2011年7月28日木曜日

嫌な仕事から逃れる技術


こんにちは

50歳を過ぎたら好きなことしかしない、と決めているぼくですが、やっぱり嫌なやりたくない仕事もあります。
やらざるを得ない。
でも好きなこと、やりたいことをやるためには、嫌な仕事、やりたくない仕事もほどほどにこなしていくしかありません。
こういう仕事は別にそれでいい評価をもらおうなんて思っちゃいないので、とにかく「片付ける」って意識でやっています。
短時間で合格ギリギリでもね。
これも好きなことを存分にやるための「儀式」だと思っているわけです。

森博嗣『工学部水柿助教授の日常』幻冬舎¥800-にこうありました。

###
嫌いだ、苦手である、が故にそれらが押し寄せてくる。
その人の周囲に溜まってしまう。
そればかりが集まってしまう。
お心当たりはないだろうか?
どうして、私の周りにだけ、こんな嫌なことがいっぱいなの?という疑問に対す
る答えがここにある、と思う水柿君である。(157p)
###

嫌だ、やりたくない、とそれを避けてばかりいると、嫌な仕事、やりたくない仕事がどんどんストックされていきます。
自分という資源は有限ですから、ストックされていくものが溜まるにも限度があります。
自分の中に嫌なもの、やりたくないことばかりが溜り、パンパンに膨れ上がってしまうのです。
これでは、好きなこと、やりたいことをやるだけの余裕が生まれません。

嫌なこと、やりたくない仕事は、たいてい誰にとってもそう。
他の人はそれでも、そういう仕事をちょっとずつでも片付け、好きなこと、やりたい仕事ができるようにちまちまと努力しているのです。
そのちまちました努力を見ずに、好きなことをやっている姿を見ると、「どうして自分ばかり嫌な仕事をしているんだろう」と思うようになるのです。

嫌なこと、やりたくないような仕事は、たいてい誰にとっても、会社全体にとってもそうなんです。
あまり価値はないけど、やらざるを得ないことなんです。
だから「こなす」ことが一番重要。
そこでよい仕事をしようと思わなくていい類のものなんです。
だって、価値はないんですから。

自分ばかり嫌な仕事、やりたくない仕事がやってくるとぼやいている人は、そこを考えて欲しい。
もしかすると、あまり価値のない仕事にも労力をかけすぎていないかどうか。
仕事というのはたいてい、これで終わり、という到達点はないのです。
だから続けようと思ったらいつまででも続いてしまう。
どこかで妥協して終わらせないと、終わらないものなんです。
仕事にあるのは、不合格範囲と合格範囲だけ。
合格範囲に入ったな、と思ったらそこで止めていい。
特に価値の低い仕事は、合格範囲に入ったら止めなくちゃいけないんです。

嫌な仕事から逃れるには、嫌な仕事から逃れてはいけないんです。
迎え撃つ。
バッサバッサと切り捨てる。
そして自分のやりたいこと、楽しい仕事、価値のある仕事にた~ぷり時間と心を傾けるんです。

2011年7月27日水曜日

フレンドリーな空間のつくり方


こんにちは

ぼくも多くのスタッフを抱える立場になりました。
スタッフたちにいかにゴキゲンに仕事をしてもらい、その能力を100%発揮してもらい、さらに腕を磨いて欲しいと思っているのです。

内田樹『最終講義』技術評論社¥1580-にこうありました。

###
学会でも若い人を励ますようなコメントを聞く機会はまずないです。
権威者が、若い研究者をがみがみ叱り飛ばす。
でも、若い研究者が人前で喋ったら、だいたいボロを出すに決まっているんです。
いいじゃないですか。
みんなで「よし、頑張った!」と言って励ましてあげればいいのに。
学会がほんとうに研究共同体であれば、そうなるはずなんです。
気が遠くなるほど広大な研究対象が現に目の前に広がっているなら、みんんで手分けしてやるしかない。
「猫の手も借りたい」と思っていたら、若い人を叱り飛ばして、「もうやめちまえ」みたいなことを言うはずがない。
だから、査定して、格付けして、能力のない人間を追い出すということをやっている学会って、要するに「猫の手も借りたい」わけじゃない、ということですよね。
「人手は足りてます」ってことですよね。
それどころか、今いる研究者だけでも多すぎるってことですよね。
じゃあ、それって、「気が遠くなるほど広大な研究対象が目の前に広がって」はいないということでしょう。
自分が寝食を忘れて一生涯研究しても究め切れないかもしれないと思うからこそ、「後事を託す」ために若い研究者を育てるわけじゃないですか。
世代を超えた協力がなければ、絶対に果たせないほどの研究対象の奥行きと深みを実感していたら、研究共同体はフレンドリーな空間になるはずなんですよ。(286p)
###

なるほど、なるほど。
学会、研究者について書いてありますが、そのまま職場、スタッフに読み替えることができますね。

職場でも若い人を励ますようなコメントを聞く機会はまずないです。
管理職が、若いスタッフをがみがみ叱り飛ばす。
でも、若いスタッフが新しい仕事をやれば、だいたいボロを出すに決まっているんです。
いいじゃないですか。
みんなで「よし、頑張った!」と言って励ましてあげればいいのに。
職場がほんとうに仕事共同体であれば、そうなるはずなんです。
気が遠くなるほど広大な仕事が現に目の前に広がっているなら、みんんで手分けしてやるしかない。
「猫の手も借りたい」と思っていたら、若い人を叱り飛ばして、「もうやめちまえ」みたいなことを言うはずがない。
だから、査定して、格付けして、能力のない人間を追い出すということをやっている職場って、要するに「猫の手も借りたい」わけじゃない、ということですよね。
「人手は足りてます」ってことですよね。
それどころか、今いる職員だけでも多すぎるってことですよね。
じゃあ、それって、「気が遠くなるほど広大な仕事が目の前に広がって」はいないということでしょう。
自分が寝食を忘れて一生涯仕事をしてもやり切れないかもしれないと思うからこそ、「後事を託す」ために若いスタッフを育てるわけじゃないですか。
世代を超えた協力がなければ、絶対に果たせないほどの仕事の奥行きと深みを実感していたら、職場はフレンドリーな空間になるはずなんですよ。

てな具合ですな。
意味もなく若いスタッフをガミガミ怒ってばかりいる管理職は、実はヒマなんですよ。
仕事を進めるために怒っているのではなく、「オレのほうが偉いんだ」って示したいだけ、それだけのために怒っている。
そんなくだらないことをしていても、仕事に支障はないということは、イコール暇なだけなんです。
その部署は廃止、あるいは縮小してしまえばいい。

