2016年2月28日日曜日

人生はプロジェクトじゃない

こんにちは

受験はプロジェクトだが、勉強は、もっと言えば人生はプロジェクトじゃない。
プロジェクトは成功させねばならないが、勉強、人生に失敗や無駄はつきもの。
失敗するから成長、向上する。無駄なことをするから発見もある。
逆に言えば、失敗や無駄が出来るだけの余裕を持っていなければならない。

入試、資格試験もそうなんだけど、解けそうにない問題は飛ばせ、ってやるでしょ。
優先順位を着けるって意味もあって、悪いわけじゃないんだけど、必要悪でもあるんだよね。
現実社会では、飛ばしちゃいけないことだってあるんだから、たとえ難問であろうと。
解けそうにない問題を、優先度の低い問題と誤解しちゃう、規定しちゃう、そういう思考習慣が身についちゃうのは恐ろしいことだと思う。
特に指導者層に。

受験はプロジェクトだから、過剰な勉強は避け、目的に沿った必要十分なことだけやればよい。
だがしかし、本来の勉強には明確な目標、目的なぞないのだ。
目標、目的を「見つけること」が勉強の目的だからだ。
であるから、不可避的に試行錯誤を伴う。

失敗も多い。
無駄なこともやる。
悩みもする。
バカなこともやらざるを得ない。
逆に言えば、失敗、無駄、悩みから逃げない姿勢が、本物の勉強であり、確固たる人生を築くのである。
バカになれるかどうかってのも大事。 
おりこうさんには本物の勉強はできないのである。

プロジェクト仕事をちゃちゃっとやるコツは、目標、目的を明確にしてから始めることだ。
闇雲にやってはいけない。
反して本来の勉強は、闇雲にやるしかないので、時間がかかる。
なぜなら、目標、目的がないところから始めなければならないからだ。
目標、目的を発見することから始めなければならないからだ。
プロジェクトで悩むのは無能な証拠であるが、本来的な勉強で悩まぬ奴はやっぱりアホなのである。

しょせん、受験などプロジェクト仕事は「やらされる」勉強、仕事でしかない。
義務的なものでしかないのだ。
そんなものは、ちゃっちゃと終わらせるに限る。
そして、本来の勉強をやる時間と精神の余裕を生むのだ。

会社や組織も、プロジェクト仕事ばかりやっていると、発展がない。
役所は本来、そもそもプロジェクト仕事をやる組織。
東大は、プロジェクト仕事に長けた役人を養成する場所。
だから、キャリアの人たちでも「東大で終わった人」たちは自ら目標、目的を見つけるのは不得手なのだ。

受験などプロジェクト型の勉強は、やればやるほど、時間をかければかけるほど点数が上がる。
だからって、すべての時間をそこに注ぎこむと、自分で目標、目的を見つける練習、すなわち好きなことをやる時間を失う。
これは長い目で見ると、反って学力を低下させる原因となる。
反って人生を損なう恐れがあるのである。
気をつけなくちゃね。

受験はプロジェクト

こんにちは

はっちゃんが模擬試験を受験した後、必ず復習させるけど、全ての問題をやらせるわけではない。
正答率40%くらいまでの難易度の問題だけやらせることにしている。
つまり、はっちゃんを偏差値60程度のレベルにすれば十分、と考えているからだ。

偏差値=100-ある正答率の問題が解けるかどうか。
たとえば、正答率40%の問題が確実に解けるようになるなら、

  100-40=60

すなわち、その子の偏差値は60くらいになる。
これはかなり正しい経験則のようだ。

正答率が数%の超難問までできるようになる必要はない。
入試は限られた時間で、入試日という期限までに、必要な学力まで引き上げる「プロジェクト」だ。
無駄なことは「ほどほど」にしておく必要がある。
だから超難問まで勉強するのは、ある意味無駄である。
もちろん、好きならやってもいいのだが。

