2013年5月26日日曜日

ネットでは学べないもの

潮干狩りの翌日、昨日取ってきたアサリを食べながら、家族で「歯は骨か、骨じゃないか」を議論しました。
ぼくは骨と予想しましたが、はっちゃんは「何かの本で見た」というので、骨じゃないと主張。
どうして骨じゃないかなど、家族で議論しましたが、決着はつかない。
 
で、はっちゃんはインターネットで検索。
歯はもともと鰓弓だったそうです。
つまりエラから進化したというのが、定説らしい。
 
今やたいていのことは、子どもでもインターネットで検索できる時代。
でも検索するためには、基礎基本を知らないといけません。
検索するためには、キーワードを見つけないとならないからです。
全く何も知らない、考えられないのでは、インターネットで調べることはできないのです。
 
もうひとつ、深い専門的事項もネットで検索は難しい。
ネットは多数決原理で検索するからです。
ある程度の人数のニーズのない知識は、ネットでの検索ができない、あるいは困難になります。
 
だからこれからの時代、必要なのは、基礎基本と深い専門。
基礎基本のない人は生きていけない、生きづらくなる。
でもそれだけでもダメ。
深い専門のない人は、ネットなどIT技術に取って代わられる。
我が子たちの教育の指針、もちろんぼくもあと10年、20年現役でいるための指針にしたいと思います。

2013年5月24日金曜日

システムエンジニアリング

太平洋戦争初期、零戦は向かうところ敵なしだった。
速いスピード、急旋回できる小回りの良さ、長い航続距離、命中率の高さ。
航空機技術の高さと、操縦士の熟練技術。
次々の戦果をあげていったわけだ。

太平洋戦争中、敵国アメリカはついに日本の零戦を超える航空機を造ることはで
きなかった。
日本は技術では戦争中ずっと勝っていたのである。
だから終戦後、戦勝国であるアメリカは日本での航空機技術の開発を禁止したのだ。
航空機エンジニアたちは仕事を奪われ、その技術は拡散していった。

戦前の大学で航空機工学を学ぶ学生は、超エリートであった。
その年代のベストブライテストが航空機工学科に入学した。
ロケット博士の糸川英夫もそのひとり。
そして戦後、仕事を奪われた航空機技術者たちは自動車産業や鉄道産業へと仕事
場を移していった。
それが今のトヨタ、日産、スバル、そして新幹線へとつながっている。

航空機技術では勝てなかったアメリカ、熟練のパイロットを育てられなかったア
メリカは、戦争には勝った。
それはなぜか。
答えは「システムエンジニアリング」である。

ほどほどの技術、ほどほどの人材でも、成果を出す技術。
一つの技術、ひとりの人材ではほどほどの成果しか得られないが、複数の技術、
人材を組み合わせることによって爆発的な成果を得ようとすること。
それがシステム工学なのだ。

アメリカの戦闘機操縦士の命中率は低かった。
前方を飛ぶ零戦に向かって、銃を発射しても当たらない。
おたおたしているうちに、零戦は急旋回して後ろに回る。
そして零戦の熟練操縦士にぶっ放され、命中し墜落する。

人が熟練するには相当な期間訓練を積まなくてはならない。
操縦士の才能や適性によってその期間も、熟練度もまちまちだ。
でも操縦士たちが熟練するまで、戦争は待ってくれない。
未熟なままで出撃しなければならないのだ。

素晴らしい性能を誇った零戦にも弱点があった。
スピードを上げ、航続距離を伸ばし、旋回性能を高めるためには、機体重量を軽
くしなければならなかった。
軽くするために防弾性能が劣っていたのだ。
いや、速くて旋回しやすい戦闘機を熟練操縦士が操縦するのだから、被弾するこ
とはない。
だから防弾性能など要らない。
そういう設計思想だったのである。

戦闘機の性能向上も飛行士の技能向上も諦めたアメリカはどうしたか。
航空機技術、飛行士の熟練度という土俵では、零戦に勝てないのは明白である。
それとは異なる土俵に持っていくことにし、そこで勝つことを目指したわけだ。

開発したのはVT信管(近接信管)という武器。
これは命中しなくても、敵機をかすめさえすれば、それを検知して爆発するものだ。
すなわち命中率が低くてもよい。
命中しないでちょっと離れた場所で爆発する。
距離が離れれば爆発の効果も下がる。
が、零戦は防弾性能が低い。
離れた場所で爆発しただけでも十分なダメージを与えられるのだ。

