2012年11月29日木曜日

漢字で語彙を増やす

こんにちは

はっちゃんが10月に受検した漢字検定9級の発表がありました。
みごと合格!スバラシイ!

9級は2年生までに習う漢字が出題範囲です。
漢字検定のよいところは、その学年だけじゃなく、それ以前の学年で習う漢字まで出題されるので、漢字の完全習得に向いています。
年3回実施、検定料も安い。
利用しない手はありませんよ。

2年生の半ばで9級にチャレンジでしたから、合格するとは思いましたが、ギリギリかと思っていました。
それがほぼ満点、3問だけの間違い。
146点(満点150点、合格点120点)という、なかなかの点数での合格。
ギリギリ合格だったら,次の回の2月にも9級を受けさせようと思っていましたが,その必要はなさそうです。
安心して3年生の漢字を進めていこうと思います。

小学校4年生までは、あまり難しい勉強はしなくていいと思っています。
読み書き計算だけみっちりやる。
10歳までの脳は、まだ論理的な思考ができないのです。
でも、単純な記憶には適している。
だから、覚えるべきことをどんどん覚えればいい。

覚えるべきことは「言葉」。
語彙をどんどん増やしていく必要があります。
語彙を増やすためには漢字をたくさん覚えるのがいいのです。

なぜなら漢字はそれ一つで使われるわけではないからです。
漢字一つで使われるだけなら、訓読み、やまとことばです。
やまとことばは日常語、具体語です。
やまとことばだけでは、語彙は増えません。

漢字は二つ組み合わさって、熟語、漢語を作ります。
漢語は抽象語です。
しかも組み合わせはたくさんある。
漢字を一つ覚えると、漢語を5個から10個も覚えられるのです。
語彙を飛躍的に増やすことができるのです。

つまり、小学校で習う漢字1000文字を覚えれば、語彙は5000から10000語も身に着けられるのです。
語彙5000語の実力はいかほどか。
英語検定に置き換えれば、2級レベルです。
英検2級ならビジネスで使えるレベルなのです。
日本語に引き戻して考えれば、語彙5000程度ないと、社会人になって仕事をする上で支障が出る。

語彙10000語ならどうか。
英検準1級レベルです。
英字新聞を難なく読める。
英語で抽象的な議論が出来るレベルです。
日本語であれば、大人とほぼ対等な議論が出来るようになるのです。

だから10歳までにたくさんの漢字をしっかり覚える。
我が子たちには4年生終わりか、5年生前半までに、小学校で習う漢字すべてを習得し、漢字検定5級合格を目指したい。
そして、10歳を過ぎて脳が論理的思考ができるようになったら、難しい勉強に挑戦させる。
その時に、語彙力は大きな力を発揮するはずです。
だって「アタマの良さとは国語力なりby野口悠紀雄」なんですから!

2012年11月25日日曜日

アトピーにミヤリサン+ビオチンが効いている!

こんにちは

持病のアトピー性皮膚炎に、ミヤリサン+ビオチンが効いている。
ビタミンC大量摂取からネットでたどってみたら、ビオチン療法に行き着いた。
前橋賢医師が掌蹠膿疱症の治療のために開発した治療法だが、アトピーなどアレルギー症状にも効果があるとあった(前橋賢『信じてもらうための挑戦―掌蹠膿疱症は「治る」病気です』近代文芸社) 。

ミヤリサンもビオチンもアマゾンで注文できた。
飲み始めて1ヶ月になるが、大変よく効いているのだ。
これまでの50年はなんだったのだろう、と思うくらいだ。
これまでかけた医療費は、保険により支払われたものも含めれば、数百万円であろう。
それでも一進一退、どちらかといえばじわじわ悪化する一方だったのだ。
それがたったの数千円で劇的に改善してしまったのだ。

がさがさだった手の甲もツルツルで、妻に「さわってごらんよ~」と思わず言ってしまうくらい。
我が子の新鮮細胞の手の甲と同じくらいツルツルなのである。
調子こいて誰彼かまわず「さわってー」と言っちゃいそうである。

冬になると毎年かかとがひび割れ、風呂上がりに必ずワセリンを塗り込まないと、ひび割れがぱっくりと真皮の部分まで至り、血がにじんでいた。
いわゆる、あかぎれ。
非常に痛い。歩くのも困難になるほど。
それが今年は全くない。
それどころか、かかとはほぼツルツルなのである。

お風呂上がりに保湿ローションは塗っているが、それ以外は必要なくなった。
もちろん、お医者さんに通う必要もない。
今のところリバウンドする気配もない。
毎日8時間おきに、ミヤリサン+ビオチン+ビタミンCを飲むだけだ。

もちろん、完璧とは言えない。
だいたい70点くらいだろうか。
まだうっすらとかゆみは残るし、脱落する皮膚も多少ある。
でもかゆみで気が狂うような思いは全くなくなった。
前頭葉の7つのワーキングメモリのうち、一つか二つが常にかゆみに占領されていたが、それも退席しつつあり、脳もクリアになってきた。

肉食効果も相乗して、とにかくやる気が湧いてきている。
頭もクリア、身体も調子がよい、集中力も向上している。
しばらく中断していた超難関資格の勉強を再開しようかと思う。
理研を卒業するまでに学位取得ってのもやり抜けそうだ!

2012年11月24日土曜日

子どもの仕事、大人の仕事

こんにちは
 
11/21ははっちゃんの満8歳のお誕生日でした。
8年かー。長かったような早かったような不思議な気分です。
元気溌剌に育つよう溌貴と名付けました。
その名の通り、元気で愉快な子に育っています。嬉しいですねー。
 
8歳になったので、なぜ勉強するのか、勉強しなくちゃいけないのか、語ってあげることにしよう。
 
いつも言っているけど、子どもの仕事ってなんだったっけ?覚えてる?
そうそう。勉強と遊びだね。
 
 子どもの仕事=勉強+遊び。
 
昔から、「よく学びよく遊べ」って言われている。
勉強も遊びもたくさんやらなくちゃいけない。そ
れが子どもの仕事。
 
勉強と遊び、比べてみると、やっぱり遊びの方が楽しい。
つい遊んでばかりになっちゃう。
でも遊んでばかりいるとどうなるかな。
お父さん、お母さんに「勉強しなさい!」って叱られるよね。
先生からも叱られちゃうかも。
お父さん、お母さん、先生は、子どもの仕事は勉強と遊びだから、勉強もしないとちゃんとした人間にならないって分かっている。
だから「勉強しなさい!」って叱るんだ。
 
でもさあ、叱られて勉強するのって嫌じゃない?
誰かに命令されて勉強するのって楽しくないよね。
 
子どもだって分かってるんだよ、子どもの仕事は勉強と遊びだって。
だから勉強しないで遊んでばかりいると、なんとなく後ろめたい。
遊びに夢中になれないんだ。
そのうえ、いつかお父さん、お母さん、先生に叱れるんじゃないかってびくびくしちゃう。
そうなると、遊びに集中できなくなって、中途半端になっちゃうよね。
遊んでいてもあまり楽しくなくなっちゃうんだ。
楽しくない遊びってありかなー。
 
だからお父さん、お母さん、先生に言われる前に、自分で勉強しちゃった方がいい。
そうすればすっきりする。
晴れ晴れした気分で遊びに熱中することができるんだ。
 
そのとき、お父さんかお母さん、あるいは先生から「勉強したの?」と言われても、平然として「やっちゃいました!えへん!」って威張れるもんね。
お父さん、お母さん、先生だってもう何も文句言えなくなっちゃうよ。
やらなくちゃいけない勉強、たとえば宿題を終わらせる。
その上、少しだけでもいいから漢字練習や計算練習もしちゃうといいよ。
やるべきこと以上にやっていると、「あら偉いわね~」と褒めてくれる。
君も気分よし、お父さん、お母さん、先生も気分よし。
最高だね。
 
昔から、「よく学びよく遊べ」って言うでしょ。
学びの方が先なんだよ。
先に勉強しちゃった方が得なんだ。
今日やるべき勉強をさっさと片付けて、それからたっぷり遊ぶ。
そうできるとスバラシイ人間に育っていけるんだ。
 
ところで、大人の仕事ってなんだか知ってる?
実は、
 
 大人の仕事=勉強+仕事
 
なんだよ。
大人になっても勉強が必要なんだよ、本当は。
お父さんだっていっつも勉強してるでしょ。
 
もちろん大人の中には勉強していない人も大勢いる。
そういう人はどうなっちゃうか。
誰かから、これやれ、あれやれと命令されて仕事をしている。
仕事だって命令されてやるのは楽しくないよね。
楽しくないから熱中できない。
つまらないからだらだら仕事をする。そ
れじゃあいい仕事はできないのも当然だ。
いい仕事ができなければ、偉い人やお客さんから叱られる。
叱られてぺこぺこ謝らなくちゃならない。
ますます仕事が嫌いになるよ。
 
勉強している大人はどうか。
きちんと勉強しているから、いつ何をどんな風にやればいいかが分かる。
分かるから誰かから命令されなくても、さっさとやってしまう。
期日通りにきちんとした品質で仕事が完了していれば、偉い人からもお客さんからも喜ばれる。
ありがとうって言ってもらえる。
そうなればとっても楽しい。
その上、給料だってもらえちゃうんだから嬉しいよね。
 
やらなくちゃならない仕事が早く終われば、自分で好きな仕事を見つけ出してそれをやる余裕も生まれるよ。
他の誰にもできないこと、誰もやっていない仕事ができるんだ。
これは面白いよー。
誰にもできないことができるようになると、命令されるんじゃなくて仕事をお願いされるようになる。
あなたにやってもらいたい、あなたじゃなくちゃだめだ、ってね。
すごく嬉しいよねー。
 
もちろんそのためにまた勉強もしなくちゃならなくなる。
誰もやっていないことをやるんだから、うまくやるためには勉強しとかなくちゃ。
勉強してよく考えてやる。
でもこの勉強は楽しい。
わくわくするような勉強だ。
勉強して、いい仕事をして、みんなから感謝される。
気分いいよねー。
 
面白いことに、人から命令されてやる仕事は、失敗したら「ばか、まぬけ!」と叱られる。
上手くいっても何も言われない。感謝もされない。
できて当たり前だからね。
 
ところが、お願いされてやる仕事は、もちろん上手くいけば感謝されるけど、失敗しても叱られないんだ。
だって誰にもできない難しい仕事だから。
あなたでもできないのなら仕方ありません、って言ってくれるんだよ。
 
勉強している大人は、仕事に集中できる。
なぜって、楽しいから。
その意味で、大人にとっての仕事は、遊びと一緒なんだよ。
勉強をしっかりやっておけば、仕事も遊びになるんだね。
 
はっちゃんも8歳になったんで、そろそろ自分から勉強する子になって欲しいんだ。
お父さん、お母さん、先生から「勉強しなさい」って言われる前にね。
子どものうちから、自分から勉強する習慣を身につけて、そして大人になっても勉強を続けられる人になってほしいんだ。
楽しい人生を造っていってほしいからね。
 
お誕生日、おめでとう!

2012年11月17日土曜日

ダイナミックレンジを広げよ!

