2011年7月27日水曜日

フレンドリーな空間のつくり方


こんにちは

ぼくも多くのスタッフを抱える立場になりました。
スタッフたちにいかにゴキゲンに仕事をしてもらい、その能力を100%発揮してもらい、さらに腕を磨いて欲しいと思っているのです。

内田樹『最終講義』技術評論社¥1580-にこうありました。

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学会でも若い人を励ますようなコメントを聞く機会はまずないです。
権威者が、若い研究者をがみがみ叱り飛ばす。
でも、若い研究者が人前で喋ったら、だいたいボロを出すに決まっているんです。
いいじゃないですか。
みんなで「よし、頑張った!」と言って励ましてあげればいいのに。
学会がほんとうに研究共同体であれば、そうなるはずなんです。
気が遠くなるほど広大な研究対象が現に目の前に広がっているなら、みんんで手分けしてやるしかない。
「猫の手も借りたい」と思っていたら、若い人を叱り飛ばして、「もうやめちまえ」みたいなことを言うはずがない。
だから、査定して、格付けして、能力のない人間を追い出すということをやっている学会って、要するに「猫の手も借りたい」わけじゃない、ということですよね。
「人手は足りてます」ってことですよね。
それどころか、今いる研究者だけでも多すぎるってことですよね。
じゃあ、それって、「気が遠くなるほど広大な研究対象が目の前に広がって」はいないということでしょう。
自分が寝食を忘れて一生涯研究しても究め切れないかもしれないと思うからこそ、「後事を託す」ために若い研究者を育てるわけじゃないですか。
世代を超えた協力がなければ、絶対に果たせないほどの研究対象の奥行きと深みを実感していたら、研究共同体はフレンドリーな空間になるはずなんですよ。(286p)
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なるほど、なるほど。
学会、研究者について書いてありますが、そのまま職場、スタッフに読み替えることができますね。

職場でも若い人を励ますようなコメントを聞く機会はまずないです。
管理職が、若いスタッフをがみがみ叱り飛ばす。
でも、若いスタッフが新しい仕事をやれば、だいたいボロを出すに決まっているんです。
いいじゃないですか。
みんなで「よし、頑張った!」と言って励ましてあげればいいのに。
職場がほんとうに仕事共同体であれば、そうなるはずなんです。
気が遠くなるほど広大な仕事が現に目の前に広がっているなら、みんんで手分けしてやるしかない。
「猫の手も借りたい」と思っていたら、若い人を叱り飛ばして、「もうやめちまえ」みたいなことを言うはずがない。
だから、査定して、格付けして、能力のない人間を追い出すということをやっている職場って、要するに「猫の手も借りたい」わけじゃない、ということですよね。
「人手は足りてます」ってことですよね。
それどころか、今いる職員だけでも多すぎるってことですよね。
じゃあ、それって、「気が遠くなるほど広大な仕事が目の前に広がって」はいないということでしょう。
自分が寝食を忘れて一生涯仕事をしてもやり切れないかもしれないと思うからこそ、「後事を託す」ために若いスタッフを育てるわけじゃないですか。
世代を超えた協力がなければ、絶対に果たせないほどの仕事の奥行きと深みを実感していたら、職場はフレンドリーな空間になるはずなんですよ。

てな具合ですな。
意味もなく若いスタッフをガミガミ怒ってばかりいる管理職は、実はヒマなんですよ。
仕事を進めるために怒っているのではなく、「オレのほうが偉いんだ」って示したいだけ、それだけのために怒っている。
そんなくだらないことをしていても、仕事に支障はないということは、イコール暇なだけなんです。
その部署は廃止、あるいは縮小してしまえばいい。

同様に、学校、教師に読み替えてもいいですね。

教室でも生徒を励ますようなコメントを聞く機会はまずないです。
教師が、生徒をがみがみ叱り飛ばす。
でも、生徒は初めて学ぶんですから、だいたいボロを出すに決まっているんです。
いいじゃないですか。
みんなで「よし、頑張った!」と言って励ましてあげればいいのに。
学校がほんとうに学習共同体であれば、そうなるはずなんです。
気が遠くなるほど広大な教えるべき事柄が現に目の前に広がっているなら、がみがみ叱り飛ばしている時間なんかない。
しっかりと教えようと思っていたら、生徒を叱り飛ばして、「もうやめちまえ」みたいなことを言うはずがない。
だから、査定して、格付けして、能力のない人間を追い出すということをやっている学校って、要するに「教えたい」わけじゃない、ということですよね。
「教えることはない」ってことですよね。
それどころか、教える気なんかないってことですよね。
じゃあ、それって、「気が遠くなるほど膨大な教えるべき事柄が目の前に広がって」はいないということでしょう。
自分が寝食を忘れて一生涯勉強しても勉強し切れないかもしれないと思うからこそ、「後事を託す」ために生徒たちを育てるわけじゃないですか。
世代を超えた継続がなければ、絶対に社会の発展はないほどの学習すべき事柄の奥行きと深みを実感していたら、教室はフレンドリーな空間になるはずなんですよ。

いかがですか。

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