同様に、学校、教師に読み替えてもいいですね。

教室でも生徒を励ますようなコメントを聞く機会はまずないです。
教師が、生徒をがみがみ叱り飛ばす。
でも、生徒は初めて学ぶんですから、だいたいボロを出すに決まっているんです。
いいじゃないですか。
みんなで「よし、頑張った!」と言って励ましてあげればいいのに。
学校がほんとうに学習共同体であれば、そうなるはずなんです。
気が遠くなるほど広大な教えるべき事柄が現に目の前に広がっているなら、がみがみ叱り飛ばしている時間なんかない。
しっかりと教えようと思っていたら、生徒を叱り飛ばして、「もうやめちまえ」みたいなことを言うはずがない。
だから、査定して、格付けして、能力のない人間を追い出すということをやっている学校って、要するに「教えたい」わけじゃない、ということですよね。
「教えることはない」ってことですよね。
それどころか、教える気なんかないってことですよね。
じゃあ、それって、「気が遠くなるほど膨大な教えるべき事柄が目の前に広がって」はいないということでしょう。
自分が寝食を忘れて一生涯勉強しても勉強し切れないかもしれないと思うからこそ、「後事を託す」ために生徒たちを育てるわけじゃないですか。
世代を超えた継続がなければ、絶対に社会の発展はないほどの学習すべき事柄の奥行きと深みを実感していたら、教室はフレンドリーな空間になるはずなんですよ。

いかがですか。

2011年7月25日月曜日

よい評価を与えられる教師こそよい教師である


こんにちは

1学期が終わりました。
溌貴君は初めての遠距離通学でしたが、1日も休みませんでした。
ずいぶんと体力も付きました。
としきくんもお休みは1日だけ、まずまず健康でしたね。

終業式、溌貴君はこれまた初めての通信簿をいただいてきました。
おお、いい成績です!
ほとんど全部が「とてもよい」ですからね。
スバラシイ!

溌貴君ももちろん素晴らしいと思いますが、先生も素晴らしいです。
よい成績を堂々と付けるだけの度量がありますからね。
あるいは、よい成績を付けても誰からも後ろ指さされないだけの豪腕さ。
だってねー、小学1年生に悪い成績を付けて、いいことなんか何もないからね。
子どもと親のやる気を奪うだけですから。

実力のない先生ほど、平気で悪い評価を付ける。
「だってこの子、ちっともできませんから」なーんて言う。
おいおい、できるようにならないのはあなたの教え方が悪いからだろう。
子どもの通信簿は教師の通信簿でもあるんです。
子どもに悪い評価を与えるということは、自らの教え方が悪かったと表明することでもあるんです。
だから、たとえ悪い評価を付けなければならないとしても、泣く泣く付ける。
オレが悪かった、オレのせいでこんな点数しか付けられなくてゴメン。
そのくらいの先生じゃないといけませんよ。

内田樹/成瀬雅春『身体で考える。』マキノ出版¥1400-から引用します。

###
内田 レベルの低い先生というのは潰しにかかる傾向があるんですよね。
技量の低い先生は、弟子がすぐにできるようになるので、自分がすぐに追い越されてしまう。
そうなるのは困るわけです。
そのため、あれこれと厳しく指導したりする。
教えるほうは弟子の成長を願ってやっているのだという言い分があるのかもしれないけど、どんなに努力しても、「ダメだ、ダメだ」と言うばかりで、精神的に追い込む先生は多いですね。(121p)
###

子どもは褒めて育てた方がいいんです。
ダメだダメだ、と言って育てれば、本物のダメ人間になります。
バカだバカだ、と言って育てれば、本物のバカになる。
人間とはそういうものなんです。

自信のない教師は狭量になりがちです。
自分よりかしこい子どもに嫉妬をする。
かしこい子にバカにされるのが恐いんですな。
だから、少しでも悪いところを見つけて、ダメだ、ダメだと言ってしまうんです。

だからよい教師ほど、子どものいいところを見つけて褒めます。
もちろんまだ子どもですから、できないこと、悪いところもあって当たり前。
悪いところを見つけて、指摘するのは誰でもできます。
悪いところは、よっぽど反社会的なことでない限り、見て見ぬふりすればいいんです。
悪いところは、いいとも悪いとも言わないで、無視するのが一番いい。
あえて悪いところは評価しない方がいいんですよ。

そしていいところだけ褒める。
悪いところだらけの子どもの、いいところを見つけるのが本物のプロ教師です。
そういうところを褒め続ける。
とんちんかんなほめ方はいけませんよ、当然。
事実に基づかないほめ方は、子どもに伝わりませんし、返って反感を買います。

実は子どもって、どういうところが自分のいいところなのか、自覚していないものなんです。
そういうところを見つけてやる。
ああここが自分のいいところなんだ、と気付かせてやる。
そうなると、子どもは自分のいいところを自ら育てるようになるんです。

褒められて嫌な気がする子どもはいません。
褒められればゴキゲンになります。
ゴキゲンであれば、自然にもっとよくなろうとします。
そうやって育てた子どもは、素晴らしい先生を超えて、さらに素晴らしい人間に育っていく。
生徒が自分より素晴らしい人物になることほど、教師冥利に尽きることはないはずです。
自分が追い越されるのが嫌、なんて狭く小さいプライドなんか要らないのです。
それが人を育てる教師の仕事なんだと思うのですよ。

いい先生に恵まれてよかったね。

2011年7月22日金曜日

教員採用に関する一試案


こんにちは

国家公務員試験を実施している人事院のホームページを見てみました。
http://www.jinji.go.jp/top.htm
これまでの試験枠、Ⅰ種、Ⅱ種、Ⅲ種という区分は来年からなくなるんですね。
その代わり、総合職、一般職という区分になる。
これまではごくわずかなⅠ種採用の人だけがキャリア官僚として偉くなっていく制度でした。
Ⅱ種、Ⅲ種の人は採用時点から偉くなれないのが分かっている、偉くなれないなら一生懸命働かない、という弊害もあった。
Ⅰ種の人にも、何もしなくても偉くなれるんだから一生懸命働かない、という人もいたのかもしれません。
なので総合職採用の人は誰もが偉くなる可能性があるってことにして、公務員全体としての効率を上げようってことですね。
なるほど、なるほど。
来年から試験制度が変わっても、総合職合格者は3年間の採用名簿登録という仕組みは残るようです。
よかった、よかった。

この制度、ぜひ教員採用試験でもやってほしいと思っています。
教員採用試験も合格即採用ではなく、名簿登録なんです。
この登録有効期限は1年間しかない。
これを3年間にしたらいいんじゃないか。
そうすれば、国家公務員と同じく研究者目指して修士課程に進学する人も、自分が研究者に向いていないと思って教職に就く人が増えると思うんですよ。

教育って、受ける側(子ども)と授ける側(大人)との間に、圧倒的な知識の落差があったほうが効果が高まるんです。
休み時間や放課後はフレンドリーに友だちのような先生でもいいけど、授業中は「この先生にはかなわない」と生徒に思わせる。
そのくらいの迫力がある先生のほうが、生徒も習う気になるもんなのです。
友だちのような先生もいいんですが、授業における圧倒的な知識の落差がないと、やがては生徒からばかにされてしまうのです。
誰もバカから学ぼうとはしません。
授業が崩壊するメカニズムは、先生が生徒にばかにされているからなんですよ。

おまけに親。
親も教師をばかにし始めている。モンスターペアレンツですね。
親のほうも「先生ったってたいした学歴もないじゃないか」って思っている。
もしかすると「この先生より自分のほうがうまく教えられる」と思っていたりして。
事実、授業参観に行っても、パッとしない授業をしているし、子どもたちも真面目に授業を受けていない。
これじゃだめだ、塾に通わせなくちゃ、なんてね。

