないとならないものなんです。
ここがオトコが生きるポイントなんですね。
それは厄年をすぎた40代、50代だって同じだし、それができるはずなんですよ。
努力によってオトコの価値を高め、厄年を役歳に変えていけるんです。
会社や社会からも認められ、女房子どもからも信頼されるよう努力を積み重ねる。
仕事も思う存分一生懸命やり、家族との時間も大切にする。
我が子(男の子)たちにも正しい「オトコの価値」を伝えていきたいものだと思っています。


昨日は筑波研に建設中の細胞研究リソース棟の受電でした。
ぼくもオトコの価値を高めるべく、がんばってきましたよー。

2011年2月8日火曜日

幸福とは何か


こんにちは

『安岡正篤 一日一言』致知出版社刊にこうありました。

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「さいわい」にも幸と福と二字ある。
学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたにすぎない幸いを幸という。
たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐり合わせにぶつかったとかいう、これは幸。
これは当てにならない。

そうではなくて原因を自己の中に有する、即(すなわ)ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸いを「福」という。

福という字がそれをよく表しておる。
示偏(しめすへん)というのは神さまのことだ。
示というのは上から光がさしている、神の光、叡智(えいち)の光を表す。

旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。
農家でいうならば俵(たわら)を積み上げるという文字。
神の前に蓄積されたるものが「福」である。
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なるほど~、と思いました。
幸子という名の女は幸薄い、なんて昔から言われる。
それは待っているだけの「幸」はアテにならないってことなのかー。
待っていてもダメ。
自ら福を創り出す。
苦心、努力を積み重ねて福を創る。
すると幸もやってくる。
幸福は自分で勝ち得るものだったんですね。
漢字って面白い!

WhyよりHow


こんにちは

会計検査の検査対象が会計検査院から指定されるのは、検査1週間前。
急いで資料の準備をします。
と言っても既に完了した工事についての検査ですから、ほとんどの資料は揃っている。
それらをとりまとめて検査会場へ持ち込めばいいんです。
とは言っても人間のやる仕事、完璧はあり得ません。
念のため必要な書類に目を通します。

するとやっぱり不足している資料が見つかりました。
工事に必要な部材の単価を示すカタログのコピーがありませんでした。
この資料を作成した部下を呼んで、「この部材とこの部材のカタログのコピーが綴じ込まれていなかったから、来週月曜日までに用意してね」と指示。
まあね、なけりゃないでもかまわない程度の資料ですが、あれば安心感が違います。
少しでも不安要素はなくしておきたい。
何か不安に思うことが残っていると、堂々とした態度で検査に臨めませんから。
こっちが不安げにしていたら、検査員だってしなくてもいい探りを入れなくちゃならない気になる。
無駄ですからね。

ぼくから指示を受けた部下は。青ざめました。
さっそく施工者に電話して、「あの資料ないんだけど、何でかなー」なんて言っている。
おかしくて思わず吹き出しちゃいましたよ。あ、失敬。
電話が終わってからぼくはこう言いました。

 何でないのか、なんて今となったらどうでもいいことだよ。
 ないものは仕方がない。
 なけりゃ期日までに揃えればいいんだよ。
 まだ1週間残っているんだから、間に合うはず。
 ぼくら技術者は「Why」じゃなくて「How」なんだ。
 なぜ、と問うより、どうやって、なんだ。
 ピンチになったとき、それをどうやって切り抜けるかが大切。
 結果よければすべてよし、なんだからね。

Whyにこだわると、必要な期日までに必要なコトが終わらなくなります。
トラブルがあったとき、Whyにばかりこだわっている人は、犯人捜しにやっきになりがちなんですよ。
誰が悪かったからこうなってしまったのか、ってね。
でも犯人捜しをする人がたいてい悪い。
そいつは、自分は悪くないということを第一に言いたいがために犯人捜しをし、Why、なぜ!にこだわってしまうのです。
自己保身第一なんですな。

そんなことよりHowですよ。
どうやって今のピンチを切り抜けるか。
どうやっていい結果につなげるか。
それを第一に考えるのがエンジニアの心得のひとつだって、ぼくは思うのです。
結果がよければそれでオッケーなんです。
犯人捜しをするとしても、コトが貫徹してからやればいいんです。
もっとも、いい結果に終われば、誰が犯人かなんかあまり気にならなくなるものです。
無駄なことはしなくてもすみます。