こんにちは
 
次男峻貴君に文字を教え始めました。
最初は筆圧を強くする練習です。
鉛筆の芯が折れるほど、グイッと力をいれて書く。
指先から前腕の筋肉を鍛えて強くするわけです。
筋肉には二つの種類あります。
支えるための筋肉、いわゆる「静筋」と、動かすための筋肉、いわゆる「動筋」です。
このどちらも鍛えないと、字は上手にかけるようになりません。
静筋を使ってしっかりと鉛筆を握り、ぶれないように支えます。
そして動筋を使って、自分の思うとおりの軌跡を描かせるのです。
筆圧を強くして文字を書くと、その両者が鍛えられるのです。

筆圧を強くすること、すなわち工学的に言えば「ダイナミックレンジを広げる」ことです。
広いダイナミックレンジを持つ技術は適応範囲が広く、また、その範囲の一部を使う限り、非常に安定的に使えます。
それと同じく、筆圧を強めて、前腕の筋肉を鍛えておく。
文字を書くときのダイナミックレンジが広いわけですから、通常の筆圧で文字を書くとき、とても安定的でしっかりとした文字を書くことができるようになるわけです。

先日のサイエンスアゴラで、BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)を研究している方とお話ししました。
手に障害を持っている人をサポートするために、腕に装着するアクチュエーターを開発した。
アクチュエーターというのは、簡単に言えばモーターでシリンダを伸び縮みさせるもの。
筋肉を模擬した動きをするものです。
手の動きを模擬するのですから、健常者の前腕の筋肉がどう動いているか、測定するセンサーも開発したそうです。
そのセンサーで、手がこう動くときは、これとあそこの筋肉がこのくらい動くということを計測し、コンピュータにデータを入れるわけです。
そのデータを使って、アクチュエータを動かす。

その研究者の方が、ある書道家が文字を書くときの筋肉の動きを測定したのだそうです。
そのデータをコンピュータに記録した。
そして自分の手にアクチュエータを装着し、書道家の手の動きを入力したのです。

すると、あるときは力強く、またあるときは軽やかに、回転させたりひねったり、いろいろな動きを組み合わせて文字を書いていることが分かったのだそうです。
つまり、書道家の手の動きは大変ダイナミックレンジが広かった。
長谷部光雄『技術者の意地』にこんなことも書いてありました。
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(テニスを教えるとき)日本の場合は、打ったボールがコート内に入るように、ボールコントロール練習するそうだ。
一方米国では、コートに入れるコントロールよりも先に、まず強いボールを打てるフォーム作りをやるそうである。
この場合、打ったボールがコートに入らなくてもかまわない。
とにかく強いボールを打てるように訓練するのだ。
そしてフォームが固まってきたら、ボールコントロールができるように修正していくのである。(265p)
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やはり、テニスにおいてもダイナミックレンジを最初に広げておくのが,後々上達するって訳です。
まあ我が子に書道家のような芸術的な文字を書かせるわけじゃありませんが、筋肉を鍛えダイナミックレンジを広げておこうと思っているのです。
長男溌貴君に字を教え始めたときも、とにかく筆圧を強くして書くようにさせました。
親ばかかもしれませんが、溌貴君は男の子にしてはしっかりした字を書きますし、2年生にしては小さな文字も書けるようになっています。つ
まり指先が繊細に動くんですね。
峻貴君もそうなって欲しいと思って、毎日10分間程度ですが、集中して取り組んでいるところです。

2012年11月4日日曜日

2012年10月22日月曜日

技術があるから思考も深まる

こんにちは
 
はっちゃんは2年生で習う漢字を一通り勉強し終えました。
先週金曜日、漢字検定9級を受験。
まだ2年生になって半年あまり。
それでもはっちゃんの学年からは13名が9級に挑戦したそうです。
 
一通り勉強し終えたと言っても、試験日までに過去問4回分しか練習できませんでした。
ちょっと練習量は不足でしたね。
10回分くらい過去問はやりたかった。
試験日までにそこまで追いつけることができずに残念。
 
でも満点は無理でしょうが、合格点には届いたような感じです。
発表が楽しみです。
試験が終わったからと言って、気を緩めてはいけません。
せいぜい2,3日だけね。
引き続き今日から、3年生の漢字練習に入りました!
3年生の漢字は200文字。
毎日2文字ずつこなせば、半年くらいで終えられるでしょう。
 
算数はどうか。
九九もほぼ完璧にマスターできたので、桁の多いかけ算にも挑戦しています。
3年生に習う計算ですね。
今日は3桁×1桁の筆算。
ラクラクできました。
桁数の多いかけ算は、九九のマスター+足し算が暗算でできないと、計算できません。
来週は2桁×2桁の計算を教えようと思います。
 
こうやって、ちょっとずつ先へ、先へと進めていき、5年生終了時までに、6年生までに習う読み書き計算はマスターしてしまおうと思っています。
読み書き計算は技術、あるいは道具です。
技術、道具がしっかりしていれば、思考にじっくり時間をかけられます。
技があるから考えも深くなるのです。
 
弁護士で司法試験予備校をやっている伊藤眞さんの講演を聴きました。
司法試験合格を目指す学生に、伊藤さんがまずやらせることは何か。
法律の暗記?
いやいや違います。
法の論理?
いいえ、そうじゃありません。
法の精神?
まったく違います。
 
伊藤さんが学生にまずやらせるのは、文章を速く書く訓練なんです。
司法試験本番では、60分という短時間で1700文字もの論文を書かなくてはなりません。
それも1科目だけじゃなく、何科目も書かせられる。
このとき、文章を速く書く技術は役に立ちます。
 
最初から自分で論文を書くのは無理ですから、試写から始めるそうです。
模範解答をただただ書き写す。
それも速く。
本番で1時間で書くものを、30分で、20分で。
 
速く書けると、考える時間が生まれます。
30分で書ける技術があるなら、1時間の試験時間のうち30分を考え、論を立てる時間に使えます。
20分で書ける技術があるなら、1時間の試験時間のうち40分を考え、論を立てる時間に充てられるのです。
 
書く時間が1時間以上かかるなら、答案を書き終えられず、これは論外。
書く時間が50分なら、考える時間は10分しかない。
考える時間が40分ある人と10分しかない人、どちらが深みのある論文が書けるか。
それは当然、長く考えられる人に決まっています。
 
技術というのはバカにならないものなのです。
技術があるから思考は深まり、広げることができるのです。
小学生なら読み書き計算の技術。
読む速度が速ければ、書かれたものを把握し、書き手の意図を理解することができます。
書く速度が速ければ、自分の考えをまとめ、十分推敲する余裕ができます。
計算する速度が速ければ、問題を理解し、意図を把握し、試行錯誤だってできる。
 
小学生の理解力や思考力は5年生、6年生になって初めて生まれてくるものです。
それまでは技術、訓練でよいのです。
技術を十分身につけて、5年生、6年生になって、思考力を磨くんです。

遡り学習のススメ

こんにちは

では学力的に低位な子はどうしたらいいのか。
ぼくが若い頃、中学校で非常勤講師をしていた時分かったことがある。
学力の低い子は頭が悪いわけじゃない。
すべからく漢字の読み書きが不自由なだけ。

仮説実験授業のような楽しい討論の授業では、けっこう議論に参加してくる。
議論を乗っ取ってしまうくらいよくしゃべることもある。
だから知能は学力のある子に遜色ないのだ。

でもテストをするとまるでダメ。
なぜならテストは問題が文章で示されているからだ。
この文章をすらすら読めない。
だから何を聞かれているのかが分からない。
なんとなく分かったとしても、答えを文章にして表せない。

この世の中、知的な事柄はすべて書き言葉でやりとりされるわけだ。
しかも抽象語を多様に使って。
それには漢字の読み書きが欠かせない「道具」なのである。

話し言葉は自然に覚えられても、書き言葉は訓練なしに身に着けることはできないのだ。
だから、学力獲得のために一番大切にしなければならない時期は、実は小学校時代なのである。

中学生になって学力低位の子が回復するには、小学校まで戻って「遡り学習」するしかない。
遠回りでも小学1年生に習う漢字からやり直すのである。
これが一番の近道なのだ。

大変そうだが、そうでもない。
中学生くらいの知力と体力があれば、1学年分半月か1ヶ月でこなせる。
半年もやれば小学校の漢字書き取りを全部マスターできちゃうのだ。
あとはそれをやるかやらないかだけ。

遠慮せずにアンチョコを使え!

こんにちは

これまで学力を身につけるためには、家庭での予習復習、特に中学校に入ってからは予習が大切だと述べてきた。
けれども学力中位の子(学力偏差値40~60程度)にとって、自力で予習することは至難の業である。
中位の子は十分な基礎学力と学習技能が身についていないから、予習しても分からないことだらけ。
単語一つ辞書で調べるにも、大変な時間がかかってしまう。
それでは続かない、続けることができない。
結局予習することをあきらめてしまうのだ。

だがしかーし!学力中位の子に強い見方がある。
それは「教科書ガイド」。
いわゆるアンチョコだ。
こいつを使おう。

教科書ガイドには、教科書の問題の答えが全部書いてある。
え、そんなの見たら卑怯だって?卑怯もへったくれもあるか。
きちんとした学力が身につくなら、それでいいのだ。

ぼくが子どもだった時代、学研や旺文社の発行する学習雑誌の付録にアンチョコが付いていた。
ぼくもアンチョコを活用して予習するようになってから、成績が伸びた。
残念なことに高校に入ってからこの勉強法に気づいた。
中学の時からやってればよかったよ。

それはともかく、今は学習雑誌は廃刊されちゃったけど、教科書ガイドは市販されている。
ネットでも買える。
http://www.gakusan.com/home/guide.php 
いい時代だ。

中位の子であれば、教科書ガイドを読みこなすだけの学力は持っている。
活用しない手はない。

2012年10月17日水曜日

没個性的な子どもの育て方

こんにちは

最近の子ども、あまり個性的な子がいない。
一見個性的なファッションを身にまとっていたりするが、同じような格好の子がたくさんいて、ただ仲間とつるんでいるだけだったりする。
要するに低レベルな凡庸ばかり。
なぜ?

その原因は「個性化教育」の充実だと、ぼくは仮説している。
学校で、個性、個性と言うようになってから、返って子どもたちの没個性化が進んだ。

なぜなら学校で求められる「個性」は、<良い個性>だからだ。
個性にも善し悪しがあるという前提で、良い個性だけ認め、伸ばそうとしているのだ。
たしかに、個性的な人は迷惑な存在だったりする。
そういう迷惑な個性の芽を摘んでしまおうというわけだ。

でもこれでは子どもは個性を発揮できない。
自分の個性が査定されるとしたら、思い切って自分を出すことができなくなってしまうのは当然の理なのだ。
だって子ども自身には、自らの個性の善し悪しがわからないからだ。
判断基準は教師が持っており、それは明示されていない。

個性というものは本来善し悪しはない。
善し悪しを査定されないから、のびのびと個性を発揮できるものなのだ。

善し悪しが査定され、常に監視されていると思ったら、あまり過激なことができなくなる。
ほどほどにしておくのが一番得策だからである。
地雷を踏むのは子どもだって嫌だからね。

なので今の子どもたちは、ほどほど、なあなあを基本原理として生きざるを得ない。
そして時々、大人たちの目を盗むように自分の欲望を発露しようとする。
ひとりじゃできないけど、みんなだととんでもないこともしてしまう。
あるいは、大人たちの目に配慮しつつ、このくらいだったら許してくれるよね、みたいなことをやるわけである。
こうしてかわいくない子どもができあがるのだ。

2012年10月16日火曜日

今週末10/20(土)は理研神戸へ!

こんにちは


今週末10/20(土)は、神戸ポートアイランド研究地区の一般公開です。
スパコン「京」を擁する計算科学研究機構、iPS細胞実用化目前の発生再生科学総合研究センターも公開です。
クイズラリーで豪華賞品がもらえたりします。
ぜひお子さんといらしてください!
 

2012年10月15日月曜日

努力離れからの離陸!

こんにちは

はっちゃんととんたんのお世話になっているボーイスカウト。
ボーイスカウトは9月が新年度。
新年度で入隊する子が増えた。
今日ぼくは、補助リーダーとして参加した。
すると新入隊の子どもたち、隊長が何か指示するたびに「えー」「なんでー」「いやだー」「ぼくがやるのー」などと言う。
とにかくやりたがらない。
鬱陶しいったらない。
今の子どもの特徴をひとことで言えば「努力離れ」。
努力することが嫌い。
なるべく努力したくない。
努力しないことに一生懸命努力しているという感じ。
だからまず最初に「いやだー」と口に出る。
ごねる。
屁理屈を言う。
そして、何とかして自分がそれをやらなくてもいいようにする。
リーダー、指導者、先輩があきれ果て、「じゃあ、やらなくてもいいよ」となると、「いえ~い」「やったー」だもん。
何じゃ、おまえら!って思いましたよ。
まあ、入隊したばっかりだから仕方ないとは思うけど。
きっと学校でもそうなんだろうな、と思った。
だからきっと、勉強もできないだろうな。
バカな人生を歩んでるなー。
努力した方が楽しいのにさ。
そして、そのままバカじゃいかんぞ!とも思うわけ。
再来週はぼくの実験教室をこの子らに対してやることになっている。
こいつらを少しでも感化してやるぜ、と決意した!