もう一つ。
アメリカの戦闘機は必ず2機で編隊を組んで飛行することにしたのである。
日本の零戦は一騎打ちの戦法をとっていたからだ。
1対1ならば、航空機性能、操縦士の能力に勝った零戦が勝つのは当然だ。
だが1対2ならばどうか。
航空戦は「後ろをとった」ものが勝つ。
アメリカの2機のうち1機を囮のように使い、零戦に追わせる。
その隙にもう1機が零戦の後ろをとるわけだ。
これなら勝てる。


2013年5月22日水曜日

システムとしての「鉄は熱いうちに打て!」

就職難だそうです。
大学を卒業しても正規社員として採用されるのは6割。
そのくらい厳しい。
その原因は、不況だから、というわけでもないようです。

ほしい人材、使える人材がいないから、というのも企業の側の論理。
もちろん学校を卒業したばかりの社員に、即戦力を求めるのは間違っています。
でも、OJT(オンジョブトレーニング)、先輩や上司が仕事をしながら教えるという、日本の伝統的な、また強みであった教育法も通用しない新入社員。
教えても覚えられない、覚えようとしない新入社員。
いくら学歴があっても、こういう人材はどんな会社でも採用したくないのは当然でしょう。

ぼくは「一番の就職対策は、大学でしっかり勉強すること」だと思っています。
確かに学校で教えてくれる勉強は、社会に出ても直接役に立たないものが多い。
でも大事なのは内容よりも「学び方」なんです。
少々負荷のかかる内容を、理解し習得しようと努める。
どうやったら習得できるかあれこれ試す。
図書館で調べたり、人に聞いたり、現地を見に行ったり。
それが大事なんだね。

ところが一流大学でさえ、しっかり勉強する学生は少ない。
生活のためならまだしも、遊ぶ金ほしさに講義をさぼってまでバイトをする。
バイトとサークル活動や飲み会に貴重な若い年代の時間を消費する。
高い学費を安いバイト代に変えてしまう。
何とももったいない話だ。

学生の側の問題だけじゃない。
日本の大学はぬるい。大学の側にも問題はある。
日本の大学がぬるいのは、宿題がないからだ。
たいていの人はノルマがないとそのことに励まない。
凡人は誰かに強制されてようやく身につくことが多いのだ。

なぜ日本の大学は宿題を出さないのか。
宿題を出してもチェックできないからだな。
アメリカの大学は1時間講義をしたら、3時間分の宿題を出す。
そしてその宿題をきっちりと採点する。
厳しいでしょ。

講義1時間につき3時間分の宿題を出したら、1日にたくさんの講義を履修することはできない。
1日せいぜい2コマ程度だろう。
あとは図書館で自習だ。
勉強は自習で身につくのだ。
このくらいやれば、大学の勉強も身につくし、ダメなヤツは脱落する。

それに比べて日本の大学は、勉強は身につかないし、ダメでも卒業できる。
日本の大学だって、建前上は1単位時間の講義に対して3単位時間の予習復習をすることになっている。
だから1単位時間の講義を年間履修すると、4単位もらえることになるわけだ。

アメリカの場合、宿題のチェックは大学院生がティーチングアシスタント(TA)として採点する。
TAにはそれなりの報酬も出る。
学費免除になることも多い。
採点により基礎学力の再学習もできる。
TAになる学生にもメリットが大きいのだ。

TAをやる大学院生、そんなことやってて研究する時間が減って損じゃないか。
いやいや、研究する上で一番役に立つのは最先端ではなく基礎。
基礎をみっちりやっておいた方が将来役に立つ。
最先端はすぐ最先端ではなくなる。
新たな最先端を作り出すのは基礎。
基礎が不十分のまま最先端だけやっていると、シフトチェンジができなくなる。
それにTAも、週10時間程度の負担らしい。
この程度なら、大学院生としての研究の支障にはならない。

鉄は熱いうちに打て、だ。
日本の学生だってポテンシャルは高い。
高校まできちんと勉強した学生が多いからね。
あとはシステムだ。
大学のシステムとして、学生を鍛えるやり方をするべきだ。
日本の大学の再生は、TA制度の確立にありと思うのだが、どうだろうか。

2013年5月16日木曜日

車輪は二度発明するな

世の中のコトのほとんど(99%)は昨日と同じ。
だから困難な問題にぶつかっても、たいていは誰かがそれを解決したことがある。
たびたび発生する困難であれば、マニュアル化されていたりもする。
だからそれを素直に真似すればいい。
真似すれば速く、しかもよりよく解決できる。