「WhyよりHow」ってことは、『致知』’03年8月号、大谷由里子「第一線で活躍する女性」に書いてあったことを覚えていたから。
大谷さんは元吉本興業の芸人さんのマネジャー。
あの横山やすしのマネジャーでもあった人。
こんなエピソードが書かれていたんです。

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吉本興業では「やすし・きよし」の横山やすしさんや、当時売り出し中の「宮川大助・花子」などを担当しました。
横山さんにはわがままなイメージがあるようで、人には「大変だったでしょう」と言われます。
確かに、大阪で生放送に出演するはずなのにまだ地方の競艇場にいたり、「浮気がばれた。嫁が怒っているから姿を消す。オレに仕事をしてほしかったらおまえが嫁の機嫌をとってこい」って電話がかかってきたり、むちゃくちゃでしたよ(笑)。

でも、どんな仕事でも取引先や上司から無理難題を言われるでしょう。
それを無理難題と思うかどうかの違いです。
コーチングの基本に

 “発想を「Why」から「How」に変えよう”

という理論があるんですよ。
無理難題を言われて、「なんでそんなこと言われなあかんねん」と思ったら、もうそこで終わり。
あの頃、横山さんに何を言われても「どうする?」「どうやって解決する?」といつも考えていました。
それがいまとても役立っています。
###

人間生きていればいろんなトラブルに遭遇します。
何でこうなのよ?!、どうしてオレがこんな目に遭わなきゃならないんだ?!、なぜオレがやらなくちゃならないんだ?!ってことばかり。
でも切り抜けなきゃならないんです。
やるしかない。
いつまでもWhyに拘わっていたんじゃ前に進めません。
だから頭の使い方をHowに切り替えるんです。
どうやったら上手く行くか、どうやって切り抜けるか、どうすれば何とかなるか、ってね。

これはエンジニアの処世術として使えると、ぼくは思いましたね。
だから覚えておくことにした。
覚えるだけじゃなくて、以来、実践してきました。
結果オーライにするためにはどうすればいいか、Howを中心に考え、行動するようにしてきました。

Whyには「行動」が伴わない。
行動しなけりゃ事態は好転しないんです。
悩んでいるうちに時間は過ぎ、何もしないから事態は悪い方へと転がりだし、よくない結果に終わります。
すると自分を守るために誰かを悪者にするしかなくなる。
犯人捜しが始まるメカニズムはこういうわけなんです。
そして誰かを恨み、自分の人生を台無しにしてしまうのです。

Howで考えれば、残された期間でしゃにむに行動することができます。
行動すれば事態は少しずつでも好転していきます。
完全に間に合わないこともあるでしょうが、ちょびっとでもよい方向へと向かうんです。
最悪の事態だけは避けられるんです。

「WhyよりHow」はエンジニアだけじゃなく、すべての人に役立つ考え方だと思います。
というか、すべての人は有限の資源(=リソース;人、金、モノ、時間)の中でよりよい人生を創っている存在ですから、すべての人はエンジニアでもあるんです。
ピンチに遭遇したとき、つい「なんで~?!」と思ってしまいがち。
その時、「どうやって」と考え方をチェンジしてみる。
そういう思考の習慣を持つといいですよ。

さて、スタッフの努力で足りない資料は検査前までに揃いました。
結局その資料は検査員にお見せする機会はありませんでした。
無駄な仕事だったかというと、そうじゃありません。
すべての資料がきちんと揃っていたおかげで、ぼくも堂々と検査を受検することができました。
検査もスムーズに進み、予定時刻より早く終了。
だから意味のある仕事だったと思いますよ。



写真は筑波研究所に建設中の細胞研究リソース棟。
いよいよ本日受電です。
今日も楽しくがんばってきますよー。

2011年2月6日日曜日

ハッピーな人生の創り方


こんにちは

買い物に行くとき、溌貴君、としきくんも自分のお小遣いを自分のお財布に入れて持っていくようにしました。
「無駄遣いしないように、使う分だけ持っていくんだよ」と教えました。
が、まだどのコインがいくらの価値を持っているのか分からないんですね。
としきくんは貯金箱から適当に出して、お財布に入れます。
溌貴君はもうちょっと考えて?、無駄遣いしないように小額のコイン、1円玉とか5円玉を中心にお財布に入れるんです。
だから、昨日なんか58円しか入ってない。