2012年10月14日日曜日

準兄弟、準いとこの薦め

こんにちは
 
はっちゃんのマブダチまことくんが、金曜日から二泊三日で我が家に泊まりに来ました。
我が子たちと同年代の男の子3人で、大騒ぎで楽しんでいきましたよ。
 
なぜお泊まりに来たかというと、まことくんのお母さんはお医者さんで、土日に宿直勤務が入っちゃったから子どもだけで家に置いておくのは不安だから、というのが第一の理由。
でもぼくはもっと積極的に、お友だちを泊まりに来させたり、逆に我が子たちをお友だちの家に泊まりに行かせたりしたいと考えているんです。
 
以前、TBSラジオ「サイエンスサイトーク」の収録で、ゲストの岸本裕史さんに聞いた話を紹介しましょう。
(この話は、日垣隆『頭は必ず良くなる』 (ワックBUNKO)に収録されています)。
岸本さんは<準兄弟、準いとこのススメ>を話してくれました。
 
現在は核家族、小子化で、同年代の子ども同士のふれあい、葛藤というものが少ないですね。
昔の家族のように、子ども同士の関係が子ども自身を育てていったというメリットがなくなってしまっています。
そこで、同年代の子を持つ親同士が時々、自分の子を相手の家にあずけたり、相手の子をあずかったりするのもいいのではないでしょうか。
このような関係を、岸本さんは「準兄弟、準いとこ」と呼んでいます。
 
子ども同士の関係が出来るだけでなく、以下のような「効用」もあります。
 
友だちの家に泊まってきた子どもは、年少な子どもなら特にでしょうが、自分の家に帰ってきて友だちの家のことを話します。
ご飯の時子どもがお手伝いをしていたとか、自分の皿は自分で洗っていたとか。
お風呂の時、ちゃんと体を洗ってから湯船に入っていたとかね。
いいことだけじゃなく、友だちのお父さんはパンツ一丁でTVを見ながらビール飲んでた、とかも。
いろんな話を子どもはしてくれるはずです。
 
反対に、自分の家に泊まっていった友だちも、家に帰ればお父さんお母さんに話をするでしょう。
そう考えると、あんまりみっともないことをしにくくなりますよねえ。
 
こうして、友だちの家の「文化」を子どもが運んできてくれるんです。
友だちの家のいい文化は自分の家にも取り入れてもいいでしょうし、しょうもないものは反面教師にすればいい。
 
宿題も持ってくれば、友だちの学校ではどんな勉強をしているのか知ることができます。
一緒に勉強すると、我が子たちに足りないところはどこかもはっきり見えてくる。
子どもに勉強を教えるときも、自分の子どもだけだと「どうして分からないの!」なんて、つい熱くなって怒ってしまいがちです。
他人の子もいっしょに教えるなら、冷静さも保てます。
 
さらに、子どもをあずけることによって夫婦だけの時間を持つことが出来ます。
普段は子ども中心に家庭が回っているために、夫婦だけの会話など満足に出来ていないのではないでしょうか。
時々、夫婦だけの時間を過ごすことによって夫婦関係も深まって、老後の「濡れ落ち葉」や「定年離婚」の帽子にもなるかもしれません。
 
子どもをあずけたりあずかったりするには、親同士が仲のよい絆を持っていなければならないのはもちろんです。
気心の知れた家族同士で、準兄弟、準いとこという実践を、年に数回くらいやってみるもの面白いと思っているんです。
 

2012年10月13日土曜日

財布のひも

こんにちは
 
本日は相模湖プレジャーフォレストってところへ遊びに行きました。
我が家としては珍しく、車で、高速道路に乗っての遠出。
マブダチまこくんも一緒です。
 
お目当ては、巨大立体迷路「からくり砦」。
とんたんが幼稚園からパンフレットをもらってきた。
それを見たはっちゃんが「行きたい!」。
日程を調整してようやく実現。
 
最初、子どもだけフリーパス券、大人は入園券だけ買って、節約しようと思ってました。
そして、子どもだけ放牧して、大人は休憩室でのんびり読書でもしてすごそう、と目論んでいたわけです。
 
ところが。。。
ほとんどのアトラクションが、小学生以下は保護者の付き添いが必要。
結局、大人もフリーパス券を買い、子どもたちに付き合う羽目に。
とほほほ。。。
 
園内で食事をしたり、飲み物を買ったり。
なんやかんやと、だんだんと出費がかさんでいきます。
お財布からお金がどんどんと消えていきます。
子どもは楽しそうですが、ぼくの気持ちはどんよりとしていきます。
 
とすると、ぼくが子ども時代、ぼくの父母はどんな気持ちで財布のひもをゆるめていたのかなー、なんて思ってしまいました。
けっこういろんな所へ連れて行ってくれましたから。
両親に感謝ですねえ。
 

2012年10月7日日曜日

宿題が学校を楽園にする

こんにちは
優秀な教師は、宿題をやらせる。
もちろん、やらせっぱなしではなく、ちゃんと採点したり、見てやったり、一言書いたり、声がけも怠らない。
そして、宿題をやったからテストでもいい点数を取れた、という実感を子どもに与える。
やったらやっただけの、努力したら努力しただけの結果が得られることを体験させるのだ。

宿題をやらせる教師は、親からも信頼される。
いや、親をも変えるのだ。
親が「宿題したの?」という前に、我が子が勉強を始める。
親にとってはオドロキだ。我が子を好ましく思うと共に、指導してくれる先生を尊敬する。

宿題は、小学生なら読み書き計算など、誰かに教えてもらわなくてもスイスイできるもので十分だ。
考えなければできないようなものはよろしくない。
考えず、何も参照しなくてもスイスイできるような宿題に限るべきだ。
親が面倒を見ないとできないような難しい宿題は出さない。
だから子どもが自主的にできる。
自主的にやる姿は、親に感動を与えるのだ。

子どもが自主的にできる類の宿題、つまり読み書き計算を家でキッチリと勉強するようになれば、学校で読み書き計算の復習をしなくてもよくなる。
一人でもできる勉強をわざわざ学校でみんなが集まった場所でやる必要はそもそもないのだ。
学校では、みんながいなくちゃできないような勉強をするべきだ。
考える勉強、調べる勉強、議論する勉強。
これは面白いよ。

蔭山英男先生はヒラ教師時代、子どもたちから「理科の先生」だと思われていたらしい。
なぜなら学校でオモロイ理科実験をたくさんやって見せたからだ。
なぜそんなことができたかというと、読み書き計算の宿題をキッチリやらせていたからだ。
だから学校でオモロイことができたのだ。
ちなみに蔭山先生は法学部卒で、まるで理科教師ではない。

少子化の現在、家に帰ってから近所の子どもたちで集団で遊ぶなんてことがしにくくなっている。
同年代の子どもたちが集まれるのは学校しかないのである。
ならば、学校で集団遊びをするのがよい。
ぼくは教師時代、そう考えた。
家で宿題をする習慣が身に付き、読み書き計算を自主的、自律的に家で勉強する子どもたちなら、学校は本来の意味での【遊び場】にもなり得る。
子どもが宿題をしっかりやり、読み書き計算の力がバッチリ付き、テストもいい点数を取れる。
その前提があれば、学校をパラダイスにできるのだ。

2012年10月6日土曜日

継続も親の意志!

こんにちは
 
この秋、はっちゃんはカブ隊へ上進、とんたんはビーバー隊に正式入隊。
二人とも少なくともボーイ隊まで続けさせます。
続けることが大切なんだけど、けっこう止めちゃう子が多いんだよね、スカウト活動も。
その原因はほぼ親。
子どもが「行きたくない.もう止める」と言うと、その自主性に任せてしまう。
あれこれ習い事をつまみ食いするのも同じですね。
子どもが「やってみたい」と言ったらやらせ、「もう止める」と言ったら止めてしまう。
それって自主性の育て方、間違ってますぞ!
 
子どもの「やりたい」「止めたい」は、自主性なんてもんじゃなくて、その場の<気分>なんです。
いちいち聞く必要はないのです。
そんなことより、親が「これを我が子にやらせたい」と思うものをやらせる。
親が我が子のためによいと思うものだったら、自信を持って「押しつけ」るんです。
そしてそれを続けさせるんです。
 
やり続けていれば、嫌なこともあるでしょう。
困難にもぶち当たるでしょう。
止めたくもなるでしょう。
でもそこで止めさせちゃいけない。
乗り越えさせなくちゃ。
乗り越えられるように援助してやらなくちゃ。
 
子どもが「止めたい」と言ったからって、すぐそれを聞き入れてはいけないんです。
我が家はそういうくだらんにせものの自主性は認めません。
継続は力なり。
そしてそれを支えるのは親の意志!

2012年10月1日月曜日

男は肉食!

こんにちは
我が子たちには男らしい男に育ってほしいと思っています。
養老孟司さんは「男は男として育てなければ男になれない」と言っています。
男らしい男に育てるには、やっぱり肉食は必要条件です。
というわけで、都民の日の今日、子どもたちを焼肉食べ放題に連れて行きました。
子どもと一緒に焼肉食べ放題に行くのは、ぼくの夢の一つでした。
夢が叶いましたよ!
行ったお店は、池袋の喰喰というお店。
http://r.gnavi.co.jp/g817917/
都民の日のお昼時だったので、中高生くらいの若者で賑わっていました。
だけどそのお客さんたち、明らかに女子の方が多いんです。
肉食女子、健在!
男子、どうしたー!!
このお店は子ども料金の設定があります。
年齢×105円です。
オマケにクーポン券で10%引き。
十分、元を取りましたぜー。
満足、満足。
子どもたちも気に入ったようです。
月に1度くらい、連れてこようかなー。
やっぱ男は焼肉だよね!

通学は楽し

こんにちは
 
毎週末、必ず子どもたちを近所の本屋に連れて行き、自分の好きな本を1冊買ってあげます。
はっちゃんはそれを学校に持っていきます。
でも学校で読むわけではありませんよ。
通学途中の電車やバスの中で読むんです。
 
通学時間は約1時間。
電車とバスを乗り継いで学校へ行きます。
往復2時間、毎日のこの時間を活用できるようになってほしい。
その第一歩は、読書でしょう。
通学の往き帰りに本を読めば、年間ではかなりの読書量になります。
 
野口悠紀雄さんも言っていますが、アタマの良さとは国語力、なんです。
そしてその国語力は、読書でしか培われないものなんです。
幼少の頃からの大量の乱読が、国語力を上げ、語彙を増やし、当然知識も増える。
優秀な人たちはすべからく、子どもの頃から読書家なんです。
 
一昨日は運動会でしたが、はっちゃんはちゃんとカバンの中に1冊入れていきました。
その本は横山験也『日本地図迷路』。
それをバスの中でお友だちと一緒読んでいる。
クイズを出し合って楽しんでいるんです。
素晴らしい!
都道府県名も自然と覚えちゃっているようでした。
 
ちょっと長い通学時間も、知的時間に変えてしまいます。
読書は最高の暇つぶしですからねー。

2012年9月21日金曜日

2012年9月15日土曜日

出会いは相補的

こんばんは

明日は三重県桑名市でサイエンスカフェです。
お近くの方はぜひどうぞ!
桑名市はスパコン「京」のCPUを作った富士通セミコンダクタ社のあるところだね。

明日のサイエンスカフェでも、素晴らしい子どもたちと出会えるでしょうか。
素晴らしい子どもと出会えるかどうかは、ぼく自身にもかかっています。
出会いは相補的だからね。
森博嗣さんもこんなことを言っています。
だから、出会いというのは、怖いものでもあるんです。

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子どもというのは、少し言葉を交わすだけで、あるいは大人たちの話を聞いているだけで、大人の実力を正確に見抜くものである。
馬鹿にしてはいけない。
「ああ、この人はこれができないのだな」とわかると、もうその大人からは学べない。
少なくともその分野では「先生」ではないことになる。
子どもはそれくらい知識に飢えているのだ。
自分が欲しいものを持っている大人をいつも捜している。
これは、どんな子どもにも共通する(動物全般にいえる)性質であり、「幼さ」という能力である。
 (森博嗣『創るセンス 工作の思考』集英社新書¥700-)

2012年9月1日土曜日

アトピーはアレルギーではないかもしれない

こんにちは

ぼくの持病はアトピー性皮膚炎です。
赤ちゃんの頃から湿疹が出続けています。
大人になった今も、疲れたり、ストレッサブルな状況になると悪化します。
かさかさの乾燥肌は、夏井先生の教えに従って、白色ワセリンで被覆することによって改善できました。
でもそれは体表面保護だけのこと。
身体の中から湧き出してくるかゆみには対抗できずにいました。

だいたいこれまで年2回くらい、悪化していました。
悪化するたびに、かかりつけのお医者さんにステロイド内服薬を処方してもらっていました。
それで何とか炎症を抑えていたんです。
去年から神戸に単身赴任するようになって、悪化度が増しました。
かゆみもひどくなり、期間も長引きます。
うーむ、何とかならないものだろうか。

今年6月末頃にも、すごく悪化しました。
この時もかかりつけのお医者さんに行きました。
が、ステロイド内服薬は副作用が大きいから、今回は抗ヒスタミン剤と抗アレルギー剤を処方してみましょう、とお医者さんから言われました。
それに従って、抗ヒスタミン剤と抗アレルギー剤を4種類も飲み続けました。
まるでよくならないんです。

どうしてこれらの薬がちっとも効かないのか考えました。
ぼくの得た仮説は「ぼくのアトピーは、アレルギーではないのではないか。だから、抗アレルギー剤が効かないし、アレルギー反応としてのヒスタミンも出ていないから、抗ヒスタミン剤も効かないのだ」でした。

では何がぼくのアトピーの原因なのでしょうか。
溝口徹『がんになったら肉を食べなさい』という本を読みました。
溝口医師は、分子整合医学で診療しているお医者さんです。
要するに、栄養学ですね。
溝口先生は、うつ病など精神病の多くも、ある栄養素が不足するから起こるのだ、と述べています。
で、この本の中で「高濃度ビタミンC治療」について述べられていました。
そこにちょこっと、「ビタミンCを大量に摂ることでアトピーも治る」とあったのです。