「ほどほど」というのが肝心で、たまには難問にも取り組ませたほうがよい。
プロジェクト言えども、無駄をまったく排除するのはよろしくない。
発展は無駄の中から生まれるからである。
逆に言えば、無駄なことも少しはできるような余裕も必要なのだ。
いわゆる、アンダーザテーブル。
こっそり好きな事をやるってことだね。

とにかくプロジェクトは短期決戦。
長期にわたってダラダラ取り組んではいけないものだ。
中学でも、高・大受験でも1年間くらいでやるべきだと思います。
1年間くらいで集中して取り組んだ方がよい結果が得られると思うのです。
そしてプロジェクトに、自分の時間と労力すべてを注ぎ込んではいけない。
せいぜい80%くらいに留めておく。
残り20%は余裕として残しておくべきなのだ。

はっちゃんは国語が特によくできる。
これまで塾に通っていないのだが、よく善戦していて、偏差値60超えをコンスタントに取ってくる。
で、返却される成績表の正答率を見てみると、国語の問題は各問ともほとんどが正答率50%以上なのだ。
つまり、国語ではトリビアルな問題は出題しにくいのだろう。
受験生側からいうと、当たり前のことをまんべんなく学んだ子が強い、ということになる。

野口悠紀雄氏も言うように、頭の良さとは国語力である。
つまり国語力とは、普遍的な能力なのである。
決して突飛な能力ではない。

大人になって、誰にもできない仕事ができるようになるためには、どうすればいいのだろうか。
誰にもできないトリビアルなことをやる必要はなく、むしろ誰にでもできることを確実にひとつひとつこなすことが一番の近道になるのである。
その力を国語で鍛えていると言ってよいだろう。
誰でもできることを、抜けなく、漏れなくコツコツとやる。
そういう人の方が良い仕事ができるのである。

反対に、算数は各問の正答率の差が大きい。
いかに自分に解ける問題を早く見つけるかが合格点をGetするためのキー。
できるかできないかを瞬時に分別し、先ずはできる問題から始める。
そして合格点レベルまで持っていった後に、難問にも取り組んでみる。
これも、社会に出てから役に立つ能力。

理科、社会も正答率の差が小さい科目だ。
覚えるべきことを覚え、あとは国語と算数の力で解く。
だから、理科、社会は国語と算数のアプリケーションと言える。
実社会に出て解決すべき問題は、ほぼすべて理科的な問題か、社会的な問題だからである。

2016年2月21日日曜日

我が家の英検大作成

こんにちは

 1月に、はっちゃんは英検4級に挑戦しました。
一般会場です。
その前々日には学校でも5級を受検。
5級は2回めの受検でした。
5級は前回80点台での合格でしたので、もう少し仕上げておきたかったのです。
で5級は、ものすごく手応えありだったそうですが、4級はどうでしょう。

実は、4級向けの勉強はまるでやってません。
5級までの知識で、どこまで行けるか。
そういう経験もしておいた方がいいと思って、受検させたのです。

人生、いつも準備万端とは行きません。
いきなり本番に引っ張り出され、今ある知識、技能で何とかしのぐことだって多いわけです。
準備ができてないからそこから逃げるのではなく、とりあえず打席に立つ。
今の実力でこなしてみる、なんとかやってみる。
それによって度胸も付き、自分の実力も見えてきます。

これまではある程度合格のめどが立つまで勉強してから、検定試験を受検してきました。
だから必ず合格させてきたんです。
それは、幼少のうちは合格させて十分自信を着ける必要があるから。
でもはっちゃんももうすぐ6年生です。
そろそろ不合格も経験して、負けることにも慣れさせておいたほうがいい。
そういう思いもあって、無謀な挑戦をさせてみたのです。

