ダメな人ほど完璧主義だ. ものの軽重がわからないから.どうでもいいことに時間と労力を使う. その割に重要なところがおろそかになっている. 完璧主義の遠因に,小学校などで行われている「100点礼賛」があると思っている. テストで100点を過大に評価する. 全員が100点取れるまでがんばろう!なーんてね. ばっかじゃねえの! みんなに100点取らせて自信を持たせるなんてね. 全員に100点取らせるために、すんごく易しいテストにしちゃったりさ。 アホだなあって思う。 大事なことは何かわかってんのかい? 100点主義の人のアタマの中では,数直線が100で止まっている. それ以上の数字が存在しないのだ. 100点なんか人為でそこで切っただけの点数だ. 現実には100点以上だってある. そう考えれば,100点もただの数字,数直線上の普通の1点に過ぎないことがわかるはずだ. だからって、点数なんかどうでもいい、と言っているわけじゃないよ。 100点がダメとも言っていない。 誤解しないでね。 やっぱり、テストではいい点数を取る方がよいのだ。 よい点数を取るために,一生懸命勉強した方がいいのだ。 でもそれは、100点を取るためじゃない。 自分を鍛え、有能な人間になるためなんだ。 100点を取ることだけを目標とすると、本来目指すべき目的を見失ってしまうんだ。 受験で負けても人生で勝て、なんていう人もいるけど、それも間違っているぜ。 受験を馬鹿にしちゃいけないよ。 受験も自分を鍛え、有能な人間になるためのチャンスだ。 そこから逃げちゃいけないんだ。 受験勝ち組全員が素晴らしいわけではないのも確か. だがしかし,有能な人たちは決して受験負け組から生まれてきたわけではない. 受験をしなかったかもしれない、大学に進学しなかったかもしれない、でも受験なんか屁とも思わない人物なわけだ. 必要なことはきっちりと勉強していたはずなんだ. そこを間違えてはいけない。 受験に勝っても人生に負けている人はけっこういるが,受験に負けて人生にも負けている人も劣らずたくさんいる. と言うより、受験負け組はほぼ人生でも負け組になってしまうのである。 そもそも、負け組なんて意識を持っている人間が、勝ち組になれるわけがない。 話を元に戻す。 100点がいいわけじゃない。 100点主義に陥ると、100点を取りたいがために、枝葉末節のどうでもいいくだらないことまで,長い時間と労力をかけて勉強しなければならなくなる。 テストのためだけの勉強に陥りがちなのだ。 そんなことをするよりは、重要点だけきっちり押さえておけば、80点でも90点でもいいのだ。 その方が効率的。 100点のためにくだらない細々したどうでもいいことまで勉強するくらいだったら、さっさと切り捨てて,先へ進む。 そういう戦略で生きていった方がいいと思う次第。
2013年12月1日日曜日
100点主義を廃す
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