おお、もしかしたらぼくのアトピーも、ある種の栄養失調なのかもしれない、と思いました。
単身赴任でそれが顕著になった。
だから悪化したのではないか。
インターネットで「アトピー ビタミンC」で検索してみました。
確かにビタミンCは皮膚炎に有効ですし、副腎皮質ホルモンの生成にも必要だってありました。

さっそく自分の身体で人体実験です。
ビタミンC薬を買ってきて、規定量(1g/日)の3~5倍服用しています。
ほぼ1週間たちますが、発疹が薄くなり、かゆみも弱くなりました。
ある程度は効果があるようです。

インターネット検索で、こんなページも見つけました。
http://atop00.blog134.fc2.com/blog-entry-3.html
チョコラBBというビタミンB製剤もいいようです。
今日からこれも追加です。

あと、3日前からαリノレン酸も毎日大さじ1杯食べるようにしています。
さてさて、ぼくの持病を退治することができるでしょうか。
楽しみ、楽しみ。

地震が起こると歴史も動く

こんにちは
8/22-23は電気設備学会全国大会に参加しました。名古屋大学です。もちろんぼくも発表しましたよ。
面白かったのは、名大減災連携研究センター教授福和伸夫さんの講演。
http://www.sharaku.nuac.nagoya-u.ac.jp/
福田さんは政府中央防災会議の委員でもある。
8/29に政府が公表した南海トラフ巨大地震の話をからめた講演でした
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/taisaku_nankaitrough/index.html
何より面白かったのは、日本の歴史は地震災害と連動している、ということ。

たとえば、江戸時代末期には巨大地震が頻繁に起こりました。
1854に安政東海地震、南海地震が起きました。この連日の巨大地震で太平洋岸の諸藩、多くは江戸幕府親藩、譜代大名の藩は大きな被害をうけました。
ところが、薩摩、長州藩はほぼ無被害だったそうです。
これが江戸幕府衰退、1868大政奉還への下地になったのだそう。

太平洋末期にも1944に東南海地震、1945に三河地震が起こり、これにより軍需工場の多くが壊れ、それが敗戦へとつながったと言えるのだそうです。
原爆投下される頃には、日本にはもうほとんど兵器を作れるような状況ではなかったんだそうです。

ナポレオンと徴兵制

こんにちは

近代になって戦争が大規模かつ激しくなったのは、素人を兵士として狩り出すようになったからです。
世界史を勉強すると、近代以前の戦争は「30年戦争」やら「100年戦争」やら、やたら長期間続く戦争があったと、教科書に書いてあります。
長期間の戦争は意外とのんびりしたものだったのです。
のんびりやっているから長く続けられる、と言っていいでしょう。
なぜならこの頃の兵士は、ほとんどが「傭兵」だったからです。
つまり玄人ですね。
お金をもらって戦争をしている人たち。
こういう玄人兵士のモチベーションは、なるべく長く戦争が続き、かつ自分が死なないこと。
その方が自分の雇用が守られ、家族を養い続けられるからね。
だから、だらだらゆるゆると戦う。
勝たないように、負けないように、お互い死なないように。
だから、30年も100年も戦争が続けられたのです。

ところが近代になると、普通の国民が兵士になるようになりました。
つまりは「徴兵制」です。
素人の戦い方は無謀になりがちです。
なぜなら、早く戦争を終わらせたいからです。
普通の人、素人の兵士のモチベーションは、できれば勝って、すぐにでも家族の元へ帰りたい。
だから戦術もへったくれもなくなって、がむしゃらに戦ってしまうのです。
そういう戦い方だと、お互い戦死者も多くなってしまうのは必然です。


実は、徴兵制は民主主義国家、国民主権国家になってから始まりました。
世界最初の徴兵制は、フランスです。
フランス革命後、共和制国家になった後、徴兵制が始まりました。
革命によって国は「国民のもの」になりました。
ならば国を守るのも国民自身がしなければならない、と言う論理なのです。
民主主義と徴兵制は強く結びついているものなのです。


フランスと言えばナポレオン。
ナポレオンが大活躍できたのも、失脚したのも徴兵制が原因と言ってよいのです。
フランス革命後、共和制政府は衆愚政治に陥り、にっちもさっちもいかなくなってしまいます。
そこに顕れたのがカリスマ・ナポレオン。
ナポレオンは熱狂的にフランス国民に支持され「皇帝」となります。
皇帝と言っても古代の皇帝とは違います。
国民から支持され、選ばれた皇帝です。
その意味でナポレオンは、現代で言うところの「大統領」に近いものだと言えます。
なので、フランスはナポレオンにより帝制国家となったのですが、実体的には国民国家、国民主権の国でした。
だから徴兵制はナポレオンの時代になってもそのまま引き継がれたのです。

ナポレオンはじゃんじゃかとフランス国民から兵士を徴兵していきます。
そうやってナポレオンは、大規模な軍隊を持つことに成功したのです。
徴兵制の利点は、兵士に給料を払わなくてよいことです。
傭兵だと、強い兵士ほど高級を要求します。
それと比べると、徴兵制はお金がかからずに、大規模な軍隊を持てる仕組みだったのです。

その頃、フランスの周りの諸国は未だ王制国家でした。
なので軍隊は傭兵で構成されていました。
お金がかかるから大人数の軍隊は持てずにいました。
その上、プロの兵士たちは必死には戦いません。
のんびりゆるゆると戦うのが習性だからね。 そうすると、がむしゃらに戦う大人数の素人軍団が易々と少人数の玄人軍団に勝つのは当然です。
ナポレオン率いるフランス軍は、連戦連勝を続けていきます。

ところが、こんな戦争を続けていくうちにフランス軍には困った問題が顕在化してしまいました。
それは、「戦死者が多い」ということです。
技術も無しにがむしゃらに戦う兵士たちは、やはり戦死してしまう確率も高くなってしまうのです。
なんと、ナポレオン軍の戦死率は50%にも及んだそうです。
徴兵された兵士の半分は死んでしまう。

こうなると、国民は徴兵されるのを嫌がります。
それにも増して、そもそも兵士としてふさわしい若くて健康な男子が国民から消えてしまったのです。
するともう、徴兵制によって大規模な軍隊を維持できなくなってしまったのです。
もうフランス軍は戦争に勝てなくなってしまった。
それがナポレオンの失脚につながったのです。



今月号の『たのしい授業』8月号に徴兵制についての授業書が載っていました。
ちょうど池上英洋『血みどろの西洋史』KAWADE夢新書も読んだところだったので、こんな雑文を書いてみちゃいました。
歴史って面白いですよねー。

2012年8月20日月曜日

基礎学力と集中力

こんにちは

はっちゃん、九九をほぼ全部諳んじてしまったので、今日から100ます計算に挑戦です。
まずは、0~9までシーケンシャルに並べたものから。

最初に、100ます計算のやり方を説明。
すでに九九を覚えながらこの用紙を使っていたので、すぐ理解できました。
それから、100ますの計算時間の目安を説明しました。

 ・5分以内でできたら2年生レベル。
 ・4分以内なら3年生レベル。
 ・3分以内なら6年生と同じくらい。
 ・2分以内なら大人と同じだよ。

最初は遅くてもいいんだよ。
だんだん速くしていけばいい。

はっちゃんはとても集中してました。
結果はギリギリながら4分以内!
「スゴイ!もう3年生レベルになっちゃった!」とお母さんも激賞。
朝晩1枚ずつやれば、夏休み中に3分を切れるようになれそうです。
そうしたらランダム九九の100ますに挑戦です。

すきなことをトコトンやってほしい。
我が子たちにはそう願っています。
けれども、世の中徒手空拳では戦っていけません。
最低限の「武器」を子どもに持たせて、世の中に送り出したい。
それは、小学4年生までに習う読み書き計算と、何かに集中して取り組める力です。

基礎学力と集中力は、一生使え、役立つものです。
これさえあれば、何にだって挑戦していけるんです。
この二つを子どもに身に着けさせてやることは、親からの最高のプレゼントだ、と100ます計算の生みの親である岸本裕史さんはおっしゃっていました。
楽しく続けていきたいですね!

好きなことだけやればよい

こんにちは

先週末、加古川ウェルネスパーク図書館に呼ばれて、サイエンスカフェをやってきました。
事前受付はしないで、当日受付。
お盆休みにみなさん集まってくれるかどうか、ドキドキでした。
親子20組合計40人の予定でしたが、ちょいとオーバーしてもいいように、座席は48席用意。
お客さんの入りが悪いようだったら、館内放送もしてもらう予定でした。
ところが、開場前に行列ができ、開演10分前にはほぼ満席。
結局、用意した座席数を超える50人もの親子さんが集まってくれましたよ。
館内放送の必要もありませんでした。
嬉しー。

ぼくのサイエンスカフェでのメッセージはただひとつ。
「好きなことをとことんやろう!」です。
好きなことなら、どんどんやりたくなります。
別に努力する必要なんかない。
知らず知らずのうちに大量に勉強してしまうのです。
最も効率的な勉強ができるのです。

そして、好きなことをやっていれば心も満足します。
心が満足している人は、他人の足を引っぱったり、邪魔したり、いじめたりすることはない。
その必要がないんです。
性格もよくなり、人格も磨かれていきます。

さらに、好きで身に着けてきた技、芸は必ずや誰かの役に立ちます。
誰かを楽しませることができるんです。
自分でも楽しみ、他人も楽しませることができる。
嫌いなことをやっていたら、そんな状態には絶対になりませんよ。

好きなことをやり、誰かも喜んでくれる。
当然、味方も増えていきます。
こんなハッピーな人生はないですよね。
たとえ困難に出会っても、好きなことなら乗り越えていけるし、味方になってくれる人、助けてくれる人が必ずいます。
だから恐れることがない。
どんどんとチャレンジしていけるんです。

いわゆる「セキュアベース」ですね。
戦争では兵士たちが安心できる安全な<基地>があると、戦いは果敢に進められます。
危なくなったらそこへ戻ればいいから。
人生も同じです。
自分の「セキュアベース」をしっかりと持つこと。
そのためには、好きなことをとことんやって、誰にも負けない得意技を持ち、味方を増やしておくことです。

ぼくは「50歳を過ぎたら好きなことだけやる」と決めて40代を精進してきました。
これはまずまず実現しつつあります。
サイエンスカフェなども、ちゃんと出張扱いで会社から行かせてもらえる。
ありがたいことです。
でもね、もっと早くから好きなことに邁進してもよかったんじゃないかとも思うのです。

人生嫌いなこと、嫌なこともやらなくちゃいけない。
それは確かです。
でも、そう思い込みすぎるのも危険。
嫌い、嫌だと感じるのは、きっと「それはやっちゃいけないよ」と身体や心が言っているからなんですよ。
きっと、嫌いなこと、嫌なことの中にはたくさんの「やってはいけないこと」「やらなくてもいいこと」が含まれているんです。

だから嫌いなこと、嫌なことを優先しない方がいい。
あくまで好きなこと、やりたいことを優先する。
その中で、好きなことをやるために必要なこと、やりたいことを達成するためにやらざるを得ないことが出てきたら、それに対応すればいい。
そうすれば、必要最小限で嫌なことをやっつけられる。
無駄なことはしなくてもよくなるんです。

そして、好きなことをやる過程で乗り越えた、嫌いなこと、嫌なことは、自分の身になります。
それだけ自分の腕、技も高めることができるのです。
これはかなり美味しいことです。
だからぼくはカフェの中で、「好きなことをとことんやると、不思議なことに嫌いなことが減っていきます」と子どもたちに伝えるんです。

深く掘るためには広く掘れ、ですね。
好きなことをつきつめていくと、その周りの知識、知恵も身につけざるを得ない。
それが人間の幅を広げてくれ、さらに好きなことをやり続ける原資になるわけです。
逆に言えば、嫌いなことばっかりやっていると、好きなことはまるで増えないし、いつしか元々自分がやりたかったこと、夢もしぼんでいってしまうのです。

好きなことならどんな人でも自分の実力以上のことができます。
実力以上のことをやるから、実力は伸びるのです。
不得意なことを無理してやっても、せいぜい人並みになれるかどうかです。
人並みってことは、誰でもできる、他の人に代替え可能ってことですから、自分の存在理由は薄くなってしまい、自信にもつながりません。

そして嫌いなことばかりをやっている人は、味方より敵を増やします。
なぜなら、こういう人は常に「なんでおればっかりこんな嫌なことを!」と思っているからです。
そう思っていれば常に不機嫌になるのは当然でしょう。
不機嫌な人に寄りつく人はいませんよ。

さらに不機嫌な人は、それを他の人にまで伝染させてしまうのです。
「おればっかり嫌なことをしているのはズルイ!なぜおまえもやらないのだ!」って。
そうして自分の嫌なことを誰かに押しつけようとするんです。
無理矢理やらせようとするんです。強制的にやらせるんです。
それでも必要があってそれを強制するのならまだマシですが、必要もないことをただただ他人にも嫌なことをやらせようと押しつけてくる。
これで誰が味方になってくれますか?