英検会場(高田馬場の保善高校)に着きました。
「自信なくなってきた」とはっちゃん。
何言ってんの。
まるで準備、勉強してないんだから、自信なんかあるわけないよ。
自信を持っていいのは、準備万端な人だけ。
だから今日は自信なんかなくていいんだ。
最善を尽くせばいいんだよ。
そう言って、教室へと送り出しました。

やはりかなり厳しかったようです。
でも時間いっぱい考え続け、問題に取り組んだたことは、よい経験になったと思います。

その後、模範解答がホームページに載ったので、採点してみました。
ヒアリングは8割の出来でびっくり。
すばらしいですねー。
筆記の方は解答した部分については6割超えかな。
後半の長文読解で時間切れだったようです。

なので次の課題は、スピードです。
基本的な例文を何度も何度も読むことで、 スピードを上げようと思います。
そして語彙力ですね。
単語ももっと覚えていく必要があります。
単語を知っていれば、スピードも上がりますから。
課題も見えてきました。

そして今週、赴任先のぼくのところに妻からメールが届く。
英検4級合格でした!
すごいねー。
5級の勉強しかしないで受けたけど、合格ラインまで届きました。
ほんとに合格点ポッキリ、ギリギリ合格だけどね。

学校で受検した英検5級も当然合格。
なんとヒアリングで1問だけ間違えただけで、その他は全て正解!
50問中49問正答。
98点!!
すばらしい!
これで安心して4級の勉強へ本格的に進めますねー。

あるレベルの仕事をするには、そのレベルより上の知識、技術を持っていると楽々出来る。
また、あるレベルの確固たる知識、技能を持っていれば、その上のレベルの仕事もなんとかやり遂げることが出来る。
そうぼくは仮説しているのですが、一つ実証例が増えましたよ。

日本人が、中高大と10年も英語を学んでいるのに、ちっとも話せないのはなぜかってよく言われますよね。
答えは簡単。
話せるレベルまで勉強してないから。

会話が成り立つには、相手の言っていることが理解できないとダメです。
理解するには、やはり語彙力がないとね。
英検2級レベルまで身につけて、ようやく相手の言うことが即座に(おおまかに)理解できるようになります。
そこまで勉強しておけば、自分の言いたいことも即座に口に出てくるようになるのです。

英語など語学学習は、コツコツと続けないと身につきません。
逆に言えば、コツコツやり続ければ誰でもできるようになるのです。

合格したけど、英検は合格が目的じゃありません。英語の習得が目的。
だから90点以上になるまで、仕上げなくちゃ。

次の英検は6月です。
6月は80点台での4級合格を目指します。
その後も、受験勉強の気晴らしとして少しずつ継続して、小学生 のうちに4級を90点台で卒業させたい。
中1で3級、中2で準2級、そして中3で2級レベルまで持って行き、その年に参加予定のボーイスカウト世界ジャンボリーで実戦してくるって計画です。

コツコツやっていきましょー。

我が家が塾に通わせない理由

こんにちは

冬休み、近所の進学塾の単科ゼミだけに通わせました。
子供たちはそれなりに楽しんで勉強してきたようです。
その後、塾の先生から「継続して通わせないか」というお誘いの電話が度々来るようになりました。
はっちゃんも「塾に通いたい」と言うのですが、ちょっと無理です。
はっちゃんには、こう説明しました。

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おお、ごめん。お母さんと話し合った結果を伝えてなかったね。
お母さんと話し合ったことは、

・塾が始まる時刻は17:00で、終わる時刻は20:40。
・学校のある日、学校から帰ってきてから17時までに行くのは難しい。
・雨の日だったら、お母さんが車で送り迎えしなければならないけど、
 お父さんが大阪に行っているので、それはできないだろう。
・塾が終わって家に帰るのは21時すぎになってしまう。それから夕食では
 健康に悪い。
・お風呂に入ったり、明日の学校の準備をしたりすると、寝るのは22:30か、
 へたすると23時になってしまう。これでは学校の宿題をやる時間も取れない。
・こんなに遅くまで起きていれば、翌朝5時半には絶対に起きられない。
 学校に間に合うように家を出ることは無理だろう。
・よって、学校のある日に塾に通うのは、時間的にも健康のことを考えても
 止めておいたほうが良い。無理して病気になったり、学校で眠くてぼーっと
 してしまったら、本末転倒。
・塾へ行くのは、春休みや夏休みなど学校のない日だけにしよう。
・6年生の後半になったら、土曜か日曜日のコースがあるようなので、
 これに通うことも検討する。