お店に行って、それぞれのお財布にいくら入っているのか数えてあげます。
欲しいおやつ(たいてい食玩)を選んでは、「これ買える?」って確認します。
「う~ん、買えないなあ」って答えます。
58円じゃあ買えないものだらけです。
とうとう半べそ状態に。
かわいいね~。

結局100円のお菓子にして、足りない分は足してあげました。
「無駄遣いしなくてよかったねー」と言ったら、にっこり。
「まだ家に2000円もあるもんね!また買いに来れるしね!」だって。
よろしい、よろしい、大変よろしい。

『致知』2003年8月号に載っていた大谷由里子(プロデューサー)の言葉を紹介しますね。

  コーチングをする側の人間は、
 金銭面も含め幸せでなければならない

コーチングのとき心がけるべきことは何か?と問われて、大谷さんはこう言います。

  まず、自分が幸せであることですよ。
  自分の心に余裕がなければ、心から他人を認め
  応援することはできません。

心の余裕を生むのは、蓄えと自制だとぼくも思います。
お金はもちろん、知識や経験、心持ちもそうですね。
お金や知識のストックがあり、それを無駄に使わない。
お金や知識に余裕がない人ほど「オレが、オレが」と自分勝手で人を蹴落とし、足を引っぱることしか考えない。
それじゃあ、ハッピーで楽しい人生を築けません。
そういうことを少しずつ体験を通して子どもたちに教えていきたい。
心に余裕を持って常にハッピーな状態を維持し、他の人を認め、応援できる人間に育ってほしいと思います。

2011年2月5日土曜日

寒いときには温泉湯豆腐が効く!


こんにちは

立春を迎えてちょっと寒さが緩んできたと思ったら、また来週から寒くなるみたいですね。
寒い時期に「湯豆腐」は美味くて、体が温まります。
こんな変わり種の湯豆腐があります。

 佐嘉平川屋の温泉湯豆腐
  http://www.saga-hirakawaya.co.jp/hirakawa/onsen.html

水の代わりに温泉水を使うのがミソ。
煮ているうちに豆腐の表面が溶け始めるんです。
とろけた豆腐の美味いこと!
そして豆腐の溶けた汁も美味い!

送料無料のお試しセットもあります。
http://www.saga-hirakawaya.jp/shopdetail/011001000002/order/

ちょっと贅沢ですが、たまにはこんな美味しさもハッピーですよー。
心と身体を温めてくれます。
ぜひぜひどうぞ!

2011年2月4日金曜日

大過なく生きる


おはようございます

長い出張からようやく家に戻り、夕べは家でぐっすり眠れました。
何の迷いもなく、不安もなく、家族と一緒にぐっすり眠れるってとってもハッピーですね。
外国のことわざに「よく働いた一日はよく眠れる。よく生きた一生はよく死ねる」というのがあるそうです。
播磨での会計検査も無事終えて、よく働いたからね。
こうした日々を一日、一日と重ねて、最後はよく死にたいもんです。
って、孫の顔を見るまではまだまだ死ねませんがねー。

今回の会計検査もちゃんと予習をして臨みましたよ。
今回の検査対象はXFEL実験研究棟の設計変更契約についてです。
なぜこのような変更が必要で、なぜこれだけのお金をかけなくちゃいけないのかをしっかり説明できればいい。
要はロジックですね。
もちろん、建物に関する検査ですので実際の建物に設置した「モノ」との照合も大切です。
設置されているモノが図面や予算書と合致しているかどうかも問われます。
会計検査は原則<書類検査>ですが、疑義があれば現地確認することもあるんです。
月曜日に現地入りしましたが、いつもより半日早く到着して、他の仕事の合間に検査対象の建物を見てあるき、何がどこにあるか記憶するよう努めました。

検査時間は有限ですから、ポイントとなる部分を重点的に検査されます。
そこがしっかりしていれば、あとの細々したところまで検査されることはないのです。
逆に言えば、ポイントとなる部分が曖昧だと、細々したところまで突っ込まれてしまう。
人間のやる仕事ですから完璧なんてあり得ません。
細部まで根掘り葉掘りやられたら、小さなミスくらい発見されてしまうものです。
そうなると、ねちねちと検査が続いてしまい、なかなか終わらなかったり、宿題が出たり、霞ヶ関に出向かなければならなくなったり、最悪国会に報告され新聞ネタになってしまいます。
その対応のための仕事が増え、貴重な自分の時間が奪われてしまいます。
検査翌日に、朝から神戸計算科学研究機構での打合せを入れていたので、是が非でも当日でカタを付けたかった。
その日のうちに播磨から神戸に移動しておかないと間に合いませんからね。
そのための予習、準備を怠りなくやりましたよ。

では、ポイントとなる部分とはどこか。
検査員の立場、気持ちになってみれば分かります。
今回の場合「設計変更契約」が検査対象ですから、大きく変更したところに決まっています。
たくさんお金をかけて変更した部分ですね。
先ずはそこを検査するのが常道でしょう。
だからそこはしっかりと準備するわけです。
予習とは「山はり」ですからね。全方位まんべんなくやってもダメなんです。
ポイントとなるところはどこか当たりを付け、そこを念入りにやる。
今回の場合それは、実験用のボーリングアース、中央監視ホストソフトウェア追加、DLPプロジェクタの3点でした。
そこに力をいれて準備したんです。

たとえば、実験用ボーリングアースは研究者からの「クリーンで独立したアースが欲しい」というリクエストをもとに、岩盤を地下70mまで堀抜いてアースを打ちました。
これを説明するために、大地抵抗率の説明資料を用意し、半球法による接地等価面積の積分計算書を作り、地盤が岩盤である場所でクリーンで独立したアースを得るためにはボーリングアースしかないことを示し、施工要領書や施工写真、試験成績書をもとにかかったお金に必然性があることを納得してもらう。
説明するときのストーリーも考えながら準備するんです。

小宮一慶『あたりまえのことをバカになってちゃんとやる』サンマーク出版¥1400-から引用します。

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病気になって、それを克服したからといって、けっして偉いわけではありません。
人は病気を克服した人を偉いともてはやしますが、病気にならずに生きている人のほうがずっと偉いに決まっているではありませんか。
病気を逆境にたとえると、逆境を乗り越える人は偉いが、もっと偉いのは逆境に陥らない人です。
世の中には、道を歩いているときに、わざわざ危ないところを歩く人がいます。
そういう人は事故にあいやすい人です。
でも安全なところを歩けば事故にあう確率を減らせます。
その安全な場所を分かっている人が一番偉いわけです。(201p)
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「大過なく過ごす」という言葉があります。
これを何もしないことによってトラブルに遭わないようにする、と解釈する人が多い。
定年間際に校長先生になった人とかね。
でもそれは間違いだと思います。
いろいろなことにチャレンジするんだけど、ちゃんと予習をして、予めトラブルを回避する算段をする。
危険な場所を予知し、それを避け、安全な道を歩くんです。

その結果として「大過なく」が実現できる。
そういう毎日を送れれば、毎晩ぐっすり眠れるし、死ぬときに「いい一生だった」と言えるんじゃないかなって思います。


まだまだ寒いですが、播磨の空も春めいてきました!

2011年2月1日火曜日

記憶力が未来を創る!


こんにちは

今週は会計検査のため播磨に出張しています。
我社のように国税で運営している法人は、予算を適切に無駄なく執行しているか会計検査院の検査を受検することが義務付けられているのです。
ぼくの仕事は新たな研究施設を建設することです。
建設するためには何億円、何十億円、時に何百億円ものお金を使いますから、しばしば検査対象になるんです。
検査と言っても恐いものではありません。
普段から嘘偽りなく誠実にやっていれば、問題になるようなことはありません。
とは言え、受検する上での重要ポイントがあります。
それは、

  自分のやった仕事をきちんと記憶しておくこと

です。
なぜそうしたのか、どうやってそれをしたのか、仕事の内容と意味を把握しておくのです。
もちろんすべてを丸暗記にはできませんが、資料のどこにそれが記録されているかくらいは頭に入れておく。
きちんと記憶しておけば、検査員からの質問にスッと答えられます。
あるいは、スッと目的の資料を提示できる。
こうなれば検査員もイライラせず、安心することができます。
仕事の要諦は、相手を安心させることですからね。
そうすると、ポイントとなる部分だけ突っ込んでチェックすれば、他の部分も同様にきちんとやっているはずだと思ってもらえます。
検査もスッと終えることができ、お互いハッピー。

池谷裕二/木村俊介『ゆらぐ脳』文藝春秋¥1238-にこうありました。

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海馬は記憶を担当する脳の部位ですが、最近、海馬は未来予測のために必要な部位でもあると判明しました。
海馬が破壊されたら記憶ができなくなることは周知の認識でしたけど「記憶がなくなれば、未来の予測ができなくなる」という研究成果が提出されたことは大きかったのです。(231p)
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これはとても興味深い研究成果です。
病気や怪我、脳手術の後遺症などで、記憶ができなくなる人がいます。
あるいは認知症などで記憶力が衰える。
そういう患者さんは、新しいことを覚えたり過去の記憶が思い出せなくなるだけでなく、未来のことを予測することができなくなってしまうんですね。
自分はどうなりたいのか、どうしていきたいのか、記憶ができないとそういう事もできなくなってしまうんです。