だからぼくは、学校の先生も修士卒くらいの人のほうがいいんじゃないかって思うんです。
2年間集中して研究をした経験を持つ。
それも先端的な学問をやった経験。
そういう先生なら、教職についても論文誌を購読し、読み続けるでしょう。
先端の研究をフォローし、楽しめるだけの学力が身についていますから。
自分の研究も継続して、学会発表なんかもし続けるかもしれませんね。
研究への情熱を少しでも持ち続ける。
それが子どもへ伝わるんだと思います。

都道府県教育委員会のみなさん。
教員採用試験でも3年間の登録留保って制度、やってくれませんか。

2011年7月21日木曜日

キャリア官僚の採用試験


こんにちは

空調学会から連絡がありました。
9月の全国大会の全体会で、学会賞を受賞したSACLAについて講演してほしいって。
おお!嬉しいですねー。光栄です!
がんばろっと。

ぼくの今の夢は、今の職場を卒業するまでに学位「博士号」を取ること。
以前は教育学で博士を取ろうと思っていましたが、いろいろ調べてみると非常にハードルが高い。
ぼくの理科教育での大先輩も学位を得ようとしばらく大学に通っていましたが、果たせないでいるようです。
教育学だけでなく、文系の学位は取るのが大変のようです。
エジプトピラミッド探検で有名な考古学者吉村作治さんも、考古学(文学部に所属)ではなく、工学博士です。
吉村さんは考古学博士号も持ってはいますが、ジョークでディプロミル(お金で買える学位)だそうです。

で、狙いはやっぱり工学での博士号です。
これならなんとか取れそうな気がしています。
今のぼくの直属の上司は工学博士で、大学の特任教授も兼務しています。
非常なる変わり者ですが、とても楽しげにあちこち飛び回っています。
上司から学位をどうやって取ったのかを教えてもらいました。
仕事をしながら博士課程に入学し、土日はフルに大学に通い、3年間で学位を取ってしまったとのこと。
すごいですねー、さすが我が上司、変わり者面目躍如!
身近にロールモデルとなる人がいるってのも心強いです。アドバイスもらえますしね。
ぼくもやれそうな気がしてきましたよー。

学位を取るには、大学院に入学して取る方法と、論文を学位授与機構に提出して取る方法とがあります。
社会人はこれまで論文で取る論文博士が一般的でした。
でも最近は論文博士のハードルが高くなっていて、一筋縄では難しいようなんです。
論文博士でもちゃんと指導してくれる大学の先生を見つけて取り組まないと無理なようです。
大学院に入学して取る課程博士の方が一般的だし、学位を取るまでの年限もある程度はっきりしている。

ぼくは工学系の教育を受けていないので、修士から始めなくちゃならないかなと思いました。
webで調べてみると、工学系博士課程の入学資格に「修士同等の能力を持つ者」とあり、その例として特許取得、学会発表、学会誌に主著者として論文掲載などがありました。
これならぼくも直接博士課程に入学できそうです。
ここ数年、電気設備学会、空調学会、加速器学会で研究発表してきましたし、いくつかの賞もいただいていますし、資格十分でしょ!
ますますやれそうな気がしてきましたよー。
何事も、やれると思ったらできる、無理だと思ったら無理なんです。

ところで、スパコンやXFELの仕事をするようになってから、キャリア官僚の人たちと仕事をする機会が多くなりました。
旧科学技術庁系の官僚の人たちですね。
この方たち、理学系や工学系の修士卒がとても多いんです。
どうしてなのかなーって思って、調べてみました。

キャリア官僚の採用は、人事院の実施するⅠ種国家公務員試験によります。
国家公務員採用試験は、試験に受かっても即採用ではありません。
人事院は合格者を、登録名簿に載せるだけなんです。
名簿に登録されてから、各人が行きたい省庁を訪問し、面談したりしていく。
各省庁も名簿からめぼしい人材を見つけて、採用していく。

で、Ⅰ種公務員試験の名簿登録の期間は3年間なんです。
国家公務員試験に合格すれば、3年間はその合格実績がキープされるんですね。
で、修士卒の官僚はほぼこの制度を利用しているそうなんです。

大学院は当然ながら研究者を養成する場所です。
でも大学院修士課程に入学する大学4年生の段階で、自分が研究者に向いているかどうかははっきりしていない。
自分が研究者に向いているかどうかは、修士課程でがむしゃらに研究をしてみて初めて分かってくるものです。
でも修士課程はたったの2年間。
もし研究者に向いていないとしたら就職しないとなりませんが、就職活動する時間が必要です。
就職活動なんかしていたら、2年間のうち1年間は研究に没頭できなくなります。
すると自分が研究者に向いているかどうか、はっきりわからなくなってしまうのです。

修士課程2年間、がむしゃらに研究に専念するにはどうしたらいいでしょうか。
学部4年生の時にⅠ種公務員試験に合格しておく。
そして修士課程2年間、採用を保留してもらうよう申請しておくのです。
こうして2年間研究に没頭できる条件を整えるんですね。
2年間やるだけやって、研究者としてやっていけそうだと思えたら、登録名簿から抹消してもらい、博士課程に進めばいい。
無理そうだったら、公務員になればいい。

なかなかいい制度ですよね。
たとえ研究者に向いていない人でも、2年間研究に集中した経験を持つ人材なら、役人としても能力を発揮できる可能性が高いです。
採用する側、採用される側、双方にとってメリットのある制度だと思います。

実はぼくも大学生の時、研究者になろうかどうか迷った時期があります。
当時の指導教官にも「関口君は研究者に向いているかもよ」と言っていただいたこともありました。
でも踏ん切れなかったんですよ。
ぼくは教員養成系大学に通っていたので、国家公務員になる級友、先輩もおらず、こういう情報がなかったんです。
そのとき、この公務員試験の制度を知っていたら、人生違っていたかもしれません。
まーもっとも、Ⅰ種公務員試験に合格できるかどうか定かではなかったわけですがねー。

2011年7月19日火曜日

人生のプロ


こんにちは

我が子たちに「自らを限る者」になってほしくありません。
やるからにはトコトンやって、一流を目指してほしい。
もちろん一流にはなれないかもしれないけれど、それに近づくことはできる。
最初から二流でいいや、と思っていると二流にさえなれないんです。

ぼく自身、子どもの頃、若い頃は「自らを限る者」だったように思います。
ぼくの能力ではこのくらいかな、って限界を自分で作っていた。
ほどほどならいいやって。
だから努力の仕方もほどほど、結果としてほどほどの人物にもなれなかった。
ちょっと損しちゃったなー。

最近はあまり限ってませんよ。
50を過ぎたら好きなことしかしない、ですからー。
やってみると、おっ、オレこんなこともできちゃうんだー、って思うこと度々だもん。
あはははは。

内田樹/成瀬雅春『身体で考える。』マキノ出版¥1400-にこうありました。

###
内田 やる以上は名人・達人になりたいと思って稽古しなくちゃ意味が無い。
「自分みたいな運動神経のない人間はうまくなりようがない」とか、「忙しいサラリーマンで、週に一回しか稽古できないんだから、せいぜいこの程度」というようなことを自分で言っていると、自分で自分の限界を作ってしまう。
可能性の芽を自分で摘んでしまう。(42p)
###

