2013年1月11日金曜日

スペシャリストとしての大学教授

NHK-Eテレで、白熱教室シリーズが放映されています。
http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/mit.html
今はMITの物理学の講義。
なかなか面白い。
明日も放送がありますから、みなさんもぜひ見てください。

アメリカの大学教授って、主に研究をするリサーチプロフェッサーと、主に教育をするティーチングプロフェッサーがいるんです。
日本の大学だと研究業績でしか評価されないのですが、アメリカの大学は教育能力もきちんと評価されます。
なので、こういう愉快な教授も生まれます。
ティーチングプロフェッサーもスペシャリストなんですね。

研究と教育、それぞれ別の才能です。
どっちも得意な先生もいるかもしれませんが、両方得意って訳にはなかなかいきませんよ。
研究に適している人に、教育もやらせる。
逆に教育に適している人に、研究もやらせる。
これは不合理です。

教育もやるからいい研究ができる、あるいは研究で第一線に立っているからいい教育ができる、という面もあるかもしれません。
でもそれは多くの大学の先生にとって「建前」「きれいごと」に過ぎないでしょう。
どっちも中途半端になりかねません。
それはスペシャリストがスペシャリティを発揮できない状況を生んでいる可能性が高いのです。

だってね、第一線で研究している教授が、講義の時間になったから教室に行って、大学1年生の教養科目を講義する。
無理ですよねー、いい授業ができるわけがありません。
講義の準備する時間もないし、頭を切り換えるのも大変。
もちろん研究もいったん中断しなければならない。
教科書を読んで解説するだけの講義になりがちです。

日本の大学の授業はそれなんです。特に1,2年生の教養レベルの授業はね。
日本の大学の先生は研究職として採用され、研究業績で評価されます。
だから教育は片手間にやるようなもの。
先生もやる気なし、学生も興味が持てない。
お互い不幸ですよね。

アメリカの大学のティーチングプロフェッサーは、教育の専門家です。
教育だけに専念すればいいので、授業プランを練り、教材を作り、実験の準備をたっぷり時間をかけて行う。
結果として面白い授業ができます。
学生の興味を引き出し、心に火をつけます。

アメリカの大学、特に一流校はここで終わりません。終わらせません。
楽しい授業のあとには、地獄の「演習」が待っています。
講義に関連した練習問題を解く訓練をするのです。
少人数のグループに分けられ、助手やティーチングアシスタントがべったり張り付いて。とてもサボれません。

講義を聴いただけでは「ああ面白かった」で終わってしまいます。
きちんとした学力を身につけるには、その内容を演習を通してたたき込まなければならないのです。
でも学生たちは講義で興味を持ち心に火がついているので、地獄の演習にも耐えられるわけです。
学力が身につくので、次の講義にも着いていくことができます。
だんだん難しくなっていっても、興味を持続させることができるのです。

日本の大学でも、面白くて学生に興味を持たせる講義をする先生もいます。
でも日本の大学では、せっかく学生の心に火をつけても、その火をすぐ消しちゃうんですよ。
なぜなら、演習しないから。
もったいないですよね。

さて、アメリカの大学では、募集時点からリサーチャーポジションなのか、ティーチャーポジションなのか決まっています。
自分でどちらが自分に適しており、自らの才能を生かせるか決めて、応募するんですよ。
大学院生も学位を取ったあと、自分は研究と教育のどちらに向いているのか、適性を見極めて進む方向を決めるわけです。
そして採用されてから、自らのスペシャリティを磨いていくわけです。

もちろん途中でシフトチェンジも可能。
当然実績もないとダメですがね。
教育ポジションは研究業績で評価されないので、逆に研究成果を出すことに追いまくられません。
じっくりと長いスパンで自らの興味ある分野の研究をすることができます。
それが新たな研究分野を切り拓くことにつながるんです。
芽が出て学会などで評価されれば、研究ポジションへ移動することもできるのです。
その場合は、教育ポジションをいったん辞めて、研究ポジションに応募するわけです。
つまり、転職。

自分のキャリアは自分で決める。
なかなか合理的でしょ。
(つづく)

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