2012年4月10日火曜日

おどおどしない子どもの育て方

こんにちは

息子の学校、始業式の翌日からガンガン勉強させてくれている。
そうなのだ、学校はアタマを鍛える場所なのだ。
生活指導も、アタマを鍛えるために必要だから、他人の生活に介入するのもアリなのである。
つまり、学力向上が目的であり、生活指導は手段でなくてはならないのだ。
それを取り違えると、教師も生徒も不幸になる。

おもしろいことに、態度の悪い児童、生活が荒れている児童を立ち直らせることは意外と容易だ。
それは基礎学力を付けてやること。
読み書き計算の力だ。
子どもが小学生なら確実に効く。
生活習慣がなっていない児童に直面すると、教師は直接的に生活を改善しようとしてしまう。
それは失敗する。

それよりも学習指導だ。
ほんの数分放課後に残し、極めて簡単な読み書き計算の課題に取り組ませる。
そして極めて少量の宿題を出す。
そして翌日の朝、始業前にほんの数分間宿題のチェックをしてやるのだ。
最初はやってこなくてもかまわない。
朝、その場でやらせて、今日は家でやれよ、と言うだけでいい。
1週間もそれを続ければ、きっと家でやってくるようになる。
そうしたら褒めてやればいい。

生活を整える要は、家でも学習することだ。
ほんの数分間でもいい、家で学習する習慣を作る。
家での学習が定着すると、それをコアにして生活が整ってくるのだ。
そうなると、正のフィードバックがかかるようになる。
勉強ができる->自信が生まれる->自分を大切にする->勉強する。

こうなると、子ども自ら「もっと宿題を出してくれ」と言うようになる。
放課後に宿題を出すと、その場でやってしまい、家でやる分をもっと出せと要求する。
教師も嬉しい苦笑いをするしかなくなる。

生活態度のよろしくない児童を改善するために、その親にあれこれ依頼する。
それはあまり得策ではない。そういう児童の親は、なぜ生活を改善しなければならないかよくわからないからだ。
それに鬱陶しい。
他人の家のことに教師ごときが介入するな、である。
ところが我が子が家で勉強するようになると、親も変わるのである。

どんな親でも、我が子が勉強する姿を見ることが嬉しいものなのだ。
今まで自分子どもが勉強する姿を見たことがなければ、それを援助しようなどという気にはならない。
でも、子どもの具体的な頑張りを見れば変わってしまうのである。
きちんとした食事を用意しよう、夜ふかしはさせないようにしよう、早起きもさせよう、朝ごはんもつくってあげよう。
少しずつ変わっていく。

それは親の教師を見る目も変えていく。
子どもを変える力のある教師。
尊敬もするようになるだろう。
尊敬できる教師であるなら、たとえ若造であっても、聞く耳を持つようになる。
それは子どもが変わったからだ。子どもが変われば親も変わるのである。
逆ではない。

人生に一番必要な力は「忍耐力」だ。
忍耐力とは、がまんすることではない。
自分を克服する力。
できないことができるようになること。
それまでがんばる。
それが忍耐力なのである。
これを身につけるのが、学習の大きな役目なのだ。
知識は実はどうでもいいのだ。

東京大学「学習効率研究会」『新・小学生の勉強法』から引用する。

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習熟するまではガマンの連続なので、根気を積み重ねるしかない。
だが、正答率とスピードが上がってくると、かならず楽しくなってくる。
「できた!」という達成感がつらさを消してくれるので、いつの間にか「やらされた」という被害感情も消滅してしまうのだろう。
それだけではない。「できた!」という体験を重ねると、自分はひとかどの存在なのだ、という自己肯定感が育ち始める。
もうおどおどしなくてもいいことに気づくと、ラクに自分をだすことができるようになり、「主人公は自分なのだ」と実感するようになるのだ。
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