最初に「言い訳」をしちゃうとダメなんですよね。
ネガティブ要因をたくさんカウントして、それでやっぱりやれない、ってやる前に決めちゃう。
それよりも、ポジティブなことを少しでもたくさんカウントする。
おおっ、ここまでできそうだ!って思って取り組んだ方がいいんです。
内田さんはこうも言います。

###
内田 「自分みたいに才能のない人間は、うまくなるはずがないと思います」という言葉をいったん口にしてしまうと、自分が言った言葉そのものに自分が呪縛されてしまう。
「自分はうまくなるはずがない」という未来予測が正しかったことを「絶対にうまくならない」ことによって身をもって証明してしまおうとする。
これ、証明するの簡単ですからね(笑)。間違った稽古をすればいい。
先生が「やりなさい」と言ったことをやらないで、「やってはいけません」と言ったことをやる。
ほんとうにそうなんですよ。(42p)
###

ネガティブなことを言うと、自分で自分の言葉に絡め取られちゃうんですよね。
だからそんなことを言ってはいけないんです。
ポジティブなことを言う。
そうすると行動もポジティブになる。
うまく行く確率が上がるんです。

もちろんそれでもうまく行かない場合もありますよ。
運もありますしね。
それでもポジティブにしていれば、確実に勝率は上がるんです。
ネガティブな人は、1回でもうまく行かないと、ほらやっぱりダメだった、ってあきらめちゃう。
あきらめ早すぎ。
ポジティブな人はしぶといですよー。
何回かうまく行かなくてもあまりめげない。
うまく行かない要因を調べて、リトライする、あるいは別のことにチャレンジする。

だってね、プロの野球選手だって毎回ヒットを打つことなんかないじゃないですか。
打率3割なら大打者ですよね。
それは7割は打ててないってことです。
人生だって3割くらい思い通りになったなら、それはすごいことなんですよ。
人生の3割打者、すなわちプロ中のプロってことですから。

我が子たちにもそうなってほしいですねー。
もちろんぼく自身の生き方でも示していきたいと思います。

2011年7月18日月曜日

自らを限るなかれ


こんにちは

溌貴君は学校で足し算を習い始めました。
家でも少し練習しています。
ちゃんと指を使って計算しています。
どこで習ったのかなと思って、溌貴君の学校のホームページを見てみました。
1年生の算数の時間の様子が写真に写っていて、ほとんどの子が指を使っているようなんです。
スバラシイですねー。

やっぱり計算の基本は「指」なんです。
10進数を人間が採用したのは、たまたま指が10本だったからです。
数を認識し始めた大昔の人類も、指を使って計算していたに違いない。
個体発生は系統発生を繰り返すわけですから、計算を習い始めの子どもは、きちんと指を使って計算した方がいいんです。
このとき、格好悪いからって指を使わせないでいると、計算力が伸びません。
存分に指を使わせていれば、半年もすれば卒業して、指を使わなくても計算できるようになっちゃうんですから。
それは脳の中に指が10本刻まれたってことですね。

内田樹/成瀬雅春『身体で考える。』マキノ出版¥1400-を読んでいたら、こう書いてありました。

###
内田 僕は長年、教師として教壇に立ってきたので、学校という枠の中での話になるんですけれども、伸びる子供というのは、自分で自分の限界を作らないんです。
伸びる、伸びないの違いには、もともとの学力や才能はあまり関係ないんです。
「自分はここまでの人間だ」と思っていればそこで止まるし、自分の可能性に関して、どこまでが可能性かよくわからないと思っている人は素質が爆発的に開花する可能性がある。
自分の成長に制約をつけるかどうか、そのマインド・セットの違いによって、そのあとの進む道が全然違ってくる。(27p)
###

孔子様が言ったように、なんじ限る事なかれ、ですね。
野口悠紀雄さんも、自分は才能があると思っている人ほど才能を発揮できる、と言っています。
たとえ錯覚でも、自分はできる、と思った方がいいんですよ。
特に伸びしろの大きい子どもには、自分はできるんだ、という意識を持たせた方がいいんです。

計算でも、指を使ったって計算ができた方が、自分はできるんだという意識が定着するんです。
指を使わせないで、なかなか計算に上達できなければ、自分は算数が得意じゃない、と早々と思い込んでしまう。
自分はできると思っていれば、どんどんトライしますから、結果的にたくさん勉強するようになります。
できないと思っていたら、心は萎縮してしまい、練習量も少なくなります。

実を言うと、高校くらいまでに習う基礎的な勉強って、あまり頭の善し悪しには関係ないんです。
どちらかというと、どれだけ大量に勉強したかどうかなんですよ。
自分はできると思っている子は、自然と大量に勉強しちゃうんです。
だって、どんどん解けて、どんどん先へ進めば楽しいですからね。
だから勉強がよくできる。

そして、自信が着くといい意味でのプライドもできてきます。
ぼくならこんな問題だって解けるはずだって。
算数、数学の難問も、自分は解けると思っていれば必ず解けちゃうんです。
自分には解けないと思っていれば、解き始めさえしないから、解けないのは当然です。

指を使った計算をたっぷりやったあと、算数の次のステップは、「絵を描くこと」です。
文章題を読んで、それを絵に描いてみる。
算数のできない子は、文章題の問題を読んでいきなり式を書いてしまう。
問題文の中にある数字をやみくもに、あるいは機械的に前から順に、式に当てはめてしまう。
だから解けない。
式を書く前に絵を描くんです。
絵を描くと量関係がはっきり目に見えます。
量関係が分かれば、間違えずに立式できるわけです。

算数、数学は文系に進むにせよ理系に進むにせよ、しっかり身に着けると有利です。
我が子たちも、自分は算数が得意なんだ、という錯覚を持ってもらいたいですね。
それで結果的に大量に勉強ちゃう。
大量に勉強すれば得意になっちゃうんですから。


はっちゃんの学校で盆踊りが開催されました。
盆踊りの基本は見よう見まね。
自分はうまく踊れないから、と躊躇しているといつまでも踊れない。
楽しく踊っているうちに、踊れるようになるんです。

2011年7月14日木曜日

リーダーは怒鳴らない


こんにちは

ぼくも管理職級になったんで、そういう眼で周囲を観察するようになりました。
何人かのチームを率いていくには、どういう行動をとればいいかを観察しているんです。
リーダーの役割は、メンバーにいい仕事をしてもらって、チームとして成果をあげることだと思います。
別にリーダー自身が成果をあげる必要もない。
メンバーが活躍して、チームの成果があがれば、それがリーダーの成果になるんだと思うわけです。

時々、リーダーである人が部下を怒鳴りつけている場面に出くわします。
怒鳴られて、その部下はある作業をやる。
でもそれがリーダーの意に沿わないらしく、また怒鳴られる。
部下はオロオロしてしまって、またへんてこな作業をしてしまう。
またまたリーダーは怒りまくる。

うーん。
確かにその部下も能力が足りないかもしれませんよ。
が、怒鳴られ続けているので、萎縮しちゃっている可能性も高い。
人は萎縮してしまうと、うまく考えられなくなります。
考えられない人間は、誰かの指示・命令でしか動けなくなります。
考えられないのですから、指示・命令も的確かつ単純でなければなりません。
複雑な指示、意図がすぐにはわからないような命令に対して、うまく行動に繋げられなくなるのです。
部下が自分の意図に沿った行動をしないと怒っている上司は、指示もあいまいなんですよ。

人間というのは、ご機嫌なときにその能力が十分発揮され、さらに能力を向上させるものだと思います。
だから怒鳴られ続け、萎縮してしまい、自ら考えられなくなってしまうと、その人が本来持っている能力さえ十分に発揮することができなくなってしまう。
もちろん、能力をさらに向上させるなんてこともできません。
能力が発揮できなければ、仕事のパフォーマンスは落ち、チームの生産性を落とします。
結果的に、そのリーダーの価値も下がってしまうのです。
やたら部下を怒鳴りつける上司は、自らの首を絞めているとしか思えません。

と考えると、リーダーの役割が見えてきます。
メンバーにご機嫌になってもらうこと。
メンバーが仕事をしやすい環境を作ること。
部下たちがご機嫌で、頭の回転も早くなれば、必然的に成果も出ます。
いい仕事をすれば能力も向上します。
能力が向上すれば、ますますいい仕事ができるようになる。
チームの成果が上がり、結果的にリーダーの価値も上がるのです。

では、なぜ損なことなのにも関わらず、やたらに怒鳴るような上司がいるのでしょうか。
内田樹さんはこう言います。

###
怒鳴りつけられたり、恫喝を加えられたりされると、知性の活動が好調になると
いう人間は存在しない。
だから、他人を怒鳴りつける人間は、目の前にいる人間の心身のパフォーマンス
を向上させることを願っていない。
彼はむしろ相手の状況認識や対応能力を低下させることをめざしている。
どうして、「そんなこと」をするのか。(略)
人間が目の前の相手の社会的能力を低下させることによって獲得できるものは一
つしかない。
それは「相対的な優位」である。
(内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/ '11.7.5)
###

そうなんです。
結局、怒鳴りつけたり、恫喝まがいのことを言うリーダーは、ただ単に「オレは偉いんだ」と言いたいだけなんですね。
怒鳴りつけているその部下に対して、自分の優位性を誇示している。
そのためだけに怒鳴っているんです。
さらに、人前でも平気で部下を怒鳴りつけている人は、それを見ている人たちにも「オレは偉い」ということを誇示したいんですね。
そんなご本人の意図にかかわらず、みっともないですなー。

たぶんそれは、そのリーダー自身のコンプレックスの裏返しなんでしょう。
その人は、自分の能力がそれほどでもないことに薄々気づいている。
表層心理ではわからなくても、深層心理では気づいているんです。
自信がないんです。
だから部下やメンバーからバカにされることを恐れているんです。
バカにされないためには、先手を打って相手をバカにしてしまうのが得策。
「相対的優位」を保つためにね。

そもそもリーダーとは何か。
それは、

 自分一人ではなしえない仕事を
  チーム全員の力を借りてなし得る人

なんだとぼくは思っています。
メンバーの力を借りる立場なんですよ。
だから「オレは偉い」なんて言ってる場合じゃないのです。
だって、誰がそんな嫌なやつのために力を貸すでしょうか。
自分を認めてくれ、やりやすい環境を作ってくれる人だから、協力していこうと思えるんです。

ぼくの周りを観察してみても、いい成果を出しているリーダー、出世していく人ほど、部下を理不尽に怒鳴りつけることはないです。
少なくとも人前で怒鳴ったりなんかは決してしない。
部下たち、メンバーたちにご機嫌に仕事をしてもらうこと。
それが一番自分のためにもなることを知っているからなんですね。
そしてその方が、部下やメンバー、そして周りの人たちからも、尊敬を集め、本当に偉い人だって思ってもらえるのです。
ぼくも見習おっと!

2011年7月13日水曜日

淡々と生きる


こんにちは

関口さんって、毎日美味しいお店をさがしまくってるのかと思いましたよ!

ぼくが毎日決まりきったものを自炊で食べているって話をした時です。
そうスタッフの一人に言われました。
ぼくは好奇心旺盛で個性的な人間のように見えるから、食べるものもあれこれ好奇心発揮しまくっていると思われていたんでしょう。
たしかに神戸は美味しいお店がたくさんありますからね。
でもそんなことをする財力はありませんよ。

ぼくの単身赴任での日々の暮らしは単調です。
ぼくは朝昼は食べない(野菜ジュースだけ)ので、夕食だけ。
その夕食はご飯は自分で炊いていますが、おかずは買ってきます。
メニューは毎週同じなんです。

月曜日=レトルトカレーとサラダ、火曜日=神戸水野屋のコロッケとサラダ、水曜日=王将の餃子とサラダ

いつも同じメニューって、らくちんなんですよ。
今晩何食べようか、って考えたり、悩んだりしなくてすむ。
メニューを考えることだって、けっこう頭に負担をかけるのです。
よく主婦のみなさんは、晩ご飯のメニューを考えるのが大変だと言います。
主婦が感じるストレスの大きなものが、このメニューを考えること。
それで亭主や子どもに「今晩なに食べたい?」と聞きます。
で、「なんでもいいよ」なーんて答えられると、ますますストレス。
実を言うと亭主の方も、女房から「なに食べたい?」と聞かれることがストレスになっているそうなんです。

だから主婦の方々も、日々のメニューを決めちゃえばいいのです。
月曜日はこれ、火曜日はこれってね。
毎週毎週同じでも、亭主や子どもはそれほど文句は言わないと思いますよ。
得意な定番メニューが10くらいもあれば、それを繰り返すだけでいいんです。
毎日毎日違うものを作ろうとするから迷うし、ストレスにもなるのです。

で、月に1回くらいは新しいメニューに挑戦してみる。
料理本を見て、家族が喜びそうなものを作ってみるんです。
美味しくて家族が喜んだのなら、それを定番メニューに加える。
ダメなら二度と作らない。
それでいいと思います。

さてさて、こんな感じなので、1日に使うお金は1000円以内で収まります。
1週間の生活費を1万円と決めていますが、楽に達成できますよ。
木曜日はコインランドリーに洗濯しに行くので、その待ち時間に銭湯に行ったり、外食したりします。
木曜だけは三宮近辺で安くて美味しい店を探して食べ歩きます。
ちょびっと贅沢するんです。と言っても1000円から2000円の範囲ですがね。
そして金曜日は家族の待つ家に帰ると。

というわけで、日々の暮らしはいたってシンプル。
淡々としたものです。
でもこうすると「疲れない」んですよ。
やっぱりいつもと違うことをするって、楽しいけど、疲れます。
旅行に行って家に帰ると、大抵の人は「あー疲れたー、やっぱり家がいいねー」と思います。
旅行は非日常ですから、心も体も疲れるんです。
時々非日常的なことをするのは楽しいことなんですが、普段はできませんよ。
心身がその負担に耐えられないんです。

内田樹『最終講義』技術評論社¥1580-にこうありました。

###
ケーニヒスベルク大学で教えていた頃、イマヌエル・カントは毎日決まった時刻に決まった道筋を散歩していたそうです。
あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したという逸話が今日に伝えられています。
わが身を大哲学者に引き比べるのがまことに僭越至極であることは重々承知しておりますが、僕にはカントの気持ちがわかります。
「それ以外の条件をすべて同じにしておく」というのは、脳内でふっと未聞のアイディアが沸き上がってきたときに、それを取り逃さないために必須の心得だからです。
天文学者が彗星を探すときに、毎日、同じ時刻に、同じ方位の星座を撮した写真を重ねてみるのと同じで、「それ以外の条件が全て同じ」であるときにだけ、わずかな変化は検出できる。
知的な活動においても同じです。
昨日は脳内に存在しなかったアイディアをその萌芽状態においてとらえるためには、それ以外の生活条件を全部同じにしておくに如くはない。
規則正しい生活をするのが、脳内麻薬物質の大量分泌をもたらすためには、最も効果的なんです。(68p)
###

