2012年10月7日日曜日

宿題が学校を楽園にする

こんにちは
優秀な教師は、宿題をやらせる。
もちろん、やらせっぱなしではなく、ちゃんと採点したり、見てやったり、一言書いたり、声がけも怠らない。
そして、宿題をやったからテストでもいい点数を取れた、という実感を子どもに与える。
やったらやっただけの、努力したら努力しただけの結果が得られることを体験させるのだ。

宿題をやらせる教師は、親からも信頼される。
いや、親をも変えるのだ。
親が「宿題したの?」という前に、我が子が勉強を始める。
親にとってはオドロキだ。我が子を好ましく思うと共に、指導してくれる先生を尊敬する。

宿題は、小学生なら読み書き計算など、誰かに教えてもらわなくてもスイスイできるもので十分だ。
考えなければできないようなものはよろしくない。
考えず、何も参照しなくてもスイスイできるような宿題に限るべきだ。
親が面倒を見ないとできないような難しい宿題は出さない。
だから子どもが自主的にできる。
自主的にやる姿は、親に感動を与えるのだ。

子どもが自主的にできる類の宿題、つまり読み書き計算を家でキッチリと勉強するようになれば、学校で読み書き計算の復習をしなくてもよくなる。
一人でもできる勉強をわざわざ学校でみんなが集まった場所でやる必要はそもそもないのだ。
学校では、みんながいなくちゃできないような勉強をするべきだ。
考える勉強、調べる勉強、議論する勉強。
これは面白いよ。

蔭山英男先生はヒラ教師時代、子どもたちから「理科の先生」だと思われていたらしい。
なぜなら学校でオモロイ理科実験をたくさんやって見せたからだ。
なぜそんなことができたかというと、読み書き計算の宿題をキッチリやらせていたからだ。
だから学校でオモロイことができたのだ。
ちなみに蔭山先生は法学部卒で、まるで理科教師ではない。

少子化の現在、家に帰ってから近所の子どもたちで集団で遊ぶなんてことがしにくくなっている。
同年代の子どもたちが集まれるのは学校しかないのである。
ならば、学校で集団遊びをするのがよい。
ぼくは教師時代、そう考えた。
家で宿題をする習慣が身に付き、読み書き計算を自主的、自律的に家で勉強する子どもたちなら、学校は本来の意味での【遊び場】にもなり得る。
子どもが宿題をしっかりやり、読み書き計算の力がバッチリ付き、テストもいい点数を取れる。
その前提があれば、学校をパラダイスにできるのだ。

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