好きなことをやっている人は、誰かにそれを強制することはありません。
夢中になっているので、他の人のことなんかあまり気にしないわけです。
楽しそうにやっていれば、必ず人が集まってきます。
誰かが「やりたい」と言ってきたら、どうぞどうぞとオススメする。
やり方も教えてあげる。
強制するなんてコトはないわけです。
楽しいことを教えてくれて、それをやらせてくれ、教えてくれる。
味方になってくれるのは当然ですよねー。

成毛眞『勉強上手』幻冬舎\952-にこうありました。

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好きなことにのめり込んでいれば、他人はどうでもよくなる。
揺るがない自分の軸ができるのだ。
精神を健全に保ち、バランスよく生きる究極の健康法と言えるかもしれない。
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2012年8月17日金曜日

サイエンスカフェ加古川、明日!

加古川でのサイエンスカフェ、明日です!
お近くの方はぜひどうぞ!
お盆休み最後の土曜日、たくさんの人が来てくれるといいね。
わくわく!
さて、これから準備だー!!
http://t.co/nTRBX2UL

2012年8月16日木曜日

大学院がアブナイ。。。

こんにちは

知り合いの研究者(理系)からメールが届く。
1年ほど前に准教授として二流大学(ぼくが卒業した大学程度)に赴任した。
「学生にふりまわされて、自分の研究ができない」
おやおや。

日本の大学が,大学院重点化という政策に乗っかって久しくなる。
それ以来、日本の研究パフォーマンスは良くなったのだろうか。
否、あんまり。。。なのである。
なぜだ。

理系の大学での研究は、大学院生の(ただ)働きによって支えられている。
一流大学が研究成果をバンバン出せていたのは、もちろん教授も優秀なのであろうが、若くて優秀で体力もある大学院生がたくさんいたからだ。
理系の大学院生は、その意味で奴隷労働者だったのである。

だから、二流大学の教授があまり研究成果を出せなかったのは、教授自身がダメなのではなく、二流大学には大学院が設置されておらず、奴隷を使うことができなかったからなのだ。
二流大学の教授はこう願った。
「ああ、うちにも大学院生がいてくれたらいいのに」

もちろん、一流大学の教授だって願ったはずだ。
もっと奴隷が欲しい!

願いは叶った!国の施策として、大学院重点化が決まった。
二流大にも大学院が設置され、一流大の大学院の定員は2倍以上になった。
東京大学など、学部生より大学院生の方が多くなっちゃったのである。

教授たちも大学院生(という名の奴隷)獲得に励んだ。
どんどん大学院へ学生(実は奴隷にしたい人材)を入学させた。
先週学会で大阪大学に行ってたんだけど、阪大理学部卒の9割もの学生が大学院へ入学するようになってしまっているって。
それでも定員割れなので、他大学からも集めなくちゃならない。
もうそうなったら学生の取り合いなのである。

ところが困った。
奴隷であるはずの大学院生が、あまり、いやちっとも働かないのである。
それどころか、面倒ばかりかけるのだ。
いやいや、面倒をちゃんと見てくれと甘えまくってくるのだ。
それでいて、学位をくれ、と言うのだ。
いけしゃあしゃあと。

二流大学はもっと困った。
定員が増えた一流大学が、ちょいと優秀な学生を根こそぎ引っこ抜いていくからだ。
学生だって、二流大学でもらう学位より一流大学での学位の方が嬉しい。
かっこいいもんね。

学生だってうすうす感ずいているのだ。
二流大で学位を得たところで、未来はない。

実はこれは錯覚なんだけどね。
一流大だろうと二流大だろうと、きちんと研究能力を自分で鍛えたかどうかが重要で、どの大学で学位を得たかは関係ないのだ。
でも、研究したくて大学院に行くわけじゃない学生は、そんなことは思わないのだよ。

だいたい、売り手市場と買い手市場では、優位に立つ方が逆転する。
今や大学院に入学してくる学生は、完全なる売り手市場。
学生の方が立場が上。
教授が学生に過酷な労働を命ずることなんかできやしない。

こうして大学院生は増えた。
でも研究のためにその身を捧げてくれるような学生は増えなかった。
逆に、教授は大学院生の面倒に手間がかかるようになってしまった。
研究時間は返って減ってしまったのである。



阪大キャンパスをうろうろしたり、文科省科学技術政策研究所の以下のレポートを見たりして、今の大学院教育ってちゃんと機能していないよなあ、って思った次第。
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat213j/pdf/mat213j_1.pdf


余談ですが、我が子たちが大学院に進学したいと言ったら、こう言うことにします。
「日本のはダメだよ。外国に行きなさい。それなら許す」

自己教育力を上げよ!

こんにちは

はっちゃん小2の夏休みの宿題のひとつは「九九を全部唱えることができるようになる」です。
実を言うと、学校ではまだ九九は習っていないのです。
習っていないことを宿題に出す。
これってどういうこと??

公立小学校でこんな宿題を出したら、直ちにモンスターペアレンツが怒鳴り込んできそうですよ。
あはははは。

でもねー、ぼくが教師だったときも思っていたんですが、習っていないからできなくてもいい、という態度が嫌いなんです。
もちろんその通りですよ。習っていないんだからできなくてもいいのは確か。
でも、習っていないことだを拒否してしまうのもどうかと思うのです。
まだ習っていないことだからこそ、興味を持って欲しい。

社会人になってもそうなんです。
やったことのない仕事に対して拒否感の強い人がけっこういるんです。
ハナから、私にはできません、そんなこと、って言う。
でもそれってもったいない。
せっかくのチャンスを逃がしてしまうことになりますよ。
新しい仕事を覚えるチャンスなのに。
自分の技能が上がるチャンスなのに。

社会人の仕事能力はどうやって査定されるかご存じか。
もちろん、今現在の仕事力も大事です。
今現在の仕事力もないなら、今日の仕事も処理できなくなってしまいますからね。
そういう人は当然お払い箱です。

でもそれだけじゃないんだなあ。
「明日の仕事力」もちゃんと査定されているのです。
それはどこで見るか。
新たな仕事を割り振られたとき、面白そう、やってみたい、と思うかどうかなんですよ。
嫌々引き受けるような態度は、自らの能力評価を引き下げます。

もちろん、初めて取り組む仕事なんですから多少不備があっても仕方ない。
それは上司もお見通し。織り込み済みのはず。
不備があってもリカバーできるだけの余裕を持っているものなんです。持っていなかったら上司が無能なだけ。
ともかく、やったことのない仕事に対して、興味を持って取り組めるかどうかで、そしてその仕事をなんとかかんとかこなすことができるかどうかで、その人の仕事能力は測られるのです。

「能力」とはポテンシャルのことです。潜在能力ですね。
現に顕れた業務力のことを指しているのではなく、未だ顕れていない力を推定するものなんですから。

話を戻して、息子の夏休みの宿題。まだ学校で教えていない九九の練習をさせること。
このあたりに学校の見識を感じますね、ぼくは。
学校で習っていようが習っていまいが、必要なことは自分でやれ、という意志なんだと思うのです。
もちろん小2ですから、自分で、というより「家庭で」でしょう。
家庭の教育力を試しているんだとぼくは受け取りました。

これまた余談ですが、最近の日本人は悪者探しが好きです。
悪者を見つけて、そいつに責任を転嫁すれば、それでコトが終わったと誤解している人が多い。
それって間違いですよ。

たとえば、横断歩道で青信号で渡っているとき、信号無視してきた車に轢かれ怪我をした。
確かに車の運転手が悪い。この運転手の責任であることは間違いないです。
でもそこでお終いでしょうか。
いえいえ、こっちは怪我をしちゃったんです。
悪者が誰かはっきりしたからって、怪我が治るわけではありません。

確かに信号無視をしてきた運転手が悪いのですが、歩行者としてもそういうやつもたまにはいるかもしれないことを想定しておくことが必要。
だから、信号が変わって青になっても「右見て、左見て、もう一度右を見て」と子どもに教えるわけです。
車が横断歩道の前で停車しているかどうか、減速しないで突っ込んでくる車がいないかどうかを、必ず自分の目で確かめる必要があるのです。

学校の勉強だって同じなんですよ。
子どもの学力が低い。それは先生のせいだ。
その通りかもしれません。
でもそれが分かったからって、我が子の学力が上がるわけではありません。
先生がダメならダメでも、必要な勉強は自分でやらなくちゃいけないのです。だって、学力不足で将来損をするのは自分ですから。

かけざん九九をマスターすることは、学校で教えていようがいまいが、教え方が上手だろうが下手だろうが、担任の先生を子どもが好きだろうが嫌いだろうが、避けては通れない勉強なんです。
だから自分でしっかりやれ、家庭でしっかりやらせろ。
学校はそういうメッセージを伝えているんだとぼくは思ったんです。

さてさて、夏休みも前半が終わりました。
はっちゃんもほぼ九九全部をそらんじてしまいました。
これから、0~9までシーケンシャルの百マスに取り組ませようと思います。
九九の表をアタマにしっかり定着させるためです。
夏休み終了までに、100ます九九で5分を切るようにしたいですね。

で、10月頃までに2分を切る。
ランダム九九100ますで2分を切れれば、実用上まったく問題なしです。

そして子どもに自信を持たせるコツは「先取り学習」です。
つまり予習。
復習も大事ですが、復習だけでは子どもの性格は悪くなります。
予習をするから自信が持て、自信があるから性格もよくなるんです。
九九をマスターしたら、2年生のうちに3年生で習う桁数の多いかけ算、簡単な割り算まで教えてしまおうと思っています。

2012年8月13日月曜日

先生はエライ

こんにちは

伊藤真さんの講演を聴いて、こんなことを考えてみました。
憲法を学ぶと「先生は偉い」という命題が証明できます。
え?いったいどういうこと?

憲法を法律の親玉だと思っている人はいませんか?
実は憲法は、法律とはまったく違うものなのです。
法律は、その決まりによって国民の行動を制限しますよね。
交通違反を捕まえたり、税金を徴収したり。
つまりそれって、権力行使に他なりません。

では、法律を作るのは誰?
もちろん国会議員です。
つまり法律を作るって言うことは、国民に対して権力を行使する、ということなんです。
だから、国会議員は権力者です。

国会議員によって作られた法律を実行するのは誰?
たとえば道路交通法に従って、違反者を逮捕するのは警察官。
警察官は違反者を逮捕するだけの権力を与えられているわけです。
警察官は公務員です。
だから、公務員は権力者です。
そう言えば、国会議員も特別職公務員ですね。

警察官によって逮捕された人を裁くのは誰?
それは裁判官。
法を犯した人を裁判によって刑罰を決める。
罰金を命じたり、懲役を命じたり、死刑にしちゃったり。
つまり裁判官にはそれだけの権力が与えられているのです。
裁判官はその意味で権力者。
裁判官だって公務員でした。

まとめて言うと、司法、立法、行政の三権は「権力」であり、その権力はすべて公務員にそれぞれの職責に応じて与えられているんです。
ではその権力の源泉は何でしょうか?

公務員の権力は、主権者である国民が与えているのです。
それは憲法に書かれている通り。
つまり、国民はよりよい社会を作るために、あえて公務員に権力を付託しているのです。
自らの自由を制限するかもしれないのに、それでもあえてそうしている。
それが近代国家の原理なんですね。

だからといって,公務員に無制限に権力を与えているわけではありません。
それでは公務員がやりたい放題やり始めちゃったら,社会は成り立ちません。
それを縛るのが「憲法」。
憲法は公務員、すなわち権力者を制限するものなのです。
だから、法律とは働きがまったく逆なんです。

最近はそうでもないのかもしれませんが、総理大臣とか裁判長とか,偉い人だって思いますよね。
それは総理大臣も裁判長も公務員であり、国民が権力を与えているんですから、偉くて当たり前なんですよ。
だから、総理大臣も国民が与えた権力を上手に行使して、社会を良くしていかなくちゃいけない。
だって憲法にこう書いてありますから。

 第13条 
 すべての国民は、個人として尊重される。
 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
 公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政によって、最大の尊重を必要とする。

総理大臣たる者、いくら偉そうにしたっていんだけど、ぼくらの生命、自由及び幸福追求の権利は守らないといけないんです。
逆に言えば、ぼくらの生命、自由及び幸福追求の権利を守るためなら、どんどんと権力をふるって欲しいのですよ。

さてさて、ようやく本題。
公立校の先生も公務員ですよね。
これまでの議論どおり、学校の先生も「権力者」なんです。
だから、「先生は偉い」んですよ、構造的に。
「たかが先公(死語?)のくせに、エラソウにすんじゃねえよ!」なんてすごんでもダメですよ。
憲法で偉いことに決めちゃったんですから。
あえて言いますが、先生は偉いんです、偉いことにしとかなくちゃいけないんです。
先生ご本人だって、エラソウにしなくちゃいけないんです、無理にでも。
だってそれは、国民がそれだけの権力を付託しているんですから。

その代わり、先生にはぼくらの「生命、自由及び幸福追求の権利」を守ってもらわなくちゃ。
たとえば「いじめ」なんてのがクラスで発生したとする。
そのとき、もちろんいじめる奴が悪いですよ。
でもそれより、先生がちゃんと権力行使しないのが悪い。
だって、いじめられている生徒の「生命、自由及び幸福追求の権利」が犯されようとしているんです。
こんなときこそ、凜として強権を発動してもらいたい。
それが憲法が定めた公務員の義務なんですから。

昔のお父さん、お母さんは、よくこんなことを言って子どもを躾けたようです。
「おい、そんなことをするとおまわりさんに逮捕されるぞ」
だから子どもにとって、おまわりさんはコワイ存在でいてくれた方がいいんです。
同じく、こんなことも言っていたようです。
「そんなだらしないことをするなら、先生に言いつけるぞ!」
昔は子どもにとって、先生もコワイ存在だったんですね。
いや、コワイ存在ってことにしといたんです。
その方が教育上有利だから。

まあ最近はそんなわけにはいかないのかもしれませんが、でも先生って言うのは一定の権力を国民から負託された存在であることは忘れないでもらいたい。
フレンドリーな先生もいいんですが、いざというときはおっかない、そういう存在であってほしいなーって思うんですよ。

2012年8月12日日曜日

週休二日の功罪

こんにちは

週休二日制が法制化されて20年近く経ちます。
どうでしょうか。
週休二日になってから、ゆとりが増えたでしょうか。
職場も学校も、返って余裕がなくなってしまったような気がしてなりません。

日本のGDP成長率は、1990年代、いわゆるバブル崩壊後にほぼゼロ(歳によってマイナス)に転じました。
そしてこれまでずっと「不況」が続いているわけです。
昨夜、小島寛之『算数の発想』という本を読みましたが、90年代にGDPが低下したことのほとんどは、完全週休二日の実施や祝日の増加で説明できちゃう、と書いてありました。

GDP国内総生産って、その年に生み出された生産物やサービスの総額です。
生産物やサービスを生み出しているのは、労働者による労働力に他なりません。
総労働力=労働者数×労働者の能力×労働時間、と分解できます。
週休二日制の導入や祝日増加で、90年代に労働時間は約10%も減ったんだそうです。
そうなれば、総労働力も10%減るのも当たり前だし、GDPも減少するのも当然なんです。

減った労働時間を補うにはどうすればよいか。
労働者数を増やすか、労働者個々人の能力を上げるしかありません。
労働者数を増やすために移民政策を進めろ、という声が聞かれるようになったのも、確か90年代以降でしょう。それと符合します。
労働者個々人の能力、生産性を上げるために、労働強化が図られたのもこの頃。
サービス残業なんて言葉も、90年以降に言われるようになったと記憶しています。

だいたい不思議でしょ。不況なのにたくさん残業しなけりゃならないって。
残業というのは需要に供給が追いつかない時、すなわち景気のいい時にする必要のあるものでしょう、本来。
不況=仕事がない状況のはず。
それなのにサービス残業を強いられる。
つまり仕事は減っていないんです。
減ったのは、総労働力だったんです。

成果主義、実力主義も90年代に始まったこと。
労働者個々人の能力、効率を上げないと、総労働力が上がらないからです。
人間は、能力を上げろ!と号令されて、すぐ能力を上げられるような存在ではありません。
無能の烙印を押されるのはイヤですから、無理をするしかなくなります。
サービス残業も会社からの指示で無理矢理やらせられることより、無能の烙印を押されるのが嫌なために、労働者自身が自主的にやってしまう例が多いのです。

短期的なら無理も利きます。
でも無理も長引けば破綻します。
身体を壊し、心を壊す。
うつ病が増えたのも、自殺者が年間3万人になったのも、90年代からです。

子どもの学習にとっても,土曜日登校は重要ですよね。
週休二日になってから、月曜日の祝日が増えてから、学習指導、生活指導の困難が増えたように思います。
土日二日間、土日月三日間の生活の乱れを立て直すのはとても大変です。
勉強だって,定着率は総授業時間に比例するのは当然なのです。
短い授業時数で学習内容を理解し、定着できるかどうかは、生徒個々人の能力によってしまう。
当然、生徒間の学力差が開き、授業成立の基盤が脆弱になってしまうわけです。
週休二日などで授業時数が減った分を補うのは、もはや学校の授業の中だけでは無理なんです。

結論:再び土曜日も働くことにしましょう。
土曜日も登校日にしましょう。
その方が返って「ゆとり」が生まれるように思いますが、どうでしょうか。

100ます計算の極意

こんにちは

学力研全国大会で、深沢さんの「読み書き計算入門」という講座に参加。
100ます計算を授業に取り入れたいけど、まともにやるとけっこう時間がかかるんです。
子どもが計算している時間5分~10分、答え合わせに5分、用紙を配布したり回収したりで5分。
都合20分くらいかかっちゃうんです。
すると算数の授業時間、半分くらいつぶれてしまう。
そうすると教科書を進める時間がまるで足りなくなる。
100ます計算やればいいことはわかってるけど、現実的にできない。
だからやらない。
そういう先生が多いと思います。

深沢先生は、こう教えてくれました。

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100ます計算は、<習熟のための道具>です。
だから、計算自体ができるようになっていない段階ではやってはいけません。
足し算なら足し算、九九なら九九、どの子も時間さえあればほぼ完全にできる。
そういう状態になってから始めて下さい。

習熟すべきは、基礎学力です。
基礎学力はどの子にも身に着けさせなくてはいけないし、学力格差があってはいけないのです。
どの子も計算自体ができるようになってから100ます計算をやるから、習熟するし、学力格差も縮んでいくのです。

計算自体がまだできないのに100ます計算をやってしまうと、子どもたちの学力格差はもっと広がってしまいます。
できる子はスイスイと何千題とこなし、できない子はいくらやっても力が伸びないからです。
できるようになっていないのに100ますをやらせると、間違いも多く、時間も短縮しないため、子どものやる気を返って奪ってしまいます。
100ます計算が流行したとき、うまくいかないとか、子どもが嫌がるとか、批判も多かったのですが、それはやり方を間違えていた人も多かったからです。
どの子もできるようになるまでは、じっくりと教えないとダメなんです。

計算自体ができるようになれば、100ます計算を宿題にしても大丈夫。
学校で100題、家でも100題取り組めば、子どもたちはあっという間に習熟します。
つまり、間違えずに速く計算できるようになるのです。
授業時間にやらせても、最も遅い子でも5分もあれば終えることができるようにすぐなるものです。
それも数週間で全員が3分以内になる。

計算自体はどの子もできるようになっているのだから、答え合わせをする必要もないのです。
100ます計算をやり終えられる時間だけ気にすればいい。
よく子ども同士、隣の子と答案を交換して採点するなどしていますよね。
こんなことをやったら非常に時間を取られてしまいます。
答え合わせは割愛すればいいんです。
こうすれば、算数の授業の最初の5分間だけでも、十分取り組めるようになります。

もっとも、ずるをしていい加減な答えを書く子もいるかもしれません。
先生は、そういう子の答案だけチェックすればいいのです。
あるいは、時々100ますの1行だけ答え合わせをするとか、短時間で答え合わせをする方法はたくさんあります。
ともかく、100問全部の答え合わせをする必要はないのです。
こうやれば、教科書をやる時間を圧迫することもありません。
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ナルホド!でしょ。

2012年8月8日水曜日

人権とは何か

こんにちは

学力研全国大会の記念講演は、弁護士の伊藤真さん。
弁護士としての仕事より、司法試験の受験指導で活躍している方。
そして、日本国憲法のすばらしさ(理想が高すぎるが故に価値がある)の伝道者
でもある。
すんごく面白いお話でした。
学力研さん、伊藤さんを呼んでくださり、ありがとう!

日本国憲法では、国民が幸せになることは保障していないんですよ。
「幸福を追求する権利」を保障しているだけ。
そう憲法13条にははっきりと書いてあります。
幸福は人それぞれ異なるもの、異なるべきものだから、国はそれを保障すること
などできないのです。
その代わり、国民が自らの信条に従い、それぞれの幸福を追求する権利は保障し
ているんですね。

伊藤さんの本は、勉強本はほとんど読んでいると思います。
でも、憲法に関する本はまだ読んでいなかったので、講演後に会場にて購入。
ミーハーですが、サインしていただきました。
『憲法が教えてくれたこと』幻冬舎\1200-
この本が、やたら面白かった。

伊藤さんの主張は、「民主主義より立憲主義」ということ。
講演の中でも、「今日本では<民主>という名を付けている政党はたくさんある
が、<立憲>を謳っている政党は一つもない。その意味で戦前の方がまだまし
だったかもしれない」とおっしゃっていました。

民主主義の原理は「多数決」です。
だから多数決で何でも決められると思っている人が多い。
でもそれは違う。
多数決で決めてはいけないことがあるんです。

それは人権に関わること。
人権は多数決でも侵害してはいけないものなんです。
それは憲法で保障されているから。

では、人権とは何か。
具体的に言うのはなかなか難しいです。
伊藤さんはこういう例で説明してくれました。

先生「今日の掃除当番は誰にしたらいいですか」
生徒「伊藤君がいいです」「(全員)賛成!」
先生「では伊藤君、お願いします」

その翌日
先生「今日の掃除当番は誰にしますか」
生徒「今日も伊藤君にお願いしたいです。だって伊藤君は掃除が上手だからです」「(全員)賛成!」
先生「では伊藤君、今日もお願いします」

とはならないでしょう。
それが「人権」というものなんです。

みんながやりたいことなら、そしてそれをやれる人数が限られていることなら、多数決で選んでもいいでしょう。
でもみんながやりたくない、でも誰かがやらなくちゃいけないことは、どうしたらいいでしょうか。

上の例のように、1回なら多数決で決めてもいいかもしれません。
でも、2回目も3回目も同じ人を多数決で選ぶ。
それはしてはいけないことなんです。
「人権」を侵害することだからです。

2012年8月7日火曜日

読み書き計算は学力のオペレーションシステム

久保先生のおっしゃったこと。
関口意訳が入ってますが、紹介しますね。
オペレーションシステム、プラットフォームだ。
Windowsなしにアプリケーションは動かないように、読み書
き計算なしに授業は成立しない。 らない。
読み書き計算の力には<格差>があってはいけないのだ。
での課題を習得させてしまうことだ。
る。
 急がば回れである。

子どもの意欲を引き出す10カ条


こんにちは

先週末、学力研(岸本裕史さんが始められた研究会)に行ってきました。
http://gakuryoku.info/
学力研の主要メンバーである、久保齋さんという先生に衝撃を受けました。
なんか面白い先生なんですよ。
この先生なら,子どもは一発で従っちゃいそうです。
そういうオーラがバリバリ出ている。
ぼくも一目惚れです!
さっそく著作を何冊かアマゾンに注文しました。

さて、久保さんは、子どもの快適な情動を引き出せば、学級は快適になり、子どもは意欲的になると言っています。
それを10カ条にまとめています。
久保さんは小学校の先生だから、6歳から12歳くらいの子どものことを言っています。
それより幼い子どもや、中高生には当てはまらないかもしれないけど,非常に参考になります。
ちょいとみなさんにもお裾分けです。
 (・・・からはぼくの意見です)。

第1条 子どもは競いたがる
    ・・・だから競い合う場面を用意しろ

第2条 子どもはまねをするのが好きだ
    ・・・よいことは真似させろ、オリジナリティより真似

第3条 子どもはボスがいると落ち着く
    ・・・教師がボスになれ
       子どもの誰かにボスの座を奪われるから学級は崩壊する

第4条 子どもはできることを何度も何度もやりたがる
    ・・・小学生は難しいことをやらせるより、
       易しいことを繰り返す方が育つ

第5条 子どもはワイワイやるのが好きだ
    ・・・時々、思いっきり開放してやれ

第6条 子どもは自分のできることを友達に教えたがる
    ・・・どの子にも得意なこと、自信になることを身につけさせよ
       そしてそれを子ども同士教え合わす場面をつくれ

第7条 子どもはちょっと難しいことが好きだ
    ・・・読み書き計算の基礎学力が身につけば、
       子どもは難しいことにも挑戦したくなる

第8条 子どもは仲間の成長を喜ぶ
    ・・・誰かが伸びるところを目のあたりにすると、他の子も伸びる
       だから学級は多人数じゃなきゃダメだ

第9条 子どもは認めるとやる気を出す
    ・・・注意ばかり、叱ってばかりでは子どもは育たない

第10条 子どもは限定された中での自由を好む
    ・・・まず枠をきちんと教師が決めてやれ
       その枠内だったらつべこべ言うな




ね、いいでしょー。
その他、久保語録をいくつか。

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教師は教えるだけでは教師ではない。
教えたことを習熟させ、文化まで高めてようやく教師の役割を果たせたのだと考えるようになった。

学級崩壊とな何か。
担任の指導が入らなくなり、子どもたちがサル返りしている状態を言う。

決めた限りは必ずやり遂げる、これは組織原則である。
このリーダーの覇気が組織に息吹を吹き込むのだ。

2012年8月5日日曜日

安全装置を働かせよ!

