2013年5月24日金曜日

システムエンジニアリング

太平洋戦争初期、零戦は向かうところ敵なしだった。
速いスピード、急旋回できる小回りの良さ、長い航続距離、命中率の高さ。
航空機技術の高さと、操縦士の熟練技術。
次々の戦果をあげていったわけだ。

太平洋戦争中、敵国アメリカはついに日本の零戦を超える航空機を造ることはで
きなかった。
日本は技術では戦争中ずっと勝っていたのである。
だから終戦後、戦勝国であるアメリカは日本での航空機技術の開発を禁止したのだ。
航空機エンジニアたちは仕事を奪われ、その技術は拡散していった。

戦前の大学で航空機工学を学ぶ学生は、超エリートであった。
その年代のベストブライテストが航空機工学科に入学した。
ロケット博士の糸川英夫もそのひとり。
そして戦後、仕事を奪われた航空機技術者たちは自動車産業や鉄道産業へと仕事
場を移していった。
それが今のトヨタ、日産、スバル、そして新幹線へとつながっている。

航空機技術では勝てなかったアメリカ、熟練のパイロットを育てられなかったア
メリカは、戦争には勝った。
それはなぜか。
答えは「システムエンジニアリング」である。

ほどほどの技術、ほどほどの人材でも、成果を出す技術。
一つの技術、ひとりの人材ではほどほどの成果しか得られないが、複数の技術、
人材を組み合わせることによって爆発的な成果を得ようとすること。
それがシステム工学なのだ。

アメリカの戦闘機操縦士の命中率は低かった。
前方を飛ぶ零戦に向かって、銃を発射しても当たらない。
おたおたしているうちに、零戦は急旋回して後ろに回る。
そして零戦の熟練操縦士にぶっ放され、命中し墜落する。

人が熟練するには相当な期間訓練を積まなくてはならない。
操縦士の才能や適性によってその期間も、熟練度もまちまちだ。
でも操縦士たちが熟練するまで、戦争は待ってくれない。
未熟なままで出撃しなければならないのだ。

素晴らしい性能を誇った零戦にも弱点があった。
スピードを上げ、航続距離を伸ばし、旋回性能を高めるためには、機体重量を軽
くしなければならなかった。
軽くするために防弾性能が劣っていたのだ。
いや、速くて旋回しやすい戦闘機を熟練操縦士が操縦するのだから、被弾するこ
とはない。
だから防弾性能など要らない。
そういう設計思想だったのである。

戦闘機の性能向上も飛行士の技能向上も諦めたアメリカはどうしたか。
航空機技術、飛行士の熟練度という土俵では、零戦に勝てないのは明白である。
それとは異なる土俵に持っていくことにし、そこで勝つことを目指したわけだ。

開発したのはVT信管(近接信管)という武器。
これは命中しなくても、敵機をかすめさえすれば、それを検知して爆発するものだ。
すなわち命中率が低くてもよい。
命中しないでちょっと離れた場所で爆発する。
距離が離れれば爆発の効果も下がる。
が、零戦は防弾性能が低い。
離れた場所で爆発しただけでも十分なダメージを与えられるのだ。

もう一つ。
アメリカの戦闘機は必ず2機で編隊を組んで飛行することにしたのである。
日本の零戦は一騎打ちの戦法をとっていたからだ。
1対1ならば、航空機性能、操縦士の能力に勝った零戦が勝つのは当然だ。
だが1対2ならばどうか。
航空戦は「後ろをとった」ものが勝つ。
アメリカの2機のうち1機を囮のように使い、零戦に追わせる。
その隙にもう1機が零戦の後ろをとるわけだ。
これなら勝てる。


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