2013年4月26日金曜日

少人数学級が必ずしも教育力を発揮できるわけではない


学力テストが行われ、また少人数学級実施への議論がさかんになってきた。
http://mainichi.jp/area/news/20130424ddn001100012000c.html
これを言うと、教員仲間からは総スカン喰うのだが、言わねばならない。
ぼくは、少人数学級には反対である。

確かに学級の人数が減れば、学級事務(通信簿をつけるとか)は楽になる。
だが、たかが事務仕事量が多少減るだけだ。
学級事務など効率的にやればたいしたものではない。
くだらん事務仕事は、校長、教頭が負担し、教師の負担を減らしてやればよい。

確かに学級の人数が減れば、すべての子に目が行き届く。
これまでの教育学の研究でも、人が一度に目に入る人数は20名程度であることがわかっている。
児童数が20名以下であれば、すべての子に目が行き届くだろう。
だが、常時すべての子を見ていなければ、教育できないものだろうか。
学級には常に目を届かせておかなければならない数人の子がいるだけである。
大部分の子どもはいつも見ている必要はないのだ。
ならば、学級の児童数を減らす意義は少ない。

少人数学級に賛成している人たちの議論を見ると、教師の負担を減らすことばかり言っているのである。
今は教師の負担が大きい、だからよい教育ができない。
そういう議論ばかりなのである。
それは正しいのか。

教育は教師だけで行うものではない。
学級の子ども同士の相互作用による教育力も非常に重要なのである。
少人数学級に賛成している人たちは、ここへの視点が欠けているのだ。

子ども同士の集団による教育力はあなどれないものがある。
たとえ障害のある子どもがいても、その子を子どもたちが育ててしまう。
さらにそれにより、健常児たちも育っていく。
それが北原キヨ先生が始められた混合教育の原理である。

子ども集団による教育力は、当然ながら学級の人数が減れば減るほど弱くなる。
だから、少人数であればあるほど教育が上手くいくわけではないのだ。
教師の教育力、負担、そして子ども集団による教育力。
これらの加減算で最適人数が決まるのである。

教育社会学者であれば、多くの学級での測定により、数学的モデルを構築し、オペレーションリサーチの手法により最適値を求めることができるであろう。
ここではぼくの直感による人数を述べておく。
小学校では35人から40人、中学校では40人から45人が最適値である。
これより少ない人数の学級では、子どもたちの活力は養えないであろう。

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