エンジニアの世界には「車輪は二度発明するな」という格言というかことわざがある。
あるものを開発するにはかなりの資本投下が必要だ。
人、物、金、時間すべてを使う必要がある。
すでに世の中に同じ物があるのなら、それを買うなり、利用するなりした方がよいのだ。
その代わり、まだこの世の中にないものを創り出すために、資本を投下するのが正しい。

ところが、せっかくいい方法があったり、真似をしない人がけっこういる。
オレ流でやっちゃって、傷を広げてしまう。
なぜ真似をしないのか。

こういう人も特に信条があってオレ流を貫いているわけでもなさそうである。
なぜなら、そのオレ流も毎回違うからだ。
ほぼ同じ問題に対して、毎度毎度異なるやり方で進めているのだ。
だから毎度毎度失敗している。

すなわち、オレ流の人は真似ができないのだ。
真似ができず、でも何かはしなければならなくて、方針も決めず、ゴールも見えない状態で、仕方なく始めてしまうのだ。
だから毎回違うやり方になってしまい、失敗を重ねてしまう。

なぜなら真似をするという行為も学力の属性だからだ。
基礎的な知識を持ち、学び方を身につけていないと真似はできないのだ。
基礎的な知識がないと、今抱えている問題を分析的に把握できない。
解決のために何が必要で、どれだけの時間がかかりそうかわからない。
今の問題が過去にあったものと、どこがどう似ており、どこがどれだけ違うのかがわからない。
だからマニュアルも探せない。
探せたとしても、そこに書いてあることが読み込めない。
マニュアル通りに作業ができない。
必然的に、適当なことをせざるを得なくなる。

もちろん若い時は自力で解決してみることも必要だ。
そういう経験もしておいた方がいい。
もちろん失敗もするだろう。
その中で基礎知識を学んだり、解決法を身につけていける。
失敗できるのも若い頃の特権である。

でも30代後半、40代になって、オレ流の人になっては困る。
自分自身の一貫したスタイルとしてのオレ流なら大歓迎だが、場当たり的な思いつき程度のオレ流では、決して上手くいくことはない。


スパコン棟空調設備で、空調衛生工学会賞をいただきました!
この仕事も「レガシー」です。
奇をてらわず、オーソドクス。
オーソドクスも極めれば、個性的になるんです。
それがぼくの「オレ流」。

2013年5月10日金曜日

嘘はつくな、バカになるぞ


ちょっと困難に出会うと、すぐいい加減な嘘をついてそこから逃れようとする同僚がいました。
バカだなあと思いました。
だって、自分はそれで困難から逃れた気がしているかもしれないけど、周りの人に”自分はバカ”と公言しているようなものだもん。
真っ正直にその困難を解決する方が、断然楽ちんなのにね。

自分を高く見せようとして嘘をつく人もいますよね。
ちょっと前に、1級建築士と偽って仕事をしていた人がニュースになっていました。
ニセ医者もよくいたりします。
まあ、免許なんか持っていなくてもいい仕事をしていればいいんですが、往々にしてこの手の人はドジを踏むので、ニセモノだっていうことがばれてしまう。
だってバカなんだもん。

嘘をつくとバカになります。
なぜなら、嘘をつきとおすためには、ついた嘘を常に記憶しておき、その嘘と矛盾のない言動をし続けなければならないから。
覚えていられなく、すぐばれる人はもうそれだけで、バカだと思われます。
記憶力のない人は、嘘はつかない方が得策なんです。
ところが、記憶力がない人ほどいい加減なことを言うんですよねー。
ま、だからバカなんでしょうが。

さらに、ついた嘘を覚えていられる人もバカになるんですよ。
人の意識は脳の前頭前野にあるワーキングメモリでなされています。
人はこのワーキングメモリを使って思考しているのです。
ある問題を考える時、考えるための情報を意識すなわちワーキングメモリにロードし、それらをワーキングメモリ上で操作しています。

嘘をつきとおすためには、常についた嘘をこのワーキングメモリに常駐させておく必要があります。
意識化しておかねば、ばれやすくなっちゃいますからね。

ところがこのワーキングメモリ、非常に数が少ない。
大人でも、多くの人は7つしか持っていないのです。
つまり、常時意識化しておけることは大人でも7つまでなんです。

子どものワーキングメモリは幼少期は3つ、少年期で5つと言われています。
子どもはすぐばれる嘘をつくことがままありますが、ワーキングメモリの数が少ないからすぐばれるんですよ。

