2012年10月17日水曜日

没個性的な子どもの育て方

こんにちは

最近の子ども、あまり個性的な子がいない。
一見個性的なファッションを身にまとっていたりするが、同じような格好の子がたくさんいて、ただ仲間とつるんでいるだけだったりする。
要するに低レベルな凡庸ばかり。
なぜ?

その原因は「個性化教育」の充実だと、ぼくは仮説している。
学校で、個性、個性と言うようになってから、返って子どもたちの没個性化が進んだ。

なぜなら学校で求められる「個性」は、<良い個性>だからだ。
個性にも善し悪しがあるという前提で、良い個性だけ認め、伸ばそうとしているのだ。
たしかに、個性的な人は迷惑な存在だったりする。
そういう迷惑な個性の芽を摘んでしまおうというわけだ。

でもこれでは子どもは個性を発揮できない。
自分の個性が査定されるとしたら、思い切って自分を出すことができなくなってしまうのは当然の理なのだ。
だって子ども自身には、自らの個性の善し悪しがわからないからだ。
判断基準は教師が持っており、それは明示されていない。

個性というものは本来善し悪しはない。
善し悪しを査定されないから、のびのびと個性を発揮できるものなのだ。

善し悪しが査定され、常に監視されていると思ったら、あまり過激なことができなくなる。
ほどほどにしておくのが一番得策だからである。
地雷を踏むのは子どもだって嫌だからね。

なので今の子どもたちは、ほどほど、なあなあを基本原理として生きざるを得ない。
そして時々、大人たちの目を盗むように自分の欲望を発露しようとする。
ひとりじゃできないけど、みんなだととんでもないこともしてしまう。
あるいは、大人たちの目に配慮しつつ、このくらいだったら許してくれるよね、みたいなことをやるわけである。
こうしてかわいくない子どもができあがるのだ。

0 件のコメント: