2013年11月8日金曜日

試験で良い点を取る意義

スタッフたちへの冷凍保安責任者国家試験向けの勉強は今日でおしまい.
ひと通りみっちり教えたつもり.
日曜日がいよいよ本番だ.
最高峰の1種試験を3人,ミドルレベルの2種試験を2名が受験する.
全員受かるといいねー.

とにかく最後まで悪あがきしろって伝えた.
諦めない気持ちが大事.
こんなもんだろう,と思った時に人は堕落を始めるものだ.
試験官が「もうテキストをしまいなさい!」と怒るまで,ぎりぎりまで勉強しろって.

人の価値はテストの点数じゃないって,よく言われる.
学力はテストの点数じゃない,なんて「教育者」は言う.
大切なのは,生きる学力だって.
馬鹿言ってんじゃないよ.テストの点数こそが生きる力に直結してるんだ.

テストで点数を取るためには,問題の意図を理解しなくちゃならない.
出題者の欲している回答はなにか.
その推察なしに,自分勝手なことを書いても点数はもらえない.
つまり相手の意図を正確に捉える良い練習になるのだ.

ぼくはリーダーだから仕事上の指示,命令を発する.
ところがぼくの意図することと違うことをやっちゃうスタッフもいる.
ぼくの言い方が悪いのかと思って,噛み砕いてよく説明してみる.
それでもミスをするのだ.
これは明らかにこのスタッフの側の問題であるとわかる.

こういうスタッフに勉強を教えてみると,勉強もやっぱりできないのだ.
点数を取れない.
試験になかなか合格しない.
問題の意図をきちんと理解しないで,自分勝手な理解で答えてしまうからだ.
そういう悪い癖が付いている.
それが普段の仕事にも現れてしまっているのだ.

仕事はコミュニケーションだ.
コミュニケーションの基本は,自分の意見を述べることではない.
まず最初に相手の話しを正確に聞くことだ.
相手の言うことをきちんと理解しないのに,自分の言いたいことだけ言っても,ちっとも噛み合わず,いつまでたっても平行線のままだ.
相手の話を理解できないのに,自分の主張を述べられるはずがない.
コミュニケーションの本来の意味は「相互理解」だからだ.

だから試験,テストというのは,相手の言うことを正確に理解するための,必要十分な訓練になっているのだ.
試験で良い点数を取れない子どもは,社会に出ても上司や顧客の言うことをきちんと理解できず,あいまいなまま仕事をするので,失敗を重ねてしまうのだ.
意図がわからないから段取りも組めず,闇雲に仕事をしてしまう.
手戻りが多くなり,それが長時間労働を生む.

もちろん試験問題には「悪問」もある.
いくら考えても出題者の意図を汲み取ることができない問題.
こういう悪問に取り組んでおくことも有効な経験だ.
世の中には,悪問みたいな人間もいる.
テストで悪問と格闘した経験が,悪問みたいな人との対応に役に立つ.

ちなみにぼくは若いころ中学受験塾や予備校で講師をしていたことがある.
いろんな学校の入試問題を分析した.
ダメ学校ほど悪問が多いね.
入試問題を見ればその学校の教師の質がわかってしまう.
そういう学校へは行かないほうが良い.

仕事だけじゃない.
家族だって同じだろう.
相手の理解なしに良好なコミュニケーションなんか取れるわけがない.
長期間安定的に良い家族を作っていくために,コミュニケーションは欠かせない.
それも,相手の話を理解することが基本だ.

ところで,テスト勉強ばっかりやらせると,個性を潰すって言う人いる.
潰れたっていいんだよ,クダラン個性なんか.
それよりずっと大事なんだ,確固たる学力は.
世の中に役に立つ人間になるには,むしろクダラン個性は邪魔.
本物の個性は,テスト勉強をしたくらいで潰れるもんじゃない.
潰れたとしたら,そんなのは意味ある個性じゃなかったってだけだ.

だから試験,テストで良い点数を取ることはとても大切なことなんだ.
教師,親は子どもにテストで良い点数を取らせなければならない.
そう教えなければならないんだ.
試験,テストこそ,生きる力を鍛えていく強力なツール,メソッドなのだ.