さてさて、嘘をつくとどうなるか。
7つのワーキングメモリのうち一つをその嘘が占拠します。
それだけで思考に使えるメモリ数は6つに減ってしまいます。
これだけでも少しバカになっています。

嘘をついてしまうと、それと矛盾が出そうな場合、無矛盾にするためまた嘘をつく必要があります。
嘘で嘘を塗り固めるわけです。
そうすると、またメモリが消費され、残り5つ。
思考に使えるメモリは5つに減っています。
バカが進行します。

こうして、嘘がどんどんとワーキングメモリを消費してしまい、思考のためのメモリが減っていくのです。
そして最後は何も考えられなくなり、嘘を嘘で塗り固めることもできなくなり、嘘は破綻します。
あいつ、バカだなあって周りの人は思うわけです。

だからぼくは、嘘はつかないように気をつけていますし、我が子たちにも「嘘つきは損だよ」と教えています。
嘘をつかない方がアタマはクリアになります。
アタマがクリアであれば、勉強もできるようになるし、いい仕事もできる。
困難にも正対していけるんです。

嘘はどう考えても実利がありません。
道徳や倫理ではなく、プラグマティックに考えても損なんですよ。

2013年5月9日木曜日

海水から真水を作る


学校で習うことは、意外と最先端にもつながっています。
糸川英夫先生は「教養を身につけたければ、中学校の教科書を読み直せ」と言っています。ぼくは<ある分野の専門家になりたければ、高校のその分野の教科書を読み直せ>と言いたい。
教科書が手に入りにくかったら、学習用参考書でもいいけどね。

エンジニアとしての基礎は、高校理科と数学。
基礎知識として、高校理科の内容を知っていれば、たいていの先端科学技術も理解できます。
基礎技能として、高校数学の問題を解く技術があれば、たいていの先端科学技術に必要な数式操作ができます。

たとえば海水から淡水を作る技術。
原理は簡単、高校化学or生物で習います。
その原理は「浸透圧」です。

塩水をポリエチレンの袋に入れ、口を縛る。
この袋を真水の中に入れると、真水が勝手に袋にしみこんできます。
逆に、真水をポリエチレンの袋に入れ、これを塩水の中に入れる。
すると、真水が勝手に袋の中からしみだしてくるのです。

この、水だけを通すポリエチレンなどの膜を「半透膜」と言います。
半透膜を通して、水が勝手にしみこんでくる、しみだしてくるということは、そこに「圧力」がかかっている、ということです。
この圧力を「浸透圧」と言います。

真水と海水の場合、浸透圧は20気圧以上にもなります。
半透膜を挟んで真水と海水を接すると、真水の側に20気圧以上の圧力がかかっているのです。

ということは、逆に海水の側に圧力を加えていけば、しみこんでくる真水が減ってくるということです。
海水の側の圧力を高くしていき、浸透圧と同じ20気圧以上かければ、真水はもうしみこんでこなくなります。

さらに海水側の圧力を上げていくとどうなるでしょう。
今度は海水側から真水側に、海水中の水分子だけがしみだしてくるのです。
物理法則には可逆性があるんですね。

「膜法」による海水淡水化の原理は以上の通りなのです。

これからの時代、水資源は重要です。
食料(植物)の生産には淡水は欠かせません。
海水はそのままでは、植物の灌水にはできません。
海水を真水に変える技術が、安定に安価に省資源でできれば、水問題は解決です。

いかに安定で丈夫な半透膜を作るか。
いかに安価に省資源でポンプなどで加圧できるか。
ここからは技術の問題なのです。


写真は今週月曜日に加古川の図書館でやったサイエンスカフェの様子。
みんな楽しそうです。もちろんぼくも楽しかった-。



2013年5月7日火曜日

記憶力の鍛え方


勉強も仕事も、記憶力の有無は重要だ。
記憶力がないと勉強もできるようにならないし、仕事もダメだ。
だって、勉強も仕事も「積み上げ」だから。
以前のことを覚えていなければ、積み上げることができない。

記憶力よりも思考力のほうが大事だ、という言説をよく聞く。
確かにそのとおりなんだけど、そう言っている人はどのように思考力を伸ばせばいいのか、ちっとも言ってくれない。