なるほどなるほど。
毎日決まりきったことをすると、自分の中のわずかな変化も検知できるようになるんですね。
それは淡々とシンプルに生きることによって、心と体に余裕ができるからなんだと思います。
その余裕に新しいものが芽生えてくる。

規則正しく生きることが、逆に個性的になる王道なんですよ。
自分とは自分自身にとって最大のリソースであり、それは有限なもの。
人生は自分というリソースを最大限使って、輝かせるものだと思っています。
だから無駄に使ってはいけない。
淡々と生きると無駄を省くことができる。
その分、心身に余裕が生まれ新たなこと、自分にしかできないことができるようになるんです。
結果として個性的な仕事を残せるんだと思います。


神戸のアパートにようやく天井照明を取り付けました。
裸電球だけどね。
白熱球の寿命は1000時間。
早寝早起きして、2年間の単身赴任期間中の点灯時間は1000時間未満にするぞー。
ってケチなだけ??

2011年7月10日日曜日

集中力を維持せよ!


こんにちは

今日はITパスポート試験というのを受験してきました。
http://www.jitec.ipa.go.jp/
一応、国家試験です。
情報処理技術者試験の中で一番簡単なやつです。
それにしても情報処理技術者試験って、資格名称がコロコロ変わりますねー。
ま、日進月歩の分野だから仕方ないか。

ぼくは「平成の資格王」を目指していますから、毎年二つ三つ何らかの資格試験にチャレンジし、そのうち一つか、よく行って二つ合格するということを、もう20年も続けています。
保有資格も60を超えたくらいまでは把握していましたが、今やいくつ持っているのかも分からなくなってしまいました。
今年も最低ひとつは合格しておきたいので、安全パイとしてITパスポート試験を受験したわけです。

情報処理推進機構のHPにもう模範解答が掲載されていました。
さっそく採点したところ、100問中84問正解。
今日の試験もまずまずの出来でしたねー。
なかなかやるじゃん、オレ。
今年もひとつ資格が増えること、確定!

はっきり言って、今のぼくにとってこの資格を取っても何のメリットもありません。
この試験のための勉強をしても、大きく知識や技能が上がるわけでもありません(少しは面白いネタを仕入れられましたが)。
もちろん、お給料が上がることもまったくない。
でも、受験する意義はあるんですよ。

一番は、集中力の維持です。
社会人になると、集中力ってなかなか鍛えられないんですよ。
みなさんも職場にいるおじさんたちを観察してみてください。
集中して仕事をしている人って、ほんといないでしょ。
すぐタバコ吸いに行ったり、ひんぱんにお茶飲んだり、それでトイレにばっかり行っていたり。
ひどいおじさんは、一生懸命仕事をしている若いお姉ちゃんにどうでもいいくだらない話を話しかけて、仕事の邪魔してたりねー。

集中してやらなきゃならないほどの仕事がないっていうのもあるんだけど、おじさんたち、やっぱり集中力が衰えているんだと思います。
集中力を鍛える機会が、仕事ではなかなかないからです。
学生時代、かなり集中力があった人でも、社会人を10年、20年とのんべんだらりと続けているうちに、集中力は衰えてしまうのです。
集中力が衰えると、テキパキと仕事をこなすこともできなくなる。
なんとなく毎日ダラダラと残業しているおじさんは、きっとこういう状態になってしまっているんですよ。

学生時代はそれなりに集中力があったのは、しばしば試験を受けていたからです。
中間試験、期末試験、そして受験。
試験が集中力を鍛えるいいチャンスになっていたんです。
だから大人になっても試験を受けるのはいいことなんです。
試験時間中、集中して問題に取り組まなければならないからです。
今日の試験も、2時間半で100問解かなくちゃいけない。
集中せざるを得ません。
途中でだれてしまったら、時間内に全問完答することができないのです。
年に一度か二度、こういう経験を毎年続ける。
それによって、集中力を維持できるんだとぼくは思っているのです。

というわけで、今日もとっても爽やかな気分です!

超高純度のつくり方


こんにちは

冷蔵庫でシャーベットを作ると水っぽくなっちゃいますよねー。
あれはどうしてなんですか?

先日の実験教室でドライアイスシャーベットを作ったとき、あるお父さんから聞かれました。
確かに、冷蔵庫でジュースを凍らせても美味しいシャーベットができないのです。
氷になった部分はすごく水っぽくなって、美味しくない。
かつ、どろどろの液体が凍らずに残ります。
このどろどろの液体はジュースが濃くなったものです。
つまり、冷蔵庫でシャーベットを作ろうとすると、水とジュースの成分が分離してしまうのです。

冬の朝、水たまりの表面が凍っているのを見たことがありませんか。
水たまりは泥水です。茶色く濁っています。
細かい土が水の底に沈まないで、溶け込んでいます。
ところがその泥水が凍った氷を取り上げてみると、透明できれいなんです。
氷の中に泥があまり入っていないのです。
泥はどこに行ったかというと、凍らない水の部分に集まってしまうのです。

この現象を応用したのが「高野豆腐」です。
豆腐を冬の寒い夜に凍らせると、豆腐の成分と水とが分離するんです。
フリーズドライ食品の製法も同じですね。
凍らせる=フリーズさせて水と分離し、成分だけを乾燥させたものなのです。

このように、何かが溶け込んだ水を、凍らせることによって分離することができます。
この現象を「偏析(へんせき)」と言います。
偏析現象は成分を分離し、濃度を高めるために役に立つんです。

トランジスタやLSI、LEDなど半導体製品には、超高純度のシリコンが必要です。
シリコンを超高純度にするためにも、偏析現象が使われています。
純度の高くないシリコンをるつぼの中で溶かします。
それを底の方からゆっくり冷やして固めます。
すると不純物はまだ固まっていない部分へ分離していきます。
最後には全体が固まりますが、最初に固まり始めた底の方の純度は高くなり、不純物は最後に固まった表面近くに集まります。
なので、表面近くを切って捨てます。
たった1回のこの操作で、シリコンの純度は100倍くらいになります。
さらに純度を高めようと思ったら、表面近くを切り捨て残った底の方だけ使って、再度同じ操作を繰り返します。

けれどもこの操作を続けると必然的に得られる純度の高いシリコンは、どんどん小さくなってしまいます。
捨てる部分が多くなっていくからです。
それでは無駄ですし、最終的な材料価格も高くなってしまいます。
材料価格が高ければ、大量生産できませんし、広く世の中で使われることもなくなってしまいます。

