2013年1月17日木曜日

いじめに負けるな、勉強しろ!

美輪明宏さんのヨイトマケの歌。
昨年末の紅白歌合戦で聞いて感動しました。

貧乏だ、土方の子どもだと学校でいじめられた子が、耐えきれず学校を飛び出す。
そこでそのいじめの原因だったお母さんの働く姿を見る。
男たちに混じって一生懸命働いているお母さんを見る。
それで子どもは改心するわけです。
いじめなんかに負けちゃいけない。
学校はサボっちゃダメだ。
勉強しなくちゃダメだ。
勉強してちゃんとした大人になって、お母さんに楽させたい。
そしてその子は勉強して、高校、大学を卒業し、エンジニアとして立派に働くようになる。

泣けますねえ。

たぶん、この歌詞の中のお母さんも常々子どもに「勉強しろ」「勉強しなくちゃダメだ」と言っていたんだと思うんですよ。
自分の土方の仕事に誇りを持っていたでしょうが、それでも息子にはもっといい仕事に就いてもらいたいという想いがあったはずです。
いい仕事に就くには学問がいる。
だから勉強しなくちゃダメなんだって、口をすっぱくして言っていたはずです。

でも子どもですからその意味が実感として分からなかった。
勉強は面倒なことですから、やりたくない。
お母さんからうるさく言われると反撥もする。
でもお母さんの泥と汗にまみれた仕事ぶりを見て、やっと本質が分かったんですね。
勉強しなくちゃダメだって。
いじめなんかに負けちゃダメだって。

いじめとは「人間関係」です。
人間関係より大事なものがこの世にはある。
それは「学問」。
学問することによって人間関係を乗り越え、いじめに打ち勝てる。
なぜならいじめは<好き嫌い>、学問は<正邪>だからね。

こう言うと、人間関係なんかどうでもいいのか、と反論されるかもしれません。
いえいえ、違います。
人間関係にもレベルがあるんだと思うのです。

いじめは往々にして劣った子が標的にされます。
体力的に劣る子、学力的に劣る子。
自分より体力の勝る子をいじめることはしにくい。
だって逆にやられちゃうからね。
同じように、自分より勉強のできる子もいじめにくいのです。

歌詞の中の子も、ひ弱で勉強のできない子だったんでしょう。
だからいじめられた。
それを克服しなくちゃいけないとわかって、勉強するようになったのです。
勉強ができるようになるにつれ、いじめも消滅していったんだと思います。

勉強ができる子はある意味尊敬もされます。
つまりその子を認める人が多くなってくる。
学級の子どももそうでしょうし、先生もそうでしょう。
尊敬される子をいじめることはむずかしい。

いじめられている子は、実はいじめている子と同じ人間関係の中で生きているのです。
そこしか生きる場所がないからです。
とろが勉強できるようになると勉用仲間ができます。
他のコミュニティに入ることができる。
いじめの人間関係から抜け出し、邪悪な人間関係を断ち切ることができるのです。

和田秀樹さんは著書の中でこう言います。
「いじめにあったら、不登校してもいい、ひきこもりになってもいい。でも学校へ行くのと同じ以上の勉強はしなくちゃダメだ」。
不登校、ひきこもりは一時の<避難>にしか過ぎません。
それだけではいじめの輪を断ち切ることはできないのです。

人間はひとりでは生きていけません。
不登校の子も、引きこもりの子も、いずれはそこから脱して、どこかの人間関係の中に身を置いて生きていかねばならないのです。
だから勉強するんです。
勉強して学力が身につけば、同じような学力レベルの子の輪に入ることができます。
つまり、人間関係の再構築がしやすくなるのです。

いじめのない、共に尊敬し合える人たちの中で生きる。
それができればハッピーですよね。
それには勉強し、学問し、自分を高めていく必要があるんです。

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