実を言えば、思考力の基礎は記憶力なのである。
それは脳科学が明らかにしている。
脳はメモリベイスドアーキテクチャ(記憶を基盤として働く装置)であることがわかっている。
つまり、記憶を元にし、それを操作することによって、人は思考しているのだ。
すなわち、記憶のない人に思考はできない。
記憶していることがある程度蓄積されていないと、思考力も発揮できないのだ。

ではどうやって記憶力を鍛えればよいのか。

ぼくの友人の小学校教師宮内主斗氏はこう授業する。
発問、まとめなどを板書する。
これはどんな教師でもやっているだろう。
宮内氏のやり方はこうだ。
まず、板書することをそのまま言葉で言う。
言った後に板書を始めるのである。
子どもたちは、先生が言った後に先生が板書すると同時にノートに書き始める。こうすると、先生の言ったことをいったんまるごと脳に記憶せざるを得ない。

いったん頭に入れ、それをノートに書くことによって再生する。
これが記憶力を鍛えるのだ。
いったん頭に入れる、というところがミソである。

もちろん、それができない子もいる。
そういう子は、覚えきれなかった部分は先生が書く板書を見ればいいのだ。
宮内氏のクラスでは、こういう訓練を繰り返すことによって、先生が板書をし終える前に子どもたちはノートし終えるようになるのだそうだ。

当然ながら、教師の側も板書速度を変えているということだ。
最初は早く板書し、覚えきれなかった子どもがそれを見られるようにする。
だんだん遅くし、どの子も先生より早くノートできた、という経験ができるように。
意図的に成功体験を積み上げていくことも重要。
教育には演出も必要だからね。

ぼくの友人の小学校教師山田洋一氏はこう授業する。
子ども同士、おとなりの席の子と話し合いをさせる。
これはどんな教師でもやっているだろう。

山田氏のやり方はこうだ。
話し合いをした後、自分の意見ではなく、一緒に話し合ったお隣の子の意見を発表させるのだ。
こうやると、隣の子の話をよく聞き、それをいったんまるごと脳に記憶せざるを得ない。
いったん頭に入れ、それを発表することで再生するのだ。
これが記憶力を鍛える。

いったん頭に入れる、それをそのまま再生する。
原理は一緒なのである。

では大人はどうやれば記憶力を鍛えられるか。
ぼくはこうしている。
試写である。

本を読みながらか面白い部分、役に立つ部分に線を引いたり、ページの角を折ったりする。
それをあとから試写するのだ。
昔は手書きでノートに書き写していたのだが、今はパソコンで打ち込んでいる。

試写するときは、なるべく文単位、文章単位でアタマにいったん入れるのだ。
そして本を見ずに、パソコンに覚えた文を打ち込む。
これで記憶力が鍛えられる。

おまけに書き写すことによって、本の内容もより鮮明に記憶に残る。
記憶していることが多いほど、思考も深く多様にできるわけであるから、一石二鳥なのである。

2013年5月4日土曜日

我が家のお小遣い作戦

 
とんたんも1年生になったので、お小遣いを月給制にしました。
幼稚園の時は、毎週土曜日に200円あげていましたが、4月からは毎月給料日に1000円です。
1ヶ月、自分のお小遣いは自分で管理できるように。
時に管理できなくて、すっかんぴんになる経験も大事。
 
我が家のお小遣い規定は、
 
 学年×1000円
 
です。
6年生で6000円、中三で9000円、高三で12000円となります。
大学生になったらお小遣いは終了です。
 
この金額、世間相場よりも多いかもしれません。
年齢に応じて、徐々に大きいお金のコントロールができるようにしたい、ということ。
そして、年齢に応じて子どもの裁量範囲を大きくしていきたい、ということです。
 
はっちゃんは小三になったので、毎月3000円です。
これまで毎月お小遣いをもらえるには、
 
・学校の宿題はかならずやる
・決められたお手伝い(玄関掃除)はかならずやる
 
ことを課してきました。
今年はこれに加えて、
 
・おやつはお小遣いで買う。親は特別な理由がない限り買ってあげない。
・旅行などに行くとき、これまでは臨時お小遣いをあげていたが、今年からはあげない。
 
としました。
お手伝いも、玄関掃除はとんたんにゆずって、洗濯物たたみにしました。
 
こうやって、お金のコントロールの難易度を上げたわけです。
毎年、毎年、お小遣いの金額が上がる代わりに、課題も増やす。
そうやって、お金とつきあう技術も上げていってもらいたいわけです。
 
白状すると、毎年毎年、年齢相応の課題を見つけるのも大変です。
来年の課題もまだ思いついていないんです。
子どもの様子を見ながら、ぼくも1年かけて考えていきたいなーって思っています。
それもまた楽しいことです!
 