それを解決したのが、ベル研究所の研究者だったブファン。
彼が「ゾーン精製法」というやり方を発明したんです。
そのやり方はこうです。
長方形の容器に材料を入れます。
容器の端の部分、幅2~3cmだけ加熱して溶かします。
この溶けた部分を「ゾーン」と呼びます。
この溶けたゾーンをゆっくり静かに、長方形の長辺に添って移動させていくのです。
こうすると、溶けた部分が再び固まるときに不純物は偏析されます。
不純物だけがゾーンに溶け残ります。
ゾーンが容器の反対側まで到達したら、今度は逆方向に移動させます。
ゾーンが容器の端から端まで、右から左へ、左から右へと行ったり来たりするうちに、不純物はどんどんとゾーン部分だけに集まってくるのです。
3往復、すなわちゾーンが6回通過すると、その部分の純度は99.9999999~99.99999999%にも高められるのです。
そして最後は不純物が集まったゾーン部分だけを切り捨てる。
ゾーンは幅2~3cmですから、切り捨てる部分は全体の5~10%程度に抑えることができ、その他の90~95%の部分全部が、半導体材料として使えるものが得られるのです。

偏析現象って面白いでしょ。


偏析現象については、菊池誠『若きエンジニアへの手紙』工学図書\2100-を参照しました。

2011年7月7日木曜日

七夕のひみつ


こんにちは

今日は七夕ですね。
お子さんのいらっしゃるご家庭では、七夕飾りをしているでしょうか。
短冊に願いを書いて、星にお願いする。

だがしかーし、今日は雨なんだなー。
星なんか見えないじゃん。
そもそも何でこの梅雨時に七夕なんてあるんだ。
織姫星と彦星が年に一度船に乗って会える日だって?
織姫星も彦星もこの天気じゃ見えませんよ。
ぼくのこれまでの人生で、七夕の日がいい天気だったことはほとんどありません。

実は七夕はもともと、旧暦の7月7日の行事なんです。
今年の場合、旧暦の7月7日は新暦、すなわち現在の暦では8月6日です。
8月6日なら梅雨は完全に開けていますので、天気がいい場合が多いはず。
空を見上げて、星を見ながら願い事をするにはぴったりの季節なんです。

さらに、旧暦は太陰暦ですから月の満ち欠けと日にちは関係しています。
旧暦での一日は新月の日であり、15日は満月、そしてまた30日に向かって新月に戻っていく。
ですから、7日は半月なんですね。
しかも上弦の月。

上弦の月は、丸いおつきさまの上側が欠けていて、下側が光っている。
それがちょうど船のように見えます。
夏は天の川がはっきり見える季節。
上弦の月がちょうど天の川を渡る船のように見えるんです。
昔の人は、その船に乗って織姫星と彦星が一夜限りの逢瀬を楽しむのだと想像したんですね。
ロマンティックですねー。

2011年7月6日水曜日

バッファー


こんにちは

神戸に単身赴任してまる3ヶ月が経ちました。
おかげさまで仕事の方もうまく回り始めています。
スタッフの皆さんが実力発揮しまくっていますからね。
ありがたいです。

ぼくもぼくなりに、スタッフの皆さんが持っている実力を発揮できるよう配慮しているんです。
ぼくら運転技術課のスタッフは技術者集団です。
エンジニアとして非常に高い技量を持っている。
だけど(だから)事務仕事は不得手だったりします。
だから極力、不得手な事務仕事はぼくが担当したり、事務補助のお姉さんに振ってあげたりしているんです。
不得手なことをやるほど不合理なことはありません。
不得手なことには時間と労力と神経を使います。
そのために、得意なこと、本来実力を発揮すべきことが侵害されるのです。
それはもったいないことだと思うのです。

もちろん、徐々に事務仕事もやってもらいたい。
技術者というのは、右手で技術、左手でお金を握っていて、両者のバランスを取れるのが一流なんですから。
事務もやれて、自分の担当する設備を保全するためのお金の算段もできるようになってほしいと思います。

でもいきなりは無理だと思うのです。
ぼくの事業所は動き出したばかりの組織で、前例がまだないのです。
何事もゼロから作り出すのはとても大変なこと。
だからまずはぼくが「前例」を作る。
ぼくは和光や他の事業所でやられている、参考となる前例を知っている。
だから今はぼくがやる。
そしてぼくらの事業所での前例を作っておくんです。
前例として書類を作り、それを残す。
前例があれば、それを実際の設備に合わせてチューニングしていくのは簡単です。
スタッフも大きな負担なく、引き継げると思うのです。

鎌田浩毅『知的生産な生き方』東洋経済新報社¥1400-にこうありました。

###
理系の私がよく使う用語に「バッファー」(buffer)があります。
もともと「衝撃や苦痛を和らげるもの」という意味ですが、さまざまな場面で使われてきました。
高度の化学では、賛成とアルカリ性を示すpHを一定に保つ溶液として登場しま
す。
生体や化学物質にはpHに敏感なものが多く、その制御が必要だからです。
人間の体内で言えば血液がそうで、外から異物が入り込んでも、致命的な影響が生じない働きをしています。
また、コンピュータのシステムで、データを一時的に溜めておく記憶装置に用い
られます。
さらに転じて、調停役をする人の意味でも使われてきました。
人間関係を潤滑にする人物を指し、これが国家の間では緩衝国という用法になるのです。
このようにバッファーは大変広く使われています。(10p)
###

ぼくの肩書きは「調査役」です。
一体何を調査する仕事なんでしょうか、って誰もが疑問に思う肩書きですよねー。
実際、別に調査なんかしてませんしね。
でも、上に述べたように調査じゃなくて「調整」はやっているわけです。
その意味でぼくの肩書きは「調整役」ってことなんでしょうね。

今日もスタッフの皆さんに存分に実力を発揮してもらうべく、ぼくも楽しくがんばります!

2011年7月5日火曜日

不幸を知る装置


こんにちは

ぼくは自動制御が嫌いです。
自動制御の中に、監視設備というのがあります。
機械が何かトラブルを起こしたとき、それを自動的に教えてくれます。
大変便利で役立つものですが、これも嫌いなんです。
時々、こんなの知らされても困るよ、というものがあったりするからね。

今は梅雨。とても湿度が高いです。
スパコンから出る大量の熱は、最後は屋上の冷却塔から水を蒸発させて、大気中に捨てます。
スムーズに水が蒸発するには、湿度は低いほうがいい。
湿度って、大気中にあとどれくらい水蒸気を含むことができるか、という指標ですから。
今は梅雨時なので外気の湿度も高く、水は蒸発しにくい状況。

昨日、監視設備で「冷却水温度高」という警報が発生しました。
警報が出れば、設備を監視している人は驚きます。
驚いて、その警報=異常を解消しようと思います。
あれこれ、あたふたやらなきゃならない気持ちになりますよ。

でも「冷却水温度高」の場合、対応できることは何もないのです。
なぜ冷却水の温度が高くなったか。
それは梅雨時で湿度が高く、冷却水が十分蒸発できなくなった。
蒸発して熱を奪えなくなってしまったので、冷却水の温度が十分下がらなくなった。
そういうわけなんです。

つまり、自然現象。
これに対してなにか対処しようったって無理です。
外気の湿度はコントロールできないからです。
当然スパコンを冷やしている冷凍機を停止することもできない。
警報を出されたって、何も出来ないんですよ。