未来予測はもともとは危険回避のために必要だった能力でしょう。
危ない目にあったこと、身の危険に遭遇した経験を記憶しておく。
そうすると次からはそういうリスクを回避した行動がとれるようになる。
よって生き延びるチャンスが増える。
記憶を司る脳部位、海馬が破壊された人はそのような危険回避ができなくなってしまうのです。
かなり危ないですよね。

それは健康な人にも当てはまるのではないでしょうか。
いろいろなことを記憶しておける人のほうが、リスクに対する対策ができる。
自分自身の経験だけでなく、誰かが危ない目にあったところを見聞きしたことでも自分の記憶に納められる。
本を読んだことでさえ、自分の生き方に反映していける。
すべて記憶があるからです。

脳はメモリーベイスドアーキテクチャであることが、脳研究で分かってきています。
メモリー=記憶、ベイスド=基づいた、アーキテクチャ=構造です。
記憶がなければ考えることもできないのです。

未来は危険、悪いことばかりじゃありません。
未来には「夢」だってあります。
自分にとって良いこと、楽しいことを実現したいという思いは、誰だって持っているはずです。
けれども海馬が破壊された人は、夢を見ることも傷害されてしまうのだそうです。
それは記憶が傷害されるからなんです。

いい仕事をする人はすべからく記憶力が抜群です。これは間違いない。
ビルゲイツの記憶力のすごさは有名です。
ぼくも仕事でたまに高級官僚の人と打 ち合わせる機会がありますが、その記憶力は尊敬に値します。
彼らはその記憶力を活用してバリバリ仕事を進めているわけです。

リスクを回避し、楽しい未来を夢見て、それを実現するためには記憶が充実していないといけないんです。
そこに「勉強する意義」があるんだと、ぼくは思います。
たくさん本を読むこと、いろいろなところへ行くこと、多くの人と出会うこと、みんなみんな記憶のためであり、よい未来を実現するためなんです。
だから子供の頃はもちろん、大人になっても、何歳になっても学び続けなくちゃいけないんです。

最近の学校教 育の風潮では、記憶力は軽視されているように思います。
暗記して何になる、暗記しても役に立たない、暗記より想像力だ、なーんてね。
確かに学校で習うことを暗記しただけじゃ、役に立ちま せん。
暗記したものを応用することができないと意味がない。
でも、応用は学校で教育しづらい、不可能なものです。
それはやっぱり社会に出て、現実に仕事を したり社会で揉まれてみないと磨かれない能力です。
学校にそこまで期待してはいけませんよ。
学校ではその前段となる部分、すなわち記憶力を鍛えているのだ、と考えるといい。

入試でも暗記問題が出題されます。
青色LEDの発明者中村修二さんは「入試はちょーウルトラクイズだ」なんて言っています。
でも中村さんにしても、あの膨大な著作を次々と出版しているのを読めば、ものすごい記憶力の持ち主だと分かります。
日 亜であったことを事細かに記憶しているから、ねちねちとあれだけのものが書き続けられる。
もちろん、青色LEDを発明するのだって中村さんの全くの独創で はなく、過去のいろいろな研究者たちの研究結果の上に成し遂げられたものでしょう。
また、毎日の実験で失敗したこと、成功したことを反省して、次の実験を デザインする。
つまり、ちゃんと必要なものは記憶して、その上に自分の研究を積み上げることができたから、青色LEDを発明することができたんだと思いま す。
それはきっと、大学入試のための「クイズ」でも鍛えられたんだと思うのです。
中村さんだって難関徳島大学にちゃんと入学したわけですしね。

入試で記憶力が試されるのはなぜか。
記憶力に長けた 学生を入学させたい、記憶する回路を脳に持った学生を入学させたい、という趣旨で暗記問題が出題されるのだと思うのです。
記憶力は学問を積み上げていくの に必要な能力と認めていたのだと思います。
それが、暗記学習の<立法事実>だったのだと、ぼくは思うのです。

学生諸君、暗記をバカにせず、記憶力を鍛えておきなさい!