2012年8月12日日曜日

週休二日の功罪

こんにちは

週休二日制が法制化されて20年近く経ちます。
どうでしょうか。
週休二日になってから、ゆとりが増えたでしょうか。
職場も学校も、返って余裕がなくなってしまったような気がしてなりません。

日本のGDP成長率は、1990年代、いわゆるバブル崩壊後にほぼゼロ(歳によってマイナス)に転じました。
そしてこれまでずっと「不況」が続いているわけです。
昨夜、小島寛之『算数の発想』という本を読みましたが、90年代にGDPが低下したことのほとんどは、完全週休二日の実施や祝日の増加で説明できちゃう、と書いてありました。

GDP国内総生産って、その年に生み出された生産物やサービスの総額です。
生産物やサービスを生み出しているのは、労働者による労働力に他なりません。
総労働力=労働者数×労働者の能力×労働時間、と分解できます。
週休二日制の導入や祝日増加で、90年代に労働時間は約10%も減ったんだそうです。
そうなれば、総労働力も10%減るのも当たり前だし、GDPも減少するのも当然なんです。

減った労働時間を補うにはどうすればよいか。
労働者数を増やすか、労働者個々人の能力を上げるしかありません。
労働者数を増やすために移民政策を進めろ、という声が聞かれるようになったのも、確か90年代以降でしょう。それと符合します。
労働者個々人の能力、生産性を上げるために、労働強化が図られたのもこの頃。
サービス残業なんて言葉も、90年以降に言われるようになったと記憶しています。

だいたい不思議でしょ。不況なのにたくさん残業しなけりゃならないって。
残業というのは需要に供給が追いつかない時、すなわち景気のいい時にする必要のあるものでしょう、本来。
不況=仕事がない状況のはず。
それなのにサービス残業を強いられる。
つまり仕事は減っていないんです。
減ったのは、総労働力だったんです。

成果主義、実力主義も90年代に始まったこと。
労働者個々人の能力、効率を上げないと、総労働力が上がらないからです。
人間は、能力を上げろ!と号令されて、すぐ能力を上げられるような存在ではありません。
無能の烙印を押されるのはイヤですから、無理をするしかなくなります。
サービス残業も会社からの指示で無理矢理やらせられることより、無能の烙印を押されるのが嫌なために、労働者自身が自主的にやってしまう例が多いのです。

短期的なら無理も利きます。
でも無理も長引けば破綻します。
身体を壊し、心を壊す。
うつ病が増えたのも、自殺者が年間3万人になったのも、90年代からです。

子どもの学習にとっても,土曜日登校は重要ですよね。
週休二日になってから、月曜日の祝日が増えてから、学習指導、生活指導の困難が増えたように思います。
土日二日間、土日月三日間の生活の乱れを立て直すのはとても大変です。
勉強だって,定着率は総授業時間に比例するのは当然なのです。
短い授業時数で学習内容を理解し、定着できるかどうかは、生徒個々人の能力によってしまう。
当然、生徒間の学力差が開き、授業成立の基盤が脆弱になってしまうわけです。
週休二日などで授業時数が減った分を補うのは、もはや学校の授業の中だけでは無理なんです。

結論:再び土曜日も働くことにしましょう。
土曜日も登校日にしましょう。
その方が返って「ゆとり」が生まれるように思いますが、どうでしょうか。

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