こんにちは

いじめ対策の大原則。
それは、いじめている子といじめられている子を隔離すること。
物理的距離を離すことだ。
まずそれをやればよい。
小学生なら、クラスの中で座席を離すだけで、少なくとも授業中のいじめは防げる。

ところが教師がとる第一チョイスは、注意することだ。
もういじめてはいけません、いいですか、謝りなさい。
でも座席はそのまま。
いったんはいじめを止めるだろうが、すぐ再開してしまう。
だって、すぐそばに獲物がいるんだもん。
そしてまた教師は注意する。
これが繰り返される。
いい加減,気づけよ!

つまり、いじめを初期で治めるには「逃げられる体制」を作ることだ。
いじめられたらその場から逃げる。逃がす。
座席を離す、クラスを変える、転校する、学校を休む。
こういう物理的距離を置く「選択肢」を用意しておくべきなのだ。

いじめられる側、被害者が「逃げる」なんておかしいじゃないか、というかもしれない。
だが緊急時なのだ。
逃げなくちゃダメだ。
そこに留まって死んでしまうより,逃げろ。

どうも最近の風潮として、トラブルが発生した場合、それを解決、解消するより、悪者探しを優先するようだ。
 悪いのはおれじゃない、あいつだ。
悪者が誰かわかったって、それがすなわち解決ではない。
悪者が誰か特定できず、悪者なんかいないトラブルだって、この世には多いのにね。

いじめの問題だってそうだ。
いじめている奴が悪い。
でもそれがわかったところで、いじめられている子どもは救われないのだ。
ましていじめは、いじめられている子の生死に関わることだ。
第一チョイスは「逃げる」ことでよいのだ。

本来は,いじめを行うような子どもを、教師は、学校は排除しなくてはいけない。
加害者側を隔離するのが本来であると、ぼくも思う。
ひとつには、刑法などに触れるようなひどい行いの場合は、それを「いじめ」と定義するのではなく、それはもはや「犯罪」なのだとしっかりと認識し、警察に引き渡さなければならないのだ。
犯罪といじめを混同してはいけない。
 法に触れるものは、たとえ少年であっても司法の手に委ねるべきなのだ。 教師はこのことを強く認識し、子どもたちにもあらゆる機会に伝えていかなくてはいけない。

意外と知られていないが、少年は犯罪を犯しても罪になることはない、と誤解されている。
犯罪を犯せば、大人だろうと子どもだろうと罪に問われるのだ。
けれども、子どもは責任能力がまだ十分ではないから、責任は減免される。
すなわち、「罰」は年齢に応じる。あるいはその子の将来を勘案されるのだ。

もうひとつ、学校には「出席停止」という行政処分権がある。
学校という公共の福祉を行う場に,それを乱す生徒がいる場合は、公共の福祉を優先するために出席停止を命ずることができるのだ。
これは教育委員会の権限であるが、実際は校長が判断するものであろう。

公法というものはすべからく公共の福祉を優先するものとなっている。
公共の福祉を乱すものは、その権利を制限される。
生徒には,教育を受ける権利があるのだが、他の生徒の教育を受ける権利を著しく侵害する生徒は、その教育を受ける権利を制限され、出席停止を命じられるのだ。

さて、いじめを行う生徒を隔離するために、二つの道があることを述べた。
1.刑法などに触れる行いは犯罪として扱う。
2.出席停止という行政処分を行う。
この二つを見比べてみれば明らかであるが、出席停止という処分は犯罪以前になされる行為なのである。
つまり出席停止は、未だ犯罪と呼べるほどではないいじめの段階で行使すべきものなのである。
これが犯罪まで至るような過度ないじめを防ぐのだ。
これを校長や教員のみなさんは十分認識しているだろうか。

出席停止処分も一種の安全装置である。
工学的に言うと、安全装置はきちんと機能すると同時に、適切なタイミングで作動することが重要なのだ。
たとえば、圧力容器など内部に高圧な気体や液体を保持するものには、安全弁が付いている。
安全弁とは、ある圧力を超えると動作し、内部の気体液体を外部に放出するものだ。
容器内の圧力が過度になった場合、容器が爆発するより先に安全弁が動作し、内圧を下げる。
そうやって、大きな事故を防ぐ。
その意味で安全装置は、大きな事故を小さな事故に変換する装置、と言ってもいい。

だが、安全装置が動作したとしてもタイミングを逃すと、たとえ作動したとしても安全装置として機能しないのだ。
容器が爆発する圧力よりも高い圧力で安全弁が作動しても意味がないのはわかるだろう。

安全装置は,いろんなレベルで多段にもうける方がよい。
いじめが起きたら、まずは座席を離す。
それでもダメなら、クラスを換える、登校しない、転校する。
そして、いじめを止めないこは出席停止。
出席停止という安全装置を適切なタイミングで作動させれば、刑法に至るような暴走的な事態は避けられるのではないか。
そう思うのである。

原爆の黒い雨

「炭水化物」は<炭水・化物>のように読んではいけない。
意味を取り違えます。
<炭・水化物>と区切る。
つまり、炭水化物は<水と化合した炭>というものなんです。

たとえばブドウ糖C6H12O6ですが、炭素C6個と、水H2Oが6個化合しています。
ブドウ糖や果糖がいくつもつながったものを一般的に炭水化物といいますが、でんぷんもセルロースも同じく、何十個,何百個かの炭素と何十個、何百個かの水が化合した分子式になっています。

ですから、炭水化物を蒸し焼きにすると、真っ黒な炭と水蒸気に分離します。
蒸し焼きとは、密閉した容器内など酸素が少ない状態で熱することです。
酸素のある場所で熱すると、炭も酸素と化合して二酸化炭素になってしまいますから、炭は残りません。

植物だって動物だって、ぼくら人間の体だって、ほとんどが炭水化物でできています。
蒸し焼きにすれば真っ黒な炭と水蒸気に分離します。

さて、ここからが本題。
原子爆弾は急激に強烈な熱を発します。
ありとあらゆるものを蒸し焼きにしてしまうのです。
植物も動物も人間も,一瞬に炭と水蒸気に変えてしまいます。

原爆によって熱せられ温度の上がった空気は、上昇気流になって猛烈な勢いで上空へと昇っていきます。
それがキノコ雲です。

その上昇気流に乗って、炭と水蒸気も上空に巻き上げられます。
こうして上空に昇った大気は、上空の冷たい空気で冷やされます。
すると水蒸気は冷やされて凝結し、雨になります。
そのとき、雨粒は炭を混ぜ込んで地上へと降り注ぐのです。
これが「黒い雨」です。

この黒さは炭。蒸し焼きにされた植物、動物、人間が変化した炭素なんです。
原爆投下後に黒い雨が降るのは、こういうメカニズムなんです。

明日は67年前に広島に原爆が投下された日。
子どもにこんな話でもしてやろうかと思います。

2012年7月25日水曜日

個性を伸ばすには、まず勉強!

こんにちは

子どもには個性があるから、勉強もそれぞれの子どもに合った内容、方法でよい。
という考え方は間違いだ。
基礎的な学力を身につける小学生には当てはまらない。
特に4年生までに習う読み書き計算は,万人にとって人生を生き抜いていくための基礎となるものだ。
強制してでも習得させなくてはいけない。

子どもは勉強を強いると嫌がるかもしれない。反発するかもしれない。
だって面倒くさいもんね、勉強って。
子どもは努力するとはどういうことか、集中するとはどういうことか体験していない。
だから不安なんだ。
不安なことはやりたくない。当然の心理。
親や教師はそこで負けてはいけない。
やるべきことはやれ!子どもの仕事は勉強だ!ときっぱり言おう。

もちろん、長時間勉強を強いるのも逆効果である。
最初は10分間からでもいい。
時間で切って勉強させる。
10分がんばったら今日はお終いだよ、と終わる時間を最初に伝えるのだ。
人間は,終わりが見えているなら地獄にも耐えられるものなのだ。

最初はしぶしぶ従っていた子も、できるようになるにつれ勉強が面白くなってくるものだ。
そうして3ヶ月くらいかけて、徐々に勉強時間を延ばしていく。
といっても、学年×10分ないし20分程度でよい。
小学高学年でも2時間以内で十分だ。
子どもには遊びの時間も大切だからね。

実はきちんとした基礎学力が身についた子の方が,個性を伸ばすことができるのだ。
個性とは自らのやりたいことを「実現していく」ことによって伸びていくものである。
やりたいことを実現するためには、しっかりとした基礎学力が武器になるからね。
学力なしに好きなことをやろうなんて、武器なしに戦いを挑むようなものだ。
負ける確率は高い。

2012年7月24日火曜日

かけ算九九の教え方

こんにちは


はっちゃんの学校の夏休みの宿題のひとつに「九九の完全習得」があります。
鍛えてくれますねー。
九九の練習、昨日から開始しました。

ぼくの教え方はちょいと変わっています。
九の段から始めるんです。
普通は一の段か二の段からですよね。簡単だから。
でも簡単なところから始めると、覚えにくい六、七、八の段で力尽きる子どもが多いんですよ。

九九が不十分な子って、たいてい六、七、八段ができないでしょう。
だから、九の段、八の段、七の段、六の段と逆に教えていく。
覚えにくい六、七、八の段は、たくさん繰り返して練習しなくちゃ。

こうやると、後半戦の五の段、四の段・・・が非常に楽になるんです。
興味がある時、モチベーションの高い時に、難所から始める。
これは有効な教育技術なんです。
2年生のお子さんがいる方、ぜひお試しを。

さて、具体的な九九の教え方を紹介します。
まず、九の段からでしたね。
九九表を見ながら親が唱え方を教える。「くいちがく、くにじゅうはち、・・・」。
次に、子どもも九九表を見ながら唱える。「くいちがく、くにじゅうはち、・・・」。
それをよく聞いてあげて、子どもが唱え方を間違えたら、修正してやる。

ここからは100ます計算の用紙を使います。
100ます用紙とは、縦横ともに11ますを書いた用紙。
ぼくはパソコンのエクセルで作りました。

さて、九の段三度目は、100ます用紙を使います。
唱えながら、100ます用紙に数字を書かせていきます。
四度目、五度目も同様に行う。
それで今日はおしまい。

次の日は、まず九の段の復習から。
昨日の100ます用紙の空欄を使いましょう。
「くいちがく、くにじゅうはち、・・・」と唱えながら、用紙に数字を書き込んでいきます。
昨日書いた数字が残っていますから、ちらちらそれを見ながらやるから簡単。
これを三度繰り返します。

次は、八の段です。
昨日と同じく、最初は九九表を見ながら親が唱え方を教える。「はちいちがはち、はちにじゅうろく、・・・」。
次に、子どもも九九表を見ながら唱える。「はちいちがはち、はちにじゅうろく、・・・」。
もちろん、子どもが間違えたら修正してやる。
三度目は、100ます用紙を使います。
唱えながら、100ます用紙に数字を書かせていきます。
四度目、五度目も同様に行います。
それで今日はおしまい。また明日。

三日目は、まず九の段の復習。
100ます用紙を使って3回、唱えながら数字を書く。
そして八の段の復習。九の段と同じく、100ます用紙を使って3回、唱えながら数字を書く。

次は、七の段だ。昨日と同じく、最初は九九表を見ながら親が唱え方を教える。「しちいちがしち、しちにじゅうし、・・・」。
次に、子どもも九九表を見ながら唱える。「しちいちがしち、しちにじゅうし、・・・」。
当然ながら、子どもが間違えたら修正してあげましょう。
三度目は、100ます用紙を使います。
唱えながら、100ます用紙に数字を書かせていきます。
四度目、五度目も同様です。
それで今日はおしまい。また明日。

こんなふうに、毎日一段ずつ、九九を覚えていきます。
各段復習三回やって、新しい段を教えていく。
忘れたら九九表を見ながらやらせればいい。
決して「まだ覚えられないの!」なんて叱っちゃいけませんよ。

そうして、九の段から、一の段まで一通り終わったら、100ます計算の訓練に移ります。
九九の表が子どものアタマにしっかりと刻み込まれるまで、縦横とも0~9を順番に並べること。
数字をランダムにならべた「ランダム九九」は、0~9まで順番にならべた100ます計算が2分台でできるようになるまで、絶対にやらせてはいけません。

最初は九九表を隣に置いて、0~9まで順番にならべた100ますに、九九を唱えながら数字を書いていいきます。
忘れたところは、すぐ九九表を見てよろしい。
毎日、100ます用紙1枚やります。
こうやって、九九表を見なくても0の段から9の段まで唱えられるようになるまで、繰り返します。

九九表を見ないでも、唱えられるようになったら、100ます計算を開始。
まだ、0~9まで縦横とも順番にならべたものをやりましょう。
100ます計算では必ず時間をはかってやること。
毎日100ます1枚でいいです。やり過ぎに注意。