経験は意図的に積み上げよ

 
ぼくの尊敬する小学校教師、野口芳宏さんはこう言う。
 
  経験は意図的に積み上げねばならない。
 
ただ流されるままに生きてきた、年数だけの経験は本物の経験ではない。
昔からそれを「馬齢を重ねる」と言う。
 
楽なこと、容易なことをするだけでは経験値は上がらない。
ちょっとヒヤヒヤするような危ない目に合うようなことをやることで経験値は上がるのである。
経験を積むためには、困難なことに挑戦することが必要だ。
だが、闇雲に困難に挑んではいけない。
やる前から失敗が確実な、あまりにも高度で、自分の手に余るようなものには挑んではいけない。
大変そうだけど自分でもできそうなものに挑む。
それを選別することが、意図的な経験。
 
GW中も毎日一定時間(学年×20分)勉強させている。
長時間いっぺんにやるのはまだ集中力が続かないので、朝と夕方に分けてやっている。
集中しないまま長時間勉強しても、時間の浪費である。
それは意図的な経験にはならないのである。
まずは短時間でも集中する。
集中するとはどのような状態なのか、身をもって知る。
その後に、徐々に勉強時間も長くしていけばよいのだ。
 
我が子たちの学校は、小3までそろばんに正規授業の中で取り組ませている。
数の感覚を身につけるに、おはじき、数棒よりいいことだなあと思う。
そろばんも集中力の鍛錬によい。
学校では珠算検定にも挑戦させ、目標を明確にしているのもよろしい。
 
この年代の子に、これをやらせれば、より伸びる。
すなわち、意図的に経験させる。
それがよい学校である。
 
とんたん(小1)の勉強。
平仮名はほぼマスターしたので、カタカナ50音、ことわざ。
それから100マス用紙を使って、数字を書いていく練習。
一定時間集中して、速く書く練習。
 
子どもは勉強ばかりでもいけない。
勉強1時間やったら、外遊びはその2~3倍はやらないと。
子どもの重要な仕事は遊びだから。
 
誰かに喜んでもらえて初めて人間はハッピーになれる。
そこにいるだけで喜んでもらえるのは赤ちゃんだけだ。
誰かに喜んでもらえる人間になる努力。
自分のことだけでなく、他人のことまで考え、気を配ることができる。
そういう余裕を持てるだけの実力を身につけていく。
それが出来る人がハッピーになれる。
 
そのために、アタマとカラダと心を鍛える。
意図的な経験を積み重ねることによって、初めてそれができるのだ。

2013年5月3日金曜日

関西男二人旅

すでに旧聞に属しますが、はっちゃんの時と同じように、次男とんたんも小学校入学前にぼくの造ってきた仕事を見せようと、3/27~29日に2泊3日で播磨と神戸に行ってきました。
まだ幼児で電車賃がかからないってのもあってね。あはははは。
 
ぼくの仕事を見せると同時に、そこで働く人たちに歓迎され、かわいがってもらう。
とんたんが歓迎されるってことは、ぼくのやってることも歓迎されているってことでもある。
何しに来た?帰れ帰れ!って言われるような人生じゃ寂しすぎます。
誰かから歓迎される、喜ばれるような存在にならなくちゃダメだぜ、それにはしっかり勉強して、役に立つ人間にならなくちゃだめだぜ、ってメッセージでもあるわけです。
 
小飼弾さんはこう言います。

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子どもが小さいうちは、学校の勉強をあまり気にしないこと。
それより、いろいろなところに連れて行ってあげたり、何かに一生懸命打ち込んでいる大人に会わせるのが一番です。(『決弾』57p)
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とんたんを播磨、神戸に連れて行ったのもそういうこと。
一生懸命、楽しそうに仕事をしている人に会わせたい。
ぼく自身、一生懸命、楽しく仕事をしている場所を見せたい。
まだ意味はわからなくても、そういうことを何となく感じ取ってくれればいいなって思いました。
 
それにしても、よいプロジェクトに参加でき、しかも二つともビッグプロジェクトですから、ラッキーですよねー。
年代的にも、技術的にも油の乗った時期に、フロントマンとして主体的に取り組めた。 

しかも形に残る仕事。
それを我が子に見せられるなんて、ハッピーこの上なし。
理研に感謝ですね!