2014年9月29日月曜日

嫌いなことも、まあ適当に

ぼくのサイエンスカフェでは、子どもたちに「好きな勉強はとことんやろう」と伝えます。
でも誤解しないでくださいよ。
好きなこと[だけ]やろう、とは言っていないのです。
嫌いな勉強はどうする?
まあ適当に。
ってね。
ここをまちがえてはいけませんぞ。
近年大学入試も多様化して、試験による入学試験の他に、推薦入学、AO入試、一芸入試なんてのもある。
勉強ばっかりじゃなくて多様な学生を集めよう、という建前。
本音は、少子化で大学入学者確保が大変になってきたから、楽な入試にして学生を集めちゃおう、なんだと思いますが。
それで入学した学生が、ハッピーな大学生活を送っているなら文句はありません。
ところが、余りハッピーじゃないらしい。
退学者も一般入試組より多いんだって。
なぜか。
やっぱり、大学教育を受けるに必要な基礎学力に欠けるのが原因。
講義を聴いても、よく理解できない。
つまらないから欠席がちになる。
試験にも落ち、単位が取れない。
大学に行くのもおっくうになる。
大学から足が遠のき講義にも出ないので、大学での友人もあまりできない。
大学はつまらないところ。行っても意味なし。
そして退学。
一芸入試ってのも、どの程度の一芸か、ですよね。
もちろん1万人に一人、10万人に一人と言った突き抜けた一芸なら、それが自信になり、多少出来ない科目にもチャレンジしようという気になります。
ところが、十人並み、100人に一人程度の一芸だったら、すぐ自分でも「おれの芸はたいしたことがない」と分かってしまいます。
自信を失った芸ほど役に立たないものはありません。
そもそも1万人に一人、10万人に一人と言った突き抜けた芸を持つ学生に、大学教育なんか必要ないのかもしれません。
この間科学教育学会で知り合った大学の先生から聞いたんですが、『理系の子』という本で描かれたISEF(インテル国際科学技術フェア)で上位入賞した生徒の中にも、その後あまりハッピーじゃない人生を送っている子が結構な割合いるらしい。
その大学の先生は、「しょせん好きなことしかやらなかった子だから」と言っていました。
たとえ好きなことでも、レベルが上がってくるに連れ、根気よく取り組まなければならないことが多くなり、それは必ずしも楽しくなかったり、好きなことでもなかったりします。
好きなことしかしてこなかった子は、それを乗り越えるだけの耐性が養われていないのではないか。
そうぼくは仮説しています。
好きなことをとことんやらないといい成果は出ないのは確か。
だがしかし、好きなことしかやらないのもよろしくない。
好きなことしかやらないと、好きなこともできなくなってくる。
嫌なこと、嫌いなことも、テキトーに付き合う度量がないとね。
というわけで、嫌いな科目はまあ適当に、なんです。
嫌いな科目から逃げちゃいけない。
適当につきあう度量というか余裕も必要なんです。
それが、好きなことを続ける前提を作ってくれるんです。
では、どの程度まで付き合えばいいのか。
ぼくは「平均点を取れる程度」と思っています。
嫌いな科目、不得手な科目まで100点を狙ったり、上位を狙う必要はないと思います。
嫌いな科目、不得手な科目でも、平均点程度まで勉強しておく。
そのくらいはやっておいた方がいいと思います。
えー、平均点なんて無理だよー、と言うかもしれません。
でも平均点を取るのはそんなに大変じゃありません。
点数が悪いのは、ちっとも勉強していないからです。
点数を取るには、嫌いな科目でもきちんと勉強すればいいだけ。
嫌いだとつい勉強が遠のいてしまいます。
そこを我慢して、10分でも15分でも毎日やってみる。
その程度の努力、我慢かな?がハッピーな人生を作るとぼくは思っています。

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