ってこと。

2月11日から新6年生の新学期が始まるらしい。
だから栄光の先生からお誘いがあったんだ。
栄光も、はっちゃんみたいな勉強の出来る生徒が欲しいんですよ。
良い学校に合格すれば、塾の宣伝になるからね。

でも、上に書いたように、メリット、デメリットを考えると、デメリットのほう が大きいと思うんだ。
はっちゃんも塾に行きたい気持ちがあるのは嬉しけど、納得して欲しい。
塾に行かないけど、これまで通り朝夕の勉強をしっかりやっていけば大丈夫です。
塾代(6年生だと毎月5万円かかります)も節約できて、親孝行だしねー(笑)。

今度また塾の先生から電話があったら、「今お父さんがいないので、お父さんが 帰ってきたら連絡します」って答えてね。
よろしく!
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わが子たちに塾通いさせないのは、子供の持つ時間をすべて塾の勉強、すなわち受験勉強に占領されないためです。
受験勉強はすべて「正解のある」勉強。
しかも、正解に素早く到達させる勉強ばかり。
塾では、難問であっても素早く解けるように、その技術が教えられ、訓練されます。

そういう能力も必要だと思うけど、そればっかりではいけないとも思う。
もちろん、読み書き計算のような基礎基本であれば、いちいち考えずに反射的にできるようにしてやるべきでしょう。
でも、脊髄反射のような勉強ばかりしていると、じっくり考える習慣が身につかないと思うのです。
その方が恐ろしい。

世の中には正解のない問題もあるのです。
誰も解いたことのない問題もあるのです。
そういう問題に取り組むのが、そもそもエリートの役割でしょう。
だから、エリートを養成したいのなら、進学塾のような勉強ばかりさせてはいけないのだと思うのです。

脊髄反射のような勉強ばかりしてきた人間は、正解のない問題、誰も解いたことのない問題にぶち当たった時、それを避けるようになるようです。
逃げるようになってしまうのです。
無視するようにもなる。
なるべく見ないようにしたり。
そういう人間は、まるでエリートではない。一流とは言えません。

正解のない問題、誰も解いたことのない問題に取り組むには、じっくりそれに向き合い、長い時間考える必要がある。

則ち時間がかかるのです。
脊髄反射では取り組めないのです。

塾では難問も短時間で解けるように訓練しちゃいます。

だがしかし、それは難問の使い方としては間違っていると、ぼくは思います。
難問は、時間をかけてじっくりそれに取り組み、そこか ら逃げず、自分で答えへとつなげていく訓練なのです。
それが、大人になって正解のない問題、誰も解いたことのない問題へ取り組む姿勢へとつながるわけです。

難問は解けなくても良いのです。

実際に入試に出題する先生も、そう考えているはずです。
解けるよりも、ちゃんと自分で考えているか。
それを試すために、難問も出題しているのだと思います。
考え続けることが大事だから。解けなくても良い。
でも解けたらすげー!なのです。
塾で教えられるように、解けなくてはいけない、解けるようにならなくてはいけないというものではないのです。

塾にどっぷりと浸からせてしまうと、じっくり考える時間がなくなり、じっくり考える習慣が失われるように思います。

それは長い目で見たら損失でしょう。
 

塾には通わせません。
それでトップ校には入れないかもしれません。
それでもかまわないと思います。
だって、トップ校に入るより一流な人材になるほうが大事だからね。