このように、何も対処のしようのない装置を、はやぶさプロジェクトのリーダーである川口さんは「不幸を知るための装置」と言っています。
はやぶさには、小惑星イトカワに着陸してサンプルを採取する装置が搭載されていました。
スタッフから、サンプルが取れたかどうか確認する装置を付けたい、という提案がありました。
が、川口さんはそれを却下したんです。
「無駄だ」と言って。

###
サンプル回収がリトライ可能なミッションであれば、事情は違います。
もう一度パラメータ(設定値)を変えてやってみるとか、まったく別の手段が用意されているとか、地球から次の手を打てるのであれば、その装置には意味がある。
しかし、「はやぶさ」のミッションにおいては、残念ながら意味のあるものではないのです。
つまり、善処する手段がない場合、悪いニュースはメンバーの士気を下げるので、そのニュースは伝えないほうがいい。
気持ちとしては分からなくはないんです。
サンプル回収が成功したら、それは嬉しいことなので、そのニュースはできるだけ早く聞きたいと思う。
でも「ニュースを早く聞こうと思うな」なんです。
「悪いニュースを早く聞いてどうする」「不幸を早く知ろうとするな」ということです。
(川口淳一郎『高い塔から水平線を見渡せ!』NHK「仕事学のすすめ'11.06」、56p)
###

はやぶさのサンプル回収は、たった1度しかできない仕組みだったんですね。
成功しようが失敗しようが1回限り。
失敗してもやり直しはできないのです。

ロケットは搭載できる重量が制限されています。
だから無駄な装置は積み込めない。
サンプル回収が成功したかどうか検知する装置の重量だって無駄にはできません。
たった1回のトライしかできないサンプル回収。
成功したときは、それを検知する装置は「よいニュース」を知らせてくれる。
でも失敗したとき、その装置は「不幸を知らせる」だけになってしまうのです。
こういう装置は無駄なんですね。

スパコン施設における「冷却水温度高」警報も、何も対処ができないという意味で「不幸を知る装置」の一種だと思います。
たしかに冷却水の温度が高くなると、冷凍機の効率は下がってきます。
冷凍機の効率が下がってきたとき、その原因が冷却水温度が高いから、とすぐわかるのは便利かもしれません。
でも、ちょっとした訓練を積んだエンジニアだったらそんなことは自明です。
わざわざ警報で教えてくれるまでもありません。

あ、わかりました。
ぼくはこういう警報が嫌いってことじゃなくて、安易に何でもかんでも警報にしてしまう人が嫌いなんだって。
たぶん、これも知らせてあげよう、あれも警報にした方がいい、という親切心なのかもしれません。
でもねー、ぼくはそこに思考の欠如も感じちゃうんですよ。
なんでもかんでも警報として取り込んでしまった方が「安全」ってね。

この「安全」って誰のための安全でしょうか。
設備を運転するぼくたちにとっての安全ではない。
この警報設備を作った人たちにとっての安全に過ぎないんですね。
もしも重大な警報を取り込むのを失念して、設備が破壊したり、事故が起こったら大変です。
なぜこんな重大な警報を取り込んでいなかったんだ!と叱られる。
もちろん責任問題にもなり得ます。
そういう事態は避けたいのは当然です。
だから、そのリスクを下げるために何でもかんでも警報として取り込んでしまうのです。
で、その中に「不幸を知るだけの装置」がたくさん紛れ込んでしまうのです。

まあ、建設工事の時はとんでもなく忙しく、じっくり考えている時間もないのもわかります。
ぼくもこの装置を作ったメンバーの一人、しかも総括的な立場だったわけですから、十分チェックできなかった反省もあります。
でも「不幸を知るだけの装置」という概念を持って、ものを作っていくことは大切だと思います。
それによって、本当に必要なもの、ないと困るものと、あってもなくてもいいもの、ないほうがいいものを峻別できるようになると思うのです。

好奇心こそ子どもを育てるエンジン


こんにちは

日曜日は、わが子はっちゃんもお世話になっているボーイスカウトビーバー隊で実験教室をやりました。
ビーバーですから、幼稚園年長から小学2年生です。
あんまり難しい話より、手を使って実験することを中心にやりました。
手と頭の神経は直結しています。
手を使えば頭もよくなるんです。
頭がよくなると心もよくなります。

で、何をやったかというと、1円玉と10円玉で電池を作ってLEDを光らせることと、夏ですから涼しいおやつも兼ねてドライアイスでシャーベットを作ること。
みんな真剣、集中してやりました。

いつもビーバー隊のお世話をしてくださる、隊長や副長からこんな感想をいただきました。

###
隊長から

今日は有難うございました。
私も楽しませていただきました。
(うちの子は帰ってから10円と1円を探して早速実験を復習していました)
とても分かりやすい説明で、スカウト達の興味をひくように説明していただき勉強になりました。
是非とも、来年も「実験しよう!」の集会は入れてもらいましょう。
特別講師で、カブやボーイにも集会をしてもらいたいと思ったところです。
ご負担をおかけしていないか、心配ですが、本当に有難うございました。
(ジュースを凍らせると分離して水っぽくなるあけですが、ドライアイスシャーベットは、美味でした。)


副長から

関口さん、今日はどうもありがとうございました!!
子どもたち、みんな実験に興味しんしんでしたね。
娘はとにかくシャーベットが美味しかったみたいです。
実験道具、いただいたので家でも兄たちに披露したいと思います。
得意な教科は200点も300点もとっちゃおう!!など、ぜひともボーイ、カブにいる兄たちに聞かせたいお話でした。
隊長のおっしゃるようにご負担でなければぜひボーイ隊でもお話いただけるとうれしいです。
子どもだけでなく私も子どもたち以上に楽しんだ実験とお話でした。
本当にありがとうございました!!


副長から

昨日は、どうもありがとうございました!
あっという間の2時間で本当に楽しかったです。
理科室が嫌い(骸骨の標本が怖いらしい)な息子でも帰ってきて話をするくらいですので、今回の活動は大成功だったのではないでしょうか!
どうやら、彼はドライアイスを調達してきて、次は牛乳や水で試すそうです。
「牛乳でもできるのか?」と聞かれたので、「さぁ~やってみれば?」と答えておきました。
今では、テレビはインターネットで調べればにすぐ答えがわかる時代になってしまいましたが
自分でやってみることの大切さ、楽しさをこの機会に教えてあげたいと思います。
ところで、帰りに息子と二人同じことを考えていたのですが「風船」使わなかったですよね?
何に使うつもりだったのかな~って(笑)
次回のお楽しみにしておきましょうか。
###

いいですねー。好奇心旺盛ですねー。
集会だけで「あー面白かった」で終わらない。
家でもやってみる。
ちょっと違うこともやってみる。
10円玉と1年玉じゃなくて、他のお金でもできるのか。
ジュースにドライアイスじゃなくて、他の液体でもできて、おいしくなるのか。
こういう継続した好奇心が大切だと思います。
好奇心こそ子どもを育てるエンジンですからね。

そして親はその好奇心を慈しみ伸ばす役割を果たす。
子どもと一緒にやる、一緒に楽しむってことです。
親はどうしても自分が知っていることを子どもに教えたくなります。
でもそれじゃあ好奇心はしぼんでしまうんですよ。
親も知らなかったことを共に楽しむ。
親も「へー、そうなんだー」という驚きと感動を味わう。
そうやって子どもの好奇心は育つんだと思います。