毎日、少しずつ早くできるようになるはずです。
昨日より速くなっていたら、褒めてあげましょう。
3分を切るようになったら合格です。

ここまでやって初めて、「ランダム九九」の100ます計算に入ります。
もちろん時間を計ってあげてください。
最初は5分以上かかるでしょうが、それでいいんです。
毎日やれば確実に時間は短くなっていきます。
それが嬉しいんですよ。子どもはもちろん、速く計算できるようになると親も楽しくなってきます。

ランダム九九も2分台でできるようになれば合格です。
この程度の速さでできるのなら、実用上困りません。
3年生以上で習うかけ算、割り算も楽々できるレベルになります。
もっと速くなりたい、と子どもが言うなら続けてやらせてもいいですが、無理はさせないこと。
だんだん伸び率が鈍化してきますので、面白くなくなってきてしまいます。
ピークの時に止める方が得策なんですよ。
「もう卒業だよ、お父さんより速くなっちゃったよ。」と言ってやればいいでしょう。

2012年7月23日月曜日

ボーイスカウトで理科実験教室

こんにちは
 
昨日は、はっちゃんとんたんがお世話になっている、ボーイスカウト練馬13団ビーバー隊での理科実験教室でした。
去年から年1回、ぼくが担当して実施しています。
ビーバー隊は幼稚園年長から小2の子どもたちですが、みんな生き生きと楽しんでくれます。
そして、なるべく保護者の方にも参加してもらうようにもしているんです。
 
なぜなら、実を言うとぼくは「子どもが変わると、親が変わる」のを狙ってるんです。
生き生きとした子どもの姿を見ないと、親って変われないんですよ。
そして、親が変わらないと子どもは生き生きとし続けられないんです。
 
ビーバー隊副長から、本日の理科実験教室の感想をいただきました。
目論見、成功かなー。
うれしいですねー。
 
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関口さん、今日はどうもありがとうございました!!
スカウトだけで体験も含め14名、下の子たちやリーダー、保護者の方々を含めると
30名以上の大盛況でした。
関口さんのリードの元、次々に意見を出していくこどもたちに驚きました。導き方に
よってこんなにもこどもはイキイキとするものなのですね。
 
実験も身近にあるものを使って、とてもわかりやすかったです。
紙とコインを使った実験はさっそく家で息子たちともやってみました。
カルピスとゼラチンのカルピスゼリーもみんなで作って食べました。簡単にできて面
白いですね!!
大人にとっても、とても興味深く、楽しい実験教室でした。
 
お話の中でおとうさんおかあさんのいう通りにしないで、自分でやってみることが大
事というところが心に残りました。
最初に正解を出したとんたんのように自由な発想ができるためには、親があれこれ指
示したり、決めてしまわないことが大事ですね。
ついつい、こどものすることに口を出してしまう自分を反省しました。
 
ぜひ、ボーイ隊でも実験教室をしてくださるとうれしいです。
今日は本当にありがとうございました!!

学力は持ち運び可能な資産

こんにちは

1学期が終わり、はっちゃんもとんたんも通信簿をもらってきました。
大変よい成績で嬉しい限りです。
というより、よい成績をつけて下さった先生に感謝です。

幼児や小学生に対して、実力通りの厳しい査定は必要ないんです。
査定されてやる気をなくしてしまいますから。
成績は甘くつける。
そうすれば、親に褒められ、おじいちゃんおばあちゃんにも褒められる。
やる気が出る。
そういう好循環が生まれます。
 

さてさて。
転職するとなると、退職金をチャラにしてしまうとか、転職して給料が下がってしまうとか、これまで築いた人脈を失ってしまうとか、また新たに技能を身につけなくてはならないとか、諸々のコストを支払う必要がああります。
転職に伴うコストを「スイッチングコスト」といいます。

このスイッチングコストが障壁になって転職ができない場合が多いのです。
嫌なブラック企業に勤務していても、転職できる希望がないと、ずるずるとそこに居続けなくてはなりません。
ところが、実力が高く、高度な学力と技能を持っている人ほど、スイッチングコストが低くなる傾向があるのです。
同業他社に移るだけではなく、まったく異分野にでも軽々と飛び移ることができたりする。

なぜなら、高い実力、高い学力、高い技能はポータビリティに優れているからです。
こういう人は、もともと退職金など気にしなくてよいくらい稼げるからであり、それだけの見込みがあるから。
何より、社内人脈以外の人脈が既に築かれており、それは信用という形で他へも持っていくことができるのです。

そして、高い技能には心理学で言うところの「汎化」が起こり安い。
高度な技術、技能は他分野にも転化しやすいのです。
せっかく学んだこと、身に着けたことがチャラになってしまうことはないんですよ。

茂木健一郎さんはこう言っています。

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対象を批判的に分析し、考えるクリティカル・シンキング。
意見の異なる相手と、粘り強く対話する技術。
事実を鵜呑みにするのではなくエビデンスに基づいて懐疑的に考える。
そんなスキルならば持ち運べる。
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つまり、学力も仕事のスキルもポータビリティがなくちゃいけないんです。
入試だけにしか必要な学力、社内だけでしか通用しないスキル、国内でしか通用しない学力や技術、そんなものは要らないんです。
しっかりとした学力、技術、技能は汎用性があるんです。
だからどこででも通用するし、活躍できる。
それが「自由」を生み出すと思うのです。

2012年7月20日金曜日

夏こそ味噌汁!

こんにちは

我が家では子どもたちに、清涼飲料水をあまり飲まないよう言い聞かせています。
飲んでもいいけど、週1回以上はダメって。
最近長男が炭酸水のおいしさに目覚めちゃったんで、そう釘を刺したんです。

なぜ飲んだらダメなのか。
清涼飲料水にはたくさんの糖分が入っています。
500mLのペットボトルなら、角砂糖10個以上の糖分が溶けているんです。
子どもの小さな体に、これだけの糖分を一気に流し込む。
当然、血糖値が一気に上がります。
そしてインスリンが大量分泌され、今度は逆に血糖値が一気に下がってしまう。

落ち着きのない子どもは、食生活を見直すだけで大きく改善することが多い。
特にお菓子や清涼飲料水を制限するだけで、改善する場合がよくあるのです。
なぜなら、落ち着きのなさは血糖値のコントールがうまくできないということが原因であることが多いからです。
血糖値の乱高下は、気分をも乱高下させます。
それが、落ち着きのなさの原因になる。
そんなことからアメリカの学校では、校内に清涼飲料水の自動販売機を置くことを法律で禁止していたりするわけなんです。

暑さも厳しくなってきました。
汗をかいた後の水分とミネラル補給に、スポーツドリンクを飲む機会も増えているんじゃないでしょうか。
ところが、スポーツドリンクには清涼飲料水真っ青の糖分が含まれているんです。
飲み過ぎには注意した方がいいです。
特に、子どもには飲ませすぎない方がよろしい。
http://t.co/0Ogu4vv9

で、水分とミネラルの補給になにがよいか。
味噌汁なんですよ、これが。
味噌汁の濃度はちょうど生理的食塩水、つまり血液と同じくらいの0.9%。
経口補水塩として最適なのだそう。
我が家でも夏は宮崎の冷や汁を食すことが多いんですが、けっこう理にかなった食事なんですねー。

2012年7月18日水曜日

心のメンテナンス

こんにちは


先週末家に帰ったとき、妻が「はっちゃん、最近反抗期で、全然言うこと聞かない」と言うんですよ。
そうかな?、と思って観察していたら、はっちゃんが何かに熱中しているとき、一生懸命本を読んでいたり、パソコンでユーチューブを見ているとき、そういうタイミングの悪いときに、声をかけているんですよ。
「そろそろお風呂に入りなさい!」
「明日の学校の準備したの!」


熱中しているからそれが聞こえないし、従いたくない。
当然ですよ。
子どもが今やっていることが、一段落したところを見計らって声をかけるよう、妻にアドバイスしました。
妻も元教師。そんなことはわかっているはずなんですけどね。


なぜ、できなくなっちゃったのか。
それは、妻は幼稚園の役員やらボーイスカウトの役員やら、ちょいとやりすぎています。
それで、幼稚園のお母さんの一部からクレームメールががんがん届いて、ちょいとパニックになっていて、気持ちに余裕がなくなっていたんですよ。


カーッと頭に血が上る。
クレームに対してどう説得しようかとあれこれ考える。
返事を書いては、ああこれじゃ余計に火に油だ、と書き直す。
気がつくともうこんな時間。
子どもをお風呂に入れなくちゃ。
「早くお風呂に入りなさい!」
寝かせなくちゃ。
「もう寝る時間よ!」


そんなふうに自分の都合で子どもを動かそうとする。
だから動かないし、反抗的にもなる。
あたりまえのことです。
心の余裕が大切ですね、親も子も。


だから、心のキャパシティに気を配り、常にメンテナンスを忘れないことです。
自分の心をいっぱいいっぱいにしてはいけません。
心がいっぱいいっぱいのときは、子どもがほんのちょっと気に触ることをしただけで、激昂しちゃいますからね。
余裕があるときならちっとも気にならないようなことにまで、頭にきちゃうんです、こんな時は。
それって、親の方が悪いですよね。


世の中には、一定数のクレーマーがいます。
何を言っても、何をやっても、文句を付けてくる人。
それは、こっちの悪いところ、気がつかないところを指摘してよりよくしようとして、じゃないんだな。
文句を言うために文句を言う。
相手の気分を害するために文句を言う。
自分の方が偉いことを示したいがために、重箱の隅をつつく。


ただ、そういう人は少数派なんですよ、常に。
ほとんどの人は、味方してくれているんです。
ただ、味方の人はあまり何か言ってくれないものなんです。
だから、少数のクレーマーの声ばかり聞こえてしまい、そっちにばかり気を取られてしまいがちなんです。


でもそんなのに引っかからないように気をつけましょう。
だって相手の目的は、こっちの気分を害すること。
その罠にまんまとひっかかってはいけません。
適当にあしらい、無視しちゃってもいいんです。
変な奴に時間と精神を無為に使うのはばかげています。
大多数の賛同者の方を向いて,前に進めばいいんですよ。
 まして、くだらない奴からイライラさせられたことに対して、我が子にそれをはけ口にしてはいけません。


とか言いましたが、女性はなかなかそうい割り切りができないのかもしれませんね。
がんばれー。

2012年7月16日月曜日

努力が報われるシステムを創れ

こんにちは


これも山田さんの講演を聴いて、インスパイアされたこと。


子どもたちに学力を付けるのは、教師の基本的職能である。
授業も熱心にやり、宿題もしっかり出し、採点も真面目にやっている。
しかし子どもたちにテストで点数を摂らせることがデキナイ。
そういう教師が意外と多い。
真面目だけど教師失格である。


そういうクラスでは、やがて宿題をやってくる子どもは減り、授業も真面目に聞かなくなり、学級は崩壊する。
だって、努力が報われないんだもん。


つまり、子どもたちに学力を付けるには、テストでよい点数を取らせなければいけないのだ。
すなわち、「努力が報われるシステム」を構築すること。


授業も一生懸命、宿題も真面目に出すけれども、生徒の成績がふるわない教師は、それぞれがきちんとリンクされていないのだ。
授業をちゃんと聞けば、テストの点数もよくなる。
宿題も真面目に取り組めば、テストの点数もよくなる。
そういうリンクができていない。
授業、宿題、テストがバラバラのままなのだ。


はっきり言えば、授業、宿題、テストに関連がなく、それぞれを気まぐれにやっているだけなのだ。
この三者を有機的に結びつけなくてはいけない。
授業でやった内容を習熟させるために宿題を出す。
宿題に出した問題をそっくりそのままテストに出す。


そうすれば、子どもはテストでよい点数が取れる。
お母さん、お父さんにも褒められる。
やる気が増進する。
こういうポジティブなフィードバックループができてこそ、子どもは勉強するようになり、学力も向上するのだ。


これは大人だってそのまま当てはまる。
社員に何か努力させる場合。
努力すれば、必ずそれが評価されるようになっているかどうか。
努力した甲斐があるシステムになっているかどうか、経営者はよく検討しなくてはならない。
努力しても何も変わらないなら、誰も努力などしなくなるのは当然である。


時に、恐怖によって努力させようというシステムも存在する。
学校にも会社にも。
失敗したら悪い成績をつける、降格するなど。
努力してうまくいっても、成績、報酬は現状維持というもの。
お金がかからなくてよいと考えるかもしれないが、このシステムは組織の活性を大幅に奪う。
なぜなら、生徒や社員は失敗しないことにすべての努力を傾ける。


失敗しないために最も安全確実でコストがかからないようにするにはどうすればよいか。
それは、挑戦しないこと、である。
こうして生徒の目の輝きを奪い、社員のやる気を奪う。
もちろん、学力は向上せず、組織の成果も上がらない。